旅への準備 ガレージにて
僕は自宅ボロアパートのガレージの鍵を開け、中に今日一日で買い込んだ荷物を運び入れた。こんなに思う存分金を使ったのは、久しぶりのことだった。
前の仕事の報酬も合わせると、僕には自由に使える金が70万ペンスほどある計算だったが、そんな大金に慣れていないため、とりあえず手元に10万ペンスを残し、あとは全て銀行に預けてしまった。
僕はその10万ペンスで装備を整えようと、気合いを入れ、あれこれ買って回ったのだが、結局5万ペンス程しか使わず半分余ってしまった。思う存分買ってこれである。どうやら、僕は10万ペンスすら持て余してしまうらしかった。
「普段は金の心配ばっかりしてたのになぁ…」
と僕はひとり、ガレージの中でつぶやいた。いざ、大金を持ってみても僕には使い道がないことがわかってしまったのだ。
僕はいつもより良い装甲板を仕入れようとも、良い弾丸やオイルを入れようとも思わなかった。
高級な食事をとろうとも思わかった。せいぜい、デザートにプリンでも付けてやるかと考えたのが関の山だった。
そう考えてみると、どうやらお金を使うのにも練習というものが必要なようだった。
もっと普段から、高級スーパーに入り浸たり、百貨店のパンフレットをまめにチェックして、最新型飛行機の試乗会にも出掛け、良い土地と株を紹介してくれる知人を持ち、贔屓にしている政治家の演説でも聴きに行っていればよかったのだろうか?
そう考えたが、考えるだけ無駄だった。どれもこれも僕には興味のないことだったのだ。僕は僕の身の丈に合ったことだけをやれていれば、それで満足なのかもしれなかった。
でも、僕は明日から自分の身の丈に合っていないであろう旅には出なければならなかった。
そこまで考えて
「よしっ」
と、 僕はネガティヴな考えを振り払うため、気合いを入れた。こんな所で弱気になってはいけない。
なぜなら、この旅は他の誰でもない、サマルを見つけ出すための旅なのだから。
僕は愛機にかぶせていたシートを取り払った。
帝国製 旧代飛行機 Ah-442《クラフト》、名前は「レッドベル」だ。その名の通り、暗めの赤に塗装されている。これは僕の故郷の郵便屋が、伝統的に赤色を使っているため、この色にした。暗めの赤にしたのは、少しでも目立たなくするためなのだが、まぁ気休め程度にしかなっていない。そして、鈴は故郷では幸運のお守りとされているのでこの名前にしたのだ。
僕は早速、後部の狭いトランクに荷物を詰めにかかる。と言っても飛行機は軽さが命だ。必要最低限のものしか入れられない。
このトランクは純粋な戦闘機であるクラフトには本来付いていないもので、僕が郵便業を始める際、長距離長時間のフライトにも耐えられるよう、知り合いのメカニックに作ってもらったものだ。だから、こんなイカツイ機体に好きで乗っている郵便飛行機乗りなど滅多にいない。僕がこのクラフトを選んだのは、たぶん元軍人の性だろう。
僕は買って来たものを順番に詰めていった。
まず、非常用の食料と水。食事は基本、現地調達だ。どうせ途中で何回か燃料も補給しなければならない。
予備の装甲板と弾丸。これは今回の依頼の性質上持っていくことにした。いつもなら必要ないものだ。
寝袋、固形燃料、ランプ、ナイフ、カムフラージュシート。これは夜営で使うものだ。街まで辿りつけないまま夜になることもよくある。時には飛び続ける場合もあるが、まぁだいたい降りて寝る。火がないと、動物に襲われる危険性があるから注意が必要だが、人間が誰ひとりいない圧倒的な自然の中で過ごす一夜は、とても哀しく、美しい気持ちにさせられるものがある。
着替え、タオル。これも少しだ。贅沢は言っていられない。今回は極寒の地を通るわけでもないから、分厚いコートもいらない。しかし、もう慣れてはいるが空の上はとても寒いので、いつも厚手の操縦服は着ていく。
他に操縦席に、コンパス、ゴーグル、帽子、手袋、そして文庫本も入れた。文庫本は気分転換にとても良いからいつも持っていく。冒険記や詩の類いでいつもチョイスしている。今回は『冒険家バルスが語る』を持っていくことにした。
そして最後に僕は、操縦桿横の足元に今回新たに仕入れた対装甲用ショットガンをセットした。
レッドベルには、翼部に2つ機関銃が付いているのだが、それは旧式の軽いものに変えてあるためそこまでの威力はない。だから、一応念のために持っていくことにしたのだ。用心に越したことはない。
