記憶への旅 ーあの頃 2
夏休みまであとひと月もないところまで来ていた。
しかし、僕達はこの問題を二学期まで持ち越すつもりはさらさらなかった。
「その前に絶対に、打ち負かしてやろう!」
それが僕達の合言葉だ。
そして、キツイのを承知の上で、僕達はジースの練習距離をあえて伸ばし、さらに走るペースも少し上げた。
「へへっ、これじゃあまるで、僕達もジースを痛めつけているみたいだね」
サマルがそう言うと、
「ううんっ、そんなことないよっ! これは強制じゃないもの。僕がお願いしたんだ。僕が走りたいから走ってるんだからっ」
と、ジースは否定する。
この頃にはサマルも一緒に走るのに付き合うようになっていた。
機械科学部の活動はしばらくお休みするらしい。
僕とジースはなんだか悪い気がしたけど、やはりなんとなく三人の方が心強い気がしたから、そのままお願いすることにした。
「ほらっ、喋ってる余裕があるなら、ペースを上げるぞ? ちゃんと前を見てっ。きちんと呼吸を管理しつつ、無心で走るんだ」
そんな二人を見て僕は言う。
すると、サマルは
「はいはい。鬼教官っ。失礼いたしましたね」
と応え、それにジースは声を出して笑った。
「おっ、ジースが笑ったぞ」
サマルが茶化す。
「ご、ごめん。二人が何か、いつもそんな風に、憎まれ口ばっかり言い合ってるのに、仲が良いものだから、つい……」
「そりゃ、お互いに冗談だってわかってるからな。冗談好きには冗談好き同士の波長ってものがあるんだよ」
「へぇー……」
「おい、こら。なんで引き続き喋り続けるんだよ。ちゃんと走れっ」
僕達はそんなふうに三人で、村の外側を走っていた。
学校のトラックでは皆の目が気になり始めたので、走らないことにしたのだ。それに、折角努力するのならば、その努力は見せない方がいい。それが男ってものだというのが、僕とサマルの自論だった。
「今日はコースを変えて、坂道に行くぞ? ペース配分は僕が考える。ちゃんと付いてくるようにっ」
「わかった!」
「うん!」
そう言って、僕達はカーブを曲がる。道を歩く村人をビュンビュン追い抜き、三人の中学生は疾走した。
「まただ……また主観と俯瞰がごっちゃに…」
僕は昔の光景を見ながら、いつの間にか只の傍観者ではなく当事者となり、意識がこちらとあちらを行き来している、そんな感覚をおぼえていた。
それに気がついたサマルが、
「平気かい?」
と声をかけてくる。でも、僕は手を挙げ
「大丈夫。ちょっとクラクラしただけだ」
と言った。
「ま、そうだよね。他人から直接、記憶を見せられるというのは負担が大きい。しかも、君は封印を施されていた、君自身の記憶を呼び戻そうとしているんだから」
「ああ……そうだな」
僕はそんなサマルの言葉すら、少しずつ理解しつつあった。
もちろん、理由はわからないが。
次に僕達は、三つ沼に来ていた。
サマルは機械科学部の活動は休んでいるくせに、釣りには行きたいと言うのだ。そして、残念なことにそれは僕も同じで、いつも釣りに来ていた時間より1時間以上遅いし、釣りをできる時間もだいぶ短いけれど、それでも練習後には、いつも通りここに来ていた。これでは僕もサマルのことばかり「釣りバカ」とは呼べないかもしれない。
さらに、ある日
「あの……僕も、その……一緒に行っていいかな?」
とジースが言ってきたので、僕とサマルは
「ああ。もちろん!」
と受け入れ、その日を堺にそこにジースも加わり、三人で釣りをするようになっていた。
タックルやルアーは僕のお古を貸してあげた。釣りの指導は基本的にはサマルが担当する。これでサマルも晴れて、ジースの「先生」ということになったわけだ。
「に、しても…練習で疲れてるだろうに、よく釣りにまでついてくる気になったねぇ?」
サマルが言う。それに僕が
「何、他人事みたいに言ってるんだよ? その最たる例がお前だろうが」
