理由 2
部屋に入るとキミは、椅子に座りテーブルに顔を突っ伏していた。サングラスは横に置いてある。長い髪がさらさらとテーブルから垂れ、揺れていた。窓が少し開いているのだ。
僕はそっと扉を閉めると、キミのところまで歩き、向かいの椅子に座った。
キミはたぶん起きていて、僕のことにも気づいていたが何も言わなかった。
僕もキミに何も言わなかった。
僕がこういう時に先に口を開くと、女の子を傷つけてしまうというのを長年の経験から知っていたのだ。でも一方で、13歳の少女に対してそんな態度をとるのは、大人としてズルいのではないかとも思った。
だから、僕は先に口を開こうとした。が、それよりも先に
「本当はあんなこと言うつもりはなかったの」
とキミが言ったから僕は口をつぐみ、ただ、うんと頷いた。
「あんなことを言って、誰に八つ当たりしたかったのかしらね。いやになっちゃう……」
キミはテーブルに突っ伏したまま言う。まだ少し涙声だった。
「キミが言ったことは八つ当たりなんかじゃないと思うよ。本当のことさ。どこの国だって王様や大統領は、戦争のことなんてまるでわかっちゃいないんだ」
僕は言った。
しかし、そうは言いつつも僕にはいったい何が正しいのか、それすらもわからなくなりかけていた。
僕はキミが言っていたことも正しいと思うし、アリの考えも正しいと思う。見方によればケニーの言っていたことだってそうだ。もしかしたら、リッツがやろうとしていることですらも、正しいと言えるかもしれない。
僕は迷っていた。
昔、誰かが「正しいことは子供でもわかる」と言っていたのを僕は思い出していた。確かにそうだ。本当に問題なのは、何が正しいか一概には言えない物事の扱い方なのだ。そして、そういう問題こそ僕達大人がちゃんと判断、選択し、決断しなければいけない。
なのに、僕は迷う。僕が自分のことを頼りない大人だと思う所以だった。
ただ、それでも僕がキミにそう言ったのは、たとえなにが正しかろうとも、もし立つのならばキミの側に立ちたいと思ったからだった。
結局は何が正しいかではなく、僕は自分の感情のままに動いたのだ。僕はそんな理由でしか、キミに味方してあげられない自分を情けなく思った。
僕が情けない顔のまま黙っていると
「ふふっ」
とキミは笑った。そして、ちらっと顔を上げた。
緋色の瞳が僕を見つめる。今日はどこか、いつもに増して吸い込まれそうな、そんな光を感じる。
「ほんと、ラシェットって優しいというか、お人好しよね。本当は、全然違うことを思ってるくせに」
キミは言った。それを聞いて
「そんなことはないよ。本当にそう思ってる」
と僕はすぐに反論した。
「嘘ばっかり。だってラシェットは迷ってるもの。私にはわかるわ」
重ねてキミはそう言った。しかし、キミは別に怒っているというわけではなさそうだった。どちらかというと、いつもの呆れ顔をしている。
「う、わ、わかるって、どうしてわかるんだい?」
僕は心の動きをズバリと言い当てられ動揺したが、それを認めたくなかったから聞いた。
すると、キミはゆっくりと体を起こして、ちゃんと椅子に腰掛けなおし
「じゃあ、ラシェット。私の目を見て」
と言った。
僕はちょっとたじろいだ。
「え?目を?」
「そう。ちゃんとね。じーっとしばらく見てるのよ。いい?」
「う、うん」
僕はなんだか意味がわからなかったが、姿勢を正し、言われたとおりにキミの目を見つめた。
…………
そのまま僕達はしばらくお互いを見つめあった。
こんなにまじまじとキミの瞳を見るのは初めてだな。と僕は思った。
部屋の電気はついていなかったが、今日は月明かりが妙に眩しい。その明かりに照らされて見えるキミの顔は昼間の太陽の下で見るキミよりもどこか大人っぽく見えた。
そのことが、僕を余計に妙な気分にさせるのかわからなかったが、僕はそわそわしてしまった。それに、キミの瞳を見つめていると頭がだんだんぼんやりしてくるのを感じる。心なしか僕の視界の端の方も、少しずつ歪んでいっているように見えた。
なんだこれは……?
