3通目の手紙
夕方になり、砂漠の都にもようやく涼しい風が吹き始めた頃、僕達はアリの邸宅に戻った。
僕はキミに貯蓄額をうっかり見られたせいで山ほど買わされた洋服の袋を両手いっぱいに抱え、キミはその横をいかにも上機嫌な様子で歩いている。
邸宅の正面玄関に着くと、そこにはカシム軍曹が待っていて扉を開けてくれた。
「ご苦労様です、ラシェット伍長。昨夜は私の不注意で、とんだ目に遭わせてしまい申し訳ありませんでした」
中に入るなりカシム軍曹は僕に向かい敬礼する。
「は、はぁ」
でも、僕にはその意味がよくわからなかった。
というか僕はもう伍長ですらない。それに、仮に僕がまだ伍長だったしても階級は軍曹であるカシムの方が上なのだ。こんなに改まる必要もない。とすると、カシムが人の名前の後に階級を付けるのは、たぶんそういう癖なのだろう。なるほど、いかにもきっちりとした軍人を思わせるカシムらしい、と僕は思った。
「昨夜のケニー軍曹の件であります」
「ああ。あのことね」
そう言われて初めて合点した。ああ、そういえばそんなこともあったなと。僕はキミの決意のことがあまりにも嬉しくて、そんなことなどすっかり忘れていたのだ。しかし、ケニー軍曹の口からもたらされた情報は僕にとってかなり大きいものだった。まぁ、だからこそケニー軍曹本人の印象が僕の中で薄れてしまったのかもしれないのだが。
「いや、別にいいですよ気にしなくて。怪我もしなかったですし」
僕が重たい荷物を置き、そう言うとカシムは
「本当ですか。そう言っていただけると助かります」
と表情を少し崩して言った。
それを見て僕は、なるほどとまた思った。きっとカシムは昨夜の顛末をアリに全て報告したのだ。そしてアリからこっぴどく怒られたに違いない。カシムは一見とっつきにくそうな、むっつり顔をしているが、実はものすごくわかりやすいやつなのかもしれないなと僕は思った。
「ねぇ、あなた」
と、その時、突然キミがカシムに話かけた。
「はっ、なんでありましょうか。キミ嬢」
カシムはそれに反応し、向きなおって言う。
「そんなところに突っ立って暇そうなら、ラシェットの荷物ちょっと持ってあげてくれない?重そうなの」
キミは手を腰に当て僕の方を見る。そして、その視線の先にある物にカシムはすぐに気がついたようだだった。
「はっ、それは気がつかずにすいません。では、部屋までお持ちいたします」
そう言うとカシムは僕が持っていた紙袋を全部持ってくれた。
その様子をうんうん、と頷きながら見るキミ。
僕はこのふたりは、もしかしたら正反対の性格をしているのではないかと、その光景を見ただけで思うのだった。
「ところで、なんでケニーは取調べを受けている捕虜なのにも関わらず、あんなふうに自由に廊下を歩いていたんだい?」
僕は廊下を歩きながらカシムに尋ねた。よくよく考えると妙だと思ったからだ。
「はっ、それは主に彼女が我々の取調べに対し全面的に協力しているからです。それに、あの怪我もありますし、危険はないだろうとアリ大統領が判断しました。とは言っても、彼女が自由に歩ける場所は決まっていますし、そこから他の場所に通じる場所には兵士が必ず2人ずつ立っていますから、完全に自由というわけではありませんが」
「なるほど?」
僕は顎に手を当てながら言った。
「しかし、その処置も昨日まででした。昨夜の一件があったからです。彼女のあの動き、身のこなし、なかなかの体術でした。彼女はあんな力がありながら、我々にそれを隠していました。あれだけの力があれば、間違いなく守備兵の隙を突き、脱出もできたと思われます」
「まぁ、確かにね」
僕は頷いた。
「それに、だとするとケニーはなんで素直に取調べに応じているのだろう?彼女がもし本当に第1空団の人間なら、多少の拷問を受けても決して情報は売らないように訓練されているはずなんだけど……」
「その点も我々は引っ掛かっています」
カシムは言った。
「ケニー軍曹の話す情報は今のところ全て正確であると思われます。しかし、そう思えるのはあくまでも彼女の話す情報が、我々が既に把握している情報とあまり大差がない場合に限ります。その他の未確認情報となるとその信憑性のほどは我々だけではわからないのが現状ですし、わかるにしても、その情報の判断には時間が掛かります。つまり、もしかしたら彼女はそうやって何かを巧妙に隠しながら、時間を稼いでいるのではないかと思われるのです。それもあって少し泳がせていたのですが、昨夜のあの動きを見て私は確信しました。おそらく彼女は何か重要な情報を持っていると」
「重要な情報……」
僕は空中を見つめ考えた。
「しかし、それも彼女の口から直接聞かないことには正確なことはわかりません。きっと彼女は話さないでしょうし、もしかしたら嘘の情報でまた時間を稼ぐかもしれません」
「ふむ、それはそうかもしれませんね。ところで、そのケニーが話したっていう未確認情報というのは、どんな情報なんですか?」
僕が聞くと、カシムは少し困った顔をして
「あの、すいません。いくらラシェット伍長といえど、機密情報ですので……」
と言った。僕はそれもそうかと言い謝る。そうこうしているうちに僕達は自室の前まで来ていた。
カシムが中に入り、荷物を置く。
「ありがとう。助かったわ」
キミが言った。
「いいえ、このくらいはさせてください。では、飛行機の準備はもうすぐ終わりますので、出発なさるのでしたら、支度が出来次第、格納庫においでください。それでは、失礼いたします」
そう言うとカシムはびしっと敬礼をし、扉を閉めて去って行った。
僕はそれを見送ったあと、
「支度……ねぇ」
と大量の紙袋を見て思った。
本当にこれ全部、トランクに入るのか?
