表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第1章 ラシェット・クロード 旅立ち編
30/136

休息

翌朝起きると僕はすぐ庭へ散歩に出掛けた。

昨夜のスイーツがまだ腹の中で消化しきれていなく、胃がむかむかしていたからだ。


結局、昨夜キミは夜を徹して、ほとんど全てのスイーツを制覇した。

そして、今は満足したのか気持ち良さそうにベッドで寝ている。そんなキミを見てどうも起こす気にはなれなかったし、また起こす必要もなかったから、僕は一人部屋を出たのだ。


空は綺麗に晴れ上がっている。まだ朝早いにも関わらず気温は高いし、日光は容赦なく暑い。

広大な庭の遊歩道を歩くと、スプリンクラーが芝生に水を撒く、なんとも爽やかな緑の香りがした。こんな砂漠ばかりの土地で景気良く芝生に水を撒くなど贅沢なのではないかと思ったが、なかなか悪くなかった。所詮人の考えることなんてそんなものかもしれない。スプリンクラーを使うことに慣れてしまえば、きっと何処かでこの水を本当に求めている人がいることなど忘れてしまうのだ。しかし、かといってこの水を使わなかったとしても、今まさに使っているこの水が、そういった人達の元に届くことはない。その前に他の人が使うだけのことだろう。僕はどうしてもっとバランスよくできないのだろうと、いつも思う。でも、僕はそう思うだけで、特別何かをできるわけでもなかった。


しばらく歩くと庭にはプールまであった。

「まるでリゾートだな」

僕は靴と靴下を脱ぎ、水に足をつけた。ひんやりとして気持ちがいい。僕は天を仰いだ。

「また、あの空へ旅立つのか……」

他人事のようなつぶやきが漏れる。

僕はどこか本当に、そんな気分になりつつあるのだ。

K、いや、ショットとの約束の期日はもう明後日まで迫っていた。今から急いでアストリアを目指せば、間に合わないことはないだろうが、レッドベルは今、ラース空軍の方々の好意により修理してもらっている最中だ。だからもう間に合うかどうかは、本当にギリギリのところだろう。しかし、僕はもう無理にその場に行っても行かなくてもよくなってしまった。

「どうしたもんかなぁ」

僕はまた呟いた。

もうショットやリッツやダウェン王子のことはアリに任せておけばいいのではないかと、僕は思った。それは投げやりな気持ち半分、積極的な気持ち半分だった。

その積極的な気持ちというのは、つまるところ、僕がサマルさえ見つければ全て丸く収まるのでないかと、なんとなく思うということから来ていた。少なくともサマルを見つければ、何か突破口が開けるんじゃないか? 僕は漠然とそう考えていた。はっきりとした根拠なんてない。しかし、昨夜からずっと考えていたのだが、僕がこの状況で何かの役に立てるとしたら、それこそが僕に与えられた役割なんじゃないかと、今更ながら気づいたのだ。


僕は寝転がった。

結局、僕にはこの世界との付き合い方がいまいちわからなかったということなのだろう。

僕はアリ大統領みたいに大袈裟には考えられない。僕は僕を取り巻く人達とその状況だけで手一杯だった。でも、それこそが僕の世界の全てであり、僕にとっての大切なものだったのだ。

「だけどなぁ……」

かといって全く何もしないというのも、なんだか気が引けた。僕はとても優柔不断らしいことが、今日初めてわかったような気分だった。



「ここにいらっしゃいましたか」

ふと目を開けると、そこには僕を見下ろすアリがいた。

「あ、おはようございます」

僕は慌てて起き上がった。

「ふっ、広い庭だとお思いでしょう」

アリは苦笑して言う。そこには自分自身に向けた皮肉が込められていた。

僕は何と言っていいかわからなかったが

「ええ、とても。おまけにプールまである」

となるべく正直に感想を述べた。

「ふふっ、驚くのはまだ早いですよ。この奥と、その裏にも、もうひとつずつプールがあるのです」

アリは庭の端の方と館の後ろの方を指差して言った。

僕はそれを聞いて絶句した。そして、つい、ため息混じりに

「バカバカしい……」

と言ってしまった。

その後、すぐに余計なことを言ってしまったと思い後悔したが、アリは

「ははは、全くその通り。本当にバカバカしい。親父のしたことながら、私はこのバカげた邸宅に客を招き入れる度に恥ずかしい思いをさせられる。これでは、我が一族が、正当な血筋などではなく、ただの成り上がりだと自ら宣伝しているようなものではないか」

