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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第2章 動く人達編
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第二の男 1

人は一人一人では、いつも永久に、恐ろしい孤獨である。

原始以来、神は幾億萬人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造りはしなかつた。人はだれでも単位で生れて、永久に単位で死ななければならない。

とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の単位ではない。

我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、實際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである、この共通を人間同志の間に發見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に發見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤獨ではない。

萩原朔太郎『月に吠える』序文より抜粋


第2章が始まります。


やたらと月が眩しい夜だった。


こんな夜には、いつも悲しい気分にさせられる。

なぜだ?

……わからない。


彼は思った。


自分は泣いているのだろうか?

確かに泣きたい理由なら何個だって挙げられる。だが、泣いていい理由なんて自分にはひとつもないように思われた。


人は一体どんな時に涙を流すのか。


親しい人が死んだ時だろうか。それなら泣いてもいい気がした。思う存分泣くといい。しかし、自分はそんな理由ですら、まだ泣くことなどできそうにもなかった。


なぜなら、自分にはまだ過去の過ちの清算が残っているから。


もし、今自分が泣いているのだとしたら、きっとそれは自分のために泣いているのだ。でも、そんなのはあまり良い泣き方じゃない。


いくら考えても仕方のないことだともわかっていた。どんなに悔やんでも過去は変えられない。


だから、今はただ、悲しみは忘れよう。

そして思おう、自分の心はもう死んだのだと。


泣くのもよすのだ。泣くのは仲間のために自分がやるべきことを、為すべきことやった後でも十分なのだから……


…………


風が彼の長い髪を宙に靡かせた。


「ちくしょう、感傷的になるなんて、柄じゃねぇな」


彼、ナーウッド・ロックマンは月を睨んで、目をごしごしと力任せに擦った。

そして、再びうつ伏せになる。

彼は態勢を整え、辺りを警戒した。


ナーウッドは先刻からじっと耳を澄ませ、ひらすら遠くの音を聞いていたのだ。


瓦葺の屋根の上でずっと接触している腹は長時間そうしているせいか、既に冷えきり、ずっと開いている目も、風が強いせいでシパシパする。

しかし、彼にはこんなことは大して苦にならなかった。こんなものは、長期間に渡るジャングル調査や、遺跡に閉じ込めらて16日間出られなかった時の苦しさに比べれば、なんともない。彼にはそういった経験からくる、肉体的なタフさがあった。


でも、そうしていくら待ったところで、聞き覚えのあるあのやかましいエンジン音も、プロペラ音も聞こえてくる気配すらない。聞こえるのは、今日は嫌に耳につく風の音だけだった。


「……もう少しの辛抱か……」

ナーウッドはひとりそう吐き捨てる。


時はラシェットがKと接触するはずの日。

時刻は約束の時刻、午後10時の5分前だ。


天候は晴れ。

風が少し強く、雲も出てはいるが、その強風に乗って雲は飛ぶように流れていっている。眩しい月明かりは、今日もアストリア王国の城下町を煌々と照らし出し、歴史の古い石造りの街並みをより一層美しく、印象的にしていた。


ここは城下町の西区にあたる。

中心地からはやや離れており、街灯も少なく、都心らしからぬ、ひっそりとした雰囲気がある。


しかし、この場にラシェットはいなかった。


もちろん、待ち合わせ場所に指定されていたバー「ゴースト」の中にもその姿は見当たらない。

そのことは、今、バー「ゴースト」の中で見張っている彼の相棒から、なんの連絡もないことから推察できた。


ナーウッドは時計をちらっと見て思う。


確かに2週間前、リッツのバカ野郎共の無線を傍受して得た情報通りのはずだが……


「まさか、バックレやがったのか?あの、ラシェットとかいう男」

ナーウッドはその考えに思い当たり、彼の横に置かれた小型の無線機に向かって悪態をついた。


ナーウッドはラシェット・クロードの顔を思い浮かべた。といっても彼と面と向かって会ったことなどない。知っているのはサマルからもらった写真に写っていた中等学校時代の顔と、約2週間前、アパートの階段をふらふらと登っていく時に少し見えた、なんとも疲れた様子の顔だけだった。


