記憶への旅 ー束の間の修行
翌日。
夜明けまで様々な武器や道具のレクチャーを受けると、僕達は軽く朝食をとった後、早速飛行機に乗り込み特訓を再開した。
朝食をとったのは、完全にただの習慣である。
人間にとってやはり、生活のリズムというのは精神を支える大切な要素なのだ。
たとえ、空腹感がなくとも、万全な精神状態にすることによって、集中力を高める効果はある。
しかし、かといってこの世界においても、ものを覚えるということにかかる手間は同じだった。
その日の特訓でも、僕はまるで飛行機に乗り始めたばかりの新兵のように、嵐に翻弄され、何回も墜落を余儀なくされた。そして、時には進歩をし、また時にはその進歩がただの僕の幻想に過ぎなかったと悟り、そうやって少しずつ、嵐について様々なことを知り、体で覚えていった。
改めて思うが、こんなことは本当に稀有な体験だと思う。
ベテランの飛行機乗りが若者より優れている点というのは、兎にも角にも「ここまで生き延びてきたこと」にあると僕は思っている。
飛行機乗りは落ちたら、ほぼ確実に死ぬ職業だ。だからこそ、長年乗っているということは、それだけ多くの経験を生きて持ち帰ってきたということになる。それは若者には今すぐには手に入るべくもない貴重な財産だ。
そして、若者はしばしば、その貴重な財産を分けてもらうことにより、成長し、同じように生き残っていく。そうして生き残った若者はいつの間にか歳をとり、また次の世代へとその培った経験を渡す……これは、言わば歴史のサイクルのようなもので、飛行機乗りに限った話ではないだろう。多くの世界、多くの業界で行われている、有史以来の人間の知恵だ。
しかし、今、僕は確実にその埒外にいた。
僕は生きることが前提の飛行を今していない。
墜落しても構わない、その中から経験さえ持って帰ってくればよいという、イージーな世界だ。これで劇的な進歩がないという方が嘘になる。
確かに、体は本物ではないし、嵐や飛行機だって仮想世界の作り出したものに過ぎない。けど、それでも僕は本来、冒険をするという手間をかけなければ得ることのできないものを、どんどん、効率よく獲得している感じはしていた。
それでもなお、全く前進出来ていないのは、この嵐がいかにバカげた代物であるかということの証明にしかなっていない。そんなことすら考える程に。
僕は太陽が真上に昇るまでに10回落ち、そこから太陽が沈むまででさらに7回落ちた。
だが、だんだん嵐の中で持ち堪えられるようになってはきている。しかし、お手本を見せてくれるバルスの飛行は僕の飛行なんかより、余程余裕があるように見えた。それは、経験値から考えたら当たり前のことなのだが、負けず嫌いの僕には無性に悔しかった。
だから、夕暮れに差し掛かり、今日のラストワンフライトだと言われた時、僕はそれまでにない試みに打って出た。
それは今まで、ここぞという時に、エンジンの馬力に頼って耐えていたのを止め、逆にエンジンを完全に切ってしまい、風任せに嵐に突入しようという方法だった。
もちろん、今までそんな無茶など、一度もしたことがなかったが、ここなら怖くない。落ちても死なないのなら、やってみる価値はあると思った。
飛行機は機体を軋ませながら、風を掻き分けていく。僕はギュッと操縦桿を握り、
「まだだ……まだだ……」
と、そのタイミングを待った。
そして、いつも判断に迷う、一際風が複雑に流れている場所で
「今だっ…!」
と思いきってエンジンを切り、飛行機を風の奔流へと乗せた。
すると、あっという間に機体は天地を逆にして、風を翼にもろに受けてしまう。
「うわっ……」
