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第三話 浅野家の休日 ~或いは服部エリの休日~ part2



 一通りの買い物を終えた二人は、安いレストランで食事を取っていた。座席はドリンクバーの機械が近かったせいで、エリは休むまもなくジュースを飲んでいる。各々が注文した食事が届いて、十嗣は話を切り出した。


「それでさ、エドワード・J・テイラーって誰だと思う?」


 誰かのせいで忙しくなったので忘れかけていたが、それは私と十嗣にとって重要な問題だった。


「熱心なファンじゃないの? 君みたいな」


 フォークでスパゲティーをくるくると巻き取りながら、十嗣は唸り声を上げた。彼なりに思う所があるのだろう。


「……ちょっと違うと思う」

「何で?」


 何杯目か解らないコーラを飲みながら、エリは聞き返す。コーラとリゾットの組み合わせはどうなのだろう……合うのか?


「俺はさ、確かにファンだよ? だけどなんていうか……憧れっていうのかな。そういう気持ちが強くて、名前を借りようなんて思えないよ」


 彼なりにそんな事を考えていたとは。私は改めて彼の表面しか見てこなかったのだと痛感した。


――私はいつだって、ほんの少しの金銭と大きな自己満足のために生きてきた。


朝刊に載るより、報酬が上乗せされた方が嬉しかった。これからもそれは変わらないだろうが、今の私は金銭を受け取った所で使い道はない。だから自己満足だけを目指して生きているのかもしれない。


 それも悪くないと、何故だか思えた。

 その原因は、名探偵の私にもわかりそうにない。


「そういうもの?」


 リゾット、コーラ、コーラ、リゾット、コーラ。エリの口に運ばれていく飲食物を見ているだけで、胃液が逆流する感覚に襲われた。


「そういうもの」


 彼はポケットに仕舞っていた私を取り出し、机の上に置いた。幸いな事に、天敵のケチャップも醤油も近くには見当たらなかった。


「だからさ、名乗った人はもっとこの本に根本的に関わってるような人だと思うんだけど」


 彼は私の名前を借りた人物をファンだとは思っていない。だからこう考えるのはごく自然なことだろう。


「例えば?」


 彼は笑う。

 いつから用意していたのか知らないが、取っておきの玩具を見せびらかすよう彼は言った。


「作者とか」


 エリは一瞬だけ目を見開かせ、スプーンを落としそうになった。しかしすぐ正気に戻ると、深く淋しげなため息をついたのだった。


「私の記憶が正しければ……その人、今お墓の中だったと思うけれど」

「本当?」


 そうだったのか。


「それにその作者……何て名前だっけ」

「ウィリアム・フランク・ジュニア」


 そんな名前だったのか? ……知らなかった。


「外国人でしょ? なんで日本にいるのよ」

「確かに」


 確かに。


「熱心なファンね。ついでに君と考え方が微妙に違う人」


 エリがそう言い切ると、十嗣はまた頭を捻り始めた。彼の直感は客観的な事実に一蹴されてしまったのだ。頭を抱えたくもなるさ。


 コーヒーが切れた十嗣は、俯きながらドリンクバーの機械へ向かった。カップをセットしボタンを押せば、数秒も待たずにコーヒーが注がれていく。便利な機械だ、来客用に一台ぐらい欲しい物だ。どうせ自分の飲む紅茶は自分で淹れるのだ、味は多少悪くても構わない。


 昼食時のレストランはなかなか混雑している。その証拠に十嗣の後ろには次の客が何人も並んでいた。世間とは狭いもので、その最後尾には彼の知り合いが不貞腐れた顔で立っていた。


「あ、晶だ」


 友人にしてストーカーの被害者こと日下晶。休日だというのに相変わらず髪の毛は重力に逆らっている。


「おま、おま……」


 十嗣とエリの二人を見て、晶は言葉を失った。余程彼は衝撃的な光景を目にしたに違いない。


「変態だ」

「違うからね? 別に卑猥なことなんて何一つ考えていないからね!?」


 容赦のないエリの言葉に、晶は必死に弁解する。今日も女の事しか頭に無いらしい。


「俺、食事中なんだけど」

「しかも二枚貝ときのこのスパゲティーだ」


 この女、教育というものを受けているのか?


「黙れよ下ネタ女」

「ちが、違う! 俺が言いたいのは、なんで女に興味のないお前が女と二人で飯食ってるかって事だよ!」


 店中の視線を集めて、晶は必死に弁解する

 。最もその発言で一番困るのは十嗣なのだが。


「諸事情でしばらく浅野くんの家に泊まることになりました。よろしく」


 重要な経緯と自分の不甲斐なさを端折って、エリが理由を説明する。それがまた、晶の感情を逆撫でた。


「返せ! 純真だった俺の十嗣を返せよっ!」


 なんと大胆な発言である。


「また随分と誤解を招きそうな台詞ね」


 喚く晶を尻目に、十嗣は無言で食事を再開した。今の彼の願いは、ここから一刻も立ち去ることだった。


「あ、緑山先生だ」


 相変わらず世間は狭い。

 休日であっても彼女はいつもと変わらず、ドリンクバーのグラスを真っ赤な液体で満たしていた。


「ここのドリンクバー、トマトジュースってあったっけ?」

「多分鼻血だよ」


 説明に納得したエリは、リゾットを急いで食べ始めた。彼女も早々に帰宅したいらしい。


「駄目よ浅野くん! いや、先生は別に男女の交際を否定しないけれど……でも、日下君の気持ちを裏切ったりしてはいけないわ!」

「返せよ、十嗣を返せよっ!」


 店員の冷たい視線に、他の客のわざとらしい無言。

 まともな精神をしていたら、この環境に耐えられる人間などいないだろう。


「……おかしな事になった」

「本当ね」


 エリは空になったコーラのグラスを覗いて、そのまま立ち上がらずに残りのリゾットに取り掛った。


 珍しくも、エリと十嗣の思惑は一致していた。




 生活に必要なものは多々ある。


 食料品はもちろん衣類に家具、暇を潰すための本。それが年頃の女ともなれば尚更だ。エリの身の回りの品のほとんどは浅野家より借りることが出来ていたが、揃わなかった物も多い。その証拠に十嗣の両手には大きなビニール袋が二つある。


