第二の男 2
「ちょっとお話しませんか?」
大声でそう言うショットの声が風に乗り、ナーウッドの耳まで届いた。
お話しませんか? だと?
あいつは、一体誰に向かってそんなことを言っているのか、わかっているのか?
ナーウッドはその言葉に益々頭に血がのぼってしまった。
ナーウッドはわかっていたはずだった。
ショットがどのような思想の持ち主であり、どのような性格の男であるかを。しかし、今の彼は、先ほど見せられたオリハルコンの強度と、その後の、人を舐めきったようなショットの態度によって、完全に平常心を失っていた。
「話だと!?てめぇと話すことなんて何もねぇ!どうしても俺と話をしたけりゃな、一緒に地獄に行ってからだ!」
ナーウッドはそう叫んだ。
その叫び声のあまりの煩さに、ショットは思わず顔をしかめ耳を塞ぐ。
「いやいや、相変わらず威勢だけはいいですねぇ、ナーウッドくん!でも、何もとって食おうというのではありません!少しくらいいいじゃないですか?」
「うるせぇ!」
ナーウッドはより声を張り上げて言った。
「やれやれ、ですねぇ」
ショットは呆れ顔で言って腰に手を当てる。
「どうしてもですかー?」
ショットはしつこく聞いたが、ナーウッドの答えはノーだった。
ショットはつまらなく思った。久しぶりに面白そうな話し相手が現れたと思ったのに、自分も随分嫌われちゃったなぁと。
だから腕組みをして考えた。どうしたらナーウッドは自分と話をする気になってくれるだろうかと。
すると、ショットはポケットから無線機を取り出し、なにやら適当に弄り始めた。
ショットは思ったのだ、そもそもこんなに叫んで会話をするのは、とても疲れると。確か、ナーウッドくんは無線機を持っていたはずだ。きっと今も電源を入れっぱなしにしているに違いない。その周波数と回線がわかれば、こんな叫んで会話をしなくても済む。
ショットが作業を開始してから、わずか30秒。
「本当にダメかい?」
と、もうナーウッドの無線機からショットの声が発せらた。
ナーウッドは驚き、すぐに無線機をポケットから取り出す。
「てめぇって、奴は……どうやって」
ナーウッドは言った。
「ふふふふ、それは言わないお約束。秘密っていっぱいあった方が楽しいじゃないですか?」
ショットは言う。
ナーウッドはそれを聞いて、舌打ちをした。
ショットは、時々こういった奇妙なことをやってのける。ナーウッドが無線機で使っていた特殊回線は、そんな30秒では到底解析、探知できないものだった。ましてや、この大都会アストリアだ。ここいらに乱れ飛んでいる回線は数知れない。それをどうやって正確に……ナーウッドは思っていた。
「さて、これで少しは僕と話をしてくれる気になったかな?」
ショットは無線機を片手に言う。
そして、運転手の方をちらっと見た。運転手はそれに気がつくと、うんと頷き、車内の無線機を手に取る。
「へっ。いや、ならないね。俺はなるべくなら、てめぇの声なんざ、金輪際聞きたくないんだ」
ナーウッドはそう言うと、無線機の電源を切ろうとした。ショットの声にうんざりしていたのもあったが、彼はこれ以上の長居は危険だと判断したのだ。が、しかし
「本当にいいんですか?あなたのお仲間達の近況を教えてあげてもいいんですよ?」
というショットの発言に手が止まってしまった。
「……近況だと?」
ナーウッドは言った。その声には、先ほどよりもさらに強い怒りの色が満ちていた。
「ええ。と言っても、御三方共、今だにうちの研究室のベッドでぴくりとも動かず、ただ眠っているだけなんですけどねぇ。本当に嫌になっちゃいますよ、なんの役にも立たないくせに維持費ばかりかかって」
ショットはさも面白そうに言う。
「て、てめぇ……」
それを聞いたナーウッドは怒りに任せて無線機を握りしめた。無線機がギシギシと音を立てる。今にも握り潰しそうだった。
「ほんと、感謝して欲しいですよ。栄養剤を点滴し、モニターをつけて、排泄物の処理までしてるんですよ?僕の部下は。いつ戻ってくるかもわからない彼らの意思の力、その可能性を信じてね。でも、そろそろ見切り時です。あれから、一年経ちました。きっと彼らはもう戻っては来ませんよ。ナーウッドくん、君がいくら祈ろうと、いくら解決策を探そうと所詮は無駄なことでしたね。ふふふ」
