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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
62/136

アスカ遺跡 4

ミニスは職業柄とはいえ、こんなダークスーツにサングラスという、よく趣味のわからない格好をしているからわかりにくいのだが、かなりの綺麗好きで、というか少し潔癖なところがある。

だから、そんな人がこんな古い遺跡の地下道を通るとなるとかなり萎縮してしまいそうだが、意外にもそうはならなかった。この遺跡は案外清潔だったのだ。なので、ミニスはへっちゃらだった。そして、キミも。


この薄暗い中で、なぜそうわかるのかというと、二人は先ほどからずっとナーウッドの後について歩いているのだが、まず、変な臭いがしない。黴臭くもなくホコリ臭くもないのだ。それに、通り過ぎていく壁に蜘蛛の巣もなければ、床にネズミやコウモリの糞も落ちていない。

気になるとすれば自分達が歩く度に舞い上がる砂埃くらいだが、それくらいは全然構わなかった。潔癖といっても極端ではないのである。


ミニスはそんな遺跡の様子を不思議に思い、どうしてなのか聞いてみるとナーウッドは


「ああ、それは、以前サマル達とここに潜った時に、あらかた掃除してしまったからだな。まぁ、もともとここは、そんなに荒れていない遺跡だったんだが、仲間に綺麗好きな奴が二人いてな。荒れてなくても、一応、次に来る時のために掃除しておこうって言って、調査もそっちのけで掃除ばっかりしていたんだ。ったく、どこに行ってもその調子で……そうだよな、お陰で風情ってものがないよな。すまん」


と言う。なんと綺麗なことを逆に謝られてしまった。

だからミニスは


「いや、別に私は遺跡らしい遺跡が見たいってわけじゃあ……」


と言ったのだが、ナーウッドの方は

「はは、遠慮はならない。それに、心配しなくても掃除が済んでいるのはこの先までだ。そこから先は希望通りの、冒険心くすぐる、とっておきの景色が拝めるぜ。楽しみにしてな」

と、まるで人の話など聞いていない。それを聞いてミニスは

「なんだか、こういうところってタミラと似ているわね」

と呆れ、またそれと同時に綺麗なのはここまでなのか……と、少し落胆した。


そのせいもあってか、その後、ミニスはただ無言で歩いた。


小さなランタンの火に三人の影が揺れる。

今、どのくらい来ただろうか? なんだかすごく長い間歩いたようだけれど、実際にはきっと30分くらいしか歩いていないのだろう。時計を見て確かめても良かったが、そんな暇も与えてくれないくらい、ナーウッドは早足でこそないが、その大きな歩幅でずんずんと歩き続けている。たぶん、道がわかっているからこんな速いペースで歩けるのだ。それと、このくらいのペースでないと、短時間では往復できないのかもしれない。そう思うから、特にこのペースに関してはミニスもキミと文句は言わなかった。


黙々と歩く三人の静かな足音だけが響いているこの暗く細い通路は、本当にどこまで続くのかというくらい、時々曲がりくねりながら続いている。

階段というものはなかった。感覚を研ぎ澄ませると、道は若干だがスロープ状に下っていっているのがわかった。だから、一行は徐々にではあるが、下へ下へと向かっているのである。だから、着実に進んでいるという実感はあったのだが、罠も分かれ道もないし、ナーウッドの案内もあるから、だんだんとキミは退屈してきてしまった。

すると、当たり前だが、自然とまたおしゃべりの流れになる。今度はキミが口を開いた。


「ねぇ、ナーウッドさん。ナーウッドさんは、あの上にあった天井のレリーフ、どういうものかわかる?前に来た時に調べたりした?」


キミはとりあえず、気になっていたことを聞いた。

キミは『石の部屋』などの遺跡については多少の見識はあったが、古代文字や古代文明についてはさっぱりだった。だから、退屈しのぎと勉強も兼ねて聞いてみたのだ。そして、この話題には熱心にレリーフを見ていたミニスも興味があるらしく、

