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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第1章 ラシェット・クロード 旅立ち編
24/136

再び空へ 2

夜が明けたのはテントの中からでもわかった。

日の光は朝から容赦なく眩しいし、暑い。


でも、僕はまだ起きたくなかった。昨夜は頭の中を色々な考えがぐるぐる回って、全然寝つけなかったのだ。だから、僕は日の光に抵抗してギュッと目を閉じ続ける。

ずっとそうしていると、だんだんとまた微睡みがやってきた。この時が一番気持ちいい睡眠の時間かもしれない。僕はやっと何も考えずに眠りにつけそうだった。


「ラシェット、起きて。ラシェット?…もう、早く起きないと今日も辿り着けないわよ」


キミが僕の肩を何度も揺さぶるので、僕は目を覚ました。あれ?さっき寝たと思ったんだけどと思う。結局少ししか眠れなかったらしい。

「おはよう。ラシェット」

「おはよう。キミ」

僕は寝袋から起き上がり言った。こういう感じで起こされるのは久しぶりだった。僕は幼い頃、母親や妹に毎日揺り起こされていたことを思い出した。

「はい。これ」

そう言うとキミは僕に紅茶の入ったマグカップを差し出してくれた。僕はそれを両手で受け取る。確かに喉がカラカラに渇いていた。

「ありがとう。キミはきっと良いお嫁さんになるね」

僕が言うとキミは呆れた様子で手を腰にあて

「はぁ、なによそれ。今時そんなこと言われて喜ぶ女の子がいると本気で思ってるわけ?」

と言った。眉間には皺も寄っている。

「まさか、これは僕の正直な感想さ」

僕は紅茶を一口飲んだ。

「ああ、そう。だとしたら、ラシェットは女の子を褒めるのが下手ね。ねぇ、そう言われたことはない?」

僕は考えてみた。

「さぁ、どうかな。よく覚えてない。でも、なぜかいつも女の子を怒らせてばかりいた気がする」

僕が言うと、はぁ、とまたキミはため息をついた。

「それよ、それ!まったく、もっと女の子の気持ちも考えなさい。いっつもくだらないことばかり考えてないで。そういうのも大切だと思わない?」

「ははは。アドバイスありがとう。確かにその通りだ」

そうかもしれない。僕はいつも自分のことばかり考えてしまう。

「ほんと、私みたいな子供に注意されてちゃね。大人の女の人には相手にもされないでしょうね」

キミは呆れて言った。

「うーん……そうなのかな?そんなこともないんだけど」

と僕が言うと

「へぇ、そうなの」

とキミは興味なさそうに言った。

「ま、とにかく早く起きて。今日中には辿り着きたいんだから」

そう言い残し、キミはテントから出ようとした。そこで、僕は

「あ、そうだ。年上の僕からもキミにひとつアドバイス。ため息の数だけ幸せは逃げていくらしいよ。中等学校時代の先生から聞いたんだ。だから、若いうちからそんなにため息ばかりつかない方がいい」

と教えた。すると、キミはぴくっと耳を立て動きを止めた。もちろん本当に耳が動いたわけじゃない。そんな感じがしただけだ。

そして、キミはゆっくりと振り返り僕を見た。目は見るからに怒っていた。

「私のため息が増えたのは、ラシェットが変なことばっかり言うからでしょ!もしそれが本当で、私が不幸になったなら、それは全部ラシェットのせいなんだからね!その時は、ちゃんと責任取りなさいよ!」

そうキミは厳しい口調で言うと今度こそテントを出て行った。


僕は首をすくめてキミの言葉をやり過ごした。本当に僕は女の子を怒らせるのが得意らしい。しかし、今回のは半ばわざとそうしたのだ。

僕はもっとキミと色々な話がしたかったのだ。特に僕は、キミ自身の事をもっと僕に話して欲しいと思った。だから、僕はいつも友達に振る舞うように、もしくはそれ以上にキミに冗談を言ってみようと思ったのだ。

まぁ果たして、そんなことでキミが抱え込んでしまっているものを僕に分けてみようかと、思ってくれるようになるかはわからないが、それでも僕は少しずつやっていこうと思っていた。

