記憶への旅 4
ここにヒントがある……
それは僕の直感に過ぎなかったが、こういう時に体の感覚が教えるある種の勘は、決して軽んじてはいけないものだと、僕は経験からよく知っていた。
しかしその一方で、僕の頭は
「でも……こんな回りくどいやり方、到底サマルらしくないんだがな」
とも告げている。
確かに、それも間違いないところだと思われた。
「昔からのいたずら好き、冗談好きではあったけれど……いくら何でも、これはサマルの流儀からは外れている……」
僕はサマルの家を見て思う。
いたずら好きにはいたずら好きなりの流儀ってものがあるのだ。
その種の感想もあの手紙を読んだ時からずっと心の何処かで引っ掛かっていたものだったが、だからこそ、今この目の前にあるサマル家や、先ほどの僕の実家なども「単なるサマルのいたずら」と決めつけてしまうことはできなかった。こんなこと…普通のいたずらの度合いなど、とっくに越えてしまっている。
「そう。これは只のいたずらなんかじゃない……しかし、だとしたら、これはどういうことになるのだろうか?」
僕は考えていた。サマルの性格上、こんなことを仕掛けたからには、そこには必ず何かしらの理由やメッセージがあるはずなのだ。
そうやって僕は、サマルの家の前に到着してから、もう10分以上もその場から動けずにいた。
「ふーっ、落ち着け……この感じは悪い予感ではないはずなんだ…」
僕は深呼吸をする。そして、その間に色々と考えたことを、頭の中で整理してみることにした。
まず、一番に考えられる理由は、ここなら誰の目にも触れずに僕に何かを残すことができる。そういう利点があることだ。しかし、それにもいくつか条件が付く。
それは第一に、何はともあれ、まずは僕がここに来なければ始まらないということ。
第二に、敵、例えばショットなどに、ここの事を絶対に知られてはならないということ。
そして第三に、僕がここでちゃんとサマルの意図に気づかなければならないということだ。
まだまだ挙げたらキリがないが、まぁ、主にその三つだろう。
しかしそれだけでも、はっきり言ってめちゃくちゃシビアな条件だ。サマルは本当に、この三つの条件を無事、整えられる自信があったのだろうか?
しかもそのうちの二つは、完全に僕の行動次第の条件なのである。
だとすると、サマルは予めそうなること、つまり僕がここに来ることを見越して、この村をこんな風にしておいたというのか?
でも、もしそうなら、その確信の根拠とは一体、どこから来ているのだろう?
「…………ちっ」
ダメだ。
僕は必死に考えたが、わからないことだらけだった。説得力のある仮説を立てられるほどのアイデアも何もない。
僕は目の焦点を合わせ、思考の中から戻ってくると、改めてサマルの家を見た。
こちらは僕の家と違い、当時から全然変わっていない。
昔、何度も遊びに来ていたサマルの家、そのものだ。
水色の木製の壁に、可愛い出窓とバルコニーの付いた平屋建て。玄関の少し奥には塔のように伸びた屋根があり、そこにはリビングからハシゴで登れるようになっている。その上は天井に窓のある「星見部屋」と呼んでいた部屋だった。その狭っ苦しい屋根裏部屋で、よく僕とサマルとサマルのお父さんの三人で寝っ転がり、夜空を見上げたものだった。とても楽しい思い出だ。サマルのお父さんがデカすぎて邪魔だ、肘がぶつかって痛い、などと二人で文句を言っては、いつも皆で笑った。
この家にはサマルの家族3人が住んでいた。
がっしりした体格で一見怖そうだけれど、気さくで豪胆な釣り好きのお父さん。病気がちでいつも家にいたけれど、とっても料理上手なお母さん。二人とも、本当に優しく、時に厳しくて、僕も大変良くして貰った。
「思えば…僕はサマルのお父さん、お母さんにも随分ご挨拶していないんだなぁ……」
僕はふと、そんなことを思った。
