ゲリラ 1
朝目が覚めるのと、昼目が覚めるのとでは、幾分心持ちが違うものだと僕は思う。
朝目覚める時、僕はまどろみながらも、その日一日への前向きな気持ちで起き上がる。まだ、何も成されていない新しい朝だと。
例え、昨日に何があったとしたって、一昨日に嫌なことがあったって、今日はまだ何も起きていない、真っさらな一日だ。
もちろん、今日は今日で忙しい一日になるだろうことはわかっている。そういう意味では今日という一日もまた、一昨日、昨日と連綿と続く僕の今までの人生に既に色付けされてしまっている一日だと言えるのかもしれない。
しかし、そうだとしても、今日という日にはまだ色々な事ができる余地が残されていると僕は思っている。だからこそ僕は朝、眠い目を擦ってベッドから起き上がるのだ。
最初から悲観するのはやめよう。
僕は今日一日で、またやり直せる。
これは僕の人生におけるテーゼだ。
と、言ったらかなり大袈裟だけれど、とにかく朝は大体こんな心持ちになる。
しかし、これが昼目覚める時になると、全然違うことになる。
まず、僕を襲うのは後悔だ。なんで、こんな時間まで寝てしまったのか。もしくは、なんで昼寝なんかしてしまったのだと。
僕はついそれを時間の無駄と捉えてしまう。
本来の僕はそんなにきっちりした性格ではないはずなのにだ。
結構、のんべんだらりと日々を送っているし、実際かなり多くの時間を無駄だと思えることに費やしているという自覚もある。
でも、そういう時には後悔なんてしない。
この差はなんなのだろう。
要するに僕は昼寝というものが苦手なのかもしれない。
余裕がないのだ。
僕は、のんびりと暮らしているにも関わらず、停滞というものを必要以上に恐れてきた。
しかし、僕には何が停滞で、何が停滞でないかすらよくわかっていないのだと思う。
だから、せめて目覚めていたいのだ。
そうしたら、僕はまだ今日一日のうちに何かできるかもしれない。
そう思えるから。
……
と、いうわけで、僕は食後、疲れ切って思わず仮眠室で眠ってしまったことを悔やんでいた。
時計を見ると午後1時40分だった。
レッドベルの補給、点検はとっくに終わっている。今から出発すれば、ギリギリ日が沈む前までには隣の街まで行けそうな時間だ。
少しでも前に進んでおくべきか。
僕は考えていた。
Kと接触する日まで、まだ10日ある。スケジュール的には、まだまだゆっくり進んで構わないことになっている。
しかし、状況は僕の想像を超えて、厄介なことになりつつある。だとしたら、早くアストリアに入ってしまった方が良いのかもしれない。それにアストリアで調べたいこともあるし、探したい人もいる。
そう結論を出すと、僕はすくっと起き上がりベッドから出て、ストレッチをした。その後、ふきらはぎの筋肉もよく揉みほぐしておく。昨夜の嵐の時にずっとフットバーを踏ん張って抑えていたので、パンパンになっていたのだ。同じく腕の筋肉もよく伸ばしておいた。筋肉は伸ばすとビリビリと痛んだ。軍人時代より、体がなまっているのを感じる。できるなら、もう一度学校時代の鬼教官に一から鍛えなおしてもらいたい。そんな気分さえした。
食堂でケバブを買い、ポットにコーヒーを入れると格納庫に向かった。
格納庫では、多くの整備士や係員が忙しそうに働いていた。僕はそれを横目に遠くに見えるレッドベルの方へと歩いた。レッドベルは格納庫の中でも目立っていた。イカツイ戦闘機だったし、誰も好き好んであんな色にはカラーリングしないからだ。
「あ、ラシェットさん。もう補給と整備終わってますよ。特に異常は見当たりませんでした」
僕が近づくと、係員が気がついて言った。
「はい、どうもありがとうございました。助かりました」
僕は言った。
「一応、左右翼部の照明弾と機関銃の弾丸もサービスで補給しておきましたので」
係員は翼部を指差しながら、笑顔で言う。
「あ、どうも、すいません。そんなことまで」
「いえいえ、しかしあんなもの、郵便飛行で使うんですか?」
そう言われ、僕は
「いえ、あれは護身用です。あと、僕は元軍人なので、あれがないとどうもしっくりこないと言いますか…」
と相変わらずのよくわからない言い分を口にした。すると
「あ、そうなんですか。元軍人さん。ならこの先の航路も心配ないですね」
となにやら意味深なことを係員は言うので、僕はそれが引っかかり
「この先になんか心配なことがあるのですか?」
と尋ねた。
「ご存知ありませんか?最近また、グランダン大陸の西側と東側との間の内戦が激しくなってきているんです。それで、この辺りの空域を飛ぶ関係ない飛行機まで、時々西側のゲリラ隊に撃たれたり、襲われたりしているんですよ」
その話は知らなかったが、内戦の話は知っている。
