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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第3章 ラシェット・クロード 時の試練編
93/136

記憶への旅 8

僕はその場に立ち尽くしていた。

が、なんとか目だけはヤンとケーンとイリエッタ、そして部屋の中の様子を交互に見ている。

三人とも、写真で見た通りの印象だった。


ヤンは少し浅黒い肌に、きりっとした瞳、厚い唇、黒いウェーブの掛かったロングヘアー、前髪を上げ、おでこを見せる髪型をしている。服装は細いデニムに、水色のシャツとかなりシンプルな物を着ており、なんだかその格好からして、さっぱりとした性格なのだろうなとすぐに連想させた。


ケーンは座っているから、いまいち分かり難いが、やはり思っていた通り筋肉質で大柄だった。短く刈った茶色の髪も、その体育会系のイメージにぴったりとマッチしている。でも、その目はとても温厚そうで、口の横にしっかりと刻まれた笑い皺も、とても優しそうな印象を僕に与えた。

服装はケーンもヤンと似たようなもので、ジーンズにグレーのTシャツだ。たぶん、そういう格好の方がここでは楽なのだろう。


しかし、イリエッタだけはふんわりとしたワンピースを着、アクセサリーも身につけ、かなり女性らしい、おしゃれな服装をしていた。

控えめな表情を浮かべ、僕の方に遠慮がちに視線を送っているその顔は、ヤンとは正反対な、色白で気の弱いお嬢様と言った顔つきをしている。僕はそんなイリエッタをジロジロ見るのもどうかと思ったので、あまり見ないようにし、目が合うと視線を部屋の中へと泳がせた。


こんなふうに、まずは観察をすること。それが僕のギリギリの冷静さだった。

そして、辛うじで後ろ手でドアを閉める。


そこまでは体が勝手に動いてくれた。だがその一方で、僕の頭の中では疑問の大嵐が巻き起こっていた。


な、なんでヤン達がここにいるんだ?

それに、この小屋……家具や本棚はあるのに、全部空っぽじゃないか。ここは本当にあの部屋なのだろうか?

そうだとしたら、あれだけ大量にあった本はいったい何処へ……?

それと、ヤンが言った「本当に来た」とは、どういう……


「おーい。もしもーし。ラシェットさーん」


ヤンが僕の前までスタスタとやって来て、目の前でそんなことを言いながら、手をブンブン振っていたような気がしたが、僕はしばらくそれを無視して小屋の中を見ていた。


僕のその反応にヤンは

「あらら…ダメだこりゃ」

とか言う。奥の二人は

「こら。止めないか、ヤン。ラシェットさんだって混乱されているんだ」

とか

「そうだよ。まずはちゃんと、お互いに自己紹介からでしょう?」

とか口々に言っている。


僕は二人のその言葉にやっと反応する気になり、ヤンと目を合わせた。

自己紹介。

確かにそうだ。とにかく、ここで三人に出会えたのは、良いことではないか。色々とわからないことは、直接聞いてみればいい。まぁ、それで全てがわかるかどうかも不明だが、そもそも僕が、わざわざこんな所まで足を運んで来たのは、三人を探すためだったのだから。


「ジェラルダ・ヤンさん。それに、ケーン・ダグラスさんとイニエ・イリエッタさんですね?」


僕が確認のためそう聞くと、ヤンは

「あ、喋った」

と言い、続けてケーンが床に座ったままの姿勢で


「ええ。そうですよ。それで、あなたはラシェットさんで?」


と聞いてきた。

僕は三人に向かって軽く会釈をし


「はい。初めまして。お察しの通り、僕はラシェット・クロードと申します」


と言った。すると三人も

「初めまして。ケーン・ダグラスです」

「あの……こんばんは。イニエ・イリエッタと申します」

「ジェラルダ・ヤンよ。改めてよろしくね」


と、僕に挨拶を返してくれる。

それを聞いて僕は、なんだか少しホッとした気持ちになった。それは三人の様子が変に暗く沈んでもなく、むしろ平然としていて、とても命の危険に晒されているようには見えなかったからだ。


