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第五話 颯爽登場エドワードJ・テイラー ~或いは浅野十嗣の事件簿~ part3




 彼らは、扉の前に立つ。


 ――思い返せば事件の終わりはいつもこの場所だった。


 今回もその例に違わず、一応の終わりはこの場所で終わる。その確信は十分すぎるほどあった。

 震える手で、十嗣はノックする。

 さて、上手くやれるだろうか。


「はい、どうぞ」


 声に促され扉を開ける。そこにはいつかのように晶の姿は無かった。机に向かって仕事をする佐藤がいつものようにそこにいた。


「失礼します」

「下校するにはもう遅い時間だと思うけれど?」

「ちょっと、大事な用があって」


 いつものように笑う佐藤とは対称的に、十嗣の顔は強ばり眉間に皺が寄っていた。いつもは五月蝿いエリは黙って適当な丸椅子に腰を下ろした。


「手短に終わらせてくれると助かるかな」

「先生って、この本好きでしたよね。だったら当然知ってるはずだ……エドワード・J・テイラーの、最初の事件」


 ポケットから私を取り出し、十嗣は佐藤に手渡した。佐藤はページを捲る素振りなど見せず、ただ目を細めた。


「次は、これを見てください……大変でしたよ、なにせドーナツが二個も必要だったんですから」


 次に十嗣は、交番で印刷してきた事件の資料を佐藤に渡した。重要な部分には改めて黄色いラインマーカーで線が引いてある。そのページで唯一色のついた単語は、死体を解剖した監察医の名前だった。


 佐藤敬之と、そこにはある。

 同姓同名で済ませるには、辻褄が合いすぎていた。


「言い逃れは出来なさそうだね」


 私の彼に対する印象は、少しばかり間違っていた。まるで本物の医者のようだと思っていたが、事実彼は医者として生計を立てていた。


 十嗣の膝は震えている。憧れていた推理小説の中で手垢のつくほど使い古された常套句を、彼ははっきりと口にした。


「犯人は、あなただ」


 そう宣告されても、佐藤の顔は何一つ変わらない。

 当然だ、彼はまだ名探偵などではなくただの高校生なのだ。


「……動機は?」

「保険金」


 その一言は、決め台詞の何倍も佐藤に効いたらしい。かれはまたいつものような笑顔に戻り、深い溜息をついた。


「参ったな」


 その言葉に十嗣の頬も緩んだ。

 どうやらこれで、事件は解決したらしい。当たり前のように、今回も私の推理は的確だった。


「100点だ、浅野くん」


 当然だ、何せ私が付いていたのだ。


「でも、おかしいわよ? だって保険金は全部私が……だから、お父さんが殺される理由には」


 事件の全容を掴めていないエリは、二人の顔を心配そうに見合わせた。


「あのさあ、本当の殺人事件だったら俺は今頃警察に連絡してるよ? 何で丸腰でここに来たか考えてよ」


 いつか彼が言われたセリフを、少しだけ改変して返した。彼の言うことは間違いなく正しい。


「殺人事件じゃ……ない?」


 つまり、そういう事だ。


「止めたよ、もちろん。馬鹿な事は止めろって……だけど、気付いたんだ。僕は彼とその一人娘を背負えるほど、強い人間じゃないって」


 彼と作者であるウィル・クランツとの関係まで私は探るに至らなかったが、佐藤のその言語はその必要性が無かった事を保証してくれた。


「だから協力したんだ、名探偵にしか解けないあの事件に」


 佐藤が十嗣に目配せすると、彼は照れたように頭を掻いた。まあ、100点を貰ったのだからそれぐらい許してやってもいいだろう。


「話が見えないよ……教えて欲しいな」

「初めまして、エリ。僕は……君のお父さんの古い友人さ」


 保健室の常連客に、彼は紳士的な態度で右手を差し出した。

 エリは震える手で握り返すが、震えなんてものは直ぐに消えた。


 佐藤の目に、涙が浮かんでいたからだ。




 事件は警察が手こずっていたとは思えないほど、あっさりと解決した。


 全ては私の推理と寸分違わなかったので、ここから先は言ってしまえば単なる答え合わせだ。だから聞き流してしまっても良かったのだが、念のためという事がある。


「自殺なら保険金は降りないって、二人は知ってるかい?」

「ええ、まあ」


 佐藤の確認に、二人は曖昧な相槌を打つ。


 ウィル・クランツと佐藤敬之の目的は、ウィルに掛けられた保険金だった。ただ普通の保険金殺人と違うところといえば、誰も死んでいないことと保険金の受取人は犯人達では無かったという事。


