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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第4章 動く世界・三人の友情編
122/136

彼の極秘任務

もうすぐ月が輝き出しそうな時刻だった。


それは、ノア号で激しい艦内戦の繰り広げられる7、8時間程前に遡る。


見上げれば、月の横に、遥か高くそびえるアストリア城。


そして、その真下には、城壁に背中を付け、息を殺し、じっと身を潜めながら、まだ混乱の治っていない城の様子を伺っている一人の兵士の姿があった。


黒い髪に浅黒く日に焼けた肌。

頬には真新しい傷。

緊張気味に引き締まった精悍な顔立ちをしているが、その中にまだどこか幼さを残したシルエット。

カシム・アリ軍曹だ。


リッツの飛行艇『アルジュナ』にまだ帰還していなかったカシムであったが、彼は別に撃墜されたわけでも、帰還が困難になったわけでもなかった。

彼はある二人の人物からの密命を帯びていたために、わざと敵からも味方からも行方をくらませていたのである。


このことを知っている者は、その命令元の二人とその上司の他、ここアストリア城下町で彼のバックアップをする予定になっているボートバルの諜報部員二名のみという徹底ぶりだった。


「ふーっ……」


カシムは懐の拳銃の感触を確かめながら、ひとつ小さく息を吐く。

そうやって緊張を解そうとしても、なかなか硬くなった体は言うことを聞いてくれそうにない。

いくら任務経験が豊富なカシムであっても、今回のこの任務にはさすがに、そうならずにはいられなかった。なにせ……


「敵本丸への単独潜入……しかも、目的地は最上階。確かに、局面を一気に変える可能性があるならば、確かめる必要はある。がしかし…受けるアリ大統領もアリ大統領だが、それを考えたあのリー・サンダース少尉という人物も……ふっ、相当な無茶を言ってくれるものだな」


カシムは自嘲するように、あるいは誇らしそうに笑う。さらに、続けて


「さすがはラシェット伍長のご友人というところか……」


とも半ば諦めたように呟いた。


あのラシェットの友人。それだけで全部納得できてしまうのだから、不思議なものだ。カシムも様々な厄介事に巻き込まれ、リーのように知らず知らずの内に「厄介事への耐性」みたいなものが出来てしまったのかもしれない。


「さて…感慨に耽るのもこのくらいにして……そろそろ行くか」


少し体の硬さもとれたカシムは、改めて姿勢を低く構える。


辺りはひっきりなしに行き交う兵士の姿はあるのに、妙な静けさに包まれていた。

カシムは少しの間、目を閉じ、草の匂いを感じる。


そうしてから、意を決し、そっと行動を開始した。



カシムは城下町の空き倉庫に飛行機を隠してから今まで、先ほどの場所でずっと夜になるのを待っていた。

そのお陰か、それとも単に警備が手薄なのか、闇に紛れた彼はかなりあっさりと城の裏手まで回ることができた。


「やはり、何かがおかしい。こんなにもあっさり深入りを許すとは。指揮系統に問題があるのか、死角が多過ぎる……」


カシムは思った。

しかし、考えても仕方がない。これはチャンスと捉えるべきなのだ。いくらアストリアの主力部隊が海に出ているとはいえ、ここの警備の立て直しも時間の問題だろう。それまでに任務を完遂する。