そしてそのことは、なんとなくずっと頭の片隅に追いやっていたけれど、消えずに引っ掛かり、燻っていた故郷への後ろめたさの一つなのだとも、この瞬間に理解した。
「ま、目を背けても…結局何も良いことなんてないってことか……」
僕はそう思うと、ようやくちょっとだけ気持ちが元の位置に戻ってきた気がした。
そして、バルスの方に振り向くと、
「もしかしたら、ここに何か手掛かりがあるかもしれません。とりあえず中に入って見ましょう」
と言った。
☆
中に入るとそこは僕の家と同様、細部まできちんと再現されていた。
そして、よくよく観察すると、やはり僕の記憶にある一番最後の姿よりも、いくらか年月が経ったあとの光景のように思われた。
その根拠としては、まず置いてある靴の種類が違う。キッチンの家具が少し増えている。リビングの奥にある、サマルのお父さんの釣り具棚、そこに刺さっているロッドとリールに見覚えのないものがある、などの点が真っ先に挙げられた。さらに注意して見てみれば、テーブルクロスの柄も変わった気がするし、ヤカンも綺麗になった気がしたが、そんなところまで、あえて思い出すまでもないだろう。
「こんな記憶を持ってこの世界にアクセスした人物なんて、サマル以外には考えられない」
もしかしたら、ヤン達3人もこの家に遊びに来たことがあるのかもしれないが、ここまで細部をじろじろと観察はするまい。僕は益々確信を深めた。
「でも…見るからに変わったところがない。普通の様子だぞ…? ここの一体、何処にヒントなんか……」
「お、このジャム。まだこの村で作ってるのか! いやぁ、懐かしいなぁ。これは本当にうまいんだ」
僕がきょろきょろと部屋の中をうろついていると、キッチンに置かれていた『スクアータ印のベリージャム』の瓶を片手にバルスは言った。その発見は、なんだか呑気な感じがしなくもないが、バルスにはそのくらいのスタンスでいてもらった方が、僕としても冷静でいられる気がしたので
「ああ、そこは確か娘さんが後を継いで頑張っているみたいですよ。セント・ボートバルの百貨店にも卸しているのを、僕も何度か見かけましたから」
と話を合わせる。
それを聞き、バルスは遠い目をして
「はぁー、そうなのか。このジャム屋も、もう代替わりか。そりゃ、そうだよな…あれからもう随分経つ……俺が死んだのでさえ、とうの昔か」
と言った。
「えっ?」
そこで僕は釣り具棚のロッドを触っていた手を止め、バルスの方へ向き直った。
そうだ。肝心なことを見過ごし、そのままにしてしまっていた。
そもそもバルスは死んだ人なのだ。それが、なぜ今ここにいて僕と喋っているのか?
「や、やっぱりバルスさんは、もう亡くなっているんですか?」
僕がそう聞くと、バルスはしまったという顔をした。そして、もじゃもじゃの髭を触りながら
「まさか、生きているとでも思っていたのか、若僧?」
と逆に聞いてきた。
「はい……いや、どうなのでしょうね。正直わかりません。でも、今ここでこうやっていて、話しているということは、少なくともどんな形であれ生きているものだと思っていました…」
「ハッハッ、どんな形であれか?」
「え、ええ」
僕はそうとしか言いようがないので、そう言った。すると、バルスはニヤッと口角を上げ、
「ま、当たらずとも遠からずかな? 言っただろ? 俺はズルをしてここにいると…」
と言う。それに僕が
「あ、はい。そう仰っていましたね…でも、それはどういう…?」
と、単刀直入に聞こうとすると、バルスはそれを手で制した。そうして
「すまないが、こればっかりはまだ言えねぇんだ。でもな、また後で教えてやる。お前さんが無事にここから出られるようになった、その時にはな」
と言った。
「…そうですか」
僕はその言葉にちょっと拍子抜けしたけれど、バルスが僕のことを何も聞かずに受け入れてくれたように、僕もバルスの事情を聞かず、受け入れようと思った。
それに、よく考えれば、そんなことはどうでもいいことではないか。だから、
