予兆 3
ケニーがエリサと何やら話をし、大きな銃を受け取るのを見てサーストンは、カジを庇うように体の位置を入れ替えた。
そして、苦しそうに荒く息をするカジを見下ろしながら「すまない、カジ…」と心の中で呟き、拳をギュッと握りしめる。
形勢は不利なんてどころではなかった。
カジは撃たれ重傷、自分は武器もなく、カシムの姿も見当たらない。乗客の救護だって最優先事項として残っている。
「くっ、なんだって帝国兵同士でこんな……撃つなら私だけ撃てばいい。この船の人達だって何の関係もないではないか……」
サーストンは柄にもなく怒っていた。
でも一方で、エリサの本当の狙いは自分なのだと悟っていたから、皆に申し訳なくも思う。もしかしたら、自分が帝国を裏切るようなことをしなければ、こんなことにはならなかったのではないかと思ったからだ。
サーストンは自分の行動を後悔しそうになった。
「うっ……」
するとカジがまた声を漏らす。
その声にサーストンはハッと気がつき、目を向ける。
そして思い直した。
今はネガティブなことを考えるのはよそうと。
しかし、いざ応急処置を施した箇所から滲み出るカジの血を見ると、
「ああっ、担架はまだか……早くっ、早くしないと手遅れになるぞ」
と気持ちばかり焦ってしまうのは仕方のないことなのかもしれなかった……
そんなサーストンの思いとは裏腹になかなか救護がやって来ないのも、彼をやきもきさせている原因の一つなのだが、他の所も忙しいため、こちらまでなかなか手が回らないのが現状だった。これも仕方のないことだ。今はただカジの体力を信じ、助けを待つしかない。
しかし当然ながら、こんな時でもエリサとケニーだけは、こちらの都合通りになど待っていてはくれないようで、今度はケニーがこちらに向かい、片手で銃を構えるのが見えた。
それを視界に捉えるとサーストンはすぐに反応し、立ち上がる。
その顔にはとても強い決意が浮かんでいた。
「少しでも時間を稼ぐんだ。そして、カジを逃がすチャンスを作る……」
ケニーとエリサを睨めつけるように見ながら、サーストンは思う。
狙いは最悪でも、救護が来るまで話を長引かせること。
だから、相手が声を発したり、銃を撃ってくるよりも先に大きな声で
「なぜだっ!なぜこんなバカなことをする!これはミハイル国王も許可をしていることなのか!?」
と言った。
するとそれを聞いたケニーが
「そんな質問に答えてあげるわけないでしょ!?この、裏切り者っ!」
と叫んだ。
その隣のエリサは何も言わず、黙って腕を組んでいる。どうやら、エリサはケニーの行動をこのまま見守るつもりらしい。
これはサーストンにとっては好都合だった。なので、話を続ける。
「ああ、そうだ。私は裏切り者だ。だが、祖国を裏切ったつもりはない!私は真に正しい道を帝国に歩んで欲しいと思っている一兵卒であり、ただその信念に従ったまでだ。また、だからこそ国王と王子の戦争路線に疑問を持ったに過ぎない!それを誠に裏切りと呼ぶならば好きに呼ぶがいいっ!」
そう叫ぶサーストンの言葉にカチンときた、ケニーはまた銃を撃つのも忘れ
「バッカじゃないの!?それを裏切りって言わないでなんて言うの?いい?兵士ってのはね、国王の指揮で動くものなの。国王が最高指揮官で、私達はただそれに従えばいい。良いも悪いも私達の判断すべきことじゃないの。それに、国王のお考えがいつも正しいことは我が国の発展の歴史を省みれば一目瞭然じゃない。疑問なんて、挟む余地もないわ。それなのに、あなたは自分の浅はかな考えだけで、それを否定するつもりでいる。よくわけも知らないくせして、そんなの裏切り以外の何ものでもないわっ!」
と、一気にどなる。
するとサーストンもまた、そのケニーの言い分が気に食わなくて
「ああ。確かに私の考えは極個人的で、浅はかな考えなのかもしれない。なにせ、私にはずっと先の祖国の未来よりも、今目の前で起ころうとしている悲劇の方が鮮やかに目に映ってしまうものだからな。ケニー軍曹はそうは思わないのか?どんな理由があろうと、私はこの船に乗っているグランダンの人達を巻き込むのは間違っていると思うし、カジが血を流すのも間違っていると思う。そして、そこにランスロット大尉がいるということは、きっとカシム軍曹も無事ではないはずだ。そのことにも、あなたは何も思わないと?」