カシムは小さな木製の扉の前に立つ兵士二人を、物影から注視した。

ここは、この城の扉の中で最も警備の薄い場所だとボートバル諜報部から事前に情報をもらっていた。その情報に違わず、敵兵は二人だけだ。


だが、警備が薄いのにはそれなりの理由もあった。

それは、この扉がカシムの目的地である、城の最上階へと続く階段から最も遠くに位置しているということである。

だからアストリアは、仮にここを突破されたとしても全然慌てる必要はなく、城内できっちり侵入者を排除すればいいと考えているわけだ。


カシムはそこをあえて狙う。

というよりも、単独での侵入ならば、まずここしか成功の可能性はなかった。

そして、侵入してからも怪しまれずに城内を歩くことができる方法もまた、ひとつしかない。


「かなり単純な手だがな……」


そう思いつつも、カシムはタイミングを見計らい、闇に紛れてまずは手前の兵士の後ろを取った。

足音もしない、完璧な隠密行動だ。


「……ん? あっ!ぐあっ…」


アストリア兵は、背後に突然現れた影に驚きの声を上げかけたが、カシムの頚椎への一撃で音もなく草の上に倒れこむ。


それを真横で見たもう一人も驚き、銃を構えようとしたが、それよりも速く、カシムに強烈なボディーブローを打ち込まれ、同じように意識を失い、地面にうつ伏せに倒れこんでしまった。


その一瞬の攻防を冷静にやり遂げたカシムは、休む間も無く、身体の少し大きい方の兵士を藪の中まで引き摺って行き、隠す。そうして戻ると、今度は自分と背丈の近い方の兵士の軍服を素早く脱がせ、それを自ら着込んだ。


そう。変装である。


彼の感想通り、かなり単純で使い古された作戦だが、やはりこういう場合には定石はバカにできない。ましてや、今回のように素早く任務を終え、城を出なければならないのなら余計にだ。敵発見されるリスクは最小限に抑えたい。


裸になってしまった兵士も同じく藪の中に隠したカシムは、自分が今奪ったばかりの兵士の階級と所属、氏名を確かめる。


「陸軍第32部隊所属、カエナ・ナハリ二等兵か」


カシムは口の中でもごもごと数回復唱した。

そうして、自分の変装時の身分を把握すると、ここの警備兵がいなくなったことに気づかれる前に任務を終わらせようと、扉をそっと開ける。

扉の内側を覗き、そこに兵士がいないことも確認すると、音を立てずに扉を閉め、その後は城内を堂々と、一路、目的地へと歩き始めた。



城の中は城外に比べれば、少し騒がしかったが、やはりそれぞれの兵士が、どこか浮き足だっているように見えた。

カシムのことを怪しむ兵もおらず、カシムがすれ違う時に敬礼をすると、皆、敬礼を返してくるほどだった。


「俺の顔もちゃんと見ていない……まだ飛空艇突入のゴタゴタが響いているのか? やはり、この時間帯はチャンスだな…」


カシムはホッとした表情を見せないようにと、顔を引き締め歩く。


城内の地図は既に頭に入っていた。

まずは今通っているホールを抜けて、長い廊下を通り、大きな吹き抜けのエントランスへ。

そこの中央の階段を登り、さらに右へ右へ進むと、この城の最上階まで続く階段の一番下に着く。

そこからはひたすら階段を登るのだ。

しかし、その先にはかなりの数の近衛兵がいると思われる。よって、カシムはその階段の途中で窓の外に出て、壁をよじ登るつもりだった。そうやって無駄な戦闘はなるべくなら避けたいと思っていた。しかし…