それも一晩考えた末に出た、回答のひとつだった。


その後すぐに僕は起きてきて、キミと一緒にテントなどを片付け、荷物を再びケムとローに積んだ。キミはまだ、ぷりぷり怒っているようだった。僕はその可愛らしい姿を見て、思わず微笑みそうになるのを我慢するのが大変だった。


ラクダに乗って出発すると僕は

「さっきはごめん。ほんの冗談なんだ。わかりにくいし、イライラしただろうけど」

とキミに話しかけた。すると、キミはやっと表情を和らげてくれた。

「ねぇ、できればもう、わかりにくいことは言わないで。冗談なんて私にはわからないし、どう答えていいかもわからないの」

とキミは申し訳なさそうに言った。僕はそれを聞いてこちらこそ申し訳なかったと思った。

「うん。ごめん。僕が悪かった。もう困らせるようなことは言わないよ。思えば、僕の冗談はわかりにくいって同期からも評判だったんだ」

僕はそう言って昔を思い出した。思わず思い出し笑いをしてしまいそうな場面がいくつも浮かんだ。

「ラシェットの同期って、軍の?」

「そう。軍学校時代のね」

キミはラクダを並ばせて歩かせた。僕の話を聞くためらしかった。

「ふーん。そんなんでも、友達できたんだ」

キミは意外そうに言った。

「ははは。ひどいこと言うなぁ。まあ、多くはなかったけどね。仲の良いやつは何人もいたよ」

「女の人も?」

キミは聞いた。

「女の子も。彼女だっていた」

「彼女も?」

キミは驚いたように言って

「ラシェットと付き合おうなんて思う人もいるんだ」

と付け加えた。キミにいざそう言われると中々、グサッとくるものがあったが、僕は笑って誤魔化した。そして


「そうさ。こんなんでも、僕のことを好きになってくれる人はいたんだよ」


と僕は言った。

「ふーん。そうなんだ……」

キミはそれを聞くと何か考え込むように遠くを見た。またあの寂しそうな目をしていた。


「ねぇ、キミ」

僕は少し経ったあと話しかけた。

キミは気がついたようで僕を見た。


「確かに僕の冗談はわかりにくい。でも、それが届いた相手はたくさんいたんだ。もちろん、それ以上に届かなかった人もたくさんいたけれど、そういう人とだって仲良くなれたこともある。冗談を抜きにしてね」


僕の声に顔を上げ、キミはこちらをじっと見てくれている。僕は話を続けた。


「僕はそうやって、なんとか今までやってこれた。こんなんでもね、仲間ができた。それは軍学校時代でも、軍に入ってからも、軍を辞めたあとも、郵便飛行機乗りになったあとも同じだ。その時々で、僕は様々な人達と出会い、友人になった。そして、そういった人達が僕の人生に多様な彩りを与えてくれたんだ」


「うん」

キミは頷いた。

「ね?こんな僕でもだ。だからこれは特別なことでもなんでもない。誰しもがそうなんだよ。全ての人とは理解し合えないのかもしれないけど、理解し合える人は必ずいるんだ。それがこの世界の広さなんだよ。なにも砂漠や空や海だけが世界の広さじゃない。僕の言ってることがわかるかな?」


僕は不安になってキミに聞いてみた。すると

「うん。なんとなく」

とキミは言ってくれた。


「ありがとう。だからね、僕はそういった世界の広さもキミに知って欲しいと思ってる。人との出会いという広さをね。僕がそれを知り始めたのも、ちょうどキミと同じくらいの時だったから」

「わたしと?」

キミが聞いた。

「そうさ。中等学校の時だから、僕も13歳だった。僕はそこで多くの仲間達と、大切な友達を作ることができた。だからこそ、そのあとの出会いもあったんだと僕は思っている。物事にはちゃんとした土台が必要なんだ。そして、それはたぶん間違いじゃない。この年になるとね、そういうこともわかってくる」

