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第一話 颯爽登場名探偵 ~或いは迷える学生探偵~ part3




 運というものを、私はあまり信じていない。


 もしそれを信じてしまえばそれに頼るようになり、終いには自ら努力を怠る危険性さえ孕んでいるためだ。だが、私があまり信じていないという遠まわしな言葉を使ったのは、それを実感する時が多々あるからだ。


 例えばすんでのところで銃弾がかすった時。

 例えばたまたま道路が混んでいたおかげで事故に遭う機関車に乗らなかった時。

 後はそう、ギャンブルの初心者が大勝した時ぐらいだろうか。


「ああ、もう糞、全然出ないじゃないこの台! 何がドジっ子リーチよ……零すなら花瓶の水じゃなくてパチンコ玉にしろっての」


 軽く台を小突いて、女は悪態と舌打ちを繰り返す。

 

 彼女の動きを見続けていた訳ではないので一体いくら金をつぎ込んだのかは知らないが、相当な額をすでに支払っていたのだろう。眉間に寄った皺がそれを教えてくれた。


「ねぇ、アンタは」


 次の瞬間、彼女は言葉を失った。

 無理もない、十嗣の足元にはドル箱がいくつも積み重ねられているのだから。


「え? 何か店員さんが来てケース補充してくれて……」


 ビギナーズラック。

 信用している言葉ではないが、他に適切なものが見当たらなかった。


「一箱貰うわ」


 女は泥棒顔負けの速さで十嗣からドル箱を奪いとり、『フィーバースーパーメイドさん』にパチンコ玉を投入した。


「ちょ、ちょっと」

「……授業料よ!」


 うろたえる十嗣に力強く言い放つ。

 何の授業料なのか私には全くわからない。


「今に見てなさい、三倍にして返してあげるんだから」


 当てにならない言葉を残して、女はまたハンドルを捻った。




 どれほどの時間が経っただろうか、駅ビルから覗く空はオレンジ色に変わっていた。


「負けた……三万つぎ込んで負けた……」


 まあ、女の顔はどんな夏の空よりも青く染まっていたが。

 自業自得という四字熟語を体現したその姿は、涙さえ誘った。


「どうしよう、二万三千円もある……新しいゲーム機買おうかな、いやでも靴もそろそろ良い奴を……」


 男の、十嗣の顔は明るかった。

 しかし彼は気づいていない、その倍の額以上の価値があるパチンコ玉を授業料と称して何度も奪われたということに。


「ねぇ、相談があるんだけど」


 唇に指を当てて、女はそんなことを言う。


「何だよ」


 不機嫌そうな口調で答える十嗣。

 誰だって迷惑をかけられた人間の願いなんて聞きたくはない。

 しかし、私は見たのだ。

 誠意という二文字を。


 土。


 彼らが今立つその場所は、正しく土の上だった。アスファルトで舗装されてはいるものの、そこら中に散らばる吸殻や埃は土と呼ぶに相応しい汚れようだ。


 下。


 腰を、体を下ろす。重力を最大限利用し彼女はその場所へと雪崩れ込む。高慢な態度が伺えるその顔は、もう見えなくなってしまった。


 座。


 汚らしい道路に彼女はもう座っていた。足を綺麗に並べ、頭はもう地面と同じ高さにある。彼女を包む絶望と一沫の希望が同居するその姿はまさに。


「いちま……二万円貸して下さい。今月の水道代と電気代がちょっと払えそうになくて……」


 土、下、座。DOGEZA。


 礼儀にうるさい日本人が産み出した最大限の屈辱。

 彼女に失うものはもう何も無い、欲しいのはただ金のみ。

 若い女がする事じゃないのだが、どういう訳か彼女のそれはなかなか様になっていて一種の潔ささえ見つけられた。


「どうせパチンコに使うんだろ」


 金は人を変えた。

 つい何時間か前までは高圧的だった女が頭を下げ、探偵に憧れた素直な青少年は意地汚い金持ちへと変貌していた。

 恐ろしい、中庸の素晴らしさを教えてくれる良い見本じゃないか。


「あれ? 会った時は敬語じゃなかった!?」

「え? 逆に聞くけど何でお金借りる人が敬語じゃないの?」

「ごめんなさい、これから気をつけます!」


 額を地面にこすりつけ、女は謝罪する。

 流石の十嗣にも良心が残っていたのか、手元にある紙幣を彼女に向かって差し出した。


「ちゃんと返すよな?」

「はい、何なら今から増やしてでも……」


 学習しない女である。


「もうパチンコやらないよな?」

「え……あ、はい! 大丈夫今週の日曜日に予想してるレースが」

「競馬も駄目に決まってるだろ!」


 この女、金を返すという倫理観を持っているのか?