僕はなんとかエンジンなしで立て直さそうとするが、無理だった。フットレバーも操縦桿もガチガチに固まり、ピクリとも動かない。やはりエンジンの馬力なしでは、機体を思い通りに操ることはできないのだ。
僕が四苦八苦している間も、飛行機はぐるぐると回転し、安定を取り戻せないまま、急激に嵐の内側へと吸い込まれていく。
僕は焦った。
しかし、不思議なことに機体は、下降気流に飲み込まれたり、外回りの風に弾き出されることもなく、嵐の中に居続けた。
つまり、それまでのパターンで墜落することはなかったのである。
「な、なぜだっ? これほどの風を受けているというのに……機体はむしろ、正しい道を進んでいる……?」
視界が定まらず目視できないが、機体は風に乗り、いつになく嵐の本体に接近していると思われた。が、かといって楽観ばかりもしていられない。こんなにグルグルと翻弄されたままでは、現実の世界だったなら、体の方が先に参ってしまうだろう。ここは体勢を整えなければ……
「エンジンを切り、風に乗るまではよかった。けど……機体の制御がここまで難しいとは……さすがは、ラウル爺さんとっておきの「自由飛行」だ。そう簡単にはうまくいかないってことか…?」
僕はそう思いつつも、手と足と頭を使い、精一杯足掻いた。が、やはり全然ダメだった。
結局、機体は安定してを取り戻せず、回転したまま嵐に突っ込んでしまった。
そこからのことは、もうよく覚えていない。
中心から外に向かう風に押し戻されたかと思ったら、僕とゼウストはいつの間にか、錐揉みしながら海に落下していたのだ。
その試みにより、確かに進歩はしたけれど、それまでで一番無様な落ち方だった……。
ーー夕方。
焚き火を囲い、今日は僕がバルスに自分の田舎料理を振る舞っていると、
「さっきの……あのフライト。今までの中では一番よかったなぁ。あんなバカなやり方、お前さんが自分で考えたのか?」
と聞いてきた。
だから、僕は笑いながら
「いいえ、僕にはあんな無茶、考えつきませんよ。あれは昔、僕に飛行術を教えてくれた人がやっていた技で……その方は、ラウル爺さんという方なのですが……ご存知ありませんか? バルスさんともお知り合いだと聞きましたが…」
と言った。
すると、バルスは一瞬眉を上げ、驚いた表情をしたが、すぐに然もありなんといった感じで微笑み
「ハッハッ、ラウル爺さんときたか……そういえば、あいつは俺より長生きしているんだったなぁ。ラウル・コア・ノウルのことだろ? 」
と言った。でも、そう言われても僕はラウル爺さんの本名など知らなかった。
「はい。おそらく……実は、本名を知らないんです」
「ん? そうなのか? 名前すら言わんとは…まぁ、あいつらしいわなぁ。でもよ、お前さんが教わったそいつは、まず間違いなくラウルの野郎だろうぜ。久しぶりにその名前を聞いてピンと来たわい。言われてみれば、お前さんの飛行機の飛ばし方……ありゃ、ラウルの若い頃にそっくりだからなぁ」
バルスはそう言って、スープの入った皿を置くと、タバコをふかし始めた。そして、ひとしきり焚き火を眺めた後、
「でも、お前さんはまだ、良い風と悪い風の見極めができていない。そこは、あいつに比べりゃまだまだだがな」
と言った。
その言い方には、どこか誇らしそうな響きが含まれているような気がした。
けれど。
僕はバルスにどうしても伝えなければならないことがあった。
「あ、あの……」
「……元気でやってるのか? あいつは」
だが、僕が躊躇していると、バルスに先を越されてしまった。
それには、さすがに僕も言葉を詰まらせた。
だって、どんな顔をして答えたらいいのだろう?