と自嘲ぎみに言い、笑って許してくれた。

「まぁ、ある意味正直ではあるのだがな。確かに私たち一族はただの成り上がりに過ぎないのだから。それを良く見せようとする私の方がかえって卑しいのかもしれん」

アリはそう言ったが、その卑下た言葉とは裏腹に、彼の目には強い決意の光が見て取れる。

それは、もう迷うことなく自分の道を突き進む、と決めた男の顔だった。

僕はその顔を見たあと、水に映る自分の顔を見た。なんともぼんやりとした顔だなと思った。

僕は昨夜のキミのことと、その後ずっと考えていたことを、そのぼんやりとした顔を見ながら思い出していた。


「ところで、出発はいつになさるおつもりですか?ラシェットさん」

アリが言った。僕は思考の中から帰ってくると、

「え、ええ。修理が終わり次第、今日の夜にでも出発しようと思っています」

と自分でも意外なほど、はっきりと答えた。

「そうですか。それならもしかしたら、まだ間に合うかもしれませんからね」

アリは意味ありげに言う。その言葉に僕は

「大丈夫です。ご心配には及びません。僕はもうKに接触するつもりもありませんし、もし捕まったとしても、時が来るまでは、あの手紙のことは絶対に言いませんから」

と答えた。

それを聞くとアリは満足げに笑い

「失礼。つまらんのことを言った。ラシェットさん。あなたは信頼に足るお方だ」

と言ったのだった。


しばらく、昨日のスイーツのお礼などの話をしていると、ふいにアリが

「それでは、ラシェットさんは今日一日、お暇というわけですな?」

と言った。

「え?ええ、そうですけど」

と僕が言うと

「ふっ、それではどうですか?今日はラースの街など見学なされては」

とアリは言った。

「街の見学ですか?」

「ええ。せっかくの機会ですので、是非キミさんとご一緒に見学なさってください」

アリは笑顔で言う。

「は、はあ……」

僕にはなんでアリがいきなり、こんなことを提案するのか、いまいちわからなかった。

「そして、この街の環境やインフラ、そして学校などもよく見て行ってください」

「学校?」

僕は言った。なんで学校なんて見に行かなきゃならないんだ?

僕にはまだ話が見えてこなかった。

僕が首を傾げていると、アリは僕の方を見て

「ラシェットさんは、もう保護者みたいなものだと思ったのですがねぇ」

と前置きし、


「あなたは、本当にキミさんをこのまま旅に同行させるおつもりなのですか?」


と言った。

僕の口から思わず「あっ」という声が漏れた。


アリはそんな僕の様子をみて頷き

「私はそれは大変危険なことだと思います。だから今日出発なさるのならば、せめて今日一日、じっくりと考えてみて欲しいのです。私どもの方には、すでにキミさんの学費や生活費など支援する用意があります。まぁ、私どもからの支援など、キミさんは嫌がられるでしょうが、きっとラシェットさんからそう言っていただければ、キミさんも私どもの提案を受け入れてくれると思うのです」

と説明した。僕は突然の話にびっくりしていた。

しかし、悪くない提案だと思った。いや、むしろキミにとってこれ以上の恵まれた環境があるだろうか。僕はもうすっかりキミを連れて、また旅に出るつもりだったが、そういう道もあるのだ。これは確かによく考えてみる必要があるなと僕は思った。

「どうですかな?」

ぼーっとしていた僕にアリがそう話しかけてきた。

「え?ああ、すいません。いや、とてもいいお話だと思います」

僕がそう答えるとアリはふっと笑い

「そう思っていただけてよかった。しかし、無理にとは言いません。ですから、あなたからキミさんにそれとなくお気持ちを伺ってみて欲しいのです。よろしくお願いします。では、私はこれで」