と返すと、ジースが
「ははは、それはクロードくんも一緒だよ」
と言ったから、僕は頭を掻き、苦笑してしまった。
「うーん、やっぱり…そうかな?」
「こりゃあ、一本取られましたな、ラシェットくん?」
「うるさい。だから、お前にだけは言われたくなんだよ、サマル」
「ははは」
僕達はそんなこと言い合って笑った。
その雰囲気はだいぶ打ち解けたものになっている。それこそ最初は、僕もサマルもジースを元気づけるために、無理矢理明るく振る舞ったりもしたけれど、もうそんなことも必要ないくらいに。
「なぁ、ジース」
サマルにキャスティングを教わる横顔に僕は改めて話し掛ける。
「えっ? 何? クロードくん?」
「僕のことはラシェットでいいよ。僕のことをクロードくんって呼ぶのは女子くらいのもんだからさ」
「えっ?」
戸惑うジースに、サマルも
「ああ。そうだな。男がクロードくんなんて、なんか気持ち悪いもんな」
と言う。それでジースも渋々納得してくれたみたいで
「わかったよ。じゃあ……ラ、ラシェットくん…サマルくん」
と、それからは呼んでくれるようになった。
そういえば、サマルのことは最初からサマルくんと呼んでいた気がしないでもないが……ま、それがある意味サマルの凄いところでもある。
とにかく、僕達はいつも準備運動や筋トレをし、それから一時間ほど集中して走りこんだ後、日が暮れるまで釣りをして、色々なことを語りあった。それはまさしく、すっぽりと忘れられていた、僕の大切な青春の一ページだった。
そうしてまた時が過ぎ去り、おそらく夏休みまであと10日程となった頃……。
ついに、ジースの体力に少しの変化が見られたのだ。
「おいおいっ……初めてじゃないか? 転校生のやつがこんなについて来るのは?」
「ああ。間違いない。ラシェット達の特訓の成果が出たのかもしれないぜっ?」
「ひょっとしたら、今日は行けるかも……?」
例のごとくトラックを走らされているクラスの男子達は、その成長に目を見張り、口々にそう言う。
それを聞いて、ジースの両隣を走っていた僕とサマルもニヤリと笑った。
「これは行けるぞ? あと何周だ? ラシェット」
「わからないが、今までの傾向から言ってあと三周。あいつの気まぐれが出たとしても、あと4周だろう。それ以上伸びた前例はない。だから……」
「ああ。もうちょっとだな。頑張れよっ、ジース」
「あっ…はぁ、はぁ、はいっ!」
僕達は必死に走った。
クラスメイト達も「ここまでジース頑張っているのだから」という感じで皆で盛り立ててくれる。
しかし、そんな様子を、苦々しい表情でザンマンは見つめていた。あれだけ体力向上、体力向上だと言いながら、それはないだろうと思わなくもないが、僕はその時は特に気にすることもなく、ただ黙々と走り続けた。
そして、僕達が無事に残りの三周分を走り切ると、
「よし……そこまでだ…全員集合っ!」
とザンマンは言った。
それに「よっしゃ」と皆、小さくガッツポーズをし、集まる。
クリアだ。
クリアした。初めて『連帯責任』なしで走りこみが終わったのだ。
男子全員がザンマンの前に整列する。すると、ザンマンは
「ふんっ」
と鼻を鳴らし、
「まぁ、いいだろう……では引き続き、授業に入る」
と言ったのだった。
体育の授業が終わり、教室に戻ってくると、皆の喜びが爆発した。
そして、いつも全く人が寄り付かないジースの机の周りに集まっては、
「やったなぁ!」
「なんだ、やればできるんじゃんかっ!」
「見なおしたぜ」
「頑張ったらしいな。おめでとう」
などと言い、ジースの肩をバシバシと叩いた。
そんな手荒い歓迎に、ジースは
「ちょ、ちょっと……」
と困惑していたけれど、僕達が目を合わせ、親指を立てると、彼も照れくさそうにはにかんでくれた。
しかし、そんな光景を素直に受け取れない奴もいた。
