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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
54/136

予兆 1

船の旅はいいものである。

特に大きくて、揺れも少ない客船ならば尚更だ。

部屋ではゴロゴロと足を伸ばせるし、甲板に出ればうまい空気も吸える。


手摺に寄りかかり見渡せば、青い空も、あの白い雲も、この果てしない海も、ぽつりぽつりと点在する様々な形をした島々や、遠くに見える乾いた大地も、全てが自分のもののように思えてくる。

それは所有物だと思うということでなく、自分も確かにこの世界に含まれているのだと感じるということだ。


つまり、世界は自分のものであり、自分は世界のものであるという認識。


海の上を旅すると否が応でもそれを再確認させられる。たまには水の上に浮いてみるのもいいものだ。


「だがなぁ……」

とサーストンは手摺に寄りかかりながら思う。手にはカップに入ったコーヒーを持ち、時折それを飲んだが、飲んだところであまり気分が落ち着かないし、そもそもあまりうまくもない。


それは自分が、想像していたよりもずっと大事な任務を預かってしまったことによる緊張感のためもあったが、それ以上に気を使うことがサーストンにはあったからである。


「やはり、私は根っからの諜報部員なんだな……一人の方が気楽だ」


サーストンの悩み、それは今、彼らの部屋にいる残り二人のことだった。

一昨日の晩、グランダンを出国して以来今まで、二人はずっと険悪なムードを漂わせ、しかも嫌なら一緒にいなきゃいいのに、カシムは「いや、お前を見張るのが俺の任務だ」と言って付き纏うものだから、余計にどうしようもないし、ケニーも黙っていればカシムは無口で寡黙な男なのに、いつも火をつけるようなことばかり言って喧嘩を売っている。正直、最初は色々と気を回したサーストンだったが、もはやどうでもよくなっていた。


「この船にさえ乗れればよかったのだ。アリ大統領に手紙も渡した。あとはリー少尉に無事に手紙を渡せることができれば……ケニー軍曹には悪いが、あとはもう勝手に帰ってもらおう……はぁ。うん、それでよしとしよう」

サーストンはまたコーヒーを飲む。やっぱり泥のような味がした。船の上だって、どうやらいいことばかりではないらしい。


サーストンは船が目指す方角を見る。

すると、その目指すずっと先に、うっすらとまた大地が見えてきているのがわかった。

アストリア大陸である。

この船はグランダンの首都ラースの北にある、ラース港を出発し、ひたすら東進してきたのだ。そして、まずはアストリア大陸西岸の港町、ビシュルトで補給をする。それからはアストリア大陸沿いに北上し、また時々補給をしながらサンプトリア大陸に渡る。そこから今度は西進してコスモのあるメルカノン大陸を目指すのである。


航行予定日数は14日。かなり長い旅路だ。

もしかしたら、自分がコスモに着くよりも前に、ボートバルは開戦を宣言してしまうかもしれない。それに、リー少尉のことだから、少尉も自分が着くよりも前に何かを掴んで、無理矢理セント・ボートバルに戻っているかもしれないなとサーストンは思う。そうしたら、サーストンはただの骨折り損である。

しかし、気を焦らせても船は速くなるわけではない。それに、リー少尉については、仮にそうなってしまったとしても、それはそれで良い事ではないか。

あとは祖国が蛮行を思い止まってくれるのを祈るのみ……しかしサーストンには、そちらのタイムリミットの方は、今も刻一刻と近づいてきている気がしてならなかった。


本当なら自分が飛行機を操縦できれば一番時間短縮ができてよかったのだが、できないのだから仕方がない。

それと、カシムに頼んでみても、やはりそれもうまくいかなかっただろう。カシムは純粋な戦闘飛行機乗りなのだ。大陸間横断飛行や、長時間に及ぶ連続飛行、またそのための天気の読み方や風の読み方などの技術は、あまり身につけていないのである。

しかも距離が距離だ。郵便飛行機乗りだって、よほどの腕前でないとこんな無茶なフライトはできないし、引き受けてもくれまい。

もし仮に、アリ大統領に飛行機を搭載した母艦を借りられて、メルカノン近海まで行った後に飛行機で向かえば、何日かは時間を短縮できたのだろうが、今のこの状況で母艦など借りられるわけもないし、下手に母艦など動かそうものなら、余計に開戦時期を早めてしまう懸念すらある。


