遭遇、エリサ
久しぶりに……本当に久しぶりに目にするエリサは昔と少し変わったように見えた。
短くまめにカットしていたブロンドの髪は綺麗に肩まで伸ばし、タイトスカートの丈は逆に短くなっている。
ゴツめのロングブーツと薄化粧、それと強気を漂わせる目つきは昔のままだが、それもどこか全体的に洗練されているというか……よりエリサに似合ってきている気がした。
とどのつまり、大人っぽくなったということか。
まぁ、それは僕達の年齢からしたら、ごく当たり前のことなのだけれど、やっぱり女の子の変わるのは早い。男なんて外見も中身も下手したら、物事ついた頃から死ぬまでずっと子供のままだというのに。
「や、やぁ…エリサ。久しぶり。なんだか、前にも増して綺……」
「バカッ…!」
またしてもリンダが僕の手を引き、下がってくれたお陰で銃弾を回避することができた。
容赦のない攻撃だ。
エリサはマシンガンの弾倉が切れたのか、持っていたものを捨て、新しく床に落ちているものを拾い、すぐに構える。
その行動には何の感情もこもっていないように見えた。
「ありがとう、助かった……」
「…ったく、何をやっているんだ! こんな時に」
「ごめん。いや、もしかしたら僕の声を聞けばとね……」
「…はぁ。察してるなら諦めろ。あの目つき、いつものエリサじゃない。それに、万が一エリサが正気だったとしても、お前に飛んでくるのが銃弾から拳に変わる程度だ」
「だ……だよね」
僕はガクッと肩を落した。
それをリンダは複雑そうな顔で見ている。何か言いたげだが、ぐっと飲み込むような感じで。
リンダは立ち上がる。
それを見て、僕もゆっくり立ち上がった。
「ところで……あれが例のか?」
「ああ。間違いない。ショットの力だ。僕も操られた人と直接対峙するのは初めてだけど……」
エリサはじりっじりっと距離を詰めてきている。
僕達はそれに合わせ、少しずつ後退した。
見通しのよい廊下だ。
逃げ道は廊下の角くらいしかない。しかし、そこに逃げたところで状況は好転しないだろうことはわかっていた。
僕はこの先に用があるのだ。
「それで? 対処方法はあるのか?」
リンダは腰から直剣を抜き放ち聞く。
いつもは大剣を使うリンダだが、降下作戦の性質上、これしか武器を持って来られなかったのだ。
僕は腰を低くし、拳を構えた。
「一番いいのはショットを倒すこと。もしくは、エリサをショットから遠ざけることだ。けど……この場合、なんとか一時凌ぎするしかない。それなら、気を失わせるだけでいい」
「……ふっ、気を失わせる「だけでいい」と言うがな……ラシェット」
「ああ。あのエリサを相手に簡単にいかないのはわかってる。しかも、なるべくなら怪我をさせたくない」
「当然だな。だから余計に難しい」
僕とリンダは瞬時に打ち合わせた。が、いい案は浮かばない。
それほど、腕の立つ相手を無傷で無力化するのは難しかった。
でも、相手は待ってくれない。
エリサはある距離まで来て、こちらが仕掛けてこないとわかると姿勢を低くし、銃を乱射しながら烈火の如く突っ込んで来た。
僕とリンダは瞬時に左右に分かれ、それぞれ反撃に転じる。
まず、僕が壁を蹴って飛び、上からの攻撃に注意を引きつけ、エリサの上体を若干起こす。そこへ、反応が良かったリンダがエリサの左側頭部を目掛け蹴りを放った。エリサはそれをギリギリでくぐり抜ける。それを予想していた僕は、今度は着地するなり、エリサの足元を蹴りで掬いに行く。そもそもリンダの蹴りは陽動だったのだ。本命はこっち。僕は床に手を付き、素早く払った。
が、エリサはそれを察知するや否や、前に手を伸ばし飛んだ。そして、僕の蹴りを躱しながら前転。その振り向きざまにマシンガンをばら撒いてきた。
「……! シールド…!」
エリサの動作で攻撃を察知した僕は素早くイメージをし、古代の漆黒の金属でできた〈小型盾〉を転移する。
それでなんとか弾丸を防いだ。
やっぱり、盾のイメージをバルスと重点的に特訓しておいて良かった。タイムラグがほとんどない分、実用に足りる。
「……くっ。じゃあ、これならどうだ…!」
今度は一転、僕の方から盾を構え突進した。
それにリンダも追随する。
エリサはその黒い盾に最初、また弾丸を叩き込んだが、無駄だと知るやすぐに銃を棄て、腰から直剣を二本取り出した。
エリサ得意の二刀流だ。
とにかく彼女の剣戟は素早く、嵐のように斬り込んでくる。おそらく、この盾だけでは防ぎ切れない……。
「だが……それでもいい」
