記憶への旅 ー通信
「ドンパチって、いったいどういうことですか!? ま、まさか、本当にボートバルとアストリアは戦争を始めてしまったとでもいうんですか!?」
気が付くと、僕はその青い髪の女……僕の知識が遥か昔の科学者、ノア博士だと教える女に、にじり寄って聞いていた。
僕が想定していた中でも、最悪の事態が起こってしまったと思ったからだ。
ボートバルとアストリアがもし、戦争になったのだとしたら、まず戦場になるのは、その中間の位置にあるグランダンだ。そうなってしまったら、アリの東西和平の願いも虚しく、グランダンの西と東を分けた内戦は益々混乱に陥ってしまうだろう。
あの砂漠でまた、キミみたいな子が出てしまう戦いが起きているかもしれない……。
そんなこと、僕には到底容認できそうにはなかった。
ましてやそれが、僕のかつて所属していた軍隊、未だに多くの友人達が所属している軍隊が起こそうとしているのだから……止められるのなら、止めたい。
僕は、頭がカッと熱くなった。
「いや、だからね、少し落ち着きなさい、ラシェットくん? いいかい? 私はまだ具体的には何も言っていないだろう?」
すると、ノアはそんな僕を手で制し、呆れた様子で言った。
「うっ…」
それはそうだった。
僕は気まずく思ったので、一度深呼吸をしてみる。
すると、それで少しだけ冷静さを取り戻すことができた。懸命に修行をしていたとはいえ、しばらくのんびりとした空気を吸っていたから、現実で起きていることとの情報の落差に、ついびっくりしてしまったらしい。
しかし、かといって彼女は確かに「ドンパチ」と言ったのだ。
やはり、響きとしてはあまり穏やかではない。
「じゃあ、具体的にはどうなっているっていうんです?」
僕は聞く。
とても初対面の女性に対する態度ではないなと、自分でも思ったが、どういうわけか自然とこんな態度になってしまった。それは、気持ちが焦っているというのもあったが、それ以上に、この僕の頭の中に湧いて出てきた知識が、ノアのことを「自分と対等な関係の人間だ」と位置づけているからかもしれない。
けど、この感覚についての考察は一旦置いておくことにする。
「うーん、そうねぇ……」
僕の問いにノアは頬に指を置き、考えている。
可愛らしいが、なかなか変な仕草だった。そして、やがて
「ま、具体的に言うと、ボートバルとアストリア、それにグランダンは今のところ、互いに決め手を欠いた均衡状態ってことよ。トルスト海上に部隊を展開させて、そこで三国で睨み合ったまま。確かに、いつ戦端が開かれてもおかしくはないけれど、今のところ、先に動いた方が、むしろ損をしそうってところね……だから、私がドンパチが起こりそうと言ったのはそこじゃなくて、別の場所のこと」
と話し始めた。
「別の場所? そのトルスト海上でも、ラース近郊でもなく?」
僕はそれも変な話だと思った。その状況で、他にどこで戦端が開かれ得るというのか?
「ええ。というか、まさに今あなたがいる場所なんだけどね……とある人物が、アストリア城を強襲しようっていうの」
「はぁ!? グ、グランダンを飛び越えて、一気にアストリアの本拠地を!?」
僕は驚きのあまり、大きな声を出してしまった。
その反応にノアはまたしても、呆れ顔をする。
でも、僕が驚いたのも故なきことではないのだ。
だって、いくらなんでもそれは作戦として無茶だ。それに……
「バカなっ、そ、そんな長距離を何で移動して、そしてどうやって襲おうというんですか?」
そこがネックだった。
確かに、今の僕の知識を持ってすれば、そういった用途の兵器も拵えられないでもない。でもないが…に、してもそんなものを一から作ろうとしたら時間が掛かり過ぎる。だから、そんな手段は現代にあるはずがない。
「いや……私としては色々と見当はつくが……私達はダウェンという男の部隊に所属しているから詳しくは知らないのだ。すまないな。しかし、どうやら、ボートバル帝国内の事情というのも色々とあって、戦争以上に複雑化してきているらしい。これは確かな情報みたいなのだがな……リッツ・ボートバルとかいうボートバルのいけ好かない王子が、どうやら帝国を離反したらしいんだ」
「り、離反!? 王子が!?」
僕はまたまた驚かされてしまった。
リッツが離反だって?
