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第二話 消えた自転車の謎を追え ~或いはエドワード・J・テイラーの謎~ part2




 事件を整理することは、探偵でなくても重要な事である。


 事務所など構えられるはずのない彼らが今日も行き着くのは、駅前のファストフード店だった。どうしようもない事件が起きた時、十嗣は決まってここのカウンター席で甘ったるいシェイクを啜りながら足りない頭を捻るのだ。


「今わかってることは……何? 被害者は正面マニア?」


 どうやら今日は、いつもではないらしい。まだカウンター席には座っていないが、彼の横にはエリが立っている。助手としては役に立ちそうもないが、三人寄れば何とやらという諺があるぐらいだ、無いよりは良いだろう。


「ついでに盗まれたのはラーメン丸二号……なんでお前がいるんだ?」

「暇なの。パチンコも誰かさんにやるなって言われたし」

「俺は悪く無いからな」


 エリは店員に水だけ注文すると、言ってはならない一言をつぶやいた。


「この事件は警察に任せた方がよさそうね」


 一般人に言うのなら、この言葉は間違いではない。むしろ、警察とは税金で面倒臭いことを肩代わりしてくれる集団なのだから、正しいぐらいである。

 しかし彼女は失念していた。

 目の前にいるのが、浅野十嗣だと言う事に。


「いや」


 忘れないように言っておこう。彼の夢はただ一つ、頭の中もそれしかない。


「俺は探すぞ……犯人を」

「何で?」

「探偵になりたいからだよ」


 探偵。

 その二文字に強い憧れを抱く彼は、今日も面倒事に笑顔で片足を突っ込むのだ。

 しかし哀しいかな、彼の意識は今だけ別のところに行ってしまった。ハンバーガーとドリンクが置かれたトレイに、何時まで経ってもフライドポテトがやってこないのだ。


「あの……フライドポテトまだですか?」

「申し訳ございません、今係りの者が……」


 そして彼らはフライヤーの前に立つ意外な人物を発見したのだ。背が低いので、簡単に気づいただろう。


「ちょっとさあ、いつも言っているよね!?」


 三十代後半ぐらいだろう、制服に身を包んだメガネをかけた男。多分この店の責任者だろうが、彼はこの際どうでもいい。


「いつも言っていることなら後でいいですよね? ポテトの角度よりどうでもいい話ですよね?」


 問題は店員の方にあった。彼女はMサイズのフライドポテトのケースに一本一本ポテトを差し込んでいる。正面マニアの彼女にはフライドポテトにさえ常人の理解出来ないこだわりがあるらしい。


「大事なことなんだからいつも言っているんだよ!」

「えっ、じゃあ店長は大事なことをいつも言っているんですね、女に会うたびに愛してるって百回は言うんですね、軽薄だと思いますよそう言うのは」


 人はそれを詭弁という。


「嫁さんには逃げられたばっかりだよ! 二十四時間年中無休ハンバーガー焼いてるせいでさぁ!」


 可哀想な労働環境だ。


「だったら二十四時間年中無休で愛を囁けば良かったじゃないですか」


 苛立つ店長の手が彼女に当たる。少しだけバランスを失った彼女の手は、綺麗に並べられたポテトに直撃した。


「あっ、ポテト倒れた」


 彼女の苦労は、たった数秒で見るも無残な物へと変貌していた。


「……店長、この仕事辞めさせてもらいます」

「大丈夫、お前クビだから」


 彼女の辞意は、ポテトが揚がるより早く受け入れられた。




 被害者女性が失言とその趣向のため解雇を申告された。

 厨房を後にする彼女は延々とフライドポテトの角度に文句を言い続けていた。対する十嗣とエリは、白日の元に晒されてしまった店長のプライベートに思いを馳せながらも急いでハンバーガーセットをテイクアウトに変更し、彼女を待ち伏せすることにした。店長が温度を保つべきだったのは肉を焼く鉄板ではなく自身の家庭環境だったのだが、私にはそれを教える手段も方法も持ち合わせていなかった。


 ちなみにハンバーガーをうまく焼くコツは鉄板の温度を下げないことだが、女性関係で言えばたまには仰々しいフランベのように一気に燃え上がる方が上手くいく。倫理的な根拠は無いが、女性とは往々にしてそういう生き物だ。


 彼らの安易な待ち伏せ作戦の結果は中々の物だった。要領の得ない説明を彼女に捲し立て、自分達が自転車を探すために力を貸すという一点だけを理解して貰う事に成功した。

 それまでに30分という貴重な時間を費やしたことに関しては大きな減点対象ではあるのだが。

 三人は今、近くの公園のベンチに腰を下ろし話を始めた。


「当時の状況を教えてくれると助かるんだけど」


 両手に花、と言えば聞こえは良いだろう。

 ただしその花の片方は手癖の悪いギャンブル中毒だと確認済であり、もう一方に関しても訳の分からない思考形態を持った女だと解っている。そして今新しく判明したことは、二人とも他人の食事を平気で奪い取る卑しい精神の持ち主だということだ。