「うっ、そ、それは……」
カシムの名前が出てくると、先ほどまでの勢いはどこへやら、ケニーの心はチクリと痛んだ。
思わず表情も崩しそうになり、横目でちらっとエリサの方を確認する。しかし幸い、エリサは何の関心もなさそうにただ立っているだけだった。
「あ、当たり前じゃないっ。あいつはね、もともと敵になるはずの男だったんだから。そのカジってやつも自業自得よ。それにねぇ、あんたは今、祖国の未来がどうとか言ったけど、長い目で見たら、その未来の方だって大切なんじゃないかしら?そのためには、今、多少の痛みが伴ってもやらなければならないことがあるの。それが大国の使命であり、私達兵士の使命よ」
すぐに気を取り直し言ったそのケニーの言葉に、サーストンは
「そうか。そうやって、目の前でボートバルの仲間やグランダンの人々が戦い、傷つくのもあなたは仕方がないことだと言うのか?」
と、重ねて質問する。
それにケニーの心はまた揺れた。
なぜなら、ケニーだってできることならば誰も傷つけたくはなかったからだ。
しかし、今度も彼女は強い意思を持って
「し、仕方のないことだわ。だって、いつかは誰かがやらなければならないことなんだもの」
と答えた。
すると、サーストンはその様子を見て少し黙った。
最初はただ時間を稼ごうと思ってケニーと話をしていたサーストンだが、やはり彼女の中にもまだ迷いがあるのを彼は見て取ったからだ。これなら、もしかしたらまだ説得の余地があるかもしれない。そう思い、考えを巡らせたサーストンはまた口を開く。
「……本当に仕方のないことなのだろうか?確かに、もう起こってしまったことは仕方ないとしても、これから先のことはいくらでも変えられるのではないだろうか?だとしたら、これ以上の悲劇がもっとたくさん世界中で起こる前に、たとえどんなに小さい戦争の火種だって消せるのなら消すべきではないのか?そして、それは私達ボートバル帝国兵にもきっとできることなのだと思う。兵士に戦う使命なんてない。兵士だって、善悪の判断くらい、自分で行うべきだっ!」
サーストンは一縷の望みをかけ、ケニーの意見に真っ向から反対した。
しかし、ケニーはそれでも、ギリっと歯を食いしばり、引かず
「……うるさいっ!あんたそれでも兵士!?戦争なんてね、遅かれ早かれいずれどっかの国の誰かが勝手におっ始めるもんなんのよっ。それならいっそ我らが帝国が始めた方が、被害が少なくなるってものよ。それにね、今回のこの戦いは世界を元のあるべき姿に戻すための戦いになるんだから!そして、もしそうなれば、お前らみたいなのが理想とする、そんな戦争のない世界とやらが、今度こそできあがるはずなのよ!いい?まだ公表はしていないけどね、国王と王子にはちゃんとそういう崇高な目的があるの。そのための戦争なの!なのに、それを知りもしないで……戦わないですって?偉そうな口をきかないでっ!」
と言った。
それを聞いてサーストンは呆れ果てた。そして、
「偉そうなのはどっちだ……」
と呟く。
もう説得は無駄だと思われた。
「ん?」
そんなサーストンのため息混じりの声が、よく聴き取れなかったのか、ケニーが言うと、サーストンは改めて口を開き、
「戦争をなくすために戦争をする?ふっ、そんなのは使い古された詭弁だ」
と、はっきりと言った。
「なっ!」
それにケニーは驚く。そして
「あ、あんた、どこまで生意気なの……」
と、文句を言おうとするが、それよりも前にまたサーストンが
「ケニー軍曹。あなたはなぜ、そんな詭弁を信じているのですか?いくらランスロット大尉が横にいるからといっても、あまりに無理が過ぎますよ」
と余計なこと言ったから、ケニーはまたまたちょっと戸惑った。でも、すぐさま
「べ、別に無理なんかしていないわ!これが私の本心だものっ」