僕はおかしいと思った。
疲れているのか?いや、そんな感覚はない。むしろ、砂漠を彷徨っていた時の状態に比べれば、すこぶる元気だった。それが……どうしてか、体が熱い。いつの間にか、心臓の鼓動の音もだんだん速く、大きくなっていて、僕の耳の中でけたたましく鳴り響いている。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン
だめだ。僕はキミの瞳から目を逸らそうとした。しかし、それはできそうになかった。体がちっとも動かないのだ。
いったいどうしたというんだ。キミはなぜこんなことをっ……
僕はキミの表情を見た。しかし、キミの顔には何の表情も浮かんでいないようだった。僕がずっと見つめているその目も、どこか遠くを見つめているような目をしていた。それは時々キミが見せる、あの悲しげな目に似ていた。
「キミ!キミ!気づいてくれ!キミッ!」
僕は心の中でキミを呼び続けた。果たしてそんなことで、キミが正気に戻ってくれるかはわからなかったが、僕にはそうすることしかできなかった。
「キミ!」
僕がまた心の中で叫んだ、
その時だった。
突如、僕の頭の中に、見たこともない映像が次々と流れ込んできたのだ。
「なっ…」
僕は目を疑った。
いや、「目を疑う」というのは誤った認識かもしれない。僕はその映像を目で見ているというよりも、まるで記憶を頭の中で思い出すときみたいに、脳視野で見させられていたからだ。でも、その僕の頭の中に入ってきては通りすぎていく風景の数々は、僕には全く見覚えのないものばかりだったのだ。
「くっ」
僕はその映像から目をそらすことができなかった。当然目を瞑ることもできない。嫌なものばかり見させられている気がした。しかし、その記憶が僕の中に残ることはなかった。残るのは、具体的な映像ではなく、ただただ嫌なものを見せられたという、苦い気持ちだけだった。
「もう、たくさんだ。もうっ!」
そう僕が思いかけていたとき。
僕の目の前に、急に見覚えのある景色が広がった。
な、なんで。
僕はそのことにすぐに気がついた。なぜなら、そこはつい今日までいた所だったからだ。
「ミリト集落……でも、人が。人がたくさんいる?」
なぜ?これはいつの?
はっ!
しまった。と僕は思った。これは、キミの。
キミの記憶だ!
そうとしか考えられなかった。おそらく、今まで見させられた映像もきっと……
僕がそう考えていた時だった。その映像の中のミリト集落に向かってくる、何台かのトラックとその砂塵が見えたのは。それと同時にキミの家から姿を見せた、僕よりも少し年上の綺麗な女性。彼女は中くらいの水甕を両手でかかえ、顔には濃いサングラスをかけていた。
「やめろ、やめてくれっ」
僕は願った。今にも僕は泣き出しそうだった。僕は、僕がいくら強く願ったところで、これから目の前で起こるであろう出来事が決して変わりはしないことをわかっていたが、それでも願わずにはいられなかった。
「キミッ!もうこんなことはいいんだっ!忘れることなんてできないかもしないけど、忘れるべきでもないのかもしれないけどっ!もうこんな悲しい思いはたくさんだっ!キミッ!」
僕は取り乱しつつある心なんとか強く保とうと努力した。そして、精一杯口を開こうと抵抗した。砂塵はもう集落のすぐ近くまできている。ちくしょう!今こそ、今こそ僕はキミに言ってあげなきゃいけないんだ。僕は迷っている場合なんかじゃなかったんだ。キミはこんなにも傷ついている。それは、わかっていたつもりだったのに!僕が甘かった。僕は本当はなんにもわかっちゃいないんだ。でも、でも、僕はもう迷わない!少なくともキミの味方だということに関しては。僕はキミに命を救われたんだ。キミは僕を救う事を「選んで」くれたんだ。
だから!