「あ、それ、私も気になるわ」

と言う。

すると、ナーウッドは

「あ?ああ、あれのことか……うーん……」

とちゃんと前を向きながら真剣に考え始めた。そして、ちょっと悩んだ後に


「俺も詳しくはわからないが、あれは宗教画さ」


と言った。


「宗教画?」

二人は声を合わせて言う。その声は前後に続く長い通路にこだました。

「ああ。そうさ」

それにこともなげに頷くナーウッド。しかし、ミニスは少し疑問に思い、


「でも、私の知る限りでは『イドリース聖教』に、あんな場面や動物戯画は出てこなかったはずよ?」


と聞いた。するとナーウッドは

「イドリース聖教ねぇ……」

と呟く。そして、その声にはどこか不満そうな響きが混じっていた。

「ミニスさん、あんたは生まれも育ちもボートバルかい?それでイドリース教徒」

「え? ええ。そうだけど」

ナーウッドの唐突な質問にミニスはそう言って答えた。それにナーウッドは相槌を打ち、質問を重ねる。


「うん。じゃあ、なんでアストリア王国発祥のイドリース聖教を信じているんだ?ボートライル大陸には大昔から土着のベルド山脈信仰と、それを元に成立した『ノア信仰』があるはずだろ?」

と。


「ノア信仰? なによそれ? 聞いたこともないわ」

そのナーウッドの言葉にミニスは首を傾げた。なぜなら、本当にそんなものは聞いたこともなかったからだ。


しかし、それも無理なない。ミニスは生まれてこのかた、両親や学校から、ずっとイドリース聖教の教育を受けてきていたのだ。そして、それは珍しいことでもなんでもなくて、今も、また遥か昔も、そうやって世界中のほとんどの国と地域でイドリース聖教は教えられ、取り入れられてきたのだから。なので、イドリース聖教は世界宗教と言っても過言ではなかった。その他の宗教を信仰し、独自の価値観と言語を持っている国、地域などは、世界のほんの一部にしかないほどだ。


「ふむ、そうか。まぁ、最近ではノア信仰もベルド山脈付近の村々でしか伝えられていないと言うしな……。で、キミさん、あんたはどこ出身だ?」


「グランスール砂漠の集落よ。生まれも育ちもね。だから、私は水神ルーシンと太陽神アテンを信仰する『グランスール神話』の方も馴染みがあるわ。でも、もちろん基本的にはイドリース教徒よ。砂漠ではそういう人がほとんどなんじゃないかしら?」


「ふむ、なるほどね」

キミのその答えに納得したような素振りを見せたナーウッドはまたミニスの方を見て


「ちなみに俺の出身地はここから遥か彼方にある、ナン大陸のカステポーだ。そして、そこでも国民の大多数はイドリース教徒であり、カステポー土着の宗教である『ロゴス信仰』に触れて生きている人なんて、ほとんどいない。そう言う俺もだ。このようにここにいる三人だけを見ても、皆出身地はバラバラなのに、宗教環境も、そしてそれに伴う言語環境も一緒ときてる。これは不自然なことじゃないかって思ったことはないか?」


と聞いた。しかし、それについてミニスは

「うーん、わからないわ。だって、それって普通のことじゃないの?」

と言う。その言葉にもナーウッドは納得したようにうむ、と頷き続けて


「今となってはな。だが、それもあくまでここ5、600年の話だ。それよりもずっと前、いや、1200年くらい前までかな、その頃はまだ、この世界にももっと多くの言語と宗教があったんだ。もちろん当初から小さい単位のものもあったが、カステポーのロゴス信仰なんてのは、まだまだ根強く残っていたらしい。しかし、それもある時期を堺に衰退の一途を辿った。何が原因かははっきりとしていないがな……」


