第一話 颯爽登場名探偵 ~或いは迷える学生探偵~ part2
放課後になるまで、私は退屈をせずに済んだ。
何せ十嗣の言動がいつにもまして面白かったのだ。日頃彼が探偵になるために行っている事といえば、古本屋で推理小説を漁るか、パトカーのサイレンを聞きつけてはしょうもない事件に首だけ突っ込むも守秘義務の四文字に情報を何一つ教えてもらえず冴えない顔で帰宅するぐらいだ。
しかし今日は違う。小さく、これまたしょうもない事件ではあるが、彼は探偵としての役割を生まれて初めて与えられたのだ。
だから彼は浮ついていた。日頃から精を出さない授業からさらにやる気を削ぎ、ニタニタという擬音付きで気色の悪い笑みを浮かべクラスメイトに尋ねられては『いや、これは教えられないな』と注釈付きで訳知り顔を浮かべるのであった。
彼を観察するだけで、時計の針は景気よく進んでくれた。
「失礼します」
保健室の扉を開くその顔も、間抜けで笑える顔だった。
「やあ」
そこにいたのは、やはり養護教諭の佐藤。
「よっ」
それからもう一人、私の知っている人物が椅子に座っていた。
その名前を、日下晶と言う。
「失礼しました」
友人の顔を見つけてからの十嗣の行動は早かった。目にも留まらぬ速さで開けたばかりの扉を閉め、深呼吸を繰り返し落胆と諦めを抑えようとする。
「駄目だよ浅野くん、依頼人の顔を見て逃げ出すなんて」
「もうこの際お前に頼るしか……」
「とりあえず中に入って、ね?」
扉の奥から聞こえる声に促され、彼は深い溜息をついて保健室の中へと入った。
「先生、謎が解けました」
二人の顔を改めて見直し、早過ぎる犯人の指摘を始める十嗣。
私でさえ何一つ手がかりを掴んでいないのだ、解るはずはない。万が一事件の真相をこの場で解き明かしたのなら、彼は私以上の探偵という事になる。
――まあ、十中八九彼が馬鹿なだけなのだが。
「おお、早いね」
「誰なんだよ、ストーカーは?」
十嗣は犯人を指差し、元気の欠片もない声で答えた。
「そいつの妄想です。早いところ病院に電話しましょう」
よかった、彼はただの馬鹿だった。
「うん、最初は僕もそうだと思ったんだけど」
「見捨てないでくれよ、なぁ!」
「……話だけでも聞いてやるよ」
十嗣が椅子に座り、晶は重い口を開き始めた。
語られた彼の体験はあまりにも感情的な上に途中泣いたり喚いたりと大変で今一要領を得なかったので、私は全て聴き終わったあと改めて事件について考察を始めた。
部活動にも入らず、特に将来の目標は無いものの恋人探しに余念のない日下晶はよく駅前をうろついている。道行くカップルを見かけて俺の方が顔はいいのにと悪態をつき、女子のグループを見つけてはその容姿に点数をつけては眺めている。
しかしそれは、三週間前までの事である。
彼はいつものように駅前に繰り出し、ため息をついて帰宅する途中誰かの視線を感じ始めた。後ろを振り返るもあるのは誰もいない道路だけ。彼を負う視線は日増しに強くなり自分の部屋と保健室でしか安全を感じられる場所が無くなっているらしい。
――私なりの推測はこうだ。
着目すべき点は彼の行動についてである。
位置的な情報だけを書き示せば、学校、駅、家という順序になる。この学校から駅までの道はせいぜい徒歩五分程度なので、大きな移動は駅から家までという事になる。
だから犯人を捕まえたければそこら辺で網を張れば解決するのだが、探偵として依頼人を囮にする訳には行かないので、もっと理性的に考えなければならない。
もう一つ気になるのは、彼が安全を感じられると言った場所である。自宅はともかく、保健室というのが重要だ。そう、学校全体ではないのだ。
つまり犯人は、彼が追跡妄想にとらわれているという可能性を無視すれば、この学校の生徒であると断定できる。さらに帰宅部である彼を追いかけるぐらいだから、その犯人も帰宅部という事になる。
まあ、それがわかった所で個人を特定するには至らないのだが。
「浅野くん、改めてどう思う?」
「人が多い場所でつけられているっていうのは、少し信憑性に欠けると思いますけど」
確かに駅前で視線を感じるというのはある意味不思議な事ではない。ただ、こういう感覚的な事柄は本人にしか解らないので追求する必要はないだろう。
「じゃあ俺、今日から人通りの少ない道を選んで帰るわ」
「それだとストーカーの思う壺じゃないのか? 突然襲われたり」