キミはそんな僕の気持ちをよそに、早速洗面所で服を着替えている。
「やれやれ」
僕はそう思いつつも、支度を始めた。
夜八時。
格納庫には、きっと普段のこの時間には似つかわしくないだろう多くの人がいた。
僕とキミは既に修理の終わったレッドベルに乗り込んでいる。
キミの洋服は非常用の食料と予備の弾丸を少し犠牲にして、なんとかトランクに収まった。僕はトランクに洋服を詰めながら、なかなかナメた旅支度だなと思った。
レッドベルの修理の状態はさすがと言う他ない状態で、ちゃんと元通りにカラーリングまでしてくれていた。僕はレッドベルの修理をしてくださったメカニック隊員、ひとりひとりと握手をし、お礼を言った。
「これから、どこへ向かうことに決めたのですか?」
飛行機の下まで見送りに来てくれたアリが言った。その少し後ろにはナジ大佐とカシムもいる。
「はい、やっぱりアストリアに行ってみたいと思います。危険かもしれませんが、どうしても行かなければならない気がして」
僕は身を乗り出して言う。
「そうですか。わかりました。では、道中くれぐれもお気をつけて」
「はい、助けて頂いただけでなく、修理までしていただいて。本当にありがとうございました」
僕はお礼を言った。すると、アリはふっと微笑んだ。
「いいえ。私の方こそ有意義な話ができた。感謝しています。しかし……」
そう言うとアリは真剣な顔に戻り
「もし、本当にそう思っていただけるのなら、そのお気持ちに甘えさせていただき、あなたにひとつお願いしたいことがあるのです」
と言い出した。僕は突然のことで、戸惑いつつも
「ええ、もちろん。内容にもよりますが、僕にできることなら……」
とやや慎重にそう答えた。すると、アリはまた微笑んでおもむろに懐に手を入れる。
「ふふっ、そんなに警戒なさらなくても、大したお願いじゃありませんよ。ただ、この手紙をきっとあなたのもとに現れるであろう、リッツ・ボートバルの使者に渡して欲しいのです。この手紙は私からリッツ・ボートバルに宛てたものだと言って」
そう言うとアリは一通の手紙を取り出し、僕の方へ差し出した。
僕はその手紙をじっーと見つめる。
背中にまた嫌な汗が垂れた。
手紙だって?
僕は思った。
別に郵便飛行機乗りにとって、手紙を受け取ったり、届けたりすることなんて日常茶飯事のことだ。というか、それこそが僕の仕事なのだ。何も不思議なことではない。僕はただ、その手紙を「ああ、そうですか。わかりました」とでも言って、受け取ればいい話なのだ。それが……なんでこんなに汗がでるんだ?