「まぁ、別に無理にとは言いませんよ。それを教えることによって、バルスさんが困ってしまうようなら尚更です」
と言った。
そうやって僕達は言い合い、ひとまずこの話題は保留になった。そして、僕は一通り見るべき所は見たと思い、サマルの部屋へと向かう。とその時、まだキッチンの方に残っていたバルスが小声で
「……もしかしたら。それを知って一番困っちまうのは…むしろ、お前さんになるかもしれねぇなぁ……」
と言った気がしたのだが、残念ながら僕にはよく聞き取ることができなかった。
☆
〈WELCOME〉
そう書かれた木の板が吊り下げられている、懐かしいサマルの部屋の扉を開ける。
すると、そこは昔よりすっきりと片付けられていた。
学習机と椅子。そしてベッド。それと本棚くらいしか見当たらない。あれだけあったおもちゃや釣り道具、床に散らばっていた漫画本なども当たり前だが、綺麗になくなっていた。床もピカピカで、生活感がまるで感じられないことから、ここにはしばらく誰もいなかったのだなということが、ありありと表れているように思った。
「随分、殺風景な部屋だなぁ」
追いついてきたバルスが言う。
「まぁ、独り立ちした後の実家の部屋なんて、皆こんなものですよ。さ、それよりもここから、何かヒントになるものを探さないと…」
僕達はそう言うと手分けして、まだあるかもわからないヒントを探すことにした。
僕はまず学習机を調べてみる。バルスは考えた末に、押し入れの中身を改めることにしたようだ。
こんなことをしていると、なんだか泥棒にでもなったような気分がしてくる。それと、この本人の了承を得ないで勝手に探る感じは、まるでショットに強制させられた鞄漁りみたいだ。
だが、しょうがない。
これ以外に方法はないのだ。それに、サマルの部屋なら、もしこの家探し行為がサマルの意図と違っていても、まぁ、大目に見てくれるだろう。そのくらいの友人としての自負はまだ僕の中にもあったのだが、その気持ちの発見にも僕は一人で驚いていた。
「ダメだな。押し入れの中身は、ほとんど服と布団。それと季節の家電があるくらいだ。扇風機とかな」
「うーん……机の中身も特に何もないみたいです。手紙とかノートどころか、鉛筆一本ありませんし、ほんと、綺麗なもんです。殆どのものを捨ててしまったようですね…」
「それか、さすがに机の中身までは記憶になかったかだなぁ」
「はい。それもあるかもしれません」
やがてバルスが僕のところまでやって来て言ったから、僕も机の引き出しを仕舞い、そう応える。
僕の見込み違いだったのだろうか?
僕は少しだけ不安になったが、「いや」とすぐにその疑念を捨て去った。そんなわけはない。こんなものをここに再現して、この世界から去っておいて、ここに何の意味も持たせないはずはないのだ。それはあんな手紙を僕に寄越したサマルの行動の奇妙さからも、推測できることじゃないか。
僕は気を取り直して、本棚と向き合う。
「じゃあ、残すはこの本棚だけですね」
「ああ、そう言うことになるなぁ。でも、見る限りごく普通の単行本の類いしかねぇな……なぁ。もしここがハズレでも気を落とすなよ、若僧? お前さんの話を聞く限りだと、なかなか用意周到な兄ちゃんみたいだからよぉ。ここがフェイクだって可能性もある」
バルスは僕に気を使ってそう言ってくれた。なるほど、確かにその可能性は考えていなかった。しかし、そうなると、益々回りくどい。そこまでするのは、サマルの性分からすると、いよいよ合わない気がした。
「うーん…まぁ、まずはここです。ここをじっくり調べてみましょう。……ん?」
そう言って僕が本に手を伸ばすと、本と本の間に、何か薄い本のようなものが挟まっているのが見えた。僕はそれを怪しいと思い、引き出す。しかし、それは
「お? なんだ。ただの写真入れじゃねぇか」
と、バルスが後ろから覗き込んで言った通り、ただの薄いアルバムだった。