ナーウッドがその姿を見た時、最初に思ったのは、なんでサマルはあんなやつに頼ろうとしているんだ? という疑問だった。

他でもないサマルからの頼みだったから、彼はラシェット・クロードに手紙を届けることを引き受けた。そして、かなり危険な橋も渡り、やっとの思いであの手紙を無事にラシェットの手に届けることができたのに、実際に見てみれば大したやつじゃなさそうだったのだ。

だから、余計にナーウッドはそう思った。


「古い友人だかなんだか知らないが、あんなやつがいなくったって俺が探し出してやるのに……」

と。


でも、サマルの考えは違っていた。サマルは自分に寄越した手紙の中でこう書いていた「是非、ラシェットも巻き込んで欲しい」と。そしてラシェットに自分の居場所の捜索をお願いしたら、そのことは彼に任せ、ナーウッドには別のことをお願いしたい、とも手紙には書かれていた。

だからナーウッドは今まで、そのサマルの意思通りに行動してきたのだ。しかし、


「ったく、直前になってビビりやがったのか?根性ねぇなぁ」


不本意ながらも、初めて見た時の印象がぴったりと当てはまってしまうような今の状況に、ナーウッドの中でラシェットの株は益々下がってしまった。やはり、あんなやつにサマルの捜索を任せておいてはいけないのかもしれない。そんな考えすら頭をもたげた。が、


「でも、俺も人のことは言えねぇな……」

とナーウッドは思い直した。

ナーウッドもラシェット同様、サマルからお願いされたことをまだやり遂げられてはいなかったのだ。


あの日、ナーウッドはラシェットがポストからちゃんと手紙を取り出し、受け取ったのを確認すると、すぐにその場を離れた。そして念のため一日セント・ボートバルで様子を見た後、サマルからのお願い通り「あれ」の捜索に乗り出したのであった。そしてつい昨日まで二箇所の遺跡を探索していたのだが、一箇所は空振り、そしてもう一箇所は当たりだったが、ナーウッドが今までのトレジャーハント歴で何度もぶち当たった壁にまたもや遮られてしまったのである。それは謎の高度な科学技術が使われた石版だった。その石版にはいつも決まって、古代アストリア語でこう書かれていた。


「この遺跡の守人たる証を示せ」

と。


「守人」。もちろんナーウッドはその言葉を知っていた。むしろ、トレジャーハンターを名乗る人間でこの言葉を知らない奴はもぐりだと言っていい。なぜなら、長年トレジャーハンターの仕事をしていれば、この言葉の前に悔しい思いをするのは一度や二度ではないはずだからだ。しかし、その言葉の正確な意味を知る人間はほとんどいない。長い歴史の中においてもそう多くはないはずだ。実際、ナーウッドもつい最近までその言葉の意味を知らなかった。そう。つい最近まで。


「やっぱり、今日はここに来るんじゃなかったかな……」

ナーウッドは思った。

こんなことをしている場合ではないことは重々承知してはいた。

ナーウッドが「あれ」を見つけられなければ、たとえあの男が運よくサマルを見つけ出せたとしても、自分達ではどうすることもできないのだから……


しかし、今はそれを気にしても仕方がない。もう現にここまで来てしまったのだ。


それに今更、自分の感情を押し殺すことなんてできそうになかった。


目的のひとつであったラシェットの援護、およびラシェットとの接触は果たせずに終わりそうだったが、もうひとつの目的は成し遂げて帰る。


あとは、予定通りここに、あのショットの野郎が現れるかどうかだ。


「ふーっ」

彼はもう一度深く深呼吸をした。

そうして、改めてスナイパーライフルのスコープを除き込む。


ナーウッドはバー「ゴースト」から少し離れた、高い家の屋根の上に寝そべり、辺りを見回していた。ここからならおよそ全ての通り、小道、物陰までも、くまなく見渡せる。しかし、それは逆を言えばこちらも相手に見つかる危険性が高いということだ。