僕は首の筋が切れそうなほど、力を振り絞った。顎も外れそうなほど軋んだ。少しだけ口が開いた。
「キ……」
声にもなっていない声が出た。
もう少しだ。もう少し。もう少しだけ、根性を見せるんだ。
「ラシェットッ!!」
その時、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
それは昔僕が沼に落ち、助けを求めた時に答えてくれたあの時の声と同じ声だった。
僕は思い切り口を開いた。そして、すばやく息を吸い込むとあらん限りの力を振り絞って
「キミィィッ!!」
と叫んだ。
すると、キミの目の焦点がすうっと戻り、顔に再び表情が浮かんだ。
「あっ……ラ、ラシェット」
キミは言った。
そのとたん、僕の目の前の映像は消えうせ、体を縛っていたものも解けた。
「キミ……、ははは、よ、よかった。元に戻った」
僕はそう言うと、ほっとしたせいか、体が痛むせいか、椅子ごと床に倒れこんでしまった。
「ラシェットッ!」
キミはそう言うと、僕の傍まで駆け寄ってきてくれ、僕に肩を貸してくれた。
「ははは、痛ててて。これじゃあ、まるで初めて砂漠で会ったときみたいだね。あの時もこんなふうに肩を貸してくれた。ついこの間のことなのに、もう遠い昔のことのように感じるよ」
僕がそう言うと、キミは
「うん……そうね」
と言ってうつむいてしまった。そして
「あの、ごめんなさい」
と涙声で言った。僕はふーっと息をつき、
「いいんだよ別に。キミは僕にどんなことをしたっていい。僕は迷惑だなんて思わないし、いつだってキミの味方だ」
と笑いながら言った。それを聞いてキミは
「なによそれ。またカッコつけ」
とつぶやいた。そして、そのあと
「それじゃあまるで、親の気持ちみたいじゃない」
とも付け足した。
「こんな倒れながらカッコつけも何もないだろ?」
僕は言いながら立ち上がる。もうキミの肩を借りなくても立つことができた。体の感覚が戻ってきたようだ。
「でもさ。親の気持ちっていうのは、もしかしたらそうなのかもしれないな」
僕は言った。
それを聞くとキミは苦笑し
「ううん。言ったでしょ?私達は友達のはずよ。だからやっぱり謝らせて」
と言った。僕はそれを甘んじて受けることにし、また笑って
「うん。わかった」
と頷いた。
僕が伸びをしていると、キミが僕を見上げながら
「ねぇ、ラシェット。あのね、聞いて欲しいことがあるの……」
と言ってきた。だから僕もキミの方を見た。
「うん。なんだい?」
僕が促すと、キミは言い難くそうにしながらも
「うん、その、この間私はラシェットが倒れているのを、知ってて助けたって言ったでしょ?」
と話を切り出した。
「うん。そう言ってた。待ってたって。それで助けることも、助けないこともできたって」
キミは頷く。
「そう。でも、なんで知っていたかは話さなかったと思うの」
「うん」
僕は頷き、キミの話の続きを待った。
しばらくすると、キミは意を決したように
「詳しいことは言えないし、私にもわからないんだけどね。それは、書いてあったからなの。私の記憶の中にある文章に」
とゆっくりと言った。
「記憶の中の文章に書いてある?」
僕はそのまんまを繰り返した。また僕にはわけのわからない言い方だった。が、先ほどのキミの記憶の映像を見ていたおかげで、なんとなくだがイメージは掴めた。
「さっき見えたのは、キミの記憶なのかい?」
僕が尋ねるとキミはまた、ちょっと俯いた。
「やっぱり、見えていたのね……でもね、あのほとんどは、本来は私の記憶ではなかったものなの。あれらの記憶は、私が始めて遺跡に行った時に、急に私の中に流れ込んで来て、定着してしまったものなの」
キミはそう言った。
僕はキミの言ったことが不思議と腑に落ちた。それはそうだ。僕があの瞬間見た光景の数々は、もうまるで昨日見た夢のようにはっきりとは思い出せなくなっていたが、あんな光景をキミが全て目にしてきたとは到底思えないのだから。それに、僕はあの遺跡を実際に見てしまっているのだ。もう何が起きたっておかしくはないと思えた。
むしろ、僕はそのこと以上にキミが「やっぱり」と言ったことが気になっていた。
「やっぱりって、どういうことなんだい?」