「ええ。アルバムのようですね……」
表紙には何もタイトルは書いていない。でも、僕はこんなものはこの部屋で見たこともなかった。
ちょっと躊躇われたが、おもむろに開いてみる。すると、そこに写っていたのはサマルやヤン、ナーウッド、それにイリエッタ、ケーン、ニコ、そしてリッツなどの姿だった。
「大学時代の写真か……」
僕はその写真達につい、見入ってしまう。どれもこれも楽しそうな写真ばかりだ。背景はおそらく大学のキャンパスや研究室だろう。それ以外の場所の写真はない。まだ皆、若くて初々しいことから、一年生の頃の写真かなと僕は推測した。
「サマルはこんなものを持って帰ってきていたのか……ということは、やはりちょくちょく、村には帰ってきていたんだな…」
僕が写真をまじまじと眺めている間、バルスは本の中に何か挟まっていたり、書き込みがないかを調べてくれている。そして、そんなことをしているとまた、
「おっ。おい、ここにもその薄っぺらい写真入れがあったぞ。ほらっ」
と言って、バルスがアルバムを本と本の間から見つけ、僕に渡してくれた。
「あ。ありがとうございます」
僕は受け取るとすぐ二冊目のアルバムも開いてみる。それもやはり大学時代のものだった。が、今度のは背景が明らかに違っていた。
「これは…遺跡か?」
それは見たこともない場所で、その独特な雰囲気は、何処かの遺跡調査に出かけた時の写真だと思われた。皆の服装も普段着ではなく、厚手の作業服のようなものを着ている。
ページを捲っていると、電車に乗っている時の写真も出てきた。全員で車内でお弁当を食べている写真だ。
「うーん。電車で移動しているということは…大学のある、メルカノン大陸内の遺跡か? それに確かナーウッドは全員が揃って調査に出掛けたのは、社会人になってからは、二回だけだったと言っていたし……それから考えてみても、これはまず間違いなく大学時代の調査なのだろう」
僕はそこまで考え、
「バルスさん。ちょっと見てもらっていいですか?」
とバルスの方にアルバムを差し出し、写真を見てもらうことにした。
「ん? なんだ?」
すると、バルスは写真をじーっと覗き込み、やがて
「こりゃあ、メルカノンの南部の町、シモンの近くにある遺跡だな。初心者にはちょうどいい深さの、危険も少ない遺跡だったと思うぞ」
と教えてくれた。
「そうですか。ありがとうございます」
「いやいや、いいんだがよ。それがどうかしたのか?」
僕が真剣な顔で考えていたようで、バルスが思わずそう聞いてきた。
「いえ。この写真には特に何も…それよりも、こういうアルバムがもっといっぱいあると思うので、それをこの本棚から手分けして探しませんか?」
「あ? ああ、いいけどよ……じゃあ、お前さんは下段辺りを探してくれ。俺はこの辺りを探すから」
そうやって僕達は、本棚を全部ひっくり返すように調べてみた。すると、そこから合計あと6冊の薄いアルバムが出てきた。前の2冊と合わせると全部で8冊になる。
僕はそのアルバムを片っ端から捲り、見てみた。
それは大抵、大学時代の研究室の写真や遺跡調査、旅行などの写真だったが、一冊だけ明らかに社会人になってからのものであろう写真が収められているアルバムがあった。
僕はその一冊に目をつけると食い入るように観察する。バルスも僕の横で興味深げに覗いてくれている。
「お、こりゃ、どこの草原だろうなぁ?」
バルスがそう呟いた写真は、確かに全員が大きな車に乗り込み、どこかの草原を駆けているものだった。時々、動物を写したものも混ざっている。その動物の種類を見る限り、僕は郵便飛行機乗りの経験から、これはたぶん、アストリア大陸の何処かだろうなとわかった。
次々とページを捲る。すると、そこに見事なレリーフや壁画の数々が記録された写真が収まっているページがあった。それを見て、バルスは得心し、
「なるほどな、アスカ遺跡だったか」
と言った。