と言うとアリはきびすを返し、一人邸宅の方へと歩いて行ってしまった。

「あっ、あのっ……」

僕は何かを言いかけたが、その声は途中で途切れてしまい、アリに届くことはなかった。


アリの後ろ姿が遠のいていく。

僕はそれを、とても複雑な気持ちで見送っていた。



部屋に戻り、キミを起こすと、僕達は早速街へと繰り出した。

キミはどうして急に街になんか出ることにしたの? といぶかしげだったが、僕がおいしいパンケーキのブランチをとろうと言うと、少し目つきを変え、まぁ、そういうことなら仕方ないわねと最後にはどうにか納得してついてきてくれた。


僕は、キミを起こす前に急ピッチで給仕のメイドさん達から集めておいた、街のスイーツ情報を使い、そのパンケーキの美味しいカフェにやって来た。キミは僕のその足取りの迷いのなさに、ねぇ、この街初めてじゃなかったの? とまたいぶかしげだったが、僕は美味しい店を見つけるのが大の得意なのさと言って、誤魔化した。この誤魔化しもまだなんとか通用したみたいだった。


「やっぱり、なにか変」

キミはナッツの入ったふわふわの生地のパンケーキを四段重ねにし、その上にたっぷりの生クリームをのせ、さらに周りにはマンゴー、イチゴ、キウイ、バナナなどのフルーツをふんだんにあしらい、まだ飽き足らないのかアイスクリームまで添えてあるものをパクパク食べながら、じとーっとした目で僕を見て言った。

あれだけ昨日食べておいて、よく今そんなものを食べられるなと、僕は呆れるを通り越して感心してしまう。しかし、どうでもいいが、このままキミの自主性に任せ続けていたら、この子はいつか絶対に太るなと僕は思った。

「別に、変じゃないさ」

僕は自分が注文した、たまごサンドを食べながら言う。

「本当にー?じゃあ今のセリフ、もう一度私の目を見ながら言ってみなさいよ」

「ちょっ、ちょっと。それはズルイだろっ」

僕が慌てて言うと

「ほら、やっぱり何か隠してる。あのねぇ、ラシェット、もう私にはラシェットの気持ちくらい手に取るようにわかっちゃうんだからね」

とキミは口をもぐもぐさせながら宣言した。僕はまぁ、それはあながち間違いではないだろうと思った。しかし、キミとこんな軽口を叩いていると、昨夜のこともあったからか、なんだか僕はすごく安心した。

「わかったよ。ちゃんと話すよ。でも、それは場所を変えたあとだ。とにかく今はただ食事を楽しもう。せっかく教えてもらった、美味しいパンケーキなんだからさっ」

僕はそう言うとキミが切り分けていたたっぷりと生クリームの乗ったパンケーキを、さっとフォークで奪い、ぱくっと食べてしまった。

「あーーー!!それ、一番美味しいところだったのにっ!!このっ、バカラシェットッ!!」

僕は初めてキミの口からバカという言葉を聞いた気がしたが、それでもなにくわぬ顔で、もぐもぐと口を動かし、コーヒーを手に持ち飲んだ。

「うぬぬぬぬ……ふんっ。そっちがその気ならねぇ。もう一枚注文しちゃうんだからね!しかも今度は、このお店で一番高いトッピングのメロンとさくらんぼを山ほど乗せて、クリームの量も倍にしてやるんだからっ!すいませーん、おねいさーん!注文お願いしまーす!」

「うわっ、こらこら!待って!ちょっと待てって!今は手持ちのお金がっ!」

僕は手を挙げ、注文しようとするキミを必死に押さえた。しかし、キミもどこにそんな力があったのか、僕を押しのけ、本気で肘鉄を食らわせてきた。


キミの肘鉄はめちゃめちゃ痛かったが、僕は思っていた。こんなふうにキミとはしゃいでいられるのは、本当に貴重な時間なのではないかと。


僕は今、現実を忘れたような気でいるけれど、本当は僕は多くの敵から命を狙われている立場なのだ。今日の夜になったら否が応でも思い出すことになるだろう。そしてその場にはやっぱりキミはいてはいけないのかもしれなかった。それを考えると、僕はパンケーキどころではない、複雑な気分にならざるを得なかった。


