9)嬉しい贈り物と有り得ない装備品
さて、外出だ。
いきなり外に出たりして問題ないだろうか。
心配するなと言われたけれど、正直言って不安しかない。
着の身着のままっていうか、何も持っていない一文無しだし。
当たり前にあったはずの脳内の記憶もなくって、文字どおりの身体だけ。
このまま外に放り出されたら、高確率で行き倒れる未来しか予想できない。
ギルはというと、こちらを眺めながら呆れ顔だ。
「まったく君って人は。これは、また変なことを考えている顔だね。心配性というか律儀っていうか、すごく後ろ向きの思考回路っていうか」
クスクス笑う彼に揶揄われつつもぐるぐると思案していると、ノックの音が響いてウィルヘルムさんが戻ってきた。
箱や包みなど、幾つも荷物を抱えている。
爽やか執事スマイルも標準装備だ。
「お待たせいたしました。それでは準備を致しましょう」
準備って何を? と、首を傾げる俺。
それに構わずどんどんと話を進めるウィルヘルムさん。
「外出の際に身支度を整えていただくのですが、その前に…………」
そうですね、寝間着のままではいけませんよね。
ウィルヘルムさんはテーブルの傍まで来ると、手早く持ってきた荷物の包みを開いていく。
一つ目は筆記具のようだった。
「こちらは、私からのちょっとした贈り物です。お声が出ないのは不便でしょうから、どうぞ使ってください」
少し照れた様子のウィルヘルムさんに、金のリングで綴じてある小さな冊子と、漆黒の細い棒を手渡された。
「黒い棒は映筆といって、黒映石という鉱石で出来ています。握っている者の力をインクのように変化させて、他の物体に定着させる道具です」
こうやって握ったまま魔力をほんの少しだけ流す感じで……などと言いながら、冊子の一ページ目に幾つかの円を描いて実演してくれる。
なるほど、便利そうだ。
「魔力がインク代わりですから、魔力切れにならない限りは、インク切れすることなく使い続けることができます」
魔力? 魔力がインクになるの? それ、どんな仕組み?
今の俺にとって、世の中はわからないことだらけだった。
疑問は次々と湧いて出てくるが、先ずは自分に使えるのかが心配になった。
だから、ギルを通訳に魔力が使えない人は書けないんじゃないのかと聞いてみると、問題ないという答えが返ってきた。
「力を使えないのと、持っていないのとは違います。多い少ないの差はあっても、ほとんどの生き物がその力を内に秘めているんです。これを使うくらいなら、誰にでもできるはずですよ」
魔法や魔術を発動させるのは素質がなければ無理だが、こういった魔道具に魔力を流して使うことなら、誰にでもできるらしい。
(そうなんですか……じゃあ、俺でも書けるんですね。良かった)
「もちろん。書いたものを消したいときは、指や掌に魔力を纏わせて軽く擦ればこの通り。跡も残らずキレイになります」
おおっ、白紙になった。
面白そう。
これがあれば誰とでも筆談できるでしょう? って言いながら、片目を瞑って気障な仕草をしてみせるウィルヘルムさん。
気障な仕草も素敵です。
俺は好奇心でワクワクしながら冊子に感謝の言葉を綴ってみる。
うん、色々忘れちゃってるけど、一般的な常識とか文字なんかは問題ない。
ちゃんと言葉は理解しているし、筆記だって大丈夫。
経歴とか人間関係なんかは全滅っぽいけど。
リナさんが言うには、そういう記憶をエピソード記憶というらしい。
まあ、そっちは今のところは仕方がないから放置しているわけなのだけど。
予想以上の滑らかな書き心地に、ついウットリしそうになったが、白い用紙にくっきりと浮かぶ文字を彼に向ける。
(俺の為に、ありがとうございます。これなら念話や読心の技術がなくても大丈夫ですね。ウィルヘルムさんとも通訳なしで会話ができます)