「な、なんだか思ったよりも元気そうですね…?」


僕がヤンが差し出してきた手を握り、そう言うと彼女は

「あら? もっと深刻な顔をしている方がよかった?」

とはにかむ。その顔はやっぱり、特に悲観などしていなさそうだった。


「いえ、そういうわけではないのですが……」


僕はそう否定的に言うと口をつぐんだ。だって、それ以上どう言っていいかわからない。


僕はとりあえず、なぜこんな状況になっているのか知りたかった。

そんなふうに思い、視線をまたケーンの方に向ける。とその時、彼の背後に、見覚えのある花柄の分厚いアルバムが置いてあるのが僕の目に入った。そして、


「あっ! それ……」


と僕が堪らず、そのアルバムを指差すと、ケーンは


「んん? ああ、これですか。言っておきますが、これは俺達が借りたんじゃないですよ。サマルのやつが、勝手にラシェットさんの家から持ち出したんですから」


と言って立ち上がり、僕のところへそれを持って来てくれた。


それは僕の家にあるはずのアルバムだった。

そこには、産まれてから、軍に入隊するまでの僕の写真がギッシリと詰め込まれているのだ。

昔からうちの両親が作っていたもので、ちなみに実家にはもう2冊、妹の分と、家族全員の写真を収めたアルバムもある。確か、サマルも何度か僕の部屋でこのアルバムを捲り、僕をからかっていたっけ。しかし、たったそれだけで、よくあいつもこんなものをイメージできたものだ。


「そうか……これを見ていたから僕のことを知っていたんですね?」


僕が合点して言うと、ケーンが

「はい。まぁ、そうことになるんですかね? 正直、俺達にもよくわかっていないんです。とにかく、サマルがこれを見ながら待っていろと言って……」

と応える。

また、それを受けてイリエッタは

「それだけじゃなくて、サマルくんから事前に、ラシェットさんとの色々なエピソードを聞かせてもらっていたんですよ? 中等学校時代のストライキの話とか、生徒集会の話とか」

と、微笑ましいことのように言った。


「そ、そうですか。サマルのやつ……そんなことまで……」


それを聞き、僕は思わず顔を覆いたくなる。

サマルと過ごした中等学校時代の思い出には、今思うと恥ずかしいことが多分に含まれているからだ。

僕はそれを話されたかと思うと、途端にこの三人と顔を合わすのが恥ずかしくなってしまった。しかし、これで僕は、なぜ三人が僕のことを知っていたのか、益々合点がいった。


そして、そこからもう一つ、当然の推測として、


「……ということは、少なくともサマルは僕がここに来るということを、事前に予測していたということでしょうか? 」


という疑念が浮かび上がってきた。

しかし、それに関しては


「さぁ……それはわかりませんね。ただ、サマルは俺達に「きっとラシェットが尋ねて来るはずだから、その時はよろしく」と言っていましたから…おそらくそういうことになるのでしょうか?」