サーストンは手摺により掛かった腕に顎を乗せた。そして、懐に仕舞ってあるラシェットの手紙の感触を確かめる。


とにかく、今はこれしか方法はないのだ。

自分はラシェットさんとリー少尉、あのお二人のようには立ち回れない。だから、せめてお二人の橋渡しにはならなければ。そうすれば、きっといい知恵を出してくれるに違いない。そしてその時には、また自分にもできることが出てくるはずだ。


サーストンは考える。

だから、今は焦っても仕方ない。ゆっくりと船の上で準備をして、覚悟を決めておこう。


「さて、だったらやはり、今の険悪なムードは問題だな……ここは私がぐっと堪えて、二人の仲を取り持つように努力をしなければ」

サーストンは憂鬱だったが、いくらか気分を持ち直し、そう判断すると、手摺りから離れ船室の中へ戻っていった。


船内は広いとはいえ、さすがに廊下は細く、狭い。

床にはカーペットが敷き詰められ、壁は木製だ。その壁には等間隔にいくつものドアが付いており、ずっと先まで続いている。揺れもあまり感じないことから、ほとんど、細長いホテルの中を歩いているようだった。


サーストンが自分達の部屋である2426号室に着くと、意外なことに二人は無言で座っていた。ただ、口喧嘩こそしていないが、お互いにそっぽを向いているその部屋の空気は、ひどく淀んでいるように思われた。

その様子を目にしたサーストンは

「子供か、あなた達は……」

と思いつつも、先ほどの決意を思い出して

「どうですお二人とも、ここはひとつ、甲板などに出られては?たまには海の風にあたるのもいいものですよ」

と、どうにか言った。

すると、ケニーがその言葉に反応し、

「お、いいわね。私も部屋にばっかりいたら気が詰まっちゃうもの。行きましょ」

と椅子から立ち上がった。しかし、それを見てカシムは

「いいや、ダメだ。お前は余計な動きはせず、ここにいるんだ」

と言ったから、また喧嘩が始まってしまう。


「あのねぇ。ちょっとくらいいいじゃない。まだまだ先は長いのよ?なのに、今からこの調子じゃ、そのうち本当に気がおかしくなっちゃうわよ!」

ケニーはカシムを睨みつけ、言う。しかし、カシムはそれを気にせず

「いや、ダメだ。そういう油断が、後に致命的な失敗に繋がるのだ。大人しくしていてもらおう」

と言うから、取りつく島もない。

「はぁ、カシム軍曹さぁ……私は丸腰なのよ?この状態でどうやってあんたら二人を振り切れるわけ?しかも、ここは逃げ場のない海の上じゃない。そんなことしたって無駄だし、私になんのメリットもないわ。ねぇ、そうは思わない?」

「いいや、何が起こるかなどわからない。それに、俺にとっては、これはアリ大統領から仰せつかった大事な任務なのだ。任務成功のためにはあらゆる危険性は排除させてもらう」

カシムは無愛想にそう言った。

それを聞き、ケニーは何よ、意味わかんない、この堅物! バーカなどと言っている。サーストンは頭を振った。これでは元の木阿弥だ。

それに、カシムは気にし過ぎだとも思う。だから、一歩進み出て


「カシム軍曹、お気持ちはわからないでもないですが、いくらケニー軍曹でもこの状態で何かができるとは私にも思えません。武器もありませんし…何より片腕を負傷しております。それに、微力ながら私もおります故、どうか一緒に甲板に上がるくらいの許可は出していただけませんか?このままでは、ケニー軍曹はもちろん、カシム軍曹、あなたまで疲れてしまいます」


と、難しい顔するこの少年兵に進言をした。


すると、ケニーは

「お、なんだ上等兵、お前裏切り者のくせに、いいこと言うじゃん!そうそう、私は無害よ。それに、黙っていればちゃんと国に帰れるんだから、別に暴れようとも思わないわ。だから、ここはお互いのためにも、もうちょっと気楽にいきましょ?ね、軍曹?」

