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1-3.退屈、孤独、でも馬鹿じゃあない


 グリュテを乗せた遺志残しと護衛団の集団の船は、地図でいえば東の海を行き、小島の間を通り抜けながら中央島に帰る。二十名ほどの集団にそれでも護衛の騎士がつき、立派な船が用意されているのは、群島国(ダーズエ)の国営直轄の移動船団を使わせてもらえているからで、逆にいえばそれだけ遺志残しは貴重だと誰もがわかるだろう。


 帆を巧みに動かし、夏の風を受け止める男たちの豪快な声の合間をくぐり抜けるように表に出たグリュテは、船尾の方で林檎を食べていた。別に船酔いしているわけではないが、遅めの朝食というところだ。仕事の邪魔にならないよう、身を丸くして食べるところがグリュテの小心さを表している。無論、遠慮というのもあるけれど。


 例え神の波動を使う術――殊魂術(アシェマト)を使って風を起こしたり、船を水に浮かせたりできても、それは出航の最初のときだけ使うもので、集中力と殊魂(アシュム)の強さが問われる作業だ。大抵は船長と数人の船員が術を作動させ、それからは力仕事になる。グリュテは小さな口を懸命に動かし、彼らの様子をうかがいながら潮風に身を委ねていた。


 これで自分が青か緑の殊魂(アシュム)を持っていれば、少しは彼らを手伝うこともできるかもしれないが、グリュテの殊魂(アシュム)は混石の一種と呼ばれる珊瑚(コラッル)だ。


 混石とは基礎鉱石とは違い、多数の色と波動を使える殊魂(アシュム)で、グリュテは赤と黄色が弱、そして貴重な白は中の力を持つ。使える術は火と音、地と光、そして夢と心。海の作業に関わるものはほとんどない。ただ、もし青や緑を持っていたとしても彼らの仕事を横取りしてしまうことになるので、心の中でお疲れ様です、というだけにとどめた。


 先程までいた島はもう見えない。代わりに近くの群島が蜃気楼のようにたなびいて、水平線に映っている。


 群島国(ダーズエ)はその通り、大小様々な島が群れとなって集められた国だ。これから戻る中央島は縦長の領地を持っており、南南西には最初にできた国と称される天護国(アステール)、北には一年中雪国だという神権国(ガライー)がそれぞれあって、ほとんど大陸がくっついているに等しい天護国(アステール)とは小競り合いが起こる。それは大半が海上領域線に関わるもので、大々的な問題になっている。要するに、と指についた林檎の汁を舐めながらグリュテは思う。本格的な戦争が起こる前触れ。


 普通だったらそうなっていただろう。でも、世界中の各所に『詞亡王(しむおう)』が現れ、猛威を振るっている今は、少しずつだが話し合いで解決の方向に向かっているらしく、不謹慎にもほどはあるとは思うのだけれど、残念だな、という気持ちもわいてくる。戦場は死に満ちる場所で、グリュテの美意識を惹いて止まないところだ。でもまだ一方で安堵する気持ちもあり、グリュテは林檎の芯を指で揺らしながら混乱する心を静めようとした。


 同業者たちはきっと、部屋で本を読んだり、これまでに見聞きした光景や魚の新しい調理法など、他言しても問題ないくらいのことを手紙に書いたりしているのだろう。でも、グリュテに手紙を書く相手はいない。十年前、すなわち中央島で遺志残しの学舎に入ったときにはすでに、親はいなかった。どうしていないのかは幼すぎて、全く覚えていないのだけれど。誰かに連れられて来たあと、学舎の外に置き去りにされていたらしい、とはキリルとグリュテ共通の師の言だ。


「こんなところにいたのか、お前」


 いつの間に甲板に上がっていたのだろう、すみっこで林檎の芯と戯れていたグリュテを見つけたキリルが、呆れたような声音を出す。


「姿がないから、海にでも落ちたかと思ったぞ」

「そこまで馬鹿じゃあないです」

「手紙でも書けばいいだろう」

「誰にですか?」

「そうだな、聞いた僕が馬鹿だった」


 キリルが生真面目にうなずく。


 グリュテには親も恋人もいないついでに、友と呼べる存在もいなかった。話しかけてくる人間は数名ほどいるが、それ以上深い親交をはぐくめないのだ。


 グリュテは殊魂(アシュム)に白を持っている。白がつかさどる力は夢、夢と心。人の心を読むことも、逆に心を伝えることもできてしまう。そして数少ない、忌避される遺志残し。これでどうして友ができようか。哀しいと思う気持ちすらほとんど忘れてしまったが、むなしさはある。