「そこで僕たちは架空の殺人事件を起こした。彼の私物を適当に誤魔化し遺留品として提出し、さらに司法解剖し虚偽の報告をした」


 犯行の手口は、至って質素な物だった。


「そんな簡単に……警察だって仕事はしてるでしょう?」


 呆れた顔で十嗣は言う。すると佐藤は厭世的な微笑を浮かべた。


「彼らが腐っているのは、僕が一番知っているよ。通行人は殺人犯じゃないかと疑うくせに、身内にはとことん甘い……今では転職するいい機会だった思ってるよ」


 彼の過去は、私や十嗣が簡単に掘り返して良いものではないと悟った。だから十嗣は、ただ事件についてだけ彼に尋ねた。


「偽の死体はどうやって?」

「古巣の大学病院からちょっと借りたよ。身長が180センチ超えてる骨格なんて探すのが大変だったけどね……ちなみに肉はスーパーでグラム98円だった」


 いくら人肉の塊に見飽きてるからと言って、特売品は使わないでほしい物だ。どうせなら、世界中の子供達が目を輝かせる上等なサーロインでも用意して欲しかった。


「その、それじゃあ……」


 声を上擦らせ、エリは佐藤に詰め寄る。

 おいおい、気づくのが遅くはないか?


「彼は、生きているよ」

「どこ? お父さんは……どこにっ!」


 佐藤の胸ぐらを掴み、エリは叫んだ。


 突然のことに十嗣は驚いたが、すぐに間に入り彼女を制止した。自分の突発的な行動に気づいた彼女は、すぐに表情を変えて佐藤に何度も頭を下げた。


「それはごめん、わからない」


 申し訳なさそうに彼は答える。

 死んだはずの人間と連絡を取り合っている方が不自然だから、それは仕方のないことだろう。


「だけど……手がかりが何も無い訳じゃない」


 私の作者は、たった一つだけミスを犯していた。もちろんそれは二年前の事件についてではなく、つい最近の出来事についてだ。


「エドワード・J・テイラー」


 彼に繋がるたった一つの可能性を、十嗣がつぶやいた。


 ――ここで少し情報を整理しておこう。


 私を除いて、エドワード・J・テイラーは二人いる。

 一人は手紙の差出人であり、その正体は服部エリだった。

 そしてもう一人は、所属する高校を示すシールが貼られた補助輪付きの自転車をわざわざ学校まで届けてくれた紳士である。この人物について我々が知っていることはあまりに少なく、その正体も未だに憶測の域を超えることは無い。