あるいは、突然銃で撃たれたり。
「そうだ、しまった!」
天を仰ぎ絶望に浸る友人をよそに、十嗣は冷静な面持ちで立ち上がった。
「まあ、今わかっている事は……情報があまりにも足りないって事ですかね」
「そうなるね」
そうなるな。
「それじゃあ先生、俺は色々探してみますよ」
「ああ、期待してるぜ十嗣」
「お前も行くんだよ」
いつの間にか保健室のベットで横になろうとする晶の首根っこを捕まえて、私たちは保健室を後にした。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
放課後の駅前は、多くの人で賑わっていた。
その大半が個性豊かな制服に身を包んだ学生で、たまに上下スーツに身を包んだ会社員らしき人間を見かける。残りの人間は私服を着ているので残念ながら職業を推測することはできない。
「それで、お前これからどうするつもりだ?」
ため息をつき少し視線に怯えながら、晶が十嗣に尋ねる。
「とりあえずこの辺に人通りの少ない路地とかあるだろ、少し歩いてこい」
なんと酷い、晶を見殺しにする気なのだろうか。
「え」
絶句する晶。私は初めてこの男の境遇に同情した。
「安心しろ、ちゃんと俺がお前を尾行する」
「不安だな……」
不安だ。
「仕方ない、良い物をやるよ」
学生カバンに手を入れ、良い物を探す十嗣。私はこの中に何度も入ったことがあるので知っている。良い物と呼べる物は何もなく、暖かい日には弁当の匂いが充満する居心地の悪い場所だという事を。
「お、何? 催涙スプレー? それともスタンガンとか……探偵目指してるんだもんな、それぐらい持っていても」
「はい」
一枚の紙切れを取り出し、晶に手渡す。
「何これ」
「牛丼屋の割引券」
名刺よりも一回り小さいその紙切れには『今だけ牛丼250円!』と大きく書いてある。
「……確かに良い物だけどさ!」
ポケットにそれを押しこみ、彼らは目的の場所へと歩いて行った。晶にとって不運な事が二つある。
一つは、探偵に憧れる友人が探偵というものを履き違えたという事。
全く私の活躍を何度も見ているのに頭の足りない友人である。
もう一つは、牛丼屋の割引券はとっくに使用期限が切れているという事。
十嗣より頭の足りない晶がそれにいつ気がつくのか、流石の私でも想像はできない。
何せ彼は私の想像の常に斜め上を行く大馬鹿者なのだから。
尾行、という言葉を私は正しく理解している。
決して目立たず、尚且つ目標との距離を正しく取り、その上周囲の人間から怪しまれてはならない。時には目標の前を歩き、また時には喫茶店に腰を下ろし目標を監視することも重要である。
やはり十嗣はその意味を盛大に間違えていた。
彼は電柱の影に隠れ、体を半分以上出して晶の一挙一動を見守っている。身長と白い髪のおかげで、彼はこの人気のない道で誰よりも目立っていた。傍から見れば、不審者かストーカーの二択しかない。いつ職務質問を受けてもおかしくない状況である。
「ねぇ君」
例えば、こんな風に。
「……聞いてるの?」
しかし私の予想と違ったのは、彼に話しかけたのが警察では無かったという事だ。
全く世の中には物好きがいるものだ。
声を掛けてきた女性は当然私の知らない人間で、訝しげに十嗣の顔を覗き込んでいた。
整った顔立ちに、長く艶のある黒髪は背中まで伸びている。首から上だけを見たのなら中々悪くない容姿をしているが、そこまで良くない原因は服装の方にある。
小型のドラムバックを肩から下げ、上は白いブラウスに下は所々破けたジーンズを着用している。茶色のローファーは彼女が高確率で学生であることを示唆していた。せめてもう少しまともな格好をすればもっと美人に見えるのにと私は残念がった。
彼女もまた、頭のネジが緩んだ人間の一人だったらしい。
十嗣が無視を決め込んでいると判断したのか、彼の脛に鋭い蹴りを放った。勢い良く脛を蹴り上げられた十嗣は奇声を上げてその場に屈む。
私はその拍子に定位置の尻ポケットから落下してしまった。人間にしてみれば大した高さではないが、本の私には中々応えるものがあった。
……なるほど、なかなか痛いじゃないか。
「何をするんだよ!」
当然の怒りだ、十嗣。その非常識な女にもっと怒りをぶつけるんだ。それはもう、私の分まで。
「いや、電柱なら蹴っても大丈夫かなって……」
酷い理由だ、自分が無視されたことがそんなに腹立たしかったのか。
