相棒
病室の入口に突如として現れたニコは、僕達の大声に見えないはずの目をパチクリさせながら、
「な、なんだぁ……よかった、皆さんいらっしゃたんですね」
と、ホッとした顔を見せた。
でも、僕達は驚いていた。
なぜ、サウストリアに幽閉されているはずの彼が今ここにいるのか?
その理由も経緯も全然わかっていなかったからだ。
「ニコさん、な、なんで……?」
僕は言う。するとニコはやはり、そのブラウンの瞳うるうるとさせながら
「あ、あれ……? ナーウッドくんから聞いていませんか? 伝言をお願いしたはずなのですが……」
と言う。
僕はナーウッドを見た。そう指摘されたナーウッドの方は素知らぬ顔で
「あ。すまねぇ、ニコ。ちょっと色々と忙しくてさ……つい言いそびれちまって」
と頬をポリポリと掻く。
僕はそれをじとーっと見ていたが
「そういえばアストリア城から助け出される途中にそんなことを言いかけていたな」
と思い至った。
確かに。あの時は忙しかった。
そう納得したから、僕はじとーっと見るのをやめた。
「すいません、びっくりしちゃって。そういうことで、僕達はまだ何も聞いていないんです。よかったら、こっちへ来て訳を聞かせてくれませんか?」
僕はそう言って、ニコにベッドサイドに来るよう促した。
その呼びかけにニコは
「はい! もちろんです」
と応じてくれ、こちらまで来てくれた。
ナーウッドがニコに席を譲り、座らせる。
すると、椅子に座るなり、ニコは
「まずはご無事で何よりです。ラシェットさん……」
と僕のことを真っすぐに見て気遣った。目を合わせるとやっぱり、本当は見えているのではないかと思うくらい、彼の瞳は透き通っている。
「まぁ……僕の方は……それよりも、ニコさんの方こそ」
僕がそう言いかけると、ニコはすぐに首をぶんぶんと横に振って、
「いえ、僕の方こそ、いいんですよ」
と言う。
「ラシェットさん。僕は……あの時以来……ずっと考えていたんです。僕にももっと他にできることがあったんじゃないかって……」
ニコは神妙になり、僕に言った。
僕は全然そんなつもりじゃないのに、つられて目を細める。
「ニコさん……」
「僕のせいでラシェットさんはあんなことになってしまって……」
「ニコさんのせいじゃないですよ。あれは僕が間抜けだったから……」
「ううん。そうじゃないんです。間抜けだったのは、むしろ僕の方だったんです。あんな……自分が罠にされていることにも気が付かないだなんて……」
ニコは悔しがるように俯いた。
でも、その姿は単に後悔だけをしているのではないものに僕には見えた。
だから、僕は
「でも、今ニコさんは、ちゃんとここにいるじゃないですか」
と言った。
「えっ……?」
その僕の言葉にニコは小さく驚きの声を出す。
僕はそんな様子のニコに笑いかけ、
「ニコさんは今日、僕に自分で会いに来てくれました。それはニコさんが何か、自分で変わろうとしたって証拠ですよね?」
と続けた。
すると、ニコはやはり僕の表情が見えているかのように目を見開き、
「そう思ってくれるんですか?」
と聞き返してきた。
「当たり前じゃないですか。ここはついさっきまで戦場だった場所ですよ? しかも、アストリアからすれば敵艦の中です。そこにニコさんがいるなんて、まだ信じられない気持ちですよ……なぁ? ナーウッドさん?」
僕がナーウッドに振ると、
「へへっ、まぁ、俺はニコはやってくれるやつだと知ってたから驚きはしないけどな」
と、彼は鼻を擦って言う。
ちょっと照れくさいのか、それともニコが無事なことに改めて安心しているのか、ナーウッドは何かを隠すようにちょっと上を向いていた。
「なぁ、キミさんもそう思うだろう?」
そして、ナーウッドは、キミにもそう聞く。
すると、それにキミはうんと頷きながらも、バツが悪そうに視線を下に逸らした。
僕はそれを見て、そういえばキミはなぜニコのことを知っていたのだろうかと思う。それに、あのキミの様子……もしかしたら、ニコと何かあったのかもしれない。
と、その時ニコが
「キ、キミさん……あの時は……その……」
と恐る恐る切り出した。
が、それにキミはすぐに口を挟んだ。
「ううん。私こそ、言い過ぎてごめんなさい。あの時は私、ちょっと……ううん、かなりイライラしてたから……つい、ニコさんにキツく当たっちゃったの。だから、謝るのはきっと、私の方」