僕はきっぱりと言った。


「だからね、キミ。僕はキミに世界を見せたいんだ。ちょうど大事な時期にさしかかっている今のキミにね。そして、様々な人に出会って、色々な経験をして欲しい。それが、キミにとっての土台となるかもしれないから。もちろんキミと僕とでは事情が異なるから、どうなるかはわからない。でも、そういう世界もあるということをキミに知っていて欲しいんだ。ちゃんと決められた通りに、この砂漠で頑張るのも偉いと僕は思うけど、砂漠に残るのだとしても、知っていて残るのと、知らずにいるので全然意味合いが違ってくると思うんだ」

僕はキミに笑いかけた。

「どうかな?」

「どうかなって言われても……昨日も言ったけど、やっぱり急にはわからないわ」

キミは言った。でも、困っている感じではなかった。

「そんなこと言ってくれる人、今までいなかったから」

「うん」

僕は頷いた。

「でも、それはキミの問題じゃない。キミの周りから、それを言ってくれる大人が皆いなくなってしまったのが異常なんだ。僕はもちろん大人だ。ちゃんとした大人とは言えないかもしれないけど、一応ね。だから、たとえ一昨日出会ったばかりの通りがかりでも、キミに対しての責任みたいなものがあると僕は思ったんだ。キミに言ってあげる、大人としての責任が」


「一昨日会ったばっかりなのに?」

「そう」

僕は答えた。

「でも、ラシェットに責任なんかないわ」

キミは尋ねた。

「そうとも限らない。キミは昨日、僕のことを待っていたと言った。そして命を助ける選択をしてくれたと」

「うーん、まぁ確かにそうだけど……」

「それに…」

僕は言葉を続ける。

「さっきキミは言ったでしょ?私が不幸になったら責任を取ってよねって。もし、僕のわけのわからない冗談のせいでキミのため息が増えたのだとしたら、僕はその責任をとりたい。もしくは、不幸になる前にキミを幸せにしてあげたい。すごくお節介かもしれないけど、そう思ったんだ。だから、まずはキミに提案してみた。一緒に行かないかってね。これが僕が必死に考えた責任の取り方。それと、命を助けてくれたことに対する恩返しなんだ」


僕がそう言うとキミはふーっと息を吐いた。辛うじで、ため息になるのは堪えたらしい。

「ラシェットってお人好しだけど、考えなしだわ。助けたのは間違いだったかしら」

キミが苦笑いして言うから、僕もちょっと笑った。

「うん。もし、2つの選択肢のうち、どちらかが正解でどちらかが不正解と決められていたならば、あるいはそうかもしれない。でも、僕は思うんだ。ひとつの選択が必ずしも正解にはならないし、不正解にもならないって。要するに全てがそこで決まるなんてことはあり得ないし、それは誰にもわからないことなんだ。だからね、キミが僕を助けてくれたことが、もし不正解だったとしても、僕は助けてくれたことをキミに感謝したい。そして、僕はそれが不正解にならないようにこれから頑張るつもりだ。それがキミに選択をさせたことに対する僕の責任の取り方でもある。ほら、まだ僕の責任はあった」

僕は得意げに言った。

キミはその様子を見て

「でも、ラシェットは旅の途中でしょ?それはどうするのよ」

と言った。

「大丈夫。僕の腕を信じて欲しい」

「危険を承知で連れて行くのね」

「ごめん。色々考えたんだけど、結局それしか僕には思いつかなかったんだ。危険なのはわかっているんだけど」

僕は頭を掻いて言った。でも、僕にはそんなことしかできないのだ。


しばらくキミは黙っていた。

だから、僕も黙ってキミの返事を待った。


「ほんと、ラシェットって変ね。おまけにカッコつけ」

やがてキミが口を開いた。

「ま、でも考えといてあげる」

キミはそう言うとラクダをまた前に進ませ、前後の列にした。

僕はキミの返事に喜んだ。僕はやっとキミの心に少し近づけた気がした。

「ありがとう」

「考えるだけよ。誰も行くなんて言ってないわ」

キミは前を向いたまま言った。

「うん。大丈夫。ゆっくり考えて」

「あのねぇ、ラシェットは飛行機が直ったらすぐに行っちゃうんでしょ?ゆっくり考えてる暇もないわ」

「ははは。それもそうだね。でも、気が変わったら僕に手紙を書いてくれればいい。そうしたら僕はどこにいたってキミの所に飛んで来るよ」

僕は言った。キミはそれを聞いてくすっと笑った。

「ラシェット。ここは砂漠の真ん中よ。ポストなんてないし、郵便も来ないの。ほんと、呆れちゃうわ」



それから僕達は休むことなく、ラクダを進ませ続けた。時々退屈すると、僕達はお話会の続きをした。キミはまだ考えている様子だったけど、僕はとりあえず気持ちが伝わっただけで嬉かった。