「そううまく行くか……」


カシムはいざという時の心構えだけはしておくことにした。


「警備ご苦労」

「はっ!」


カシムは階級バッジが上の者とすれ違う度に敬礼をする。

でも、声で正体がバレるとまずいので、抑制を効かせ、返事をしていた。


そうこうしているうちにカシムはエントランスまでやって来た。

ここまで来るのに高々10分足らずの行程だったが、カシムは軍帽の下にびっしょりと汗を掻いていた。なんとか、額から流れ落ちたりしないよう祈る。


カシムはキョロキョロしない程度に辺りを見渡してみた。

足元には赤い絨毯。上には大きなシャンデリア、中央階段の踊り場の上には歴代の王の肖像画がずらりと並んでいる。圧巻の光景だ。


しかし、見惚れるわけにはいかない。今、カシムはこの城を見慣れた兵士を演じているのだ。


そう言い聞かせ、カシムはゆっくりと中央階段を登り始めた。フカフカした絨毯が階段にも敷かれている。少々、自分のような兵士には場違いのような雰囲気だ。


すると、カシムの歩く前方。


そこから一人の兵士が降りてくるのが見えた。

背丈はカシムよりも大きい。着ている軍服の質から、そこそこの家柄の、そこそこの階級の軍人と見えた。


「ここもうまくやり過ごせればいいが…」


カシムがそう考えていた時、


「おい、貴様。なぜ貴様のような者がここを登っている。ここは由緒正しき王族と貴族のみが通れる場所だと、そう教習で教わらなかったのか?」


と先に向こうから言われてしまった。


「なっ…!?」


それを聞き、カシムは一層冷や汗を掻く。


「ちっ、ぬかったな」と、たった今自分が感じた「場違い」という感覚に素直に反応しなかったことを悔いた。

当然だがそんなことな知らなかったのだ。しかし、悔やんでいても始まらない。こうなってはここは素直に非を認めて見逃してもらうしかない。


「はっ! そ、そのようなこととは知らず、失礼いたしました! 直ちに戻り、以後注意、徹底いたします!」


カシムはビシッと気をつけをし、敬礼する。


男はそんなカシムの真横まで、悠然と降りてきた。そして、まだ怒っている様子でカシムの顔を覗き込む。カシムは益々焦ったが、ここが正念場だと顔を引き締めた。


必死に視線を反らすカシムだったが、嫌でも男の顔が目に入る。

間近で見た、その男の顔は鼻筋の通ったなかなかのハンサムで、確かに貴族の出も言われて納得するものだった。だが、しかしその肝心の鼻筋が素人目ではわからないが、残念なことに微妙に曲がっていた。

おそらく、最近鼻を骨折したのだろう。よく治っている方だが、まだ完全には治っていないらしい。

あまり顔を見ると危ないので、カシムは目を下に向けた。そして、そこでさらにこの男が軍服のしたにギブスを着込んでいるのがわかった。

胴体の胸の部分が少し着膨れしているのだ。これもおそらく骨折だろう。肋骨が折れているのに違いない。しかも、その傷はまだ治っていなく、極々最近負傷したものだと、カシムには知れた。


「負傷兵か。よく骨を折る男だ。しかし…これなら最悪、戦闘になっても振り切れるな」


カシムはそう思う。

そして、最後にちらっと男の襟章も確認した。どうやら、男は准将のようだ。思っていたよりもずっと階級の高い兵士だった。もしかしたら、かなりの手練れの可能性もある……やはり油断はするまい。