でも「バルスさんにはちゃんと伝えないとな」とは思った。
「それは……わかりません。実は、もう一年以上フライトから帰ってきていないんです。なので……」
僕は絞り出すように言った。するとバルスはその言葉だけで全てを察したかのように
「……ふーっ…そうか」
と言ってタバコの煙を吐き出し、感慨深そうに目を閉じた。
そっぽを向き、ギュッと力強く……。
僕にはそれが、どんな意味の瞑想かはわからない。
悲しみなのか、後悔なのか、懐かしさなのか……。
とにかく、僕はその様子をしばらく黙って見ているしかなかった。
すると、その途中で
「ははっ、なんだよあの野郎……結局、お前も俺と同じように、ベッドの上では死ねなかったじゃねぇか」
と、バルスが呟いたと思ったのだが、その声はとても小さくて、僕には殆ど聴き取ることができなかった。
「……あの、バルスさん。こんな料理もあるんですが、いかがですか?」
やがて僕は居た堪れなくなって、ごまかすように料理の続きを出した。
それから僕達は、また二人で黙って夕飯を食べた。
日は完全に沈み、そろそろ月が輝き始めようとしていた。
ーーその後。
「なぁ、小僧。ラウルの野郎は、その最後のフライトでどこに向かったんだ?」
ずっと当たり障りのない会話を、ポツリポツリと続けていたバルスが、唐突にそう聞いてきたのは、もっと夜が深くなってからのことだった。
僕はバルスがイメージし、説明してくれた<電気銃>をいじっているところだったが、その手を止め、振り向く。そして、それについては僕もとっくに見当がついていたので、
「たぶん……ラウルさんは、今僕達が挑んでいるもの。あれと同じものを目指したんだと思います」
と、答えた。
すると、バルスは俯き、そうか、やっぱりなと言う。
どうやら、バルスも薄々そう思っていたみたいだ。でも……
「なんで、やっぱりなと思われたんですか?」
「ん? ああ……随分と昔にな、俺とラウルは約束をしたんだ……ある人とな。そして、あいつは一回それをなしにしたんだが……この歳になると、なんとなくなぁ。……わかるんだよ、ああ、結局あいつも忘れてなんかいなかったんだなぁってな…」
バルスは髭を触りながら、ごにょごにょとそう言う。
が、僕にはその意味はさっぱりだった。さっぱりだったのだが……なんとなく、一人の男としてわかるところはあった。遠い昔に守れなかった約束というのは、ずっと後を引くものなのだ。
だから、僕は
「そうですね。きっと、忘れてなかったんですよ。ラウルさんは」
と、気がつけばそう口に出して言っていた。
それにバルスは顔を上げ
「ふんっ、何をわかったような口を……こういうのはな、本来は爺さんにならないとわからないものなんだよ。お前さんは、小僧のくせに少しジジ臭いぞ?」
と、文句を言った。
「ははは。似たようなことはよく言われます。でも、仕方ないんですよ。きっと、これだってラウルさんの影響なんですから」
「ハッハッハッ。ま、そうかもしれねぇな。年寄りとばかり仲良くしてると、途端にジジ臭くなるもんだ」
バルスはそう言って笑ったが、すぐに真剣な顔に戻った。
そして、僕と目を合わせると
「なぁ、夕方からずっと疑問だったんだが、お前さんは、なんで俺とラウルの関係を聞かないんだ?」
と聞いてきた。
もっともな質問だと思った。
でも、僕はそれについて
「それは、ラウルさんが僕に話そうとしなかったことだからですよ」
と、自分なりに考えていたことを話す。
「ラウルの野郎が話さなかったからこそ、お前さんは、俺に聞きたいことがあるんじゃねぇのか?」
「それはそうです。でも、それじゃあ、なんだか盗み聞きするみたいで嫌なんですよ。だから、それは別に聞かなくてもいいんです。もし、聞くのなら、直接ラウルさんに許可をもらってからにします」
「お!? なんだ、お前さんは野郎がまだ生きてるとでも思っているのか?」
僕の言葉にバルスは驚いた様子で言った。
けど、僕は大真面目に、はいと頷く。
「もちろん、可能性は低いとは思います。けど、僕はまだ何も確信が持てていないんです。実感が湧かないというか……だから、まだ心のどこかで、いつかラウルさんともう一度話せる機会があるんじゃないかなって、そう思っているんです。そう、ここで…バルスさん、あなたと出会えたように」
僕がそう言い終わると、バルスはきょとんとした顔をした。
が、すぐに大声で笑い、天を仰いだ。それは今までで、一番派手な笑い方だった。
