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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第4章 動く世界・三人の友情編
116/136

浮上 1

「はぁ……なんで私がこんなことを…?」


女はビシッと軍服を着こなしたそのか細い肩を落とし、小さな声で愚痴をこぼした。


黒くサラサラとしたショートカットヘアーに、幼いけれどもどこか「優等生」といった雰囲気が感じられる顔立ち。

ノノ・ウェイル一等海兵である。


「……ほんと、なんでなのよ…」


ノノは重ねて言った。

もちろん、彼女はちゃんと周りに誰もいないのを確かめてから文句を言っている。

それ以外に聞こえるのは、彼女が歩く度に響く、カンカンカンという規則正しい足音だけだった。


ここは潜水艦『ノア号』の廊下。

全長1キロメートルという、このバカげた潜水艦は、潜水艦にも関わらず、その長さ故に海底の航行が不便極まりないだけでなく、単純に艦内の構造を把握し、部屋から部屋へ移動するだけでも、かなりの苦労を要するものだった。


そして、その広さから、かなりの人数の乗組員がいるはずなのに、この艦の廊下はいつも人通りが少なく寂しい感じがする。でも、ノノはその性格からか慎重に周りを見渡し、愚痴を言ったのだった。


そんな彼女の手には今、一枚のお盆が……。

その上にはティーセットとクッキーが乗っていた。


これが彼女が愚痴る理由のひとつである。

これらは、現在、自分の上官達が取り調べを行っている、キミ・エールグレインという少女のための差し入れだった。


命令元はマクベス・オッド大佐。


普段はノノのような階級の者など、絶対に口を聞けるような相手ではないくらい、立場が違う人物だが、その御方が出した


「彼女は参考人である前に、大事な客人だ。丁重に扱え」


という、何度聞いてもよくわからない命令が巡り巡って、一番下っ端の部類に入る自分のところに回ってきたのである。


「参考人なのに大事な客人? それに、本当に取り調べにお菓子なんているのかしら…?」


ノノは思う。

だがまぁ、こういった雑用を自分のような階級の者がやるのはわかるのだ。今までの数年間だって、かなりの数の雑用をこなしてきた。


しかも今回は取り調べを行っているのが、自分の直属の上官、エリサ・ランスロット大尉なのだから、この雑務がピンポイントで自分のところに回ってくるのも、当然だとも思う。


そう。ここまでならば……。


彼女は何も暇なわけではないのだ。

ノノにはまだ別の仕事があった。


それは、同じくエリサが取り調べを担当しているカジ・ムラサメという兵士の看病だ。

それもおそらく同様の理由から、ノノに回ってきた仕事だった。

それがノノが愚痴るもうひとつの理由である。


「はぁ……」


ノノはお盆を見下ろし、ため息をついた。

気が重い。


ノノはなんだかあのカジという男が少し苦手なのだ。あのお調子者な感じ、あの馴れ馴れしい態度、室内なのにサングラス。

そして……


「うっ……」


ノノはいつぞや見てしまった、あのおぞましい光景を思い出し、顔を引き攣らせた。

なんでそんなことを考えてしまったのか…できればもう二度と思い出したくないのに。


しかし……なにも、それだけならまだ彼女もここまで文句は言うまい。けれど、ノノはまだまだ自分の本来の仕事、見回りやら、点呼やら、他の給仕やらの用事が残っているのである。


それに片や自分と同じ立場であるはずのイズミ・レイ一等海兵はというと、そのカジという男の相棒だという諜報部のミニス・マーガレット氏と

「寮の先輩で仲良しだったから」

という理由で、取り調べと称して一日中、楽しそうにお喋りしているのだから、余計に何か思わなくもなかった。まぁ、友達だから許すが……。


「……ふーっ。もう…変なことをぐるぐると考えてたら、お腹減っちゃった…今、何時かしら?」


お盆の上のクッキーを見つめていたノノは急に空腹を感じた。

そして彼女は海軍に入ってから初めて


「……私も早く、偉くなりたいなぁ」


と、思ったのだった。



ーーそんなこんなでノノは取調室の前に辿り着いた。

呼吸を整え、ノックをする。


コンコン


「失礼しま…」


「だ・か・ら! 何度言えばわかるのよっ。そんなのただの噂! ラシェットが今更そんな「王子と一緒にクーデター」なんて興味あるわけないでしょ!?」


ノノがお菓子を乗せたお盆を手に、扉を開けると、今日もキミの威勢の良い声が聞こえたきた。


相変わらず、取り調べを受けている身とは思えない態度だ。それに、その可愛らしい見た目からも、そのキツいものの言い方は想像できなかった。


その机の対面ではエリサが顔をしかめている。いかにも「煩いなぁ」と言わんばかりに。


この二人はウマが合わないのか、ここ数日間ずっとこんな感じで話が噛み合わないのである。

それは、エリサの上官であるマクベスと、この艦の総司令官となったダウェン・ボートバル第一王子がリッツ王子について、トンチンカンなことを言ったり、推理しているせいもあったが、ノノの目にはこのキミという少女の方もどうも、ラシェット・クロードや例の手紙について、あまり話す気がないように見えてならなかった。