「が……頑張ります」


 精一杯の笑顔を彼女は浮かべる。

 弱々しく、頼りない。


「約束だぞ?」

「ハイッ! ありがとうございます!」


 そして彼女は念願の二万円を十嗣から受け取る。

 しかしここで私は二つのことに気がついた。


 一つ、我々は彼女の素性を知らない。つまり金を取り立てようにもどこに行けば良いのかわからないのだ。詰めが甘い、と私は心のなかで舌打ちをした。


 もう一つ、これは私以外もすぐに気づくだろう。何せ晶が息を切らして走っているのだ、誰だってわかるさ。


「おい十嗣、何やって……お前本当に何やってるんだよ!」


 彼の意見は至極真っ当である。

 探偵探偵と口うるさい友人が、土下座をしている知らない女に金を手渡しているのだ。まともな人間が理解できる方がおかしい。


「どうした晶、お前も金を借りに来たのか」

「違う、いた! いたんだよストーカー!」

「あ」


 自分がここに来た目的をようやく思い出した十嗣は、間抜けな声を上げて晶の顔を見た。

 その一瞬の隙を、女は見逃さなかった。


 ――逃げた。

 全身全霊筋肉脳味噌全て活用し彼女は冗談みたいな速度でその場から逃げ去ったのだった。


「あ」


 間抜けな声がまた漏れる。遠目に見える女の顔には笑顔が溢れていた。


「気が向いたら返すから! じゃあね、名前も知らない高校生くん!」


 捨て台詞は、なかなか腹立たしい物だった。


「ほらあっち、あっちだって!」


 しかし消えた二万円の事など、晶に知る由もない。彼は必死になって十嗣の腕を引っ張った。

 十嗣はこの時、誰よりも迷ったに違いない。

 ストーカーか二万円か。


 彼の天秤は、今。


「……畜生!」


 僅差でストーカーを選んだ。探偵になりたいという気持ちがまだ心の片隅で残っていたんだろう。

 そして彼らは走りだす。


 二万円から遠ざかるように。




 ストーカーの姿は拍子抜けするほど簡単に見つかった。

 追うものはいつだってうまく逃げられないものである。


「……いた、あそこだ!」


 短い足を忙しなく動かすストーカーを指差し晶は叫んだ。

 彼が感じていた視線の正体は、何の事はない普通の女学生だった。もっともマフィアのボスよりも腹回りが大きな女性を普通と表現するには語弊があるのかも知れないが。


「任せろ!」


 威勢のいい返事と共に、十嗣は走る速度を上げた。

 長身の男と短足の女。いくら男女平等の世の中と言っても、徒競走のタイムには差がありすぎた。数秒も経たずして、ストーカーのすぐ背後を十嗣は走っていた。


「食らえっ!」


 彼は体育の授業で鍛えた得意のスライディングを女学生の足に放った。支えを失った女学生は、平地なのに坂を下るよう転がった。


「このストーカーめ……もう逃さないぞ」


 女学生の体を押さえつけ、十嗣は警官みたいな事を言った。

 犯人を取り押さえるのは探偵の仕事の内に入ってはいないのだが。


「……なあこの人、うちの学校の制服を着ていないか?」


 晶は服を見れば簡単にわかることを改めて口にした。

 どうやら私の予想は間違えていなかったようだ。


「本当だ」


 それにしても十嗣は指摘されるまで気付かなかったのか。

 何のために目が付いているのだろう、この男は。


「あの……」


 取り押さえられた女学生は、躊躇いがちに何かを喋った。


「何か喋った!」


 まるで異星人でも見るかのように、目を見開いて晶は言った。


「じ、事情だけでも聞いてください」

「犯罪者の話など誰が聞くか!」


 なんと頭の固いことを言うんだろう、十嗣は。


「ま、まあ少しぐらい聞いてやろうぜ」


 ストーカーの被害に遭ったというのに、晶はまともな意見を口にした。