「ハッハッハッ。そうか。いや、実にお前さんらしいな」
と。僕はそれを照れくさいながらも、一応褒め言葉として受け取っておくことにした。
「はい。ですので、僕は尚更、あの嵐に負けるわけにはいかないんです」
「ハッハッハッ、そうだなぁ。まさしくそうだ。俺もそれを聞いて益々やる気が出たわい。よし、それじゃあ、あの野郎と、俺の古い約束のためにも、お前さんにはもっともっと頑張ってもらわないとなぁ!」
「はいっ! 頑張りますよ」
僕はきっぱりと返事をすると、電気銃を胸の前に構え、ビシッと敬礼をした。
ーーしかし、特訓三日目から五日目までの間も、必死に方法を探り、フライトを続けたが、嵐の中心に到達することはかなわなかった。
唯一の救いは、それでも僕達が前向きさを失わず、粛々と特訓を積み重ね続けたこと。
それにより、多くの情報を得たこと。それだけだった。
ーーそして、時間はどんどんと過ぎていき、六日目の朝。
この日は、行き詰まりの気分転換のために、まずは早朝からボートライル大陸近辺をバルスと一緒に飛行することになった。指導する側も、される側も今のこの状態では、息抜きが必要だった。
仮想世界の空は、いつも通り晴れ渡り、雲どころかシミひとつない青空だ。
久しぶりに嵐のない空を飛ぶのは、気持ちがいいというか、なんだか安心した。やはり、あえて嵐に突っ込むなんていうのは、いくら訓練とはいえ正気の沙汰ではない。僕は本気でそう思う。
心なしかエンジンも機嫌が良さそうだ。
しかし、こうやって僕がのんびり飛行している間にも、バルスはこの辺りの地形のことや、風のこと、気をつけるべき山脈のことなど、あれこれと説明してくれ、さらには得意のアクロバット飛行まで披露してくれている。
僕は、バルスは本当に飛行機に乗るというのが好きなのだなと思った。
もちろん、少し方向性が違うが、それは僕だって同じだ。同類同士で語り合い、飛行を楽しむというのも、軍を去って以来、僕が久しく忘れていた感覚だった。
「どうだ? 凄いだろう? 今の前方4回捻りはな、俺くらいしかできないぞ?」
「うーん……凄いんですけど、もっと実戦的なテクニックはありませんか? 見た目はカッコいいですが、あれじゃあ、隙だらけですよ」
「おい、小僧。それが仮にも、空の大先輩に対する口の聞き方か? 実戦的なんてのはな、くだらない考え方だ。無駄だと思えるテクニックの中にこそ、いざという時の突破口があるものなんだぞ? それがロマンというものだ。そこのところをちゃんと肝に銘じておけ?」
「は、はい。了解です」
僕はそんな話を聞きながら、
「はぁ、なるほど。こうやって僕はどんどんジジ臭くなっていくのだな」
と思う。
しかし、何が自分にとっての金言になるかなんて、わからなかったから、僕はその言葉をちゃんと胸に仕舞い、新しいアクロバット飛行の練習をした。
「そうそう。さすがに覚えが早いわい」
「ありがとうございます。お陰様で前よりも数段、飛行機の扱いが上手くなった気がします。けど……あの嵐を乗り越えるにはやはり、まだまだ時間が掛かりそうです」
「そうだな。なにせ、この俺でも失敗したんだからな。しかしそうは言っても……もうそろそろ時間もあるまい?」
バルスは飛行機を、僕の飛行機の横に並ばせながら、そう指摘した。
そうなのだ。実際問題、もうあまりここにはいられない。
一週間という区切りだって、根拠のないものなのだ。一応毎日、バルスにヤン達の様子に変わったところがないか、見て来てもらってはいるが、それだって突然事態が急変しないとも限らない。
それに、あまり長い時間、生身の肉体を放置していたら、肝心の僕の体が衰え、いざ現実に戻った時に動けなくなってしまうということもあり得る。そうなることは絶対に避けなければならなかった。
「そうですね。やっぱり、明日の夜辺りには、現実の世界に戻らなければならないでしょうね」
僕は言う。それを受けてバルスも、まぁ、それが無難な線だろうと応えた。
「すまねぇな。やっぱり一週間じゃ、ここまでだったか……」
「いえいえ、そんな、謝らないでください。バルスさんに教わったことは全て、僕にとっては、願ってもないことだったんですから」
僕達はそう言い合ったが、本音を口にしてしまうと、なんだかやっぱり照れくさかった。
そして、それからもいくつか、バルスオリジナルの旋回術(それらは大抵、馬力任せの強引なものだったが)を教えて貰い、午前九時くらいになった頃、バルスが