「いただろう? この街に、もう一人」


 ただ、誰かが言っていた気がする。ファンならば憧れが強くて名前を借りる気になれないと。


 誰だったかな、私だったか? まあいい今となればどうでもいい事だ。


「先生、ありがとうございました!」


 そう言い残すと、エリは急いで保健室を後にした。


「おい服部……」


 十嗣が呼び止めるも、彼女はもう見えなくなっていた。呆れた顔でため息を付いてから、彼もその後を追いかけようとした。だが彼も、佐藤に呼び止められてしまった。


「なあ浅野くん……もし通報するのなら、代わりの先生を探してくれると」

「しませんよ? そんな事」


 あっけらかんとした顔で、十嗣は答えた。


 まあ、犯人を指摘するのが探偵の仕事であって警察に突き出すのは少し違う。私なりに言わせてもらえば、この場にいない警察が悪い、という具合になるだろうか。


「犯人が目の前にいるのに?」

「だってそんな事したら、あいつの保険金が全部無駄になるじゃないですか」

「……そうだけど」

「あと一万円、ちゃんと返して貰わないとな」


 高校生だ、社会の正義についてあれこれ論じるより、こっちの方がずっと普通だろう。


 そして私も、これでいいと思っている。なにせ佐藤の淹れる紅茶は、いつだって素晴らしい香りがするのだから。




 保健室を勢い良く飛び出したエリに、十嗣は追いつくことができなかった。


 しかしいい加減学習能力がついたのだろう、無闇に息を切らして街中を走り回るという無様な醜態を彼は晒さなかった。


 その代わりとして、彼は文明の利器を活用した。


 ――そう、携帯電話である。


 意外なことに、エリはすぐに電話に出てくれた。少しは落ち着いてくれた様で、とりあえず今日は家に帰っていて欲しいという十嗣の提案を素直に飲んでくれた。

 彼も帰宅するのかというと、実はそうではない。

 彼には何か考えがあるらしく、寄り道をしなければならなかった。私はといえば事件を解決してしまった以上首を突っ込む気も頭を撚る気にもならなかったので素直に彼の行動を静観しようと決めたのだった。


「いらっしゃいま……えっちな本はあそこの棚に」


 彼は例のコンビニエンスストアに来ていた。お目当ての笹島は彼の顔を見ると失礼な事を言い出した。まあ、いつもと変わらないと言えば聞こえはいいだろうか。


「いいよ、そう言うのは」

「暗号は解けたかしら?」

「おかげさまでね」


 コンビニエンスストアに来て何も買わないわけに行かなかったのだろう、彼はレジの近くにあったガムをひとつ、笹島に渡した。


「あのさ笹島、お願いがあるんだけど」

「デート?」


 よくわからない機械で商品を調べると、金額が横の画面に表示された。どういう原理なのかはまだわからないが、少なくともこの時代の店員はわざわざ商品の値段を覚える必要が無いらしい。


「違う……ちょっと貸して欲しい物があるんだ。もちろん、無料でなんて言わないよ」

「何? 額と金額によるけれど」


 相変わらず気怠そうな顔で、笹島が答える。ついでに店員は愛想を振りまかなくても構わないらしい。


「あの自転車貸して欲しいんだ。いつ返せるかわからないけど……そうだな、五千円でどう?」


 まあ、悪くない額だろうか。ところで十嗣の財布にはそんなにあっただろうか?


「いいわよ、今のノンノンちょっと格好いいから」

「ありがとう助かるよ」


 そう言いながら、彼はガムの代金を百円玉と十円玉一枚ずつで支払った。


「お釣りの五円……と、合鍵にになります」


 レジから五円玉一枚とレシートを、ポケットから自転車の合鍵を取り出し十嗣に手渡す。あの悪趣味な自転車は店の前に止まっているのはここからでもガラス越しに見えた。


「そうそう、五千円は俺じゃなくて服部から貰ってくれよ?」


 なるほど、その手があったか。


「え」

「んじゃ、そういう事で」


 彼は調子づいて上手くもない口笛など吹きながら意気揚々とコンビニから出て行った。どうせロクでもないことを考えているのだろうが、静観すると決めた以上私は口を出す訳にはいかないだろう。


 ――もっとも、相変わらず喋ることなど出来やしないが。




 予定を終わらせた十嗣は、購入したガムを噛みながら帰宅した。

 

 途中、味がなくなったガムを飲み込むか包み紙に戻すか迷ったようだったが、結局彼は飲み込んだ。きっとガムを捨てる手間を惜しんだのだろう。あれはしっかり包んだと思っていてもそうはならない事が多く、紙からはみ出てポケットの中にまとわりつき、あとから詰め込んだちり紙やハンカチと大喧嘩を起こすことがある。