僕はキミに尋ねた。なるべく優しく、なんとも思っていないふうに。でも、キミは僕のその言葉にまた、目を潤ませてしまった。
僕はしまったと思った。やはり聞くべきではなかったと。しかしもう手遅れだった。
「ごめん、その……」
と僕が言いかけた時、キミは僕の言葉を制して
「ううん。いいの。私が聞いて欲しいって言ったんだから」
と涙を拭いながら言った。
僕はキミは本当に強い子だと思った。
「ラシェットが私の記憶を見たのは、私がラシェットの心の中を覗こうとしたからなの」
そうキミは言った。
「僕の心の中を?」
「うん。その時に私の中の記憶の一部が、ラシェットの頭に流れ込んでしまったんだと思う……」
キミは自身なさげに言った。
「ということは、こんなことは初めてだったんだね?」
僕は聞いた。するとキミは
「ごめんなさい。だって、誰かの心の中を覗こうとしたことなんてなかったから」
と申し訳なさそうに言った。
「いいんだよ。それに、僕がいけなかったんだ。僕がキミの味方だと言っていたのに迷ったりしたから。ごめん、不安にさせたね」
「ううん」
僕の言葉を聞くと、キミは首を横に振った。
「そうじゃないの。これはね、私の問題だったの。私がいつまでも、いつまでもあんなことばっかり考えているから……」
そう言うとキミはついに、堰を切ったように泣き出してしまった。
あんなこととは、きっとあの映像で見た……と僕は思った。
そう思った次の瞬間、僕はもう、いてもたってもいられなくなり、そっと胸にキミを抱き寄せていた。
僕はキミの頭と背中をぎゅっと抱える。
キミもそれを受け入れてくれたみたいで、僕の胸の中でえんえんと泣き始めていた…
「大丈夫だ。大丈夫」
僕はキミの背中をとんとんと叩く。僕は今にも、もらい泣きしそうになるのをグッと堪えた。
僕はこんなふうにキミと接するのが果たして適切なのだろうかとも思った。しかし、キミにはもうそうやって思う存分胸で泣かしてくれる親がいないのだ。今僕が胸を貸さないでどうするんだと、一方では強く思った。
キミはいつまでも泣いていた。
僕はそれをずっと受け止めた。
しかし、それは苦痛なことでも、なんでもなかった。僕はこんなにも暖かく、そして切ない気持ちになったのは生まれて初めてかもしれなかった。
「私ね、本当はね、どんなやつだか見てやろうと思って、あの場所に行ったの」
ふと、キミが僕の胸の中で語り始めた。
「それは、僕のことかい?」
「そう。だからね、本当は誰も助ける気なんてなかったの。ただ、あの文章に書いてあることを確かめに行っただけ。でもね、行ったら本当にあなたが倒れていたでしょ?そうしたらやっぱり……いざ、目の前に人が倒れていたら見捨てるなんてできなかった……ただそれだけだったの」
「うん」
僕はつぶやいた。
「私、本当はね、お母さんに助かって欲しかった!お父さんに傍にいて欲しかった!でも、あの文章には集落がゲリラに襲われるとか、戦争が始まるとか、そんなこと一言も書いてなかったの!書いてあったのは、あなたがあそこで倒れているということだけ。他の部分はまだ読むことさえできなかった……だからね、どんなやつか見てやろうって思ったの!お母さんとお父さんを差し置いて記述されていたやつがどんなやつなのかっ!」
キミは僕の背中に回していた手にぎゅっと力を入れた。キミの気持ちは痛いほどわかった。僕はキミを落ち着かせようと背中をとんとんと摩る。
「そんなのただの逆恨みなのにね。そんなことを考えていたのよ私。……最低でしょ?」
キミは吐き捨てるように言った。僕は大きく首を横に振る。
「ううん。ちっともそんなことないよ。そんなの当たり前のことじゃないか。誰だって自分の両親が一番大切に決まってる。僕だってそう思う。僕なんかよりも、キミのお母さんが助かればよかったって」
それを聞くとキミは少し顔をこちらに向け
「ほんとに?本当にそう思う?」
と聞いてきた。顔中、涙でべったりだった。
「ああ。本当にそう思うよ。なんなら、もう一度僕の心の中を覗いたっていい。僕の心臓を抉り出してみて確認してもらっても構わない。でもね、これだけは言わせて欲しい。キミがどんなふうに思って、僕を助けたのだとしても、僕のキミへの感謝の気持ちは変わらないよ。だから僕はいつまでもキミの味方だ。僕はいつまでも傍にいて欲しいって言われたらそうするし、そうでなくても、呼ばれればいつだって飛んで来るよ」
