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砂漠の星 郵便飛行機乗り  作者: 降瀬さとる
第1章 ラシェット・クロード 旅立ち編
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旅への準備 Jin'sBAR

カランカラン


僕はただ呆然と街中を歩き続け、気がつけばジンのところへ来ていた。ホテルから旧市街までだから、たぶん一時間半は歩き続けたのだろうが、覚えていない。どうやってここまで来たのだろう。習慣というのは恐ろしいものだ。


時刻は午後4時少し前だった。

店はまだやっていなかったが、ジンはひとりで料理の下ごしらえなどをするために、この時間にはもう店に来ているのを僕は知っていた。だから、ここに来たのかもしれない。

僕は誰でもいいから真っ当に生きている、愛すべき顔見知りに会いたかったのだ。


「おや、こんな時間に珍しいですね」

黙って入ってきた僕に向かい、ジンは作業する手を止めて言った。

「別に珍しくなんてないさ、誰だって腹が減れば行きつけの店に行く。それが今日は偶然こんな時間だっただけさ」

僕は自分でもよくわからない冗談を言いながらカウンターに座った。 頭はまだあまり冴えなかったが、まずまずだった。とりあえず冗談は言えた。

これもジンの顔を見たおかげかもしれない。僕はどうやら片足くらいは現実の世界に帰って来られたようだなと思った。


「ふふふ、そうですか」

ジンは何かを感じ取ったのか、何も言わず笑ってくれた。

そうだ。これがまともな人間のやり取りというものだ。僕も笑った。何時間かぶりの笑みだった。

「料理はまだですが、いつものやつにしますか?」

「悪いな。頼む」

「はい」

くすっと笑うと、ジンはいつものように冷氷機から氷を取り出し、削り始めた。

いつ見てもいい手捌きだった。これを見ているだけでうまい酒が出てくると予感させるような、気持ちのいい手つきだ。


カランカラン


ジンの手を眺めていると、扉が開き、今度こそ本当に珍しい客が入ってきた。

その男は細いフレームの銀縁眼鏡をかけ、黒髪をきっちりと六四で分けていた。顔はどこかむっつりと怒っていて、服は帝国陸軍の軍服を着ている。

なんのことはない。彼は今朝も会った、僕の軍学校時代の同期で、現在は帝国陸軍諜報部に所属している、リー・サンダース少尉だった。

僕は、リーが僕を睨みつけながらこっちに歩いてくるのを見て、

「やぁ、リー。お前がこんなところに来るなんて珍しいじゃないか」

と言った。


リーがいつも、もっと高級な店に行っているのは知っていた。それも、とても高級で上品で、甘い香りのする夢のようなお嬢様が膝の上に乗って来てくれるようなお店に行っていることを。女性コンプレックスだったリーを鍛えるため、当時の上官が色々と引きずり回し、あげくコンプレックスは治ったがいいが、すっかり中毒になってしまったのだからおかしい。

おかげで女に弱いのか、強いのかすっかりわけがわからなくなってしまったリーだが、前も言った通り、諜報部員としてはすこぶる優秀な男で、この若さで少尉というのも、僕は納得だと思っている。


僕の言葉を無視して、僕の横の席に座ったリーは苦虫を噛み潰したような顔で

「よくも部下を巻いてくれたな。それも2人も」

と言った。

「ん?なんのことだ?」

と試しに言ってみると、リーはますます気分を害したようで

「とぼけるなっ!正午頃、お前の自宅を見張っていたのを、お前は俺の使いだと知りながら全力で巻いただろうが!」

と語気を強めて言った。

「あー、あのど素人2人組のことね。なんだ、リーの部下だったのか。いやぁ、それは知らなかった。すまんすまん」

と僕は言って、片手でごめんねポーズをした。

これ以上怒らせるとリーお得意のお説教が始まりそうだったので、僕はこの辺でからかうのはやめておくことにした。

それを察してリーも怒りを、ぐっと飲み込んでくれた様子だった。

「まったく…おかげで、2人とも自信喪失しちまって、あれじゃ3日は役に立たないぞ。しかも、巻かれてあちこち探し回って、次に見つけたときには、お前は別人みたいにもぬけの殻だったらしいじゃないか。街からここに歩いてくるまでの道すがら、今度は少しも尾行に気づく様子がなかったって言うんだからな。聞いて呆れちまったよ」