そうして、キミは顔を上げて
「ごめんなさい」
とニコに向かってペコッと、頭を下げた。
それを察したニコはまた、首をぶんぶんと激しく横に振る。
「そ、そんなっ! 謝られたら困ります……! だって……僕はラシェットさんと、キミさんのあの言葉のお蔭で前に踏み出そうって思えたんですから! だから……」
ニコは言葉に詰まる。
今にも泣き出しそうだ。そんな困り顔のニコを見て、キミは
「ふふっ、そう? じゃあ、やっぱり謝るのはやーめた」
と、あっさりと前言撤回し、歩み寄った。
そして、ニコの手を取り、
「その代わり、きちんと仲直りの握手をしましょ。これからは、ちゃんと普通に話せるように」
と言った。
「キミさん……」
それを聞き、ニコはいよいよ顔をくしゃくしゃにして
「はい……よろしくお願いします」
とポロポロと大粒の涙を流した。
僕はその様子を見ながら
「やれやれ……これじゃあ、どっちが大人だかわからないな」
と思う。
でも、なんだかこの感じがあの二人には似合っている気もした。
そう思いつつ、さらには、
「まぁ、キミにかかれば僕もナーウッドも似たようなものか」
と思い至りながらも、僕は話を元に戻そうと
「それで、どうしてニコさんはここに?」
と、とりあえず聞いてみた。
僕の問いにニコは、キミの手を離し、涙を拭って
「はい。それには主に一つの要因と、一つの理由があります」
と席に座りなおし、改めて僕と向かい合った。
それでキミも椅子に戻り、ナーウッドは近くの壁に寄りかかって聞く態勢になる。
僕は頷いて、ニコの話の続きを待った。
「えーっと、まずは要因からお話ししますと、僕は今までショットの部下だという人達に、厳しく監視されていたのですが……それがある日を境に、ぱったりとなくなったんです。調べてみましたら、それはショットがちょうど開戦に備え、トルスト海上に出発したその翌日のことでした」
「ふむ……ということは、戦に行くに際して、ショットがニコさんの監視を放棄したということですか?」
僕はそう思う。
それは、ショットがヤン達の実験を放棄したことと重なる気がしたからだ。
が、ニコは首を振り、否定する。
「いいえ、きっと意図的に放棄したのとは少し違う気がするんです。ショットは……たぶん、もう僕の監視のことなど、どうでもよくなっていたんだと思います。あの時、ラシェットさんを捕まえたことで、僕の罠としての意義はほとんど果たしてしまったと」
「ん? なら、なぜその後もニコは監視をされていたんです?」
「それは……たぶんのあの部下の人達がそうするように操られていたからです。自分の意思とは関係なく、自動的にそうするように」
ニコはそう言った。
それにナーウッドも頷いている。
なるほど。この考えはナーウッドとの擦り合わせで得られた答えのようだ。
僕はキミに聞く。
「自動的にって……そんなこと可能なのか?」
と。すると、キミは静かに頷き、
「ショットの記憶によると、できたみたいね。ショットは一人の人間に深く入り込むよりも、多勢の人達の
中に浅く入り込んで、同時に操ることの方が得意みたいだったから。でも、それでもあまりに多勢だと負担になり過ぎるから、その内の簡単な役割の者は、自動的に動くようにしていたんじゃないかしら?」
そう推察した。
僕はそれを感心して聞いた。当たらずも遠からずだろう。
「ふーん……で、その自動的に操られていた自称部下の人達は、その後?」
「はい。ある日突然、目が覚めたように僕を長い間監視していたことをお詫びしますと言ってきたんです。僕は狐につままれたような気持ちになりましたが……その後は、本当に普段の生活のように、自由に外出できるようになったんです」
「な、なんで、そんな急に?」
僕は意外だった。するとキミは
「距離の問題よ」
と答えた。
「この力は対象との距離によって、その力の働き具合が異なるの。たぶん、自動的に動くようにするのには、そんなに力が必要じゃなかったはずだけど、ショットがアストリアから遠ざかっていって、あるポイントで力の継続が途切れてしまったのよ」
「はぁ……へー」
僕は益々感心した。
きっと、その知識もショットの記憶から得たものなのだろうが、そう考えるとキミは、ショットの力をも自分のものにしてしまった、稀な守り人なのではないか?
