2-3.呪い
セルフィオのいう、旅人に扮するということにこれだけの効果があるとは思わなかった。
市民街を抜け、市場に降りてきたのだが、誰一人としてグリュテを見て驚いたりいやな顔をする人間がいない。一張羅を着ていたときとはまた違い、観光客用に店を開いている商人たちすらグリュテへ気軽に声をかけてくる。市場は思った以上に盛況だった。目を惹く工芸品、大きな氷、香辛料や魚、肉が並んだ店の通りを歩いていると気分は自然と弾み、本当に自分が告死病なのか、そんな疑問すらわいてくる。
ただ、奇異の目で見てくるものもやはりいた。セルフィオだ。人混みの中、頭一つ分は大きい兜はやはり色が色だし、全身鎧を着こむ姿は目を惹くのだろう、グリュテを店に引っ張りこもうとした商人が何人も、セルフィオに防がれてあからさまに目をまたたかせていた。
「人が多いから、離れないようにね」
「は、はい」
人が多い、とはいえまるで波が割れるように、セルフィオが先を進んでいくたび、買い物をし終えた、あるいはものを見ていた人間がその姿を不審に思い、道を空けてくれるものだからあまり揉まれることはない。それでもしつこい行商人に引っかかるグリュテを、何度もセルフィオは見つめるだけで黙らせてくれる。
今、向かっているのは市場の近くにある騎士組合だ。セルフィオには報告の用件があるらしい。他の組合、例えば傭兵組合などにも足を踏み入れたことのないグリュテは、高揚感にも似た緊張を覚えていた。
「騎士組合に行くのははじめてかい?」
「はい、普段関係ないから、近寄ることもないですし。行くのは首領さんくらいのもので」
セルフィオはあまり、しゃべらない。余計なことをいわないといった方がいいのか。
その寡黙さと物々しい鎧から、きっと周囲の人間が近寄らないのだろう。加えてセルフィオの着ている鎧は色が灰色と同系色で、かつ肩当てだけでなく兜の上下にも水牛のような突起がついていたりと、まるで歩く凶器だ。刺さったら痛そうだな、とセルフィオの後ろをついて歩きながら思ったりする。
次第に人気がなくなり、混雑を抜けたグリュテはほっと、乱れた髪や外套を整えた。
「歩き方、少し早かったかな?」
「いえ、大丈夫です。足には自信があります」
「それは頼もしい限りだ」
セルフィオがどこまで信じてくれているのかわからないが、実際グリュテの足は強い。
遺志残しとしてやってきて十年、神殿が近くにない集落や島で依頼され、葬儀の踊りを踊ったり、そこまでたどり着く過程、長時間歩かされることも多々あった。足は十分鍛えられている。体力も小柄な割にはある方で、数少ないグリュテの取り柄といえた。
しばらく黙ってくねった坂道を歩いて行くと、剣と盾を交差させた模様が描かれた看板が見えた。そこが騎士組合だということはグリュテにはわかる。組合もそうだが、術具を扱う店や酒場には、それぞれ決まりの印を掘った看板を立てるのが常識だから。
セルフィオは木でできた押し扉を無造作に開けた。後ろにいたグリュテに伝わってくる。空気が一変した。中にいた数人の騎士――といっても、組合に所属する騎士というのは、騎士団からなんらかの事情があって離脱したものがほとんどなのだが、甲冑を着た男たちが騒然とした様子になったことを、敏感にグリュテは察する。
「死に損ないの騎士……」
「きていたのか、この国に」
「統合国にいたのではないのか、戦場でやつを見たという話が……」
「『詞亡くし者』殺しのセルフィオ……」
粘っこいようなざわつきの声に、それでもセルフィオは動じない。グリュテの方が縮こまってしまうくらいの緊張感があるというのに、慣れているのだろう、セルフィオは入り口近くにあった長机の奥にいた初老の男性と話しはじめている。
「少しここで待っていてくれるかな」
「あ、はい。わかりました」