とケーンが言う通り、皆その真意の程は知らないようだった。


「ん? ちょっと待ってください。その時はよろしくって、いったいどういうことですか…? よろしくも何も、僕はむしろここに、皆さんを助けに来たつもりなのですが……」


僕がそこに引っ掛かり、いささか戸惑いながら言うと、三人の顔に見るからにクエスションマークが浮んだ。そうして、三人で少し顔を見合わせた後、ヤンが思い出したように


「あっ、そうだ。忘れないうちにこれを渡しておかないとね」


と言い、ポケットから紙切れのようなものを取り出し、僕に渡してきた。

僕はそれを受け取り、開いてみる。するとそこには、見たこともない文字(おそらく数字であろう文字)の羅列が細かく書かれていた。


「これは……?」

僕がそれをマジマジと見つめていると、ヤンが

「サマルからよ。それが、ラシェットさん、あなたのアクセスキーってやつだそうよ。いいわね? 確かに渡したわよ」

と言った。


「…………は!?」


僕は最初、ヤンが何を言っているか理解できなかった。

アクセスキーという言葉も危うく、右から左へ抜けてしまうところだ。


「アクセスキーって…えっ? そんなっ……なぜです!? 」

僕が紙を握り締めながら聞くと、ヤンは

「なんでって……分からないけど、サマルがこの世界に来てからずっと、色々と調べていたわ。それでわかったんじゃない?」

と、簡単に言う。

僕は頭が痛くなりそうだった。


「そ、それじゃあ、皆さんも既にアクセスキーを?」


「ああ。貰っていますよ?」

「そんなの当たり前よ」

「はい。それに、サマルくんが色々と説明してくれましたしね。私にはチンプンカンプンでしたけど」


僕はケーン達のその言葉に、ああ、そうですかとしか言えなかった。

そして思う。

あれ? それじゃあ僕は何のためにここに来たんだ? と。


これでは、まるで無駄足ではないか……。


僕は肩の力がガックリ抜けるのを感じた。しかし、ついでに

「では、皆さんは、わざとここから出ないようにしているのですね?」

と、すぐに次の疑問を聞いてみる。これは僕がずっと考えていた推測でもあった。

その僕の質問に、ケーンが


「ラシェットさんは、どこから、どうやってここに来たのです?」


と逆に質問で返してくる。

僕はそれでケーンの言いたいことが大体わかってしまった。


「なるほど。確かに僕も皆さんと同じく、アストリア城の地下室から、ショットの持っていた端末を使ってここに来ています。それを聞くということはつまり、皆さんがここを出ないのは、やはり身の安全のためなのですね?」


「それももちろんあるわ。でも、現実で自分の体がどうなっているのかってと思うと、それだけで身の毛がよだつというか、今すぐにでも飛び出して行きたくもなるの……それを何とか我慢できているのは、身の安全うんぬんよりも、サマルに言われたことを守っているから。その約束を守るためにここから出ていないってのもあるのよね」


僕はヤンの言うことに相槌を打った。

話の筋が簡単に腑に落ちたからだ。


しかしまだ肝心な理由が抜け落ちている。


それは、サマルはなぜ三人に、ここで待てと言っているのか? ということだ。

そして、この三人はいつまでここで待てばいい?

僕がそう考えていると、


「あの……ラシェットさん。私達の体は…今、どんな状態なのでしょうか?」


と、イリエッタが聞いてきた。

そう尋ねる彼女の顔にはさすがに不安の色が滲んでいる。

それはそうだ。こんな状態に追い込まれて、現実のことが気にならない訳がない。

けど、そうだとしたら僕は、なるべく正直に話した方が今後のためにも良いとも思った。

だから、僕は姿勢を正し、三人と向き合うと


「はい。僕の知る限り、皆さんの体の健康状態には特に問題はありません。ですが過度な運動不足と栄養不足のために、見る影もなく瘦せ細ってしまっています。肌もがさがさですし…でも、安心してくれていいのは、命に別条はないということと、誰もいたずらをしようなんて人がいないということです。それとショットも、迂闊に皆さんを危険に晒したりはしないように注意しているように見えました。確信はないですが……そう感じるんです」


と説明した。

自分で言っていても、なんとも煮え切らない話だと思ったが、思いの外、三人はそれで満足してくれたようだ。


「そう。思っていたよりも、状況は悪くなさそうね」

「もしかしたら、これもサマルくんの仕業かしら?」

「そうかもしれないなぁ……でも、今ラシェットさんが来たということは、ここから出られるのは、きっとまだ先だな」


「あの……」

僕の言ったことを元に、あれこれ相談し始めた三人に置いていかれないため、僕は話に割って入る。

そうやって、また三人に向かい、


「今、ここから出るのはまだ先と言いましたが…サマルは皆さんに、いつまでここにいろと言ったのですか?」


とずばり聞いてみた。

考えてもわからないことは、聞いてみるしかないからだ。

それに、ケーンが向き直り

「いつまでってわけでもないんですよ。ただ……サマルはこう言ったんです」


「ラシェットさんはここを二度訪ねて来るはずだと。その二回目の時に一緒に脱出しろって」


と答えてくれた。


二度?


僕はそう思った。

僕はもう一回ここに来ることになる……なんでそんなことが、わかるのか?

