婚約破棄の現場で~ヒロインの父親が悪役令嬢に求婚した~
◇◆◇◇と◇◇◇◆部分を書き足しました。
王城で貴族に開放されているサロンの一つで、シェフィールド公爵令嬢は仲の良い淑女たちを相手にお茶会をしていた。
そこに現れたのは、シェフィールド公爵令嬢と婚約をしていたジェリド王子とその側近。それに令嬢が一人。
「ダイアン・シェフィールド公爵令嬢。身分を笠に来て、ローラをイジメるとはもってのほかだ。そなたと婚約していることすら私は恥ずかしい。私とそなたの婚約はこの場で破棄させてもらう」
いきなり現れたジェリド王子が男爵令嬢をイジメたという理由で婚約破棄を宣言した。
ダイアンと仲の良い友人たちが彼女を支えようと集まって来る。ダイアンはそんな友人たちの行動に力付けられた。
「そんなっ! そんなことが許されると思って――」
婚約者が目の前で仲が良い姿を見せつけられていたシェフィールド公爵令嬢が裏で地位も低い男爵令嬢を追い払おうとするのは当然である。だが、それがローラを愛するジェリド王子に通用するはずもない。
ジェリド王子は既に次の手を打っていた。
「陛下と公爵の了承は既にとっている」
「!!」
シェフィールド公爵令嬢がそれを知らされていないのは、了承が得られたジェリド王子たちがシェフィールド公爵令嬢にこれ以上ローラをイジメる機会を与えないよう、その足でこのサロンに来たからだ。
双方の父親から婚約破棄の了承をとっていることを知ったシェフィールド公爵令嬢は正式にジェリド王子に対して主張できることがなくなったのだと認識した。
ジェリド王子にふさわしくあろうとしてきた教養や振る舞いも、もう意味がなくなった。それがシェフィールド公爵令嬢の頭に重くのしかかって来る。
今までわたくしがやってきたことはなんだったの?
この国の王子妃、いつかは王妃としてジェリド王子と共にこの国を導いていく立場として身に付けてきたことは無駄だったのではないかとさえ思えてきた。
高位貴族の妻女であれば、王妃にふさわしい教養があっても損はない。
だが、高位貴族の妻女だからこそ、王族の妃に不敬となる振る舞いもある。
この国の女性の最高峰である王妃になるとは決まっていても、ジェリド王子の妃になるまでは王女ではないダイアンにはタブーや立てなければいけない顔はいくつもある。
まずは他の王族の妃。これはシェフィールド公爵令嬢にすぎないダイアンが王子の妃になるまでは絶対に面目を潰してはいけない相手だ。
次に言わずもがなな王妃と王女。
最後に王妃になっても気を付けなければいけない他国の王女と王族の妃。
他の王族の妃には相手の立場に合わせて顔を立てなければいけなくとも、王妃になれば立場は上になる。
王妃や王女には終生顔を立てなければいけない。
他国の王女と王族の妃も然りだ。特にこのあたりを間違えたら、戦争や不利な条件で条約を結ぶ原因となる。
ジェリド王子が愛する男爵令嬢のように、社交界で出会った全員に頭を下げていればよい立場ではない。
婚約破棄の理由が政治的なものではない以上、ダイアンの結婚市場での価値は不良物件になってしまう。
そして、高位貴族の妻になる確率も絶望的になった今、王子の妃にふさわしい知識は無用の長物だ。
「リグズビー男爵。どうか、ご息女を私の妃にもらえないだろうか?」
ジェリド王子は後ろを振り返ると、サロンの入口に立っている黒髪の男に声をかける。どうやら、ジェリド王子はローラの父親であるリグズビー男爵も結婚の許しを得る為にこの場に連れてきていたらしい。
リグズビー男爵と令嬢のローラは髪の色も顔立ちもまるで似ていなかったので、言われなければ二人が親子だとはわからなかっただろう。
「ジェリド様」
父親に結婚の許しを請うジェリド王子にローラは感激の声を上げて涙を流す。
「身に余るお言葉でございます。娘も喜んでその申し出を受け入れましょう」
リグズビー男爵は深く頭を垂れて、ジェリド王子の申し込みを受け入れた。
「正式な発表は後日だが、代わりにローラ・リグズビー男爵令嬢との婚約をここで発表しよう」
「ジェリド様・・・」
「ジェリド殿下、ローラ嬢、おめでとうございます」
「お似合いだと思っておりましたお二人が婚約されることになって、わたくしたちも嬉しいですわ」
ダイアンと友人たちは悪い夢でも見ているように、晴れて婚約できることになったジェリド王子と恋人ローラ、手の平を返したようにそれを祝福するお茶会の参加者たちを見ていた。
と。
