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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
57/136

沈みゆく客船を岸から眺めている。

そんな写真が今朝のアストリア王国新聞の第一面にデカデカと載っていた。


モノクロだが印刷の鮮明なその写真には、多くの救助されたと思われる乗客が写っており、表情こそ伺えないものの、その誰もが家族や友人、恋人などと手を取り合い、毛布に包まりながら肩を組んでいる後ろ姿は、起きてしまった出来事の大きさとその衝撃とを如実に表している。


乗客達が見つめる視線の先、その海の沖には、海面に少しだけ顔を浮かせている客船があった。この写真では遠近感がいまいち掴めないからわからないが、沈んでしまう前は相当大きな船だったに違いない。少なくとも、しょぼい船ではないように見えた。


だからこそ僕は首を傾げる。


いったい、なぜそんな立派な船がこんな「大事故」を起こしてしまったのか? と。


そのことは、考えれば考えるほど不可解だった。

しかしそんな規模の事故にも関わらず、現在わかっている段階で、死者、行方不明者共に0名、負傷者も僅か13名だと記事には書かれているから、それだけは、まさに不幸中の幸いと言ってよかった。


「うむ……」

そう思うと僕は一旦、新聞から目を離し、朝日の差し込む窓を見た。


窓に半分掛かった、薄い緑色のカーテンが冷たく爽やかな風にひらひらと揺れ、その外からは小鳥のさえずるチュンチュンという声が耳心地よく聞こえてきている。


僕はそれらを確認するとまだ眠い瞼を擦りながら歩き、慣れないベッドに腰掛け直す。

そして、ベッドサイドに置いておいた熱いコーヒーを一口飲み、また改めて記事に目を通し始めた。


そこには、こんなことが書かれていた。


[グランダン客船爆発事故。あわや大惨事に連邦国大統領、異例の会見]


<三日前の深夜ラース港を出発しメルカノン大陸を目指していた、グランダン国籍の大型客船が昨日、経由地であるアストリア大陸ビシュルト港での補給後、その沖合い5キロメートル地点で、突如爆発、炎上し、その一時間半後にあえなく沈没した。幸いなことに、船員や一部乗客による、迅速な対応と救助のおかげで、現在確認がとれている段階で死者、行方不明者は共に0名、負傷者は13名という極めて奇跡的な被害状況にとどまっている。しかし、この事態を重く見た、グランダン民族連邦国のバルムヘイム・アリ大統領は昨夜、急遽会見を開き、その爆発の原因が船底のボイラー設備の不具合にあると、船員からの聞き取り調査に基づいて発表。よって、今回の件を「事故」だと断定、陳謝した。民間の船の事故で大統領が陳謝するというのは異例ではあるが、今回の事故の規模と、その初歩的な原因を顧みれば、それも当然かもしれない。今後はこの一件で失ってしまったグランダンの安全技術への信頼をいかにして取り戻すか、アリ大統領の手腕が試されることになる。もちろん我が国も、仲の良い隣国に向け、技術提供や、技術指導などの援助を惜しんではなるまい。それが、民主先進国としての、ひいては世界第一位の経済大国である王国の、国際的な役割であろう……>


僕は先ほどから何度も目を通した記事をまた、ざっと読むと、今度はその記事の下部に掲載されているもう二枚の小さな写真に目を移した。そして、そこに写っているものを見てまた


「……事故、ねぇ」


と思う。


その写真の周りにも、細々と当時の状況や現場の様子などを書いたリポート記事があったのだが、僕は別にそれに疑問を持ったわけではない。僕はそれよりも、その写真自体の方がずっと気になっていた。


なぜならその写真には、必死に駆け回ったり救護活動をする船員達に混じり、なんと僕の知っている顔が、ひょっこりと写り込んでいたからである。


しかも二人も……。


僕は新聞を見下ろしながら、ポリポリと頭を掻いた。


僕としてみれば二人とも、あまり長い時間顔を合わせたとは言えなかったので、最初は自信が持てず、他人の空似かとも思ったが、それでも特徴のある二人だ、見間違うはずがない。 僕は先ほどから20分以上かけずっと頭の中で、見間違いの可能性を検証していたのだが、そうではないと結論した。