すると、ウィルヘルムさんは嬉しそうに微笑んだ。
「それはよろしゅうございました。喜んでいただけたなら私も嬉しですし、活用していただければ贈った甲斐がございます」
あまりにも素敵な笑顔で返されて、何だかこちらが照れてしまう。
自分の顔面に熱が集まるのを感じながらも、大切に使います嬉しいですと書き込んだら、執事さんにハグされた。
驚いてビクッってなったけど、強張った身体の力を抜く。
たしか、リナさんには感激屋だとかいわれていたはずで、彼に悪気はないと思う。
少々スキンシップ過多な気がするが、これは無駄な抵抗をせずに受け入れるべきなのだろう。
頑張って笑顔らしきものをつくってみるが、上手くできている気がしない
きっと、引きつった残念な感じになっているのだろう。
ウィルヘルムさんのような爽やかスマイルへの道のりは遠い。
隣から覗いていたギルも、ものすごくタイムリーなプレゼントだといってにっこり笑った。
こちらもお手本のような満面の笑みである。
二つ目は着替え用の衣類で、三つめは小さな箱だった。
衣類は、これから職場としてお世話になる百貨店の制服とのこと。
上着はオフホワイトのシャツで、シンプルなデザイン。
下は、こちらも飾り気のない黒ズボンである。
手早く着替えると灰色の何かを渡される。
広げてみると、ダークグレーの作業用エプロンだった。
よく見ると、ほんのりと緑色がかっている気がするが、ぱっと見は濃い灰色だ。
それから、小さな箱から丁重に取り出された黒縁の眼鏡。
これもどうぞと手渡されて装着してみるが、とくに視界に変化はない。
外してみても視力には問題ないようだ。
(あの、眼鏡が必要なほどは視力に問題はないと思うのですが)
「はい、承知しておりますとも。それでも、貴方には必要な装備なのです」
(どういうことでしょうか?)
「その眼鏡には視力補正の度は入っていませんが、強めな認識阻害効果がつけられているんですよ」
(認識阻害、ですか?)
「はい。ついでに申し上げますと、エプロンには特別な隠蔽効果がついております。仕事中や外出時には、必ず身に着けるようにしてくださいね」
ウィルヘルムさんが、さも当たり前なことのように説明するのを、そうですかとうっかり聞き流してしまいそうになった。
聞き捨てならない単語に、はっと我に返る。
ええと、ちょっと待ってほしい。
隠蔽って、何かを覆い隠すとかのことだよね?
認識を阻害しちゃうと、相手に存在を知られないわけだよね? 誰にも知られずに、こっそりと色々できちゃうんだよね?
……俺は、百貨店のアルバイト従業員(仮採用)だ。
百貨店っていうのは、たしか大規模な商業施設だと聞いたはずだ。
ひょっとして、何かの間違いで機密組織にでも就職してしまったとか……では、ないよね?
俺は、いったい何の仕事をさせられるのだろうか。
ウィルヘルムさんは隠蔽エプロンとか認識阻害眼鏡とかで、俺をどうしたいのだろうか。
まさか、店内で隠密行動とか暗殺作戦とか特殊任務なんてやらされるんじゃ……ないよね?
小心者な俺には無理ですよ?
返り討ちで瞬殺される自信しかないですよ?
記憶はないけど、そういう自覚はあるのだ。
物騒なお仕事、ダメ絶対。
なんだか、色々と不安になってきたよ。
頭の中でぐるぐる考え込んでいると、小さな溜め息が聞こえた。
「君の脳内では、何か禄でもない思考が展開されているようだけど、不安なことは一切ないからね」
君に危ないことをさせるなんて有り得ないと、ギルが苦笑交じりに言っている。
いやいやしかし、たかがバイトの兄ちゃん(仮)の制服に、そんな機能なんて要らないでしょう。
おかしいよね!?
普通はしないよね?