と立ち直る。
しかし、それを聞くと、サーストンは益々確信を深め
「いや、あなたはもう薄々気がついているはずだ。あのラシェットさんと話をしたことがあるのなら……」
と言った。
その言葉には、今までじっと黙って立っていたエリサもぴくっと反応する。
「ラ、ラシェット・クロードがどうしたのよ?あんなやつ、関係ないわっ!」
ケニーは言う。しかし、それにサーストンは
「いや、自分ではそう思っていても、つい影響されてしまう。そんな不思議なところがラシェットさんにはある。私はそう思いますね……」
と答える。
するとその時、サーストンの視界の中で、ケニーとエリサが立っている屋根の下、その操舵室の中で何かが動いたのが見えた。
「あっ……」
それにサーストンは、思わず心の中で声を出す。しかし、その姿を認め、頬が緩みそうになるのを必死に抑え、何食わぬ顔でサーストンは話の続きをする。もう少しだけ時間稼ぎをするために。
「私はラシェットさんに言われたのです。本当に国のためを思うなら、国王を裏切って欲しいと。だから、私は今ここに立っている。あなたは何と言われましたか?かつて国のためにあえて誰も口にしないことを堂々と、それも国王の前で言ってのけた、あの男に」
「そ、それは……」
ケニーは初めて言葉に詰まった。
そう。ケニーはあれ以来ずっと考えていたのだ。
自分の信じているものと、あの男が信じているもの、その違いについて。
それはどっちが正しいかではなく、なぜそのような考えに至るのか、なぜその言葉に自分の信念が揺らぐのかについてだ。
もちろん、すぐに結論など出ようはずもなかったが、今日エリサに会うまで、ケニーは自分の今までの信念を半ば疑うようになっていたのだ。
でも、いざ自分の上司に会うと、その考えはまた、エリサの帝国主義思想の方へ引きずられていった。
そのことにも、ケニーは少なからずショックを受けた。
もしかしたら自分の意思、意見など本当はないのかもしれないと。こんなにも反対の考え方を持つ、上司とラシェット・クロードの間で揺れている、自分の考えなど、吹けば飛ぶような儚いものではないかと……
ケニーは、自分の意思の弱さに虚しささえ覚えた。
しかし、実際にはそれは、ただ単に年齢と経験の違いからくる問題だということに過ぎなかった。エリサだって、ラシェットだって自分の人生感が固まるまでに色々な迷いを抱え、悩んできたのだ。そして、それが過ぎゆく年月と共にだんだん固まってきて、今のように考えるに至ったのだが、そのことはケニーも同じように年を重ねてみないとわからない。そういう不思議が年齢にはあるのだ。だから、もちろんエリサもラシェットもこれからもっと年を重ねれば、また考え方が変わるかもしれないのだが、そのことを今、ケニーに気がつけるはずもない。
それ故のケニーの戸惑いだった。
「さぁ、どうなのです?」
言葉が出てこないケニーにサーストンは畳み掛けるように聞く。
その声にようやく
「わ、私は……」
と、ケニーが口を開こうとした時、さっとエリサが腕を上げた。そして、
「もういいわ。これ以上は聞くに耐えない。ケニー、銃を返して。私が撃つ」
と言った。
その目は見つめられるだけで凍ってしまうのではないかと思われるほど、冷たく光っている。
「あ、は、はい……エリサさん」
その顔を見てしまっては、ケニーにはもう何もすることはできなかった。だから、素直に銃を渡そうとする。しかし、それをされてはと、サーストンは最後の時間稼ぎに
「ふんっ、そうだ!初めからそうしておけば良かったんだっ!口ばかり達者な、ケニー軍曹などに任せるのではなくな。さぁ、ランスロット大尉、狙いは裏切り者の私だろ?撃つなら撃てっ!」
と叫んだ。
その挑発にケニーの手が止まる。
そして、
「く、口ばっかりか、どうか……試してみるっ!?」
と、ついにヤケになったケニーが、サーストンに向かってもう一度銃を構えた、その時。
サーストンは操舵室の中から一人の男が飛び出し、何かを投げるのを見た。