グランダン大陸には元来、大きな統一国家は存在しなかった。各地の小さな部族がそれぞれ、独自の文化、習慣に基づき国を作り生活を営んでいたのだ。
領土などを主張する際には、それを部族間での話合い、もしくは代表者による決闘で決めるということを長年の伝統としてきた。そして、それはずっとうまくいっていた。
小さな小競り合いこそ、長い歴史の中では何回も起きはしたが、大きな悲劇にまでは至らなかった。
その理由としては、武器が未発達だったこと、この大陸を全て支配下に置こうという部族がいなかったことと、結局のところ、話合いで解決することができる、この土地の人々の温和な性質が大きく関係していたのだと思う。
この大陸の大半は砂漠で覆われている。そんな過酷な環境においては、人々は戦いばかりに気を取られてはいられなかったのだ。そのことが、この土地の人々の性質にも影響を与えたのではないかと、僕はいつもグランダン上空を通る時、眼下に広がる砂漠を眺めながら考えていた。
しかし、そんな状況も150年程前に一変する。ボートバル帝国による植民地化である。
帝国はグランダン大陸にあった各国の、脆弱な国家体制に目をつけた。グランダン大陸は確かに広いが、そこにある国々が一致協力することはない。そんな相手なら巨大な帝国にとっては、支配するのは簡単なことだった。
ボートバル帝国はまず自国に近い、西側の国々を次々に占領して行った。西側には、砂漠でない、肥沃な大地が多かったため、そこで様々な農作物、嗜好品を作らせ、自国で利益を独占した。
帝国はもっと東側にもその手を伸ばしたかったが、当時の船での移動は今日におけるそれよりも困難でなかなか思うようにいかなった。
そうこうしているうちに、今度はアストリア王国が動き出した。王国もグランダン大陸に乗り出したのである。
しかし、王国は帝国を駆逐するためにグランダンに上陸したのではなく、自国に近い東側を占領するために向かったのであった。
こうして、グランダン大陸の各地にあった国々は解体され、西側はボートバル帝国に、東側はアストリア王国に植民地支配されるという、この土地の人々にとっては辛く、悲しい時代が訪れたのだった。
この体制は70年程前まで、約80年間に渡り続いた。
その終結の引き金になったのは、東側の都市ラースでの反乱である。民衆による大規模な反乱はこれを機に一気に東側全土に広まった。そして、それに呼応するように西側の都市オスターラでも反乱が起き、西側でも各地で火の手が上がった。
こうしてグランダン大陸の人々は歴史上初めて一致協力し、自らの力で植民地支配から脱したのであった。
そして翌年、首都をラースとする連邦国家として独立を宣言すると、国際的にもそれが認められ今の形になったのである。
しかし、その体制も10年も経たずに崩れ始めてしまう。
元々あった部族の国々が解体されてしまっていたために、その領土の線引きが極めて困難になってしまっていたのが原因だった。各地で小さな揉め事が頻繁し、次第にエスカレートしていった。かつての温和な性質はもうどこかへいってしまったかのようだった。
また、グランダンの西と東では、もともと大きく民族、文化が異なるのも原因だった。
とても一つの国にまとまることはできなかったし、それを実現できるだけのカリスマ性を持つ人物も現れなかった。
それだけではない。
さらにその状況を悪化させたのが、東側の砂漠地帯で発見された、豊富な地下資源だった。
それまで、環境の厳しい大地しかなかった東側には、地場産業と呼べるものがなく、経済的にも肥沃な大地を有する西側の方が遥かに豊かだった。それもあって、西側の人々は首都が貧しい東側の都市ラースであることに不満を抱いていたのだ。
しかし、東側の地下資源の発見でこの経済的な上下関係もあっという間に逆転してしまった。現在においても、その地下資源は量、質、種類共に世界一のものだから、それは仕方のないことだった。
が、悪いことに東側の上流階級はその利益を自分達、東側の人間だけで独占をしてしまったのだ。
これで西側の人々との溝は益々深まり、対立は決定的なものとなってしまった。
そこからは泥沼の内戦となった。
戦端を開いたのは、富の独占を許せなかった西側だったが、時間が経つにつれて東側の優勢となった。それも豊富な地下資源を後ろ盾にした軍備の強化のおかげだった。
ともかく内戦は一応の落ち着きを見せ、今もなお東側の首都ラースを中心とした連邦国家という仕組みは続いている。
しかし、ここ数年また西側の都市オスターラを拠点とする反政府、反東側の勢力が強まりつつあるらしいのだ。
彼らは突如として軍備を整えだし、国の軍隊を相手にゲリラ戦を仕掛け出した。彼らが一体どこから資金を捻出し、どこから兵器の供給を受けているのかは、大きな国際的問題となり、様々な憶測を呼んだ。