と笑顔でサーストンに同調する。


「うむ……」

カシムは、そのサーストンの意外な援護を受けたケニーの言葉に、さすがに少し考えざるを得なかった。

確かに、今の状況をケニーひとりで打破できるとは到底思えないからだ。それにケニーが脱走を企てる理由もない。本人の言う通り、ただ黙っていればカシムとサーストンがボートバルまで送り届けてくれるのだ。


が、しかし、それでもカシムが迷うのは、彼特有の勘が働くからだった。

ケニーはまだ何かを隠している。

それに、わざわざ自分にこの任務を与えたアリ大統領の読み。そして、このタイミングでの送還の意味……

一見、油断してしまいそうなこの状況でも、簡単に気を緩めてはいけない気が、カシムにはしていた。

でも、一方でサーストンの言うこともよく理解できた。どちらにしろ、ずっとこのままでは、いずれ集中力が途切れてしまいかねない。それもまた致命的な失敗に繋がる要因になりやすいのだ。だから、さしものカシムも


「ふーっ、そうだな。では、甲板に上がるくらいは許可しよう。しかし、もちろん俺も行く。見張りは外せないという条件だがな」

と渋々、二人の提案を受け入れ、立ち上がった。

それを聞き、ケニーはやったーと笑い、サーストンはほっと胸を撫で下ろしたのだった。



三人で甲板に出て話をしているうちも航海は順調に進み、二時間ほどで最初の補給地点、アストリアの港町ビシュルトに到着した。

ここでは乗客の乗り降りはない。ただ補給するだけである。補給が済んだら軽く点検をして、一時間ほどで出港だ。

それでもカシムは港を見下ろしながら

「妙な気は起こすなよ」

とケニーに鋭い視線を送り続けているが、ケニーはもう呆れ果てた様子で、はいはいと頷いていた。どうやら少しずつだが、カシムの態度に慣れつつあるあるらしい。

それを横目に見ながらサーストンはビシュルトの町を眺める。古い、木造建築が並ぶなかなか雰囲気のある町で、町の端にはひときわ高い、物見台が建っていた。たぶんあそこから、火事などの見張りをしたのだろう。きっと、夜には火を灯し、灯台の代わりにもしたはずだ。

港は夕方の今は閑散としていたが、市場があることから、朝は活気に満ちた朝市が開かれているに違いないと思った。さぞ、うまい魚、出店もあることだろう。そんなどこか懐かしい、ビシュルトの風景をサーストンは好感を持って見つめていた。


そんなふうに目を動かしながら、やっぱりこの二人を部屋から引きずり出して正解だったなぁと、サーストンが感慨に耽っていると、ふいに下の方から


「おいおい、一人くらい乗れるスペースはねぇのかよ。俺はもうここで何時間も同じことを言われ続けてるんだぜ!?」


となにやら、聞き覚えのある声が聞こえてきたから、サーストンはびっくりして、思わず下を覗き込んだ。


「ええ、はい。ですから我々の船も既に定員ピッタリでして、どうしてもお乗せするわけにはいかないのです」

「いいじゃねぇかよ、一人くらい増えたところで大して変わらねぇよ。とにかく、俺は急いでんだ。頼む、船長さんでもなんでもいいから呼んできて、直接話をさせてくれ!話せばわかると思うんだ。な?な?」

「こ、困りますよ。話してわかるような問題じゃないんですって……」


困惑する若い船員に、すごい勢いで迫っている黒髪短髪サングラスの男。言っていることは滅茶苦茶だが、どこか本当に話せば説得してしまうのではないかという気にさせる、その迫力。そして、なによりも特徴的なダークスーツと黒いネクタイで決めた、そのスパイルック。もう間違いなかった。

