アリ 2
帝国と王国による代理戦争。
今、このグランダン大陸の脆弱な繋がりしか持たない連邦国家は、民族間の争いを大国により利用されようとしている。
その目的は、植民地支配、地下資源の確保、兵器の実験、王家の中の覇権争い、軍需産業の拡大と特需、そして世界平和への貢献という大義名分と多岐にわたる。
このグランダンという土地はいつも、このような胸糞の悪い戦争の場となっている気がする。それは位置が悪いのか、国家体制に問題があるのか、一致団結できない多民族の意識こそ正すべきなのか。そんなことはわからない。しかし、これだけは言える。いつでも火に油を注ぐバカがいるのだ。
それが今回の場合、ダウェン王子であり、リッツ王子であり、Kことジース・ショットであり、そして、のこのこと手紙を届けようとしていた、この僕なのである。
僕はうんざりした。
言い方は悪いかもしれないが、僕はこんなことには関わり合いになりたくなかった。これは僕にはまるで関係のない場所で起きている、関係ない人達の問題だと思っていたのだ。
新聞や、歴史の教科書の中の世界。僕は知らず知らずのうちに、そんなくだらない認識すら持っていたのかもしれない。
しかしだ。もう僕は関わってしまった。
僕は、もう肌で感じてしまったのだ。
このアリの手腕ひとつで、幾多の人の命が無残にも消えていくのか、あるいはそうならずに済むのかが決まるということを。
僕の肌はゾクゾクした。僕は軍人時代にもこれ程、戦争というものを肌で感じたことはなかった。
それは、このバルムヘイム・アリという男の持つ宿命を感じたとも言い換えられるかもしれない。彼は戦いを宿命づけられて、この国に生まれてきたのだ。彼が民衆を導き、旗を持つ姿が僕の脳裏にありありと浮かんだ。彼は生まれながらの勇者たる男といえる。
そんな彼との繋がりを、サマルが作ってしまったのか。
サマルからの手紙。
すでに隠してしまったトカゲおよびリッツからの手紙。
アストリアのジース・ショット。
もっと言えば、この国に住むキミと、内戦により亡くなったというキミの母親とまだ帰らない父親。
このように、僕は既に今回起ころうとしている戦争に十分に関わってしまっている。
本来の僕はこんな世界とは関係のないところで暮らしていたのに……いや、もしかしたらそれこそが誤った認識だったのかもしれない。僕がこの世界に生きている限り、僕に関係のないことなんて、なにひとつありはしないのかもしれなかった。
「アリさんは、サマル・モンタナという名前を聞いたことはありますか?」
僕は食事をしながら、アリに聞いた。トルスト海で採れるという大きな海老のボイルがとても美味しかった。
「ええ、もちろん。名前だけなら。ただ、彼については行方もわからないし、どういった組織でどんな仕事に従事していたのかすらもわかっていない。情報の機密性が極めて高いんだ。だから、なおさら調べる必要があるのだが……ラシェットさんはどこで、サマル氏の名前を?」
「サマルは僕の古い友人なんです。だから行方を探しています。それとK…ジース・ショットとサマルとの間に何があったのかも知りたいんです」
僕は答えた。サマルからの手紙のことは言わずに済むなら、言わない方がよいと判断した。すると、アリは
「ということは、サマル氏からあなたに連絡があったのですか?」
と眼光鋭く聞いてきた。
僕はなるべく表情に出さないように努めた。が、冷や汗が少し出た。嘘をつくなら、不自然にならぬよう僕は一瞬で判断しなければならない。そして、一度嘘をついたらずっとつき通さなければならなくなる。僕は考えていた。すると
「探して欲しいって手紙が来たのよ。ラシェットのところに」
とまたしてもキミがそのままを言ってしまった。
僕はがっくりと肩を落とした。キミにはキミの考えがあるのだろうが、キミと一緒に行動する限り、僕はキミの意向に追随するしかないのかと思う。
「探して欲しいか……その手紙は今はどこに?」
興味ありげにつぶやき、なにやら考えていたアリが尋ねてきた。もう僕は正直に話すしかない。
「僕が持っています。ここに」
と僕は自分のジャケットの内ポケットのある位置を押さえた。
「しかし、これはアリ大統領といえどもお見せすることはできないんです。申し訳ありませんが……」
と僕は言った。すると
「それはなぜです?」
とアリは聞く。それも当然だ。でも僕は
「サマル自身がそう望んでいるからです。この手紙は僕以外には読んで欲しくないと」
と突っぱねた。
内心はドキドキしていた。こんな言い分が通るとは思えなかったからだ。
「なるほど?しかし、先ほどの様子では、キミさんはすでに手紙を読んでいるようですが?」