男はまだカシムのことをジロジロと見て、何やら考えていた。

カシムはだんだん空気が良くない方向へ行っているのをヒシヒシと感じる。

長居は無用だ。さっさと動かねば。


「そ、そろそろよろしいでしょうか…?」


カシムがそう言うと男は


「ん? ああ、そうだな。以後気をつけるように…」


と気がついたように言った。

それでようやくホッとしたカシムは


「はっ!」


と短く返事をし、言われた通りに階段を下り始めた。少々遠回りになるが、別のルートを模索しなければ。


と、


「ところで、まだ貴様の所属を聞いていなかったな? どこの隊の者だ?」


また不意に背後から問いかけられてた。

それにカシムは反射的に


「はっ! 陸軍第32部隊所属、カエナ・ナハリ二等兵であります!」


と答える。


すると、その瞬間に、男のこめかみがピクッと動いた。


「ナハリ…だと?」


「ちっ…! しまった…顔見知りの兵士だったか!」


カシムはそれを見てとるなり慌てて地面を蹴った。


「貴様っ、やはりっ…!」


そう言い、男が反射的に銃を抜くのが早いか、カシムが男に突進したのが早いか、二人は階段の上で交錯し、転がった。


「ぐわっ……」


男はやはり怪我が響いたのか、うまく弾丸をカシムに命中させることができず、階段を転げ落ちる。辺りに切り裂くような銃声だけが鳴り響いた。


「くそっ…! 変装がバレたとしてもっ…!」


カシムはそれを見て一転、階段を駆け上がり始める。

こうなってしまった以上、もはや他に手はない。強行突破だ。


そんな銃声と光景に辺りの視線はカシムと男に釘付けになる。そこへ男が


「侵入者だ! 逃してはならん! 追えぃっ!」


と叫べば、当然、それだけで瞬く間にカシムは三十人以上の兵士に追われる立場になってしまった。エントランスを歩いていた兵士達が階段に殺到する。もう、決まりも何もないようだ。


「待てー!」

「侵入者を逃すなー!」


兵士達はそんな風に、わめき散らしながら、どんどん数を増やしていく。ちらっと振り返ると、あの負傷した男も鬼のような形相で追いかけてきていた。重症の様子なのになかなか根性のある兵士だ。


だが、そんなのん気に考えてもいられない。

ここで少しでも立ち止まってしまっては終わりなのだ。カシムは足に疲労が溜まっても、歯を食いしばり、走り続けた。


「くっ…ここまで来て…失敗はっ!」


カシムはひたすら前だけを見て走る。

まだ情報が行き渡っていないのか、前方から出てくる兵士の姿はない。

時間的な猶予は残されているとカシムは感じた。それを使い切る前に、なんとか目的地まで辿り着きたい。


「そこからは、賭けだ…」


カシムはまた一段、気合いを入れ、速度を上げた。

まだ階段は遥か上まで続く。一階一階、登る度に確認するが、まだ目的の部屋へと続く階段には到達していない。なぜなら、そこには近衛兵の部隊が常に待機しているはずだからだ。もう、壁をよじ登るという当初の作戦はどこかへ行ってしまった。


カシムの脚に乳酸が溜まり始める。

しかも、そこへ

「居たぞ!あそこだー!」

と、横の階から増援も駆けつけた。

カシムはそれを確認すると、間髪入れずそちらへ向けて催涙ガスを放り投げる。武器の数は限られているが、出し惜しみなどしていられない。カシムの判断は早かった。そして、その効果を確かめることもなく上へ上へと突き進む。


まだかまだかと我慢すること、さらに数分。すると…


「…! 見えた! あの先か!」


ついにカシムの目が最上階へと続く、小さくも豪華な階段を捉えた。その前には情報通り三人の近衛兵が立ち、さらにその階段の中程にも三人、おそらく上にも兵がいるのだろう、影が見えた。


「…上等だ」


カシムは最後の力を振り絞り、さらに加速する。


そんなカシムに気がついた近衛兵は、なぜアストリアの軍服を着た男がこちらに突っ込んでくるのかと面をくらいつつも、


「と、止まれっ! なんのつもりだ、ここをどこだと…」


と言う。

しかし、カシムの耳には届かなかった。カシムは今度は煙幕と催涙弾を同時に投げ込んだ。

これで、もう武器はない。

銃は使わないつもりだった。死人を出してはならないと、そう決められていたからだ。

あとは、あの扉の前にさえ立てれば……


「…う、ごほっ、ごほっ、寄せ! ま、待たないか! そこの兵士……!」


ようやく事態を飲み込んだ近衛兵達だったが、カシムは階段下の兵士の横をくぐり抜け、中段の兵士達も混乱に乗じて蹴り落とした。

そのタイミングで階段下に、一階から追いかけて来た兵士達が合流する。

しかし、もう遅かった。

ここからは賭けの時間だ。


カシムは狭い階段を登りきると、大きな仰々しい扉の前に悠然と佇んだ。

それをその場にいた近衛兵一名と、やっと下から駆け付けた兵士達が銃を構え取り囲む。


カシムの退路は断たれたのだ。


だが、カシムに狼狽えた様子はない。むしろ覚悟を決めたような顔をしていた。


黙って扉を見つめるカシムに、真っ先に声を掛けたのは、あの負傷した兵士だった。


「お、畏れ多くもここを何処だと心得るか、賊めっ!