「結構買ったわね」


 数多くの戦利品を眺めて満足そうに微笑むエリの手には何も無い。女尊男卑もここまで来たか。


「お前が無駄な物ばかりカゴに入れるからだろ」

「どうせ大した金額じゃないでしょ? ただちょっと荷物が増えただけで」


 金額自体は、何とか三千円を超えずに済んだ。しかし日用品の多くを百円均一で揃えたので、夜逃げする学生に見えなくもない状態に陥ってしまったのだ。


「ちょっと、ねぇ……自分のせいだと思うなら一つぐらい荷物を持ってくれ」

「ほら、私って箸より重い物を持ったことないから」


 どこの王侯貴族だ。


「どんな箸だよ、純金だってゲーム機よりは軽いぞ」

「何か歯が欠けそうね」


 その箸で金歯を作れば問題ないな。……どうでもいいな、こんな話題。


「あ、箸で思い出した」

「何を」

「ゲームソフト家に置きっぱなしだ……持ってこないと」


 頭を押えうなだれるエリは下らないことで悩んでいた。十嗣もそう思ったのか、呆れた顔で深い溜息をついた。


「それと箸にどんな関係があるんだ?」

「いまRPGやってるんだけどね、登場人物の名前好きに変えれるから全部食器にしてるの」

「適当だな」

「楽しいわよ? 『スプーンよ……お前は伝説の勇者フライ返しの息子だったのだ……』って感じで」

「シュールだな」


 シュールという単語の意味を私はよくわからないが、きっと辞書にはわからないと書いてあるに違いない。


 一番の疑問は、間違いなく食器の繁殖方法についてだ。これは名探偵のプライドを賭けてでも解かなければならない。フライ返しの妻は誰だ、フライパンか? いやそれはおかしい息子がスプーンなのだからやはりフォークか。違うな、フォークは将来スプーンと結婚して先割れスプーンという文明の利器をだな……。


 あれこれ考えてみたが、結局これは推理以前の問題だと気づいたので、私は考えるのをやめた。これを解くのは名探偵ではなく食器メーカーだろう。


「というわけで今から家に帰っていい?」

「俺の家についたら自転車貸してやるよ。そっちの方が早く着くだろ?」

「ナイスアイディア」


 それから暫く、二人は黙って並んで歩いていた。


 途中、エリが気を利かせて十嗣の荷物を一つ持とうとしたが、結局そうはならなかった。彼女が伸ばした左手は、何も掴まず元居た場所へ戻るだけだった。その事に十嗣は気づかない。


 ぼんやりと空を眺めて、少し歩幅を縮めて彼は歩く。普段よりも短い一歩が彼女に合わせていることなど、エリが気づくことはないだろう。


 ――詰まる所、二人は馬鹿で鈍いのだ。


 そんな洞察力も無いくせに探偵になろうなど、私には悪い冗談にしか思えない。半人前と半人前を合わせたところで一人前にはなれないのだ。


「今日の晩ご飯何かな……昨日は中華だったから和食かな?」


 呆けた顔でエリが言う。

 つい先日突然やってきた彼女はもう立派な家族の一員に……なってもらっては困る。これ以上私の周りで迷惑を振り撒かないで欲しいものだ。


「お前はすっかり馴染んでるな」

「そんな事言ったって、おばさんの料理美味しいんだもん」


 確かに美味そうだが、残念ながら私に味覚はないので完全に同意することは出来ない。


「よだれ垂らすほどか?」

「私さ、お母さんのことよく覚えてないんだ」


 何も無い空を見上げて、彼女は何の躊躇いもなくそんな事を言った。寂しさも悲しさも、その顔には見当たらない。


「幼稚園の時に死んじゃって、それからはずーっとお父さんと暮らしてた。……だから、お袋の味ってやつ? 知らないんだ」


 病気の弟がいると嘘を付いた助手がいたが、彼女は少し違うらしい。以前十嗣の両親に話した事情は半分くらい嘘かもしれないが、それでも残り半分は本当の事だと悟った。相手の同情を引きたい人間は、嘘を付くときに必ず涙を流す。それがより効果的だからだ。


 彼女は笑う。楽しいことなど有りはしないのに。


「ちょっと、なんで浅野くんが泣きそうになってるのよ」

「いや、別に」


 感情的になり易い所は、彼の長所であり短所だ。大方彼女の境遇に同情したのだろう、必死に鼻を啜って誤魔化そうとしている。


「だから私、こう見えても家事は一通りできるのよ。今度何か作ってあげよっか」


 自慢気に彼女は言う。これはまあ、嘘だろうな。


「ちなみに得意料理は?」

「……カップ麺」

「聞かなきゃ良かった」


 聞けて良かった、私の推理が正しいと証明できたのだから。

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