ショットはそう言って笑うと、一度言葉を切った。そして話を続ける。
「というわけで、近々彼らの肉体は処分します。もう不要なものですからね。まぁ、まだまだ我々にもわからないことがありますから?脳味噌くらいは残しといてあげてもいいですがねぇ。そうしたら、培養液に浸けておくだけでよくなりますから、維持費カットにもなりますし。あなたのお仲間もこれ以上恥ずかしい思いをしなくて済むようになるでしょ?これって結構いい考えだと思いませんかねぇ?ね、ナーウッドくん?」
そう言い終わるとショットは、ははははと笑った。
ナーウッドの怒りは頂点に達していたが、同時に背中に強烈な悪寒が走るのも感じた。
ヤン達を処分するだと……
ナーウッドはついに想定していた最悪のことを言い出したショットをキッと睨みつけた。遠目でもあのショットの人を不快にさせるへらへら顏が見えるようだった。
ナーウッドは唇を噛む。
もう少し時間があると思っていた、と。
いや、もしかしたら、これはショット得意のハッタリかもしれない……ナーウッドの思いからしたら、とても不本意だが、奴にとってあの三人は貴重な被験体のはずなのだ。
なぜなら、あの時、あそこを脱出する際に自分とサマルとで「あれ」は完全に破壊してしまったのだから。もう、おいそれと追加実験などできないはずだ……
「そんなデタラメを言って、俺を動揺させられると思っているのか?」
ナーウッドは強い心でもってそう言った。
しかし、ショットはそれをも嘲笑うかのように
「君がそう思いたい気持ちはわからないでもないですけどね、ナーウッドくん。でも、僕はもう飽きてしまったんですよ。あなたのお仲間の顔を眺めているのも。それに、唯一の帰還者だったサマルくんの実験データと、彼の残した膨大なノートもありますからね。ま、逃げられてしまったのは誤算でしたが……とにかくあれさえあれば、しばらくは遊べます。だからもう金食い虫達は用済みなんですよ」
と言った。
その言葉を聞いて、ナーウッドは立ったまま銃を構えた。彼は身の丈ほどある長銃を、ショットに向かってピタリと照準する。恐ろしい怪力だった。
「黙れっ!腐れ野郎っ!今すぐその減らず口、きけねぇようにしてやるっ!」
彼はスコープを覗き込む。そこには憎っくきショットのへらへら顔が、月明かりに照らされてはっきりと浮かび上がっていた。
「やれやれ。そんな銃なんかじゃ、僕は殺せないのに……いいですよ。じゃあ、ここに立っててあげますから思う存分撃ってください。それで気が済むのならね」
そう言うのが無線機から聞こえてきた。スコープの中に見えるショットは呆れ顔をしている。そうナーウッドが認識すると同時に彼はもう照準をショットの額に合わせていた。
「ああ、望み通りにしてやるぜ……」
ナーウッドは呟く。彼の頭は真っ白になっていた。無線機からはまたショットの不吉な笑い声が聞こえる。
「ふふふ、そうそう、よーく狙ってください」
ナーウッドは集中してスコープを覗く。
彼は冷静さを欠きながらも考えていた。あの、ショットの前に現れた見えない壁のようなものは何だったのかと。ガラスか?ガラスにオリハルコンを塗布した、強化シールドなら、その大きさにもよるが、真正面からの死角はないはずだ。しかし、あの時ショットが車から降りた際、そんなシールドを持っているような仕草はしなかった。ガラスではないだろう。しかし、だとしたらいったいなんなんだ?目には見えない、何か小さなものなのか……とにかく試してみる価値はある。彼はそう思っていた。
スコープの中でショットと目が合う。
ショットの瞳は相変わらず不気味な深い緋色をしていた。
「ちっ、ダメだ。あの目をあんまり見つめては」
ナーウッドは思った。だから意識的に視界をぼやかせる。
「あの目を。あの目を見たせいで皆は……」
「さて、どうしました?やっぱり、撃たないんですか?」
ショットがそう言って、首を傾げた、その時。
ズシュゥンッ!!ズシュゥンッ!!
と二発の弾丸が、彼の額を寸分違わず捉えた。しかし、その弾丸は虚しくもまた、額の少し前でパリーンパリーンと砕け散ってしまった。
ズシュゥンッ!!ズシュゥンッ!!ズシュゥンッ!!