そこまで、吐き捨てるように言うとリーはため息をついた。


そこへ、ジンが僕のウイスキーを持ってきてくれた。そして、ジンはリーに

「何かお飲みになりますか?」

と聞いた。リーは

「いや、勤務中なので、悪いですがお水だけいただけますか」

と言った。

「はい」

にっこり言うと、ジンは冷蔵庫から冷水ポットを出して水をグラスに注いだ。ジンは天然の氷を注文して、それを溶かしておいたものを飲料水として用意している。だから、この店は水からしてとてもうまい。


「じゃあ、乾杯といきますか」

僕達はウイスキーと水で乾杯をした。

そしてひとくち飲んだウイスキーはとても香り高く甘かった。熱いアルコールの感覚が喉を通り過ぎると、凝り固まっていた頭や体が弛緩していくのを感じた。生き返るとはこのことかと思った。

「ん、うまいな」

リーも水を飲んでそう言った。

「だろ?ここは出してるもの、みんなうまいのさ」

僕は言った。僕はまるで自分が褒められたように嬉しかった。

「そうか。それは是非次は、営業時間内に来たいものだな。ん?」

水を口にしながらリーは、僕の足元に置いてあった紙袋に気がついた。すると、すぐにその紙袋を無遠慮に持ちあげて中身を見た。そして

「ずいぶんな大金じゃないか」

と言った。若干だが眉間に皺も寄っている。

「高給取りのお前からしたら大した金額じゃないだろ?」

僕はそう言った。

「そういう問題じゃない」

ぴしゃりとリーは言うと

「なるほどな。やっぱりお前は、トカゲにまんまとしてやられたわけだな。ったく、だから俺達に任せておけばよかったんだ」

と、僕に詰め寄った。

僕はこの言葉を聞いて、反論する気になれなかった。むしろ、確かにその通りかもしれないと思ってしまう自分がいた。だから

「ああ、確かにそうすべきだったのかもな」

と正直に言った。

そして、僕は誤魔化すようにウイスキーをひとくち飲んだ。

「ん?」

そんな僕の様子を見てリーは

「どうしたんだ?ラシェット。今日はやけにしおらしいじゃないか」

とつまらなそうに言った。顔には疑問の表情が浮かんでいた。明日は雪でも降るんじゃないか?といった顔だ。


「まぁ、そういう日もあるさ」

僕はそう言った。しかし、それ以上何と言うべきかわからなかったから黙っていた。ただ、無性に酒は飲みたかったからウイスキーをぐいぐいと飲んだ。ヤケ酒と認めたくはなかったが、それとあまり変わらない状態なのだろうことは、かろうじで自覚していた。


そんな僕の様子をしばらくリーも黙って見てくれていた。しかし、やがて見兼ねたように手を挙げると、ジンに

「すいません。やっぱり、こっちにもビールを一杯いただけますか」

と言った。ジンは快く「はい」と言い、早速棚からビールジョッキを取り出した。

僕はちょっと驚いた。

「いいのかい?勤務中なんだろ?」

「ああ。まぁちょっとくらい、いいだろ。あとは誰かさんの尾行に失敗した、ドジにでも頑張ってもらうさ」

そう言ってリーは笑った。

僕はこのリーの気遣いが酒よりも、ずっと心に沁みた 。


「で、トカゲはどんなやつだったんだ?」

改めてふたりで乾杯したあと、リーは尋ねてきた。

「なんだいそれ?仕事かい?」

少しまた調子を取り戻してきた僕が言うと

「バカ野郎、仕事に決まってるだろ。でも、まぁ半分くらいは友人として聞いているんだ。お前が俺に隠すくらいだ。だから、色々個人的な事情があるんだろうが、情報は共有してもいいんじゃないか?その方が互いのためになることもある。もちろん、お前が秘密にして欲しいことは俺は誰にも言わない。それに関しては仕事は抜きだ。それでどうだ?あとはお前が俺を信頼してくれるかどうかだ。違うか?」

とリーは言った。

そう言われて僕の答えは決まっていた。

「ああ、そうだな。悪いが僕もリーの助力が欲しい。もし、協力してくれるなら、僕も協力したい」

「じゃあ、決まりだな」

リーは笑顔で言った。


「トカゲは、ほとんどリーの情報通りの容姿だったよ。でも、今もアストリアで仕事をしているかはわからない。アストリアは一枚岩ではないって言っていたし、アストリアを裏切るような情報も僕に聞かせたんだ」

