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第三話 浅野家の休日 ~或いは服部エリの休日~ part1




 基本的に、浅野十嗣はお人好しである。


 自分から二万円を奪い取った女を不貞腐れた顔で自宅に呼ぶぐらいには、善人である。私としては悪い女に騙されないことを願うばかりである。現在進行形で騙されているかどうかはさておき。


 付け加えるなら、浅野十嗣の両親はもっとお人好しである。

 

 息子が連れてきた素性の知れない女に快く夕食を振舞うぐらいには、善人である。私としては詐欺に遭わない事を願うばかりであるが、締めるところは締めているので問題ないだろう。


「いやいや、お父さんあそこの店は三列目の角が一番出るんですよ?」


 カレーライスを食べながら、エリは熱心にパチンコの話をしていた。彼女にとって幸運だったのは、そこら辺のレストランよりも美味い夕食にありつけた事と十嗣の父親がパチンコを打つ事だった。


「そうだったのか……これで三ヶ月連続赤字を脱出出来そうだな」


 女子高生の話を真に受け大げさに感心るのは、十嗣の父親である。

 なかなか良い年の重ね方をした男で、上品さよりも人当たりの良さが際立っている。実を言えば私は彼とその奥方について、つまり十嗣の両親についてあまり詳しくはない。

 家庭内で名前を呼び合う事も無ければ、奥方に至っては誕生日の蝋燭を17本以上立てようとしないのだ。


「さらにあそこはレートが低い台の方が長い目で見ると勝てますよ! ……拘束時間長いですけど」

「確かに……20スロだとすぐに無くなっちゃうもんな。よし、今度有給取って朝から並ぶか!」


 父親は、基本的には真面目なのだが良く羽目を外す。

 もっとも、それさえも彼の魅力の一つなのだろう。


「……なかなか個性的な子ね」


 常識的な発言をするのは、十嗣の母親である。

 太り過ぎず痩せ過ぎず、若作りをしている訳でも自身の年齢に対して絶望している訳でもない。そのおかげなのか、厚化粧の専業主婦よりはよほど若く見える。

 元来美人であるということも影響しているのだろう。


「そうだね、俺もそう思う」


 付け合せのサラダを食べながら、十嗣は深く頷いた。


「しかし十嗣が女の子を連れてくる日が来るなんてな、父さん嬉しいぞ」


 脳天気な父は、息子の成長を心から喜んでいた。エリとの関係を誤解しているのだろうが、彼には下世話な所があるので仕方がない。


「頼れる人が浅野くんしかいなくて……」


 少し俯いて、出来るだけ恥ずかしそうにエリは言った。

 演技だ、騙されるな!


「……何かあったの?」


 駄目だ奥方よ、それ以上聞いてはいけない! どうせ碌でも無い嘘しか出てこないぞ!


「実は私、母の顔は知らず父は中学生の時に亡くなって……それで奨学金と保険金でなんとか生活していたんですが、高校生になって予想外の出費が嵩んでしまって」


 彼女の話が本当かどうかは知らないが、泣きながら身の不幸を語るその姿は私の警戒心を強めるだけだった。


「パチンコか」


 何時になく冷静な十嗣が、予想外の出費の注釈を付け加えた。実際は、それに競馬と宝くじが加わるはずだ。


「十嗣、女の子にそんな冷たい言葉をかけてはいけないな」

「事実だろ……」


 反抗期では無いが、あまりに理解力のない父親の言動に十嗣はため息をついた。


「大体パチンコの何が悪い!? 父さんな、毎日毎日市役所で判子ばっかり押して、最近では自分が判子なのかわからない所まで来ているんだぞ! 小遣いの中でやりくりするぐらい良いじゃないか!」

