1-2.世界はそれほど美しくもない
グリュテはなぜか、子供たちから好かれる。死という概念を理解していない無知からくる慕情か、それともグリュテが他の遺志残したちのように、張り詰めた空気をかもし出していないからか、もしかしたらその両方のためかもしれないけれど。今回、村に来た遺志残しの中で、グリュテは一番年少の十六歳だ。十五を成人とする群島国だが、広場の端にある学問所に集まったのはそれよりも幼い、十歳くらいまでの子供たちだった。
「お姉ちゃん、お話聞かせて」
「殊魂の話がいいな」
キリルとの仕事を一段落させ、あとは護衛団と共に簡単な荷物を船に乗せるだけの合間にそうせがまれて、グリュテは結局、キリルに嫌味をいわれながらも子供たちの相手をすることを許された。遺志残しの印象をよくしよう、そんな打算がキリルにあったのかは知らないが。
木でできた簡易な東屋に茣蓙を広げた子供たちが目を輝かせ、グリュテの手を引っ張る。話といっても遺志残しの仕事を伝えるには、まだこの子供たちは純粋に過ぎ、結局誰もが寝る前に聞かされるおとぎ話をグリュテは選んだ。
「ええと。ペクシオロス十二神のことと、殊魂の話でいいですか?」
「なんでもいいよぉ」
「え、でもいつものと同じなのはいやだなあ」
なんでもいい、といいつつ別の話を要求する矛盾に、グリュテは困った苦笑を浮かべた。キリルにいわせれば泣いているようにしか見えない笑顔らしい。でも、子供たちはあれがいい、これがいい、とグリュテをおいて話の種を探しはじめている。とりあえず用意してくれた椅子に座ったグリュテは、手にしていた『ペクシオロス十二神の成り立ち』という子供向けの本を盗み見た。これはもともとこの村にあったもので、多分に学舎を兼ねているここに用意されていた本だ。聞き慣れている話でも、問題という体で出していけば、少しは子供たちを楽しませることができるだろうか。
「じゃあ、みんなに質問です。原初に生まれた八柱の神様の名前はなんでしょう」
「そんなの簡単だよ、『天体神クリウス』」
一人がいうと、次々と子供たちが手を上げ、他の七柱の名を大きな声で連ねていく。子供たちの言葉は正しく、グリュテはうなずく。
まずは最初に、星の配置を決めたという『天体神クリウス』。
クリウスの光から生まれ、朝を創った『暁明神ヘメラー』。
二人の神から産み出され、大地を生み出した『陸海神ハーレ』。
ヘメラーの影から産まれて夜を創った『瞑夜神ニックス』。
生命をつかさどる『精命神チオル』。
ヘメラーの涙から産まれたといわれる、美と喜びの神『嬌娯神グラフロイア』。
死をつかさどる『精死神フリュー』。
時の概念を与えた『時騒神エキン』。
言葉のいいまわしは違えど、どれも正解でちょっと簡単すぎたかな、とグリュテは本を閉じ、膝に置いてほほ笑む。
「その次に生まれた四柱は、どうして『天体神クリウス』に作られたかわかりますか?」
「えっとね、戦いがあったから。人間と<妖種>と神様が、悪いやつと戦ったから」
「はい、そうです、当たりです。じゃあ、残り四柱の神様の名前は?」
これもまた、寝しなに親に聞かされたことがあるのだろう、子供たちははっきりとした声で残り四柱の神々の名をあげていく。
名誉を守る『栄護神メターデ』。
知性と知識をつかさどる『麗智神アヘナト』。
生命の殊魂を決めるとされる『決導神ファーヴ』。
戦いと愛をつかさどる『狂嫉神セム』。
わかるよ、と抗議の声を上げはじめる子供たちに、少し意地悪な笑みを作り、グリュテは人差し指を一本立てた。
「みなさん正解です。でもちょっと、次の問題は難しいかもしれませんよ」
いわく、殊魂とはなにか。簡易な言葉に、子供たちが一瞬ざわついて、止まる。数名の子供の顔を見渡すが、唇を尖らせたりして考えこむ表情を見せている。誰も答えそうにない。少しばかり待ち、沈黙した子供たちに答えをあげるため、グリュテは口を開いた。
「簡単にいえば、命の核、魂ですね。それに貴石の名前をつけられていることは、みんなは知っているはずです。髪や目に、人の持つ殊魂が影響を受けるといわれています」
緑の髪をした少年と目が合う。その瞳は薄い翡翠色で、興味と真剣とがない交ぜになった視線をグリュテに投げかけてきている。
「そこのあなたは、殊魂が翠玉……でしょうか? そっちの青い髪をした子は、青玉かな」
「なんでわかるの? 神官様に聞いたの?」
「ぼくのは違うよ。葡萄石だもん」
青い髪の少女はどこか驚いたように、一方の少年は少し誇らしげに口を揃える。葡萄石といえばキリルと同じで、同じ殊魂を持っても黄色と緑、どちらが強いかは丸わかりだ。この子はキリルとは違い、緑の加護を強く持っている。