 これではどちらが探偵になりたいのか解らないぐらいである。




 この街は物や店に溢れかえっているだけあって、学生が小腹を満たす場所に欠かない。さらに嬉しいことに、駅前の牛丼屋はテーブル席が用意されていた。


「……それでどこまで話しましたっけ」


 ストーカーの女学生は、見た目通りの大食漢だった。

 きっと胃袋が無意味に大きいのだろう。それか牛のように四つも搭載しているのか。


「四杯目の牛丼を平らげた所まで」


 頬杖をついて、詰まらなさそうに答える晶。

 つい先程まで追いかけられていた女と一緒に食事をする彼の神経はやはり理解出来ない。


「つまり何も聞いていないって事だな」


 まあそうなるな。


「そうですね、何から話せばいいのか……あっ、店員さんポテトサラダ単品でお願いします!」


 まだ食べるのか、この女は。


「どうして晶なんか追いかけていたんだ?」


 女性にそんなことを尋ねるのは野暮だと思うのだが、どうだろう。


「なんか、とは何だ」


 実は馬鹿にされていた晶が軽く言及するが、彼らの時間は何事も無かったかのように進んだ。一瞬何かに気づいたような顔を浮かべた女学生は、思い出したようにハンカチを見せびらかした。


「実はその……これなんです!」


 口周りを拭いたそれは本来の色を思い出せないぐらい醤油の染みで汚れていた。他にもどこを丹念に掃除したのか知らないが所々が紫に変色しており、さらには食事中に目をしたくない色までも……これ以上このハンカチについて言及するのはやめよう。


 綺麗にするための道具で私の精神衛生が汚される訳にはいかないからな。


「……もしかして、晶の落とし物か?」


 閃いたのだろう、十嗣は唐突にそんな事を言った。

 すると女学生は急に笑顔になり、何度も首を縦に振った。


「はいっ、それで本当はすぐに渡そうと思ったんですけど、なんだか段々と晶さんの事を見ているうちに、私、私……!」


 事件の真相を突き詰めた男子高校生二人の動きは早かった。急いで席を立ち自分の伝票をつまみ上げ会計へと向かったのだ。

 わざとらしく走り出さないその姿が、余計に彼らの心の中を示していた。


「よーし十嗣、飯も食ったしゲーセンでも行くか」

「そうだな、事件は無事に解決したからな」


 店を出ようとする二人に、女学生は狼狽えハンカチを握り締めていた。


「あの、これは……」


 流石の晶も人並の衛生観念を持ち合わせていたのか、かつて自分の物であったハンカチを冷たい目で見つめていた。


「それはもう君の物だよ……俺には受け取れないな」

「あ、晶さん……」


 晶の言葉の裏に隠された意味を知らず、女学生が歳相応にときめいた目を浮かべる。美人であれば素晴らしい光景なのだが、私にはコカイン吸引後のマフィアのボスにしか見えなかった。


 私に言えることは、贅肉にも限度があると言う事ぐらいだろうか。


「店員さん、このクーポン使いたいんですけど」


 先程晶がお守りがわりに受け取った割引券を取り出し店員に渡した。


「え? ……申し訳ございません、そちらのクーポン有効期限が切れておりまして」

「え」


 驚いたことに、間抜けな声を上げたのは十嗣の方だった。




 時計の針は進み、今は優雅な昼休み。


 十嗣の居場所はまた保健室へと戻った。事件解決後の雑談は、当事者以外の人間にとっては必要な物なのだ。


 折角なので、ここで私がこの事件を簡単にまとめてみよう。まず晶がどこかでハンカチを落とし、それを拾った女学生はすぐに渡そうとするも段々と彼に好意を持つようになった。落し物は届けねばならないという正義感と、憧れの彼と口を利けそうにないという乙女心が複雑に混ざり合った結果、ストーカーという厄介なものに変貌してしまったのだ。