「そうだそうだ!」


 中年男性の悲痛な心の叫びに、女子高生が同意する。その光景は異様を通り越して滑稽なものだった。


「……母さんはどう思う?」

「そうね、現金よりお菓子持ってきてくれる方が嬉しいわね……なんだか特した気分に」

「いや父さんのパチンコの事じゃなくて」


 十嗣は気まずそうに頬を掻きながら、横目でエリの表情を伺った。彼女からは本当のことを言わないで欲しいと頼まれていたのだ。

 まあ公共料金をまともに払わない女をしばらく泊めるお人好しはそうそういないだろう。


「その、アパートが古くて……改装? するからしばらく泊めて欲しいって」


 結局彼は嘘をついた。アパートは確かに古いが、改装の予定など全くない。


「お願いします!」


 深々と頭を下げるエリの表情は真剣そのものだった。多分演技だ。


「父さんな、実は女の子が欲しかったんだ……」


 父、陥落。


「あ、母さんもです」


 母、落城。


「それじゃあ……」


 エリは顔を上げる。

 その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。きっと彼女の涙は蛇口をひねるより簡単に流れるのだろう。便利なものだ、それで便所を流せば水道代が浮くではないか。


「とりあえず明日から十嗣には物置に住んでもらうとして」


 父の決断は早かった。

 緩んだ唇が、突然の居候に対する全てを物語っていた。


「待て待て待て」


 しかし十嗣にとって、その決断は酷だった。

 エリを泊めるということは、彼にとって野良猫をしばらく預かる程度の認識しか無かったのかもしれない。


「そういえばこの間見た恋愛ドラマでは、男の子が気を利かせて廊下で寝てたわ」


 両親は違う。娘が欲しかったと公言するような彼らにとって、もう息子など野良猫以下の扱いなのだ。


「おかしいだろ……」


 天井を見つめ、十嗣はブツブツと文句を呟く。

 自業自得と言い切るには悲しすぎる光景だった。


「そんな浅野くんの寝床を奪うわけには……本当、私が廊下で寝てもいいぐらいですから」


 エリは謙虚さをアピールするかの如く、絶妙なタイミングで言葉を挟む。ギャンブラーから詐欺師に転職したほうが儲かるかも知れないなと私は思う。


「いい子だ……」


 父は何度も首を縦に振る。


「いい子ね……」


 母はエプロンの裾で涙を押さえる。


「……騙されてる」


 頭を抱え十嗣が呟く。この現状を作り出した現状はもちろん彼にあるのだが、彼が悪かった訳ではない。相手が悪かったのだ。




 十嗣にとって不幸だったのは、食後の二時間を二階の物置の改装に付き合わされた事である。


 物置と言うぐらいなので、当初その部屋には使われなくなった物で埋め尽くされていた。そこから人間がある程度生活できるレベルのスペースを作り出すことはそれなりに困難を極めたかのように思われた。


 しかし父は、画期的な方法でその難問を切り抜けた。

 部屋を埋め尽くすダンボールや通信販売で買った健康器具を殆ど十嗣の部屋に押し込むという人権を無視した方法で。


「ありがとうございます、わざわざ部屋まで用意していただいて」


 かつて物置だった場所に残ったのは、古い扇風機と部屋の一角を占める段ボールの山、それから自転車を型どった健康器具。それからどこからか持ってきたのか古い布団一式。

 それなりに物は多いが、彼女のアパートよりはまともに見えた。


「と言っても物置に無理やりスペースを作っただけだけどね」


 拭き掃除を済ませ、衛生的にも問題は無い。

 父は突然の同居人に笑顔を向けた。


「そして俺の部屋は狭くなったけどな」


 十嗣の顔の曇は取れない。突然の改装工事で、六畳程あった彼の部屋は二畳ほど狭くなった。すでにベットが二畳ほどのスペースを占拠しているので、体感的にかなり狭苦しい部屋となってしまった。