「な、なぜこんな所に?」

とサーストンは驚愕しつつも、次の瞬間には猛ダッシュでその上まで駆け寄り、手摺りから身を乗り出しながら


「カジッ!おーいっ!カジーッ!」


と、その愛すべき同期に手を振っていた。


「ん?」

とその声に反応し、カジ・ムラサメは顔を上げる。すると、どうやらあちらもサーストンがこんな所にいるのが意外だったらしく、驚きの声を上げ

「お!?なんだ、サーストンじゃねぇか!なんでお前がこんな船に乗ってんだ!?」

と聞いた。

すると、サーストンは何から説明したらいいか、わからなかったから、とりあえず

「この船で、コスモのリー少尉の所に向かってるんだ!ラシェット・クロードさんから伝言を預かったからなー!」

と答えた。それを聞きカジは察したらしく、

「ラシェットさんの!?そうか、ラシェットさんにリー少尉からの手紙を渡したのは、お前だったのか!なるほど、なら話は早い」

とサーストンに言った。

「ん?なんだ、カジ。お前もラシェットさんに会ったのか?」

そう聞かれるとカジは頬をぽりぽりと掻いて

「いや、まぁ、会ったといえば、会ったんだけどよ……」

と言葉を濁らせる。


すると、ふいに

「あのー……」

と、先ほどまでカジと話していた船員が声をかけてきた。

「ん?」

とそれに気がつき、カジが振り向く。それを見た船員は続けて

「もしかして、サーストンさんとお知り合いなのですか?」

と聞いてきた。それに

「あ?ああ、知り合いというか、まぁ仕事仲間なんだけど……」

と、カジがちょっと戸惑いながらそう答えると、船員は


「あ、そうだったのですか!それは大変失礼いたしました。そういうことでしたら、もしかしたら便宜を図れるかもしれません。サーストンさん達には特別に計らうように大統領から言われておりますので」


ときっぱりと言った。だからカジは、

「だ、大統領?」

と思わず間抜けな声を出す。


「はい。ですので、とにかく待っていてください。今、船長に確認に行ってきますから」

と言い、駆け出しそうになった船員にカジは慌てて

「あー!ちょっと待った!もういい、もういい、もう大丈夫になったんだ。船に乗らなくても!」

と声をかけ、引き止めた。

そして、続けてカジは

「俺が乗らなくても、あいつに伝言を頼めば大丈夫なんだ。ありがとう」

と言う。それを聞き、サーストンは伝言? と思った。しかし、長年の仲だからすぐに

「伝言か?リー少尉にだな?で、どんな内容だ?」

と反応した。それを聞き、カジもにやりとする。さすが、話がわかると。


「ああ、実はなラシェットさんが捕まった。ショットってやつにだ。で、今はアストリア城にいるはずだ。でも、今のところ救出に行けるやつが誰もいないし、そもそも誰もこの事態を把握していない。そこで、リー少尉に知恵を借りたいんだ。それとできれば増援も欲しい。現状じゃあ、難しいかもしれないが、リー少尉しか頼りになる人がいないだろ?皆、それどころじゃなさそうだもんな!」


カジがそう言い終わるとサーストンはさすがに少しショックを受けた。

まさか、あのラシェットさんが捕まってしまったとは……と。

でも、黙っていても仕方がないので、

「ああ、そうだな。了解した!」

と敬礼した。そして、ふと思ったので

「そういえば、カジ。お前、ミニスさんはどうした?一緒じゃないのか?」

と聞いた。するとカジはああ、と言い


「ちょっと別行動してるんだ。なにせ、俺かミニスがリー少尉に伝言しなきゃいけなかったからな。二手に分かれるしかなかったんだ。でも心配すんな。あっちには俺よりもずっと頼りになるお嬢ちゃんが付いてるんだ」