「このポテト湿ってて美味しくないわ」


 盗人猛々しいとはこの事である。

 被害者女性はフライドポテトを咀嚼しながら文句を口から垂れ流した。十嗣の周りの女性には窃盗癖が頼まなくても付いて来るらしい。


「はい浅野くん、状況の前に知るべきことがあると思います」


 メインディッシュであるはずのハンバーガーを右手に、喉がつまらないためのドリンクを左手に持ちながら、エリはそんな事を言い始めた。


「何? 状況以外に何かあるの?」


 十嗣は虫歯予防に最適と評判の粒ガムを噛みながらそんな事を言う。彼が購入したはずのハンバーガーセットは全て両手の花に吸い取られていたので、彼は鞄の奥に残っていた粒ガムで小腹を満たすしかなかった。


「この人の素性」

「あー……」


 欠食児童と変わらない眼差しをハンバーガーに向けながら十嗣は間延びした声を上げた。


「この人って何よ、私には笹島みえこという名前があるのよ」


 重力に逆らえなくなるほどしぼんだフライドポテトの最後の一本を食べ終わると、被害者女性はついにその名前を教えてくれた。悲しいことに、私には覚えづらい名前だった。


「みえこと?」


 馬鹿丸出しの顔でエリが聞き返す。


「みえこ、よ。ところで私気づいたんだけど、もしかしてあなた凄く馬鹿なの?」


 自分の苛立ちを微塵も隠そうとせず、優しさの欠片も見当たらない言葉を被害者女性あらため笹島はエリにぶつけた。


「浅野くん、私この人凄く殴りたい」


 ドリンクでハンバーガーを胃袋に流しこんでから、エリは物騒な事を口走っていた。


「その時俺は一般市民としての義務を果たさないだろう……」


 十嗣はガムを包装紙に吐き出し、ロクでもないことを呟いた。

 どうやら私以外にまともな精神を持っている人間が一人もいないようだ。


「つまり賛成なのね」


 後押しされたと勘違いしたのか、エリは拳を握り締め目を輝かせた。


「自転車は? 探してくれるんじゃないの?」


 話をはぐらかし続けた笹島は、旗色が悪くなったと判断すると話を元に戻した。もしかすると、協調性が無いように見えるのはわざとそう振舞っているからなのかも知れない。


「その前に笹島さんの素性を知りたいんだけど」


 ポケットから生徒手帳とボールペンを取り出し、白紙のページに書きこむ準備をする十嗣。

 彼の主観による情報が断片的に書きこんであり、『身長は低い』とか『髪は長い』などと走り書きで記されている。ページのタイトルは『怪奇! ミステリアスな少女と消えた自転車』。

 別に怪奇現象ではないし、ミステリアスなのではなく単に頭のネジが緩んでるだけなのだが。


「身長の話をするなら帰るわ。ちなみにどこからどう見ても胸はEカップよ」


 胸を張って笹島はそんな事を言うが、後半は全くの事実無根だった。

 彼女の胸は適合する下着があるのかどうか疑わずにはいられないほどの平地だった。


「うわ、つまんない見栄」


 鼻で笑うエリの胸に視線を移せば、それなりには凹凸があった。しかし平均よりすこし小さいぐらいだろうと私は頭の中で結論づけた。

 どちらも年齢が低すぎるので、私の恋愛対象になりそうもない。


「……ねえ君? 私、この馬鹿な女……名前なんていうの?」


 十嗣の肩を揺さぶりながら、笹島は初めに尋ねるべき質問をぶつけた。


「服部エリよ。その足りない胸にせいぜい刻んでおく事ね」

「……このニンニンを蹴り殺そうと思うのだけれど、どう思う?」


 どんな過程を踏んだのかは知らないが、彼女の中で服部エリという名前はニンニンに変換された。


「誰がニンニンだ」

「口からニンニクの臭いが溢れてるわ」

「忍者の方じゃないの?」


 醜い女の言い争いを尻目に、十嗣は笹島の発言に突っ込んだ。ただ残念なことに、睨み合う両者に彼の声など届くはずもなかった。


「それでどう思う?」

「……出来れば財布から二万円を抜き取った後にして欲しいかな」


 意見を求められた十嗣は、飾り気のない素直な意見を口にした。


「浅野くん、裏切る気?」

「何言ってるのよ、浅野くん……浅野……ノンノンでいいや、ノンノンは私の魅力の虜になってしまったのよ。歯も磨かないニンニンよりは少なくとも人間的に負ける要素が無いわ」