だから今、それを認めざるを得ないようになると、僕は新聞を見下ろしながら頭をポリポリと掻く他なかったのだ。


僕が目にした小さな写真。

そこに写り込んでいたのは紛れもない、ラース空軍のカシム軍曹と帝国陸軍諜報部でリーの部下であるサーストンだったのだから。


僕はつい、心の中でいつもの「やれやれ」を言いそうになってしまう。


一人は右の写真に、一人は左の写真にそれぞれ写り込んでいて、二人とも全身をずぶ濡れにしながらも、険しい顔つきで救護活動にあたっているその姿は、まさに鬼気迫ると言った感じだ。


僕はその写真を見、また記事と読み比べ


「これは、いったいどういうことなんだ?」


と疑問に思う。

そして、またコーヒーを手に取ると、あれこれと考え始めた。


まず僕にも一見してわかることは、この二人が何らかの理由であの船に乗っていて、この事故に遭遇したのだろうということだ。

それは二人のずぶ濡れの姿と、現場での救護の様子、また何よりもその表情を見ればすぐに直感できた。

ビシュルトから来たと思われる他の救護団員とは明らかに表情が違うからだ。

それは実際に船の上での緊迫した時間を経験した者の特有の表情なのだろうが、あの二人の顔の険しさは、もしかしたら別のところに原因があって、船が沈んでしまったことよりも気がかりな何かが他にあったのかもしれない。

二人の様子は、むしろ僕にそう思わせたが、さすがにそれが何であるかまではわかりそうにはなかった。

まぁ、でもそれがわかったところで今の僕には何ができるわけでもないのだが……。


そして次に僕がわかるのは、この二人がおそらく一緒に行動しているであろうことと、その意味、または理由についてだ。

それには、僕がサーストンに託した手紙が大きく関係していると思われる。

そもそも、サーストンがグランダン国籍の客船にカシムと一緒に乗っていたということは、サーストンがひとまず無事、アリに僕からの手紙を届けてくれたという証左に他ならないだろう。さらに、メルカノン行きの客船に乗っていたということは次の目的地はリーのいるコスモだったのだ。


それが二人があの客船に乗っていた理由。


そして、カシムはサーストンが無事にリーに手紙を届けられるよう、アリがつけてくれた護衛なのだ。だから二人は一緒に行動していたのだと考えると、腑に落ちることがたくさんあった。