「私と一緒にいた男の人を見ましたか? あの人も葡萄石を殊魂として持っています」
「げぇ。なんかいやだな」
「いじわるそうだよね、あの人」
「そ、そんなことありませんよ。えっと、簡単にいえば同じ殊魂を持っていても、守って下さる神様の力がどちらに強く出るかは、人それぞれということです。だからキリ……あの男の人は髪が黄色でした。目は緑でしたよね? あなたとはまた、違う力を使えます」
「へぇ、そうなんだあ」
「おれは黄玉だって神官のおっちゃんがいってた。お前は?」
自分の殊魂について騒ぎはじめる子供たちをよそに、グリュテの頭の中で、叩きこまれた知識がめまぐるしく回転をはじめる。
殊魂とは、神からの贈り物とされる生命の魂の呼称だ。どこの国でも貴重な貴石や鉱石の名がつけられている。銅や鉄、鋼といったよく産出され、武具などに使用される石以外、群島国を入れた五大国を含め、ペクシオロス大陸では滅多にとれることがない。
そして、殊魂には対応する神がいる。
例えば青玉は『天体神クリウス』からの加護があり、闇と水の力を波動を通じて使うことができる。翠玉は風と樹の力を持ち、『陸海神ハーレ』からの加護、他、基礎鉱石と呼ばれる残りの二つ――火と音の属性を持つ赤玉は『暁明神へメラー』、地と光を扱える黄玉は『栄護神メターデ』からの加護をそれぞれ得られる。
それ以外にも混石と呼ばれる殊魂があるということを説明するかで、グリュテは迷った。あまり多くの知識をよそものの自分が入れてしまえば、学術員か神官の出番を取ってしまうことになるだろう。
「他の色は? どうしてお姉ちゃんは灰色の服、着てるの? そんな服見たことないよ」
ひとしきり騒ぎ終えた子供の言葉に、思わずグリュテの胸が脈打つ。でも、戸惑ったのはたった一瞬で、考えるより先に口が次の言葉を紡ぐ。
「冥府に繋がる川が灰色だからといわれています。わたしたち遺志残しは『精死神フリュー』を信仰していますから、かの神を表す灰色の服を着ているんですよ」
「神様の色は、それぞれ決められてるんだよね。むらさきとかもあるって知ってる」
「めいふってなぁに?」
無邪気な子供の言葉に、グリュテはなぜか、止めようとする理性より胸からこみ上げる溶岩のような熱い感情に押され、次々と答えてしまう。
「死者の行き着く先です。死ぬことを人は『坐に還る』といいますが、坐に還る前に冥府に寄って、『精死神フリュー』の審判を受けなくちゃあいけません」
「死ぬってなあに?」
「殊魂が壊されてしまうことです。人の殊魂は『時騒神エキン』と『決導神ファーヴ』によって、その寿命が定められています。あの浜辺に大きな岩があるでしょう? あんな風に岩が波に削り取られていくみたいに、わたしたちの殊魂も大きくなる内に減っていきます」
「ぼくたちのも、なくなっちゃうの……?」
「はい。誰もがそうです。あなたもわたしも、みんな変わりなく」
数名の子供が怯えた顔を作った。でも、不思議と言葉は止まない。土手を壊す洪水のような勢いで、それより早くグリュテは熱に浮かされたみたいに子供たちを見下ろした。
「死ぬということは、この世から存在が消えるということ。神の元に還るということ。その最期のまたたきは<妖種>でも家畜でも、人でも変わりなく美しい」
ほう、と感嘆のため息が勝手にもれ出た。空に昇る殊魂の最期の光、夜という闇の中、蛍が群れを作るように一気に光をまたたかせる戦場の光景を思い出して。赤、青、緑、黄色、どの色もグリュテの目を惹いて止まなかった。少しずつ闇夜に溶けていくはかなさを、なんと形容すればいいのだろう。グリュテは自分の語彙のなさを嘆いた。
「人が死ぬとき、家畜が死ぬとき、みんな一つの光になります。もちろん<妖種>もですよ。特に<妖種>が死ぬ間際の美しさ、あれは遺志残しでなくても見ることができます。神が生み出した直系の種族、その生き残りである<妖種>が死ぬ様は、本当に素晴らしいとしかいいようがありません。あなたたちも、いつか見るときが来るかもしれませんね」
熱を帯びて死を語るグリュテの様子に怯えた子供が、ついに泣き出しそうになったことにようやく気づいた、その直後だった。
「グリュテ! 船の用意ができたぞ!」
キリルの声が聞こえ、は、と我に返る。子供たちも驚いたように自分たちの背後を見た。
苦い草でも食べきった顔をして、キリルがこちらに大股で近づいてきている。グリュテは慌てて立ち上がり、近くにあった本棚へ膝の上の本を戻す。
「えっと。みんなには早すぎたお話しかもしれません。当分先の話です。気にしないで」