ある者は、東側に裏切りものがいて、地下資源の利益を横流ししているのではと主張した。ある者は裏で帝国軍が手を引いているのではないかと言った。まあ、これは主にアストリアの人間だった。それに対し帝国はアストリアこそ、この内戦に介入したいがために、西側への武器供給を帝国のせいとでっちあげているのではないかと反論し、この情報戦も、あっちがこう言えば、こっちがああ言うといった感じで、確たる証拠も上がらず泥沼状態となっている。
結局は何が真実なのかもわからぬまま、また内戦に突入してしまったこの国の住人達が一番の被害者であり、庇護されるべき存在なのだが、それに対する世界の動きはまだない。
むしろ、どの国も理由あらばこの内戦に介入して地下資源の利益にありつきたいと思っている節がある。
僕は帝国軍にいる時に、そういった雰囲気をありありと感じた。
しかし、一方で帝国が西側に武器や資金を供給しているなどとは、聞いたこともなかった。だから、こちらの真実の方は僕には伺いしれない。
そういう国の事情は知っていたが、まさか上空を通る関係のない飛行機にまで襲いかかってくるほどに、西側のゲリラが過激になっていたとは知らなかった。
「僕は海岸沿いに飛ぶつもりなのですが、それでもそういったことは起きるのですか?」
僕は係員に聞いた。
「いえ、絶対ないとは言い切れないですが、内陸を通るよりは安全だと思います」
「そうですか。まぁ、でもここを通らないとアストリアには行けませんからね。とにかく、行ってみます。来たらすぐに白旗を振ればいいだけですし」
僕は言った。
「わかりました。では、車輪のロックを外しますね」
係員は笑顔でそう言うと作業にとりかかった。
僕は操縦服を着てコックピットに乗り込むと、係員の誘導に従い、格納庫から滑走路へとレッドベルを移動させた。
計器類をチェックし、各種レバーを軽く触って確かめた。問題なさそうだ。
係員がフラッグをクロスからゴーサインへと変えた。僕はそれを見て、係員に親指を立てて挨拶すると、タイミングレバーをちょっと引き、すかさずスロットルをぐいっと入れた。
ブロロロロォォ、バァーーン!!
レッドベルは滑走路を物凄い勢いで疾走し、ぐんぐん加速した。
そして、翼にたっぷり揚力を貯めたところで僕が操縦桿を引くと、レッドベルは大空に向かって飛び立った。
タングスンを出ると僕は機体を旋回させ、海岸沿いを東へと進ませた。左には海を眺め、右側には茶色い大きな岩山がゴロゴロと連なる、乾いた風景が広がる。この風景はしばらく進むとやがて一面の砂漠となる。
高度も方角もエンジンの回転数も問題ない。心なしかいつもよりエンジンの音が良い気がした。たまには他人任せてみるのもいいものだなと僕は思った。
時刻は午後2時15分だ。次の街までは急げば4時間、このままのペースなら4時間半以上は掛かるだろう。まぁ、どっちでもいい。暗くなる前には着きそうだ。僕はこのままのんびりと向かうことにした。
左側の海は相変わらずのトルスト海だ。日の光を反射しきらきらと波を光らせている。
こんなに近くに海という水分があるのに、すぐ隣の大地がこんなにカラッカラに乾いているのは変だなと思った。しかし、それにも僕には伺いしれない、神秘の理由があるのだろう。この世には、特に自然には神秘というものが満ち溢れている。その秘密を僕はいちいち暴いて回ろうなんて思わなかった。僕は自分には知ることのできない存在があるということに、ある種の安心感を覚えているのだ。それはなぜだかわからなかったが、言うなれば、それが僕なりの信仰心というやつなのかもしれない。
太陽は高い位置にあり、万遍なく大地を照らした。その光がなんとも暖かい。やっぱり飛行機乗りはこうでなくてはと思う。もう嵐なんてごめんだ。まあ、飛行機乗り仲間の中には嵐の中でこそ生きていることを実感すると言うタイプがいるが、僕はあえてそんなことは実感したくはないなと、今回の嵐で改めて思った。だって、僕は生きているうちは、いつだってちゃんと生きているのだから。立派にとは言わないが、そこそこ頑張って生きている。死ぬときは、まぁ、ぽっくりと死ぬのだろう。それは仕方ないことだ。でも、僕はまだ死ぬわけにはいかないのだけれども…
やれやれ、そういえばサマルも死ぬなんて言っていたな。まったくどこにいるのやら。
ブロロロロ…
そんなことを考えながら、3時間程飛んだ頃。
僕は頭の中でボートバル軍歌第三番を口ずさんでいるところだった。
右側、内陸の砂漠の上空で何かがキラッと光ったのを感じた。
初めは気のせいかと思ったが、それは気のせいなんかではなかった。
やって来たのは黒い5つの機影だった。
体がびくっと震えた。
あれはまさか噂のゲリラ機ではないか?