そして次の瞬間、突如としてケニー達の周りが濃い紫色の煙で包まれるのも。
だから、それと同時にサーストンも素早く振り返る。
そうして、しゃがんでカジを抱えると、思い切り救命ボート方へと走り出した。
銃声は聞こえて来ない。
時間稼ぎはうまくいった、あとはどうやら任せるしかないらしい。
サーストンは重傷のカジを抱え全力で駆けながら思った。そして、心の中で
「すまない、頼んだぞっ……」
と、その男にありったけのエールを送っていた。
「ごほっ、ごほっ。なっ、なによ!?これっ!」
ケニーは突然、煙で視界がゼロになったので慌てて言う。
しかし、いくら腕を振って煙をかき分けても、視界は回復しそうになかった。
このままではサーストンを逃しかねない。
「ちっくしょっ、何がどうなって……」
とまた、もどかしさに、思わず吐き捨てたその時、ぶわっといきなり前方の煙が割れ、中から一人の男が飛び出してきた。
その姿にケニーは
「あっ、あんた……生きてて…」
と思うが、言葉にはならなかった。
その飛び出してきた男は、顔中を煤だらけにしたカシムだった。
彼はとても低い姿勢で、ケニーの銃の射程を掻い潜るようにして出てくると、無言でケニーの脚に蹴りを入れる。そして、ケニーの態勢が崩れると、彼女の負傷した左腕を容赦なく掴み、屋根の下へ放り投げた。
甲板に思い切り叩きつけられるケニー。
ここまで、一瞬の出来事だった。
しかし、カシムは油断することなく後ろを向くと、闇雲に二発、銃を撃つ。弾丸の風圧で吹き飛ぶ煙幕。でも、そこにエリサの姿はなかった。
すると、その発砲のせいで居場所がバレたのか、カシムの横に鋭い蹴りが繰り出される。それを肘でガードし、カシムは立ち上がる。そしてまた銃を撃とうとしたが、それよりも先に、また繰り出された蹴りによって手から銃を叩き落とされてしまった。
だから、カシムは拳を打ち込みに飛び込む。それはエリサのガードに阻まれた。
「あれで生きていたとはね。見直したわ」
とエリサ。
「お前に褒められても嬉しくないな」
とカシム。
互いに組合い、隙を伺う。
カシムは全身が痛んだため、うまく力が入らないところもあったから、力は互角とは言えない。
しかし、カシムはたとえ満身創痍でも、女に接近戦で負けてやるつもりなどさらさらなかった。
ーー「ありがとうございます。そっと、そっとお願いします」
サーストンは乗客達の好意で譲ってもらった救命ボートにカジを乗せ、それに自分も乗り込むと船員にロープで、ゆっくりと海面まで降ろしてもらう。
「もう少し、もう少しの辛抱だぞっ!カジ、頑張れよ!」
サーストンは心配そうにカジに話し掛ける。
しかし、当のカジは先ほどから意識がない様子で、顔面も蒼白。息もだんだんと浅くなってきていた。
「大丈夫だ、大丈夫……」
サーストンは言う。
しかし、それはカジに言っているというよりも、自分にそう言い聞かせているのだ。でないと、良からぬ考えばかりが頭に浮かんでしまう。
「よーし、もう少し、もう少しだ」
サーストンは目前に迫った海面を見て言う。
あとは、ここから降りたらボートを漕いで救助艇にカジを運び込むのだ。
「頼む、間に合ってくれ……ん?」
サーストンが祈っていると、ふいに少し先の海面に異変が起きた。
気のせいかと思ったが、それは気のせいなどではなかった。
また、クジラでも出てきたのかと思ったが、そうでもない。それはクジラなどよりも遥かに大きい影をしていた。
「な、なんだ?あれは……」
絶句するサーストン。しかし、その異常に気が付かないのか、船員達はボートを降ろし続ける。
そして、ボートが無事に海面についた頃、その謎の巨大な物体もその全貌を現した。
それは見たこともないほど巨大な船だった。
いや、海の中から現れたそれが、はたして「船」と呼べるのかはわからなかったが、それ以外に適当な言葉がサーストンには思いつかなかった。
「海に沈む船だって!?そんな…バカな……」
と、一瞬だがカジのことも忘れ、サーストンが呆然としていると急にボートの横に、
ザッバァァーンッ!