その情報が確かなら、王族である彼が自分の国を捨てたっていうことか?
「そうだ。それで今、お前のいる城に向かっているらしいぞ。今なら敵の大将とその部下は、私達のいるダウェンの部隊に引き付けられているからなぁ…大方、その隙を突くつもりなのだろう」
「大将って……ショットのことですか?」
「んん? ああ……確かそんな名前だったわね。キミも言っていた」
僕はそこまでの話を、頭の中で整理しようと思うが、うまくいかなかった。
いったい、何がどうなっているんだ?
リッツが離反したというのが本当ならば、じゃあ彼は今、誰と共に行動しているというのか? リッツを次期王として担ぐ派閥など、僕の知る範囲ではなかったはず……
でも、一方でリッツがここを目指す理由だけはわかりきっている。
それはヤン達の救出だ。
もしかしたら、リッツはここまでの事態を見越して、ショットが城からいなくなるタイミングを、一年以上待っていたという可能性だってある。
しかし、まだよくわからない。
なら、特に離反などしなくてもよかったのではないか? 離反などしたら、せっかくの帝国の後ろ盾が失くなり、救出をするにも戦力が足りなくなってしまうし、手段もなくなってしまうのでは……。
「リッツ王子が離反した…その理由を他に何か聞いていませんか? どんな小さいことでもいいですので…」
「うむ…事が事だから、これについてはすぐに緘口令がしかれてねぇ……しかし、私がダウェンとその部下の会話を盗み聞いた限りでは、彼は別にボートバルを裏切ってアストリアにつく、なんて気はないみたいよ。だから、単独での強襲だろうと私達は判断したの。私はキミから色々と事情を聞いていたしね」
「……そうですか…」
それ以上の情報はないようだった。
でも、僕も改めてそう思った。リッツの目的…それはやはり、ヤン達以外にはあり得ないと。
しかし、だとしたら、ここで離反をしたのにも、やっぱり何かそれに繋がる理由あるに違いない。
それが何なのかは、今はまだわからないけれど、そのリッツの行動からは、
「僕は僕の好きにさせてもらう」
という、彼の強い意思の力が垣間見える気がした。
「はぁ……」
やれやれ……思えば、僕はあのトカゲと会って以来、ずっとリッツの思惑通りに動かされているのかもしれないな。
しかし、確かサマルの奴は、それについては何も言っていなかったじゃないか? では、リッツは少なくともサマルの指示で僕を動かしていたのではないということになるな……これについては、僕の勘が外れたと?
「ま、とにかく。リッツとかいう王子が、何かしらの方法で、そっちに向かっているのは確かみたいよ。だから、今こちらではあんたの話で持ち切りなの。あんたがアストリアの城にいるっていう情報はボートバル軍も掴んでいたからね。あんたとリッツが実は裏で組んで、何かを企んでいたのではないかと、皆疑っているってわけ」
「えっ…?」
僕が考え事をしていると、ふとノアがまたとんでもない事を言い出した。
なんと、そんな説まで飛び交っているらしい。それを聞いただけでも、ボートバルの混乱具合が手に取るようにわかった。そんなの……見当してみるだけバカバカしい説じゃないか……。
「僕とリッツ王子が……まさか、そんな話になっているなんて…」
僕はがっくりと肩を落とした。
僕はもう国の大事とは関係のない人間なのに。それにリッツも僕と同じく「ごく個人的な理由」で動いているに決まっている。リッツはきっと、サマルとヤン達だけのために動いているのだ。
「私とキミも、それは違うと何回も言っているんだがなぁ。こっちの大将は聞く耳を持とうしない。本気でそう思っているらしいのよ」
「は、はぁ……」
なるほど。ダウェンという人は僕が思っている以上に頭が固いらしい。
きっと、全ての事象を国家単位で、大げさに考えてしまう癖がついているのだろう。世襲王族教育の賜物のような人のようだ。