それならそれでもっと手荒な手段に訴えてでも吐かせれば良いと思うのだが……それはマクベスが

「そんなことは絶対に許さない」

と言う。

さらにダウェン王子に至っては

「そういうことは、私は関与しない。お前達の判断に任せる」

と言うのだ。


それでエリサも仕方なく、とても穏便な取り調べを行っているのである。

上司と参考人による、世にも奇妙な板挟み状態だ。

そして、自分はお茶汲みを……。


「こほん。あの…失礼します。そろそろ休憩の時間です、大尉。お茶をお持ちしましたのでどうぞ。キミさんも……」


ノノは丁寧に言った。

本心では疑いを持っていても、上司の前では命令優先だ。


「ん? ああ、もうそんな時間なのね。ご苦労様、ノノ。毎回すまないわね、大佐の気まぐれな命令のせいで……別に、嫌なら無視してくれても構わないのよ?」


お盆を机の上に置くノノを気遣いながらエリサは言う。それをノノは冷や汗を浮かべながら


「い、いえ! 無視なんてとんでもございません。これも仕事ですので…」


とすぐさま否定した。

こんなエリサの私見に、自分なぞが賛同したと知れたらエライことになる……。

マクベス大佐のことをあんなふうに言って許されるのは、この艦ではエリサくらいのものだった。


「ふふっ、冗談よ。そんなに焦らないで? でも、本当に嫌になったら投げていいからね。私が守ってあげるから」


「は、はい!それは、光栄であります…」


そう答えながらノノは、いつも真顔で言うエリサの冗談はわかりにくいと思った。

しかも、彼女の場合、本当にマクベス大佐の命令を、表面上は実行しながら影では無視するため、あながち冗談にも聞こえないから怖い。


ノノはそんなエリサの前に恐る恐るカップとソーサーを置き、その次にキミの前にティーセットとクッキーを置いた。


「どうぞ、キミさん」


「わぁ、今日も美味しそう……ありがとう、ノノさん」


キミはノノに笑顔を向ける。

それを見てノノは毎日、ちょっと照れくさくなる。そのくらいこの少女の笑顔は可憐なのだ。それに、お菓子が大好きだと言う彼女の笑顔は、クッキーを前にすると余計に屈託無く輝き出す。だから、ノノはつい目を背けそうになってしまった。


「い、いえ。今日もお口に合えばいいんですが…」


そう言いながらノノは紅茶を注ぐ。


「ううん。美味しいのは見た目だけでもわかるわ。私なんか、もう毎日楽しみになってるんだもの。ノノさんの焼いてくれたクッキーを食べるのが」


そうなのだ。実はこれらのクッキーはノノが毎日、一から手作りしているのである。


もとより、お菓子などという色気のあるものは、この艦には積まれていなかった。

そこで、ノノは備蓄に余裕のある、小麦粉、バター、砂糖を食堂から融通してもらい、さらにそこにアーモンドやドライフルーツ、胡麻などを加え、朝方少し時間を作って焼いていたのだ。


まさに、影の努力である。


しかし、そんなクッキーを食堂の片隅で焼く彼女の姿は、たちまちこの艦の男性海兵達の間で噂になり、すぐさまエリサ達の知るところとなった。


まさか、そんなふうに噂が広まり、毎朝、ノノの手作りクッキーのおこぼれにあずかろうと、熱心な男性海兵達が食堂を覗きに来ていることなど……知らないのはノノ本人だけと思われた。


「楽しみですか。それは良かったです。そう言っていただけると、私も作り甲斐があります」


ノノはキミに紅茶を注ぎ、そしてこの部屋にもう一人いる記録員にもお茶を運んであげる。

あれだけ面倒だと思っていながら、手を抜くのは嫌だし、褒めらたら褒められたでやる気が出るのだから、ノノは実に愛すべき後輩気質である。


「ねぇ、じゃあもう食べていい?」

「ええ。どうぞ、召し上がってください」

「ふふっ、ありがとう。いただきまーす」


そう言うと嬉しそうにキミはパクッと一口食べた。まわりはサクッとして、中はバターの香りがしてジューシーだ。今日は赤い木の実のドライフルーツが練り込まれており、キミはそれをまるで宝石でも見るかのようにニコニコして眺めた。