と水飛沫が立った。何者かが上から飛び込んで来たのだ。
その不意打ちに驚かされたサーストンだったが、その飛び込んできた人物が、浮き上がり、ボートに這い上がってきた時には、その驚きは冷や汗に変わった。
「ケ、ケニー軍曹……」
そう。ボートに乗り込んできたのは、銃を手に持ったケニー軍曹だったのだ。
折角逃げられたと思っていた矢先の出来事だっただけに、サーストンは戦意を失いかける。
でも、そこでもう一度カジの存在を思い出し、自分はどうなってもいいから、せめてカジだけは見逃してもらおうと
「た、頼むっ、こいつだけはっ、カジだけは……」
と口を開きかけた時、ケニー軍曹がその言葉を銃で制して、
「いい?一度しか言わないから、よーく聞いて。今すぐこの船をあの船につけなさい」
と言ったから、サーストンは呆気にとられてしまった。
でも、そんなことはお構いなしにケニーは続ける。
「早くオールを持ちなさい。じゃないと、その男、手遅れになるわよ。あの船は帝国軍のものなの。そして、あの船の治療施設ならその男を治せるわ。見たところ、それ以外に助かる見込みはなさそうよ。どう?わかった?わかったら、早く漕ぎ始めなさい。私の気が変わる前に」
ーー繰り出される体術はどれもスピードは素晴らしかったが、いつもナジと組手をしているカシムにとっては軽過ぎた。しかし、自分の怪我のせいでスピードの落ちたこちらの攻撃も相手の深い所までは届かない。つまり、両者決め手に欠けたまま、戦いは長引いていたのだ。
カシムにとってはエリサが銃を持っていないことが救いだった。これでエリサがケニーに渡した銃を持っていたら、自分に勝ち目はなかっただろう。素早く距離を取られ続け、いつか撃たれていたに違いない。
「だとしたら、このチャンス……逃すわけにはいかない……」
カシムはなんとなくわかりかけていたのだ。アリ大統領が自分をこの任務に着かせたわけを。さらにはケニー軍曹を送還した狙いを。
吉と出るか凶と出るかまでは、さしものアリにもわからなかっただろうが、きっと帝国の強硬派が動きを見せることは予測していたのだ。そして、それは想定を超えたものになった。
「だから、こいつは餌に掛かった大物だ。ここで捉えてみせるっ!」
そう思ったカシムは賭けに出た。
カウンターを覚悟で捨て身の突進を試みる。
しかし、カシムの予想に反し、エリサはそれをカウンターで迎え撃つのではなく、ヒラリと横に躱した。
「くっ……」
カシムは気配を見せ過ぎたのだ。
それでもう勝負は決まってしまった。
背後を取られたカシムはエリサに腕を取られ、組み敷かれた。
これではいくら力の差があるとはいえ、起き上がることはできない。
「なかなか楽しめたが、ここまでのようだな」
エリサは言う。そして、カシムの首に手をかけた。
が、そこで船がまた急にガクッと傾きを増した。
もう、あの爆破からかなり経つ。
エリサにとっても、そろそろ潮時だった。
すると、海の方から
「エリサさんっ!」
と呼ぶ、ケニーの声が聞こえた。
見ると救命ボートに乗っている。どうやら先にボートを調達していたらしい。
それに、いつの間にやら海面には潜水艦が顔を見せているではないか。久しぶりにいい勝負ができたので気がつかなかったのだな、とエリサは思った。そして、カシムを見下ろすと
「ふっ、命拾いしたな」
とその手を離し、素早く後退した。
そのエリサの行動に、釈然としないカシムは
「待てっ!なんのつもりだ。情けをかけたつもりか?」
と聞く。
しかし、それにもエリサは余裕の表情を浮かべ
「いや、単に時間がなくなっただけだ。また会おう」
とだけ言い、さっさと海に飛び込んでしまった。
「あっ、待てっ、貴様っ!」
カシムが叫んでも無駄だった。
カシムは結局、エリサを逃がしてしまった。
そんな泳いでケニーと合流するエリサを、沈みゆく船の上から見て、カシムは
「……くそっ」
と呟く。
でも、いつまでもそうやってぼーっとしているカシムではない。