が、そう考えると今度は、新たな疑問まで浮かんできてしまう。


それは要約して言えば

「こんな偶然があり得るのか?」

ということであり、さらにそれを突き詰めて考えていくと

「果たしてこれは本当にただの事故だったのだろうか?」

ということになるのだったが、僕は先ほどからずっと、そこが引っ掛かっていた。


そもそも僕にはこの二人が写り込んでいる写真が小さくだが偶然にも新聞に載っていること自体、既にどこか胡散臭さを感じたのだ。

これは何のサインだと。

だって、ここにサーストンとカシムが写っている意味がわかる人物なんて、僕くらいしかいないのではないか。

そして、こんなことを回りくどいヒントを考えつく人物なんて、おそらくアリしかいない。

それがわかってしまうと僕は途端に


「客船のボイラー室が爆発した?そんなことはないだろう」


と、思ってしまうのだ。


でも、アリは事故だと言っている。

ならば僕は思う。

アリの言っていることは嘘であると。

そして、それこそが真実だと思われた。


しかしそうなると、また肝心なことがわからずに残ってしまう。

それは、なぜアリはそんな事故などという不名誉な嘘をついたのかということだ。

そんな嘘をつくくらいだから、きっと、よほど隠したい事実があったに違いない。


例えば、あれは本当は事故などではなく他国からの攻撃だったとか、もしくはクーデターを目論む自国の兵の仕業だったとか……。

わからないが、そう考えてもよさそうな気はした。なぜならば、それならアリが不名誉な嘘をついてまで、この件を事故だと主張する意味がわかるからである。


アリは開戦のきっかけを作りたくないのだ。

そして、そのためなら事実隠蔽の先頭に自らが立ち、積極的に戦争の芽を摘みとろうとするだろう。アリはそういう人だ。


「なるほど。火種を撒いたバカがいたのだ。でも、アリはそれを冷静に鎮火した。そのことを僕に、もしくは別の誰かに知らせたかったから、新聞にこんな写真を?」


僕はまた新聞から目を離して考える。

そして「でもそもそも僕が今、こんな状態で捕まってしまっていることをアリは知らないのではないか?」 ということに思い至った。


「……わからない。でも、アリは僕と何かしらのコンタクトを取りたいのかもしれない。と、すると今回のこの事故に絡んでいるのは、やはり……」


そう思うと途端に、胸に苦い思い出が蘇ってきた。

なぜか、久しぶりに元彼女の顔まで頭をチラつく。


「はぁ」

僕はため息をつくと、それについてこれ以上考えたくなかったから、考えるのを止めた。


だから気分転換に立ち上がり、伸びをする。


いずれにしても、この状況をまずは乗り切らないことには、アリとの連絡はおろか、自分の未来さえも危ういのだ。

僕はそう思い、屈伸をする。

キミ達にも、アリ達にも悪いが、僕は今ここから手助けをしてあげられる目算がない。


「だから。せめて、もう少し。もう少し待ってくれ」


僕は知らず知らずのうちに、そうつぶやいていた。



僕が朝刊を置いて、ボートバル飛行師団式ストレッチ、第1体操をし、その体操がいよいよ佳境を迎えようとしていた頃、突然ドアをノックされたかと思うと、僕の返事も待たずにショットがズカズカと部屋に入ってきた。

だから、僕は体操を止める。

せっかく良いところだったのにと、僕は抗議の視線をショットに向けたが、ショットはそんなことには気づきもしないで


「いやいや、おはようございます、ラシェットさん。昨日はよく寝られましたかな?」


と言う。相変わらずマイペースなやつだ。


「いや、よく寝られなかったよ」


僕がそう言ってやると、ショットはふふっと愉快そうに笑い、

「おお、それはよくありませんねぇ。睡眠は良き生活の基本ですよ?何かお気に召しませんでしたか?」

と、わざとらしく言った。だから、僕はちょっと頭にきて


「ああ。全然お気に召さないね。できれば今日は別の部屋に変えてもらいたいな」


と言った。しかし、その言葉は余計にショットを喜ばせてしまったようで


「ふふふ。すいません、他のゲストルームは全て埋まってしまっていて、この部屋しか空きがないんですよ。しかし、何がそんなに気に入らないのでしょうか?とても広く、清潔で、調度品もこの部屋によく合うアンティークなものばかりを使っている。非常に落ち着く、気持ちの良い部屋だと僕は思いますがねぇ」


などと饒舌に言った。


それを聞いて、僕はうんざりした。

なによりもその回りくどい言い方、僕の口から言わせようとするその態度に。

もうこれ以上こいつを喜ばせるのも、バカらしかった。だから、さっさと言ってしまおうと僕は思い、口を開く。


「そんなことはどうでもいいんですよ」

と。そして続けて、


「それは、あなただってわかっているはずだ。この部屋の広さとか調度品とか、そんなものは全く関係ないってね。こんな部屋にいるくらいなら、僕はいっそ前みたいに牢屋に入れてくれた方がずっと気分がいい。そう。こんなサマルの使っていた部屋にいるくらいならね」


そうはっきりと言った。

それを聞き、ショットはニヤリと口角を上げる。やっぱり僕の思った通りだったのだ。


「ふふふふ。いやぁ、さすが!お気づきになるのが早い。もうとっくにサマルくんの私物や書類、資料などはひとつ残らず片付けてしまっていたというのに……いったいどうしてわかったのです?」


ショットが関心した様子で聞いてきた。

でも、僕はそれに真面目に答えてやるのが面倒だったので


「別に、なんとなくさ。ここにはサマルのいた雰囲気が満ちている、ただそれだけだ」


と簡潔に答えた。すると、ショットは

「ほう、なんとなくですか……なるほど。確かに人間の「なんとなく」というのは無視できない、重要な感覚らしいですね。かえってその方が正確な場合もあるとか……」

と、意外にも僕の言葉を真に受けて、なにやら考えだした。


まぁ、それもそうかもしれない。

僕が言ったことは印象論でしかないが、嘘ではない。ただ単にその言葉の行間を教えてやるのが面倒で、端折っただけなのだから。

そして、その行間とは、部屋の中の家具の配置の仕方だったり、カーテンの布とレールについた開ける時の癖だったり、机の上のホコリのたまり方だったり、ベットのサスペンションの摩耗と、その沈み具合だったり、色々なサマルの癖みたいなものの痕跡だったりするわけなのだが、もちろん僕は、そんなことをショットにいちいち教えてやるつもりはなかった。