 だから私は子供のらしいと言われようが、飴の方が好きだ。


「ただいま」


 玄関のドアを開けて大きな声で挨拶をしても、返事はない。

 鞄をそこに置いて居間に入れば、エリと十嗣の母がお茶をお供にして話していた。


「今まで本当にありがとうございました」

「そう、寂しくなるわね……」

「何から何まで良くして頂いて」


 丁寧に頭を下げるエリ。

 一瞬だけ違和感を覚えたが、頭を下げるのは彼女の特技だったと思い直し納得した。


「どうしたの? 二人とも」

「エリちゃんの家、工事の必要なんて無かったんですって……大家さんが悪い業者さんに騙されるところだったみたい」


 その内容は嘘ばかりだが、その裏には一つだけ本当の事が隠れている。

 彼女がこの家を出るという、言外の事実が。


「そうなの?」

「うん」


 十嗣は不思議そうにエリの顔を覗き込めば、彼女は照れくさそうに頷いた。引っかかる事があったのだろう、彼は彼女の腕を掴み小さな声で彼女に尋ねた。


「お前さ、電気代と水道代は?」

「さっき佐藤先生から電話が来てさ。困ったことがあったら教えて欲しいなんて言われたから早速甘えちゃった」


 つまり、肩代わりしてもらったという事か。


「なるほど」


 納得の行った十嗣は大袈裟なぐらい首を縦に振った。


「何? 二人で将来の相談? そうねぇ、母さんやっぱり二世帯住宅っていいと思うわ……」


 秘密の会話を誤解した母は、ありもしない未来の妄想を垂れ流した。


「誰がそんな話を」

「じゃあ、考えておきます」


 否定する十嗣と、笑顔で頷くエリ。

 おい、どういうことだ? 誰か説明してくれ!


「は、服部!?」

「今日はすき焼きにしようかな……やっぱりおめでたい日はすき焼きよね」


 なんだ、どこがめでたいんだ? この女が今後何年にも渡ってこの家に住み着くことで得られるメリットなどあるのか!?


「母さん、ちょっと買い物に行ってくるわね。遠くのスーパーに行くから、二時間ぐらいかかるかも……」


 お願いだ、五分で戻ってきてくれ!


「はいはい」

「少しぐらい親孝行したら?」

「そうは言ってもなあ……お前も適当なことを言うなよ」

「適当、ね……」


 意味深なエリの発言を半ば無視して、十嗣はソファーに腰を下ろした。


「それでさ、エドワードの居場所だけど」

「浅野くん……探す気?」


 少しだけ目を伏せて、エリが尋ねる。


 自分でまいた種という自覚が著しく欠如しているのかもしれない。まあ、あのエミルの娘みたいなものだ、それを求めるほうが贅沢というものか。


「当然だろ?」

「何で? もう関係ないでしょ?」

「……握手してもらう」


 そういえば私はサインをしてもらわないとな。


「言ってたわね、そんな事」


 呆れ混じりのため息をつく彼女の頬は緩んでいる。どうやら、素直に礼を言えないらしい。


「でもどうやって見つけるの? 聞き込み? それとも本物の探偵に依頼する?」

「そのどっちも面倒くさそうだ」


 探偵の基本を感情的な問題で片付ける十嗣。

 やはり、探偵になれる日は遠いのかもしれない。


「あのねぇ……」

「だから、もっと楽な手を使おう」




 怠惰の二文字に対して多くの人が嫌悪感を抱くだろうが、それを馬鹿にしてはいけない。


 なにせ歩くのが嫌になった人間が馬に跨る事を覚え、馬の世話に嫌気になった人間が列車を普及させたのだ。怠惰の歴史は人類の発展の進歩と言っても差し支えないぐらいである。


 今日、怠惰で名探偵を目指す若者は実に画期的な捜査の手法を考案した。


 自転車が見つかったという場所に例の自転車を設置し、防犯上の理由で施錠し、そこを見張るという古典的な手法……いわゆる囮捜査と言うものだった。彼はあまりに怠惰過ぎたので、人類の歴史を一周してしまったらしい。


 この方法がもし大々的に採用される事があれば、性犯罪者を捕まえるために街には裸の女が歩きまわる羽目になるだろう。


「来るかな、これで」


 彼らにとって幸いだったのは、近くに大きな窓のある喫茶店があるという事だった。ここから、電柱の近くにさりげなく設置された自転車の周りがよく取れる。そのおかげで、彼らは炎天下の路上で不良みたいな座り方をせずに済んだ。