僕は考えた。
しかし、別にこちらにはなんの後ろめたいことはない。ただのしがない郵便飛行機なのだ。まぁ、イカツイ戦闘機のカスタム機ではあるが、何も無用の戦闘はしないはずだ。
僕はそう判断すると、操縦席の下から手持ち型の信号弾を取り出した。
そして、それを近づいてくる5機にも見えるように上空に向けて撃った。
ピューンと音をあげ、白い煙が舞った。
交戦意志なしの合図だ。必要とあらば不時着して話もするという意味もあった。
これでわかってくれるかと思ったが、5機は引き返すことなくこちらに向かって来ている。
僕は冷や汗が出てきた。
もう機体の識別もできるくらいの距離まで来ていた。
機体は工業都市コスモ製汎用戦闘機788型 《バン》だった。全体を真っ黒にカラーリングされている。
バンは性能の割に安価なため、世界中の軍隊で採用されている大ヒット機体で、空賊などもよく乗っている機体だ。また、色々なパーツに適合でき、カスタマイズの幅が広いのも特徴だ。
ゲリラが使うにはうってつけの機体だ。
しかし…
もし、交戦となったらかなり危険だ。
飛行機同士の対戦は一対一でも大変なのに、5機相手では相当厳しい。その昔、まだ戦闘機が発明されて間もない頃は通算で5機、敵機を撃墜したらエースと呼ばれたのだ。それを一度に相手など無茶だ。
僕はまた判断を迫られた。
もし、相手が問答無用に交戦してくる奴らならこれ以上近づけては手遅れになる。今すぐ戦うなり、逃げるなりしなければ。
しかし、相手が戦う気がなく、ただこちらの意志を確かめに来ているのだとしたら、下手に動いたらかえって怪しまれて戦闘になってしまうという可能性がある。
どうするべきか。
僕は一瞬のうちに考え、そして…
操縦桿を思い切り引き、スロットルを全開にして、上空へと逃げ出した。
信号弾は見えていたはずだ。なのに、止まらないのはおかしい。
僕はそう結論した。
案の定、5機はこちらを物凄い勢いで追いかけて来た。間違いなく、もう戦闘は避けられそうにない。
僕は雲の中へ突入した。
足元から酸素マスクを取り出し、口に装着する。
あれだけの数から逃げ切ることはできない。ここは雲に隠れながら、各個撃破だ。
僕は操縦桿を強く握った。
久しぶりの実戦だ。勘が鈍ってなければと思った。
元帝国軍第1空団の実力を見せてやるとまでは思わなかったが、まだまだ僕だって捨てたもんじゃないぞとは思った。
今度は雲から一気に下へ出て、旋回させる。
5機の姿がはっきりと確認できた。フォーメーションは数機ずつに分かれるのではなく、それぞれ勝手に動いているようだった。
少なくとも軍隊経験者ではない。これならいくらでもつけ入る隙があった。
僕はそのまま敵部隊の上に突っ込んだ。
敵機は慌てた様子で、またそれぞれに散開して行った。これで益々バラバラになった。
僕はそのうちの一機に目をつけ、追尾する。
フルスロットルで追尾すると、レッドベルの馬力のおかげでぐんぐんと距離を縮めた。敵機は必死に振り切ろうと旋回するが、僕も必死にくらいついた。
しかし、あまり時間はかけていられない。すぐに敵機が援護に来るだろう。複数機相手では、そのタイミングの見極めが難しい。
と、その時敵機の尾翼が少し、くいっと下がった。ターンするつもりだな!と僕は感じ、敵機よりも一瞬早くターン態勢に入った。
読み通り敵機もターンした。すると、ぐんっと距離が縮まり、射程距離に入った。すかさず、
「そこだっ!」
と一気にトリガーを引くと、ダダダダダダッ!と音をあげ、レッドベルの機関銃が敵機の尾翼と右主翼をズタズタに引き裂いた。
敵機はなす術もなく、錐揉みして墜落して行き、パイロットがパラシュートで脱出したのが見えた。
ふーっ。
まずは一機。
僕は緊張のために既に息を切らしていた。
しかし、この撃墜で少し自信が出てきた。
やっぱり、まだまだ僕も捨てたもんじゃないなと。