第六話
「ここが、ここが君の家なんだね」
ミヤギは子どものように目を輝かせて言う。僕は自分の部屋、それぞれ両親の部屋を案内した。別に何かを盗まれようとも構わなかった。盗まれたとしても、僕には犯人は一人しかいないと考えたからだ。
少しながらの不信感。それでいて人がいると言う安心感。矛盾した感情が、僕の内に在る。複雑とも言えるこの感情は、不思議と重なり合っていた。
「さっきはごめん。ミヤギはどこに家があるの?」と僕は尋ねる。
「もちろん案内したのは山々なんだけど、今日のところはこの家で寝泊まりしたいものだね」と答えた。「ホテルだけに泊まってると、感動がないものだから」と意味不明な事を言い続けた。
確かに一軒家に泊まるのは久々だ。ましてや、自宅で。僕は自分の部屋で恋人との写真立てを見つけて慌てて倒した。ミヤギはそれが気になったのか、「なにそれ?見せてよ、家族との写真?」と言い寄ってきた。
「そうなんだ」と写真を背に隠して言う。
「家族との写真で恥ずかしいから見ないで欲しい」と嘘を続けて吐いてしまった。
しかし、ミヤギは些か納得しない表情で、僕が安心した瞬間を見計らって写真を取られてしまった。慌てて取り返そうとしたが、上手く取り返せない。諦めて沈黙状態となると、
「…きょうだい?」とミヤギが訊いてきた。僕は暫く沈黙を続けた。耐えきれなくなって、「ああ」と嘘を更に吐いてしまった。
「仲が良さそうだね」と少し悲しげに言ったあと、写真を元の場所に戻して「ボクは小さい頃に、下の子とは離れ離れになってしまったからね。少し羨ましいよ」と言い続けた。そこでハッとした。
僕は何故ミヤギを信じてやれないのだろう、と。ミヤギは僕の心の内にどんどん入ってくるようで自ら拒絶してたんじゃないかって、そんな考えにまで至った。親友とはいえ、所詮人々がいなくなったから出来たばかりの親友であって、それまでは赤の他人だった。いなくならなければ、会う事は絶対に無かったであろう、僕ら二人。
運命でも何でもない。たかが偶然だ。しかし、同じ境遇のもとで生きている。僕ら二人は似た者同士なんだ。類は友を呼ぶ、本当にそうかもしれない。
「下の子は…」僕は下の子の事は覚えているんだと言いかけたが止めた。「―ごめん」と一言言った。なんだか気まずい雰囲気だ。僕のせいだ。
暫くお互いに沈黙したあと、「あのさ」とミヤギが口を開いた。「君は何でもかんでも、ごめんで済まそうとするの?」と言い続けた。
「そ、そんな訳!」と危うく怒鳴ってしまう所だったが、ミヤギの悲しげな表情を見て我に返り、「そんな訳…ないだろ」と静かに答えた。僕って、こんなにキレやすい性格だったのだろうかと我ながら心配になった。
人の怒りの感情とは、心理的に心に蓋をしている状態なのだと聞いた事がある。例えるならば水を入れた鍋に沸騰をしても蓋を閉め続ける状態である。今では不安が感情の蓋となって、怒りに変換しているかもしれない。しかし、理性は感情に勝る事はない。もしそれに打ち勝つ事が出来るとしたら、さぞかし悟りを開いた人ぐらいだろう。
「ご…」ごめんと言おうとしてまた口を開こうとした時にミヤギは、「表面だけで謝ろうとしないで。自分が本当に悪いと思った時だけに謝ってくれればそれで良いよ」とウインクしながら言った。
「ごめ…」と言いかけた時にハッとして「ありがとう」と言い直した。
テレビを付けてみる。相変わらず変わりない。ミヤギがホテルから持ってきたDVDを一緒に観る。その途中僕はシャワーを浴びに風呂へ行った。今度のDVDは怪獣ものだった。突然出現した怪獣が人々を襲ってくるもので、人類の英知達を集めて立ち向かう物語。怪獣映画は毎回、怪獣を倒して終わるか、いなくなって終わる。そのどちらかのパターンが定着している。人々はこの世にいない存在に酷く惹かれる習性がある。英雄に憧れているのか、それともあるいは心の奥底では怪獣がやって来て世界を崩壊させてほしいと願っているのか、いずれにしても存在しないものに惹かれて、憧れて、尊敬して、本来あるべきものから目を逸らそうとする。別に僕は宗教に入ってる訳ではないが、日ごろの行いを刺激のない事象だと語り、感謝をしなくなる。人々が消えていなくなる前までの僕自身もそうだった。その日常がふっといきなり消えてしまった。
シャワーを自分の顔に当てる。お湯はまだ出ている。お湯は暖かいが、心の内ではどこか寒かった。
「出たよ。次に入る?」と声をかける。しかし返事はない。もしかしてと思い、ゾッとして直ぐに居間へ行くと、テーブルに寄りかかったままミヤギは眠っていた。DVDは再生が続いていた。丁度怪獣を倒したところだった。この次にも観る予定だったらしく、DVDが山積みにされていたのだ。ホッと一安心して毛布を持ってきて被せようとしたところ、ミヤギがボンヤリとした表情でこちらを見た途端、ギョッとする表情に変わった。そうだ、まだ服を着てなかった事を思い出した。