「どういう思考回路してるんだよお前は」
「じゃあ変態だ」
失礼な発言をする彼女に嫌気がさしたのか、十嗣は深い溜息をついた。
「あのね、俺今凄く忙しいの。ほら、帰った帰った」
手で彼女を追い払い、また電柱の影に隠れる十嗣。
私の存在に気付いたのは彼女の方だった。無残にも転げ落ちた私を拾い上げ、一瞬だけその表情が真面目な物に変わる。
しかしすぐに何かを思いついたのか、気色の悪い笑顔に変わるのだった。
「……何だよ」
彼女がまだいることに気づいたのか、それとも単に話しかけたくなかったのか。十嗣ができるだけ嫌そうな顔を作り彼女に向き合った。
「わかった、探偵ごっこだ……ところで、これゴミ?」
何とこの女、私をゴミとは何様だ。
「ごっこじゃない、俺はちゃんとした探偵になりたいんだよ! あとそれはゴミじゃない大事な物だ!」
私を勢い良く彼女が奪いとり、定位置に戻す。
そして言いたいことを言い終えるとまた電柱の影に隠れた。彼の気持ちは嬉しいのだが、その姿はやはりどこからどう見てもちゃんとした探偵ではなかった。
「私の知ってる探偵とは何か違うんだけど……」
不貞腐れた顔で、女は呟いた。
聞き取れないぐらい小さな声だったが、残念なことに十嗣の耳に入ってしまった。
「……探偵の知り合いがいるの?」
そして情報を盛大に間違える。先程の発言をそう判断するには情報が少なすぎると言うのに。
「え? ……まあそんな所かな」
一言、たった一言である。
十嗣は襟と態度を改め突然この失礼極まりない女に言い寄った。
「あ、あ、俺、浅野十嗣って言います! あの! その人、探偵さんを! 紹介して欲しいんですけど!?」
鼻息は荒く目は血走っている。
まともな人間などどこにもいなかった。
「急に敬語になられても……ていうか君、どう見ても高校生じゃない」
「じょしゅ、助手から始めたいと思います! 資料の整理でも何でもやりますから!」
本当にそれをやってくれるのなら、是非とも私が雇いたいぐらいなのだが。
「ちょっと、いいかしら」
「はい、履歴書ですか!?」
だから、どうしてそうなる。
「君はね……そもそも探偵に向いてないと思うんだけど」
女は頭を捻り正論を口にする。
「どどどどこがですか!」
「まずは背。電柱のコスプレするならわかるけど、街中だと目立ちすぎるし……」
確かに、彼は目立たないという事が不可能に近い。せめてあと五センチ背が低ければ救いようがあったのだが。
「小さい頃から毎朝牛乳飲んでます!」
「褒めてない褒めてない」
私のように紅茶にしておけば良かったものを。
そうすればその日本では目立ちすぎる身長もどうにかなっただろうに。
「次に髪。染めてんの?」
「生まれてからずっと真っ白です!」
「染めたら?」
「かぶれるから医者がやめろって!」
そんな理由があったのか、知らなかった。
「とことん向いてないのね……それと最後にもう一つ」
「はいっ!」
彼女は無言で奥の路地を指さしている。遅れてやってきた十嗣の視線が捉えたのは、ただ舗装された道だけだった。
「尾行してる人、どっかに行ったわよ」
晶はいない。
その痕跡は見当たらない。
「あっ」
間抜けな顔で間抜けな声を上げる十嗣。
そして彼は笑った。
「……あいつなら一人でも生きていけるよ」
というか、誤魔化した。
「まあ確かに、男の尻を追いかけたってホモにしかならないものね」
「ひどい事言うね」
ひどい事を言わないでくれ、仕事でやらなければならない時もあるんだ。
「……いいわ、私が君を一人前の探偵にしてあげるわ」
何を血迷ったのか、女は突然そんな事を言い始めた。
別にこの女は探偵じゃないので学ぶべきことなど何一つ無いのだが。
「本当!?」
しかし十嗣に冷静な判断を下せる立派な脳味噌は搭載されていない。
あるのは探偵の二文字で埋め尽くされた絶賛故障中の不良品だけ。
「でもその格好じゃ目立つわね……今すぐ家に帰って私服に着替えてきなさい」
「はいっ、わかりました!」
家に向かって真っ直ぐと走りだす十嗣。ここに来た目的はもう見失ってしまったが、彼にとっての大きな目標には少しだけ近づけるのかもしれない。
もしそうなら悪くないのだが、あの女の態度を見るとそうは思えないのであった。
「いい? 探偵に必要なものって何だか知ってる?」
駅前のとある店の前に立つ私服の二人。