「わかりました…じゃあ、僕も違うと言っていたと伝えておいてください。手を組むどころか、リッツ王子とはろくに話もしたことがないと」
「ええ。一応、伝えておくわ。ま、それで彼が信じてくれるかは保証できないけどね。それにきっと、彼はこれを良い機会と捉えて、リッツ王子をアストリアもろとも消してしまう腹なのかもしれないわ」
「消すって…そんな、仮にも兄弟同士で……?」
「ええ、昔からよくあるだろう? 王族の兄弟なんて、どこもそんなものよ」
ノアは特に感慨も込めずにそう言った。
僕はそれを聞いて、それもそうなのかもしれないな、と思った。でも……
「うーん……なんだかなぁ……」
僕は腕組みをし、考える。すると、どっと疲れてしまったのか、自然と石版に寄りかかっていた。
それを見たノアも僕に習い、隣に寄りかかる。
「うむ。こちらの世界でなら私も物に触ることができるからいいな。なかなかに、懐かしい感触だ……」
ノアはそう言って石版を撫でる。
僕はその細い手をなんとなく眺めながら、まだ考え事をしていた。
それは、僕の今後の身の振り方と、リッツ王子の無茶な行動についてだ。
たとえリッツに戦争をするなんて意図がなくても、アストリア城に直接攻撃を加えようとしただけで、即時開戦するのは明白だ。
もし、彼が僕の思っている通り、僕を計画的に動かしていたのだとしたら、それをわからない男でもないだろう。
「しかし……だとしても、ボートバルがあのショットのいるアストリアに勝てるとは思えません」
僕が言うと、ノアはちらりと目だけを動かして、こちらを見、
「それはアストリアが多少なりとも古代兵器の技術に、心得があるからか?」
と聞いてきた。僕はそれに、はいと頷く。
「そうです…僕も何例か見ましたが、あれはきっとまだ、ほんの一部に過ぎないでしょう。裏では、もっと様々な実験と開発をしているはずです」
僕はそうきっぱりと言った。
そうだ。あのサマルがいたのだ。
今の僕と同等か、それ以上の知識を持っていたのだとしたら、もっと色々と作らされたに決まっている。だとしたら……。
「ふーん……なんか、妙に確信深そうね?」
ノアは僕にじとーっとした視線を浴びせてきたが、僕はそれを無視した。
すると、ノアはすぐに追求を諦めてくれ
「ま、いいわ。どうせ、それだって私にとってはたかが知れてるもの。なにせ、こちら帝国側には私の艦があるんだから」
と得意気に言った。
「私の艦?」
僕はその言葉を繰り返す。
そういえば……最近、そんな話をどこかで聞いたことがある気がした。
「ええそうよ。私の最高傑作」
「あっ……!」
そうか。サマルが言っていたじゃないか。ボートバルに発掘させたって……そして、それがノア博士の開発した……
「潜水艦ノア号……」
僕がそう、湧き出す知識が教えた言葉を言うと、ノアはふふっと笑った。
「そうだ。今、ダウェン達が乗っている、あの私の艦が健在のうちは、ボートバルの負けはないわ。アストリアには深海への有効な攻撃手段はないようだからね」
「そうか……ん? でも、確か…ノア号にも、巨大な破壊兵器など…」
「ふふっ、ラシェットくん。あんた、さっきからよく知っているわねぇ。そうよ。こちらにもあまり強い攻撃手段はない。もともと、長期居住と遺伝子データの保存が目的で建造された艦だからね。迎撃用のミサイルくらいしか積んでないってわけ」
「なるほど……だから、ノアさんは先ほど「均衡状態」だと言ったのですね?」
僕がそう言うと、ノアはため息をつき
「そうよ。やっと、ここまでわかってくれたみたいね」
と、ちょっとホッとした感じになった。
たぶん、今まで相当張り詰めた操船と、情報処理をこなしていたのだろう。
彼女はこの時代の諍いには関係ない存在だというのに。
そう考えると、僕は彼女が急に気の毒になり、