そうして午後4時頃、

「あったわ、あれじゃない?」

と言って、遥か前方をキミが指差した。

僕はよく目を凝らして見る。僕にはまだ言われてみなければわからなかったと思うが、確かにそれはカモフラージュシートの隙間から見えるレッドベルの色だった。

「そうだよ。あれだ!すごい。たった2日で辿り着くなんて」

僕はキミを見た。キミは胸を張り

「言ったでしょ?探し物は得意なんだって。さ、早速行って修理を始めましょ」

と言うと、ラクダを走らせた。僕はだんだんと大きくなる前方のレッドベルを見つめながら、ごめん、随分待たせたなと心の中で呟いた。


レッドベルは半分くらい砂で埋もれてしまっていた。たぶんもう何日か遅ければ発見できなかっただろう。

キミはスコップを取り出しザクッと砂に突き立てた。

「じゃあ、私が砂をどかすから、ラシェットは羽の修理ね。日が暮れるまでに終わらせるわよ」

キミが現場監督のように言った。女の子に力仕事を任せるのは気が引けたが仕方がない。僕は

「了解!」

と返事をし、すぐ作業にとりかかった。


修理は1時間半ほどで終わり、機体の点検も30分で終わった。といっても簡易なものだ。修理だって完璧とはいえない。飛ぶ時のバランスは相当悪いだろう。しかし、次の街まで飛べればいいのだ。あとは腕でカバーだ。

カモフラージュシートを取り除き、トランクにしまった。コックピットの掃除をキミに任せ、僕は砂をどかす作業を代わりにやった。


そうして日が完全に沈む頃には、全ての作業を終えることができた。

僕達はようやく休憩することにした。

「はい。これ」

お湯を沸かしながら、ケムとローに餌をあげていたキミに僕は乾パンの缶を差し出した。キミの好きな氷砂糖が入っているやつだ。

キミの目がキラッと輝いた。

「じゃあ、この砂糖を紅茶に入れて飲みましょ」

キミは嬉しそうに言った。


「まだ、こんなにトランクの中に水があったのね」

キミは言った。僕達は焚き火を囲んで、紅茶を飲み、乾パンを齧っていた。

「情けないよな。砂漠のことをなんにもわかってなかった」

僕が言うと

「ほんと」

とキミは言った。


「この子、思ってたよりも可愛い飛行機ね」

キミは焚き火に照らされたレッドベルを見て言う。

「ありがとう。相棒も喜んでるよ」

僕は立ち上がって、レッドベルの所まで行くと装甲板に手を当てた。昼の熱さがまだそこには残っていた。

「もう、飛べるんでしょ?」

キミが尋ねた。

「うん。大丈夫だと思う。まだエンジンをかけたわけじゃないけど」

僕は言った。

「じゃあ、今からもう行っちゃうの?」

キミは言った。僕はキミを見た。

「ううん。この暗闇で、この機体の状態じゃ不安だから、明日の朝に出発するよ。でも、その前にキミとケムとローを集落まで見送るし、約束通りキミを飛行機に乗せてあげないとね」

僕が言うとキミはふふっと笑った。

「そっか。ありがとう。楽しみだわ」

「いえいえ、どういたしまして」

僕もそう言って笑った。

本当のところ、僕もキミに空からの眺めを見せてあげられるのが楽しみでしようがなかったのだ。


この日は夜更かしすることもなく眠った。

僕もキミも砂漠の旅に疲れていたからだ。

もしかしたら、キミとこうやって過ごすのも今日が最後かもしれないなと僕は思った。

キミからの返事はまだなかったが、僕はそう思った。

キミの方を見た。キミはもう寝る時はサングラスを外すようになっていた。サングラスがない、その寝顔はまるで作り物のように美しかった。

僕は思う。もし、彼女が僕の望む通りに普通の世界に飛び込み、例えば学校などに通うとしたら、きっとあの瞳とこの美しい顔のせいで、必ずしも普通の人のようには過ごせないのではないかと。