でも、今のナーウッドには、そんなことはどうでもよかった。


どんなに危険でも、ただ一発。

いつもなかなか城の奥に引っ込んで出て来やがらない、あの腐れ野郎ショットに、ただ一発、弾丸をぶち込んでやりたい。ナーウッドはその一心だった。


なぜなら、ショットこそ彼の仲間達の仇だったからだ。


ヤン、イリエッタ、ケーン……そしてサマル。


仲間達のことを思うと、胸が痛いほど締め付けられた。ナーウッドにとって彼らは本当にかけがえのない存在だったのだ。両親の顔も知らず、ずっと児童養護施設で育った彼にとっては、彼らは初めて自分で選んだ環境で出会い、できた友達だった。いや、彼は家族も同然に思っていた。幼い頃から、いつもやんちゃで、粗暴で、そのくせ頭のキレたナーウッドは施設でもずっと厄介者扱いされていた。だから、自分の力であそこを出た。そして、大学で出会った仲間達。彼らはナーウッドのことを、全く拒否しなかったし、厄介者扱いもしなかった。そりゃ、少しは変わり者扱いされたが、嫌な思いなんて一回もしたことはなかった。彼にはそれが嬉しかった。彼にはそんな当たり前のことが嬉かったのだ……


ナーウッドはライフルのグリップを力強く握り締めた。


「見てろよ」

ナーウッドはそう言った。

そして、また時計をちらっと見る。そろそろ時間のはずだ。

と、その時

「ダメね、彼は来ないわ。きっと取引も中止よ。やつは現れない」

と店の中で見張っていた相棒から無線に連絡があった。

「ちっ、わかった。先に戻っててくれ、俺ももう少ししたら引き上げる」

ナーウッドがそう返事をすると、相棒は了解っと言い無線を終わらせた。特殊回線を使っているとはいえ、傍受の危険性は常にある。いつも使用は手短に済ませているのだ。


ナーウッドは無線機をポケットにしまう。

「ったく、それにしても、使えねぇ奴だな。あのラシェット・クロードとかいう男」

ナーウッドは油断なくスコープを覗きながら、再びそう思っていた。

「なんで、サマルはあんなやつのことを頼ろうなんて思ったんだ?俺にわざわざ手紙まで届けさせて」

思わず愚痴も漏れる。

ラシェットが現れなかったことによって、ショットが姿を見せる確率が大幅に減ってしまったのだから、無理もなかった。


その後彼は押し黙った。

そうして時間を数えていたのだ。さすがにそろそろタイムリミットだった。

ショットもラシェットもついに現れなかった。

やっぱり、あんなやつを頼りにしちゃダメだな。ナーウッドは思った。しかし、その一方でなんで、サマルがあの男を巻き込みたがったのかも気がかりだった。

「もしかしたら、サマルのやつ、本当はまだ俺のことを……」

スコープを覗きながらナーウッドがそう考えていた、


その時。


遥か向こうの小道、その建物の陰で何かが微かに動くのが見えた。


ナーウッドはすぐさま、そちらへスコープを向ける。


それは黒い影だった。見ていると、そっと前進を始める。ナーウッドは目を凝らした。


間違いない。車だ。それも、この辺りには似つかわしくない黒塗りの高級車。それが、建物の間の死角を縫うようにゆっくりと移動し始めたのだ。


ナーウッドはライフルの照準を合わせる。

車の窓にはスモークがかかっていて、中は見えなかったが、ナーウッドの勘はあれにショットが乗っているとびんびん告げていた。そして乗っているとしたらまず後部座席だ。


ライフルのボルトを引く。

ゆっくりと移動する車。それを追うようにナーウッドも照準を変える。風の向きや強さも加味しなければならない。ナーウッドは神経を尖らせた。


黒光りするあの車はおそらく、防弾車だろう。普通のライフルでは撃ち抜くことはできない。しかし、今ナーウッドが構えているのは普通のライフルではなかった。


それは背の高い彼の身の丈ほどはあろうかという長さの、対戦車スナイパーライフルだった。


この銃の前には、あの防弾車も紙くず同然だろう。ナーウッドはこのバカげた銃を使い、ショットのどてっ腹に風穴をあけるつもりだった。


「さぁ、来い。もう少し来い」

ナーウッドはささやく。もう狙撃するポイントは決まっていた。

車が走っていくであろう先、そこに死角が途切れる一番大きい隙間がある。タイミングといい、角度といい、そこが最初で最後の狙撃チャンスだと思われた。あとは、車がそこに差し掛かった時の風の吹き方がどうか……