「ははは、お疲れ様です」
と言って微笑んだ。すると、ノアも笑ってくれ、
「ほんと。まったくその通りだ……」
と言って、石版に腕を載せたまま頬杖を付いた。
僕達はそうやって、少しの間ぼーっと石の扉を眺めて過ごした。
「こっちに来ていて、大丈夫なんですか? その……操船とか…」
「んん? ええ、大丈夫よ。私達ログは特別でね、こちらと現実とを跨いで意識を持つことができるの。だから、今もちゃんと操船はしてるから、心配しないで」
「へぇー……そうなんですね。そんな知識は僕の中にもなかったなぁ……」
「ふふふっ、あんたは本当に得体が知れないなぁ。おおよそ、キミから聞いた通りの男だが……どうやら、それだけでもないらしい……」
ノアはそう言ったが、僕はそれを苦笑いで受け流して、話題を次の話へと変える。
「ところで、今ノアさんの船には、キミとダウェンの他に誰が乗っているんです?」
「ん? ああ、そのことか。まぁ、それはこの時代にはIDというものがないからな…全員は把握していないが…主要な人物を挙げるとすれば、まずマクベス・オッドという大佐だろう。それとエリサ・ランスロット大尉という女と、ケニー・クリス軍曹という女…」
「なっ…!エリサだって…!?」
僕は一番出くわしたくない名前にぶつかって、思わず背筋を伸ばした。
疲れすら一気に吹っ飛んでしまう。
他の二人、僕の苦手なマクベス中佐(当時。今は大佐だが)と、あのラースにいるはずの第1空団の新入り、ケニーの存在も十分過ぎる程に気にはなるのだが、僕にとってはエリサの名前は戦場で最も耳にしたくない名前だった。
なぜなら……戦場なんかでエリサに会ったら、いったい何をされるかわからないからだ。
彼女は全身武器庫。銃、剣、体術、なんでも達人の域だ。
そして、ひとたび戦場に立ったり、任務に出れば、まるで人が変わったように冷たくなる。しかも、その傾向は僕が軍を去った後、益々激しくなったと聞く……。
「いや……僕の場合は、きっと普通に戦場でもなんでもない街中で会ったとしても、殺されかねないな……」
「ん? どうした? 何か言ったか?」
「い、いえっ。別に…なんでもないです」
僕が思わず、そう漏らしたのをノアに拾われたが、僕はすぐに誤魔化した。
とにかく、僕は自分の存在を、エリサにだけは知られないようにしようと心に決めた。まぁ、その艦にキミとケニーがいる時点で、もう色々と知られているかもしれないが。
「ほ、他には誰が?」
「他は、階級の低い海兵と陸兵がたんまりさ。あと、キミの仲間のミニス・マーガレットとカジ・ムラサメ。それに、旧アンドロイドのマリア。まぁ、そんなところかな」
「アンドロイド?」
僕は最初疑問に思ったが、すぐにそれがあの時ナーウッドから聞いた、例のアンドロイドだと思い至った。そうか、まだ一緒に行動しているのだなと。
でも一応、
「そのアンドロイドは、キミ達の味方なのですか?」
と、詳しそうなノアに確認してみる。
「ええ。もちろんよ。マスター登録はキミになっているし、今も私の操船をアシストしてくれているわ。なんなら、彼女もここに呼ぶ?」
「あ、い、いいえ。いいんです。味方だとわかれば、それで」
僕はノアの提案を押し留めて言った。
僕はあちらにエリサがいると聞いて、これ以上何か怪しまれるようなことはしたくなくなっていた。消極的だとはわかっているが、こればっかりは仕方がない。恐いものは恐いのだ。
「で、次にそのミニスとカジって人達は…?」
「なんだ、ラシェットくん、知らないのか? いつもダークスーツを着てる二人組で……あ、そういえば、あんたの友人のリー・サンダースとかいう男の部下だと言っていたぞ」
「リーの部下……?」
僕はそれを聞いて思い出していた。
そういえば、確かリーにもらった手紙の中に、アストリアに部下を送ると書いてあったなと。