ナーウッドは続けざまに、今度は足元、手元、心臓と狙って撃ってみたが全て同じ結果だった。やはり、何か見えない壁のようなものがショットの体を覆っているようだ。
「くそがっ!」
ナーウッドは思わずそう叫び、勢いよく銃を地に叩きつけた。
「ははは。気が済みましたか?じゃあ、もう少しだけ、僕とおしゃべりしましょうよ。きっと、あなたも、あのラシェット・クロードとかいう男を見に来たのでしょう?」
そんな様子のナーウッドを見て、ショットは話題を変えた。
ナーウッドはそれについては、答える気もない様子でただ前方を睨んで立っている。だからショットは続けて言う。
「あなたのお友達のリッツくんがこちらに寄越す予定だった人ですよ。その情報を知ったから、今あたなはここにいる。そういうことですよね?いやいや、リッツくんも脇が甘いですねぇ。まぁ、根が真っ直ぐな優しい青年ですから?やはり扱い方には気をつけないといけません」
「リッツのバカは関係ねぇ。それに俺達はもう友達でもなんでもない」
ナーウッドは言った。
「おやおやそうですか。やっぱり友情なんてものは信じちゃいけませんねぇ。いつ裏切られるかわからない。ふふふ。結局、人は生れ落ちてから死ぬまで、ずっと一人なんですよ。これが真理というものです」
ショットはしんみりとして言った。しかし、その仕草は明らかに面白がっている。
「しかし、素直にここに顔を出してしまったあなたに比べて、あのラシェットとかいう男、少しは利口なのかもしれませんねぇ。僕も裏をかかれました……せっかく、たった紙切れ数枚で、広大な実験場が、しかもタダで手に入るところだったのに。まったく、それどころではなくなっちゃいましたよ」
ショットは初めて少しがっかりした感じで言った。それを聞いてナーウッドは思わず
「てめぇは。またそうやって多くの人を不幸にするのか?」
と漏らした。
「ふふふ、まぁいいじゃないですか。世界でどれだけの方が不幸に暮らしていても、片一方では幾千万の人が幸せに暮らしているんですから。僕がちょっとそのバランスを一時的に変えたところで、いずれまた同じ比率に戻りますよ。この世界ってね、そういうふうに、うまい具合にシステム管理されているんですよ。不思議ですよねぇ……あなたもそう思いませんか?」
そうなにやら考え込むようにショットは言った。しかし、その言葉の半分もナーウッドは聞いていなかった。この場にいては危険だと告げる、野生の勘が再び彼に聞こえ始めたのだ。
ナーウッドは首を動かさないようにちらっ、ちらっと辺りを確認する。
しかし、そんなナーウッドの心境を知ってか知らずか、ショットはまた挑発にかかる。
「本当に。人生には思わぬ落とし穴があるものですよねぇ。どんなに真面目に、真っ当に生きたって不幸になる人は不幸になるんです。そう」
「ちょうど、あなたのお仲間のように」
ショットは言った。その言葉にナーウッドは体を硬直させる。
「ふふふ、だってそうでしょう?あなたが「あんなもの」さえ発見しなければ、彼らはあんなことにはならなかったでしょうし、サマルくんもあんな体にはならなかったんですから」
ショットは笑った。
「運命ですよ。運命。ははははは」
これを聞いて完全にナーウッドはキレてしまった。
「ショットッーー!!てめぇだけは絶対、ぶっ殺すっ!!」
そう叫んで、屋根から飛び降りようとした、その時。
カチャッ。
と銃を構える音が、ナーウッドの周囲から聞こえた。
見ると、辺りの屋根の上、360度にアストリア軍の兵士が立ち、取り囲んでいた。全部で約10人程の兵がこちらに向けて銃を構えている。
しまった!
ナーウッドは思った。怒りのあまり警戒が足りなかったと。
ショットにこちらを発見されてからずっと、この場にいては危険だとわかっていたのに、うまく時間を稼がれてしまった……
「ふふふ」
ショットはほくそ笑んだ。
そして、無線機に向かって
「難しいかもしれませんが、なるべく生け捕りにしてください。脳が正常に残っていれば大丈夫です。是非彼にも『時の試練』を受けさせたいのでね」
と指示を出した。