それはあの執拗にジースを責めていた男子とその二人の仲間だ。
でも、さすがのそいつらも、クラスの雰囲気がこうなってしまっては、何も口を挟めなく、バツの悪そうな顔をするに留まっていた。
僕はそれを見て、
「これはマズイかもしれないなぁ……」
と思ったが、
「いや、とりあえずもう少し様子を見てからでもいいか……」
と、今はジースの走り込み克服を祝福することにする。
そんなことを考えながら席を立ち、ふと窓の外に目をやると、グラウンドの真ん中にまだザンマンが残っていて、僕達の教室を睨みつけるように見上げているのを発見した。
クラス内からはそんなことも知らずに
「やったぜ!」
「ざまぁみろっ!」
「パワハラ教師っ!」
「セクハラ教師っ!」
「ははははっ」
などと、調子に乗って騒いでいる声が湧く。
僕はその両者を見比べて
「こりゃ、こっちも穏やかに、とはいかないかもな……」
と、嫌な予感をヒシヒシと感じていた。
しかし僕の予感が外れたのか、その日はザンマンからの呼び出し等はなく、平穏無事に一日が終わった。
が、その翌日。
その予感は思わぬ形で実現するところとなる。
その日も体育の授業があった。
二日連続であるのは、週の時間割では、その曜日だけだ。
それでも走り込みは容赦なくあるのだから、とても疲れるが、いっても僕達はずっとその時間割でやってきていたから、慣れていることは慣れていた。
それよりも問題だったのは、昨日の今日で、ザンマンのイライラのほとぼりが冷める時間がなかったという点だった。
「この調子なら、今日もいけそうだな、ジース」
「う、うん……!」
トラックを走りながら、サマルとジースはそう言い合う。
確かにこのペースで行けば十分に走り切れそうな感じだ。本当にジースの体力は成長している。
しかし、残り1周に差し掛かった時、僕がチラッとザンマンからの方を見ると、彼の口の端から不敵な笑みが浮かんでいた。
僕はそれを見て
「何を企んでいるんだ?」
と思ったが、それももう1周走り終えたところで、すぐにわかることになった。
僕達はさらに、もう1周走った。
でも、ザンマンからは何の合図もないのである。
それで、皆も薄々気づき始めた。
「あれ? まだだっけか?」
「今日はやけに長く感じないか?」
と。
その声に僕が小声で答える。
「ああ。既にいつもより2周長い。あと1周で連帯の時と同じ長さだ」
「え? そ、それじゃあ、せっかく頑張って走っている意味が……」
皆に困惑の表情が浮かんだ。しかし、そうこう言いながら、さらに1周走ってもなお、ザンマンは何も言わない。いや、それどころか、奴はぴくりとも動かずにこちらを凝視していた。とても冷たい目つきだ。
「ちっ」
僕は思わず舌打ちする。
どうやら奴は、誰かがまたペースを落とすまで、この走りこみを止めさせるつもりはないらしいと気づいたからだ。
けど、今走るのを止めては、それはそれでまたザンマンに良い「口実」を与えてしまうことになる。
「クソッ、ここまでするかよ……」
僕はそう思うと、怒りを覚えずにはいられなかった。
そして、やがてそれは完全に皆の気づくところになる。
「こ、これはおかしいぞ…」
「いくらなんでも、これ以上は無理だ……こんなの、ジースじゃなくったって……」
しかし案の定、一番最初にペースを落とし始めたのはジースだった。
「……はぁ、はぁ、はぁ、うっ」
「ジ、ジース……」
それに気がつき、僕とサマルがペースを合わせる。すると、皆も心配そうにこちらを見、ペースを落としてくれた。
が、それを待っていたかのように、ザンマンが動き出し、
「こらっ! そこっ! ペースを落とすなっ!」
と、こちらに竹刀を向けて怒鳴り散らす。
その顔にはどこか愉快そうな笑みさえ浮かんでいた。
それを見て、僕は歯を食いしばる。
なんなんだ、あいつは!? こんなことが本当に指導だと思っているのか?