とアリは言った。確かに。僕は痛いところを突かれたと思った。だが、キミが
「そんなの。私はただの子供だもの。一国の大統領と比べないで欲しいわ。それとも、あなたが手紙を読むことと、私が手紙を読むことの影響力は同じだとでも思っているの?」
と言うと、アリは
「ふっ、ははは。確かにそうだな。いや、失礼した。まぁ、我々としては少しでも情報を分けていただけるのならそれでいい。手紙は読まないこととしよう」
と笑い、なんとか許してくれることになった。
ふーっと僕は息をつく。やれやれ、いちいち色々なことを心配しなくてはならない。
僕はまたウイスキーを飲んだ。
「サマル氏が姿を消したのと、ジース・ショットが姿を現したタイミングが、同じ約一年前だということが気になっていたのです。それとサマル氏の発表しようとしていた論文。それが書かれたのも一年前。これはどういうことになると思いますか?」
アリは言った。
「僕の聞いた話によると、そのジース・ショットがサマルを拉致し、幽閉した張本人ではないかということですが……」
「ふっ、やはりな。だとすると、ショットはサマル氏が論文を書いた直後に現れ、そして拉致、幽閉したことになる。まるで、そのために急に現れたみたいだ」
僕はアリのその言葉に、確かにそうだと思った。
「その論文の内容は、手紙には書いてなかったのですか?」
アリが聞く。
「はい。書いてありませんでした。ただ、自分を探して欲しいとだけ……」
と僕は答える。それに対して、アリはそうかとだけ言い、また何か考え込みだした。
僕はその様子を見て不思議に思った。
「あ、あの、僕の言うこと信じてくださるのですか?」
だから、僕は聞いてみた。すると、ん? と言いアリは顔を上げ
「嘘をついているのかね?」
と言う。僕はそれを慌てて
「い、いいえ。とんでもない」
と否定する。それに対し
「ふっ。ならもう信じるしかあるまい?」
とアリは言った。
僕はもちろん嘘はついてないし、信じてくれるのはありがたかったが、その理由はなんなのだろうかと思った。
僕は思いきって
「アリさんは僕達を助けて、本当はどうするつもりだったのですか?」
と尋ねてみた。
アリは飲んでいたワインを置き、ニヤッと笑う。
「交渉するつもりだった。君達がまだ、あの手紙を持っていたらね。こちらに渡して欲しいと」
「もし、渡さなかったら?」
「そのときは、いつまでもこの国にいてもらうことになっただろうね」
とアリはいたって真面目に言った。
「そ、そうですか……」
僕はキミの手紙を隠そうというアイデアに感謝した。手紙を狙っていたのは東側も同じで、どの道僕らは捕まっていたのだ。もし、手紙を隠していなければ、このアリ大統領ともここまで友好的に話をできていたかどうかわからない。
「だから私も安心したよ。君達も懸念材料のひとつだったのだ」
アリは羊のローストを切って食べる。でも、その表情はまだ油断なく引き締まっていた。とても安心しているようには見えない。
「もちろん、グウェンのやっていることはいずれ、白日の下に曝さなければならないから、その時にはまたあの手紙が必要になるだろう。しかし、今は時期が早い。今あれが表に出てしまえば、リッツとショットの思惑通り、アストリアの介入を許してしまう。私はこの国の問題について、なるべくなら誰の力も借りたくないのだ。そうやって解決しなければ、この国はまた苦しかった植民地時代に逆戻りしてしまうだろう」
そのアリの熱意のこもった言葉に僕は
「確かに…そうかもしれません」
と頷いた。
「私には時間が必要なのだ」
アリは言った。
「しかしこの国の問題は、東西の経済格差と、部族の違いからくる習慣や価値観のズレが主な原因だと思うのですが、その溝がそう簡単に埋まるものなのでしょうか」
僕は聞いた。失礼を承知でも聞いてみたくなったのだ。アリの熱い言葉には、人に期待を抱かせる何かが確かに含まれているのだ。
「ふっ、なにも私だってそう簡単にその長年の溝が埋まるなんて思っていないよ。しかし、かと言って安易に第三者に任せるのは、この国の持つ可能性に目を瞑るということになる。私は今までさんざん親父とじじいの目を瞑った姿を見させられてきたからね。その二の舞にはなりたくはない」
アリはワインを飲んだ。
「まぁ、反面教師としてはよかったのかもな。その後ろで私はこの国の東と西の民族が仲良く、平和に暮らしている夢をずっと見てきた。そのための構想も子供の頃から練ってきたのだよ。夜、ベッドの中で寝むりながら……」
僕はアリの語り口に聞き入っていた。
すると、隣で聞いていたキミが
「ふーん。じゃあ聞かせてくれない?その構想とやらを」
