なろう・ほど・ザ・ワールド・ふたたび(444文字)
井伏鱒二が苦手です
井伏鱒二をファンタジーで括ったのは
千年後に残るのは詩と「山椒魚」くらいと思っているから
竹西寛子が「言葉に対するきびしさに支えられている」短編を著した作家として
梶井基次郎と井伏鱒二と川端康成と永井龍男を挙げているけど
井伏鱒二の小説は引っ掛かりが多くて読みにくい
詩はあれだけリズムがあるのに
小説からは意識的にリズムを排したのかな
リズムが写実の邪魔をする?
きっと散文の多義性を許さなかったのだろう
では詩歌における写生って何だろう
あるいはこう言い換えてもいい
わざとひらがなを多用したり
モノの名前を用途とか材質で呼ぶ必要があるのかと
井伏鱒二は『富嶽百景・走れメロス他八篇』のあとがきがいい
溢れる思いを抑えた筆致で書き留め
それでも行間から滲み出てくる情が読む者の心を打つ
文章とはこうあるべきだ
佐高信が『雪国』について
「私にとってある種の文章規範」と褒めているが
あなた小説家になりたくてなれなかった評論家なんだ
というのは別にして
あんな不自然な言い回しが日本語の文章規範であるはずがない