「キリルさんくらいだと思いますよ、わたしに話しかけてくる人なんて」

「誰も好きこのんでお前と話してるわけじゃあない」

「じゃあ、どうしてですか? 最近キリルさん、ちょっとおしゃべりですね」


 キリルはなにもいわず、船の縁に手をかけて蜃気楼のあった方向を見つめた。そこに島の影はもうない。


「六人委員会に出てもらう」


 船にぶつかった波の音が、一瞬できた奇妙な静寂の間をすり抜けた。


「組合の長老会に、ですか? わたし、なにか失敗、しちゃいましたか?」

「仕事はきちんとしてくれている。僕が認めてやる。ただ……」


 いつも冷静で平然としているキリルの顔が、少し苦悶を受けたように歪んだ。よっぽどいいにくいことなのだろうな、と林檎をいじくる手を止め、グリュテはぼんやりとキリルを見上げた。


「もしかしたら、お前は病に冒されているかもしれない」

「病……病気、ですか?」

「そうだ。風邪とかじゃあない。そんな程度なら休めばよくなる」

「じゃあ別の病気なんですか、わたし」

「自覚がないのがその証拠だ。ともかく、帰ったら六人委員会に出ろ。師にはもう、手紙を書いてある」


 はあ、と気の抜けた返事しかグリュテは出せない。いきなりそんなことをいわれ、遺志残し組合のありかたを決める『お偉いさん』たちの顔を思い出そうと頑張ってみる。無駄だった。誰一人の顔も知らないことを今、思い出した。


「帰ったら直接、僕と一緒に師の元に来てもらう。報告も兼ねるが」

「わかりました」


 一応、キリルは直属の上司だ。今回来た遺志残したちの中で、首領といってもいい立場にある。その彼にそういわれてしまえば、是とするしかないだろう。取り立てて報告を師に行う以外、帰ったのちのことを考えていなかったグリュテは、素直にうなずいた。


 しばらく、どこか重いような沈黙がグリュテの肩にのしかかる。決してキリルがにらんできているからではない。彼は近づきはじめた中央島の輪郭を食い入るように見つめ、でもそこに、郷愁や安堵といった軽い気持ちがないことをグリュテは気づいていた。


 これ以上はだめだ、そう思い、心を閉ざすようにグリュテは目一杯潮風を吸った。吸っては吐いて、呼吸に集中してキリルの心を読み取らないよう制御した。自分がなんの病にかかっているのか気にはなる。でも、それを勝手にキリルから暴くのはよくないことだ。そのくらいの分別はグリュテにだってわかるし、なにより白を制御することを師からは真っ先に教えこまれたのだから。


「そろそろ到着するな」


 林檎の芯を持て余していたグリュテに、いや、誰にともつかない口調でキリルがつぶやく。その声音は重苦しく、海の広さにそぐわない、そんな風にグリュテは思った。


 しばらくして、キリルのいったとおり船は港に着く。船長たちが緑の術で風を調整し、青の術を使い上手く船をつけると、中央島首都・スマトの港場から流れる賑わいがいやでも耳に入ってくる。港の隅にある軍事用の船着き場からも声が届くということは、今日も市場は繁盛しているということなのだろう。買い物は、数少ないグリュテの趣味だ。売っている魚や工芸品を見るのが好きだし、複雑な模様を描く綴織りを必要以上に買ってしまう。おかげで学舎の自室は乱雑で、よくキリルや師に呆れられてしまうのだけれど。


「買い物がしたいのか」

「したいです」

「……僕の手続きが終わるまでなら見ていてもいい。先に賃金の一部を渡しておく。ただし、あまり遠くにまでは行くな。市場で待っていろ」


 立ち上がったグリュテへ、懐の隠しに入れていたのであろう緑の紙幣を数枚、キリルが取り出したのを見て彼女は目を丸くした。いつも小言を言ってくる彼が、どういう風の吹き回しだろうか。惚けたように紙幣を見つめているグリュテに、苛立ちを交えたキリルが鼻に横皺を作る。


「いらないのか」

「あ、いえ、もらいます。ありがたくもらいます」

「手荷物になるようなものは買うなよ」

「はい、ありがとうございます」


 グリュテは慌てて紙幣を受け取ると、腰につけていた革帯の隠しにそれをつっこんだ。足下に置いていた小さい袋を持ち、一礼すると駆け出すように甲板からはしごに向かう。なにか小声でキリルがつぶやいたかもしれないが、そんなことはもう気にもならなかった。

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