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【完結】告死病の遺志残し  作者: 実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
第四幕:白の祝福、黒の代償
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4-8.あなたのこともわからない


 セルフィオが動きを止めたティゲニーの首を撥ねたのと、空に広がる白い衣が消えたのは同時だった。『詞亡くし者(いじん)』と化した<妖種>は唐突とも呼べる動きでぴたりと静止し、その場に倒れる。ノーラが放った火の術は、群れを成していた彼らを一気に葬り去る。


「今のは……」


 一部の兵士たちが、惚けたように空を見上げていた。セルフィオもまた、空を見る。月が出ていた。大きく、白く、丸い月が。それは真珠を連想させ、セルフィオは切れた息を正すと左指にはめた指輪に向かって必死に声をかける。


「グリュテ、聞こえるかい、グリュテ」


 返事はなく、たださざなみの音だけがこだましている。セルフィオは歯噛みし、折れた長剣を投げて走り出した。


「セルフィオ!」

「グリュテが気になるんだ」


 グナイオスの声に、振り返ることなく兵士の間に割りこみ、坂を下っていく。


 グリュテ、グリュテと何度も頭の中で呼びかける。殊魂(アシュム)を使って。それにも返事がない。なにごとかと、窓から空を見ていたのだろう、人々が家から出て来てセルフィオの邪魔をする。


 傷だらけになったセルフィオの様子を痛ましそうに見てくる視線など、気にもならなかった。グリュテ、愛しい存在、誰よりも護りたい、優しい少女。ただそれだけが頭の中にあって、セルフィオはただがむしゃらに走り続ける。石につまずき転んでも、その痛みすら無視するように頭の中はグリュテのことで一杯だった。


 生きる意味をくれた女性、ちょっとどじだけれど心優しく、温かなぬくもりを通じ合わせた、大切なこの世にたった一人だけの存在。どうか無事であってくれ、そう願って走っていたとき、見慣れた姿がセルフィオの目に入る。シプだ。


「シプ! グリュテは?」

「フィオ、それが、海に行ったまま」


 惚けたように答えてくるシプにうなずき、セルフィオは浜辺に向かって再び走る。海辺に人はおらず、ただ、潮の流れでこちらに向かってくる一隻の小ぶりな手漕ぎ船が見えた。濡れることもいとわず、海に入ってその小舟を引き寄せる。


 中には、横向きに倒れたグリュテが、気を失っているのか目をつむり丸くなっていた。


 思わず安堵のため息が漏れ出る。首には鎖だけがあり、真珠の姿は見当たらない。寝息は健やかなままで、うなされている様子も傷ついた様子もなく、それがセルフィオの慰めとなった。


 角灯に映し出されたグリュテの髪の色も、肌の色もいつもとなんら変わらない。黒に汚染されたわけではなさそうだという事実も、セルフィオの心を落ち着かせる要因となった。


 そっと、その額に触れる。頬や手、体に優しく触れて、異常がないか確かめた。なに一つ傷つくことなくグリュテは眠っている。


 セルフィオは小舟を操り、近くの砂浜に乗せた。


 グリュテが小さく、身じろぎする。眉がしかめられるかのように動いて、瞳が開いた。


「グリュテ、大丈夫かい?」


 無茶をする、そう思ったけれど、怒りより安心の方が先に来た。問われたグリュテが身を起こし、きょろきょろと辺りを見渡している。目が合う。グリュテは目をぱちくりとさせ、首を傾げた。小さくほほ笑む彼女は、どこか気まずげだ。


「一人で行かないでくれ。生きた心地がしなかった」


 困ったようにそういうと、グリュテは笑みをますます気まずそうなものに変えた。口を開き、ぱくぱくとさせたあと、無造作にセルフィオの手を取ってくる。遠慮を感じさせない手つきに違和感を覚えたが、彼女のぬくもりが今は嬉しい。


「グリュテ?」


 右手で、一文字一文字、なぞるようにセルフィオの手の甲へ単語が綴られていく。


 ――声、出ない。


 その文字をしかと確認して、セルフィオは身を震わせた。


 一体なにがあって、そんなことになったのだろう。黒は姿を隠したのか、もうアーレ島にもこちらにもいない。でもきっと、黒がなにかを引き起こしたのだと、そのくらいの想像はつく。


「喉を潰された?」


 ううん、と悩むように首を振るグリュテ。


「なにをしたか、覚えているかい?」


 また、首が横に振られた。セルフィオはふくらはぎに波を感じながら、今までにない震えを抑えるので必死だった。


 グリュテはちょっと眉を下げて、泣き出しそうなほほ笑みを浮かべた。


 そしてまた、右手に指で文字を書く。


 ――あなたは、誰?


 書かれた言葉に愕然とし、それから絶望を覚えたセルフィオが船に倒れこみそうになるまで、そう時間はかからなかった。


「俺を、忘れてしまったのかい、グリュテ」


 グリュテはまた、もっと眉を下げて、申し訳なさそうな顔を作る。嘘だとか冗談だとか、そんなものではないとはっきりわかる、真剣味を帯びた謝罪の顔に、視界が潤んだ。


 シプが駆けつけてきても、グナイオスやノーラたちがやって来ても、セルフィオはグリュテの衣を握り、泣いてしまいそうになる感情をただこらえ、グリュテから離れようとしなかった。いや、離れたくなかった。


 俺が側にいたなら。そう思って、引き離そうとするシプたちの声も耳に入れず、ただ自分の行為を悔やんだ。グリュテが困ったように、それでも優しく、おずおずとした手先で頭を撫でてくるものだから、はじめてそこで、セルフィオは涙をこぼした。

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