と、サーストンにはよくわからないことを言ったから、サーストンは首を捻った。でも、それを言い終わるとカジは


「じゃ、伝言確かに託したぜ。くれぐれもリー少尉によろしくな」


と、無情にもその場を早速立ち去ろうとしたから、サーストンは突然閃いて


「あっ!ちょっと待て、カジッ!」


と叫んだ。そして「ん?なんだ?」 と振り返るカジに向かい、サーストンはさらに続けて


「やっぱりお前も来てくれっ!頼むっ!ひとりじゃどうも不安なんだ、一緒に船に乗ってくれっ!」


と叫んでいた。



ーー結局、何度断っても引き止めるサーストンに根負けしたカジは、とぼとぼと甲板へ続く階段を登っていた。

木製の階段は登る度にコト、コトと音を立てる。


サーストンが何をそんなに不安がっているのかは知らないが、カジは残してきたミニスとキミのことを考えると、なんだか申し訳なく思った。でも、すぐに

「まぁ、最初から俺はリー少尉の所に行く手筈になっていたんだ。ミニス達もそれはわかってる。それに、やっぱり俺はラシェットさんを助けたい気持ちが強いからなぁ……みすみす見逃したとあっちゃあ男のプライドにも関わる。でも、本当はお嬢ちゃんが一番、ラシェットさんを助けたいんだろうが……ラシェットさんとの約束がな。うん、とにかく俺がその分も頑張ってみますか」

と、気持ちを切り替え、甲板に出るドアの前に立った。


ドアを開けると、甲板には西陽が眩しく射していた。そして、すぐ前にはカジを迎えにきていたサーストンと、もう二人、知らない少年と女が立っている。

少年はその服装からすぐにラースの空軍だと知れた。階級は軍曹。「げ、その年で俺よりも上かよ」とカジは思う。そして、隣の女は……

「ん?」

カジはそこで気がつき、まじまじと女の顔を見た。すると、女は嫌そうな顔をしたが、その顔つきでカジは余計にピンときて


「お、なんだ、誰かと思えば、あんた「第1空団のお騒がせ姫」ケニー・クリスじゃねぇか。あんたもこんな所で何してんだ?」


と言った。それにカチンときたらしいケニーは

「はぁーー?なによ、その渾名!あんたら諜報部はいつも私のことをそんなふうに呼んでるわけ!?」

と抗議する。しかし、カジは特に臆することもなく

「別に諜報部だけじゃないだろ?皆そう呼んでるぜ。あ、ところでよ、前からずっと、あんたに会ったら聞いてみたいと思ってたんだがよ……」

と言った後、言葉を切り、おもむろに


「あんた、時々ダウェン王子と寝てるって、本当か?」


と聞いたものだから、その場の空気が氷ついてしまった。


「なっ、ななな、何をっ……」

耳を真っ赤にし、絶句するケニー。


サーストンは心の中で、

「カジッ!お前はいつも直球過ぎるぞっ!」

と頭を抱えた。


「何を、根拠にそんなことを!」

「ん?なんだ、違うのか?」

「うっ……、そ、それは…あ、当たり前だっ!」


そんなふうにケニーと言い合うカジを見て、サーストンはカジ、やっぱりお前は逞しいよ……と冷や汗を掻いた。でも、事態はそれで収まらなくて、今度は横からカシムまでもしゃしゃり出てきて、

「待て、今の話、本当だとしたら見逃すわけにはいかないぞ。やはりスパイ容疑でも、もう一度取り調べをしなくてはならなくなる」

と話をよりややこしくした。

「あー、もうっ!いい加減にしてっ!」

と、ケニーは頭を掻き毟る。そして、カシムに向かい

「本当に、私はスパイなんかじゃないし、何の密命も帯びてないのよ。それは散々言ったじゃないの!もー、それよりもさ、ちょっと一人にしてくれない?」

と唐突に言った。

「なんだ?新たな疑惑が出たから逃亡しようというのか?」

カシムがそう聞くと、ケニーはバッカみたいと吐き捨て

「逃げないわよ。トイレよ。ト・イ・レ!みなまで言わせないでよ」

とふくれてと言った。すると、カシムは

「そうか、わかった。なら、俺もついていく」

と、当然のように答えた。


いやいやながらもトイレの前まで、ついてくることを了承したケニーと仕事熱心なカシムが船室の方へ歩いていくのを見送りながら、カジはサーストンの方を見て

「お前も色々大変そうだな」

と言ってくれたから、サーストンはその一言だけで救われた気がして

「ああ、まぁな」

と肩を落として言った。


しかし、サーストンを気遣うような発言とは裏腹にカジは


「でもなぁ、サーストンのくじ運ってすげぇ悪いからな……今回も泥舟に乗ってました、なんてことにならなきゃいいけど……」


と、密かに心の中で思っていた……



ーー「はぁ、もう最低。なんなのあの男達、全然タイプじゃない……」

ケニーはトイレの個室に入るなりそう呟いていた。やっとできた、つかの間の一人の時間だった。

別にトイレに行きたかったわけではないのだ。どうにかして、一人になりたい。そして、あいつらからどうやって逃げ、隊と合流しようかと、その考えを集中して巡らせたい、その一心だったのだ。