そう思うと僕達は奴に絶対に、負けたくないと思った。そして、それはジースも同じだったみたいで、僕と目を合わせるとコクリと頷き、懸命に足を動かし、走り続けた。
しかしそれも、もう2周分走り終えたところで、ついに力尽きてしまった……
ジースの足が止まる。
荒く息をしながら、彼はその場に崩れるように膝をついた。
「ジース!?」
サマルがそう言うと、クラス全員が走るのをやめ、ジースの方に振り向いた。
「おいっ……大丈夫か?」
サマルが肩に手を置き、話しかける。
するとザンマンが、
「何をしているっ! さっさと立たんかっ! まだまだこんなものではないぞっ! お前達もだっ! 早く、走れっ!」
とまた声を荒げた。
それを聞き、皆は困惑した。こんな状態のジースを見て、また走りだそうなんて、とてもじゃないが思えなかったからだ。
しかし、言うことを聞かないとどんな目に遭わされるかわからない。竹刀で打たれるだけならまだいいが、不当に体育の成績を落とされたり、来週からもこの仕打ちが続くかもしれないからだ。
だから皆、躊躇した。
そして、そのまま皆が足を止めていると、ザンマンが如何にも嬉しそうにニヤッと笑い
「そうかそうか。お前達、そんなに走りたくないか……しかし、これは問題だぞ? こんな風に授業を妨害したとなっては、これは職員会議に掛ける以外なさそうだ。そうなったら、然るべき処分が下るだろうなぁ。通知票にも、俺は印鑑を押せないかもしれない」
と言った。満を持して、といった態度だ。
それを聞いて、いよいよ皆の顔が青ざめた。この大事な時期にそんなことになったら、それは進学に大きく響くだろうからだ。もちろん、それが単なる脅しに過ぎないとは頭ではわかっていても、こんな状況では皆、冷静な判断はできるはずはなかった。
「くっ……」
「さぁ? どうするんだ? 走るのか、走らないのか? はっきりしろっ!」
ザンマンの叫び声がグラウンドに響き渡る。
それでも、皆はジースを気遣い、地面に座り込んだ彼の姿をじっと見ていた。すると、
「ぼ、僕のことは大丈夫だよ……」
とジースが言った。
「皆は悪くないんだから……言われた通りにした方がいい。その方が利口だよ」
それを聞いた、サマルは
「おい、何言ってんだよ。そんなこと言ったって、皆が聞くわけないだろっ?」
と言う。
しかし、ザンマンはそう言うジースとサマルの方に近づいて来て、
「そうだ。よく言ったぞ、マグノアリア。お前はしっかりと、自分の不甲斐なさを理解し、もっと体力を付けるべきなんだ。それを……ちょっと、進歩したくらいで、あまり調子に乗るからこういうことになるんだ。他の者もそうだぞっ?」
と、上から二人を見下ろして言った。
さらに、彼はあろうことに
「では、今回もこの責任は皆で取ってもらうことにしよう。全員残り、三周だっ!」
と言ったから、そこでサマルは、ついに我慢の限界に達してしまった。
「て、てめぇっ!」
サマルは素早く立ち上がると、拳を振り上げ、ザンマンに向かう。
が、そこを僕がなんとか後ろから羽交い締めにし、サマルを止めた。
いつか誰かがこうなるんじゃないかと思って、ずっと警戒していたのだ。僕はサマルを止められてよかったなと思う。
「な、何するんだよっ! ラシェット!」
「落ち着けっ、サマル。こいつを殴ったら、その時点で僕達の負けになってしまう。いいか、今は落ち着くんだ」
僕が耳元でそう言うと、サマルは渋々納得し、振り上げた拳を下ろしてくれた。
その様子を驚いた表情で見ているザンマン。僕はそんなザンマンをキッと睨みつけた。
そして、ザンマンが何か言おうと口を開けた時、僕は先にドシンッとその場にあぐらをかき、地べたに座り込んだ。