そして、今回は一回目だから、まだ三人を連れて出てはいけない……?


僕はサマルがそう言ったことについて改めて考えてみた。


確かに、状況から見れば、言われるまでもなくそうなのだ。

今三人の意識が戻っても、僕には三人を守る術がない。自力で歩けないであろう三人を運び出す手段もない。それどころか、そんなことをしたら僕はまた皆を人質に取られて、何もできなくなってしまうだろう。そうなったら、何の意味もない。ただただ、ショットの思う壺だ。


僕はここに三人を助け出すために来た。それは、もちろんサマルを探すためでもあったのだけれど、これでは一体なんのために来たのか、僕にもわからなくなってしまう。

しかし、サマルの言葉をストレートに解釈するならば、二回目の時には確実に三人を助けられる算段が整うということになる。でも、そんなこと自体、本当に可能なのだろうか?

歩けない三人を助けるのなんて、あの城を占拠でもしないと無理な話だ。

そして、あの城を占拠するということは、アストリアを占拠するということに他ならない。


「アストリアと戦争をしろとでも言うのか…?」


それはバカらしい考えに思えた。なにより、僕一人でできることの範疇を遥かに越えている。


しかし、あの状況を覆すには、そのくらいのショックが必要だとも思えるから厄介だった。もっといい抜け道があるかもしれないのに、僕の頭の中は、そんな強行案ですぐにいっぱいになってしまう。


「……では、皆さんはまだここで待つつもりなのですね? その…サマルの言う通り、僕がもう一度ここに訪ねて来るまで」


僕が何とかそれだけ聞くと、三人は、ええと頷いた。

そこには、サマルを信じている頑なな意思が見て取れた。


「わかりました。そういうことならば……」


僕はいよいよ気が抜けてそう言った。

じゃあ、僕はもう帰るだけじゃないか。


そう思い、僕がせめてもっと情報を仕入れようと、三人に話しかけようとした時、急に後ろのドアが開け放たれ


「どうだ? 話は済んだか?」


と、バルスが小屋に入ってきた。

たぶん、外にも話し声が聞こえていたのだろう。バルスは三人がいることに驚く様子もなく、ズカズカと僕の横まで来る。

僕はその顔を見ると、なんだか無性にホッとした。

この場の雰囲気に全く臆することのない堂々とした態度も、妙に頼もしく思える。


「あ、バルスさん。すいません、まだ話の途中で……」

僕がそう言うと、ヤン達三人は、バルスとは対照的に


「えっ!? 嘘っ!? なんで!?」

「ほ、本物なのか?」


と、その突然の大冒険家の登場に驚いている様子だった。

バルスもそんな三人の反応に、まんざらでもない感じだ。


「ハッハッハッ、本物かと言えばそうかもしれないが、所詮は仮初めの姿よ。幽霊みたいなもんだ」

「いや、その前に、皆さんにもバルスさんが見えているんですか!?」


僕が、それこそ幽霊でも見るかのように言うと、三人は頷き、バルスは当たり前だと言う。


「お前さんがこの場にいれば、記憶を共有できるんだよ。だからこの三人にも俺が見えるってわけだ」

「は、はぁ……そういうものなんですね」


僕は細かいことを気にする方だが、なんだかもう面倒臭くなってきた。この世界には大きい疑問も、小さい疑問も多過ぎる。僕はこんなことを知らなくても立派に生きていけると、心の底から思える世界に早く帰りたかった。


「ラシェットさん、なんでバルスさんがここに?」


バルスと話す僕に、ケーンが聞いてくる。それも当然の疑問だった。厳密に言えば、そんなこと、僕だって知らないのだ。だから僕は


「それはまだ教えたくないそうなんです。でも、とにかく僕がこの小屋を探すのを、今日丸一日手伝ってくれたんですよ……って、いや、そんな話は止しましょう。それよりもまだ僕には皆さんに聞きたいことがあるんです」