とミニスに語った。それに対してミニスは

「そう……なのね。全然知らなかったけど……」

という言葉しか持ち合わせていなかった。


ミニスにはそのことの持つ意味や重要性というものが、いまいちピンときていなかったのだ。そして、それも普通のことだと思われた。


だからミニスは話を元に戻して

「えーっと、それじゃあ、あのレリーフも別の宗教のものなのね」

となんとかわかったことを聞いた。

すると、その質問にはナーウッドもニヤッと笑い


「ああ、そうだ。まぁ、もっともあのレリーフに関しては、時代的にもまだ宗教になる以前の、プリミティブな自然や動物に対する素直な信仰と考えた方がいいかもしれないな。だからあそこにはこの草原に住む動物と人間が描かれているんだろう。そして、そういった信仰の中からやがて大きな教義を持った宗教が生まれてくる。そんな信仰をなぜか人類は奥底に持っているんだ。それが土着の宗教というやつさ」

と、また力強く語る。


その瞳はほんの少しだが、好奇心に爛々と輝いているように見えた。

きっとこういう話をするのが好きなのだろう。無口そうな男によくあるパターンで、好きなことの話になると、途端に饒舌になるタイプだ。そして、そういうタイプの男は意外と寂しがりやで人懐っこいことが多い。ナーウッドもそうなのだろうなとミニスは思った。


「ふーん、そうなの。それはあのレリーフの文字にも書かれているの?」


ナーウッドの言葉に反応したのはキミだった。でも、ナーウッドはその質問には首を横に振り

「いや、俺はあそこに書かれている文字の半分も読めないからな。正確にはわからないんだ。読めるところもあるが、大体は狩りの方法だとか、星の出る方角だとか、動物への感謝の気持ちだとか、日常的なことしか記載されていない。まぁ、そういう生活に根ざした心の動きをプリミティブというと思うんだが……」

と言うからキミは


「えー。なーんだ、ナーウッドさんも文字はあんまり読めないのね」


と思わず言ってしまったのだが、ナーウッドはその見解には不服らしく

「あのなぁ。自分で言うのもなんだが、俺は世界的に見ても古代文字に関してはプロフェッショナルだぞ。キミさん、あんたは古代文字の複雑さを知らないから、そう言うことが言えるんだ……って、おっと」

と、勢いよく否定していたのだが、そこで初めて分かれ道に出くわした。しかし、ナーウッドは道を知っているので、迷わずに

「こっちだ」

と言って、左の道を選択する。


話は途中になってしまったが、ナーウッドは言いたいことは言ったらしく、ふーっとため息をついた。たぶん、これ以上言うとまた「言い訳?」と指摘されると思ったのだろう。だから、またキミが話を続けて


「わかったわ。ナーウッドさんがそう言うなら、きっとそうなのね。でも、古代文字の何がそんなに複雑なの?みんな、どこの遺跡の文字も同じ古代アストリア文字なんでしょ?」


と聞いてみた。

するとナーウッドはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに


「いや、一口に古代アストリア文字と言っても、地方によってだいぶ差があるんだ。それはその前に使われていた言語や文字が地方によって異なるからなんだが、その影響は昔になればなるほど色濃く出ている。そして、それらはやがて時代が下るにつれて、だんだんと一つの言語としての統一性を獲得してというか、強制されていったんだが、それもある時期に分断された。それは今俺達が使っているアストリア文字が成立し、広められたからで、それによって個性色豊かだった言語世界もほとんど失われた」


とまた熱弁した。

それを聞いて二人はふむふむと頷く。よくわからないが、わからないなりにわかろうとはしているのだ。

「その話なら少し聞いたことがあるわ。軍学校でだったかしら?」

「うん。そう言えば、私もお母さんから聞いたことがある気がする」


「そうか。確かにボートバルは言語学を中等学校から教えているほど、熱心な国だからな。それに、キミさんも守人の家系なら耳にしたことがあるのかもしれない。しかし、そんなことすら詳しく知っている人は、世界でもほんの一握りしかいない。なぜなら、つい最近まで古代史の研究というのは世界的にタブーとされてきたからだ。だから、圧倒的にその資料や基礎研究論文の数が少なく、文字の解読をより困難にしている。そして、そのタブーだという根拠に、長年なってきたのが、600年程前まで存在した「古代研究禁止令」というアストリア王国発布の法律なんだ」