学校か……と僕は思う。

僕なんかと行くよりも、その方がずっとキミを幸せにしてあげられるかもしれないな。

僕はもうほとんど空になった財布を見ながらそう思っていた。



その後、僕たちはカフェを出てメイン通りを歩いた。

ラースの街は噂に聞く通り、またアリの自負通り、かなり豊かな街だと感じた。

セント・ボートバルのような摩天楼こそなかったが、石造りの街並みは重厚で、遠くに見える巨大なモスクや神殿など、いかにもこの土地の経済的な豊かさを象徴しているようだった。

道の行き交うごった返した人達の表情も、皆一様に明るく、活気に溢れている。

道端で目に付く、色とりどりのフルーツ。鼻につくスパイスの香り。籠にいれられたニワトリ。皮をはがれ、紐につるされた羊。大声で値段交渉する男女。どれもこれも僕には好ましく映った。

「ほんと、同じ国とは思えないわね」

「うん。そうだね」

僕達は言った。

道端で僕はチャイを買い、キミはシシカバブを買った。ようやくしょっぱいものを食べる気になったらしい。僕はそれを一口もらった。


一時間ほど街をぶらぶらしたところで目的の場所に着いた。

「ちょっとここ寄って行かないか?」

「え?でもここって……」

ためらうキミを尻目に、僕は躊躇なく門をくぐった。

「あっ、ちょっと、ラシェットー?」

キミは仕方なさそうにあとを追う。

門のプレートには「国立ラース工科・機械大学」と書いてあった。


「ねぇ、勝手に入っていいの?」

不安そうにキミが言った。

「大丈夫さ。むしろ勝手に入れる学校はここくらいしかなかったんだ」

僕は言うと、目に付いた校舎に向かって方向転換する。キミはやれやれといった感じだ。


校舎に着くと僕は中に入り、今の時間は使われていないと思われる広い階段教室を見つけた。

そして僕はその教室の教壇に立ち、渋々ついてきていたキミを教室の一番前の席に座るよう促した。キミはため息をつきながら席に座った。

「ねぇ、いったいなんのつもりなの?」

キミは周りを見渡して言う。

「わからない?」

「わからないわよ。だって私、学校なんて初めて入ったんだもの」

キミはふくれて言う。

でも、僕はその返答を待っていた。

「ねぇ、キミは学校に行きたいと思ったことはないのかい?」

僕は教壇に両手をついて聞いた。

その問いにキミは僕の目を見た。僕も逸らさずキミの目を見る。僕はこの問いの真剣さを伝えたかったのだ。

「そんなのわからないわ。私は学校がどんなところなのかも知らないんだから……」

「うん。そうだね……」

僕は相づちを打った。

「キミ。僕は前、キミにもっと広い世界のことを知って欲しいって言ったね?」

僕が聞くとキミはうん、と頷いた。

「その知って欲しい世界のひとつっていうのがね、学校なんだよ。僕はキミにも学校というところを知って欲しいと思ってる。そして、勉強したり、友達を作ったり、くだらない遊びやおしゃべりをたくさんして欲しいってね。まぁ、これも前に話したことだけど……」

「そうね」

キミは言った。

「気持ちは嬉しいんだけどね、ラシェット。私はもう今更学校なんて行くつもりはないわ。たぶん、もう手遅れだと思うもの。それに私にはそんなお金ないし……なによりも、私は学校に行かなくてもちゃんと生きていく自信があるわ」

僕はそれを聞いて微笑んだ。


「もちろんさ。それは僕も保証する。キミは学校なんて行かなくても、立派に生きていけるって。でも、僕が言いたいのはそういうことじゃないんだ。それはキミが今13歳っていう大事な時期にいるってことなんだ。それは僕の方が年長だからね、経験的に知っているんだよ。学校での体験というのは若いうちにしかできないってことが。それは必ずしも役に立つとか、立たないとかの問題でもないんだ。前にも言ったけど、土台になるものなんだ。そして、その土台を築ける年齢というにも、適齢期がある。キミはまさにそういう年齢なんだ。だから、やっぱり僕はキミに学校に行って欲しいと思う。僕と一緒に危険な旅なんかに行くんじゃなくてね。それが、キミの言っていた普通の幸せな生活だと思うから」