不安そうな子供たちへかける言葉としては、あまりに大雑把に過ぎるだろう。どうしてこんな話をしてしまったのか、自分でもわからなかった。わからないままの熱がまだ、胸に残って高鳴りになっている。涙を浮かべている少女と目が合った。曖昧にほほ笑んでみせると、少女は肩を震わせ、近くにいた別の少女の肩に顔を隠してしまう。
刺激が強すぎたかもしれないけれど、と立ち止まったキリルの方へ歩きながら思う。いずれみなが知ることで、事実でもある。陽光に輝き、飛沫をきらめかせる青い海よりも、砂となった貝が混じり白く見える浜辺よりも、風に吹かれて木陰を作る棕櫚の葉よりも、生きている人間よりももっともっと死は美しく、汚れのないものだとグリュテは感じた。
子供たちの中にある無垢を凝縮し、光にできたら感じている美に近づけることかもしれない。そんなふうに思いながら、子供たちが割って作ってくれた道を歩いてゆく。
キリルが鼻に皺を寄せ、グリュテと子供たちを見比べた。キリルはあまり年下の人間から好かれることはなく、それも当然わかっているようですぐに視線を外し、少し遠くにある浅瀬へと踵を返した。グリュテもそれに従う。手荷物は少なく、簡単なものしかないから袋に入れられ、どこかに転がっていることだろう。
袋を持った遺志残したちが、次々と一隻の船へ乗りこんでいくのを見て、桟橋の側に置かれた荷物を確認する。二つしかない。一つは大きく、キリルのものだとわかる。
「お前、また余計なことを話したな」
「でも事実でしょう?」
荷物を肩にかけたキリルがうんざりするような口調でいうものだから、つい反論してしまう。書くための羽根ペンと墨、紙や櫛、寝間着くらいしかない荷物は軽く、グリュテはそれでも両手で袋を抱えながら小さく首を傾げた。
「死は美しいものだと思うんですけど」
「またそれか。半月前くらいからひどいな。僕の前だからいいが、そんなことを今のように周りの連中に吹聴してみろ。お前は組合から即座に離脱させられるぞ」
脅しではない凄みがある声は、グリュテの体の中から熱を奪い去る冬風のように凍てついていた。一瞬こわばったグリュテへ鼻を鳴らし、見たことかといわんばかりにキリルは翡翠の瞳をつり上げる。
「それに、その言葉は本当の死を見たことがないものの言葉だ」
「でも、殊魂が消える輝きって、いつもきれいですよね?」
「過程を見るものだ、グリュテ。おぞましい骸となる前の経験を、お前も僕もしていない」
「おぞましい……?」
「ことばなくしもの。『詞亡くし者』をお前は見たことがないだろう。黒の王たる『詞亡王』の姿すら。それを忘れて死を語るなど、許されたことじゃあない」
あ、と桟橋を渡りはじめたキリルのあとを追いかけながら、グリュテは自らでも忌避していたと思しき単語に身を震わせた。
『詞亡くし者』と『詞亡王』。このペクシオロスにない、闇とはまた違う絶対の黒を指す二つの単語は、グリュテの知識としてはある。キリルのいうとおり、どちらとも遭遇したことはない。もし――特に『詞亡王』と出会していたならば、グリュテはもう人ではなく『詞亡くし者』と化していただろう。
あらゆる色、魂を汚染され、黒のものとなった『詞亡くし者』には五感と言葉がない。生き物全ての殊魂を黒へと染め、海や大地すら腐食させてしまう黒の王。さざなみよりも遅い動きで唐突に現れる、泥とも形容されるまがまがしき存在は、殊魂を見つけた途端、それをむさぼる。
王の手足となった『詞亡くし者』はただ命じられるままの存在と化し、黒によって増した巨悪な力を振るい、城塞を、畑を、村を壊し、人を殺しつくす人形へと成り下がる、らしい。叩きこまれた知識だけしかないから、グリュテには想像するしかないが。
桟橋から船へ乗りこむ前、ちょっと考えてグリュテは小さく頭を振った。
自分が語る死とは、その二つではない。汚染の黒に惹かれているわけではないし、自分が自分でなくなることを想像すると、素直に怖いとも思う。でも、自分がいっているのは物質上の死のことだ。精神上のこととはまた違う。明確に差があるかと聞かれれば、黒は何色ももたらさないということ、それはきっと、グリュテが見て惚ける美しさには繋がらない。
「神の元に還るのだから、少しの苦しみや痛みも報われるものだとわたしは思います。そうでなくちゃあ、あんなにきれいなはずがありません」
船員のかけ声の合間につぶやくと、それを聞いていたのであろうキリルが吐き捨てるようなため息を出した。
「それを絶対に」
キリルは普段以上に目を鋭くさせ、首だけ向いて後ろにいるグリュテをねめつけた。
「他の仲間にはいうなよ、グリュテ」
兄弟子の厳しい声音に、グリュテは無言でうなずいた。もちろん、納得なんてこれっぽっちもしていないまま。