そうナーウッドが前方を鋭く睨みながら言うと、ミニスはえっと驚く。


「そんな法律があったの?」

と。それにナーウッドは歩きながら頷き、


「ああ。でも今はない。かの誉高き、現代のアストリア王国の基礎を作ったと言われる名君、ジョナスター・サン・アストリア三世の治世の時に廃止になったからな」

と言う。ミニスもその名前はもちろん知っていた。


「ジョナスター三世といえば、あのアストリア王国を民主主義にした、あの人?」

それでもミニスが一応確認のために聞くとナーウッドは、ああと肯定する。そして、


「本当に偉い人だよ、ジョナスターさんってのは。あの人の登場した以後の世界とそれ以前の世界では、まるで違う世界なんじゃないかと思えるほどにな」


と一人呟いた。

ナーウッドその小さい声はまた通路にこだまし、そのために少しの間、沈黙が訪れた。


その呟きに、キミは心の中でへぇーと思う。キミは遥か古代の歴史についてはなんとなく遺跡の記憶から親しんでいたが、そういった中世の歴史はまるで知らなかったから、本当に感心していた。

そして、そう思っていると、前方にまた分かれ道が見えた。だからキミは

「あっ、また」

と指を差して言う。


今度は道は三方向に分かれていた。右斜めに進む道と左斜め前に進む道、そして左斜め後ろに進む道だ。

「どれだか、わかる?」

立ち止まって考えるナーウッド。

その様子に不安になってミニスが聞くとナーウッドは


「ん?あ、ああ、すまんすまん。ちょっと考え事をしてたんだ。大丈夫こっちだ」


と、聞かれると迷わずに左斜め後ろに続く道を選んだ。

そのことにほっとしたミニスだったが、実は内心、ナーウッドの言っていた「とっておきの景色」とやらが、一体いつ現れるのだろうかと分かれ道の度に気が気じゃなかった。だから、ナーウッドの言う考え事とやらにも、先に興味を持ったのはキミだった。でも、気になっていたこともあったので


「ねぇ、さっき「古代研究禁止令」って言ってたけど、それってアストリアの法律なんでしょ?だったら、アストリア以外の国では効力を持たなかったはずじゃない?」


と、案外的外れではないはずと思い、聞いてみた。

これには周りの代わり映えのしない景色をキョロキョロと見ていたミニスも

「確かに。そう言われてみればそうね」

と、同意する。ただ、ナーウッドの方は

「そこも、ジョナスターさんの偉いところさ」

と言う。


「その当時はな、およそ1000年に及ぶアストリア王国の大統治時代だったんだ。アストリアは、ほとんど世界中を領地として治めていた。今で言うボートライル大陸も、グランダン大陸も、サンプトリアも、メルカノンも、ナンも全部な。だからアストリアの法律は即ち世界の法律だったんだ。でも、そんな大統治時代もジョナスター三世の代で終わらせた。つまり、今までせっせと拡大してきた、全ての領地を開放し、法律も自国を対象とするもののみを残し、他はほとんど廃止にしてしまったのさ。これは並大抵のことじゃない。もちろん弊害もあって、世界中大混乱さ。でも、それでもよかったんだ。そのお陰で今の世界がある。この、多少の平等と、僅かばかりの自由がある、今の世界がな。昔はこんなものすらなかったらしい。だから、やっぱり感謝はしないとな。それまでのアストリアの行いはとりあえず置いておいて」