「え? アスカ遺跡……? そうか、これが…」
僕はその名前を聞いて、思わず声を上げた。しかし、それ以上の感慨はなかなか言葉にはならない。
ニコに教えてもらった場所。そして本来なら、僕とキミで調査しようと思っていた場所。
そうだ、ここに写っているのが、ナーウッドの言っていた社会人になってからの調査旅行なのだ。
僕は写真を眺め、懸命に考えながら、
「バルスさんも、この遺跡に行ったことがあるんですか?」
と聞く。
「ああ。かなり昔…俺がまだスマートだった頃に、一度だけなぁ。ここは狭い通路が多いから、もう俺には入れねぇだろうよ。それに、やたらとトラップが多くてな。散々な目にあったって記憶もある…できれば、もう行きたくない場所さ」
「なるほど……」
僕はバルスの言葉に頷きながらページを往復する。
「ああ。それに、最後まで潜ったところで、どうせ守人がいないとどうしようもねぇからなぁ。ほら、この次のページの写真の扉。これがある限りな」
そう言うとバルスは、ページを開き、一枚の写真を指差した。
それは遠近感でわからないが、おそらく相当大きな石製の扉だった。表面にはレリーフが刻まれているようなのだが、この写真では小さくてよく判読できない。僕はよく目を凝らして見ながら
「この扉……この奥に行くには守人の力が必要なわけですね?」
とナーウッドの話の受け売りだが、言ってみると、バルスはいたく感心してくれた。
「そうだ。さすがにそれは知っているようだな。まぁ、だからここにも内部の写真はないみたいだが…にしても、この兄ちゃん達も、ここまで辿り着いたとなりゃあ、それだけでもなかなかの腕前だ」
「へぇ」
そうか。さすが、サマルと言うべきか。それとも、あのナーウッドの実力が大きいのか? 僕にはこの写真と今まで聞いた情報だけでは判断がつかなかった。
「ところで、この扉…何か彫ってあるみたいなんですが……なんて書いてあるかわかりますかね?」
僕はそのことが気になったので、バルスに聞いて見た。すると、バルスはなんだそんなこと、と言った感じで
「それはな、遺跡のごく基本的な情報をレリーフにデザインし直した…まぁ、古代では一時期定番だった飾り彫りなんだ。昔はよく見かけたらしい。でも、最近では逆にちゃんと残っている例は珍しいらしいがな?」
と丁寧に教えてくれる。
「なるほど……それでその情報って…?」
「なんだなんだ? そんなことも知らないのか? お前さんの知識の偏りには、本当に呆れるな」
「す、すいません」
そうは言いつつも、バルスは僕にきちんとその意味を教えてくれた。
それによると、その記述はキミのような守人が管理する、重要な古代遺跡の名称と、その場所の地図になっているらしい。そして、その中でも僕が引っ掛かったのは『記憶の遺跡』という遺跡の記述で、それは島にあるというものだった。
「島……!? 僕の友人は何処か、僕の知らない島に向かったらしいんです」
「ん? それが、この遺跡のある島だというのか?」
「可能性はあります」
「ふーむ……さて、それはだろうだろうなぁ……」
僕が肯定的に言うと、バルスはそれはないというように言う。「あそこには、絶対に辿り着けるわけない」とも。けど僕は、その言葉だけでは納得がいかなかったから聞いてみる。
「な、なぜそう思われるのですか?」
「いやな。俺もそこに行こうとしたことがあるんだよ。でも、ダメだったのさ。飛行機は大破。海を彷徨った挙句、俺は命からがら、何とか生き延びたんだ…」
「えっ!?」
そんな話は初耳だった。しかし、彼が飛行機を大破させたとなると、それは《アレクサンダー》の時の、一度きりしかないはずだ。
「あ、あの……それって…」
僕がそう聞こうとすると、バルスは僕の手からアルバムをとり、ページを捲りながら、
「すまないが…この話も、これ以上話すかどうかは、ちょっと考えさせてくれ」
と言って、一方的に話を切ってしまった。
