表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
79/136

こぼれ話 置いてけぼりのレッドベル

それは、サウストリア第一飛行場の格納庫の片隅にスクッと佇んでいた。


かれこれ一週間以上だ。


補給と点検の作業はとうに終わっていた。

ボディもタイヤも、ついでにピカピカに磨いてある。プロペラ周りの油だって、新しいものをさしておいたあった。


だから、あとは持ち主が引き取りに来るのを待つばかりなのだが……


その人物は現れなかった。


いや、正確に言えば引き取りに来ることさえできなくなってしまったのだから、現れなかったというのとは少々違うが、とにかく、その機体は、持ち主不在のまま、まだそこにあった。


帝国製旧代飛行機 Ah-442《クラフト》、そのカスタム機。

ラシェット・クロードの愛機である。


名前はレッドベルと言ったが、そんなことはここの整備士や係員は知るわけもない。ましてや、ただでさえイカツイ戦闘機なのに、それを郵便飛行機用に使い、トランクや予備の燃料タンクを付け、さらにはボディ全体を暗めとはいえ、目立つ赤色で塗装しているわけなど、誰も知るよしもなかった。


そんな個性的ともいえる機体の前で、サウストリアの空港職員が何やら二人で話し込んでいた。

もちろん、レッドベルのことをである。


「今日で4日か? 普通ならまだ通達は来ないんだがな」

一人が整備台帳を捲りながら言う。

それにもう一人が同調し、レッドベルを見る。


「そうだなぁ……なかなか良い機体なのに、勿体無い…」


と。その男は本当に寂しそうな感じの顔をした。

それに、台帳を持った方が、


「ああ…でも仕方ない。ただの料金延滞なら、このままひと月は待ってやれなくもないが……犯罪者の機体となればな。なかなかそうもいかないさ」


と言う。


「まぁな…しかも、捕まったとなれば、もうこの機体を引き取りに来ることもないだろうし……スクラップにしろという、国の命令も当然といえば当然かぁ」


二人はそう言って頷き合うものの

「飛行機をスクラップ送りにする」

という初めてのケースに、なんだか浮かない顔をしていた。


それはそうだ。二人は心底、飛行機が好きでここに勤めているのだ。どんな罪かは知らないが、いくら持ち主が犯罪者だからと言って、飛行機に罪は無い。


なのに、簡単にスクラップとは……


「やっぱり、上の人間に飛行機好きの方なんて、いねぇのさ」


黙っていると、やがて台帳を持った方の男が呟いた。

そして、その台帳にささっとサインをすると、もう一人の男に手渡し、自分は機体の側へと寄って行く。


男が手渡された台帳を見ると、スクラップを許可するとの旨の欄にサインがしてあった。

そして、その横にはもう一つのサイン欄が。


ダブルサインで許可が降りる仕組みなのだ。だから、今、手渡された方の男がその空欄にサインすると、この赤色の機体はきっと、今夜中にでもスクラップ工場に運ばれ、鉄屑になってしまうのである。