と応え、話を強引に元に戻した。


「それもそうね。で? 何を聞きたいの?」

「この小屋のことです」


ヤンの言葉に僕がそう言うと、三人はよくわからないと言った顔をした。しかし、僕の横にいるバルスの目は心なしか鋭くなった気がする。


「この小屋……ですか? ここに何かあるのですか?」

ケーンは言う。

それは本当に何も知らないような口ぶりだった。だから僕はそれをより確実にするために質問を試みる。


「ケーンさん。あなた達が、一番最初ここに来た時も、この部屋はこんな状態だったのですか?」

「え? ええ、そうですね、もっと汚れてはいましたけど、置いてあるものは同じだったと思います」

「本も一冊も置いてありませんでしたか?」

「本ですか?」

「ええ」


僕はそう言うと本棚の前まで歩いて行った。そして、棚に手を置きながら

「例えばここ。ここに本があった形跡などはありませんでしたか?」

と重ねて聞く。しかし、ケーンは首を振り、

「い、いいえ。確か、そこの棚も全部埃だらけで、随分長い間、放置されていたような感じだったと記憶していますが……」

と言う。それを受けてイリエッタも

「そこは私がお掃除しましたけど、本当に凄い埃でしたよ?」

と証言した。それに僕は

「そうですか」

と言い、それ以上の質問は止めにした。


それは本がなかったからといって、僕の確信が変わらなかったからだ。

棚も机も、あの時見たものに間違いない。

窓の位置も同じだ。直に夜が明ければ、そこに大きな山が見えるはずだ……


僕は今度はその窓の下にある、机の前に来た。

そのすぐ側にいたイリエッタはちょっと横に避けて、僕の様子を見ている。


僕は机の上を見た。

しかし、そこには当然ながら紙も羽根ペンも本も、そして、あの時置いた手紙もなかった。


「まぁ、そんなの当たり前か……」


僕はそう思いつつも、目を閉じてイメージした。

あの時のことを。

キミと一緒にこの机の上に、トカゲからの手紙を置いた光景を。さらに、手紙の細かい部分、サイズや封蝋の形まで思い出して……


すると、ちょっとした後

「えっ?」

というイリエッタの声が聞こえた。

それで僕はゆっくりと目を開ける。


そして、机の上に目を向けると、なんとそこにはあの手紙があったのだった。


「やっぱり……」


僕はなぜだか、そう思った。

ひとつ大きく息を吸い込み、手紙をそっと手に取る。それを見ていたイリエッタの反応に全員が机の前に集まってきた。


「ん? 小僧なんだ、そりゃ? 手紙か?」

「ええ。ちょっと知っている手紙なんです。あの…この手紙も、ここにはありませんでしたか?」


僕がそう聞くと、ヤンは


「ええ。ここに一番最初に入ったのはサマルだったけど、特に何も言っていなかったから…たぶん、なかったんだと思うわ」


と答えた。

僕はそれがどういうことか必死に吟味する。本当になかったのか、それとも……

いや、でも、キミは確か、向こうからは見えないはずと言っていなかったか……?