僕は笑って言った。
恥ずかしさで耳が熱かったけれど、それだけは悟られないように頑張った。これではまるで愛の告白ではないか。僕はどちらかというと、親のような気持ちで言っているつもりなのに、そんなふうに取られたら、もうキミとどんなふうに顔を合わせたらいいかわからない。
しかし、キミは少しの間僕の目を見た後、ふふっと笑い
「ありがとう、ラシェット。大丈夫よ。もうあなたの心を覗こうなんて思わないわ。その言葉だけで十分」
と言うと、僕の体から腕を離した。
「もう、大丈夫なのかい?」
僕は聞いた。
「うん。おかげですっきりしたわ。ありがとう。でも、なんか子供みたいことしちゃったわね」
キミは恥ずかしそうに言った。
「子供みたいじゃなくて、キミはまだ子供なんだからいいんだよ」
そう僕が言うと、キミは心外だと言うような感じになって
「ふん、ラシェットってほんと、女心をまるでわかってないんだから」
と言いそっぽを向いた。僕はそれを聞いてまったくその通りと、苦笑いするしかなかった。
でも、そんな様子を見て、僕はキミにいつもの調子が戻って良かったと心から安心していた。
僕達は改めてソファに並んで座った。二人とも、とても疲れていたのだ。
なかなか広く上等なソファだった。思えばこの部屋は二人で使うには広過ぎるし、豪華過ぎる。
「そりゃ、こんな広い部屋で一人で泣いてたら、余計に悲しくなるよ」
僕は言った。するとキミは
「ううん。こんな部屋、砂漠のど真ん中に比べたらどうってことないわ」
と言った。確かにその通りだった。僕はふふっと笑った。
「ねぇ、ラシェット、もう聞かないの?あの目の力のことか、文章のこと」
僕がしばらく黙って考えていたら、キミが尋ねてきた。
「ん?ああ、まぁ聞いたところで、きっと僕にはこれ以上はよくわからないだろうし、それにあれもキミの抱えているものの一部なんでしょ?だから、話せる時が来たら、ゆっくりと話してくれればそれでいいさ」
僕は答えた。その答えにキミはふーん、そうとだけ返した。
コンコンコン
と、その時ふいにノックの音が鳴った。
僕は最初、なんだろう? と思ったが、すぐに思い出し、扉を開けた。
するとそこには、デザートがたくさん乗ったワゴンを運んできたメイドが立っていた。
そのワゴンを運び終わると、メイドは部屋を出て行った。
僕は部屋の電気を付けた。
部屋が明るくなると、そこにはワゴンの前に立ち、すでに目をキラキラさせているキミの姿があった。
「お、うまそうだね」
僕はそう言いながら歩み寄り、ワゴンを眺める。そこには、色とりどりのケーキとシュークリーム、プリン、ゼリー、クッキー、フルーツ、ムース、タルトなど、到底ふたりでは食べきれないほどのスイーツが満載されていた。
「ねぇ、これ全部食べていいの?」
キミは僕の方を見ずに言う。もう、ケーキのことしか眼中にないようだった。さっきまでえんえん泣いていたとは思えない豹変ぶりだった。
「ああ。アリさんが、先ほどのお詫びの印にってくれたものだからね。いくらでも食べていいと思うよ」
「ほんとに!?」
僕がそう言うと、呆れるほどキミは喜んだ。
僕はコーヒーと紅茶をたっぷりと用意した。キミは椅子に座り、まだかまだかと足をぷらぷらさせている。
「はい、ではいただきましょう」
と僕が言うと
「いただきまーす」
と少しくい気味でキミは言い、フォークでショートケーキをぱくっと食べた。
その顔はいかにも幸せそうな顔をしていた。
こりゃ、もうさっきの僕の言葉すら忘れてしまっているんじゃないか? と僕は思う。でも、まぁそれはそれでいいじゃないかとも思った。
僕もシュークリームを取って齧る。
「守人か……」
と僕は思った。
こんな子にいったい、何を背負わそうというんだ。
僕はもう一口齧る。
そして、僕はその重荷をどのくらい背負ってあげられるんだ……
月はまだ眩しく輝いていた。
窓から入ってくる砂漠の乾いた風が、僕にまた大きな決意を促している。
僕には、そんなふうに思えてならなかった。