だから僕は考え込むショットに向かい

「本当に趣味の悪い演出だな、吐き気がするほどに」

と言ってやった。


実際にこの部屋で一晩、持ち主のいないサマルの気配を感じ続けただけで、体は寒さにガタガタと震え、吐き気を催したのだ。それは特に深夜になり、音も光もなくなった時に顕著に表れ、その時には、まるで僕が透明人間にでもなってサマルの部屋に忍び込み、こっそり寝ているような、そんな錯覚にも襲われた。

そのくらいに僕には様々な痕跡が目について仕方がなかったのだ。

僕は耳をすませばサマルの足音まで聞こえてくるのではないかと思い、目を閉じることもできなかった。

それ故の寝不足である。


僕の厭味を聞いたショットは考えるのを止め、それでも

「ふふっ、それは褒め言葉としていただいておきましょう」

と言った。


そして、これがいいきっかけになったのか、ふと思い出したように

「では、この話はまた後ほど昼食の時にでもすることにして。せっかくです。今日は僕と一緒に城内観光でもしてみませんか?」

とまた上機嫌に言った。



部屋のことにはまだ不満はあったが、ショットがヘリ(この城ではあの機体のことを皆「ヘリ」と呼んでいたから、僕もそう呼ぶことにした)の中で言っていた通り、僕は捕虜扱いではなく、ゲスト扱いになっていたから、とにかく、こうやって堂々と廊下を歩くことができていた。


そのこと自体を決して喜んでいたわけではないが、僕はそれについて考えるとショットのことがよくわからなくなってくる。その意外な律儀さに、なんとなく話せばわかる奴なのではないか? と思ってしまうのだ。


しかしそうかと思えば、昨夜のように僕をいきなりサマルの使っていた部屋に泊まらせるなど、人として踏み込んではいけないであろう領域まで、あっさりと踏み込んでくる。


いったい、そんな奴とどうやって話せと言うのか?


僕はかつて経験したことのない悩みに直面していた。


「どうしたもんかなぁ……」

と僕は目を泳がせ、途方にくれて歩く。すると、


「何をキョロキョロしているっ!ちゃんと、前だけ見て歩け」


と、僕の後ろについて来ているショットの部下、スコット・アレス准尉がそう言った。

僕はそれに

「あ、どうも、すいません」

とだけ言う。するとスコットはふんっと鼻を鳴らし、ちょっとだけ痛そうに顔をしかめた。

彼は僕がヘリの中で鼻をへし折り、こめかみに一撃を加えてしまった、あの彼である。


僕は「あの時は悪いことをした」と昨日謝ったのだが、彼は一向に許してくれる気がないらしく、今も厳しい視線を僕に向け続けている。


まぁ、それも無理もないとは思う。

なぜなら、そのせいで彼の割りとカッコいい顔が包帯でぐるぐる巻きになってしまったのだから。

僕はそう思い、彼の怒りを甘んじて受け止めようと思うのだが、さすがにこうずっと敵意むき出しの目で睨まれ続けると、どうしても疲れてしまう。

しかし色々と考えた結果、彼ほど僕の見張りに適任な男はいないだろうとも思った。

なるほどよく考えられた人選だ。

それに、彼がいることによって、なんとかショットとの間を保つことができていたので、その点ではむしろ助かっていたから、僕は益々スコットの熱い視線に寛容になっていた。


「まぁまぁ、スコットくん、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ。いくらラシェットさんでも、ここから抜け出そうとまでは思わないでしょうから。それに、忘れないでください。ラシェットさんは国王様にも許可をいただいた、正式なゲストなのですから」