「じゃあ、俺は姉ちゃん達のところに様子見に行ってくるが、お前さんはどうするよ? 偶には一緒に来るか?」
と言ってきた。
けど、僕はそれを
「いえ、せっかくですが、僕はもうしばらくこの辺りを飛んでいきます。そうしてから昼前には、またあの嵐の所に戻りますので」
と断り、引き続きこの仮想現実での束の間のフライトを満喫することにした。
「そうか。じゃあ、よろしく言っておく」
「はい、すいません。よろしくお願いします」
そう言って、僕達はそれぞれ別々の方向に散開した。
……が、散開したのはいいが、僕にも目的地というのは必要そうではあった。
というのも、僕は目的地を設定しないでフライトをしたことなど一度もないのだ。
それは、ちょっと変な感じがしたが、考えてみれば当然のことだった。飛行機乗りというのは道楽稼業ではあるが、同時に燃料費のことを常に念頭に置いておかなければ、すぐに破綻してしまう職業なのだ。仕事目的以外でのフライトなんて論外なのである。
「燃料費を考えなくていいなんて……思えば、すごい贅沢なことだな」
僕は雲を眺めながら、そう呟く。
あの嵐の特訓だって、現実でやろうと思ったら一回当たりの燃料費と修理代はかなりの額になるだろう。まぁ、その前に命がなくなるだろうが、そんな計算は自営業者の身の上としてはしないわけにはいかなかった。
「はぁ……じゃあ、いつも通りだけど、あの湖に寄って休憩した後、ベルト山脈沿いにライル村まで飛ぶことにするか……」
僕はそんな、もう地図さえ不要なお決まりのルートに目標を定めると、機体を90度旋回させ、一路いつもの湖に向かい、スロットルを入れたのだった。
ーー「ん? そう言えば、この辺りのはずじゃなかったかな?」
僕がその異変に気がついたのは、湖での休憩を終えて、ベルト山脈のあの山小屋の辺りを目指して飛んでいる時だった。
そこは、バルスから『ノアの遺跡』と呼ばれる遺跡があると教えられた場所。
そして、その手前の山道。そこがバルスが行った当時、崖崩れしてしまっていて通れなかった道なのだと聞いていた。
しかし、僕が試しにそこを上空から見に行ってみると、なんと、崖崩れの起きている形跡なんて、まるでなかったのである。それは思いもよらない事実だった。
「そ、そんな……なんでだ? これじゃあ、聞いていた話と違うじゃないか。これだったら遺跡まで行けるはずじゃあ……」
僕は一瞬そう考えたが、すぐにあることに気が付き、その発見に自分で驚いた。
それは、あの古いライル村の風景である。
そうだ。ここは、時代設定がずっと昔になっているのだ。そして、それはサマルが意図的にやったこと……もしかしたら、サマルはこのことも見越して、この時代に?
そう考えると、今までずっと疑問に思っていた、あの村の姿の謎が氷解した。
サマルは『ノアの遺跡』にも行けるように、あんな古い時代の村を再現していたのである。
「そうだったのか……よしっ。なら、早速行ってみないと……あ、でもヤン達とバルスさんも連れて行った方が良いか? 皆の方が、僕なんかよりもずっと遺跡に詳しいはずだし…」
僕はそう思ったが、すぐに真下に着陸できそうな森の切れ目を見つけたので、その考えを振り払ってしまった。
それに、つい忘れがちだが、僕は知恵の実の知識に覚醒したのだ。
そう考えれば、僕の方がずっと古代遺跡について詳しいに決まっている。その実力も自分で把握しておきたかった。
僕は飛行機を旋回させ、着陸体勢に入る。
風もないし、視界も良好。機体の不具合も皆無なのだ。少々スペースは狭かったが、僕は難なく、そこにゼウストを滑りこませる。そして、フットレバーとスロットルを調整し、無事に着陸を成功させた。
「うん。まぁまぁかな……」
僕は着陸の出来にそう呟くと、ゴーグルと帽子を脱ぎ、コックピットから飛び降りる。
そして、眼前の山を見上げると、特に装備も持たず、さっさと歩き始めた。
なかなかに山をナメた行動ではあるが、ここではこれが常識だった。遺跡までの道程も、上空から観察したから、もうおおよそ把握している。おそらく現実では、もっと苦労しなと辿りつけない場所なのだろうが、僕は遠慮無く、この仮想世界のお手軽さに甘えることにした。
木々が生い茂る森はすぐに終わり、そこからは道なき岩山の斜面をひたすら登る。
かなり急な箇所もあったが、それだって疲れさえなければどうということもない。そして、そこを登り切ったところに、件の崖際の山道があった。
