アスカ遺跡 2
まだ陽は十分に明るいというのに、ナーウッドは火の灯されたランタンを持っていた。
まるで、今までずっと暗い場所にいたかのように。
いや、それともこれから暗い場所に行こうというのだろうか?
そう思うのも、ナーウッドの衣服や髪に汚れや乱れが見られなかったからだ。だからミニスは、なんとなくそう推理した。
ナーウッドは一昨日、ミニスと会った時とは微妙に違う格好をしていた。
あの時は背負っていなかった小さいリュックを背負っているし、靴もイカツイ登山靴のような革靴に変わっている。服装の趣味、テイストはもちろん変わってはいないが、全体的に生地の丈夫そうな服に着替えていて、いかにも「冒険者」といった感じだ。よく見ると腰にはロープも付けている。
しかし、それよりもミニスが気になったのは、陽の当たる中で見るナーウッドの、その表情だった。
そこには、一昨日の夜にはあった、剥き出しの敵意と殺気がなくなっていたのである。
その変化をミニスは瞬時に見て取ると、心の中でほっと息を吐いた。
「ああ、昨日一日でちょっと落ち着いたのね……」と。
ミニスはナーウッドの事情について、あの時聞き齧った事から推測した程度のことしか知らなかったが、それでもナーウッドの怒りの理由はよく理解できたつもりだった。というより、それはあの時のナーウッドの取り乱し方を見れば、誰だってわかったはずだ。これは只事ではないと。
あの時の彼はまさに怒りで我を忘れる寸前だった。
だから、ミニスとカジは危険を承知で助けに飛び出したのである。
きっとあのままでは、ナーウッドはまんまとショットの手に落ちていただろうから……
ナーウッドの援護をすることは、二人の任務内容には入っていなかったが、それをただ、黙って見ていてはいられなかったのだ。
「あ、あの……ミニスさん」
ミニスがナーウッドの表情を見ながら、そう考えていると彼が口を開いた。
「え?なぁに?」
だからミニスは聞く。しかし、そうするとナーウッドは照れくさそうに頬を掻くのだった。
「ん?」
訝しるミニス。でも、やがてナーウッドが
「その……お、一昨日の夜は、本当に助かった…ありがとう。なんて感謝すればいいか……」
と口にしたので、何だそんなことか、と思う。
「ああ。いいのよ別に。気にしないで?困ったときはお互い様。それが私の流儀なんだから」
ミニスが呆れ顔をしながらそう言うと、ナーウッドはさらに少し表情を崩した。そして
「……ありがとう」
と重ねて言った。それ以上は言葉にならなかった。
ナーウッドは嬉しかったのだ。またここで、思いがけず命の恩人に出会えたことが。
なぜなら、もう二度と会うこともないかもしれないと思っていたから。
それほど、危険で当てどもない旅をナーウッドは続けなければならないと心に決めていたのだ。そして、その気持ちはカジとミニスに助けられたことでさらに強まっていた。
それ故に、この再会はナーウッドにとって、思いがけず嬉しいものになったのである。
しかし、気になることもあった。それは
「ところで、ミニスさんはなぜこんな所に?それに……カジは?」
ということだった。その質問にミニスは
「ああ……」
と腕を組み、
「色々と事情が変わってね……あいつとは一旦別行動することになったのよ。それで私達の方はサマルさんの行方を探すヒントを求めて、この遺跡までやって来たの。サマルさんの手紙とニコさんの予想に従ってね」
と答えた。
「なっ!サマルの手紙だって!?」
すると、それを聞いたナーウッドは一転驚いた様子で、止めていた足を動かし、急いでミニス達の方へ近づいて来る。
そして、ミニスのすぐ目の前で
「ミニスさんはあれを読んだのか!?」
と言った。
「え、え? い、いや、直接読んではないけど、大体の内容は把握しているわ…」
今にも掴みかからんばかりのナーウッドに、タジタジになりながらミニスは答える。
「内容は把握している…それは、もしかしてラシェット・クロードから聞いたのか? ん? 待てよ。そう言えば、ラシェット・クロード、あいつの姿も見当たらないな……」
ナーウッドは改めて辺りを見回し、言う。さらに続けて
「それに、ニコって言ったな? ……まさか、あいつ本当にショットの罠に掛かって捕まっちまいやがったのかっ!」