彼女はやっぱり砂漠の民なのではないか。

僕の頭に疑念が巣くった。


しかし、それでも僕はキミに言ったことを信じていた。必ず理解し合える人はいるのだと。

もうこれ以上考えるのは止めよう。

僕は思った。

あとはキミが進む道を決めるのだ。そして、僕はキミの決めた道を支持し、サポートしよう。

僕は目を瞑った。その直前、僕の視界の中のキミがふふっと少し笑ったように見えた。



早朝。

僕達はもうテントや全ての道具を片付け終わっていた。

「はい、こっちに乗って」

「う、うん」

僕はキミを操縦席の後ろのスペースに誘導する。レッドベルは一人乗りなので、そこか、僕の膝の上しか乗れる場所がないのだ。しかし、膝の上では操縦に支障をきたすし、それにやっぱり女の子を膝の上に乗せるのには抵抗があった。たぶんお互いにそうだろう。

「乗ったわ」

「よし、じゃあこのロープで僕とキミの体を繋いで。そうすればどんなことになっても助けてあげられるから」

僕はロープを渡した。あと、予備の帽子と操縦服、手袋、ゴーグルも既に渡してあった。上空は寒いし、空気が薄いとも伝えてある。酸素マスクの位置も確認してもらった。

「できたわよ」

キミがロープを縛り終わったようだ。

「よし、じゃあ行くよ。ちょっとうるさいから耳を塞いでて」

僕はそう言うと、エンジンを始動させた。


ブロロロ、ブロロロロ、ブオォォンッ!


エンジンは素直にかかってくれた。

僕はエンジンを暖めるために少しふかした。しかし、砂漠の暑さのおかげか、調子はもう十分良さそうだった。

「思ったよりうるさいわね!」

キミが僕の耳元で大声で言った。

「まだまだこんなもんじゃないよ!さ、出発だ!」

僕はクラッチを踏んだ。プロペラがバラバラバラバラと回し出す。しかし、車輪は砂に捕まり前進を開始しない。

僕はそれでも構わず、スロットルをぐいっといれた。

「砂地の離陸は最初が肝心。一気に抜けろ」

ラウル爺さんの言葉を胸に加速した。


ブロォォォォッ、バァァァンッ!!