女はその場所とは何一つ関係の無さそうな講釈を垂れ始めた。
「……直感と閃き?」
「ブッブー外れ不正解」
いや、少しぐらいは必要だと思うぞ。
「正解はね、データよ。膨大な過去のデータを正確に把握して始めて、一つの結論にたどり着くのよ」
確かにそれは重要だが、なぜだろうこの女がそれを言うと納得できない。
「あの、質問があるんだけど」
「何かしら」
「それと目の前の施設に何の関係が……」
そう、そうなのである。
情報はたしかに状況を判断するために必要な物ではあるが、やはりそれとこの騒音とタバコの匂いが充満する施設との関係性が見えてこない。
「あるわよ!」
残念なことに、彼女は違うらしい。
「いい? パチンコって言うのはね、もう台の時点で大当たりが出るか出ないかが決まっているの。さすがに高校生だから確率の話はわかるわよね? だいたい大当たりの確率って390分の1ぐらいなんだけど、過去のデータをしっかりと見ることで期待値を限界まで上げることができるの。わかる!?」
申し訳ないが、理解出来ない。
ギャンブルで儲けようなんてするのは馬鹿のやることだとこの女は気付いていないのだろうか。何せ賭場が商売として存在しているのだ、客が儲けられる筈がない。
それに詳しくは知らないが、最近のギャンブルはコンピューターで制御されているとの話だ。言ってしまえばハーバード大学を主席で卒業したディーラー相手にポーカーで一儲けしようとするような者だ。
「えっと、俺未成年なんだけど」
「大丈夫、私も未成年だから」
やはり学生だったか。
しかしこの年からギャンブル狂など末恐ろしい女である。
そして彼らは喧しいパチンコ店へと入っていった。
まず気になるのが、やはり音。
やかましい効果音を立てる機械に暇人たちが真剣な眼差しで向かい合う。彼らの手元には決まって紙巻きタバコがあり、絶えず火をつけ煙を吐き出す。
紳士の嗜みも安くなってしまったものである。
「それで、次は何をすればいいんだ!?」
騒音のせいで会話もままならず、彼らは大声で話す必要に駆られた。これだけ技術が進歩しているのに、パチンコ店は今日も五月蝿いままだ。
「話しかけないで、今集中してるの」
パチンコ台の上に表示される数字やグラフを睨み、首を振っては違う台へ。その地道な根気を是非とも違う分野へ向けて欲しいものだ。
「何、聞こえない!」
上手に意思疎通ができず、十嗣はとうとう叫び声とも言えるぐらい声を張り上げた。
「……黙れ!」
帰ってきたのは、冷たい言葉だった。
「ここね、ここに決めたわ」
ようやく納得したのか、彼女はでかでかと女中の絵が書かれた台に腰を下ろした。『フィーバースーパーメイドさん』と言うらしいが、小間使いから金をせびるなど人として恥ずかしくならないのだろうか。
「あの、俺はどうすれば」
「横、空いてるわよ。どうせどこでやったって負けるんだし」
彼女は慣れた手つきで投入口に紙幣をつぎ込みハンドルを捻る。もしかしてこれだけで金を取られるのか?
「はあ」
「君も少しぐらいやったら? お店の人に怒られるわよ」
声を潜めて女は言う。
ようやくパチンコにありつけたのが嬉しいのか、機嫌が良くなっているのが表情でわかる。
「じゃ、じゃあ千円ぐらい……」
十嗣は財布から千円札を取り出し、見よう見まねで投入口に入れる。これに関しては一生ぎこちないほうが得だろう。
「けち臭いわね」
「高校生には大き」
未成年を表す三文字の単語を、彼女は聞き逃さなかった。
素早く、かつコンパクトに放たれた蹴りは、まっすぐと十嗣の脛に命中した。
「え? 何? コウ・コウセイ? いたわねーそんなアジアの俳優!」
わざとらしく他の客にも聞こえるよう彼女はふざけたことを言う。
「……迂闊なこと喋るんじゃないわよ」
それから十嗣を耳打ちで咎めた。
その声の冷たさから察するに、この店を追い出されるか否かは彼女にとって死活問題なのだろう。
金銭的な意味でも、社会的な意味でも。
「それで……俺はどうすればいいんでしょうか」
彼は涙目で脛をさすりながら、次の手順を女に尋ねた。
「真ん中にチューリップがあるでしょ? そこに玉を入れるの。ゲーセンとかでやったこと無いの?」
「無いよ、悪かったよ」
銀色の玉が吸い込まれるようチューリップと呼ばれる飾りつきの小さな穴に入っていく。
もしかするとこういう地道な作業のほうが彼に向いているのかもしれない。