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2-4.これきりの夕陽


 まだ陽は高いが、少し熱気も薄れてきており、風も強くなってきた。夏特有の白い積雲を見上げたセルフィオが、グリュテの方を振り返る。


「次の町に今から行くと、夜をまたいでしまうな」

「野営なら慣れてますよ、わたし」

「うん。けれど夜の<妖種>は手強い。今日は準備をもう一度して、明日の朝に発とうか」

「セルフィオさんがそういうなら。次の町って南東にあるテアーヒですか?」

「行ったことがあるのかい?」

「いえ、いつもはここから船に乗って、いろんな仕事場に行きます。だから内陸の町にはほとんど行ったことがありません。地図で確認しただけで」

「小さい町だ、宿場と酒場くらいしかない。準備をするならやっぱり、ここがいいね」


 運河沿いの坂道をまた上っていくセルフィオの後ろについて、足取りから行き先が商店区画であることに気づく。市場とは違い、町の商店なら下手なものを買わされる心配はないといっていいだろう。


「変な噂を聞かせてしまったかな」


 子供たちが彼の姿も無視して、すぐ側を無邪気な声を上げてかけ去って行く合間を縫い、ぽつりとセルフィオはささやいた。苦笑したらしい声は、それでも穏やかなままだった。


「腕は確かだってわかったから、いいです」

「どんな話を聞いたらそうなるんだい?」

「だって、誰も否定してませんでした。生き残っていけるってことは、やっぱり強いってことだとわたしは思いますし」

「逃げることを恥だといとわない騎士だとは?」

「思いません」


 きっぱりといい放つグリュテの声は、かたくなといっていいほどだった。

 

 自分の力量を知る、それはよくキリルからいわれていたことだ。それ以上のことを成すなら命をかけることになる、とも彼はいっていた。守ること、確かに騎士はそれを信条とする存在だ。けれどグリュテからしてみれば、託された任務の重さを少しでも負担してくれるであろうセルフィオの存在が頼もしいという他ない。自分を捨てても任務を取ってくれるなら、それこそグリュテの望むところだ。

 

 グリュテの言葉に、セルフィオは答えない。観光客を乗せた帆船が運河を通り、感嘆の声を上げていく音だけがグリュテの耳には入る。


「そういえば、セルフィオさん。さっきから足取りがしっかりしてますけど、群島国(ダーズエ)に来られたことがあるんですか?」

「スマトには少しの間滞在していたよ。大抵の道は頭に入っている」

「他の国には行ったこと、ありますか?」

統合国(ネルゲイオ)以外は。あそこは内乱が激しいからね、入国許可が下りないんだ」


 なんだ、とグリュテは笑う。組合で聞いた噂など、やはり根も葉もないものではないか。


「あのぅ、なら『詞亡王(しむおう)』と会ったことは、ありますか?」


 その言葉に刹那、手甲に包まれた指が動くのをグリュテは見た。


「興味があるのかい、黒の王に」

「えっと、話で出てきたものですから。ちょっと気になって」


 小走りで横に並び、見上げたグリュテは気づく。兜から覗くセルフィオの空色の瞳が、どこか遠くを見ていたことに。


「それを話すには、ここは静かすぎる」


 思った以上に冷たく、厳しい声音にグリュテははっとし、辺りを見渡した。人気は少ないが、見回りの兵士やどこぞから流れてきた傭兵たちがいることには違いない。すみません、と小さくつぶやいて羽織っている外套を両手で握った。


 しばらく無言で二人、運河の横沿いを並んで歩く。入り組んだ道はそれでもグリュテのよく知ったところだ。セルフィオの足取りは正確で、進むうちに活気が戻ってきた。宿場の女将と思われる女性と店のものの値切り合戦に、周りから喝采の言葉が上がる。それに負けじと野菜売りは声を張り上げ、香辛料売りや果物売りもまた、市場から仕入れたばかりの品をここぞとばかりに押し売ろうと躍起だ。魚は市場の方が新鮮と誰もがわかっているのだろう、それでも干物屋には多数の人間が集まっている。


「食料品は買ってあるかい?」

「あ、はい。乾物ですけど。甘いものも用意してくれました。二日分はあるはずです」

「テアーヒを越えたら森を突っ切る。もう少しあった方がいいかもしれない」

「じゃあ、わたしが買ってきましょうか? セルフィオさん、少し目立ちますし」

「確かにそうだね」


 率直なグリュテの返答に、セルフィオはなぜか笑ったみたいだった。


「乾物をもうちょっとお願いしようかな。俺は薬軟膏の方を見てくる。待ち合わせはこの先の広場でいいかな? お金はあるかい?」

「大丈夫です。じゃあ、買ってきますね。先に済むと思いますから、広場で待ってます」

「うん。あまり遠くに行かないようにね」


 子供じゃないんだから、と軽口を叩こうとして、はじめて出会ったときのことを思い出す。あのときもキリルの言葉に従わず、痛い目に遭った。はい、と恥ずかしい思いを隠すように答え、グリュテは乾物屋近くの集団に入っていく。セルフィオの視線はグリュテの背に刺さるように少しの間注がれていたが、揉み合いをしている間にそれはなくなった。


 セルフィオさんは肉の方がいいかな、と普段は買わない羊肉や牛肉の乾物を見ていると、少し気分が悪くなる。死体を食べる。そんなふうに思う自分がいて、今まで考えたこともない思考は病からくるものなのかわからず、惚けていたら太っちょの女性に肩をぶつけられた。


 でも外套のおかげか、グリュテを避けるような真似をする人間は、誰としていなかった。グリュテは小柄だし、下の裾から覗く衣の部分も見えないのだろう。普段は違う服を着なければ毛嫌いされる遺志残しも、こうなれば普通の旅人と変わらない。グリュテは難なく肉や魚の干物を二人分、三日分くらいはある量を買って抱え、次々と店を回った。途中、服や装飾品を扱う店もあって気がそぞろになったが、今はまだそのときではないだろう。


 遺志残しの服を着たまま買い物ができることに、なんとなく気分がいい。結局みんな、外見でしか判断していないんだなと思いつつも、死を運ぶと揶揄される遺志残しだ、そこはあきらめるしかない。


 グリュテは大量の荷物を目一杯、両手で持ってふらふらしながら広場に向かう。隠しの術で少し中に入れようと思ったけれど、地面は木でできていてそれがかなわない。こういうとき青の殊魂(アシュム)があれば楽なのに、と思う。青は闇と水だ。自分の影を使ってものを取り出すことができるというのは、一番楽なすべのようにグリュテは感じた。


 日が傾きはじめ、中央にある大きな噴水に虹が架かる。浮かんで消える虹も、グリュテは好きだ。死ぬ間際、人が神の坐に還るときにも似たはかなさを孕んでいるから。でも、陶酔するには少し干物の匂いが邪魔をする。グリュテは近くにあった建物の壁によりかかり、ふう、と一息ついて周囲を見渡した。幸せそうに氷菓子を頬張る子供、雀のようになにやら話しこむ女たち、暇を持て余してあくびをしている漕手、荷物を運ぶ屈強な運搬人。そのどれもが遠く感じる。


 この町の夕暮れを見るのも、もうこれきりだろう。

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