「……ごめんね、浅野くん」


 どうせ少しも悪いと思っていないくせに、エリは形式上の謝罪をした。


「と言っても十嗣の部屋ならエアコンがあるからな、暑かったらいつでもこいつの部屋に行ってくれ」

「えー……」


 父の提案に気乗りしない十嗣。

 そんな思春期らしくない反応をする息子を心配したのか、父は十嗣に耳打ちをした。


「お前なぁ、こんなに可愛い子が泊まりに来てくれるんだぞ? 普通なら嬉しくて跳ね上がるだろ!」

「父さんはあいつの本性を知らないからそんな事が言えるんだよ」


 エリに聞こえないよう小さな声で会話する二人。

 その姿は、親子というよりも友人に近かった。


「馬鹿野郎、可愛かったら性格なんてどうでもいいだろ!」


 そしてその発言も、父親とは程遠い物だった。


「……それ父親の台詞?」

「今のは一人の男としての発言だ」


 微笑む彼の白い歯が、太陽よりも輝く。

 格好つける状況じゃないだろうに。


「そういう事にしておくよ」


 ため息をつく十嗣。彼のほうが年上に見えてしまうのはなぜだろう。


「それじゃあ、後は二人でごゆっくり」


 気を利かせてか、父はニヤけた顔を隠さず部屋を出た。

 部屋に残されたエリと十嗣は、あの陽気な父が壁に耳を当てているのではないかと疑い、しばらく不自然に黙っていた。階段を降りる音が聞こえてから、エリはようやく口を開いた。


「荷物は明日持ってこようと思うから、手伝ってくれる? 私服とかゲーム機とか」


 彼女はこの部屋が気に入ったのか、長期滞在の計画を十嗣に告げた。


「はいはい」


 この家で自分の発言権が無くなってしまったのだと自覚した十嗣は、投げやりな言葉を返した。


「何よ、私だって一応は感謝してるんだからね」

「そう思うなら俺から奪った二万円で公共料金を全額払って来てくれ……」


 至極真っ当な正論であるが、それは叶わない。


「本当は宝くじで一千万円ぐらいになる予定だったんだけど……世の中うまくいかないものね」


 ――この女が馬鹿だからだ。


「お前は自分を中心に世界が回っているとでも思っているのか?」

「違ったかしら」


 素知らぬ顔でエリは言う。

 どうやら馬鹿な上に物の見方を知らないらしい。


「もういいよ」

「さて……とりあえず私、コンビニ行って必要な物買ってくるわ」


 絶望に打ちひしがれる十嗣を尻目に、エリの行動は活発だった。拠点の確保の次は、食料の確保か。抜け目のない女だ。


「俺も立ち読みでもするかな」

「ダメ、来ないで」


 立ち上がり財布を探す十嗣を、彼女は冷たい言葉で静止した。


「何で?」


 当然の疑問をぶつけると、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「私、女の子。君、男の子。……わかる?」


 自分と十嗣の顔を交互に指差し、彼女はコンビニで買うものを暗に仄めかした。そういう物も置いているのか、食料と漫画しかないと思っていた。


「行ってらっしゃい」


 流石の十嗣も理解したらしい。少しだけ顔を赤くして、彼は扇風機の電源を入れた。弱々しいその風邪が、熱くなった彼の顔を冷ますことは無い。


「ついでに今日の分の着替えぐらい家から持ってくるわ。だから少し時間かかるかも」

「危ないから途中まで付いて行こうか? コンビニなら外で待っていればいいし」

「意外と紳士なのね」


 制服のスカートから財布を取り出し、彼女は中身を確認する。いくらか入っていたのか、満足した顔でそれを仕舞った。


「うるさいなあ」

「まだ夜の八時よ? 大丈夫大丈夫」

「じゃあいいか」


 悪戯っぽい笑顔を浮かべたまま、エリは部屋を出た。そしてすぐ、部屋の扉を開けた。


「あ、そうだ。この家でコンタクト使ってる人っていない? 洗浄液があるとありがたいんだけど」

「残念ながら誰もいません」

「仕方ない、それも買ってこよう」


 そんな物もあるのか。

 凄いな、コンビニ。




 土曜日は忙しかった。


 私は相変わらず何もしていないが、傍から眺めているだけで目が回りそうな一日だった。


 まずは十嗣。


 珍しく早起きをしたかと思えば、部屋の一角を占領している荷物の山を整理し、どこからか調達してきた段ボールを絶妙なバランスで積み上げた。そのおかげで、彼の部屋は一畳ほど広くなった。