「うむ………」


男は迷った。

上からの命令なのだ。本当は何も迷うことはないし、迷うことさえ許されていないのだろうが、それでも彼は躊躇した。

それは命令うんぬんというよりも、きっと自分の心の問題だった。


勤め人なのだから、命令より大事なものがあるとは、胸を張っては言えないし、言うつもりもないが、やはり大事な一線というものは存在した。


そして、今回のことは男のその心構えに、微妙に触れる。

そんな気がしてならなかったのだ。


格納庫内は風もなく、むんむんと蒸し暑かった。男の額からは汗が吹き出し、ポタっとその台帳の上に垂れた。


なおも男が迷っていると、もう一人の方が

「サインできねぇかい?」

と聞いてきた。

それに、男は咄嗟に首を振り、

「い、いや、そういうわけじゃないんだ。そういうわけじゃ……」

と応える。

しかし、それ以上の言葉は出て来なかった。

すると、


「いや、いいさ。無理にとは言えねぇよ。誰か別のやつに頼むさ」


ともう一人が男の肩を叩いた。

ぽんっと。

とても優しい叩き方だった。

その途端、男はなんだか申し訳なくなってきた。


こいつだって、我慢してサインしたのに。


そしていずれは誰かがサインすることになるのに……まるで自分だけ手を汚したくないみたいじゃないか、と。


これではやっぱりダメなのだ。根本的な解決にはならない。

迷うだけなら誰にだってできるのだ。なら、いっそ……


「あ、あの……やっぱり…」


そう男が思い、サインをするよと、呼び止めようとした、その時


「おーい! その機体、ちょっと待ったー!」


と叫びながら、格納庫の扉から別の同僚が入ってきた。

その声に二人は驚いて振り向く。


同僚はかなり急いで来たのか、顔は汗だくで、息を切らしていた。

手には一枚の紙を持っている。


「えっ? ど、どうしたんだ突然」


その予期せぬ登場に二人は走ってくる同僚を凝視した。

言葉の意味がよくわからなかったからだ。

この機体が何だって? 待てと言ったか?


「はぁ、はぁ……、もうサインしちまったか?」


二人の前まで来ると同僚の男はそう言った。それに、

「いや、まだだ。今からだけど?」

と二人は答える。

すると、男はニヤリと笑い、その手に持っていた紙を二人の前に広げながら、


「ならよかった……その機体はな、サウストリア機械工学研究室のエンジン技師、ニコ・エリオット氏が実験機として貰い受けることになった! ちょうど、クラフトタイプを探していたらしい。今から研究室のガレージまで運べとのことだ」


と言った。

そのこれまた予期していなかった通達に二人は、もはや驚くしかなかった。


「ええっ!? ニコ・エリオット博士と言えば、あの盲目の天才エンジン技師じゃないか!」

「そ、そんな方がこの機体を?」


「ああ。是非欲しいってさ」


その同僚の言葉に嘘はなさそうだった。こんな嘘をついても仕方がないからだ。嘘で命令は覆らない。しかし、だとすると…

「で、でも、上からはスクラップにせよと、お達しが……」

二人がそう言うと、男はニヤリと笑い、


「こと飛行機に関しては、博士は特権を持っているんだとさ。それに、より良い実験のために研究費もたくさんもらっている。スクラップ候補を裏から買い取るなんて簡単てことだ」


と言った。

その発言にも二人は唖然とする。そんな方法もあったのかと。

しかし、これ以上何も聞くことはなかった。

なぜなら、これでこの飛行機は助かるからだ。


その後、二人がスクラップにせよと書いてある命令書を破り捨て、ニコ・エリオットの元に機体を引き渡す旨を記載してある命令書に「許可」のサインをしたのは言うまでもないことである。



ーー「来ましたね……」


綺麗に透き通ったブラウンの瞳には、その光景など何も見えてなどいなかったが、側から見ればまるで見えているように感じるほど、そこには強い、意思の光が輝いていた。


ニコの見つめる先にはガレージ運び込まれるレッドベルの姿がある。


その油の臭いと空気の流れだけで、ニコは多くのこと知ることができた。そして、今目の前に運ばれてきた初対面の機体からは、なぜかその持ち主であるラシェットの気配がどことなく感じられる。


「よく手入れされてる……大破したと聞いたけど、大事に乗っていたのがわかる……」


ニコはそのことで、また一段と決意を新たにする。


もう、何もしないのは止めにしようと。


勇気を持って一歩前に踏み出そうと。


そして、今度こそラシェットのために何か力になろうと。


「オーケーです。ここの位置に運び入れてください。向きは90度回転。それと、いくつか機材を持ってきて欲しいのですが……」


ニコはテキパキと指示を出す。

慣れた職場でのことだったが、思わず手が震えた。

それが、軍の命令を覆してまで取った行動への恐怖のためか、それとも初めて自分の意思で戦おうとしていることへの嬉しさのためなのかは、正直、気持ちが混じり合ってしまって判別できなかったが、この時、確かにニコは自分のためではなく、他人のために勇気を振り絞ろうとしていた。


「見ててください、ラシェットさん。僕にはこんなことくらいしかできませんけど、必ずこの機体の性能を最大限まで引き出して見せます! なんとなくですが、きっとあなたには、またこの機体が必要になる時が来ると思うんです。だから、それまでは僕が守ります。ですから、どうか無事でいてください……」


ニコは飛行機を見つめ、そう願った。


そして、早速まずは図面を起こすことから始める。ニコは手探りでレッドベルの形状を把握しながら、この機体に一番適切なエンジン出力のことを考えていた。


いつも通りに。そして、いつも以上に充実した気持ちになって。



第3章につづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