僕が考えていると、ショットがスコットに向けてそう言った。

それをスコットは不服そうな顔を押し殺し

「はっ!すいません、出過ぎた真似を」

と受け止める。

僕はそのやり取りを聞いてまた、途方に暮れた。

はぁ、いったいこの調子でいつまでここにいなければならないのだろうかと。そして、未だにショットから何もサマルについての情報を聞き出せていないことにも。


「そうだ。どちらにしても、手ぶらではここから帰れないんだ。嫌だが、じっくりとショットと話をしていくしかない。今は我慢の時なんだ……」


僕は自分にそう言い聞かせながら、長い廊下をひたすら歩く。

そこにはワイン色のフカフカの絨毯がどこまでも続いていた。



「さて、何はともあれ、まずはこの部屋を見てもらいましょうかね」

ショットは急に足を止めると、小さな木の扉の前でそう言った。

とても簡素で使い古された扉だった。今まで通ってきた廊下に並んでいた豪華な扉とは明らかに異質なものだ。

それを見て僕は

「まさか、ここが玉座の間じゃないよな?」

と言った。するとショットは笑い


「ふふっ、違いますよ。それとも先に国王様に会いたかったですか?しかし残念ながら、国王様は午前中はいつも誰にもお会いになりません。だから、ラシェットさんには昼食の折にお会いしていただこう思っているのです。ふふふ、ですのでご安心ください。今は、それよりもこちらです。僕は早くラシェットさんにここを見せたいのです」


と不気味なほど静かな笑みを見せた。そして、言い終わるとおもむろにポケットから大きな鍵の束を取り出し、迷うことなく一つの鍵を選び出すと、小さな扉に差し込み鍵を開けた。


扉はゆっくり開けられるとキュイーッという耳障りな音を出す。

僕が恐る恐る扉の中を覗いて見ると、そこには完全なる闇が広がっていた。

そして、よく見るとすぐ目の前には地下へと続く階段があった。この扉は地下へと続く階段を隠しておくための扉だったのだ。


僕はもう一歩進み出て、その階段を覗き込む。

階段も壁も、そこだけは城の城壁よりも遥かに古い石でできている気がした。

古いカビのような匂いと、妙にひんやりとした空気がひゅーひゅーと休みなく出てきていて、それが僕の髪を乱れさせる。


僕は嫌な予感がした。

とてもとても嫌な予感が。


やはり心を許していい相手ではないのだ、このショットという男は。


この男は、どこか、深い闇を持っている。それは、まるでこの明かりもついていない階段のような。

どこまでも続くかのように見える、その階段に僕は足を踏み入れてはいけないのだ。

僕はそう直感した。


が、そんな僕の気持ちなどわかろうはずもないスコットは、どこから出してきたのかオイルランプに火を入れようとしている。

今度は僕はその火を見つめた。


火? 明かり? そんなちっぽけな明かりで何を照らそうというのか。


そんなもので闇が晴れるなら、この世に闇など存在しないも一緒だ。そんなものでは拭い去れないものがあるから、この世には闇があるのではないのか?

そして、それは僕の想像の範疇を超えて広がり、もしかしたら僕の中にもいるかもしれないし、このショットのように、突然隣に現れるかもしれない……。


僕はもちろん階段を降りるための明かりのことなんて考えていなかった。

僕が考えていたのは、このショットという底知れぬ男の心と、それを映し出すその目。緋色の目のことだ。


そうすることによって、僕はまた何かを思い出そうとしていた。

このショットという男の顔のこと。そして、ジースという名前のことを。


ショットの中にあると思われる闇。

それを覗こうとすればするほど、僕の記憶は鮮明になり、何かが思い出せそうな気がしてきたのだ。

でも、それ以上は踏み込めそうになかった。

まだ心の準備ができていない。

それにやっぱり僕はサマルに会うべきなのだとも思った。

でなければ、僕はこのショットを相手に何も武器を持つことなく、戦うことになる。そんな気がした。


「おい、何をしている。早くついて来い」


その声に、僕がハッと気がつくと今度はスコットがオイルランプを手に先頭に立っていた。どうやら、ショットは僕の後からついてくるらしい。


「あ、ああ。そうだな、この様子じゃ、行くしかなさそうだ」


僕は二人を見て仕方なくそう言うと、ゆっくりと階段を降りていくスコットの後について行った。


ここの壁の石はかなり古いとは感じたが、あのキミに案内された遺跡のようにわけのわからないものではなかった。おそらく、アストリア王国が成立した後すぐのもの、2000年くらい前にものだろうか? 詳しくはわからなかったが、材質はありきたりな切り出しの石だったので、そう思った。

それと、思ったよりもこの階段は綺麗に清掃され、人々の出入りも頻繁にあるみたいだということもわかった。でも、それがわかったところで、僕には何の気休めにもならなかった。この場の持つ不吉な感じはちっとも変わらなかったからだ。