ミヤギに見られないように服を急いで着替える。僕は見られる事自体、何とも思わなくなっていた。感覚的に麻痺していたのかもしれない。二人ともお互いに気まずい雰囲気を醸し出しながら別のDVDを黙りながら観ている。今度は海外ドラマものだった。
「別に…君みたいな…見た事はない」とポツリと言った。
僕は困惑しながらミヤギの方を見た。ミヤギと目線は合った。慌てて僕は目線を逸らして「僕は先に寝るから」と伝えて自分の部屋にまで戻った。困った。こういう時はどうするべきなのか、分からなかった。
蚊が寄ってくる訳でもないのに蚊取り線香をつけて窓を開けた。虫の音は何も聞こえない。車の走る音も、人の足音も、野良猫の声も、何も聞こえなかった。ミヤギに会ってなかったら、僕はまた大音量でスマホから音楽を流しっ放しで眠っていたかもしれない。けれども、不思議とそんな気分にはならなかった。そういえばミヤギと会ってから、スマホで音楽を流した事がない。
もしかしたら寂しさを紛らわす為にかけていたのかもしれない。僕は掲示板にもSNSにも暫く書き込んでなかったので、人と会った事を簡潔に書き込んだ。ふとミヤギはSNSをやってるんだろうかと気になった。明日聞いてみようと思い、僕は眠りについた。
真っ暗闇の中。僕は目を覚ました。いや、覚ましたと言うべきだろうか。目を開けているかどうかも分からない。薬品のような匂いもする。そして、息苦しさ。前にも一度見た…いや、感じた事のある光景と言うべきか、感覚と言うべきものか。
身体は思うように動かない。金縛りのような感覚で、自在に動かせない。不思議と恐怖心はなかった。病院の心拍数のような音、それだけが耳に聞こえ響いていた。以前と違う箇所は、人の声は聞こえないところだ。現実でミヤギと言う人物と会ったからだろうか。人に会いたいと言う欲求もしくは願い、それが満たされているから人の声が聞こえないのだろうか。
やがて僕は夢の中で眠りについた。心理学的に、夢の中の夢とは、深層心理と言うものが深く働いているらしい。どれが現実なのか、正直ややこしくはなる。夢の中で目覚めたと思ったら夢で、更に目覚めると現実が…。これ以上ややこしいものはない。
脳は何故、人に夢を見せるのか。父の研究テーマだった。世間からはまともに取り上げられる事すらしなかった。しかし、夢は人だけが見るものではない事や、様々な成果が得られてきたのも事実だ。夢とはパラレルワールドに移動している説なんてものもあれば、過去に体験した事しか見れない説もある。人の強い願いが見せる幻とも言われている。所説は様々あり、もしかしたら脳と意識はそれぞれ別の所にあるのかもしれない。
ふと目覚めると、僕は自分の部屋で寝ていた。当たり前と言えば当たり前なのだが、隣にはミヤギが寝ていた。最初は無論ビックリしたのだが、ミヤギといるだけで何だか安心する。月の光だけが僕の部屋を照らしていた。もう何も怖いものはないんだと改めて実感し、再び眠りについた。
朝目覚めると、ミヤギはもう居間にいた。DVDを観ている。昨夜に続いて海外ドラマものだった。
「おはよう」と僕は言うと、ミヤギも気づいたらしく、挨拶を返してくれた。不思議と空腹感はない。あったとしても満たされる訳もなく、かといって食欲がないと言う訳でもない。
「今日はボクの家にまで案内するね」と自ら言ってきた。
僕は正直ワクワクした。しかし、それと同時に恐怖心もあった。
車に荷物を乗せて、セルフガソリンスタンドまで行ったあと、ミヤギは「君はあの交差点で…」と言いかけて「いや、何でもない。ボクの家にまで行こう」と言い直した。正直、僕自身ですら自分でも何故あんな交差点に…と不思議な感覚はあった。しかし行こうとすると脳が強制的に行かない方が良いと呼びかけるようにして止める。考えるのも止めたい。ミヤギは遠回りして交差点を避けてくれた。
「君は何故、こんな事になっているのか覚えてないのか?」と突如としてミヤギは訊いてきた。
「目が覚めたら世界はこうなってた」と答える。
ミヤギは暫く考え事をしていた。らしくなかった。僕はなにかを忘れているのだろうか、と考えてみる。引っかかるような事があるような気はするが、結局思い出す事は出来なかった。
車に流していた音楽は何回も何回もループする。以前に他人のクレジットカードを利用してダウンロードした音楽だ。その数は数百にも及ぶハズだ。しかしそれでも少ないのだろうか。その間に見知らぬ土地へやってきた。僕はぼんやりとして外の景色を見続けていた。一人っ子いない。
やがてミヤギは「君は知らないかもしれないけど」と突然言葉を発し、「ボクは知っているんだ。君の秘密を」と言い続けた。