僕は考えた。
どうやら、僕のこの10日程の状況で、僕の手紙に対する感情は大きく様変わりしてしまったようだと。いや、単にそれだけではない。この手紙はごく普通の手紙では、やっぱりないのだ。なんたって、グランダン民族連邦国大統領からボートバル帝国王位継承権第三位リッツ王子へ宛てた手紙なのだから。
「……」
僕が言葉を失い、考えているとアリが口を開いた。
「ラシェットさん。もちろん無理にとはお願いできませんが、公式には出せない手紙なのです。だからリッツ・ボートバルの関係者とこの先、接触する可能性の高い、あなたにお願いしているのです」
「は、はい」
僕はそう言って話の続きを待った。
「大丈夫です。もし仮にこの手紙を渡せないことになっても私は一向に構いません。これはあくまで策のひとつに過ぎませんから。あなたに何かしらの責任を負わせることもないのです。ただ、チャンスがあれば是非やっていただきたい」
アリは力強くも優しく僕に言って聞かせた。
僕はそれをなんとも言えない気持ちで聞く。引き受けてもいい気がするし、そうでもないような気もした。そうやって僕が迷っているとキミが
「いいんじゃない?引き受けてあげれば。きっと悪いようにはならないわ」
と横槍を入れた。
「え?」
僕は言った。しかし、その次の瞬間にはキミが飛行機から身を乗り出し、アリから手紙を受け取ってしまった。
「はい」
キミは僕に手紙を渡す。僕はそれを渋々受け取り、アリを見た。さすがのアリもこれには少し呆れた様子だ。
「あの、えーっと、そういうことになりました」
僕がそう言うと、はははとアリは笑った。
「いや、あなた達は本当に興味深い。ともあれ、引き受けてくださり感謝します。本当は護衛にカシムをつけてさしあげたいところなのですが、何分我々も人材不足でして、許していただきたい」
「いえいえ、そこまでしていただかなくでも。しかし、これでもう貸し借りなしということでいいでしょうか?」
と僕が言うと
「ええ。もちろんです」
とアリは言った。だから僕は
「この手紙の意味なのですが、それはアリさんはもしかしてリッツと手を組もうというのですか?」
と疑問をぶつけてみた。それにアリも
「ええ。あくまで部分的にはですが利害が一致していますからね。話をしてみるのもおもしろいかと思いましてね」
と正直に話してくれた。
「ねぇ、アリさん」
話を終えて出発しようとしていた時、キミがアリに話しかけた。
「はい。なんでしょうかキミさん」
「あの、支援のお話、お断りしてしまってごめんなさい」
キミは言った。
「ふっ、構いませんよ。私こそ断られるだろうとわかっていながら、妙な策を講じてあなたに不快な思いをさせてしまいました。許してください」
アリは頭を下げた。キミはそれを見てううん、と首を横に振る。
「アリさんが悪いんじゃないわ。ただ、私はどうしてもこの国からの支援は受けたくなかったの。私の両親を奪ったこの国から」
「ええ」
アリは頷いた。
「でも、私はいつか必ずこの国に戻って来ます。やっぱり私はこの国が好きだし、この国の砂漠も好きだから。それに、アリさんもいい人だと思うし」
キミはゆっくりと言葉を選ぶようにそう言う。アリはそれをただ、黙って聞いていた。
「だから、その、その日まで頑張ってください。アリさんならきっとこの国をもっと良い国にできると思うから」
キミの言葉を聞き終わるとアリはふふっと笑い、そして
「ありがとうございます。なによりのお言葉です。きっとキミさんが喜んで帰ってこられるような国にしましょう。約束いたします」
と胸を張って答え、その後ろで控えていたナジ大佐とカシムも思わず敬礼してキミに答えていた。
僕がそのふたりのやり取りを、胸がいっぱいになる気持ちで聞いていると、ふとキミが僕の背中をつんつんして、
「じゃ、用事も済んだし出発しましょ」
と言った。どこか照れくさそうな顔をしている。それはサングラスをしていてもわかるほどだった。
僕はそのことをからかうとまた怒られそうだったので、
「では、お世話になりました。またいつかお会いしましょう」
といい、エンジンを始動した。
けたたましい音が格納庫内に響く。
それと同時に格納庫の扉が開けられ、誘導灯が点いた。
僕は計器類のライトを付け、クラッチを踏む。バラバラバラとプロペラが回りだした。
問題なし。機体が前進を始める。
見てみると、アリは手を振り、ナジ大佐とカシムはまだ敬礼の姿勢を崩していなかった。
だから僕も敬礼でそれに答えた。キミは軽く手を振っている。
「キミ、ちゃんと掴まってて!」
僕は大声で言った。
レッドベルが滑走路まで出た。僕はもう一度各種レバーの調子を確かめたあと、キミに目配せをし、スロットルをぐいっと前に押し出す。
エンジンが相変わらずの爆発音を鳴らすと、その数秒後には僕達はもうラースの飛行場を離れ、空の上に舞い上がり、星の人となっていた。
ブロロロロロロロ……
景気のいいプロペラ音が僕をなんとなく安心させる。