「それまでの行い?」

二人はとりあえず、なぜアストリアの法律が強い拘束力を持っていたかはわかったが、最後の言葉が引っ掛かった。それに、ナーウッドは立ち止まり、振り返る。


「ああ。今までの話で何か察しないか?イドリース聖教についてもそうだし、古代アストリア語と現代のアストリア語についてもそう」


「あっ!」


そう言われて、二人はようやく気がついて、その場に立ち止まった。


こんな深い闇の中で、歴史の講義でもないが、やっとナーウッドの言わんとしていたことがわかったのである。


「アストリアは土地と人の統治だけじゃなくて、宗教も言語も統治、管理しようとしていたのね?それで、今のほぼ統一された世界言語と統一された世界宗教がある。そういうこと?」


ミニスは言った。

その答えにナーウッドはニヤっと笑う。どうやら正解らしい。

でも、ナーウッドは補足するように

「そうさ。でも、言語や宗教ってものは、そうやすやすと変えられるものじゃない。それは人間の生活や文化、人格の形勢にも大きな影響を及ぼしているものであり、個人にもまた集団にも深く根ざしているものなのだからな。それをちょっと教えたくらいでは、誰も土着の宗教を捨てはしない。だから、もっと大きな、確実なショックと断絶が必要だったんだ。それをアストリアはおそらく……世界中で実行した」

となおも語る。

その言葉にミニスは鳥肌が立つようだった。


「実行ってまさか……戦争を?」


「たぶんな。でも証拠はない。文献も残っていない。本当はさらに時代を遡って研究してみたら、もっと恐ろしい所業も浮き彫りになるのかもしれないが、そもそも研究自体が許されて来なかった。もちろん、過去には隠れて文献を集め、口伝を聞き取り整理し、遺跡に忍び込んで模写を取ったりして、過去の研究をした人達もいたようだが、その人達も最後には全員捕まってしまい見せしめに派手に殺されたそうだ。その人達の残した文献は膨大なものだったらしいが、それは全部燃やされたとも、誰かに持ち去られたとも言われていて、現在まで所在が確認されていない。きっと、もうこの世にはないのだろう。そして、無謀にもそんな歴史を探ろうとしていたのがサマルとリッツのバカと、そして俺だった」


「えっ?」


二人は声を上げた。

サマルとリッツが歴史を調べていたのだろうとは、ニコから聞いていたが、それにナーウッドも加わっていたとは知らなかったからだ。

「でも、ニコさんはその研究はサマルさんとリッツ王子の二人が主にしていたって……」

ミニスはまた確認のため聞いた。すると、ナーウッドは苦笑しながら

「ふふっ、俺は現場担当だったのさ……」

と言う。

「現場?」

「ああ。アストリアのもっと北にある遺跡さ。そこに珍しいものがあったんだ。それで、その研究をはじめたんだがな……今思えばやめておけばよかった。あの時、俺達は何も知らずに、ただ舞い上がっていたんだ……」

「やめておけばよかった?」


ミニスはそう聞いた。しかし、それ以上ナーウッドからの返事はなかった。

そして、ナーウッドは無言のまま、また前へと歩きだす。そんな様子にミニスはキミの方を見てみたが、キミはキミで何か思うところがあるのか、ミニスの目を見て微笑すると、ナーウッドの後ろについていってしまった。

それをやはり黙って見送るミニス。


「ふーっ、まぁ、いっか。まだまだ時間はありそうだものね……」


でも、その二人の暗闇に浮かび上がる後ろ姿を見て、ミニスはそう思った。そして、二人を見失わないうちに後を追う。

気分はどんどん落ち着かないものになっていったが、悪い気はしなかった。それは今まで自分が思っていた常識のメッキがだんだんと剥がれていっているような気持ちだったが


「別にそれを知ったところで何が変わるわけでもない」


と、目の前にあるナーウッドとキミの背中が語っているように、ミニスには見えたからかもしれなかった。



その後は打って変わってキミとミニスが取り留めのない話をし、それにナーウッドが苦笑するということが多かった。


しかし、その一方で道はどんどん狭くなり、ナーウッドも腰を屈めないと通れないくらいに天井も低くなってきていた。床や壁の石も下に行くにつれ古くなり、臭いも少し水っぽい臭いがしてきた。そうすると、ナーウッドの言っていた通り、だんだん遺跡らしい景色になってきて蜘蛛やネズミやコウモリの気配や痕跡が目立ち始める。