 まとめてみると数行で終わってしまったが、それは世の常である。

 私は悪くない。


「それで事件は解決した訳だ。とりあえずお疲れ様、浅野くん」


 十嗣の物足りない上に所々酷い脚色を加えた冒険譚に、佐藤は相槌を打って感想を述べた。


「終わってしまえば大した事じゃなかったですね」

「日下くんは何か言っていたかい?」

「相手の顔がわかれば別に怖くないとか言ってましたよ」

「確かにそういうものかもしれないね。……しかしこの学校の生徒か、あまり他の先生には聞かせたくない話だな」

「何か言いました?」

「別に? こっちの話しさ」


 保健室の中には淹れたての紅茶の香りが漂っている。

 使っている茶葉は遠目で見るにいたって普通の物なのだが、その香りは高級品と遜色の無いものだった。

 もしかするとこの男は、執事の方が向いているのかもしれない。


 そんな私好みの空間に、一つ残念な音か響いた。

 ドアを小気味よくノックするその音は、保健室が本来の用途を果たさねばならないと教えてくれた。


「どうぞ」


 紅茶を啜り、佐藤は顔の見えない生徒を促す。するとそこに現れたのは、私にとって意外な人物だった。


「先生、お腹痛いんでちょっと早退したいんですけど……」


 私は彼女の素性はもちろん名前さえも知らない。

 ただ一つ知っている事といえば、窃盗の前科を持っているという事ぐらいだ。しかし学生だとは思っていたが、この女も同じ学校の生徒だったとは。


 世間は案外狭いものだ。


「服部さん、また腹痛かい? そういえば一昨日もそんな事を言ってたと思うんだけど」

「いや、一昨日は確か急にインフルエンザになったような気が」


 首を傾げる女……どうやら服部という苗字らしいが、彼女は水を失った魚のように口を何度も開け閉めする十嗣の顔を見つけてバツの悪い苦笑いを浮かべた。


「先生、今日は普通にサボります」


 そういえば日本の警察は一一〇番で正しかっただろうか。

 なに被害者も加害者も揃っているのだ、犯罪の立件など容易い事だろう。


「待てお前、金返せ!」


 十嗣は椅子から飛び上がり、狭い部屋を逃げ回る服部を追いかけた。


「先生助けて、知らない人が追いかけてくる!」


 どの口が言うか。


「だったらなぜ逃げる!」

「そうか」


 どこに納得したのか、女はその場に立ち止まる。その拍子に間抜けな十嗣は周囲の棚を巻き込んで転んでしまった。


「君は知らない人だ」


 服部は十嗣を指差し、笑顔でそんなことを言い切った。


「金返せ」

「だから、お金も借りてない……普通はそうなるよね」


 確かにそうなるのかもしれないが、前提条件が間違っているのでその証明は間違っている。もっともこの女はそれを理解した上で質の悪い冗談を口にしているのだろうから、少なくとも十嗣よりは頭がいいのだろう。


「二人とも知り合いかい?」

「はい」

「違います」


 佐藤の問いに、二人は正反対の言葉を返した。


「どっちだい?」

「そうだ先生聞いてください、こいつ昨日パ」


 学習能力のない男だ、この女の前で不用意な発言をすれば脛を蹴り上げられると相場が決まっているのに。


「あらやだ先生、この人急に小学校の頃の古傷が痛み出したわ! はやく保健室に連れて行かないと!」


 なんだその設定は、嘘をつくならもう少し説得力のある物にしろ。


「服部さーん」

「ほら君、しっかりして! 大丈夫すぐに着くから!」


 佐藤の問を無視して、服部は十嗣に肩を貸して部屋を出た。


「保健室……ここなんだけど」


 彼女が口にした目的地からは、確実に遠ざかっていた。




 十嗣が連行された先は、人気のない体育館裏だった。

 通常なら男女ふたりでこの場所にいる事は即ち砂糖を入れすぎた紅茶より甘い青春の一ページなのだが、彼らは一歩間違えてしまったのだ。


「私、お金が無いのよ。貧乏なの」

「はあ」


 脛をさすりながら、気のない返事をする十嗣。


「だからちょっと良くない方法でお金稼いでるんだけど……学校ではそのこと内緒にしてくれる?」

「普通の方法で稼いだら?」


 十嗣の正論を耳にした途端、彼女の顔はみるみる絶望に変わっていった。


「そんな……」


 頭を抱え天を仰ぐ。


「そんな面倒臭いこと出来るわけ無いでしょう!」


 そして彼女は叫んだのだった。

 そこで私はある事を理解してしまった。


 この女、凄い馬鹿だ。


「まあ二万円はそのうち返すわ。ええと……」


 次の言葉を探し、立てた人差し指を所在なく振り回す服部。


「浅野十嗣」


 自分の名前が尋ねられていると気づいた彼は、漢字変換を間違えそうな名前を口にした。


「変な名前。君って名前まで覚えやすいんだね」

「知ってるよ、父親にだって文句を言ったさ」


 彼女は笑う。二万円の事は忘れてしまったようだ。


「私は服部エリ」


 白く小さな右手を彼女は十嗣に差し出す。

 エリという名前は外国人の私にとって覚えやすい名前だった。今度からはそう呼ぶことにしよう。


「よろしくね?」


 その手を彼は握り返す。もちろん、不遜で不機嫌極まりない表情で。

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