と、ひとり合点して吐き捨て、頭を掻く。そして、
「ったく、結局か……ふんっ。やっぱり、とんだ役立たずだったな。今度ばかりはサマルの見込み違いだ。こんなことなら、俺もあの手紙を読んでおけばよかったぜ」
と、止めを刺すように言ったので、それでさすがにキミは頭に来てしまった。
「ちょっと。なんなの?さっきから黙って聞いてれば、文句ばっかり言って。自分だって、ミニスさんに助けられたんじゃなかったの?」
キミはナーウッドを睨みつけながら言った。
それを聞くと、ナーウッドは「ん?」とそこで初めてキミの存在を認識したかのように、首をそちらに向ける。
そしてきょとんとした目でキミを見た後、ミニスを見て
「何なんですか?このガキは」
と言った。
それを聞いてミニスはまずいなと思う。すると案の定
「はぁ?ちょっと、誰がガキなのよ……」
とキミが騒ぎだそうとしたから、ミニスはそれを素早く手で制して
「こ、この子はラシェットさんのお友達で、キミ・エールグレインさんって言うの。本当はラシェットさんと一緒に旅をしていたんだけど、残念ながらラシェットさんは自らの意思でショットの所に行ってしまったから、今は私と行動を共にしてもらっているのよ」
と手短にナーウッドに説明をした。
でもその説明にナーウッドはやはりと言うべきか、首を傾げる。
「このガキがお友達?」と。
しかし、すぐにそれよりも気になることにあるらしく、
「…って、それよりも何なんだ、その自らの意思でって。そんなことをしたら、あいつの役割ってもんに穴が空いてしまうだろ!」
と言う。
「役割?」
その言葉が引っ掛かって、今度はミニスが聞きなおす。するとナーウッドは
「ん?ああ、そうか。そのことはラシェット・クロード宛の手紙には書いてなかったんだったな」
と言い、少し顎に手を当て考えた。そして、悩んだ挙句
「まぁ、細かい説明は俺もまだよくわかっていないから省くが、要するにラシェットには、サマルの居場所を見つけるっていう役割をサマルが割り振ったのさ。で、それに代わりは効かない。なぜかはわからないが、そうらしいんだ。あと、俺とラシェットが直接接触するのも、ダメらしい。なるべく避けるようにってな。俺には別の役割が与えられているから」
と、わかるようなわからないような説明をした。それをミニスが聞き、考えているとナーウッドが
「まぁ、どれもサマルにしかわからない事情があるみたいなんだが、俺はまどろっこしいと思っていたんだ。だから、ラシェットのやつがどんな理由だか知らないがショットの野郎の所に行ってしまったっていうのなら、かえってちょうどいい。やっぱり俺がサマルの居場所も探し出してやる。最初からこうすればよかったのさ。昔の友人だか何だか知らないが、あんな長年連絡のひとつも寄越さない男になんか頼らないでな」
と溜飲を下げたように一気に言った。
それに、益々ミニスは「あちゃー」と思う。これでは最早フォローのしようがない。
ミニスの横では、既にキミがものすごく不機嫌そうな顔で仁王立ちしているからだ。そして、
「あなた、本当にそんなことを一人でできるってそう思ってるわけ?」
とキミがナーウッドに言ったから、ミニスはギクッとした。
それに対し、ナーウッドも大人気なく
「は?なんだと?」
と答える。だから、ミニスはとりあえず、ここは様子を見ようと少し左に避けた。そして、
「あーあ、これは最悪の初対面になっちゃったわね……」
とまた二人に呆れていた。
でも、いざとなったらキミの方を助けてあげようとは思っていた。
ナーウッドは続ける。
「キミさんとか言ったな、お嬢さん。あんたはなにか? 俺があのラシェットに頼らないと、サマルを見つけることなんてできないと、そう言いたいのか?」
ナーウッドが不機嫌そうに言うと、それに輪をかけたように不機嫌そうなキミは
「そうよ」
と軽々と言ってのける。そして、
「少なくとも、そんなふうに会ったこともない人の悪口を平気で口にするような人に、人助けなんてできるわけないって、私は思うもの」
と言った。すると
「なっ、そ、それとこれとは話が別だろ!それに俺は別に悪口を言ったつもりはない。ただ単に事実を言っただけだ」