そんなキミを眺めていたエリサが


「ふふっ、本当に甘いものに目がないのね。キミは。私には、到底理解できないけど……あ、別にノノが焼いたクッキーがどうということではないのだぞ? 私はただ、甘いものはどうもな」


と言った。

それを聞いたキミは、


「ふーん、まぁ、好みなんて人それぞれだものね。でも、私としてはエリサさんが食べない分、私の取り分が増えてとっても嬉しいわ」


と返す。だからエリサは苦笑いするしかなかった。


「ははは、それは言えるわね。しかし…どうせなら、あの手紙やラシェットについても、そのくらい率直な意見を聞かせてもらえると助かるのだがな?」


「もう……その話、何回目? だから、私はずっと言ってるじゃない。手紙の在処なんか知らないし、ラシェットのことについてだって、ただの邪推。私は何にも聞いてないって」


キミはクッキーを片手に言う。

まるで、自宅で取り調べを受けているかのような感じも相俟って、心なしか先ほどよりも口は滑らかなような気がした。


実際、ここ数日のノノのクッキー差し入れ作戦によって、キミはだんだんと話を広げてくれるようになっていた。

まだノノ本人は気がついていないが、彼女の努力もあながち無駄ではないのだと、エリサはわかっていた。それ故にこのお茶の時間に合わせて、質問を集中させるよう意識していた。


「ふふっ、そうね。私もラシェットのことに関しては同感よ。あなたの言う通り、今更ラシェットがこの国の政に関心が向くなんて思えないもの。それがわかるくらいの付き合いはあったつもりよ。それでも、一応あなたにしつこく聞いたのは、上の命令もあったのと…それとあなた達の行動の目的を把握しておきたかったから…」


「ふーん」


キミはエリサの言い方に多少引っ掛かったが、あまり気にしないことにする。

いちいちイライラしては、クッキーがまずくなるからだ。


「ま、エリサさんがそう思うんなら、それでいいんじゃないの? で、私達の行動の目的の方だけど、それだってもう何回も説明してると思うんだけど。この件にはボートバルは全然関係ないわよって。ラシェットと私がしていた旅は、すごく個人的な理由からなんだから。だから私からは話せない。そんなに聞きたいならラシェットから直接許可を取って」


エリサとキミの話し合いは、いつもここに辿り着き、暗礁に乗り上げる。

けど、今日のエリサはもう一歩踏み込もうと思っていた。


「まぁ…私だってラシェットを捕まえられるなら、とっくにやっている。でも、あいつは現在リッツ王子と行動を共にしていて、すぐには捕まえられない。しかも、そこにはドレッド元団長もいるというのが、ほぼ確実ということだ。これが如何に由々しき事態かわかるかしら? そんな状況に実際なっていてもなお…キミ、あなたはただ言葉で否定するだけ? もっとラシェットの身の潔白を証明するような情報を提供する気はないというのね?」


エリサが一気にそう言うとキミは紅茶を啜って、じろりと睨んだ。

その美しい緋色の瞳が一層キラリと光る。


「そうよ。だって、私は嘘はついていないもの。証明なんて勝手にそっちでするといいわ。だから、早く私達をここから降ろして」


キミはきっぱりと言った。


キミが「私達」と言ったのは、もちろんカジとミニスと、それとアンドロイドのマリアのことである。

キミは彼らが今や元の軍隊に引き戻されたというのに、まだ自分と共に行動してくれると信じて疑わなかったのだ。

それが彼らにとって、どんなに困難なことかは知らずに。

けど、カジもミニスもその困難は置いておいて、キミの手助けを是非してあげたいとは、この時既に思っていた。


「この艦から降りたいか……ふふっ、生憎だけど、その返事じゃ無理ね」


「む。どうしてよ?」


キミはぶっきらぼうに聞く。

もうクッキー効果が薄れてきたようだ。

だが、エリサは今日は手を緩めない。


「それは、あなたがいつも決まってその「個人的な旅」と「例の手紙」のことを分けて話そうとするからよ。それも意図的にね。私はラシェットどうこうよりもね、そっちの方を怪しいと思っているの。あなたとラシェットはまだ何か大事なことを隠しているってね。いい? あの手紙はね、我々ボートバル帝国にとってはとても重要なものなの。それが、どういう理由でかはわからないけども、リッツ王子の手からラシェットの手に渡り、そしてそれは敵国であるアストリア王国の手に危うく渡るところだった……ジース・ショットという得体の知れない科学者の元にね。これは紛れも無い事実よ?」