僕は右手に盾を構え、左手に剣をイメージする。
光剣ではなく、漆黒の直剣。
だが、剣は間に合いそうにない。
エリサは二刀を重ね、渾身の力で盾に打ち込んできた。
僕はそれを必死に受ける。
膝が重みで落ちかけ、そこを見逃さず、エリサは側面から連続で斬りつけにかかる。
「……ちっ!」
一、二、三振り目と僕は体を捻らせ避けた。
反撃の機会は回って来そうにない。
四振り目は僕のガラ空きの左腕を、五振り目は僕の左太ももを掠る。
そこへ……
「てぇいっ……!」
リンダがエリサを蹴り飛ばしに来てくれた。
お陰で深手を負わないで済んだ。
僕達とエリサ、お互いの距離がまた開く。
エリサはまるでダメージがないといった感じで、すくっと立っている。
そして、乱れた髪を整えることもなく、その間から鋭い眼光をこちらに向けた。
僕は剣のイメージを止め、ふーっとひとつ大きく息をつき、横目でリンダを見た。
「やっぱり……かなり無理があるかな……無傷でどうにかしようなんて」
「そうだな。だが、ラシェット。お前にエリサが斬れるのか?」
そう問われ、僕は自分が思っていた以上に戸惑った。
いつか、こんなふうに知り合いとも戦わなければならなくなるかも知れないと、そう思っていたつもりなのに。
どう考えても、僕は全く真逆の答えしか口にできそうになかったからだ。
「もし……もし次にエリサに会ったら、殴られるかもなって覚悟はしてたけど……まさか……さすがに殴る覚悟の方はしてなかった。悪い……」
僕が歯切れ悪く言うと、リンダはため息をつき、でもすぐに呆れたように笑ってくれた。
「まったく……なんともお前らしいな。わかった。なら、ここは私に任せてお前は先に行け」
「……えっ、で、でも、それじゃリンダが…」
「えい、もう! うるさい……!」
僕がなんとなく後ろめたくなり言うと、リンダは僕を睨みつけた。そして、しっしっと手で僕を追い払うようにジェスチャーしながら
「そんな覚悟でここにいられても、足でまといになるだけだ。だったら、お前は自分の活躍できるところでしっかりと役割を果たせ。大丈夫。私がエリサを悪いようにするわけないだろう? ちょっと、軍学校時代の模擬戦の借りを返すだけだ」
と言う。
「リンダ……」
「そんな顔もするな……なんとかなる」
リンダは僕を諭すように繰り返す。
僕は頷いた。
「……そうだな。リンダ…助けられてばかりだけど」
「安心しろ、ラシェット。全部ツケにしといてやる。だから、また……帰ったら……返してもらうぞ」
そう言うとリンダは心なしか顔を赤らめた。
僕はそんな可愛らしい仕草と、この切羽詰まった状況と、彼女の勇ましい決意と優しさと甘いような言葉が、なんともごっちゃで、合っていないもののような気がして、思わず笑いそうになってしまったけど、彼女の言葉通り、なんだかとても安心することができた。
僕は盾を構え、前傾姿勢になる。
「わかった。どうか無事で」
「お前もな。退路は私が用意してやる。振り向かずに走れ!」
そう言い合うと僕達は全く同じタイミングで飛び出した。
エリサは両手の剣を交差してそれを待ち受ける。
どうやら正面からの同時攻撃と読んだらしい。
けど、違う。
僕は進行方向を左にずらし、エリサの構えがこちらを意識したところに、すかさず漆黒の盾を投げつけた。
エリサは盾を剣で受けずに、避けることを選択する。剣が折れる可能性があるからだ。
体勢が崩れ、エリサと壁の間に隙間ができた。僕はそこに滑り込む。
それをエリサは阻止しようとするが、それよりも早くリンダが上から剣を振り下ろすのを目の端で捉えていたので、結局リンダの攻撃を二刀で防ぐしかなかった。
そんなエリサの右脇を僕はまんまと通り抜け、言われた通り振り向かずに走った。
なんとかなる。
リンダがそう言ったのだから、僕はその言葉を信じる。
そして、僕は僕で皆の信頼に応えなければならない。
そのために僕は今は振り向かずに走らなければならないのだ。
でも、胸が締め付けられるのだけは、どうしようもなかった。
ーー廊下はどこまでもまっすぐに続いている。
兵士の死体は奥に行くほど見かけなくなった。
だから、激しい戦闘は入口近辺でのみ行われたのだと思うのだが、廊下を走っていると、所々に焦げ跡が見て取れる。
それと薬莢もかなりの数、転がっていた。
小規模だがまだ戦闘が続いているということか。
確かに耳を澄ますと、微かだが銃声や足音が聞こえる気がする……。
いや。
待てよ?
