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第五話 颯爽登場エドワードJ・テイラー ~或いは浅野十嗣の事件簿~ part2




『初めに君に謝らなければならない事がある。私は、やはりエドワード・J・タイラーではない。だが、自分が何者かを明かす気にはなれないので、このままかの名探偵の名を騙らせてもらう。

 君は、あの土に埋まった人体模型を見たはずだ。少し意地の悪い仕打ちだったと今では少しばかり反省している。しかし、ただ君を驚かせたかった訳ではない。

 あの様な無残な姿で見つかった人間を私は知っている。彼の名前はウィル・クランツ。見ての通り外国人だが、彼が殺されたのは君が住んでいるその街だ。犯人はまだ見つからず、警察が事件を掘り下げるような素振りも一向にない。

 この事件の真相を、君に見つけて欲しい。君になら、必ず見つけられるはずだ。

 ウィル・クランツは私の友人である。

 しかし彼は少し変わった男で、名前をもう一つ持っている。ウィリアム、フランク・ジュニア。

 君が大事に持っている、エドワード・J・タイラーの事件簿。その、作者である。

 だから私は、君を選んだ』




 事の発端は何だっただろうか。


 暗号が書かれたあの手紙か、それとも自転車を見つけたというもう一人の私か。


 ――ああそうだった、思い出した。


 日下晶のあの事件だ。浅野十嗣が生まれて初めて探偵役を任された、あの事件。本来ならば彼の探偵ごっこはあの日に終わっていたはずだ。


 しかし、終わらなかった。原因はもちろんあの女だ。


 今や彼は、ごっこでは終わらない領域まで来てしまった。

 一つの殺人事件を任された、一人の探偵だ。だからこれからの事件に、きっと私は必要ない。名探偵は、同じ場所に二人も居らないのだ。


 だが、ただ黙って事の成り行きを見ていられる程私は大人しい性分ではない。

 だから考える。せいぜい未来の名探偵に先を超されなてしまわないように。


 探偵に必要なものが三つある。


 平凡な容姿と、特徴のない名前、中肉中背の体格。


 この三つが備わっていれば、即ち探偵が向いているという事になる。備考や潜入に、目立つものはすべて必要ないのだ。


 しかしそれはあくまで、探偵に必要なものだ。名探偵には必要ない。


 ――名探偵には、たった二つだけあればいい。


 一つは情報。


 正確に言えば情報を集める能力ということになる。これが無ければ、どんな名推理も妄想と区別はない。


 もう一つは、直感。


 集めた情報から見える真相を解くためには、これがどうしても欠かせない。


 私には二つある。そして彼、浅野十嗣も、それを持とうとしていた。


「事件の資料って、一般の人には見せられないって知ってた?」


 学校の授業を全てしかめ面で受けた彼は、交番へと足を運んでいた。彼に圧倒的に足りないのは情報である。

 被害者の名前と殺され方だけで、事件の真相が解る人間などいない。いるとしても、宇宙人か超能力者の二択だ。


「そこを何とか」


 期限の悪い鈴木に、十嗣は頭を下げる。ありがたい事に、この交番には鈴木と松田しかいなかった。何かを聞き出すには絶好のタイミングだ。


「今日の彼、ちょっと雰囲気違わない? いつもはもっと鼻息が荒いのに」


 松田は鈴木に耳打ちで、そんな事を言った。洞察力は彼女のほうが優れているらしい。


「確かに……」

「お願いします!」


 もう一度、深々と頭を下げる。ただ誠意と実直さだけで警察の資料が見られるほど、世の中は甘くはない。


「でもさあ」


 今日の彼は、それを知っていた。

 はるか昔より、警察官に最も有効な手段を彼はしっかりと踏襲していた。


「あの、これ、駅前で買ってきたんです。よかったらどうぞ……」


 そう、賄賂である。ただ大金を用意できるはずのない彼は、人気洋菓子店のドーナツを用意していた。はるか昔より、女性は甘いものに弱いのだ。


「あ、これテレビでやってた奴! すごい行列出来てるって聞いたけど」


 鈴木の言う通り、洋菓子店には祭りでもあるのかと疑うぐらいの人だかりが出来ていた。標準を大きく上回る価格設定のおかげで、ほとんどが小金を持っていそうな主婦だったのだが。