「さてと」
次に僕は地図を使って飛行路を確認することにした。と、言ってもアストリアにはもう10回ほど仕事で行ったことがあるので、これも念のためだ。天候によってもコースを変えなければならないので、大体なのだが指で地図上をなぞっていく。
「まずはボートライル大陸を南下する。故郷ライル村の横を通り、次に海を縦断、グランダン大陸に入ったら、海沿いをひたすら東進、その後また海に出るから、ひたすら東進、横断する。この海は広いからその直前に補給が必須。横断するとアストリア大陸に着くから、それを北上してアストリア王国に入るっと」
いつもの飛行路だ。補給場所もわかっている。あとは山の位置と雲に気をつければいい。
確認が終わると、僕は工具を持ち、レッドベルの整備に取り掛かった。前の仕事が終わったばかりだったので、あまり整備できていなかったのだ。
「悪いな、相棒。帰ってきたばっかりだけど、またよろしく頼むよ」
と言って僕は装甲板を叩き、まずはエンジンのチェックから始めることにした。
全ての準備を終えたのは、午後6時だった。
幸い、機体には目立つ不調はなかった。
今日は早めに寝ることにした。そして、なんとなくだがガレージで寝ることにした。
僕は寝っころがりながら、地図を眺めた。
僕が使っているのは『バルス版世界地図』と言われるものだ。バルスとは惜しくも15年程前に亡くなった伝説の冒険家の名前だ。ここにはバルスが実際に旅をした記録を元に書かれた大陸の他にも、彼が各地で集めた伝承や言い伝えを元に「ここにあるであろう」と思われる島や大陸まで描かれているという、なんとも興味深い地図だ。
僕がこの地図を愛用しているのを、他の郵便屋仲間はよくバカにした。確かに今となってはもっと正確に測量された地図が腐るほど出ている。しかし、この地図だって実用に耐えないほどのズレはないのだし、なによりも僕はこの地図の情報量の多さを気に入っていた。
「しかし…ここにも載っていない島というわけか」
僕はサマルの手紙のヒント1を思い出して言った。サマルは僕は絶対に知らない島だと言った。なら、今や時代遅れの産物だとしても、有名なこのバルス版世界地図に載っている島ではないはずだ。そんなのどうやって探せというのだ。少なくとも、闇雲に飛んでも見つかりっこない。
「古代アストリア語だって、読めないぞ…」
僕はヒント2を思い出してつぶやいた。サマルの研究にも付いて回る古代アストリア文明だ、避けては通れないが、あまりに僕の専門外だ。
今から勉強して身につけられる自信はあるが、どう考えても1年はかかりそうだ。とてもそんな悠長なことはしていられない。
と、するとやっぱりサマルの研究仲間と接触しなければならない。しかし、サマルも捕まったんだ、みんな捕まえられているかもしれない。とにかくアストリアに入ったら、まずは情報収集だ。それに、リーが何か良い知らせを持ってきてくれるかもしれない。
「で、最後に渡り鳥か…」
調べたところ、ノイスマウカノ鳥という鳥は確かに実在した。どうやら、メルカノン大陸北西部にある湿原に11月頃やってきて、3月頃に何処かへ帰っていく白い大型の渡り鳥のようだ。写真はなく、銅版画が載っていたが、なかなか綺麗な鳥だった。
サマルの言葉から推理すると、この鳥の住処がサマルのいる島の近くにあるということか…
しかし、今は時期が悪い。まだ11月までだいぶある。でも、もし仮に今が2月だったとしても、僕はそのメルカノンの湿原に行ってどうすればいいんだ?鳥に気づかれない場所にテントを張り、そこから毎日、渡り鳥が旅立つまで双眼鏡で観察し続けろというのか?そして、旅立ったらすかさず飛行機で追いかけろとでも言うのか?
…バカバカしい。
僕はそんなにナチュラリストではない。きっとサマルも僕のそんな姿を見たら爆笑するだろう。
そこまで、考えて僕の思考は途切れてしまった。
やっぱりまずはKと接触するしかないのか。
僕はあの忌々しいトカゲの笑い声が聞こえた気がした。
くそっ、今に見てろよ。
僕はそう思い寝袋に潜った。
夜明けまではまだまだ遠かった。
しかし、起きたら、そこから僕の冒険は始まるのだろう。
僕は冒険家の大先輩であるバルスや、旅の先で待っているであろうサマルや、旅の終わりで迎えてくれるであろうジンや、リーや、リンダのことを思いながら目を閉じ、
そして眠った。