ミニスはそれに戦々恐々としながら進んだが、通路の真ん中に大きな蛇の抜け殻を発見した時には思わず大声で「きゃっ!」と叫んでしまった。それをナーウッドに笑われると、ミニスはなぜだか無性に腹がたった。今に見てろと思う。しかし、そう思うということはより打ち解けてきた証拠なのかもしれない。


ナーウッドの歩みが少し慎重になったから、時計を見る余裕ができた。見ると、時刻は午後8時49分。本当に長いこと歩いてきたものだ。それでもまだたどり着かないとは、余程この遺跡が深いのか、それとも余程この通路が迂回しているのかどちらかだ。


「もういい加減、ちょっと休憩したいわね……」


ミニスがそう思っていると、その願いが通じたのかナーウッドが足を止めた。

しかし、どうやら足を止めたのは休憩のためではないらしいのはすぐにわかった。


なぜなら、前方には壁が見えたからである。つまり行き止まりだ。


それを見てミニスは

「ええー。ここまで来て行き止まり?道を間違えたの?」

と思ったが、さすがに口にするのは憚られた。しかし、キミはさすがで

「ええー。行き止まりじゃない!何やってるのよ、もうー」

とすぐさまナーウッドに文句を言う。それを見てミニスは、ほんと、若さって素晴らしいわねと思う。

でも、ナーウッドは特に気にした様子もなく、むしろ平然として


「まぁ、そう慌てるな。ここを行き止まりと思うようじゃ、素人だ。ちょっと、そこに立って待ってな」


と二人を行き止まりの通路の真ん中に促す。

そして、自分は左側の壁の石を何やら探り始めた。いったい何をしているのだろうか? そう訝しむキミとミニスだったが、やがてナーウッドが「あった、これだ」と言うので、なんだか嫌な予感がした。


「よし、じゃあお二人さん、俺がいち、にの、さんって言ったら、身構えてな。今から落ちるから。行くぞ」


ナーウッドは突然そう言うといち、にの、ともう言い始めた。


「えっ!?あっ、ちょっと、落ちるって、ちょっと待った…」


そう言うミニスの抵抗も虚しく、ナーウッドは


「さんっ!」


と言い、石をぐいっと壁に押し込んだ。すると、キミとミニスの足元の石がスッと消えてなくなり、二人はそこから勢いよく落下した。その後を追うようにすぐさまナーウッドも出現した穴に飛び込む。三人からは見えなかったが、その穴はナーウッドが飛び込んだ直後にまたスッと何事もなかったかのように、石に塞がれていた。


「キャーーーーッ!!ちょっと、なによこれー!!」

「はははは、なにこれー。なんだか楽しいー!ははは」


ミニスとキミはそれぞれ違った感想を持ちながら、その長い石のスライダーを滑っていた。

角度は正直、かなり急だった。それに肝心のランタンを持ったナーウッドが前にいなかったから、視界はゼロ。完全な暗闇だ。その、先に何があるかわからない恐怖といったらなかったが、ミニスのすぐ前を滑っているはずのキミは「わーい」と物凄くのんきにはしゃいでいる。が、ミニスにはそんな余裕はなかった。

ミニスは常に、もう癖のように周りの状況確認というものをする。そして、そうしないと安心できないというか、落ち着かないのだが、この状況は全くそれを許さない。本当に可笑しいくらいに真っ暗で、スピードに乗ってしまっているのである。だからキミは笑っているのだが、ミニスはそこまでは楽観的になれなかった。心の中では「早く終われ、早く終わってー!」と思っているほどだ。

と、そこへ


「ははは、やっほーい!楽しんでるね、お二人さん」


とやたらテンションの高いナーウッドが追いついてきた。

「はぁ?」

ミニスは、こうなることを知っていながら、わざと教えずに落としたナーウッドのそのテンションにイラッとしたが、ランタンを持って追いついてきてくれたので、それ以上は飲み込み、怒らないでやることにする。