レッドベルは砂丘を一気に下り加速する。

キミの「きゃー」という声が聞こえた気がしたが、構うことなくスロットルをさらに入れる。このなだらかな砂丘を下りきる前に離陸させたい。

さらに加速を増した機体の主翼にわずかに揚力を感じた。

「よしっ、飛ぶぞ!」

僕は叫ぶと操縦桿を引いた。

すると、機体はぐんっと頭をあげ、真っ直ぐ空へと飛び出した。と思いきや、ぐらっと左に傾きかけた。僕は慌てて態勢を立て直す。

「やっぱり、バランスが悪くなってるな。早く操縦感をつかまないと」

僕はつぶやきながら高度をとった。

計器類を確認する。どれも正常な値を示している。問題ない。ちゃんと飛べる。僕はほっすると共に、またレッドベルに乗れた喜びを噛みしめていた。


「うわぁ、きれーい」

キミが操縦席に抱きつきながら僕の耳元で言った。その視線の先には、まさに今朝日があがって来ようとしていた。眼下は砂漠。遥か北には微かに海が見え、目の前には朝日だ。

「大丈夫?怖くない?」

僕は聞いた。

「ううん。最初は怖かったけど平気。すごくいい感じよ。ふふっ」

「そうか。それはよかった」

僕はキミの嬉しそうな顔を見た。すると、なんとそこにはサングラスを外したキミの顔があった。

「あっ…」

僕が言葉を失くしていると、キミと目が合った。美しい顔と赤い瞳。吸い込まれそうなくらい輝いて見えた。

「だって、こんなに綺麗なんだもん。サングラス越しじゃ勿体無いじゃない?それに、ここには私とラシェット以外誰も来ないわ」

キミは言った。

「ラシェットは私の瞳のこと、もう何回も見ちゃったもんね。だから隠すのやめたの」

「そっか」

と絞り出すように僕は言った。

「そっかって何よ!もうちょっと喜んでくれてもいいんじゃない?本当は惚れ直したくせして」

キミは拗ねたように言う。

「ははは。惚れ直すも何も僕はサングラスをかけてても、かけてなくてもキミのことが好きだよ。それは変わらないさ」

僕がそう言うと、キミはやっと満足そうに笑った。

「そうでしょ?素直でよろしい。でも、ラシェットはちょっと年が離れすぎてるかな。それに私はもっと頼り甲斐のある人がいいの」

キミはにやにやして言った。

「そりゃ、すいませんね。でも、僕だってキミのことを好きなのは、子供として好きってことさ」

僕も意地悪したくなって言った。

「残念ね、ラシェットは私の親じゃないのよ」

「じゃあ、お兄さん?」

「お兄さんでもありません」

そうだ。僕はキミの家族にはなれない。キミもどうやらそれをわかってくれているらしかった。

「じゃあ、友達?」

「ふふ。そうね、友達ならなってあげてもいいわ」

キミは嬉しそうに言った。

「じゃあ、決まりだ。僕達はここに正式に友達となりました」

僕は言った。僕はどうやらやっと本当にキミの友達になれたようだった。これが、キミの人生における土台作りのきっかけになればいいと、僕は心から願った。



30分程フライトを楽しんだ後、キミを降ろし、ケムとローを走らせて集落まで向かった。行きは目的地が不正確だったから、ゆっくりと進んだが、帰りは飛行機の目もあるし、キミは道を記憶していたから、急いで帰ることができた。

それでも、ミリト集落に着くと日は沈みかけていた。


僕は飛行機から降り、キミと握手をした。


「それで、どうするか決めたかい?」


僕は聞いた。

キミはふふっと微笑むと下を向き、ゆっくりと口を開いた。


「ごめんなさい。やっぱり私はここに残るわ。たぶんもうちょっと考えたら、ついて行きたくなったと思うんだけど、やっぱり私にはここに残らなきゃいけない理由があるから」


キミはうつむきながらだが、はっきりと言った。


「うん。わかった。謝ることなんてないよ。これはキミが決めることなんだから」


じゃあ、また遊びに来るよ。旅が終わったら絶対に、と僕は言った。キミはうん、楽しみにしてるわと言ってくれ、改めて握手をしようとした、その時だった。


僕の耳に微かだが、低い音が聞こえた。


僕は体をびくっと震わせた。


僕は急いで、見渡しのいいところに行き、空を見た。


すると、僕の思った通り、遥か前方の雲の隙間に光る物体が見えた。おそらく黒い色をしている。エンジン音からして、バンだ。


僕は自分の詰めの甘さを呪った。


敵はまだ僕の探索を止めていなかったのだ。そこをのんきにここまで飛んで来てしまった。


これで、完全にキミを巻き込んでしまった。


どうする?これではキミがあぶない。敵に捕まったら、何をされるかわからない。相手はゲリラだ。正規の帝国軍ではない。やつらに国際条約などないのだ。

いや、僕がおとなしく投降すればキミだけは助けることができるかもしれない。しかし、そうすると僕は旅を続けられなくなる……ダメだ、そんなことを考えている場合ではない。何よりもキミの安全を考えなければ。


僕が考えていると、キミが僕の前までやってきて

「なにしてるの!早く飛行機に乗ってエンジンかけて!」

そう叫ぶと僕の手を引っ張りレッドベルの元まで連れて行った。

「で、でも今逃げたら…」

僕が言いかけると、それを遮るようにキミは

「30秒待ってて!」

と言うとどこかへと走って行った。


さ、30秒?


僕はとにかく言われた通りにエンジンをかけ、いつでも飛び立てるようにスタンバイした。


僕はあのバンのことを考えていた。どうやってこの不完全な機体でやつらと戦えばいい?それに、戦えばもう投降はできないのだ。その時キミのことはどうするのだと。


頭はもうぐちゃぐちゃだった。冷静になろうとしても無理そうだ。


僕はただ、キミの走り去って行った方向を不安の中、見つめ続けていた。


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