と、ナーウッドは不本意だと反論を試みる。しかし、
「何それ? 言い訳? 図体はデカいくせして、小っちゃい男ー」
とキミが言ったから、そう言われては男としてはぐうの音もでなかった。
「こ、このぉ……」
何も言えない代わりに、ナーウッドのコメカミの血管と太い金色の眉毛がピクピクと動く。相当我慢しているようだった。心なしか一昨日にあった殺気まで戻ってきたかのようだ。
その様子に笑いを堪え、何とか黙って見ていたミニスに、ナーウッドは堪らず
「本当に、何なんですか?このガキは」
と、改めて話かける。どうやら、逃げ場が欲しかったようだった。
「だから、ラシェットさんのお友達よ。それと、ナーウッドさん。あんまりキミちゃんのことをガキガキって言わないであげて。女の子に対して失礼だもの。ねぇ?」
ミニスのその言葉にキミも
「そうよ、そうよー」
と言う。それを聞き、ナーウッドは余計に頭にきた。しかしミニスの手前、これ以上は抑えることにする。
「わ、わかりましたよ。もうガキとは言わない。でも、そのラシェットのお友達のお嬢さんが、なぜこんな所にいるんです?彼女は何も関係ない、部外者のはずだ」
ナーウッドがキミを指差して言うと、ミニスも
「ねぇ、そんなこと言ったら、私とカジだって、本当は部外者のはずじゃない?」
と言う。それを聞いたナーウッドは慌てて
「ミ、ミニスさん達は別です。命の恩人ですから……」
と言ったが、その言い分は若干苦しかった。
そう思って、キミは
「私だってラシェットの命の恩人よ。だとしたら、部外者じゃないんじゃない?」
と口を挟む。そして、続けて
「それに、私はラシェットから、代理を頼まれたんだから。サマルさんを探すね」
と言った。
それを聞いたナーウッドは
「代理人!?お嬢さんが!?」
とまた驚く。それは無理もなかった。いくら、友達とはいえ、どんな危険が待っているかわからない旅を、ましてやこんな小さな子に任せるのか? と。にわかには信じられなかった。それに……
「いや、それよりもこの役割に代理は効かないんだ!なのに、お嬢さんが頑張ったところで意味がない……むしろ、またおかしな方向へ運命が変わってしまうかもしれない、その危険性が増すだけだ!」
と思い、ナーウッドはそう漏らす。
それは最初の段階でサマルが危惧したころだった。あまり、手紙のことや、サマルの存在が知られすぎると、サマルが意図していたことよりももっと他に大きな「うねり」が起こってしまうのではないかと。それによって、サマルが目指していた未来とは、また別の方向へ運命が動き始めてしまうのではないかと。
その危険性を減らすために最小限の人数でことに当たるつもりだったのだが、リッツの裏切りと、ラシェットの予想外の行動のせいで、計算はもう計算の体を成していない。ナーウッドはそのことにもイライラしていた。
「皆、ことの重大さがわかっていないんだ……だから好き勝手なことばかりする。リッツの野郎も。ラシェットのやつも……俺だけだ。俺だけなんだ、サマルの言うことを忠実に守ろうとしているのは。それが唯一の道なのに」
ナーウッドは心の中でそう思う。そして、その思いは誰よりも強固だと思われた。なぜなら、そもそもこんな事態を招く原因、それを作ってしまったのは他でもないナーウッド自身だったのだから。
「ねぇ、ほんと、さっきからさぁ。小さいことばっかり言ってるのね。代理はダメとか、役割があるとか、頑張っても意味ないとか、運命がどうとか」
ナーウッドが考えていると、キミがそう言ったのが聞こえた。
だから、その言葉で思考の中から帰ってきた。その言葉にはそのくらいの力強さがあった。それと、ナーウッドの神経をまた逆なでするような響きも十分に持っていた。ナーウッドも言う。
「小さいことだって?お嬢さん、これは小さいことなんかじゃないんだ。お嬢さんはことの重大さがわかっていないから、そんなことが言えるんだ」
と。しかし、それはちょっとズルい言い方でもあった。なぜなら、ナーウッドはその重大な事情をキミとミニスには伏せたまま、話をしようとしているからだ。それでは、何も言いようがない。それは、相手が何もわかっていない、と言えば、そうかもしれないと、一旦は受け入れるしかないように思える言い方だからだ。確かに、実際、何も知らないからなと。しかし、キミは
