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2-9.寂しさを薄めた空気


 それからおおむね三週ほど、なにごともなく旅は進んだ。宿場から川縁の街道を進み、途中では商人や旅芸人たちの天幕を借りたこともあった。しかし刺客と思しき連中は来ず、一番恐れていたもう一つの森を通過する際も、あっけないほど無事、通過することができた。平和だった。グリュテが想像していた以上に。夢を見ることもなかった。それに疑問を覚えはしたけれど、白の術をグリュテは覚えていない。人に夢を見せるすべも、自分で好きな夢を見るすべも持たない彼女としては、残念という他なかった。


 今、二人がやってきたのは、中央島最南下にある町の一つ、ラクセクだ。火山が近くにあり、同時に海にも面している。群島国(ダーズエ)の中でもかなり古い港町で、首都・スマトよりは小さいが、それでも活気に満ちあふれている。そしてどちらかといえば、旅人が多い。


「大きな町ですね」

「ここから定期便がいくつか出ているよ。アーレ島に行くまでは、まだ島を渡らなければいけないけどね。夜の漁業が盛んらしい」

「あ、じゃあここに、図書館ってあるでしょうか」

「図書館? なにか用事かい?」


 ええと、とグリュテは口ごもる。夜の漁業が盛んならば、もしかしたら夜の守り手である『瞑夜神(めいやしん)ニックス』を祭る祈祷所か神殿があるかもしれない。かの神がつかさどる殊魂(アシュム)は白。グリュテとしては、白の術を覚えておきたいという気持ちが少しばかりあった。


「この大きさの規模なら、きっと図書館もあるはずだろうけど。気になることでも?」

「はい、ちょっと。調べたいことがあって」


 薄青の石畳を二人、並んで歩きながら、人々の間をくぐり抜けていく。セルフィオに注目するものは少なく、それはきっと、いろんな国からの旅行者がここに来るからだろう。


「とりあえず先に、宿を取ろう。野営も多かったからね、疲れていないかい?」

「大丈夫ですよ。わたし、足、強いでしょう?」

「うん、驚いた」


 そういって笑うセルフィオに、グリュテは曖昧なほほ笑みを浮かべた。三週ほど旅をし、寝食を共にしたけれど、どこかぎこちないものがあることにグリュテは気づいていた。それがなんなのかグリュテにはわからない。寂しさを薄めて空気にしたら、もしかしたら今、二人の間にある軽い緊張感になるのかもしれない、そんなことを思う。


 賑わう市場に並べられた葡萄を二つ買い、宿場の場所を聞く。一番人気なのは『夜光亭』だよ、そう愛想のいい店主は教えてくれた。場所までの道も聞き、礼をいって立ち去る。


「宿は二つ三つ、取っておこう。目くらまし程度にはなるからね」


 セルフィオの小声に、黙ってうなずく。刺客はあれ以来グリュテたちを襲ってきてはいないが、そろそろ来襲してきてもおかしくはない。特に、旅人や傭兵のような人間が多く集まるこの町では。


 久方ぶりの海を眺めて、大きな帆船などを見ても、グリュテの心にはなんの感慨もわかなかった。あれほど海を見るのが好きだったのに、その心は一体どこへ行ったのだろう。工芸品にも興味がわかなくなってきた。今、グリュテの興味を惹くのは白の術に関してと謎の夢、そしてもう一つ。


 横を歩くセルフィオを横目でちらりと見ながら、内心考える。


 愚か者。刺客は確かに誰かに対し、その強い思いを抱いていた。あったのは憎しみと怒り、そして哀れみ。感情のるつぼはきっと、とグリュテは人にぶつからないようにしながら思う。セルフィオに向けられたものではないのだろうか。どういう意味かまではわからないけれど。もしかしたら、以前組んでいたことのある人間なのかもしれない、そこまでは想像がつく。それ以上のことを聞こうとしても、セルフィオはなにも語らない。それとなく聞いてみたのだけれど、返ってきたのは知らない、というそっけなさ過ぎる返答だけだった。


 入り組んだ道を、セルフィオの後に続いて進む。四角い広場では大道芸人が技を披露し、商売人たちが氷菓子を売っていたりと町の盛況っぷりをグリュテに見せつけていたけれど、どれにもやはり、関心が向かない。


 これも告死病(こくしびょう)の一つなのだろうか、そんなふうに思いながら、三つの宿を回る。二つ目にたどり着いたのが、市場の主人が教えてくれた宿屋だ。最後の宿から戻るようにしてグリュテたちは、石でできた『夜光亭』の二階にある宿場へ入った。


 取った部屋は三つ。二つはやはり目くらまし用で、グリュテの手荷物、そしてセルフィオの影から出した適当な荷物をそれぞれに置いた。


 今晩泊まることになる部屋の壁には、乾燥した小花と爽やかな薬草、そして角灯がかけられていた。窓がない代わりに、小さな机には赤い夾竹桃の花が生けられており、細かなところまで手入れが行き届いている。二つ並んだ寝台も大きく、寝台用の柔らかい布団がひかれた立派なもので、値段の割に豪勢で、人気があるのもうなずける。


「さて、これから俺も少し、用事があるんだ」

「どこかに行くんですか?」

「うん、剣を少し見てもらおうと思ってね。手入れはしていたけれど、やはり鍛冶屋に見てもらった方がいいと思うから」

「そうですか……あの、わたし、図書館に行きたいです」


 ううん、と少し悩んだ声をセルフィオは出し、寝台に腰かけた。厚い布団に、それでも甲冑を着たセルフィオの体は大分沈む。


「昼間から襲われることはないだろうけれど、離れるのは少し心配だな」

「でも、猫ちゃんがいるでしょう?」

「すぐに駆けつけられる場所であってほしいんだけどね、俺としては」


 グリュテの意志が固いと踏んだのか、セルフィオは少し悩むように顎の部分に手をやった。グリュテは椅子に座り、じっと彼の考えがまとまるまで待つ。


「よし、変装をしようか」


 いって、セルフィオは立ち上がる。部屋を出、しばらくして戻ってくると手にはグリュテの手荷物と水の入った木桶、それから赤い草のようなものがあった。


「髪を染めてもらえるかな。それから、着替えること。なるべく動きやすい服にね」

「か、髪染めって、どうしたらいいんでしょう? わたし、やったことがなくて」

「教えてあげるよ。商人から買っておいてよかった」


 セルフィオにいわれるまま、彼に手伝ってもらいながら、染めの原料となる草とお湯でグリュテの髪はあっという間に橙に近い色となった。濡れた髪を慎重に火の術で乾かし、それから持っていた一張羅に着替える。髪を上げて高いところで一本に縛る。部屋にあった鏡台で自分を見てみると、まるで別人だった。


「これなら、少し相手をごまかせる。人が多いからね。見つけるのも相手は一苦労というわけさ」

「ありがとうございます、セルフィオさん」

「でも、完全に油断はしないで。人通りの多い、影のあるところを歩くようにするんだよ。途中まで一緒に行きたいけれど、どうやら場所は反対側のようだし」

「大丈夫です。捕まる前に逃げればいいんですよね?」

「いや、出会さない、それが一番かな。できれば昼間のうちに戻ってきて欲しい」

「わかりました、そうします」


 一応、と護衛用に短刀を持たされ、外套の隠しにそれを入れてグリュテはセルフィオと一緒に宿から出た。海から吹く潮風が心地よい。まるで自分が別の誰かになったようで少し違和感はあるけれど、セルフィオと別れて歩いているうちに次第に慣れていった。

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