初老の男が奥にあった扉を机の向こう側から開けると、セルフィオはグリュテを置き、その中に入って行ってしまう。取り残されたグリュテに一斉に視線が集まる。哀れみにも似たものが含まれていて、グリュテは入り口の扉横に体をくっつけ、黙るしかない。
「お嬢さん、もしかしてあの騎士を雇った人間か?」
茶色い髭を蓄えた、大きな金槌を持った男性が話しかけてくれたことにちょっとだけ驚きながら、グリュテは少し考えてうなずいた。またどよめきが走る。奥に飾られていた『天体神クリウス』の祭壇に祈っていた数人も、組んでいた手をほどき、こちらをちらちらと見てきている。まるで物珍しい<妖種>を見ているかのような視線に、グリュテは肩を小さく震わせた。
「悪いことはいわんから、今からでも考え直した方がいいぞ」
「ど、どうしてですか?」
「呪われておるのだよ、きゃつは」
「呪い?」
「ああそうだ。きゃつと組んだ騎士で生き残ったものはいない。傭兵もそうだ。いや、戦闘商業士もだ。きゃつだけ幾多の戦場で生き残り、未だここにいる」
「あいつは『詞亡王』に呪われているとも聞いたぞ」
「半分だけ、黒に汚染されているとか……」
「さすがにそれはないだろう、『詞亡くし者』には見えんぞ」
「それを隠すためにあんな姿をしているのだろう」
男性の言葉に、次々と反応した騎士たちがセルフィオの噂、らしいことを口に上らせる。でも、そのどれも無論グリュテは聞いたことがなく、目をまたたかせることしかできない。
死を連想させる句がそこここから上がり、しかし不思議とグリュテの心は穏やかだった。むしろここにいないセルフィオに、奇妙な親近感すらわいた。死に損ないと告死病、似合いの二人ではないか。それに、とグリュテを置いて会話を続ける男たちを眺めながら思う。
『詞亡くし者』を殺すということは、決して悪いことではない。天護国のように、普段、全く動かず口もきけぬ、五感をなくした彼らを防人の集落などに匿い、監視している国の方が少ない。群島国では彼らは死者として扱い、殺害許可も出ている。殺害というのもおかしいかもしれないが。人でなくなった、生ける屍を葬ることを。
「あの、でもそれって、腕がいいってことですよね。生き残ったりできてるってことは」
グリュテが聞くようにつぶやくと、男の一人がむっとしたような顔を作る。
「組んだ人間を見捨てて生き延びるなど、騎士としてあるまじきことだ。守ることが騎士の役割」
「きゃつが騎士を名乗る、それすらおこがましいと思うぞ。いっそ傭兵にでもなればよい」
「でも、腕は確かなんですよね?」
グリュテの追求に、男たちが押し黙った。無言は肯定と見るべきだろう。グリュテは一人納得し、うなずいた。これから病が進行し、自分が死を選ぶとき、セルフィオならば躊躇なく後任を引き継いでくれるだろう。そうでなくてはだめなのだ。告死病を患う自分の相方に、どうしてセルフィオが選ばれたのか、なんとなくグリュテは納得できた気がした。
最初に忠告してきた髭の男が、再度口を開こうとしたそのとき、奥にある扉がまた開いた。セルフィオと初老の男が出てくる。いまわしい、その言葉を含めた棘のある視線で周りはセルフィオを見つめているが、彼は意にも介さず悠然とした足取りでグリュテの方に歩いてくる。彼に触れること、近づくことすら忌避するように男たちは散らばる。これでグリュテが遺志残しだと知ったら、男たちも同じ態度を取るだろう。どこまでも似ている、そう思ったグリュテは小さく唇をほころばせた。
「待たせたね、じゃあ、行こう」
「はい」
笑顔を浮かべてしまうグリュテを見て少し首を傾げ、セルフィオはしかし、なにもいわない。
男たちの注目をそのままに、多分聞こえていただろう自分の噂を無視するセルフィオの様子は、見ていて気持ちがよかった。彼が扉を開けて外に出て行くのを見て、グリュテもあとに続く。
「忠告はしたぞ、お嬢さん」
どこまでも身を案じてくれるような声音が、逆にわずらわしいものに感じ、グリュテは後ろ手ですばやく扉を閉めた。