「ちょっと、これいつまで続くのよ!?それに、こんなところを通って、帰りはどうするわけ?本当に帰れるの?」

「大丈夫、大丈夫。帰りは別の道を通るんだ。お、それよりも前を見ろ!もう着くぞ!」

「え?」


そうして、ミニス達はズサーァァと底に到着した。

「ゴホッゴホッ」

と皆咳をする。凄い埃なのだ。そして、立ち上がるとお尻についた砂も叩いた。しかし、それで綺麗になったとは到底思えないほど、お尻はジンジンしている。


ミニスがそんなことをしているとナーウッドがランタンを掲げた。

すると、そこで初めて気がついたのだが、そこはとても広い空間だった。

特に今までずっと狭い通路を通ってきたので、余計にそう感じるのかもしれないが、それでもこんな地下に、こんな広々とした空間があるなんて、素直に驚きだった。


ミニスが天井を仰ぎ、キミが辺りを見回していると、ナーウッドが


「よし、今日は時間も時間だからここで休憩していこう。まずは腹ごしらえと睡眠だ。そして、夜明けの時刻にまた出発だ。いいな?」


と宣言した。

それに対して二人はもちろん、文句があるはずがなかった。でも、

「腹ごしらえって言ったって、私達、今日は遺跡に潜るとは思わなかったからほとんど何も持ってきてないわよ?ねぇ、キミちゃん?」

「うん。持ってきてないわ」

と二人は言う。

「そうか? どれどれ、見せてみな」

そう言われると、二人は言われるがままに、それぞれも持っている食べ物を出してみる。


キミは缶に入った氷砂糖(これはラシェットからもらった乾パンに入っていたのを氷砂糖だけより分けておいたものだ)と、水筒に水のみ。ミニスは昨日の残りのチョコレートと同じく水筒に水だけだった。


もう、ほとんど遠足に行くようなものだ。

しかし、ナーウッドは思いの外感心して、

「うん、お二人さん、なかなか高カロリーでいいチョイスだ。これなら一週間は保つだろう」

などと言う。

でも、二人からすればこれでどうやって一週間生きろというのか、わけがわからなかった。だからキミは


「ナーウッドさんはどんなものを持ってきたの?」


と聞く。するとナーウッドは俺か? と言い、

「俺はこれさ」

と小さなガスバーナーと小さな鍋をリュックから取り出した。

「俺は食料は基本、現地調達主義なんだ。だからこれだけで十分だ」

ナーウッドは腕を組みながら言う。それにキミは

「現地調達って、ここで何が獲れるっていうの?」

と聞く。しかし


「あ? ああ、それは色々獲れるが、一番多いのはネズミ、蜘蛛、蛇の類だな。それらの動物は大体、どの遺跡にもいるからないつも世話になってる」


とナーウッドは言うから聞かなきゃよかったなと思う。二人はそそくさと自分の食べ物を仕舞い始めた。

「ん?いったい、どうしたんだ?」

その様子が不思議なナーウッド。しかし、二人は今度ばかりは譲れず、


「何が食料よ!!そんなもの、私は絶対に食べないからね!!」

「私も!!」


と叫ぶ。その余りの剣幕にナーウッドは困ったが、なんとかその食料の重要性を説こうと


「いや、最初はそう思うかもしれないが、どれも案外うまいんだぞ?ネズミは都会のネズミと違って臭みがなくて、丸々太ってるやつは特に美味だし、蜘蛛だってカリッと焼けばエビみたいな味だ。ヘビはもうほとんど鳥のササミ……」