ナーウッドは呼吸を整えにかかった。スナイパーにとって、呼吸や心拍数のコントロールは狙撃の精度に関わる重要なものだ。しかし、今回のナーウッドにはいつものような冷静さは戻って来そうにはなかった。やはり、私怨があると支障をきたすなと彼は思った。


時間がいつもより遥かに長く感じられた。


しかし、その時はやってきた。


ゆっくりと姿を現す車の側面。その移動する動きはナーウッドにはスローモーションに見える。

瞬時に風を読み、ほんの少しだけ照準をずらす。素人目にはいったい何をずらしたのだと思うくらい、僅かな修正だった。ナーウッドの目が確実に狙撃ポイントを視界に捉えた、その次の瞬間には


ズシュゥンッ!!


とナーウッドは一息にトリガーを引き、弾丸を放っていた。

夜の静かな郊外に鋭い銃声が鳴り響く。

風を切り、狙い通り車後部座席の側面に向かい飛ぶ弾丸。

そして、その軌道をスコープで確認しながら成功を確信し、やった、と言いかけた、その時


パリィィィーンッ!!


「なっ!?」

ナーウッドは息を呑んだ。


なんと、確かに車に命中したはずの弾丸が、車に当たった瞬間、粉々に砕け散ってしまったのである。


ナーウッドにとっては悪夢のような光景だった。


「バカなっ!ま、まさか…」

思わずそう漏らした。そうだ。考えられるとしたらあれしかない……

ナーウッドはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



狙撃された車は異常を感じ取り、その場で停止した。

運転手は言う。

「大丈夫ですか?お怪我はありませんか!?」

それを聞いて後部座席の男が笑った。

「ははは。うん。大丈夫だよ。少しびっくりしたけどね」

男はいかにも愉快そうだった。

「しかし、まだ純度60%でも、これだけの強度とはさすがオリハルコンだねぇ。丁度良い耐久テストになったよ。ははは」

運転手はそれを聞きながら、窓の外を睨んだ。そして指を差す。

「狙撃場所はおそらく、あそこの民家の屋根の上でしょう。そして撃ったのは……」

「うん。ナーウッドくんだろう。相変わらず良い腕だ」

そういうと男はドアに手を掛け、ガチャリと開けた。

「ショ、ショット様!危険です。いくらなんでも外に出られてはっ!」

運転手が慌てて言った。しかしショットは気にする様子もなく、笑顔で

「大丈夫だよ。さっきのを見たろう?僕には彼の銃は通じないよ。それに、せっかく久しぶりに会ったんだ。夜風にあたって世間話くらいしたっていいじゃないか」

と言うと、運転手の制止を振り切り、車から降りた。


その様子を見ていたナーウッドも驚いた。

もうチャンスを逸したと思い、立ち尽くしていた彼はまた慌てて寝そべり照準を合わせる。

「なんだ?なぜ出てきた?」

ナーウッドには不可解だった。しかし、こんなチャンスをみすみす見逃すほど彼も甘くはない。


そんな様子を目を凝らして見ていたショットもナーウッドの行動を面白く思っていた。だから、大きく手を振って

「やぁ!久しぶりだね!ナーウッドくーん!僕に何か用事かーい?」

と大声で言った。


それを聞いたナーウッドは完全に我を失っていた。用事だと…?


「ああ!あるね!ショット!……これがその用事だっ!」


ズシュゥゥンッ!!


ナーウッドは叫ぶと、すぐさま引き金を引いた。

狙いはもうつけてあった。一度狙撃したポイントならば、彼にとってはお手のものだ。


が、しかし。


パリィィィーンッ!!


「おやおや、穏やかじゃないですねぇ」


またしても、ショットの目の前で弾丸はまるで見えない壁に当たったかのように砕け散ってしまった。


「な、なにっ!?」

戦慄するナーウッド。


その様子がショットには面白くて堪らなかった。

そして、ショットは言った。


「どうです?僕が作ったオリハルコンの出来は?上々でしょう?もうサマルくんがいなくても、このくらいのものはできるようになったんですよ!」


と。

ナーウッドからの返事はない。

だからショットは続けて言った。


「せっかくです!ちょっとお話しませんか?」



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