ローラの父親であるリグズビー男爵が近付いてくるのが見える。
ダイアンの友人の一人はそれを彼女の耳に囁いた。
「ダイアン様、リグズビー男爵がこちらにいらっしゃるわ」
「?」
青みがかったサラサラの黒髪と茶にも緑にも見える榛色の目。歳は40を越えているだろうに、リグズビー男爵は目が引き付けられるような美男子だった。
ダイアンの目もリグズビー男爵に引き付けられた。
ダイアンは息をするのも忘れ、庶民でありながらその容姿でリグズビー男爵家に婿入りしたという噂が頭をよぎり、つい先日亡くなったリグズビー男爵夫人がそうしたように自分もそうしてしまうと思った。
そんなリグズビー男爵がいきなりダイアンの前に跪く。
「?」
リグズビー男爵が何をしたいのかダイアンにはわからなかった。
「レディ・ダイアン。娘が大変、ご迷惑をおかけいたしました。その上で重々厚かましいお願いなのですが、私の妻になっていただけないでしょうか?」
ダイアンは自分の声なのか、友人たちの声なのかわからない驚きの声を聞きながら意識を失った。
◇◆◇◇
その日、シェフィールド公爵家に戻ったダイアンは父親から書斎に呼び出された。
シェフィールド公爵はジェリド王子から婚約解消の件を伝えられ、ダイアンが倒れたことも伝えられていて、ダイアンと共に帰宅した。
改まった呼び出しに、ダイアンは内心首を傾げていた。
「結婚を申し込まれたからもう知っているとは思うが、リグズビー男爵から縁談の話が来ている」
「まあ、本当ですの?」
実際に妻にと告げられていても、父親に求婚の許しまで得に来るとはダイアンは思ってもいなかった。てっきり、娘のしでかした出来事で傷付いたダイアンの心を癒そうと道化役を買って出たのだと思っていた。
「順番が逆になっている上に、相手はお前と同じくらいの娘を持っているやもめの男爵だ。嫌なら断ってもいい」
ダイアンはそれを聞いて気分が悪くなった。リグズビー男爵は男爵家の一人娘に婿入りできたぐらいの容姿をしているので忘れていたが、彼の娘であるローラにダイアンは婚約者を盗られた。
婚約者の恋人や愛人だったのなら、まだ諦めがついた。貴族の結婚というのは家同士の思惑で行われ、個人的な感情は二の次だ。
だが、ジェリド王子もローラも我慢できなかった。
ダイアンの非を咎め、婚約者であるその立場を取り上げて、ローラにそれを与える。そこまでしなければ気がすまなかった。
ダイアン自身はジェリド王子に恋などしていなかった。あったのは熱い想いとは異なり、王子としてふさわしい性格をしている敬意と好意だった。
友情とこれからあるであろう困難に共に立ち向かう仲間意識も感じていた。
しかし、それは突然の婚約破棄でジェリド王子に失望したことでなくなってしまった。
ローラのことを打ち明けてくれて、相談してくれたのなら、まだ友好的に婚約を解消することができて、敬意も好意も失わなかっただろう。
「公爵家に生まれて、王子の妃にと望まれていたお前だ。何も好き好んで年寄り男爵の再婚相手になる必要はない」
シェフィールド公爵はそう言ったが、ダイアンにはそう思えなかった。
ジェリド王子に捨てられたダイアンだ。
結婚せずに実家にそのままいなければ、歳の離れた相手の再婚相手ぐらいしか嫁ぎ先はない。それも王族に悪感情を持たれて婚約破棄されているダイアンだから、相手は高位貴族ではない可能性が高い。
子爵か男爵かは知らないが、確実にリグズビー男爵よりも年上だろう。
その容姿は確実にリグズビー男爵よりも酷いだろう。
歳が離れていても、リグズビー男爵のように結婚したいような容姿をしているはずがないのだ。
そうでなければ、恋人に嫌がらせをされたジェリド王子が納得しない。ローラも納得しないだろう。
ダイアンに許されている結婚はジェリド王子とローラが納得できる罰としての結婚である。
リグズビー男爵からの縁談はジェリド王子とローラが納得しなければいけない数少ない結婚の一つだ。
ジェリド王子に兄がいたら、その兄王子が望んで結婚するのも同様だ。
だが、現実にはジェリド王子には兄がいない。
ジェリド王子の母親はまだ生きているので、父親の再婚相手にはならない。
ジェリド王子に遺恨があるだろうダイアンが隣国の王族に嫁ぐなどもってのほかだ。
どこかの王族に嫁ぐとなると、いくつも国を挟んだ弱小国だ。
王城の別室で目を覚ました時に付き添ってくれていた友人たちの言葉を思い出す。