いったい、誰がいつ作った道なのか。僕はいつもこういうものを見ると、感心してしまう。僕はそんなことを思いながら、鼻歌まじりにその道をずっと上へ上へと歩いた。
鼻歌を歌ったのは、緊張感を紛らわすためでもあった。実際、遺跡に近づいていくにつれて、妙に心がざわつくのを感じたのだ。
「……遺跡と言えば、あの時のキミと行った場所以来だな……また、あんなとんでもない場所なのだろうか? ……ん? あ、でも待てよ。どっちにしろ内部には、キミがいなきゃ入れないんじゃないか?」
僕はそんな初歩的なことに、やっと気がついた。
しかし、既に40分以上もかけてこんな所まで登ってきてしまった後だ。今更引き返すのも勿体無い。ここは、内部に入れなくてもいいから、近くまで行くだけ行ってみようとそう思い直し、僕はそのまま山道を歩き続けた。
そして、その20分後には、意外にもあっさりと遺跡の入口前まで来ていたのである。
「ふーっ、こうも簡単だと、なんだかありがたみがないなぁ……」
僕はそう文句を言ったが、それだって別に誰が聞いているわけでもない。
だから仕方なく、早々とその遺跡と思われる洞窟に足を踏み入れ、ライトの光で内部を照らしてみる。
するとそこは、短い通路の先に一つの広い空間がある構造をしていた。
そして、その先にはもう一つ、別の入口に繋がっていると思われる通路が見える。そこまではなんの変哲もない自然の洞窟といった感じだった。
が、その広場の奥。
そこには、明らかに通常では考えられない程の大きな石の扉が、堂々とした出で立ちで、立ち塞がっていた。
大きな一枚岩が二枚。それがピッタリと合わさっている光景に、僕は圧倒された。
「あれは……黒い石…キミの所で見たものと同じだ…」
僕はそう思い、扉に歩み寄る。その手前には、あの日キミが目をかざしていた物と同じようなデザインの石版が置いてある。
僕は巨大な扉を、口を開けて見上げた後、その自分の腰の高さほどの所に設置してある石版に、そっと触れてみた。
すると、その石版から、僕の手を介して様々な記号や情報が流れ込んできた。
実は僕はそのことを、ここに入って来た直後から知っていた。
これはコントロールパネルの一種で、扉の開け閉めこそ守人でなければできないけれど、これを使えば、この遺跡の情報を呼び出すことくらいは、簡単にできるということを……もちろん、古代文字の知識は必須だが。
「はぁ、なんか奇妙だけど……今はこの知識を最大限活かすしかない…さぁ、ログよ。僕の呼びかけに応えてくれ」
僕はそう願いながら、パネルの操作を続ける。
すると、思っていたよりも早く
「んん? なんだい? 最近はお客さんが多いな。しかも、今度はこっちからの呼びかけかい」
という明るい声が聞こえてきたと思ったら、目の前に女が姿を現した。
いや、姿を現したといっても、それが特殊なホログラム映像だということはわかっている。まぁ、この仮想現実の世界にあっては、実は僕も彼女と似たような存在かもしれないが……
女は青い髪をし、縁の太いメガネを掛け、白衣を着ていた。白衣にメガネである。そして、僕はそんな彼女の顔と格好を見て
「急なお呼び出し、すいません。ノア博士ですね?」
と、当然のように言った。
自分でも、この知識に半信半疑だったが、それ以上に驚いたのは、返ってきた彼女の言葉だった。
「ああ。そうだが…おや? そう言うあんたこそ、ラシェット・クロードじゃないか」
なんと、彼女はそう言ったのである。僕は予期せぬその反応に
「なっ、なんで僕のことを!?」
と間抜けな声を出す。すると、ノアの方は至って涼しい様子で
「ああ。驚くことじゃない。それはね、キミに会ったからよ。というか、まだすぐ側にいるんだがな……それに、あんたからはキミの気配もする…」
などと言う。それで僕は益々、混乱してしまった。
「キミが…? ということは、キミはこの遺跡に来た? でも、どうやって……それに、すぐ側にいるって…」
「まぁ、待って、ラシェット・クロード。気持ちはわかるが、焦ることはないわ。キミは無事だし、私が付いている限り、悪いようにはさせない。それよりも、今はお前のことだ」
「ぼ、僕のこと?」
ノアの言葉を僕は繰り返す。するとノアは、ええと頷き、
「今、現実では、お前の話で持ち切りだ。そのせいでね、近々、派手なドンパチが始まりそうよ」
と、なにやら聞き捨てならないことを言った。
「ド、ドンパチ……?」
僕はその物騒な響きに、またオウムのように言葉を繰り返す。
背中には、じっとりと嫌な汗を掻きそうだった……。