「そんなのわかっていても、わかっていなくても、どっちでもいいのよ」
と、その言葉を簡単にはねのける。
それは、キミがそういった秘密めいた言葉が、実は軽いものでしかないというのを無意識のうちに見抜いていたからだ。そして、そういった煙に巻くような言葉よりも、ストレートな言葉の方が、遥かに力強く、重みがあることもキミは無意識のうちに知っていた。
そして、それがキミという女の子の本質だった。
いつだって、彼女はそうやって心を自由に保つ。
それがこの子の強さだった。
「ど、どっちでも…?」
と、ナーウッドがまた口を開く前にキミは続ける。
「そうよ。だって、そんなの全部、あなたの勝手な思い込みじゃない」
「お、思い込み?」
ナーウッドは眉間に皺を寄せ、呟く。わけがわからないと言うように。でも、キミは
「ええ、そうよ」
と涼しげに答えた。
「代理がダメも、役割が決まってるも、運命が変わるも、頑張っても無駄も、全部。あなたの思い込みだわ。そんなものが予め決まっているわけなんてないもの。だから、それを気にして可能性を狭めたり、人の協力を拒むなんて、そんなことはバカげてるわ」
「バカげてるだと?」
「うん。そうじゃない?ちょっと考えればわかることよ。だって、役割とか運命とか、本当にサマルさんを助けたいと思っている人なら、そんなこといちいち気にしないと思う。そんなことを気にしていたら、何も行動できなくなっちゃうもの。あなたはそうは思わない?」
「うっ……それは……」
キミにそう言われると、ナーウッドは途端に反論ができなくなった。確かにキミの言っていることにも一理あると思ったからだ。
それはキミの言う通り、可能性の問題だった。
その可能性というものをナーウッドはサマルから示された「ひとつの道」の中にこそあるものだと思っていた。しかし、このキミという少女は、それだけが可能性ではないと言う。それはナーウッドが勝手に思い込み、自ら狭めてしまった可能性の一部に過ぎないと。
それはとても魅力的な考えだと思った。
でも、それと同時に疑わしくも思ってしまう。
人間とは不思議なもので、魅力的だと思うものほど、本当にそうなのか? と疑ってしまうものだ。
そんなに簡単なものなのか? そんなふうにポジティブに考えていいものなのだろうか?と。
そして逆に難しいと思われること、嫌だなと思うものほど、割りと簡単にそれを受け入れてしまう。
それはそうだよな。そんなに簡単にはいかないよな。そこまでしなきゃ、やっぱりダメだよな、と。
この時のナーウッドもまさにそんなふうに考えていた。
キミの言うことが素直に受け入れられないのはそのためだ。
「お嬢さん、なんであんたはそう思えるんだ?俺の言っていることが、サマルの言っていたことが、間違っているかもしれないって、なぜ……」
ナーウッドはそれが、どうしても解せないので言った。でも、その前提として、とりあえずキミの言うことを一旦受け入れてみてはくれたようだった。それは、キミの言う言葉の中に、ナーウッドの言葉にはなかった力強さみたいなものがあることを、自ら、感じ取ったためだ。
「うーん……」
が、そう言われるとナーウッドの予想に反して、キミは腕を組んで悩み始めた。
それはそうだ。キミはいつも理屈ではなく直感で、そのことを考えているからだ。だから、当然キミの答えは
「さぁ、ただ、なんとなくよ」
ということだったのだが、これにはさすがにナーウッドも
「はぁ?」
と、拍子抜けしてしまい、その様子とやり取りがあまりにも可笑しかったミニスも
「ぷっ」
と思わず吹き出してしまった。
ミニスが笑ったのを横目にナーウッドは
「おいおい、それだけ自信満々に言っておいて、それはないだろう?」
とキミに言う。しかし、その顔からは既に怒りの色は消えていた。少しは冷静になってくれたらしい。
「しょうがないじゃない。なんとなくは、なんとなくなんだもの。言葉では説明できないわ」
「あのなぁ、それじゃあ、やっぱり俺はあんたをラシェットの代理だとは思えない。だから協力もできない」