でも、せっかく一人になってもここではどうしようもない。

カシム軍曹も思っていたよりもずっとしつこいし、おまけにまたわけのわからない失礼な奴が増えてしまった。


「ったく、怪我さえしてなかったら、あんなやつら……」


しかし、現実は怪我をしていて、しかも三対一だ。勝てる見込みは少ない。万事休すといってよかった。


ケニーはトイレの扉を見つめた。

なんの変哲もない、青い木製の扉だ。しかし、その色のお陰か清掃が行き届いているお陰か、非常に居心地が良いように思われた。そういうわけにもいかないが、これなら長時間でもここにいられそうだ。


「はぁ」

ケニーはため息をつく。

こうしている間に、良い考えが浮かべばよかったが、どうも浮かびそうにない。そもそもケニーは武闘派でのし上がってきたのだった。どうしても強引な手ばかり思いつく。

「ああ、どうしよう……」

と、トイレの壁に向かい、もう一度大きく呟いた時、突然隣の個室から


「……遅いわよ、ケニー。トイレに来るだけで、どれだけ時間が掛かっているの?」


と声がしたからケニーはびっくりして飛び跳ねてしまった。


「えっ?」


思わず声も漏れる。しかし、それは声がしたことによる最初の驚きとは異質の、ある種の恐怖から漏れた声だった。

なぜなら、ケニーはその隣の個室からした声に、聞き覚えがあり過ぎるくらい、聞き覚えがあったからである。それに思い至り、ケニーは全身を恐怖で硬直させた。なんで? なんで、こんなところに?


「エ、エリサさん……?」


恐る恐るケニーが聞くと、隣の個室の女性は


「……ケニー、あなたまさか、忘れたわけじゃないわよね?もしもの時の打ち合わせ。もし、敵に拘束された時は女子トイレに逃げ込みなさいって。女に甘い相手ならここまでは入ってこないはずだからと、そう教えたはずよ?」


と、幾分気分を害したように言ったので、ケニーはますます血の気が引いた。だからすぐに取り繕い

「い、いいえ。覚えておりました。遅くなって申し訳ありませんでしたっ!」

と嘘をついた。正直に言っても、何もいいことなどないのはわかっていた。ヘタしたら、とんでもない目にあわされる。

すると女は


「……ふーん、まぁいいわ。そういうことにしといてあげる」


となんとか納得してくれた。


それにケニーはほっと胸を撫で下ろし、

「し、しかしエリサさんは、どうやってこの船に?」

と聞くことができた。でも、エリサは

「そんなことはいいわ。私には色々な情報源とコネがあるの。それよりも、由々しき事態ね、ケニー?」

と言うから、またケニーは緊張してしまう。


「由々しき事態、ですか?」

「そうよ。あのサーストンという諜報部員の情報漏洩。それにバルムヘイム・アリ大統領の手腕が加わり、さらにラシェットのバカとリッツ王子の動きによって早まってしまった準備。全てがボートバルに悪い方へ向いてしまっているわ」

「は、はぁ……」


ケニーには難しい話はよくわからなかったが、エリサがサーストンやラシェットに対して腹を立てていることだけはわかった。でも、ひとつ明らかにわからないことがある。それは、なぜエリサは自分が話してもいないサーストンの裏切りのことを知っているのだろうということだ。だから、