『リグズビー男爵令嬢ったら、倒れたダイアン様を抱き止めた男爵を見て金切り声を上げましたのよ』
伯爵令嬢であるキーラが言う。
『あの時のリグズビー男爵と言ったら、ダイアン様を守る騎士のようでそれは格好良かったわ』
無邪気な子爵令嬢のエリザベスははしゃいで言う。
『代わりにリグズビー男爵令嬢はすごい形相でしたわ』
クスクスと笑いながらそう言うのは伯爵の姪であるケイトリン。
『リグズビー男爵は喜ばしい空気を壊すのは良くないからとダイアン様をこちらに運ばれて、医師を呼びに行かれましたのよ』
『あのままダイアン様があの場にいたら、どんな辱めを受けることになったことやら』
『クーレル夫人なんか、気付け薬を持っていたのに、出そうとすらしなかったもの。リグズビー男爵のおかげだわ』
気を失いやすいクーレル夫人が気付け薬を持ち歩いていることは、ダイアンも知っている。
社交界の人間は変わり身が早い。こうしてダイアンに付き添ってくれている友人たちは本当の友情で結ばれている数少ない親しい友だ。
そんな真の友たちが口々にリグズビー男爵を褒めていた。
優れているのは容姿だけではなく、判断能力もあって、人を思い遣る心もある。その心が娘には受け継がれなかったのは皮肉だとしかダイアンには思えなかった。
「いいえ、お父様。わたくし、リグズビー男爵とお会いしてその上で決めようと思います」
その言葉にシェフィールド公爵は目を剥いた。
「どういうことだ、ダイアン?!」
父親と違って、ダイアンは落ち着いていた。
「わたくし、リグズビー男爵とはほとんど面識がありませんもの。リグズビー男爵のことを知った上で決めます」
「相手はあのジェリド殿下を横取りするような娘の父親なのだぞ?!」
「話した上でなければ、何もわかりませんもの。わたくしはリグズビー男爵のことを褒めていた友人たちの言葉が正しいかどうか確かめたいと思います。まだ、あの時のお礼も申し上げておりませんもの」
◇◇◆◇
「お前も母親もよく役立ってくれたよ」
私は墓とは名ばかりの墓に言う。そこはジェリド王子に嫁いだローラが眠っていた。
リグズビー男爵家の一人娘に気に入られて婿入りし、娘のローラが王子の妃となったことで私はより多くの情報と権限を手に入れた。そのおかげで主命をこうして果たすことも容易にできた。
娘が王子から婚約破棄されたシェフィールド公爵も役に立った。
ダイアンの行く末を気にしなくてもよくなった公爵は、娘婿となった私によくしてくれた。
ダイアンは公爵令嬢だったが、それでも男爵夫人として頑張ってくれた。庶民とあまり変わらない生活で、家事の一部もしなければいけなかったが若い妻はそれにも慣れてくれた。
これからの生活にも慣れてくれるだろう。
「行こうか、ダイアン」
「はい・・・」
ダイアンは祖国が滅んだことに憂鬱なようだ。
父親であるシェフィールド公爵の命も助かるようにしたというのに、何か不満があったのだろうか? この国の王も王子もダイアンよりもローラのほうがいいと、婚約破棄させたというのに。
母親の死すら王子の同情と好意を引く道具にしたローラを選んだ者たちの死を、どうして悼むのか私にはわからない。
国は滅んでも、そこに生きる国民の生活には変わりはない。
我が国は新たな領土となった国に対して、特別な政策をしない。支配者が変わっただけだ。
私は若く美しい妻を連れて次の仕事をしに行く。
ダイアンを一目見た時から欲しくなった私が彼女を手に入れる為に、前の妻を処分したことは誰も知らなくていい。
◇◇◇◆
どうしてこうなってしまったのか、ダイアンにはわからない。
何度も会ってリグズビー男爵が友人たちや自分が感じた印象通りの人柄だと確認した後は決断するのも容易かった。
ジェリド王子の婚約者となったローラの父親であるリグズビー男爵とダイアンが結婚するとなったら、ダイアンが婚約破棄されたことでシェフィールド公爵家と王家の間にできた亀裂は小さくなる。ローラがシェフィールド公爵家の養女になってジェリド王子の妃となれば、シェフィールド公爵家はジェリド王子の妃の実家としての立場を失わずにすみ、その権力も安泰だ。
だから、ダイアンはリグズビー男爵との結婚を決めた。
家のことを考えずに自分の気持ちのまま決めていいと言ってくれた父親の為にも、ダイアンはシェフィールド公爵家の娘として正しい選択をした筈だった。
自身にとっても、シェフィールド公爵家にとっても、素晴らしい結婚相手だった筈だ。
どうしてこうなってしまったのか?