「さあ」


 エリの疑問に、十嗣は曖昧に答える。私もこの捜査の有効性には懐疑的である。


「さあって……」

「でもさ、待つよ」


 コーヒーカップをゆっくりと唇に近づけ、少しだけ飲む。黒く揺れるその水面には、浅野十嗣の顔がぼんやりと写っている。


「来るまで、ずっとさ」


 ああそうだ、それでいい。


「そっか」


 アイスコーヒーの氷が溶け、気味の良い乾いた音を立てる。次にこの音が聞けるのはいつになるだろうか。


「じゃあちょっと、代わりに見張っていてくれる?」

「何かあったの?」

「お花を摘みに」


 なるほど、便所か。


 それから十嗣は、ぼんやりと自転車を眺めていた。何を思うのか、私にはわからない。ただ時々笑ってコーヒーを飲むのだから、思い出し笑いでもしているのだろう。




 ――そして、彼は来た。



 悪趣味な自転車の前ではなく、十嗣のすぐ隣に。


「隣、空いているかな」


 流暢な日本語で彼は喋る。

 訛りのない美しいそれを発する男の姿は私によく似ていた。背は十嗣よりも少し高く、髪は秋の小麦畑のような金色で、目は透き通るように青い。


 その顔は、なるほどご婦人が寝室に招き入れたくなる顔じゃないか。


「ええ、どうぞ」


 促されるまま彼は座る。窓越しに見える自転車を見て、彼は鼻で笑った。


「これじゃあまるで、古いアニメに出てくるネズミ捕りだ……まあ、チーズは嫌いだから助かったけれど」

「そういえば、僕の尊敬している探偵も嫌いでしたよ。アニメじゃなくて小説ですけれど」


 そうだな、味もひどいが何より匂いが酷いな。


「ああ、そうだろうさ」


 鼻の頭を掻きながら、彼ははにかんで笑う。

 死んだ人間の割には元気じゃないか。


「それで君は、どこまで解ったんだ? あんな冗談を用意するぐらいだから、それなりには解ったんだろう?」


 そう尋ねられて、十嗣は少し迷った。目の前の男は全てを知っている。


 それに対して、彼は。


「多分、何も」


 鼻で笑って、そう答えた。


 確かに、私と彼は何も解ってなどいない。

 探偵が解ることなど、俯瞰的に見た事件の詳細だけだ。そこにいた人々の感情も願いも、後追いで確認することしか出来はしない。

 探偵など、過去に固執する偏執狂のようなものだ。道端に寄せられた吸殻も、階段の手摺りについた数ミリの傷も探偵でなければ見向きもしない。


 ――だが、それでいいのだと私は思う。


「面白いな、君は。それに集合場所としてなかなか役に立ちそうだ」


 いや、あんただって十分目立つだろう。


「それ、褒めてます?」

「素直な言葉だけでは生きていけないさ」

「覚えておきます」

「死人の言葉さ」

「それでも」


 そうだな、覚えておくといい。

 最も私のように二言目には皮肉が出てくる人間には成って欲しくないが。


「あの……握手してもらってもいいですか?」


 照れくさそうに笑って、十嗣はそう聞いた。少し間を置いて、大きな手が差し出された。それを十嗣は強く握った。


「ところで、娘は元気かい?」

「それは、あなた自身が確かめて下さい」


 ああそうだ、そんなのは探偵の仕事じゃない。

 娘の顔を見るのは、いつだって父親の仕事だ。


「どこぞの性根が曲がった探偵みたいな事を言うじゃないか」


 私の教育の賜物さ、そこは素直に褒めたらどうだ? 年を重ねておいて、そんな言葉しか言えないのか。


「じゃあ、僕はこれで」


 親子の間に割って入るほど、十嗣は野暮ではなかった。席を立ち、喫茶店を後にしようとする。


「待ってくれ……その、君は何を話せばいいと思う? 久しぶりに会う娘と」

「それもあなた自身で」


 この男は人を何だと思っているんだ? 父親なのだから、堂々としていればいいじゃないか。


「参ったな」


 頭を掻いて、彼は笑う。


「あの探偵、もう少し素直な性格にすれば良かった」


 全く、どこまで素直じゃないんだこの男は。

 嫌になるぐらい、私に似ているじゃないか。

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