「はい、たぶんそうなんだと思います。本当にある日突然だったので……それに、皆さん一様にそのショットの力が切れた後、その場に倒れ込んでしまったんです。急いで救急車を呼んで聞いてみたら、栄養失調とのことでした。皆さん、必要最低限の食事しかしていなかったみたいなんです」
「そ、そんな……」
僕はそれを聞いてゾッとした。
食事の観念もないなんて……ショットはそんなふうにして、人を駒のように切り捨てる気だったのかと。もし、術が切れた際に、ニコが側にいなかったら、皆、もれなく餓死してしまっていたことだろう。
でも、これでニコがここにいるおおよその要因はわかった。
つまり、ショットが戦に出たことにより、その監視が解け、自由に動けるようになったからということだ。
「あ、でも安心してください。皆さんは、その後病院で順調に回復して、もう退院なさっていますから」
「それは、よかった……じゃあ、その人達がニコさんを監視することがなくなり、ニコさんはここまで来れたのですね?」
「はい……むしろ、その後は色々なことを手伝ってくださって……」
「でも……なぜ、わざわざこんな危険な場所まで?」
そこまで理解した僕は、次に肝心の理由についての話題に移した。
それを聞いて心なしかニコがふふっと不敵に笑った気がした。
「それは、ラシェットさん。まずはあなたにもう一度お会いしたかったこと。それと、ナーウッドくんから聞いていた情報からこの場所にラシェットさん達がいらっしゃると予想できたこと。そして、最後に……あなたにお渡ししなければいけないものがあるからです」
ニコは珍しくはっきりとした口調でそう言った。
それに僕は意外な感じを受け、これは何かとても大事な用事なのだと直感した。
けど、ニコが僕にも渡したいものって?
「そ、それはいったい……?」
「ふふっ、それは見ていただければわかります。是非、僕と一緒に来てください」
ニコは僕にそう促す。
けど、行きたくても僕は体の節々が痛くて、とてもではないが歩けない状況だった。
すると、ナーウッドが
「まったくよ、相変わらず世話の焼ける大将だぜ」
と言って、僕を乱暴に持ち上げ、背中に負ぶってくれた。
「痛つつつっ……おい、もっと優しくしてくれよ」
僕は言う。
が、背負ってもらえるのは正直有難かった。こうやってナーウッドにおんぶされるのも、慣れてきたものだ。
「さ、皆さん、まずは甲板に出ましょうか」
ーーニコに言われるがまま、僕とナーウッドとキミはまた甲板へと上がってきた。
大型のボートバル製戦艦はこの上でサッカーの試合ができそうなくらい広い。
ピカピカに磨かれた甲板の上では、あちらこちらで様々な色の軍服を着た兵士達が、忙しなく何かの準備に追われている。
その間を僕達はそろりそろりと歩いた。
空は数時間前同様、すっきりと晴れ上がり、さながら運動会でも開かれそうな雰囲気だ。もしかしたら、皆んなその準備に追われているのかもしれない。
「ずいぶんと賑やかになってるわね」
「夕方から式典なんだとさ。バルムヘイム・アリ大統領とオーランド・アストリア4世新国王、それとグリフィス・ボートバル王子による調印式とくりゃ、そりゃ賑やかにもなるぜ。それよりも、俺にはこんなに準備周到に進められているほうが恐ろしく感じるぜ」
キミとナーウッドは言う。
どうやら、そう言うことらしい。どうせなら、その後、三国で運動会でもすればいいと思った。今後の友国の証として。
僕達はそんな景色を眺めながら、ゆっくりゆっくりと甲板の端から端まで歩いた。
そうやって辿り着いたのは格納庫だった。
そこでは、外のお祭り騒ぎとは無縁ないつも通りの、男の世界、整備員の罵声が飛び交うメカニックの世界が広がっていた。
「ここに、僕に渡したいものが?」
「はい、そうですよ」
ニコはにこにこ笑って言う。
けど、僕は既に胸が高鳴っていた。
なんと言うか……居ても立ってもいられないのだ。そんなソワソワした予感めいたものが、僕の中にこんこんとこみ上げてきていた。
ニコは相変わらず笑っている。
ナーウッドも僕の方を見てニヤっとした。
キミは僕と同じように視線を泳がせ、それを探している。
右に左に。
そして、僕とキミはほとんど同時に、それに気がついた。
それは格納庫の隅に、すくっと佇んでいた。
僕はナーウッドの背中からぴょんと飛び降りると、痛みなど忘れて走り出していた。
キミも僕と一緒に走り出す。
僕とキミは目を合わせ、声を出して笑った。
僕達の目指す先、そこにあったのは暗めの赤色に塗装されたイカツイフォルム。
戦闘機に似つかわしくないトランクを増設された、郵便仕様の……
帝国製旧代飛行機 Ah-442《クラフト》、そのカスタム機。
僕が捕まってしまったあの日、サウストリアの空港に置いてけぼりにしてきてしまったはずの僕の相棒。
そう。
そこにあったのは、見間違うはずのない愛機、レッドベルだった。