キミの言い分にナーウッドは振り出しに戻ったようなことを言う。でも、ミニスは必ずしも振り出しに戻ったのではないと感じていた。もしかしたら、もう少し私から説明をして、お願いをすれば一緒に行動してくれるかもしれないと。そうなれば、遺跡専門のトレジャーハンターであるナーウッドは、とても心強い。むしろ、彼がいるといないのとでは、状況がまるで違う。きっとこの遺跡の調査は二人だけでは到底できないものであると、ミニスはこの遺跡のレリーフをひと目みた瞬間から思っていたのだ。
「だから…なんとかしてナーウッドさんを説得しないと……でもこれ以上どうやって?」
下手に刺激をしてはいけないと、まるで臆病な野生動物を捕獲する時のような感覚で、ミニスが考えていると、キミが大きく息を吸い、
「ふーっ、わかったわ」
と言った。
そして、おもむろに掛けていたサングラスを外し、ナーウッドの方を真っ直ぐに見つめる。
「えっ?」
そのキミの目を見て、ナーウッドは絶句した。
それは、もう息をするのも忘れるほどに。
「じゃあ、私の目をよーく見て。そうすればあなたにもわかるはずよ。なんとなくね」
キミは言った。しかし、言われなくともナーウッドの視線は既にキミの目に吸い寄せられるように向いていた。そして、じっと見つめる。
キミの目は美しく、深い、緋色に輝いていた。
それは太陽光を遺跡の壁に遮られた、この影の中でもそうだった。まるでどこからか光をも吸い寄せているような瞳の輝き。
それに見惚れていると、ふいにナーウッドの耳にザッブーンッ! という大きな水の音が響いた。
キミの瞳の奥。その中にナーウッドは抱かれていた。いや、飛び込んでいた? わからない。とにかく気がつけば、そこは深い海の中のようだった。でも、光はあった。眩しいほどにあった。決して浅瀬ではない、全身がどんどんと深い方へ、深い方へ沈んでいっているのに、いつまでも青く透明な光はそこにあり続けた。
「こ、ここは……?俺はここを知っている?」
ナーウッドはなんとなくだが、そう思った。なんとなく。そう、それはなんとなくとしか言いようのない感覚だった。それはとても不思議で居心地のいい思考の場所のように思えた。
「あっ、あれは?」
やがて、見の前に奇妙な風景が混じり始めた。
いや、それはよく考えれば奇妙ではない。それは実際に自分の目が見ている、キミとミニス、そして、遺跡の壁の一部だった。その映像が水面に混ざり始めたのだ。
「ん?な、なんだ?どういうことだ?」
とナーウッドはぼんやりと思う。
しかし、その意味などナーウッドにはわかるはずもなかった。でも、その映像によって、思考が少し現実の方へと戻ってきてはいた。
「ああ、そうか、俺は……」
ナーウッドがそう思っていた、その時。
突如として、その水中に様々な映像が次々と映し出された。
「なっ!」
そして、それと同時にその映像はまるで直接ナーウッドの頭に流し込まれているかのように、ナーウッドの脳視覚の中を塗りつぶし始める。
「ぐっ……ぐぁぁ……」
ナーウッドは頭を抑えた。しかし、映像は途切れることなく飛来してはナーウッドの中を去っていく。でも、その映像が具体的なイメージをナーウッドの中に残すことはなかった。残るのはただ、その映像に付加されたある種の感情だけで、それは概ねどれも嫌なものばかりだった。
でも、わかることもあった。それはその映像が様々な時代の、様々な事象を、様々な視点から捉えたものだということだ。それはナーウッドが様々な文献から、様々な歴史的事実を知っていたから、わかり得たことだった。でなければ、これらの映像がそんなことをイメージとして残すこともなかったはずだ。
しかし、そうはわかっても、つもり積もる感情はどうすることもできなかった。
「や、止めてくれっ…これ以上は……」
そうして、ナーウッドがついに耐えきれなくなり、水中でもがきながらそう思った時、ふいに頭のなかで
「わかったわ」
とキミの声がした。
「はっ!……」
すると次の瞬間にはナーウッドは元の遺跡の中に立っていた。
目の前には、先ほどと寸分違わぬ位置に立つミニスとキミがいる。きっと時間的には数秒しか経っていなかったのだろう。にも関わらずナーウッドは全身にぐっしょりと汗を掻き、頭は熱く、ジンジンした。ナーウッドは立っていられなくなり、その場に座り込んだ。