「誰だよノンノンって」


 変な渾名に不満そうに文句を言う十嗣。当然のように二人は聞いていない。


「あなたこそ栄養足りなかったんじゃない? だから身長も脳味噌も中学生以下なのよ」


 エリの容赦ない言葉に、笹島の顔が一瞬だけ歪む。しかし冷静さを取り戻すと、またその減らず口を開くのだった。


「あら知らないの? 世の男性は背の低い女性に惹かれるのよ。とくにノンノンみたいな飛び切りの変態はね」

「やっぱり浅野くんは変態だったのね!」

「そう、ノンノンは下校中の赤いランドセルを見て以来真性のロリコンに……助けておまわりさん!」


 知らない間に訳の分からない悪口を言われた十嗣の目には、一筋の涙が流れていた。名誉毀損で訴えたら多分勝てるだろう。


「あのー……」


 殊勝にも手を上げ発言の許可を取ろうとする十嗣。


「何? 変態」


 笑顔で聞き返すエリ。


「変態が喋ったわ」


 顔を隠し距離を取る笹島。

 彼の周りにいるまともな女性は彼の母親しかいないのだと私は痛感せざるを得なかった。


「俺はただ、自転車を探しに来ただけなのに……」


 女性陣は目を丸くして、それから阿呆みたいに口を半開きにして頷いた。その口からは「あー、あー」などと本気で忘れていたことが伺える発言が聞き取れた。


「本当は二人とも知り合いなんだろう? それで俺を騙そうとしてるんだろう? わかってるよそれぐらい……」


 流れる涙は止まず、鼻水までもが垂れ流しになっている。彼の心はどんな精神科医でも直せないぐらいに傷ついてしまったに違いない。

 

 ――ただ三百円ぐらいあげれば機嫌は直るかもしれないが。


「泣かないでノンノン、さっき手を拭いた紙ナプキンあげるから。 ……ケチャップついてるけど」


 差し出された真っ白い紙ナプキンにはポテトの付け合せのケチャップがこびり付いていた。笹島よ、それはゴミだ。


「ほら浅野くん、パチ屋のポケットティッシュがあるわよ! ……使い切ったから固い紙しか残ってないけど」


 負けじとエリも小さなドラムバックからポケットティッシュを取り出したが、そこにあるのはポケットティッシュの亡骸だった。なぜわからない、それもゴミだ。


「あの笹島さん、盗まれた自転車の詳細を教えてください……」


 自前のティッシュで涙と鼻水を拭きながら、十嗣はついに話の本題を切り出した。今の彼は、最高に輝いていた。


「ラーメン丸二郎のことね。色はピンクでタイヤのサイズは20インチ。折り畳み式だから少し値が張ったわ」


 言われた特徴をメモ帳にサラサラと書き綴る十嗣。


「他に特徴は?」


 ひとしきり書き終わると、彼は笹島に向かってまたひとつ質問を投げかけた。すると彼女は突然笑顔になって冗談みたいな事を言った。


「秘密兵器が付いてるわ」


 秘密兵器。その単語は自転車という庶民的な乗り物とは似合わない物だった。


「……ビーム砲?」


 さんざん考えた挙句エリが出した結論は、お粗末以外の何物でも無かった。あるわけ無いだろう、そんな物。


「スタビライザーよ」

「何それ」


 私も分からん。十嗣よ、よく聞いてくれた。


「ノンノン、紙とペンあるかしら」

「はい」


 生徒手帳とペンを手渡し、笹島に手渡す。

 笹島は自分の個人情報が書かれているページに『胸は無い』という項目を発見すると、そのページを破り捨てた。それから白紙のページに勢い良く線を引いていく。


「……できたわ」


 自信満々に見せつけたそのページには、何が書いてあるのか私には理解できなかった。断っておくが、私は美術に関する造詣が深いわけではない。有名な絵を見ればなんとか画家の名前を答えられるぐらいだ。近年では新しい技法も発達したため、美術的な価値を私の独断で付けるわけにはいかない。


「なにこれ新種の虫?」


 おお、それだ。

 車輪のようなものは多分ムカデの足みたいなものだろうし、ハンドルを目指したのだろう二本の線はバッタの触覚のように見える。スタビライザーはどこにも見当たらなかったが、そもそも描かれていたのが我々が未だかつて見たことのない新種の虫であるのなら理解できなくて当然じゃないか。エリの無遠慮な発言もたまには役に立つじゃないか。


「文句があるならニンニンが書きなさい」


 生物史に新たな1ページを刻んだというのに、笹島は不貞腐れた顔で紙とペンをエリに手渡した。


「スタビライザーって何よ、そんな物知らないわよ」


 適当に自転車らしきものを描きながら、エリは文句を言った。その絵はなんとか自転車だと判別できるレベルではあるが、御世辞にも上手とは言えなかった。


「貴方達はどこまで馬鹿なのかしら。スタビライザーぐらい一般教養の範囲でしょう?」


 笹島は偉そうなセリフを垂れ流しながら、公園で遊ぶ子供の一角を指さした。


「……あれよ」


 小さな男の子が鼻を垂らしながら乗る子供向けの自転車には、立派な補助輪が付いていた。

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