でも、僕はその情報は是非教えて貰いたかった。なぜなら、その情報こそ、現実の世界でサマルへと行き着く為の鍵となる情報だと思われたから…
「どうしてですか?」
僕が改めて理由を問うとバルスは
「俺がそれを教えたら、お前さんは絶対にそこを目指すだろう?」
とアルバムに目を落としたまま言う。
「……ええ。絶対に目指すと思います」
「なら、ダメだ。それこそ死にに行くようなもんだ」
「でも、バルスさんは生きて帰ってきたじゃないですか」
「俺とお前さんじゃ、腕が違う。自慢じゃないがな。それくらいはわかる。「何が何でも」と「只の無茶」を混同するな。それよりも、今お前さんが探しているヒントとやらは、これのことじゃないのか?」
そう言うと、バルスはそのページを開き、アルバムを寄越してきた。僕は釈然としない気持ちを引きずったまま、アルバムを受け取る。しかし、一旦そのページに目を落としてみると、また僕の意識は否が応でもそちらの方に集中した。
「あ。これは…」
そこに写っていたのは、山小屋の中で寝袋に包まり、雑魚寝しているサマル達の姿だった。
間違いない、これこそがナーウッドの言っていた7人にとって一番思い出深いという場所だろう。
前のページを見てみると、そこにはそこまでの道のりも写真によって記録されていた。おそらくこの写真を参考にして行けば、この山小屋も発見できるかもしれない。
「その山小屋を目指すんだったろう?」
「はい、そうです。確かに、これは大きな手掛かりになりますね」
僕がそう言うと、バルスは苦笑した。なんとなく後ろめたいような、表情をしている。しかし、言葉を繋いで
「その山小屋には覚えはねぇが…その道のりになら心当たりがある。その兄ちゃん達はおそらく、『生命の遺跡』、通称「ノアの遺跡」を目指したんだろう」
と言う。
「ノア? ってあの救世神ノアのことですか?」
「ああ、そうだ。この村に昔から信仰がある、あのノアよ。しかし、その伝統も今は形だけのものになっているがなぁ」
僕はバルスの遺跡に関する知識にまた驚かされつつも、まだ先ほどからのモヤモヤを抱えていた。
方向性は決まった。
写真からもヒントをたくさん得たと思う。これが、本当にサマルの用意したヒントかはわからないが、とりあえず前進している感じはする。
しかし……
「おい、どうした? それが見つかったとなりゃ、すぐに出発だろう?」
「あ、はい。そうですね」
僕はバルスに言われると、やっと立ち上がり、残りのアルバムを本棚に戻す。そして、その一冊だけを借りていくことにして、目を瞑りイメージしたリュックに、そのアルバムを仕舞った。
そうして、サマルの部屋のドアを出て行く時、バルスが
「絶対に教えねぇとは言ってねぇ」
と言ったから僕は、ハッとし、その目を真っ直ぐに見た。
「まだ早いと言っているだけだ。いずれ、俺はお前に全てを託してやる。でも、それはお前さんがここで、やるべきことをちゃんとやり遂げた後にだ。その方が余計な気持ちが入らなくていい。たぶん、かなり時間も掛かるだろうしな」
バルスはそう言った。
でも、僕には、その言葉の意味もまだよく理解できなかった。けど、それでもその言葉に不思議な温かみがあるのは十分に感じたから、それだけでいいという気になれた。
それに、やはりバルスにも色々と事情があるのだ。だから、僕は
「はい、ありがとうございます。その時は、どうぞよろしくお願いします」
と応えた。
僕のその表情に、バルスは笑い、僕も笑った。
「お前さんは、考え出すとすぐに表情に出る。笑いがなくなる。それは悪い癖だな」
「すいません。そんなつもりはないんですがね…」
「ハッハッハ、なら、尚更質が悪い」
そんなことを、言いながら僕達はサマルの家を後にする。
そして、十数歩進んだ所でちょっと振り返ってみると、
「あ」
そこにはもう見覚えのない家が建っていて、サマルの家は跡形もなく、消えてしまっていた。