エリサは言う。その話の筋を聞いて、キミは


「でも、それは私が止めたわ。むしろ、感謝して欲しいくらいよ」


と全然悪びれずに言う。

本当にそう思っていたからだ。しかし、それに対してエリサは


「ふざけないで!」


と声を荒げる。


「だったら、そうなった経緯、理由、状況を全て教えなさい。そして、肝心のその手紙の隠し場所もね。あなたがそれを知っているということは、既にカジ・ムラサメからも証言が取れているのよ?」


エリサは机から身を乗り出す勢いで迫った。それに今度はキミが顔をしかめる。


「……大きな声を出さないで。びっくりするじゃない……ねぇ、本当に、そんなことを話しても仕方ないのよ。エリサさんがどう思ってるのかは知れないけど、この世界には「純粋な偶然」とか、「偶然のような必然」とか、そういうのがたくさんあるの。信じてくれないかもしれないけど…私とラシェットのことだってそうだわ。私達が関わったのもそういう偶然の一種なの。そして…これは最近だんだんわかって来たんだけど、その接点が私たちにとってはあの手紙だった。それだけのことなのよ」


キミはエリサを諭すように言った。

しかし、エリサはもちろん、傍から聞いていたノノにもキミの言っている意味がよくわからない。


「…ふーっ、つまり? どういうことなんだ?」


エリサが足を組んで聞くと、キミは


「つまり…あの手紙はもうその役割を終えたのよ。だから、またその役割が見つかるまで私達の前には現れないってこと」


と、またクッキーを齧りながら言った。

さらに、続けて


「出てくるまで待つしか無いのよ」


とも。

それを聞き、エリサはため息をついた。


「私にはわからないわね。待つもなにも、キミ。あなたはその隠し場所を知っているんでしょう? そこに行けば手紙はあるはずじゃないの」


「…それが、そうでもないのよね…」


そう言うキミに、ノノは堪らず横から


「隠し場所……忘れちゃったんですか?」


と聞く。けれど、それにもキミは首を横に振った。


「ううん。忘れてなんかいないわ」

「じゃあ……本当は失くしちゃったとか?」

「失くしてもいないわ」


キミは平然とそう言う。

しかし、その後ちょっと自分で考え、そして自らに言い聞かせるように


「…あそこに入れたものの行き先は私にもわからないのよ。でも…あそこに入れたものは必ずいつか、歴史の表舞台に現れる……それこそ、またその役割が与えられたらね。そういうものなのよ…」


と呟いた。


「行き先? わからない? そういうもの…?」


どういうことだ? とエリサが思っていると、


ガチャッ


と、また取調室の扉が開いた。


見ると、そこにはケニーが立っていた。

どうやらノノを呼びに来たらしい。


「はぁ…もう、なんなのよ、あのお喋り男は…根掘り葉掘り聞いて来やがって……」


ケニーは入って来るなりそう言った。お喋り男とはカジのことだ。

確かに彼には少し、馴れ馴れしいところがある。


けど今、この艦には噂のダウェン王子も乗っているのだから、カジでなくてもケニーに色々と聞きたくなるのは正直なところだろうと思われた。

まぁ、それでもそこまで堂々と突っ込む勇気のある…というか無神経な男もなかなかいないとも思うが……。


「お、お疲れ様です。ケニー軍曹」

「うん…ノノ…ごめんけど交代……私はもうあいつを殴りたい気持ちを抑えるのに疲れ果てたわ……」


そういうとケニーは手近な椅子を引き寄せて座った。

まるで、ここが休憩室のようだ。

まぁ、ここにエリサがいる限り誰も近づかないから、穴場の休憩室ではあるのだが。


それで張り詰めていたこの室内の空気も、また弛緩してしまった。

エリサはそれを感じ取り

「まぁ、いい。この続きはまた明日だな」

と思う。


「了解しました! では、私はこれで!」


ノノはケニーとエリサ、両名に向かい敬礼する。

そのきちっとした敬礼にエリサは微笑み、


「ああ、ありがとう。ティーセットはこちらで片付けておく」


と言った。


「そんなことは……いえ、すいません。ご好意感謝致します!」


ノノの返事にエリサが満足気に頷くと、彼女は「それでは、失礼いたします」といって部屋から出て言った。そして、エリサはこれで今日の取り調べは終わりだからと、記録員の兵士も帰す。これで、この部屋にはキミとケニーとエリサがいるのみとなった。