「色々考え事をしていたらすぐでしたよ」


 箱を開ければ、芳醇なバニラの香りが漂ってくる。


「美味しそうね……」


 太陽の恵みを受けた小麦畑のようこんがりと揚げられたドーナツは水平に切られ、黄金と見間違うほど輝くクリームが挟まれている。


 要するに、クリーム入りのドーナツだ。

 どうしてこれが牛丼よりも高いのか私には理解出来ない。


「折角だからお茶でも淹れましょうか」


 砂糖の誘惑に負けた松田は、そんな事を言った。賄賂と菓子に弱い婦警にドーナツは絶大な効果を現してくれた。


「よろしく」

「鈴木さんも手伝ってね?」

「はあ? なんでわざわざ二人でやらないと……ちょっとお!」


 渋る鈴木の腕を掴み、松田は交番の奥へと引っ込んでいった。話のわかる人間がいて助かったが、見方を変えれば職務怠慢だ。まあ、彼女らの給与明細に思いを馳せる必要はないだろう。


「そこのパソコンで警察の資料が見れるから。印刷してもいいけれど履歴は消してね?」


 去り際に、松田が有益な事を教えてくれた。しかもしっかりと足がつかないよう、保険まで掛ける。最近の警官は、中々頭が回るらしい。


「あ、こらなんて言い訳すればいいのよ!」

「もちろん、仲良くお茶してましたって」


 見えなくなった二人に十嗣はまた頭を下げ、ノートパソコンの画面を開いた。当然このような機械に直接触れた事が無い私は十嗣がどんな手順を踏んで事件の資料を見つけ出してくれたが検討もつかない。ちなみに彼は機械には強いほうである。


 なにせ、よく母親にテレビの録画を頼まれるのだから。




 彼が手に入れた資料には、この事件の全てがあった。

 

 なぜ当時の警察が解決できなかったのかと一瞬疑ったが、その疑問はすぐに解消できた。警察にはなく彼にあったのは、彼そのものだった。とりわけ、彼の経験による部分が多かっただろう。


 何ページにも及ぶ事件の資料の中で必要だったのは、たった三つだった。


 被害者の血縁者、保険金、監察医の名前。抜き取られた要素は当然この事件以外の関係性が見えない。しかしこれは暗号のような物で、解き方を知れば簡単にわかるものだった。


 その鍵は、もちろん私。


 なにせ事件の被害者は、私の産みの親なのだから。

 十嗣はメモをポケットへ仕舞い、駅へと急いだ。彼がまず会うべき人間は、被害者の血縁者。


 そして、あの手紙の差出人だ。




 手紙について解っている事が幾つかある。


 一つは、差出人が浅野十嗣と近しい人間だという事。これは二枚目の手紙に、彼が私を大事に持っているという記述からわかる。余程彼の近くにいなければ、本の題名までわからないだろう。


 もう一つは、エドワード・J・タイラーの事件簿の初版本を持っている人間。


 本来ならそれを探すのは大変だが、作者の血縁者であるとすれば納得できる。


 最後は何より、まともな英文法を身につけていない人間だと言う事だった。


「まさか、今日もここに来るなんて思わなかったよ」


 夕暮れの墓地に、十嗣はいた。


 塔のような墓石に紛れて、一つだけある十字架。そこに眠るにウィル・クランツ花を捧げる人がいた。


「……どうして、ここに?」


 服部エリはそこにいる。


 ――ウィル・クランツと内縁の妻の間で生まれた、彼の娘が。


「勘かな」


 実際は、少しだけ違う。

 彼は途中携帯電話で自宅に電話をかけ、彼女がいない事を確認していた。


「文法のミスは……わざと?」


 彼女の横に腰を降ろし、十嗣はそんなことを尋ねた。

 やはり彼も、手紙の差出人に気付いていたようだ。


「参ったな、バレちゃったんだ」


 髪の毛を触りながら、彼女はあっさりと白状した。手紙を自分で出しておいて、一緒に暗号を解くとは仲々酷い女じゃないか。


「今のは、カマかけたんだけど?」


 そうだったのか、知らなかった。


「流石未来の名探偵、やる事が汚いわ……エドワードよりも」


 おいおい、私を引き合いに出さないでくれ。

 それにいつ汚い手を使ったって言うんだ?