今日も上空の大気は安定しているようだった。いつもどおり計器類をチェックするが、そちらも特に問題はない。順調だった。
僕たちはアストリアを目指すためにまずは、4時間程飛んでグランダン大陸最東端の町ウルを目指す。そこで一度降りて補給し、そのあとすぐにアストリア大陸へ向け出発。広い海峡を半日かけて横断するのだ。
「へぇ、夜の飛行って本当に何にも見えないのね」
キミが僕の耳元で言った。なるほど、確かに前回の飛行の時は夜景を楽しんでいる余裕なんてなかったなと僕は思った。
「そうだね。でも、夜は空の星だったり、遠くに見える街や灯台、船舶なんかの光がよく見えて、すごく綺麗なんだ。まぁ、そうは言ってもここはなんにも見えないけどね」
僕はそう教えた。それをふーんと言ってキミは聞いた。
「もし、退屈なら寝てても構わないよ。ここから先は危険もなさそうだし、天候も安定してるから」
僕は言う。しかしキミは
「ううん。もったいないから起きてる。私こういう暗いのも好きよ」
と言い遠くを見つめ続けていた。
僕達はときおり一言二言は話したが大体はずっとお互いに黙っていた。でも、それがとても居心地が良かった。こういうのって不思議だなと僕はいつも思う。そんな相手なかなか見つからないのに、ある時気がつくと傍にいるのだ。
僕は考えていた。
せっかく手紙が一つ減ったと思ったら、また一つ増えてしまったなと。
しかし、これはこれで仕方のないことなのかもしれない。なんたって僕は郵便屋なのだから。きっと自然と手紙が集まってくるようになっているのだ。
それに、確かに今回のこのアリの手紙からは何かしら不吉な予感というものは感じなかったし、キミもそう言っていた。願わくば、この手紙が僕をサマルに近づけてくれる、契機になってくれることを僕は祈った。
予定通り4時間程飛んで、夜12時近くに最東端の町ウルに到着した。
着陸許可を取って、僕達は第一飛行場の格納庫へレッドベルと入れる。
そして、僕達の元へやって来た係員に、すぐに補給してアストリアへと立つ旨を伝えた。
海峡の夜間飛行は普通の飛行よりも、やや危険を伴うが、そうでもしないとKとの約束の時間に間に合わない。その場に行くかどうかはまだ決めかねていたが、いざ行くとなった時にその近くにいないと、その選択肢すらなくなってしまう。だから一応間に合わせようという考えになったのだ。
係員に補給を任せ、キミはトイレに、僕は売店に飲み物と夜食を買いに行った。
「ありがとうございます。全部で657ペンスです」
僕が店員さんにそう言われ、財布の中から小銭を出していると、突然背後から
「ラシェット・クロードさんですね」
と男に小声で話しかけられた。
「へ?」
僕は正直かなり油断していた。なので、びっくりして素早く振り返る。
男はグレーのスーツ姿で黒いネクタイを締めている、僕より少し背の高い男だった。顔は鋭く、どこか鳥を思わせるような顔だったが、見覚えは全くない。
僕は小銭を探す体勢のまま固まってしまった。こいつはいったいなんなんだ? と僕はまたしてもふいの闖入者に警戒心を露わにする。すると、男は誤解を解くように、ほんの少しぺこりと頭を下げ
「驚かせてすいません。ラシェットさん。しかし、怪しい者ではありません。私は帝国陸軍諜報部の者で、リー少尉からの使いなのです」
とまた小声で言った。
僕はまたもや驚いてしまった。
「リーの?」
「はい、ですがあまり大きな声で話さないでください。あれからこちらにも色々とありまして、私があなたと接触するのまずいことになっているんです。しかし、他ならぬリー少尉の命令でしたので……とにかく、手短に言います。まずはこの手紙を受け取ってください。リー少尉からです」
そう言うと彼は僕に一通の手紙をそっと差し出した。
手紙だって?
僕はまた思った。
しかし、有無を言わさぬその手つきに僕は、今度も仕方なく手紙を受け取る。封筒の裏には確かに見覚えのあるリーのサインが入っていた。
男は言う。
「とにかく、まずはその手紙を読んでみて下さい」
と。
僕はしげしげと男と手紙を見比べた。
まったく。どうなってるんだ。せっかく手紙が減ったと思ったら、今日でまた2通増えたぞ。
僕は思った。
それに、リーからの手紙だというこの封筒から、僕はまだ良い予感も、悪い予感も感じる暇すらもらえていないのだ。
ええい。まぁいい。
僕はその場でビリビリと封筒を開けた。この男にとってそうであるように、僕にとっても他ならぬ友人リーなのだ。そいつからの手紙が悪いもののわけないじゃないか。僕はそう思いなおした。
手紙を取り出して開いてみる。手紙には一枚の写真が添えられていた。そこには仲睦まじそうに肩を組み笑う三人の男が写っている。しかもその内の二人は完全に見覚えのある顔だった。
なんだ?どういうことだ?
僕はリーの手紙に視線を落とし、読んだ。
そこには僕が出発前、リーにお願いした調査の成果とその結果が書かれていた。