彼はすぐに気を取り直し
「この借りはいつか、必ず返すぞ……」
と言うと、振り返って、もう一つの最優先事項である乗客の救助へと駆けていった。
ーー「ご苦労様です。ランスロット大尉っ!」
巨大な潜水艦の中に帰還するなり、エリサにそう言ったのは帝国海軍所属の、ノノ・ウェイル一等海兵とイズミ・レイ一等海兵だ。二人ともとても緊張をした様子で、いつも以上にきちんと敬礼をしている。
二人はこの艦においてエリサの身の回りの世話をしており、彼女には普段から目をかけてもらっているから、こんなに緊張することはないのだが、任務終わりのエリサとなっては話は別だ。
二人はそれをよく知っていた。
「……うむ、ご苦労様」
しかし、今日はいつもよりは幾分、普段のエリサに近かったので、二人はほっとする。
それは、任務がうまくいったからか、それとも隣にケニー軍曹がいるためかはわからなかったが、だからこそ、ケニーに頼まれたことの報告をするのが気が引けた。なぜなら、それが原因でエリサを怒らせることになりはしないかと恐れたからだ。
でも、ケニーの手前、報告しないわけにもいかないので
「ケニー軍曹っ。例の男の件ですが、先ほど手術室に運ばれまして、現在治療中とのことですっ」
と気をつけをしたまま言った。
すると、ケニーも少し気まずそうな顔をして、
「あ、そうか。了解した」
とだけ、簡潔に答えた。
しかし、そんなやり取りをエリサが聞き咎めないわけがなくて
「例の男?」
と聞いてきたから、ケニーは覚悟を決めて
「はい、カジ・ムラサメという、あのサングラスの男のことです」
と言った。
すると、意外なことにエリサは表情を崩して
「ふふっ、なんだ。助けたのか?」
と笑った。
その反応にいくらか面をくらいつつも、ケニーは正直に
「はい、そうです。私の独断で。お叱りは受けるつもりです」
と言った。すると、またしてもエリサは笑い
「ふっ、いや、いいんだ。気にすることはない。それに、あの男からは良い話も聞けそうだからな」
と言う。
そこには、いつもの厳しいがどこか優しそうな顔のエリサがいた。もう戦場の「バーサーカー」ではないエリサが。
「はっ!ありがとうございます!」
そう応えながら、ケニーはそのギャップについて考える。一体何がそこまで、彼女を突き動かすのだろうかと。しかし、それを知っているのは彼女本人だけと思われた。
「では、私はカジ・ムラサメから目を離さないようにしますが、エリサさんはどうしますか?」
そうケニーが聞くと、エリサは
「私は少々疲れたから休む。と、言いたいところだが、どうせすぐにマクベス大佐に呼ばれるだろう?だから、先に面倒事を片付けに行ってくる」
と言い、先に歩き出した。
だから、それにノノ、イズミ、ケニーも続く。
途中まで方向は同じなのだ。それに、まだこの迷路のような艦内に慣れていないケニーは、いつもノノかイズミに案内してもらわなければ、手術室はおろか、自室にさえ戻れない。
「ふーっ、こんなものが本当に海の底に沈んでいたとはな……それも何千年も前から……」
ケニーは無骨な廊下をカンカンと音を立て歩きながら思う。
そして、この艦を見たらあのラシェット・クロードは何と言うだろうか? と考えたが、またすぐにそんなくだらない考えは捨て、前を歩くエリサの背中を、じっと見つめた。
すると、背中に目でも付いているのか、エリサは口を開き
「それにしても、今回は本当に災難だったね、ケニー。ラシェットと関わるとロクな事がないだろう?」
と見透かしたようなことを言うから、ケニーはドキッとする。
「い、いや、その……」
そして、ケニーが曖昧に頷くと、エリサは
「ふふっ、まぁ、いいわ。とにかくあなたは戻って来たし、計画とはちょっと違うけれど種も蒔いた。あとはバルムヘイム・アリがどう出るか…それを待ちましょう」
と言って振り向き、真剣な表情を見せる。
「はっ!」
ケニーはそう応えつつも、それをまた複雑な気分で受け止めていた。