と言い出した。僕はぎくっとする。キミは自分の置かれた立場と、今いる場所がわかっていないのではないか。しかし、アリは相変わらず笑って許してくれた。
「私はまず、東側の地下資源の独占を止めさせる。そして、国全体で利益を共有させるつもりだ」
「そんな、既得権益を崩すことが本当に可能だと?」
僕は疑問に思った。しかしアリは
「可能かどうかではない。私がやると言ったらやるのだ。まぁ、しかし色々な根回しは進めているがね。とにかくまずはこの問題を片付けないことには、そこから先に話は進まない」
「ふん」
キミはとくに感慨もなさそうに言った。
「そうしたら、わたしは次にこの国の東西の交流を阻んでいる、砂漠を克服しようと思う」
「と、言いますと?」
僕は考えた。しかし適当な考えは思い浮かばなかった。
「鉄道だよ」
「て、鉄道!?砂漠にですか?」
僕は驚いた。そんな話は聞いたことがない。
「そうです。鉄道を敷き、互いの交流が盛んになれば誤解の解けることもありましょう。それにこの事業によって雇用も生み出せるし、物流の革新による経済の活性化にも繋がる」
アリは確信ありげに言う。
「し、しかし失礼ながら、この国にそこまでの技術は……」
僕が言うとアリはふふっと笑った。
「残念ながらありません。だからそこは第三者の手を借りるのです」
借りてしまうのか? と僕は思った。
ボートバルか、アストリアか?それとも。
「私は工業都市コスモに手を借りることにしました。もうこちらの交渉は半ばまできています」
「なるほど、コスモにですか」
僕は納得した。コスモは世界第三位の経済を誇りながらも、戦争や植民地支配などをしてこなかった国だ。協力を仰ぐならそこしかないだろう。
なんとなくにだが、僕にはアリの目論見が見えてきたような気がした。
コスモと共に歩み、アストリアからの間接的な支配から脱却する。そして、自国の経済を発展させ、世界の中での地位を確立し、ボートバルとも対等に構えられるようにする。つまり
「アリさんは、この世界のパワーバランスを変えようとなさっているのですね?」
それを聞くと、夢を語るように話していたアリの目つきが、厳しいものに戻り、そして頷いた。
「そうです。ラシェットさん。私はこのバカげた戦争の歴史を少しでも早く終わらせるために、この国を発展させ、影響力のある国にしたのです。まぁ、そう簡単にはいかないでしょうが、幸い私はまだ若い。次の世代のためにまだまだ多くのことを残せるかもしれないのです」
僕はただ感心していた。僕とそう歳も変わらないこの若きリーダーが本気でこの国とこの世界を変えることに貢献したいと思っているということに。
そりゃ、僕だってそう思うこともあるけれど、こんなに自信たっぷりに、臆することなく口にはできないだろう。ここまではっきり言われてしまうと、彼はその夢を本当に実現し得るのではないかという気がしてきた。やはり、そうだ。彼は間違いなく、この国を引っ張っていくに足る人物なのだ。僕は今そんな重要な人物と、ひょんな事情から会食している。僕は自分がひどく場違いな人間だと思った。
「り、立派な考えだと思います」
僕がそう口にした時、キミが
「ほんと、ご立派な考えだこと」
と不機嫌な声を上げた。
「ねぇ?本気でそんなこと考えているの?本気であの砂漠の民が、そんなことだけでひとつになれると思ってるわけ?だとしたら、本当におめでたいわね」
キミは怒りのままにまくし立てた。僕は、何が起こったのかと、ただぽかんと座っているしかなかった。
アリも黙って聞いている。
「いい?この国の民族同士の差別意識はね、もうどうにもならないところまで来ているのよ。私はそれをさんざん見てきたの!内戦中もそうじゃない時も!西も東も関係なかったわ。どちらにも、正当な理由なんてなかったし、正義だってなかったわ。あったのは自分が勝手に思い込んでいる価値観だけ。あなたたち東の軍は、ひどいことをしているのは西側のゲリラだけだと思っているんでしょうけど、東側の軍隊だって、本当にひどいことをしているのよ。そうやって全滅した村やキャラバンを私はいくつも知っているわ……今更きれいごとを並べたってねぇ、もうこの憎しみや差別を無くすことなんてできないのよ!」
キミのサングラスの下から涙が零れ落ちた。
僕は、もういいんだ、もうそんなことは考えなくて、と強く思った。でも、僕ではキミの感情を止めることはできそうになかった。