どうやら、それが、その二人らしい。
僕はそう合点すると、それでやっとホッとすることができた。うん。リーの部下なら安心だ。それは、僕が会ったもう一人のリーの部下、ダン・サーストンを見ればわかった。きっと、リーの部下なら、皆しっかりしているだろうと。
今までだって、ずっとキミを助けてくれたのだ。そうに違いない。
これは、全てが無事に終わったら何か礼をしなければな、と僕は思った。
「わかりました。それで、今のところキミ達は無事なんですね?」
「ええ。あの子は強いからね。それに、私とマリアもいる。ひどいことはさせないわ。けど……どちらかと言ったら、ボートバルの連中はキミの本当の重要性に気がついていないって感じね。つまり、扱いがよくわからないから、ほとんど放っておいてるってこと。キミに聞くのも、何かの手紙の在り処だけだし。ま、運がいいと言ったら、そうなんだけど……」
「手紙の在り処?」
僕はその言葉を聞いて思った。そうか、まだあの手紙はダウェンにとって、重要なものなのだなと。
トカゲだってまだ探していた。
だとしたら、これはキミ達にとって取引の材料になるかもしれない。
その潜水艦から脱出するための材料に……
「キミ達はまだ、手紙の所在を掴んでいないんですよね? だったら、僕の情報が役に立つかもしれない……」
「ん? それはどういうことだ?」
僕は手紙を発見した経緯と、その山小屋の在り処をノアに教えた。そして、それをキミ達に伝え、然るべき時に活用して欲しいと。その僕の考えに、ノアも賛同してくれた。
「ええ、わかったわ。確かに伝えよう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
僕はノアに頭を下げた。すると、ノアは手を振って、
「そんな、礼なんていい。むしろ、私が付いていながら、まだ脱出できていないのが口惜しいくらいだ。しかも、一度あった脱出のチャンスを逃しているから、余計にね。あの時、トカゲってやつに邪魔をされなければ、話は早かったのよ……」
と言う。僕はもう一人、聞き覚えのある男が出てきたことに、ちょっとうんざりした。
「トカゲ? あいつまで、その船にいたんですか?」
僕がそう聞くと、ノアは髪を掻き上げ、
「そうよ。でも、もう降りたけどね。一度ボートライル大陸に寄ったことがあって、その時に。ああ、もうっ。あの時、あいつさえいなければ、キミ達も船を降りられたのに…」
と悔しそうに言った。
何があったかは知らないが、どうやらトカゲに一杯食わされたらしい。相変わらずというか、なんというか、僕は人を不快な気持ちにさせる才能をトカゲから、ヒシヒシと感じずにはいられなかった。
「で、船を降りて、それからトカゲは何処に?」
「さぁ……そこまでは知らないわ」
ノアはそう言うが、僕はきっとリッツの所に行ったのだろうと、なんとなくわかった。それは、現に今リッツが動き出しているからだ。
リッツの影にトカゲがいるように、トカゲの影にはリッツがいる。そんな気がした。
「なるほど……これで益々、今の状況がわかってきました。で、もう一つの国……グランダンのアリ大統領の動向ですが…」
「うむ。それがな、グランダンの方もじっと耐えて動かぬ構えだ。それ以上のことは、こちらの陣営では掴めていない。というのも、どうやらダウェンが買収して情報源としていた、グランダンの幹部の奴らが、一斉に捕まってしまったらしくてな。それで、情報が一切来なくなってしまったのよ」
僕はその話を聞いて、アリと接見した時のことを思い浮かべていた。
アリはその時から、あの取り巻きの幹部達を、自分の部屋には寄せ付けず、遠ざけていた。
きっと、アリはその時からずっと、幹部達を疑っていたのだろう。まったく……やはりあの人は、かなりの大物だ。