僕が一人で黙り込み、あれこれ考えていると、ケーンが

「その手紙には、何が書かれているんですか?」

と聞いてきた。

しかし、僕はその中身を知らない。だから、この手紙も理屈から言えば、白紙のはずだ。

そう答えると、ケーンは納得してくれた。それに、中身を確認するにしても、この手紙はオリハルコンで加工されているのだ。そう簡単にとはいかない。


僕が所在なく手紙を弄んでいると、その隙を見て、

「小僧。ちょっとこっちへ来い」

と僕を手招きした。

そして、小屋の外へと誘う。僕は手紙をとりあえず懐に仕舞い、後を追った。


気が付くと、僕達は全員でドアの前に立っていた。

「ついでだからな。俺の見解を教えといてやろうと思ってさ」

バルスはそう言うと、ドアの微かに残ったレリーフを指差しながら、話し始める。


「小僧。お前も、この扉には興味ありそうだったな」

「え、ええ。しかし、僕はこの紋様に何の意味があるのかは、さっぱりわかりません」

「ま、そうだろうな。で、お前さん達はどうだ?」

バルスが聞くと、三人は一様に首を横に振り、


「わかりません。ナーウッドくんとサマルくんとリッツくんの三人はかなり熱心に話をしていましたけど……」

「何の結論も出なかったのよね?」

「ああ。確か、そうだったはずだ」


と言う。それにバルスはふむと言い、

「まったく、最近の若者は不勉強だなぁ」

と嘆いた。そして、幾分得意気に


「これはな。全て、旧ユーグリット連合王国側の国の紋様と、その象徴なんだ」


と言った。その大雑把な言い方に僕が

「ユーグリット……?」

とまだ浮かない顔をしていると、


「早い話が、新世界賛成派の連中の国さ。たぶんこの小屋はその生き残り達が、隠れて古代史研究をしていた、言わばアジトだったんだろう。ま、ちょっと小さいから支部だとは思うが」


と、僕にもわかるように解説してくれた。


僕はその解説で、僕の中の疑問の数々に、一本の明確な補助線が引かれたように感じた。


「じゃ、じゃあ、あの本達はその当時の研究成果…それをまとめたものだったのか……だとすれば、あの大量の本は既に処分されてしまった? いや、待てよ。この小屋が無事に残っているんだ。本だって、どこかで無事に残っている可能性があるじゃないか。それこそ……」


僕がそう考えていると、ケーンがバルスに


「すいません。先ほどの新世界賛成派とはどういう意味なのでしょうか? ユーグリットのことなら、少しはわかるのですが……」


と質問した。

なるほど、三人はそれについては知らないのだ。しかし、サマルがそれを知らないとは考えにくい。ということは、サマルは意図的にそれを三人に伏せているのかもしれなかった。だとすれば、僕達もおいそれと教えてはダメなのだろう。これを知ってしまうと、余計なことに巻き込まれる可能性だって考えられる。