僕がそう言うと、キミはそのまましばらく黙り込んでしまった。

僕は辛抱強くキミの返事を待つ。

そうだ。これでいいんだ。僕は本当にそう思うのだから、と自分に言い聞かせながら……


「はぁー」

沈黙を破ったのはキミのため息だった。

「まったく、何を言い出すのかと思ったら。どうせ、アリ大統領でしょ?ラシェットにそんなこと吹き込んだのは?」

キミは不機嫌そうに言う。僕は図星をつかれて

「うん。まぁ、その……」

と言葉を濁した。

「やっぱり。そうだと思ったわ。だってラシェットはもうすっかり、私を旅に連れて行く気になってたでしょ?それが急に学校に行けだなんてね」

「別に、それは急じゃないだろ?前から言ってたじゃないか」

「でも。前はこの旅が終わったらって言ってたわ」

「うっ」

僕はキミの言葉に押され始めていた。

「それで?アリ大統領が私の学費も出してやるからって、あなたからそれとなく聞いてみてくれなんて言われたんじゃないの?」

「そ、その通りです……」

「冗談じゃないわっ!」

キミは怒って言った。

「昨日言ったことについては、私も反省したけどね、この国の支援なんて絶対に受けないわ。それにこの国の学校にも通うつもりはない。しかも、ラシェットの頼みならともかく、アリ大統領の言うことなんて、絶対に聞かないわ」

キミはかたくなにそう言った。

僕はそれを聞いてこれ以上の説得は不可能だなと思った。

「ラシェットもラシェットよ。そんなふうに言って私が喜ぶと思ったわけ?アリ大統領の代弁なんてしてさ」

「いや、代弁だなんて。僕の気持ちだってもちろんちゃんと……」

「あっそう。じゃあ、もう一度ちゃんと聞かせて。今度は掛け値なしの本当のラシェットの気持ちを。私にここに残って学校に通って欲しいか、それとも一緒に旅についてきて欲しいのか」

キミは腕組みをして、僕を睨みつける。その顔は思わずたじろぐほど怖かった。


僕は少し考え、そして意を決して口を開いた。


「僕はキミにここに残って学校に通って欲しい」


「いやよ」


キミは即答した。

「なっ!?」

なんで? と僕が聞くより前にキミは

「ねぇ、ラシェット。ラシェットは昨日、僕はずっと、何があってもキミの味方だって言ってくれたわよね?」

と席から立ち上がった。その姿にはどこか有無を言わさぬ迫力がある。

「う、うん」

「だったら、もう話はついたわ。私が嫌って言ってるんだから、ラシェットは私の意志を尊重してくれるわよね?」

「う……それとこれとは」

僕が言いかけると

「違うって言うの?ひどい……私、ラシェットがああ言ってくれて、本当に嬉しかったのに…」

「あーっ、違うよ。そうじゃないっって!もう、まったく……」

やれやれと僕は思った。やっぱり、今回は僕の考えが浅はかだったらしい。僕の完敗だ。

「わかった。そうだね。僕はキミの味方だ。僕はキミの言うことを尊重するよ」

僕がそう言うと、うつむいていたキミがすくっと顔上げ、にっこりと笑った。くそっ、やっぱり嘘泣きだったか。

「ふふっ、ありがとう。じゃあ、とりあえず私はラシェットの旅について行くとしてぇ、ここでもうひとつ、私から提案がありまーす」

突如キミが手を挙げて言い出した。提案? 僕は何を言い出したのかと思ったが、ずっと手を挙げているキミを見かねて、仕方なく

「はい、わかりました。ではキミさんどうぞ」

と指名した。


「はい。えーっと、私はとりあえず、最後まできちんとラシェットの旅を見届けたら、ちゃんと勉強をして、コスモの大学に入りたいと思います。それは、そこで機械工学を学んで、将来アリ大統領が建設するという鉄道を作るお手伝いをしたいからです。でも、私にはそんなお金はありません。だから、お金はラシェットがきっと貸してくれると思っているのですが……どうでしょうか?」


とキミはまるで小学生が作文を読み上げるみたいに言った。


僕はその言葉をぽかーんとして聞く。


コスモの大学で鉄道の勉強?キミは一晩でそんなことを考えたのか?