はぁ、はぁ……中央階段どころの話ではない、万死に値するぞっ!」


男は息をぜぇぜぇ言わせながら、怒りの表情を見せた。しかし、それはもう鬼の形相と言えるものではなくなっていた。もう立っているだけで精一杯なのか、それとも貴族だと言うこの男も、さすがにこの部屋の前までは来たことがなかったのか、どこか落ち着かない様子だった。


カシムはそんな男の様子とは正反対にいよいよ冷静な顔つきになり、


「ああ、心得ている。ここは、王の寝室だ」


と言ってのけた。


それを改めて聞かされた兵士達は一様に息を飲んだ。いくら侵入者を追い詰める為とは言え、こんな所まで近衛兵でもないのに、足を踏み入れて良かったのかと、思ったからだ。


「そ、そのように軽々しく言うものではない! 貴様っ、何が目的だっ!」


このような状況になり、返答を待たずとも銃殺されても当然なのに、かえって落ち着いた様子で答えているカシムに、男はそう尋ねた。

目的を尋問し、何処の手の者かを明かし、その上で殺す算段だ。


「…ふっ、のん気なお前達に教えてやろうと思ってな」


がしかし、カシムの答えは謎かけのようなものだった。

さらに続けて


「いや、ここまで来たら、無能と言うべきか…」


と言ったものだから、兵士達はまた殺気立つ。

例の負傷兵は一歩前に出た。


「なんだとっ! 貴様、言うに事欠いて、我々誇り高きアストリア兵を無能とは…」

「だってそうだろう?」


カシムは素早く、口を挟んだ。

そして、満を持して


「自分達の主君たる王の安否も、碌に確認できないのだからな」


と言い放った。


「なっ…!!」


この言葉にはその場にいた兵士、全員が驚いた。

まさかこの侵入者は何を奇妙なことを言い出すのかと。


「ふっ、ふざけるなぁっ! 貴様、バカにするのにも程があるぞ!」


負傷准将はいよいよ、青筋を立ててカシムのこめかみに銃を押し当てた。他の兵達も色めき立つ。

それでもカシムは怯むことはなかった。


「では聞くが、今日の王の様子はどうだったか確認はしたのか? もし、した者がいるのなら、話を聞いてみたい」


そう言われると、負傷兵は


「ふんっ」


と鼻を鳴らし、


「今朝の給士は誰が行った?」


と周囲に問いかけた。

すると階段下にいた近衛兵の内の一人が


「私であります。アレス准将」


と申し出た。

なるほど、この男はアレスと言うらしい。


「うむ。では、その際に王と面会したか?」


兵は進み出て、


「いえ、ここ三日程はお顔を拝見しておりません」


と言った。それを聞いたアレスは少々驚き


「なぜだ? なぜ、お顔を拝見しない? お前達、近衛兵にはその権限が特別に与えられているだろう」


と問いただす。


「はっ! そうなのですが、これは王の厳命でして…」

「ん? 王の?」

「はっ、それが…しばらく籠るつもり故、返答を求めるなと…」


近衛兵がそう言うと、アレスは益々驚いた様子で


「そ、そのようなことは初耳だ。確かに、最近は自室に籠りがちとは聞いていたが…」


となにやら考え始めた。


「ショット様には…ショット様にも王はお会いにならなかったのか?」

「い、いえ。それが…ショット様が海上へと立たれた、ちょうどその頃から、王は部屋にお籠りになられたので……」

「……ふぅむ」


アレスの表情がだんだん変わってきた。

それをカシムはあくまで冷静に見守る。


「…食事…食事はどうだ? ちゃんと召し上がれているのか?」

「はっ! そ、それが……ここ数日はまるで手付かずの状態で…」


それを聞いたアレスはぶわっと額から汗を吹き出した。


「なっ! なぜっ、なぜそれを早く報告しないのだっ!」