ダイアンは自問自答する。
リグズビー男爵がダイアンを溺愛してくれるとは言え、リグズビー男爵との生活はシェフィールド公爵家で送っていた生活とは異なっていた。
それでも、ダイアンは幸せだった。ジェリド王子の妃として送る筈だった生活とは比べものにないほど幸せだった。それほどの幸せをリグズビー男爵に与えられていた。
ジェリド王子とローラには恥をかかせられた。二人のことが噂になったことも、幾人もの目撃者の前で婚約破棄を聞かされたことでシェフィールド公爵家を侮辱されたことも。
だが、こんなことは望んでいなかった。
こんな復讐など望んでいなかった。
この国は侵略され、王族たちは皆殺しに遭った。リグズビー男爵の娘ローラも。
リグズビー男爵はこの国を侵略した側の人間だった。
いつからそうだったのか、それはダイアンにもわからない。
娘であるローラを使ってジェリド王子を篭絡させたこともリグズビー男爵の計画だったのだろうか?
それとも、ローラは無関係だったのだろうか?
リグズビー男爵がこの国を裏切ったとわかっても、国が滅び、公爵でなくなった父親の下には戻れない。
『愛している』と言うリグズビー男爵の愛情は疑う余地のないものとはいえ、ダイアンは彼を頼って生きていくしかないのが不安だった。
「お父さん! お母さん!」
リグズビー男爵の従僕に預けていた子どもたちが駆け寄って来る。
リグズビー男爵はこの子たちも彼の娘であるローラと同じように見殺しにするのだろうか?
でも、この子たちはローラのように「お父様」と呼ぶことを禁じられ、庶民のようにわたくしたちを呼ぶように育てられている。
「待たせて悪かった。さあ、行こう。――どうかしたのか、ダイアン?」
「・・・いいえ。何も・・・」
ダイアンは不安を隠そうとした。
「愛しているよ、ダイアン。それだけは忘れないでいてくれ」
「・・・」
リグズビー男爵はダイアンの肩を抱き締めて言う。
ダイアンは視線をリグズビー男爵の目を見てそれが真実かどうか見極めようとした。
「お父さんったら、いつもいつもそんなこと言ってて飽きないのかな~?」
「こっちは聞き飽きたよね~」
父親の道具として使い捨てられるかもしれないことを知らない子どもたちの反応は無邪気だった。
それがダイアンの苦悩を深くする。
「ダイアン、君は私の宝だ。君を悲しませたくないと思っているのに、どうしてそんな顔をしているんだ?」
「そう言われても・・・」
ダイアンには信じられなかった。
「君たちは絶対に守るから、私のことを信じてくれ」
リグズビー男爵の榛色の目は本当のことを言っているようだった。
「あなた・・・。わかったわ」
ダイアンは自分のことを愛していると言う夫の言葉を信じようとした。彼の愛情は疑うべくもないほど捧げられているのは事実だ。
ダイアンがリグズビー男爵のことを信じられずに不安に揺れるのは、子どもたちがそれぞれの伴侶を見つけるまで続いた。
しかし、リグズビー男爵は根気強く愛を囁き続けた。間者であるリグズビー男爵はダイアンが自分の言葉が信じられないであろうことを知っていたから。
ヒロインの父親・・・まだ30代? 40前後? 本名不明。ダイアンは子どもの頃から王城に出入りしていましたが、一目惚れしたのは社交界デビュー後です。