銃声はともかく、足音の方はどんどんこちらに近づいてきてないか?
僕はひたすら前方だけを見て走っていた。
すると、少し先の廊下の曲がり角から、一人の男が飛び出して来た。
僕は驚き、見つめる。どうやら、彼が足音の正体のようだ。
男は妙な格好をしていた。
薄い黄色のパジャマのような服を着、足元は室内履き、そして顔にはサングラスを掛けている。
はっきり言ってパッと見では全く素性が知れない。ただ、怪しいというか、明らかに堅気の職業についている男には見えなかった。
まぁ、場所が場所だからきっと彼もボートバルかアストリアの軍人なのだろうが。
僕は彼の登場にすぐに気がついたが、彼の方は後ろを気にしているようで僕には全然気づいていない。
だが、廊下をこちらの方向に折れると、さすがに僕を発見したようで
「ラ……ラシェットさん!?」
と、驚きの声を上げた。
なんと、向こうは僕のことを知っているらしい。ほんと、最近そういうことが多い。
でも、当然ながら僕にはあんな知り合いなどいなかった。
「だ、誰?」
僕がそう言うのと同時くらいのタイミングだった。
彼の背後にもう一人の人物が現れる。
女だ。
ダークスーツに、明るい茶色のソバージュ髪。すーっと通った鼻筋。少し濃いめの化粧と切れ長の目。
彼女にはなんとなく見覚えがあった。
そうだ。
彼女はあの時、サウストリアの街でキミを助けてくれた、あの女性だ。確か……名前はミニスとかいったか?
ということは、あの男はノアが言っていたリーの部下のもう一人の……
「もしかして……カジさんですか? リーの部下の」
男が近くまで駆け寄って来たところで、僕が聞くと今度は男が意外そうな顔をする。
「どうして知ってるんです? まさか、お嬢ちゃんにもう聞きましたか?」
息も絶え絶えのカジは、何とか隣まで来て応えた。
遠目ではわからなかったが、近くで見るとカジはもうボロボロといった感じだった。
特に、腹部にできた血の滲みは相当痛そうに見える。この服だってよく見ればパジャマではなく、入院服のようではないか。もしかしたら、病み上がりで傷口が開いたのかもしれない。よくここまで走ってこれたなと僕はその根性に感心した。
けど、僕は迫り来るミニスの方を見て、話を聞いている暇も、のんびり治療している暇もないなと悟り、手短に口を開く。
「残念ですが、まだキミには会えていません。今着いたばかりなんです。だから、カジさんがもしキミがどこにいるのか知っているのなら教えていただきたい……んですが、その前に……彼女……ショットの仕業ですね?」
「……はい。くそっ……あの野郎……本当に嫌な真似ばかりしやがる……痛っ」
カジは腹を庇うようにして屈む。
目立つのは確かに腹の血だったが、銃で撃たれたのであろう、腕や足の出血もひどい。
もう立っているのがやっとという感じだ。
僕は肩を貸そうとする。が、カジに断られてしまった。
「俺のことは、いいんで……あいつを……ミニスのことをどうか……お願いします。すいません……」
カジはそう僕に言うと、情けないといった感じで顔を伏せた。
カジのその言葉と様子から凡その想像がついた。
彼女は今、何も武器を持っていない、全くの手ぶらだ。そして、大した外傷もない。
それを見るに、きっとこのカジという男はずっと耐えてきたのだと思う。
彼女の武器が尽きるまで。
いや、できるならば彼女の体力が尽きるまで耐え抜くつもりだったのだろう。
そんなの無茶だとは思う。けど……
「……その気持ち、よーくわかりますよ。大丈夫。ここは僕に任せてください」
今しがたリンダにエリサを任せてきたように、ここは僕がひと肌脱ぐ番だなと思い、僕は言った。
そうしてすぐに走ってくるミニスに向かう。
幸い、僕にはあのミニスさんという女性と面識がないし、気絶させるくらいなら躊躇なくできる気がしたからだ。
ミニスはこちらに気がつき、僕に目標を変える。
そして、こちらが突っ込んでくると見、懐からナイフを取り出してきた。
丸腰かと思えば、そうでもなかったようだ。だが、おそらくあれが最後の隠し武器だろう。