「ボートバルもアストリアも関係ないわ。歴史的背景だって、どうだっていい。なんで、なんでもっと早く、こうなる前になんとかしてくれなかったの?武力で抑えるのでも、お金で買い取るのだっていい。ただ私達は普通に静かに暮らしたいだけ、他の国では当たり前のようにできていることしたいだけなのよ。世界への貢献なんてそれだけで十分なのよ。それなのに、男同士はバカみたいに夢を語って、国を強くするなんていってる。それで……それで、今度はどこの国に不幸の種が飛んでいくことになるのかしらね?」
キミはがたっと勢いよく席を立った。
そしてうつむいたまま、ずかすかと扉の方へと歩いていく。
その雰囲気にさすがのナジ大佐もたじろいだ。しかし、扉の前からは動こうとしないナジにキミは
「邪魔よ!どきなさい!」
と一喝した。するとナジはしぶしぶ扉を開け、キミを通した。
キミは一体どこに向かうつもりなのか、扉を出ると左に曲がり、つかつかとどこかへ行ってしまった。
その様子を扉の外側で警備していた、ひとりの兵士が不思議そうな目で見送る。その兵士はまだ少し幼い少年の面影を残していた。おそらく、15、6歳といったところだろう。その少年兵に向かい、アリが
「カシム、後を追いなさい。そして、機会を見て部屋まで案内するんだ。くれぐれも丁重にな」
と言うと、カシムと呼ばれた少年兵は
「了解しました」
と簡潔な返答だけして、廊下を駆けていった。
「ど、どうも申し訳ありません」
僕が言うと、アリは苦笑した。
「いいえ。私こそ配慮に欠いた発言をしたらしい」
僕は躊躇いつつも
「許してやってください。キミは内戦で母親をゲリラに殺され、父親は東の軍の志願兵になって以来、ずっと帰って来ていないんです。そんな状態で彼女はずっと、砂漠のど真ん中の集落にひとりで暮らしてきたんです」
と言った。
僕が言うと、アリはふーっとため息をついた。初めて見るアリのため息だった。
「そうですか。いいんです。国民に、私は何を言われても仕方ない。私に全ての責任はあるのだから。……彼女の父君の名前は?」
「わかりません。おそらく、名字はエールグレインだとは思いますが」
「エールグレイン。わかりました。調べておきます。では、まだデザートが来ていませんが、ラシェットさんも、もうお休みになられてください」
「はい。しかし、もうよろしいんですか?」
「ええ。聞きたいのは手紙のことだけでしたからね。本当はもうひとつ、お話したいことができたのですが、それはまた明日にしましょう」
そう言うとアリは立ち上がった。
「くれぐれも、キミさんにお伝えください。大変申し訳なかったと」
「はい。なら、僕達が食べるはずだったデザートを部屋まで届けていただけませんか?キミは甘いものに目がないんです」
僕がそう言うと、アリはふふっと笑い
「ええ、わかりました。お詫びの印とも言えませんが、たくさん持って行かせましょう」
と言った。
ラシェットがアリの部屋を出て行った後、アリはもうひとつ、ラシェットに伝え忘れていたことがあったと思い出した。それは、もうひとり、この家に珍客が泊まっているということだったのだが、まぁ、大事には至るまいとアリは思い直し、机に向かい執務に取り掛かることにした。
「まったく、どこまで行ったんだ?」
と僕は広い家の廊下をうろついていた。しかし、一向にキミが見つかる気がしない。
ま、ひとりついて行ったんだ、そのうち部屋に戻るだろう。と思うと僕は長い長い廊下を引き返しだした。
と、しばらくした所で、廊下の前方から、ひとりの女が近づいて来るのが見えた。
髪の長さと服装で女だとはすぐにわかった。
クリーム色の髪に、水色のワンピースだ。しかしその服はあまり似合っていなかった。もしかしたら借り物なのかもしれない。そう思ったのは、彼女が右腕を痛々しく吊っていたからだ。たぶん、骨折だろう。よく見るとおでこにも足首にも包帯が巻いてある。きっと、彼女はこの家で怪我の治療中なのだ。
しかし、なぜこんなところで?
彼女ともう少しですれ違う所まで来た。
彼女と目が合う。知らない顔だった。当たり前だ、そうそう世界には知り合いばかりいない。
しかし、彼女は僕の顔を見ると、大きく目を見開いて、その足を止めたのだ。そして
「ラ、ラシェット・クロードッ!!」
と叫ぶなり、後ろに飛び退きワンピースの懐に左手を入れようとした。
しかし、これも当たり前だがワンピースに懐なんてないし、たぶん彼女が取り出そうとした銃もなかった。
僕はそんな彼女の反応につられて、つい反射的に懐からリボルバーを抜き、構えていた。ものすごく、びっくりはしていたが、なぜだか形成は僕の有利になったらしい。
「くうっ」
と言い、彼女は手を上げた。
おいおい。
いったい、今度はなんなんだ。
僕はこんな誰だかわからない、女の子を撃つ気なんてないぞ。と、誰に弁解するとでもなく、僕は心の中で言っていた。