「裏切る?どんな情報だい?」

リーは尋ねた。

「ああ。順に話そう。トカゲは僕に、アストリアへ手紙を届けるという依頼をした。具体的に言うとアストリア城城下町西区にある「ゴースト」というバーに、午後10時ちょうどに現れるKという男にこの手紙を渡して欲しいと」

「K?」

「知らないか?かなりの地位がある人物で、アストリアの機械工学・技術研究室にも関連する人物だと思うんだが」

僕は聞いたが、リーは浮かない顔で

「いや、聞いたことがないな。それに、それだけの情報では絞り込むこともできない。Kというコードネームもおそらく使い捨てだろう」

と言った。

「そうか」

「それより、その手紙だよ。なんでこんな大事なものさっさと出さないんだ」

そう言うとリーは僕から手紙を取り、開けて内容を確認しようとした。しかしあまりの強度に、開く気配すらなかった。

「な、なんなんだこの手紙はっ」

リーは驚いた様子で言った。

「それはわからない。しかし、この手紙に使われている技術はどうやら、僕の古い友人が発見したものらしいんだ」

「古い友人?」

「中等学校時代の友人さ。サマル・モンタナっていうんだが、聞いたことはないか?」

僕は一縷の望みを込めたが

「いや、すまないが」

との返事だった。

「サマルは機械工学・技術研究室で働いていたらしい。しかし。一年程前にアストリアの科学雑誌に載るはずだった論文が何者かに握りつぶされて以来、行方不明らしいんだ。だから僕はサマルを探しているんだ」

僕は胸が傷んだが、サマルの手紙のことは、なるべく伏せておこうと思った。リーには悪いが、これこそ僕個人の問題だと思ったからだ。

「科学雑誌、論文、行方不明か。なるほどね。こういう線なら俺でも追えるかもしれない。この線は洗ってみるよ」

「ありがとう。リー」

僕はリーの言葉を心強く思った。

「しかし…ラシェットの友人はいったいどういう着想からこんなものを作ったんだ?」

「トカゲが言うには、古代科学技術が使われているそうだよ。サマルはそれの研究も行っていたと」

「古代科学技術だって?オカルトか何か?」

リーは怪しんで言った。

「真実はまだわからない。しかし、それで説明できてしまうこともあるのかもしれない。僕もまだ半信半疑だよ」

「ふーん。古代科学技術ねぇ。まあ、いずれにしても、この手紙は重要そうだな。だからこれは俺が預かるつもりだがいいか?」

リーは手紙を懐に仕舞いかけた。

「残念だけど、それはなしだ。その手紙がないとKが現れないことになっている。Kはとても用心深い人物らしい。そしてKは僕の友人がどうなったか、多くのことを知っているはずなんだ。だから、僕は不本意ながらも今回、このトカゲの依頼を受けたんだ」

「ちっ、そういうことか。なるほどね。トカゲもなかなか頭のいいやつだな。わかった、そういう事ならお前に返そう。しかし、Kと接触する場所にはこっちから何人か兵を派遣させてもらうぞ?手紙の受け渡しは阻止したいからな」

リーは手紙を僕に渡しながら言った。

「そのときは、くれぐれもど素人なんか送り込まないようにしてくれよ?」

僕がそう言うとリーはバツの悪そうな顔で

「ったく、わかったよ」

と言った。


リーと共有すべき情報の共有と、活動の連携を約束すると心が少し軽くなっていた。

ここに来る前とは大違いだった。


話が終わると僕は立ち上がった。

「もう、行くか?」

リーが言った。

「うん。付き合ってもらって悪いけど、やることがたくさんあるからね。リーはどうする?」

「俺はせっかくだから、ジンさんの料理を食べて行くよ。夜も仕事なんだ。腹ごしらえしないとな」

「わかった。色々ありがとう。調べ物はよろしく頼む」

僕は紙袋を持った、敵から塩を贈られたようでシャクだが、今の僕には必要な金だった。

「いつ出発なんですか?」

ジンが言った。そういえば、気にしていなかったが、たぶんジンも全てを聞いていたのだろう。ジンに少し心配そうな色が滲んでいた。

「明日一日準備して、明後日の夜明け前に出るつもりだよ。でも、今回に限って帰りはわからない」

僕が言うとジンは

「わかりました。いってらっしゃい。そして、またここに、賭け金の配当を取りに来てください」

と言った。

「もちろんさ」

と僕は言った。


僕はここに来て、新たな勇気をもらった気がした。それは、決して自分はひとりではないということかもしれない。


僕はその思いを胸にJin'sBARをあとにした。




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