僕はさらに姿勢を低くし、加速した。
このまま真正面から当たるのは厳しい。
が、あえてそのまま突き進む。
今回は手傷を恐れてはいられないのだ。相手を無傷で捕まえようと思うのなら、やはり……
「肉を切らせて骨を断つだ」
ミニスは僕が近くまで迫ると、同じく姿勢を低くし、僕の心臓をめがけ、ナイフを突き出してきた。
それを読んでいた僕は、ミニスの突き出したナイフを左腕で受ける。
鋭い痛覚が僕の脳を支配しかけた。
でも僕は、目を瞑らず、そのままミニスの右腕を絡み取る。
そして、ミニスが左腕で僕を振り払おうとするより先に、
「とぉりゃーー!」
と、両手でミニスを腰に乗せ、背負い投げで思い切り地面に叩きつけた。
背中から勢いよく硬い廊下に叩きつけられたミニスは、
「うぐっ……」
と呻き声を上げたが、すぐにぐったりとし、気を失った。
辺りにまた静けさが戻ってくる。
まぁ、あれだけ強く叩きつけたのだから、そうなってもらわなくては困るのだが、もしかしたら骨のひとつくらいは折れているかもしれない。
ちゃんと受け身は取ってくれたのか心配だったが、
顔に耳を近づけると、静かに息はしていてくれたので、とりあえずホッとし、腕に刺さったナイフを抜いた。
「ラシェットさん……! ミニス……!」
その様子を見守っていたカジが慌てて駆け寄ってくる。
そして、僕の方を見て
「大丈夫ですか……!? その傷…」
と言うがその視線は僕を見ているようで、まるで違うことを考えているのはすぐにわかった。だから、服の袖を破り自分で傷口の止血をしながら、
「大丈夫ですよ。むしろこれくらいで済んで良かった。ナイフしか武器を持っていなかったからできたことです……それよりも、早く彼女の方を」
と言って笑った。
僕がそう促すとカジは頷き、しゃがみ込んでミニスを膝の上に乗せた。そうしてから、そっと頭を優しく撫でた。
「すまねぇ……けど、良かった……本当に、良かった……」
カジは今にも泣きそうな声をしていた。
それをあまり聞いているのも悪いと思ったから、僕は
「ミニスさんには悪いですが、今のうちに手足を拘束しておいてください。まだショットの支配が消えたわけではないですから……縄は僕が持っています」
と話しかける。
しんみりしているところに、水を差すようだったが、カジは顔を上げ力強く、わかりましたと言ってくれた。
僕は縄を渡す。
「重ね重ねすいませんが、時間がありません。僕はこのまま先に行きます。もしキミがどこにいるのか、知っていたら教えてください。それと、カジさん達はこのまま後ろの出入口から脱出を。詳しくは省略しますが、戦いは終わりました。ですので、アストリアの皆さんが助けてくれるはずです」
カジはその情報に目を見開いた。
「終わった!? そ、それは本当ですか? いったい何だって急に……」
「事情は出ればすぐに聞けますよ。ですから、早く行って治療をした方がいい。あなたも、ミニスさんも」
僕がそう言うと、カジは何やらじっと考え始めた。
しかし、それもすぐに終わり
「…いや。足でまといになるかもしれませんが、俺も一緒に行きます」
と言い出した。カジはさらに続ける。
「俺達と別れた後、お嬢ちゃんはブリッジ行って、それが済むと格納庫に向かったみたいだが、まだショットがうろついてるし……それに俺の方がいくらか道を知ってる。だから……俺に格納庫までの道案内をさせてくれ」
僕はそう言われ判断に迷った。
確かに、この状態でさらにミニスも背負わなければならないのだ。足でまといもいいところだろう。怪我の状態を鑑みれば、途中で倒れてしまってもおかしくない。
だが、カジのサングラスの奥の目。
その目は「まだいける!」とそう言っているのだ。
僕はその気力と根性の底の無さに、感心を通り越し感嘆していた。
そして、この人がいたからキミや僕が助けられたことがきっと沢山あるのだろうとも、直感的に感じていた。
だから僕は
「わかりました。では、案内をお願いします。一緒に行きましょう」
と返事をしたのかもしれない。