僕は考えていた。そして、考えれば考えるほど嬉しくなった。きっとこれは僕がキミに言っていたことに対する、キミの出した答えなのだ。もちろん、今の段階での答えなのだろうが、僕と出会ってまだ数日、遺跡から離れて、まだ一日しか経っていないのに、この子は新たな道に踏み出そうとしている。世界の広さを知ろうとし始めているのだ。僕はそれを思うと嬉しくてたまらなかった。僕の言葉は確かにキミに少しは届いたという気がしたから。


「ねぇ?ラシェット、聞いてる?お金、貸してくれるの?」

僕が思わず目頭を熱くしているとキミが不安げに言った。僕はなんとか涙をこらえて

「え?ああ、うん。もちろんさ。貸すというか、僕がキミの学費も生活費も全部、キミが大学を出て一人前になるまで出してあげる」

僕が言うと、キミは不満そうに

「それじゃあ、ダメよ。そんなのラシェットに悪いもの」

などと言う。

「ううん。全然悪くないさ。むしろ僕がそうさせて欲しいんだ。だってキミは僕の命の恩人なんだからね。大丈夫さ。これでも僕は郵便飛行機乗りとしては腕がいいんだ。僕とレッドベルがじゃんじゃん稼いであげるから、その時が来たら、キミは気にせず勉強に集中して欲しい。もちろん、適度に遊ぶことも忘れずにね」

僕は努めて笑顔で、自信ありげに胸を張った。

「本当に?」

「ああ。本当さ。約束する。だって、僕はずっとキミの味方なんだからね」

僕は言った。するとキミもやっと笑顔に戻った。

「ふふっ、ありがとう。ラシェット」



用事も済んだので僕達は校舎を出た。

なぜか思わぬ方向に話は転がってしまったが、僕はキミの考えを支持する気持ちでいっぱいだった。

でも、だとすると、まだまだ細かい話は残っている。キミの現在の学力はどの程度なのか、僕がどこまで教えてあげられるのか、大学に入学できるような年齢になるまではどこの学校に通うのか、やっぱりコスモか?

だとしたら僕はコスモに引っ越さねばならない。いや、別に一緒に住む必要はないのか?というか、だとしたらそもそもあの遺跡はどうするのだ?だれが守るんだ?

ていうか、キミは今更学校になんて行きたくないと言っていたけれど、大学ならいいのか?でも、大学に行くためにはその前に高校に行った方がいいと思うのだが、果たしてコスモの高校なら入る気になってくれるのか……

僕はまるで本当に子を持つ親のような気持ちなっていた。


僕が歩きながらあれこれ思案している横でキミは

「ねぇねぇ、まだ修理が終わるまで時間あるんでしょ?」

と言った。

「うん。まだあるよ。どこか行きたい場所でもあるのかい?」

「うーん、行きたい場所っていうか、服が欲しくて。だって私、ほとんど着の身着のままで飛び出して来ちゃったじゃない?だからもう着る服がないの」

「なんだそんなことか」

僕は言った。

「それなら、僕が買ってあげるよ。必要なだけ買うといい」

僕がそう言うと、キミは嬉しそうに

「えっ!ほんとにっ!?」

と言って僕の袖を掴んだ。

「あ、う、うん。本当さ。じゃあ、早速中心街に行って探してみようか」

「わーい。やったー!いえーい」

と言うとキミは僕の袖を離して駆け出した。僕はそれを見て

「あっ、でもその前に銀行に行かないと手持ちのお金がっ!ちょっと、キミ?待ってくれ!おい、ちょっとー」

と言い、走っていくキミを追いかける。


僕は思った。

初めて会ったときよりもキミは確実に明るくなっていっていると。

きっと、本来のキミはこうだったのだ。それが、色々な悲しい出来事や厳しい環境によって、無理矢理明るい感情が閉じ込められてしまっていたのではないか……しかし、それでもまだキミは多くのものを抱えている。それも、僕の想像を遥かに越えるような重荷を抱え込んでしまっているのに違いないのだ。


僕はキミに追いついた。

まぁ、いい。少しずつだ。こうやって少しずつ一緒に解決していけばいい。

僕は結局はいつもそう思う。

でも、今日はもうそんなことすらも忘れて、この貴重な休息を楽しもう。


僕は切れた息を整える。

隣では、いつも以上にはしゃいだ様子でキミが歩いている。

僕はやっと落ち着いた気持ちになり、サングラス越しにキミの目を見た。


そして、僕はまたキミに話かけた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