「わかりました。それはそれで仕方ありません。あとは僕の方で情報を取ります。ありがとうございました」
僕はそう言うと、ノアに改めて頭を下げ、その場を去ろうとした。
すると、ノアが意外に思ったらしく
「なんだ? もういいのか?」
と言う。
僕はその言葉に立ち止まった。
「ええ。もう十分です。それに、話を聞いているうちに、時間が惜しくなってきちゃいましたから…」
僕が振り向いてそう言うと、それだけでノアはなんとなくわかったらしく、
「ふふっ、そうか。まぁ、あとはあんたの頑張り次第だものな」
と言ってくれた。
僕はその静かなエールがじんわりと、胸に染みて嬉しかった。
「ラシェットくん、あんたはなかなか面白そうな素材だよ。今度是非、私に研究させてくれ」
「ははは、それはちょっと遠慮したいですが……まぁ、キミを守ってくださったお礼に、少しくらいなら協力してもいいですよ?」
「ふふっ、よし、約束だぞ? それで、最後に何かキミに伝言はあるか? よかったら伝えておくが?」
僕はそう言われて、なんと言おうか迷った。でも、全然適切な言葉なんて見当たらなかったので、
「元気なようで安心したとお伝えください。そして、必ずまた迎えに行くと…」
と言った。それにノアは
「わかった。伝えよう。まぁ、しかし、キミは別にそんな普通の言葉、聞きたくはないと思うがな」
と、なかなか辛辣なことを言う。でも、僕も同感だった。やっぱり、本当に言うべきことなんて、本人と面と向かってじゃないと思い浮かばない。そういうものなのだ。
「はい、じゃあ、また」
「ああ、またな。ラシェットくん」
そう言い合うと、僕は遺跡を出、暗闇に帰って行った。
☆
僕がいつもの修行場所の海岸に戻ると、当たり前のようにバルスが待っていた。
すっかり見慣れた大きな体だ。
僕は、この景色をしっかりと目に焼き付けようと、今初めて、はっきりと意識した。
なんとなく、これが最期だと思ったからだ。
「よう。戻ったな」
僕が近づくと、バルスが気づいて言った。
「はい。遅れてすいません」
「いや、いいんだ。まさか、俺もあの可能性は見逃していたからな。ノアの遺跡に行けちまうなんてよ」
僕はそれを聞いて、やっぱりなと思った。バルスは知っていると思ったと……
「ん? なんだ、小僧。俺がお前の行動を知ってて驚いたのか? ずっと言ってるがなぁ、俺はなぁ…」
「ちょっとズルをしてここにいる、ですよね?」
僕がバルスの言葉を先取りして言うと、バルスはちょっと驚いた後、ニヤッと笑った。
「ああ。そういうことだ。じゃあ、今日も始めるか。飛行機を出しな」
そう言われて僕も飛行機を出す。
すると、バルスは僕の横に来て、ゼウストを指差し、
「今日は俺がこっちに乗る。お前さんは、あっちに乗りな」
と言った。
「えっ? い、いいんですか? 本当に。僕がアレクサンダーに乗っても……確か、他には誰も乗せたことがないんじゃあ…」
「いいんだよ。いいから乗りやがれ。今日という今日は、俺は本気なんだ。お前を絶対に、あの嵐の中心まで連れて行ってやるっ!」
そういうと、バルスはとても慣れたような手つきでゼウストを起動し、発進させた。
だから、僕も後を追おうと、アレクサンダーに飛び乗る。
バルスがゼウストを僕の見よう見まねでうまく飛ばしたように、僕もこの機体のことは、バルスをずっと間近で見ていたから知っていた。
しかし、いざやってみるとフットレバーが軽い。そして、その割にスロットルが固い。凄い馬力だ。
僕は計器類を確かめながら、ぐいぐいスロットルを入れ、操縦桿を握る。
そして、ゼウストの時よりもずっと早いタイミングで、機体を離陸させた。翼が風を掴む、感度もとても敏感。ボディの風を切る感覚もずっとシャープだ。
「これなら……もしかしたら……」
僕は今、ひとときだけ現実のことを忘れて、大空を飛ぶ。
そうして、僕は嵐への最後の挑戦へ向かった。