その様子を見たミニスは
「ちょ、ちょっと、キミさんあなた何をしたの?ねぇ、大丈夫?」
とナーウッドに話し掛ける。すると、ナーウッドはその言葉が耳に入らなかったのか、大声で
「ふふっ、はははははは」
と笑いだした。
それにミニスは思わず後退る。
しかし、キミは特に表情も変えず、腕を組みそれを黙って見ていた。
すると、やがて笑い終わったナーウッドが立ち上がり、真っ直ぐにキミの方を見た。そのグリーンの瞳はいたずらっぽく輝き、キミの緋色の瞳を見つめている。
「キミさん」
ナーウッドは初めて真面目にキミの名前を呼んだ。そして続けて
「わかったぜ。あんたの言っていた、なんとなくってことがな。それにあんたは正しい。俺はちょっと勘違いをしていたんだ。そして、この世界のことを知ってつもりになっていた。だからあんなふうに考えていたんだ。でも、それももうわかった。役割なんてものにこだわっても仕方のないことも、運命ってものは案外気まぐれだってことも、未来ってもんはそんなに脆いものじゃないってことも……」
と言った。
それに対し、キミは
「あ、そう。ならよかった」
と素っ気なく言う。そして、続けて
「で?私達に協力してくれる気にはなったの?」
と聞いた。するとナーウッドはまた笑って
「ははは、キミさん、もし文献通りならあんたは俺の心も覗いたはずだ。それで、わかっただろう?俺がずっと探していて見つからなかったもの。その存在に絶望していたものこそ、あんたなんだって」
と言った。キミはそれに、ええと頷く。
それを見て、ナーウッドは続けて
「だから、むしろ協力して欲しいのは俺の方だ。頼む、俺に力を貸してくれ、キミさん。あんたが協力してくれるなら、俺はなんだってするぜ。この魂を悪魔に売り渡したっていい」
と言った。
自分の胸を掴んで言うそのナーウッドの目はギラギラとしていた。それを困った顔でキミは見て
「ありがとう。でも、そんなことまでしなくてもいいわよ。私だって、ナーウッドさん、あなたに協力して欲しいのは同じなんだから」
と言う。話は決まったのだ。
「えっと……じゃあ?」
「ええ。そういうことよ私は協力するわ」
キミがそう言うと、ナーウッドはミニスの方を見る。だからミニスも呆れ顔で
「困ったときはお互い様だって、さっきも言ったでしょう?」
と言った。
そこで、ナーウッドの顔がパーッと明るくなった。
それは一昨日にも、つい先ほどまでにも見られなかった笑顔だった。その顔はずっと寡黙そうにしていたしかめっ面よりもずっと魅力的で自然に見えた。
もしかしたら、こちらの方がナーウッドの本来の顔なのかもしれない。でも、やっぱり彼を取り巻く状況が、それを許さなかったのだ。それはこの件に関わった多くの人がそうだとも思われた。
ナーウッドはその笑顔をまた仕舞うと、照れくさそうにし、キミとミニスの前に手を差し出した。
そして、
「ありがとう。改めまして、よろしく頼む。俺はナーウッド・ロックマンだ」
と言った。
その改まった様子が変で、キミとミニスは顔を見合わせる。しかし、ここでからかったら可哀想かなと思い、ミニスが先に
「ええ。こちらこそよろしくお願いするわ。ミニス・マーガレットよ」
と握手をし、次にキミも
「よろしくね、ナーウッド。私はキミ・エールグレインよ」
と、握手をした。
「でも……」
しかし、その握手をした手を離さないままキミが
「もし、またラシェットの悪口を言ったら、許さないからね?」
と言ったからナーウッドはまた冷や汗を掻いてしまう。
「ああ。わかったよ。言わないよ。あんたの友達なんだもんな」
「ええ。わかればよろしい」
その返事にミニスとナーウッドは苦笑いした。でも、嫌な笑い方ではなかった。なんとなく打ち解けた感じがする苦笑いだった。
陽は先ほどよりも一層傾いてきていた。今日、ナーウッドはこの後どうするつもりなのだろうか? とミニスは思わないでもなかったが、それよりも今はこの偶然の再会と、新たに加わった仲間に対しての心強さだけで心も頭もいっぱいだった。それはきっとナーウッドにしてみてもそうだろうと、ミニスは思ったが、では、キミはどうなのだろうかと言うと、やっぱりそうなのだろうと、そのツンとした顔を見て思っていた。