「……どうしてわざわざあんな手紙を?」

「直接言って、信じてもらえると思わなかったから。だけど……本当は浅野くんと遊びたかっただけかもしれない」


 彼女の目は、少し潤んでいる。

 私や十嗣には解らない何かが、彼女にはあるのだろう。


「嬉しかったんだ。ボロボロになるまでお父さんの本を読んでくれる人がいたんだって」


 その割には、私のことをゴミ呼ばわりしていたがな。

 まあ思春期の照れ隠しという事にしておこう。


「どこからどう見ても日本人だけどな」


 十嗣がそう言うと、エリは笑って自分の右目に人差し指を近づけた。指の腹には、薄いレンズが乗っている。ちょうど窪んでいる部分は、茶色に染まっていた。


「カラーコンタクト……これは知らなかったでしょ」


 左目は、日本人のように茶色の瞳。


 しかしレンズを取った右目は、私のように青かった。少なくとも彼女が外国人の血を引いている何よりの証拠だった。


「ずるいな、服部は」


 二人は笑う。

 そこに大して理由は無い。


「……昔の話をしてもいい? 何か、嫌な女みたいだけれど」


 髪を掻き上げながら、彼女は目を細めてそんな事を言った。確かに危機として自分の過去を晒す女は嫌だが、それを自覚している彼女はかなりまともな人間なのかもしれない。


「聞きたいな」

「お父さんは売れなくてさ……家は貧乏だった。お母さんは私を産んですぐ死んじゃったから、ずっと二人暮らし」


 彼女の語る実情を私は聞かないほうが良かったのかもしれない。何せ私はニューヨーク市民の平穏を守る名探偵なのだ、それが出来上がった過程が私の活躍と大きくかけ離れているのなら、少しばかり酷ではないだろうか。


 だが、ここで耳を塞いでいる訳にはいかない。

 それが登場人物として生まれた私の義務のような気がしてならなかったからだ。


「一回だけね、お父さんに聞いたの。お母さんはどんな人だったのって……そしたら、お父さんが教えてくれたんだ。エミルっていう登場人物は、お母さんの若い頃がモデルなんだって」

「確かに、服部にちょっと似てるかも」


 ちょっとどころではない。


 他人に迷惑をかける点、自分の為に他人を平気で犠牲にする点、今のエリのように少し悲しげな表情を浮かべる点。


 私はそんな彼女にいつも辟易してきたが、作者はきっと違うのだろう。私が彼女に振り回されるたび、彼は笑っていたに違いない。戻らない過去を懐かしみながら、これからの未来に思いを馳せながら。


「楽しかったんだよ、本当。眠くなるまで事件のトリックを一緒に考えたり、次の本はこんな話にしようって笑ってみたり」


 彼らに次は無かった。

 あるのなら、十嗣の本棚には続編がしっかりと置かれている筈だから。


「だけど相変わらず貧乏のままで、お父さんに次なんてもうなくてさ。中学校に上がる頃には、少しあった貯金も全部無くなって」


 気がつけば、彼女は泣いていた。その心情をわざわざ憶測で説明するほど、私は野暮ではない。


「気がつけば、お父さんはいなくなった。次に会った時は、もう誰だかわからなかった」


 彼女と彼と私の前には、一つの十字架が動かぬまま鎮座している。夕日を受けてもまだ冷たさは消えず、死という単語を否応なく私に押し付ける。そのせいで私の推理が潰されそうになってしまうが、すぐに考えを切り替えた。


「証拠なんて何一つなくて、犯人は今もわからない」


 私にはわかる。

 十嗣が見つけてくれた資料は、簡単に犯人を指し示していた。


「虫が良すぎたよね、浅野くんに解決してもらおうなんて」

「いいよ、会いに行こう」


 彼は笑う。どうやら彼の脳味噌も、私の思考についてこられる程度には成長してくれていたらしい。


「……え?」

「もちろん、犯人さ」


 では、行くとしようか。


 ギャングも悪徳政治家もいないこの街で起きた、善良な事件を解決しに。

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