 次に十嗣。


 いつの間にか起きていたエリに促され、彼女の部屋にある荷物を幾つか運び出す予定だった。しかし狂ってしまった。あれがない、これがない等とエリの言葉に振り回されているうちに、部屋を丸ごと掃除してしまった方が早いと気づいてしまったのだ。そんな考えを口にしてしまったが最後、彼らはゴミ屋敷を見事人が住めるアパートにまで復元した。


 十嗣の受難はまだ続く。


 二時過ぎに帰宅した二人は遅れた昼食を取った。そこで、朝からパチンコ店に並んでいた父が帰宅したのだった。彼はついに三ヶ月連続赤字を脱出し、その手には大量のお菓子と現金があった。エリには感謝の印として何かして上げたいと申し出るものの、猫をかぶっている彼女は当然断る。しかし状況は母の一言で一転する。前々から寝室用のテレビを買い換えたいと思っていた彼女は、新しいテレビを購入して、それをしばらくエリの部屋に置こうではないかと提案した。電気屋から帰宅してテレビの設定を終える頃には、もう夕食に丁度いい時間になっていた。


 最後に十嗣。

 中華料理が並べられた夕食で、母は言った。明日はエリちゃんの買い物に付き合ってあげてね、と。


 そしてその発言は、哀しいかな現実となってしまうのだった。


「んで、俺の休日はお前の日用品集めに付き合わされた訳だ」


 駅前には、それなりにいろいろな店が揃っている。パチンコ屋にファストフード店、それから大型スーパー。さらにそのスーパーの中には靴屋やら服屋やらが詰め込まれている。便利なものだと素直に感心してしまう。


「ご説明どうもありがとう。荷物持ちは任せたぞ?」

「お前、どれだけ居座る気だよ」

「奨学金が三週間後だからそれぐらいかな」


 奨学金というのは本来、学生が勉学に励むために借りている金なのだが、この女はやはりそれの意味を根本的に理解していない。


「一週間で奨学金使い切ったのか? 結構あるだろ! よく知らないけど!」

「だから一千万円になる予定だったのよ」


 あっけらかんとして彼女は言う。

 そんな大金お前みたいな自堕落な人間がもらえるわけ無いだろう。


「お前、もしかして凄い馬鹿?」

「女の子はいくつになっても夢を忘れない生き物なのよ」


 夢を持つのは勝手だが、宝くじが当たるという夢は女の子から随分とかけ離れたものに思える。


「ケーキ屋さんとかその辺にしとけ」


 いや、それも駄目だ。


 この女の事だケーキの値段はぼったくりでスポンジはほとんど空気、賞味期限など気にもとめない最悪のケーキ屋が出来上がるぞ。


「浅野くんもしかして女の子がみんな花屋かケーキ屋になりたいと思っているの? そんなのだから彼女居ないのよ」

「誰もそこまで言っていないだろ、あと俺は彼女がいないんじゃなくて作る気が無いだけだ……ってどこへ行く」


 十嗣が目を離した隙に、エリはフラフラとパチンコ屋に向かって歩き出していた。街灯に集まる夜の虫のようでなかなか間抜けだった。


「え? 取りあえず軍資金を増やしに行かないと」


 その手に握られているのは千円札三枚。

 違う、それはお前の生活費だろうに。


「はいはい何でも揃う百円均一はこっちですからねー」

「ああ、パチ屋の騒音とヤニの匂いが私を呼んでいる!」


 十嗣はエリの服を掴んで、大型スーパーへと歩いて行った。

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