「あの、それは……」

僕がそう考え、話をはぐらかそうとしたら、バルスが横から


「それは、俺が説明してやる」


と大声で言ったから

「はぁ!?」

と、僕もびっくりして、つい大声を出しそうになってしまった。が、何とかそれは心の声だけに抑えることができた。

「な、何を言い出すんですかっ……」

僕はバルスのその不用意な言葉に内心、怒りを覚えた。何、余計なことをして、皆を巻き込もうとしているのだと。

しかし、バルスはそんな僕の顔を見ると、ニヤっと笑った。そして、


「味方はな、一人でも多い方がいいんだよ」


と言った。


「このあんちゃん達だってなぁ、巻き込まれたくないだなんて思っちゃいねぇよ。そんな風に思う方が、返って失礼って時もあるだろう?」


とも。

それを聞いて、僕は脱帽した。


バルスの言っていることは、とてもまともな考えだと思ったからだ。

しかし、そんなまともな考え方も、こんな場面においてはそう簡単に持ち出せるものじゃない。

僕はそれを十分に知っていた。


僕は今まで冷静だと思っていた僕の頭が、ちっとも冷静なんかじゃなかったのだと、バルスの言葉で思い知らされたのだ。

悔しいが、バルスは僕の考えていることなんて、すぐに見破ってしまうらしい。

それがこの世界における力なのか、それとも老人の人間観察力なのかはわからないが、なんにせよ丸一日一緒にいただけでこれだ。


僕は苦笑しながらも、是非もっと長く、一緒にいられたらと思った。

たとえ、仮初の世界だとしても……


「で? そっちの兄ちゃん達も、まだラシェットに言ってないことがあるだろう?」


「え?」

僕がそう思っていると、バルスの口からまた思いもよらないことが飛び出した。

その指摘に、三人も途端にバツの悪そうな顔になる。しかし、ヤンが吹き出したのをキッカケに、皆が元の緊張感のない、笑顔に戻った。


「ど、どういうことです?」


僕が間抜けなのを承知で聞くと、ヤンは

「ごめんなさい。でも、悪いのはサマルなのよ。あいつが私達には水臭いくせに、ラシェットさんにはどんどん頼み事を押し付けようとするから……」

と言い、イリエッタは

「そうなんです。私達、いざと言う時には頼ってもらえないんです」

と言う。


「本当に、頭に来るよな。こんなことになったことより何より、それが一番腹が立つんだ」


そう意外にも愚痴を言う、ケーンと目が合った。その目は優しそうで、それでいてどこか寂しそうな目だった。


「でも……皆はそれでもサマルを信じて、ここで待っているんですね?」


僕がその目を見て、素直に思ったことを言うと、三人はきょとんとした後、ははははと笑った。

僕はそんな三人を見て、やっぱりそうなのだなと思う。


「だとしたら、サマルの奴は何をやってやがるんだ……」


僕が親友に対し、久しぶりに苦々しい気持ちを覚えると、ヤンが近づいて来た。

そして、またちょっとはにかむと、


「サマルなら何処かにいるはずよ。いつもの場所で待ってるって、そうあなたに伝えてくれって、伝言を頼まれたんだもの」


と言った。

僕はまたまた、よく意味がわからなかった。


「えっ……サ、サマルがここに? いつもの場所……? そこで…僕を待っている…?」


なんでそんなことに?

サマルは僕の預かり知らない、どこか遠くの島にいるはずじゃあ……。


僕がそれを聞き、雷に打たれたみたいに突っ立っていると、


バシッィィ!!


と、バルスにまたもや背中を思い切り叩かれた。


「痛つっぅ!!」

その痛みで僕は正気に戻る。

そしてバルスの顔を見た。すると、バルスは間髪入れずに


「お前さんなら、もうどこにいるのかわかってるんだろう? さっさと行きな。んで、話をしたら、またここに戻って来い。俺もお前さんに、託したいものがあるからな」


そうぶっきらぼうに言った。


でも、僕にはその気持ちが伝わり過ぎるくらい伝わってきた。

そして、三人に目配せすると、三人とも「うん」と頷いてくれた。

それを見て僕の心は決まった。


「すいません。話の続きは後でしましょう。まずは、あいつを一発ぶん殴って来ます」


僕はそう言うと、すぐに目を閉じて暗闇をイメージしていた。

目を瞑ると、背中のじんじんとした痛みだけが、妙にはっきりと残った……


    ☆


僕が暗闇の中でイメージしたのは、言うまでもなく三つ沼だった。


目を開ける。すると、山の端に朝日の光の気配があった。

さっきまでまだそんな気配はなかったのに、暗闇では随分と早く時間が進むらしい。

もうすぐ夜が明ける。灯りも、もう必要なさそうだ。


僕は懐かしい景色を眺めながら、手前の一番小さい沼の横を通り抜ける。


そこは都会とは違い、10年近く経っても、何ひとつ変わっていなかった。

狙い目のブッシュも立木も、葦も、流れ込みも何もかも。

変わっているものがあるとしたら、それは僕ぐらいのものだった。身長も伸びたし、もう学生でもない。飛行機にだって乗るし、第一、あんなに好きだった釣りも、もう何年もやっていない。


土手を越え、真ん中の中くらいの沼に差し掛かる。


僕は視線を迷いなく、その奥の大きな岩の上に向けた。

そこはサマルの大好きなポイント兼昼寝場所だったのだ。


すると、果たしてそこに一人、寝転がっている男のシルエットが見えた。

もうシルエットだけで僕には十分だった。

あんなふうに足を上げ、あんなふうに目を腕で覆って寝る奴なんて、僕は世界中でひとりしか知らない。


僕は声を掛けることなく、その横を目指す。


早る気持ちのためか、それともぶつけようのない怒りのためか、早足になりそうになるのを必死に抑え、僕はゆっくりと歩く。


そうして、ろくに足音も立てずに近くの岩場に来た時、その岩の上の男が、突然


「やぁ」


と言った。そして、起き上がる。

僕はその薄明るい朝日の中に浮かぶ、男の姿を見た。


目が合った気がした。


「来たね、ラシェット」


「ああ。来たよ」


僕はそう応える。

彼の声を聞いた瞬間、不思議と僕の中の時間が、ずっと昔に巻き戻されるような感覚がした。


さらに近づくと、彼の全体がシルエットではなく、はっきりと僕の目に飛び込んできた。


そうだ。この感じ。


そこにいたのは、確かに僕の幼き頃の親友、サマル・モンタナだった。



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