と言うのだが、その言葉も二人の

「もういいっ!!」

という抗議に遮られてしまった。

ナーウッドは呆れてしまった。


「まったく……あんたらな。そうやって食べられる生き物がいるだけ有難いんだぞ。はぁ、仕方がない……」

すると、ナーウッドはおもむろに立ち上がり、

「今日のところは非常食の、この干し肉と高カロリービスケットでも食べておくか…」

と言う。


そして、リュックから大きい干し肉の塊と、ビスケットの袋を取り出すと、ミニスとキミは、

「えっ……」

と、唖然とした後、また声を揃えて

「それでいいじゃん!!」

と言いながらその非常食とやらを指差した。


「あるんじゃない、ちゃんとした食べ物が!だったら最初っから、それを出しなさいよ!」

ミニスが猛抗議する。それにナーウッドは

「は?いやいや、これはな、あくまでも非常食……」

と言うのだが、キミがすかさず


「私、ビスケットー!!」


と言い、それにミニスも

「あっ!ズルいっ!じゃあ、私は干し肉ー!」

と手を挙げて反応したものだから、もう収拾がつかなかった。

「あ、あのなぁ…これは三人で分ける食料で…」

「うるさいわね。あんたは、ネズミでもヘビでも捕まえて食べてればいいでしよ!?」

「そうよ、そうよ!」

「…………」

そう叫ぶ二人の目は本気だった。

だから、ナーウッドはそれ以上何も言えず、ただただ頭を掻くしかできなかった。


「いただきまーす」

「おう」


結局、三人は仲直りし、今日はナーウッドの作った干し肉のスープを皆で食べることになった。よく出汁でていて、美味しいスープだった。聞くと、この干し肉の牛はカステポーの名産らしい。確かにカステポーの牛は美味しい高級食材として有名だったなとミニスは思い出した。


二人がスープを飲んでいるその横でナーウッドは食事の前の祈りを捧げていた。それは厳格なイドリース教徒のする仕草だった。それを見てミニスは

「あんなことを言っていたのに、あなたはちゃんとしたイドリース教徒なのね」

と、茶化す感じではなく、真面目に聞いた。

それにナーウッドは苦笑いを浮かべ

「ああ、これか……まぁ、もう癖になっててな。俺は孤児院で育ったから、食事の前は必ずこれをやらされたんだ」

と答える。

それにミニスは、そういえば調書にそんなことが書いてあったわねと思う。

ナーウッドは話を続ける。

「でも、それを抜きにしても、イドリース聖教ってのは、本当によく出来ている。俺はそう思うよ。まさに人類の叡智、歴史の宝だ。たとえ、その拡大の歴史がいかに悲惨なものだったとしてもな……」

と。

「ふーん……」

そのナーウッドの言葉にもミニスはそれ以上の返事を持ち合わせていなかった。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。そんなことは考えてみたこともなかったのだ。


また沈黙が訪れた。

しばらくは三人の食事を摂る音だけが広場に響いた。


「………ねぇ、ナーウッドさん」


すると、突然キミが口を開いた。そして


「石の部屋に行く前に聞いておきたいことがあるんだけど……」


と言う。

それにナーウッドと、ミニスも顔を上げる。

そして、ナーウッドはミニスと顔を見合わせた後、キミに向き直り、

「ああ、なんだ?キミさん」

と、話を聞く姿勢になる。ミニスも自然にそうなった。


それを見てキミは表情を少し引き締める。

でも、意を決したようではなく、割と自然に


「どうして、ナーウッドさんはサマルさんを殺そうとしているの?」


と言った。


「えっ?」

「…………」


そのキミの言葉に驚くミニス。


ナーウッドの顔からは、先ほどまで見せていた笑顔が消えていた。


「見たのか?俺の頭の中を」


「ううん。見えちゃったのよ。でも、見てしまったからには、聞かないわけにはいかないわ。だから、いつ聞こうかと思ってたけど、着く前に聞いておこうと思ったの」


キミは言う。そして、続けて


「返答次第では、私はあなたを石の部屋には連れていけないわ。ラシェットとの約束があるから……あなたにサマルさんを殺させはしない」


ときっぱりと言ったのだった。


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