それを見て、クラスの皆もザンマンもきょとんとする。
何が起きたか、わかっていないようだ。
「な、何のつもりだ? クロードッ!」
「抗議です。僕はこの授業をストライキします。この授業の内容が改善されない限り、僕はもう一歩たりともここから動きません」
「な、何ぃっ!? ストライキ!?」
僕のその行動に心底驚いたらしく、ザンマンは間抜けな声を出した。
どうやら、そんなことは想定していなかったらしい。だから、どうしていいかわからなかった彼は、
「おいっ! そんなことが許されると思っているのか! 立てっ! 立つんだっ!」
と喚きながら、僕に向け竹刀を向ける。しかし、僕がなおも涼しい顔で、
「いえ。僕は動きません。どうぞ、授業を続けたいなら続けてください」
と言うと、ザンマンの方が我慢できなくなり、ピシャリと僕の肩を竹刀でしこたま打ち据えた。
「ふざけるなっ! これは問題行動だぞっ! 成績も単位もつかなくするぞっ、それでいいのか!?」
「ええ。どうぞ、ご自由に。とにかく、僕は改善を要求します」
そう言う僕の、今度は顔を竹刀が襲う。それはだんだんエスカレートしていった。
そんな様子にクラスの皆もそわそわし始める。
こんなことを黙って見ていていいのか? と。
しかし、その踏ん切りがなかなかつかない。やっぱり、皆、成績や単位のことが頭に引っかかり、手が出せないでいたのだ。
けど、そんな中、もう二人その場に座り込む者がいた。
それはサマルとジースだった。
二人はわざわざ、竹刀で打たれている僕の横に来て、ザンマンを挑発するようにどっかりと座ったのだ。
そんな二人を見たザンマンは当然、
「き、貴様らもかっ!?」
とその矛先を二人にも向ける。
それを、二人は僕同様無言で耐えた。僕が目を向けると、サマルもジースも笑ってくれる。僕はそれだけで、かなり救われた気がした。
すると、
「……たくっ、しょうがねぇ奴らだぜ」
と言いながら、今度はなんと、あのジースを執拗に責めていた男子三人組が、僕達の横に来て座り込んだではないか。
「えっ?」
ジースはそれを見て驚く。その男子はジースと目が合うと、相変わらずバツの悪そうな顔をしたが、やがてにっこりと笑い、へへっと鼻を擦った。
「き、貴様らまでっ……なっ!!」
それが、最後のキッカケになった。
気が付くと、クラスの男子全員がその場に無言で座り込み、ザンマンを見上げていたのだ。
今度はザンマンが青ざめる番だった。
「こ、こらっ! 貴様ら、立たんかっ! 立ちなさいっ!」
そう言いながら、ザンマンは目につく生徒、片っ端から竹刀で打って回る。しかし、それにめげる生徒など、一人もいなかった。皆、真剣な目をしている。誰もが、この授業はおかしいと思っている、こんな奴に屈服したくない、そんな感じがありありと感じ取れた。
僕とサマル、それとジースはそんなクラスの様子をぽかーんと口を開けて見つめた後、三人で目を合わせ
「はははっ」
と笑った。
怒り狂うザンマンを横目に僕が校舎の方を見上げると、この異常な騒ぎに気づいた生徒や教師達が窓から顔を覗かせ、こっちを見ているのがみえた。ザンマンはまだそれには気がついていないようだが、
「こりゃ、あいつにも痛い目に遭ってもらわないとな……」
と僕は、この先のことを考え、一人ほくそ笑んでいた。
結局、その場は騒ぎを聞きつけてやって来たアンナ先生の手によって収められた。
アンナ先生の手前、なかなか折れることのできないザンマンに対し、僕達が
「じゃあ、とりあえず今回だけは言われた通りに走ってやる」
と、心の大きさを全校生徒に見せつけるというおまけ付きで。