「なんで、エリサさんはサーストン上等兵のことを?」

と聞いてみた。すると、エリサは初めてふっと笑い、


「ケニー、あなた捕まってからずっと、下着替えてないでしょ?」


と言ったからケニーはドキッとしてしまった。

「え、え?は、はい……替えていませんが…し、仕方がないじゃありませんか、替えがなかったんですから。でも、それが……?」

ケニーがそう聞くと、エリサは


「その下着に私が盗聴器を仕掛けておいたの。だから、あなたの身の回りで起きたことは全て知っているわ。あなたがラシェットに会ったこともね」


ととんでもないことを言い出した。

「え、えっ!?わ、私の下着に!?そ、そんな。そんなに小さい盗聴器なんて、聞いたことも……」

ケニーが下着を探りながら言うと、エリサはまた笑い、

「ふふ、これも博識の三男坊からの技術提供らしいわ。どういう出処かはわからないけど、便利なものね」

と言う。さらにエリサは続けて


「だから私は知っているのよ。それに知ってしまった以上は裏切り者は消さないといけないわ。ついでにラシェットに加担するやつも、アリ大統領の側近もこの際だから消しておこうかしら」


と言う。その言葉にケニーはゾッとした。


「け、消すんですか?」

「あら、不満かしら?それが私達、『新生第1空団』と『黒の革命』のやり方じゃない。あなたも目的のためには手段を選ばないと決めたはずでしょ?」


エリサはケニーに言う。そう言われてしまえば、ケニーはもう何も言えない。

普段はエリサのことを姉貴と慕っているケニーだったが、任務となると人が変わるエリサにはケニーは恐れすら抱いていた。


「は、はい。もちろんです」

「ふふ、よかった。ケニーはただでさえ、あんなバカに撃墜されてるんだから。もっと頑張って貰わないと」

エリサはまた不愉快そうに言う。しかし、そのことにいまいち気がついていないケニーは


「はっ、申し訳ありません。旧型機と侮り、不覚をとりました。しかし、言い訳ではありませんが、ラシェット・クロードはかなりの腕でした。さすが、エリサさんの元彼、只者では……」


と言ってしまい

「その話は止めなさい。思い出したくもない……」

と、またエリサの不興を買ってしまった。


その非礼に対し、ケニーがしまったと思いつつ、

「はっ、も、申し訳ありませんっ」

と謝ると、エリサはふーっとひとつ息を吐き、

「ま、いいわ。とにかく今はここをなんとかしましょう。そのついでに邪魔になりそうな者を始末し、それから脱出、帰還するわよ。いいわね?」

とすぐに水に流してくれたようだった。


「はい。しかし、どうやってこの船を出ましょうか?もう出港してしまいましたし、ボートも……」

と、ケニーがエリサに相談しようとした、その時


カチッ


と、隣から小さな音が聞こえた。

それにケニーが「ん?」と思う暇もなく、また次の瞬間には


ズゥドォォーンッ!


と、船の底の方から、今度は凄まじい爆発音が船内中に鳴り響き、船全体がぐらっと少し左に傾く。

あまりの衝撃に船はグワングワンと上下にも揺れた。


「なっ」


とケニーが驚いていると、ガチャッと隣のトイレの個室が開く音がした。

それに思わず、立ち上がり、ケニーも自分の入っていた個室の青い扉を開ける。

すると、そこには見間違うはずもない、第1空団の先輩、エリサ・ランスロット大尉が厳しい目つきで立っていた。


「お、お久しぶりです。エリサさん。今のは一体……」

ケニーが敬礼して聞くと、エリサは特に関心がなさそうに

「小型の爆弾を荷物に入れておいたの。それが船底の貨物室で爆発しただけよ。さ、今のうちに行くわよ」

と答えた。

その答えに疑問を感じたケニーは、

「ちょ、ちょっと待ってください。行くってどこに?」

と聞き直す。すると、エリサはさっと振り返って


「あなたもこの間乗った「あれ」によ。ダウェン王子肝いりのあの機体が、このすぐ近くまで迎えに来ているの。だから最悪、そこまで泳いで行ければ脱出できるわ」


と言った。それを聞いて「え?あれが、こんな所まで?」と、ケニーは無言で驚く。


その驚きを知ってか知らずかエリサは涼しく笑い


「さ、ぼさっとしてないで行くわよ。まだ私達の戦いは始まってもいないんだから」


とケニーに手招きをし、腰のホルダーから大きなオートマチックを取り出した。



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