「そ、それは、王の厳命がありましたので……それにショット様からも…」


「そのショットが怪しいのではないか?」


アレスが兵士の肩を掴み、揺さ振っているのを横目にカシムははっきりと言った。


「タイミングが良すぎるだろう。王が籠るタイミングとショットがここを去るタイミングが。何か裏があるとしか思えない」


カシムがそう言うと、辺りはシンと静まり返った。


兵士達はお互いの顔を伺っている。

皆、迷い始めたのだ。この侵入者をどのように扱うべきなのかを。


すると、兵士の肩から手を離したアレスが、カシムに歩み寄ってきた。

しかし、その顔は先ほどまでとは違い、神妙な顔になっていた。


「貴様、名は?」

「カシム。ラース軍所属、大統領直属部隊のカシム・アリ軍曹だ」

「……今回のことは、バルムヘイム・アリ大統領の差し金か?」

「そうだ。それと、ボートバル軍のリー・サンダース少尉他、ボートバルの中枢も関わっている」

「…! …ふんっ。リー・サンダース、その名前は知っている。資料で見たからな。そうか……」


アレスは面白くなさそうに呟いた。

そして、続けて


「もし、貴様らの危惧が外れていたならばどうする?」

とカシムに聞く。


「この場で射殺してもらって構わない。どちらにしろ、任務は失敗だ」


そう言ったカシムの顔を見て、アレスは頷いた。


「鍵を持て! 扉を開けろ!」


そうアレスの命令が下ると、兵士達は驚き、後退りした。その間から、近衛兵の一人が扉の鍵を持ちアレスの前まで進み出る。


「開けろ」

「は……はっ!」


兵士はそう命令されると、手を震わせながら扉の鍵を開け始めた。何箇所か鍵が付いているらしい。しかも、鍵穴が隠されているので、専門家にしか開けられない造りのようだ。


その光景をアレスとカシムは正面に横並びになり、見守る。

すると、カシムの前にアレスの手が伸びてきた。


「銃は預かるぞ。一応な……」


その言葉を聞き、カシムは表情を崩した。

一応。

その言葉の意味に気がつき、ホッとしたからだ。


「ああ」


カシムが銃を渡したところで、


「解鍵しました!」

と兵士が言う。


「うむ」

それでアレスは扉に手をかけた。

最後はアレスが開けるらしい。それはこの場で一番階級の高い男の最後の義務のようだった。


重い木製の扉がゆっくりと開かれると、皆の視線はその中に注がれた。


初めて見る王の部屋は、豪華そのものだった。

煌びやかな机、椅子、テーブル、ソファー。

絨毯はシックに輝く緑色で、壁には鹿の頭の剥製やら、絵画やらが所狭しと飾られている。

そんな部屋の入り口、給仕口に置かれたままの食事も実に手の込んだ料理だった。


しかし、皆の視線は結局は、その一番奥、ベッドに向かわずにはいられなかった。


ただただ立ち尽くす者が大半の中、アレスとカシムだけはゆっくりと部屋を横断し、ベッドの前まで行く。


そして、ベッドを見下した。

そこには、真っ白い顔をした初老の男が綺麗に横になっていた。

安らかな顔だ。脈をとるまでもあるまい。


「……陛下…」


しばらく放心状態になった後、アレスは目元に涙を浮かべ、そう漏らした。


しかし、カシムにはこれ以上そんな感傷を待ってやれるだけの時間はなかった。薄情なようだが、カシムは


「……すぐに話し合いがしたい。こちらには既に準備がある」


そう言った。


それを噛みしめるように聞いたアレスは強く頷き、


「わかった……すぐに取り次ごう」


と応えた。


どうやら、カシムの任務はここまでのようだった。


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