その日の放課後、僕がこのネタを、特ダネをいつも欲しがっている校内新聞の編集部に持ち込んだことは言うまでもあるまい。
さらに後日……
僕とサマルとジース、それにあの男子三人組で手を組んで、とっておきの写真を撮ることに成功したのである。
それはいつもひどいセクハラ被害に悩まされていた、あの気の弱い女性教諭の尻を、さり気なく触っている「風に見える」ザンマンの写真だった。
まぁ、本当に触ることもあったのかもしれないが、さすがのザンマンもそう迂闊なことはしない。それは言ってみれば奇跡の一枚だった。その写真を僕達はまた飢える新聞部に持ち込み、二週連続でザンマンの醜態っぷりをすっぱ抜いたのである。
これが大問題になり、その年の夏休み前の職員会議がいつも以上に紛糾したこともまた、言うまでもない。
そして、一学期の終業式の日。リベンジ成功を祝して、そのスクープ写真を撮ることに成功した僕のカメラを使って撮ったのが、あの男子の集合写真だったのである……
「そうか……それで、こんな写真があったんだな」
僕は賑やかな校門前の男子達の声を聞きながら、手に持った写真を見下ろす。
それを上からサマルも覗き込み、
「うん。そうなんだよ。大事な写真なのに、すっかり忘れていたね……」
と言う。
「なぁ、サマルは何でこの写真のことを思い出したんだ? それと、ジースのことも…」
「ふふっ、それはね。ここに来て、僕がこの仮想世界のことを知ったからだよ。そして、ここからが本題なんだ。ほら、次に行こう」
サマルがそう言うと、僕達はまた三つ沼に来ていた。
その少し離れたところには、僕とサマルとジース。
三人は釣りが終わったのか、岩に座り、何やら話し込んでいる。三人とも学ランを着ていることから、終業式のあった日の、放課後だと知れた。
声が漏れ聞こえてくる。
「あの……本当にありがとう」
たぶん、ジースの声だ。
僕は近づいてみる。すると、僕とサマルが手を振り
「いやいや、お礼なんていいんだよ。だって、僕達、友達じゃないか」
と言った。それを聞き、ジースは本当に嬉しそうな顔した。なぜか、僕までジーンときた。
なぜ……なぜ忘れてしまっていたのだろう?
それに、僕にはこのジースと、あのジース・ショットの顔が同じだということが、どうしても腑に落ちない。だって、性格が違いすぎる。サマルは二人は「同じ存在」だと言ってけれど、似ても似つかないこの二人が、同じなんかではないと信じたかった。
「是非、お礼がしたいんだ。二人に…」
ジースはそう言い出す。それに僕とサマルは
「お礼?」
「いいよいいよ、お礼なんか。友達にお礼なんてするもんじゃない」
とそれぞれ、遠慮をした。
しかし、ジースは引かずに
「いや、どうしてもお礼がしたいんだ。じゃないと、僕の気が済まないよ」
と言う。
「うーん……まぁ、そこまで言われちゃあなぁ……」
あまりに熱心なジースの様子に、割りと簡単に僕とサマルは折れた。
それをにっこりとして確認すると、ジースは持ってきていた鞄から、おもむろに小さな木箱を取り出す。
「ん?」
「お礼ってこれのことかい?」
僕達が不思議そうに、その奇妙な彫り細工が全面に施された木箱を見つめて言うと、ジースは頷く。そして、手のひらで蓋に触れると、なんと箱は自動的にスライドし、中から小さな光沢のある玉のようなものが二つ出てきた。その玉は箱の中で、厳重に綿に包まれ、大事に保管されていたみたいだった。
「こ、これは……?」
僕が聞く。
すると、ジースは一呼吸置いた後、僕の目を見て
「これは……知恵の実っていうものなんだ」
と言ったのだった。