「ふふふ、そんなに疲れるか? あの男の看病は。それとも、やはりつまらないか?」


ケニーのつまらなそうな様子にエリサが聞くと、ケニーは


「つまらないと言うか…本当に只々、疲れるんです…」


と今度はさすがにエリサが相手だから控えめに言った。


「そうか。それはすまないわね。でも、それも取り調べと情報収集の一環だ。もうしばらく辛抱してくれ」


「もちろん…そうさせていただきます」


そんな二人の会話を聞きつつ、キミは


「そんなことをしても、カジさんなんて殆ど何も知らないじゃない」


と思う。が、それはカジやミニスの身の安全のために敢えて黙っていた。


というのも、今はまだマクベスをキミが操っているから、穏便に済んでいるが、これが一度バレそうになったのである。


それは、その時一緒にこの艦に捕まっていたトカゲがバラしたのだった。


「マクベス大佐の様子が急に可笑しくなったのは、あのキミという娘の目の力によって操られているのが原因なのです」


と実にストレートに。

あの時ばかりは、キミもかなりひやりとした。

しかし、結果から言えば、誰もそんなことは信じなかったのである。


トカゲがその後すぐに艦から降ろされていたことも良かった。キミがうまくマクベスを喋らせて、誤魔化せたのはトカゲがその場にいなかったのが大きい。

それと、それ以上目の力を行使しなかったのもよかった。

あれで慌てて目の力を使っていれば、自らその力の存在を教えることにもなりかねなかった。


そんな運の良さ故に、今の綱渡りな安全は確保されていたのである。

しかし、あれ以来マクベスを大袈裟に操る事はできなくなったし、目の力を追加で使えなくもなった。

それもこれも全てトカゲのせいだ。

しかも、情報を売ることで当の本人はまんまと釈放されたのだから、余計に腹立たしい。


キミはエリサの目を見る。

本当ならここでエリサを味方にできるのだが、あまり目を見つめ過ぎると、疑惑が再浮上するかもしれないから、いつも適当なところでさりげなく目を逸らした。

けど、こんな状態がいつまでも続くのならば、いつかは使わなければ……


「そうか…なかなか食えない男かもしれないわね……あ、そろそろあなたも部屋に戻っていいわよ、キミ。また明日、迎えに行くわ」


キミが考えていると、エリサが言った。

それにキミは、


「わかったわ。もう話すことなんてないけどね」


と応え、席を立つ。


「でも、クッキーはあるかもしれないわ」

「あ、そうね。そのためだけになら、来てもいいかしらね?」


二人は言う。

そんな二人の様子をケニーが

「こっちもかなりしんどそうね……」

と見ていると、ふいに


ウィーン、ウィーン、ウィーン


とけたたましい警戒音が鳴り始めた。


「な、何?」


三人は周りを見渡す。


すると次の瞬間、艦内の照明がバッと暗く落とされ、代わりに赤い警戒ランプがクルクルと回り出した。

艦内全域に自動的に発令される緊急警報である。そして、赤色の場合は確か…


「急浮上警告!? 今度はいったい何事!?」


あまりに突然のことに三人は慌てる。


そして、エリサはいつぞやのことを思い出し、キミをキッと睨んだ。

しかし、今度ばかりはキミも何も知らないから

「わ、私じゃないわよ! 違うに決まってるじゃない!」

と全力で否定する。


そして、三人は再び動きを止め、一秒、二秒と時が流れた。

まだ事態を把握した兵士が知らせに来る様子もない。


これは異常だ。


そう判断したエリサとケニーはキミを残し、勢いよく扉から飛び出ていった。


「あ、ちょ、ちょっと!?」


それをキミは慌てて追いかける。が、キミが扉を出た時にはもう二人は遥か遠くまで駆けていってしまっていた。


「もう…どうするのよ…これ」


キミは左右を見渡し、殆ど道を知らない艦内の広さに途方に暮れる。

しかし、すぐに持ち前の前向きさで


「…ううん。とにかく、今は何があってもいいようにカジさんとミニスさんと合流すべきだわ…二人の部屋に行かなきゃ」


と思い直し、歩き出した。

これはもしかしたら、脱出するチャンスかもしれないと、そうも考えて。


しかしこの時、既に事態は『ノア号』にとって、あまり良くない方向へと転がり始めていたのだった……。


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