「ここは……一体なんなんだ?」


僕は試しにショットに聞いてみた。すると、ショットは意外にも

「ふふっ、ここはその昔、王族や貴族達がシェルターとして、つまり、一時避難場所として使っていた部屋。それに続く階段なのですよ」

と教えてくれた。

「シェルター?一時避難場所?」

「ふふっ、ええ、そうです。もし、大型の爆弾やミサイルなどが城に撃ち込まれそうになったら、皆ここの下の部屋に避難した。そういう用途の特殊な部屋です。しかし、その部屋は今はもうとっくに使われなくなっていたので、私が研究室として貸していただいているんですよ」

ショットはなおも言う。しかし、僕にはショットの言っていること、その半分くらいしか理解できなかった。

「そんな、地下に避難しなければならないほどの爆弾なんて……本当の話なのか?それにどうやってミサイルが来るのを事前に知ることができたんだ?」

だから、僕はわからないことをそのまま口にしてみた。でも、ショットは僕を面白がるばかりで

「それが全て本当の話なんですよ。そのことはラシェットさん、あなたにも、じきにわかります。ふふふ。」

と、話を誤魔化してきた。

「ふーん、じきにねぇ……」

そう言われると僕は頷くしかなかった。


「ま、とにかく僕は今からお前の研究室にいくわけだな。ということは、早速僕は実験台にされるってことか?」


続けて、僕がぶっきらぼうに聞くと、ショットは首を横に振り


「いいえ。まだです。その実験のためには下準備がとても重要でしてね。だから今日からラシェットにはその実験のための下準備として、僕の研究の手伝いをしてもらおうと思っています」


と言った。

下準備とはまた嫌な響きだなと僕は思う。

ショットの研究の手伝いなどもしたくなかった。


でも、僕は逆らえる立場にない。

それに、僕には目的がある。そのためには、虎穴に入らずんば虎子を得ず、もいいのではないかと思った。

そんな気持ちが僕のギリギリのポジティブな気持ちだった。



階段を降りきるとそこにはいくつもの部屋があった。

ショットはそのうちのひとつの部屋のドアを開ける。とても重そうな金属製の扉だ。

その中は暗かった階段とは打って変わり、昼間の屋上のように明るかった。


「さぁ、ここです」


ショットはそう言ったが、僕は急に眩しい場所に入ったせいでよく部屋の中の様子が見えなかった。

しばらく我慢して、目が慣れるのを待つ。

飛行機乗りの僕でさえこうなるのに、ショットはなぜ平気なのだろうかとも疑問に思った。


しかし、目が慣れ、部屋の中の様子が次第にわかってくると、そんな些細な疑問など何処かへ吹き飛んでしまった。


「なっ!こ、これは……」


僕は思わず声をあげた。そして、手で口元を抑える。こみ上げてくるものを堪えようとしたのだ。


「ふふっ」


ショットは自慢げに笑う。

その顔には相変わらず自分勝手な種類の感情しか浮かんでいないようだった。


でも、僕はショットのことなど、ろくに目に入らなかった。

そんなことよりも、そのショット越しに見える3つのベッド。そっちの方が遥かに大事に思ったからだ。


そこには、3人の人間が横になっていた。


たぶん、男性1人に、女性が2人。


頭には謎のヘルメットのようなものを被せられ、体からはいくつもの管が出ている。遠目では表情がわかりにくく、毛布も被っていたため、体つきもよく把握できなかったが、皆、見る影もなくやせ細っているように見えた。


「ううっ……お、お前はっ…お前って野郎はっ!!」


僕は頭に血が上り、暴れだしそうになるのを必死に抑え、ショットを睨みつける。


しかし、当のショットはそんなこと、つゆほども気にしない様子で微笑み、堂々と立っていた。


「おや?どうしたのですか?そんなにお気に召しましたかな、こちらの部屋が。ふふっ、なんなら今日からこちらの部屋にお泊りになりますか?僕もよく泊まり込みますが、結構快適ですよ。ふふふふ……」


ショットのその言葉に、僕はもう何と言っていいかすらわからなかった。


それよりも僕は今、新たにこみ上げてくる吐き気と怒り、その両方を押さえつけるのに必死だった。


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