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第五話 颯爽登場エドワードJ・テイラー ~或いは浅野十嗣の事件簿~ part1




 意外な事に、エリは死体らしきものを見ても冷静だった。


 もしかすると、それが死体と断定できないと彼女も考えたのかもしれない。十嗣は駄目だった。持ち前の明るさと無鉄砲な性格はどこかに隠れ、虚ろな目で怯えている。


 警察に電話したのも、当然エリだった。よく女性のほうが危機的な状況に強いなどと言われているが、この場合はどうなのだろう。

 十五分も待てば、パトカーで制服をきた警官が二人やってきた。どういう訳か知らないが、やって来たのは二駅も離れた交番に勤務しているはずの松田と鈴木だった。


「君らさぁ、何でまたあんな物見つけたの?」


 事情聴取と呼ぶには堅苦しさが欠けたそれを、鈴木は十嗣とエリに行った。鈴木は死体らしきものをビニールシートでくるみ、早々とパトカーのトランクに運んでいた。


「えっと……それは……手紙が、手紙に墓地って」


 十嗣の言葉は途切れ途切れで、いまいち要領を得なかった。混乱しているのが、傍から見てもはっきりとわかる。


「手紙?」

「浅野くん宛に届いた手紙です。変な暗号が書いてあって、解読したら南墓地に何かあるって事になったので」


 鈴木の質問にエリが代わりに答える。

 さすが世界を救った英雄だ、どんな時も冷静なのだろう。


「学校サボって行くならもう少し楽しい場所にしたら? 辛気臭い墓地なんかじゃなくてさ」

「そうですよね、朝一で女の子誘って良く場所じゃないですよね」


 ため息を交えて二人は楽しそうに会話する。それが、十嗣には理解出来ないのだろう。


「あの、さあ」


 震える声で、彼は喋る。


「鈴木さんはともかく……どうして服部は、そ、そんなに落ち着いて」

「まあ少しびっくりしたけれど、喉元過ぎれば熱さ忘れるって言うでしょ?」

「だけど、人が、人が……」


 彼の震えは止まらない、むしろ先程よりもひどくなっている。彼のその姿を情け無いと言い捨てない程度に私は常識を弁えている。

 どれほど志の高い人間だろうと、またどれほど冷静でいようと努めていようと、人の死体はそれを上回るほど強烈なものなのだ。


「人が、死んでるんだよな?」


 もっとも、誰も死んでなどいないのだが。


「……は?」


 楽しそうにエリは聞き返す。

 やはりこの女、知っていたか。


「ちょっと名探偵、気付いてなかったの?」

「何が……ですか」


 虚ろな彼の反応に、松田はため息で答えた。人の気持ちを思いやれる立派な人間はこの場にいない。いたとしても、隣の墓でいい夢を見ているのだろう。


「服部だっけ? あんた教えてなかったの?」

「そっちの方が面白いと思ったので」

「……あんた、いい性格してるわね」

「よく言われます」


 顔を見合わせ松田とエリは笑いあう。

 悪魔みたいに性格のねじ曲がった連中だ。


「何の、話?」

「さあ名探偵問題だ、あそこの土の中に埋まっていたのは何?」


 死体らしきものが見つかった場所をぞんざいに指差し、松田が十嗣に詰め寄る。


「死体……人の」

「あのねぇ、殺人事件だったらもっと偉い人が一杯来てるわよ? 大体何で二駅も隣の交番に勤めてる私達が来たか考えなかったの?」

「あ……確かに」


 殺人事件なら、それこそ墓地を埋め尽くすほどの警官が砂糖に群がる蟻のように集まるはずだ。大事件にこんな無能な警官を寄越すほど、警察も馬鹿ではないらしい。


「あれは白骨死体じゃなくて骨格模型。タチの悪い悪戯よ、全く」

「……え?」

「手首をネジで止めてる人間なんているわけ無いでしょ」

「そっか……」


 一応、十嗣は納得してくれたらしい。

 それでも震えが収まっただけで、まだその目は虚ろだった。


「君ら用事も済んだんだし学校行きなさいよ? まあお姉さんは優しいから家族にも学校にも連絡しないであげるけど」

「ところで、どうして鈴木さんが来たんですか?」


 パトカーへと戻ろうとする鈴木に、エリは当然の疑問をぶつけた。


「暇だったのよ」


 脳天気なその返事が、この街が今日も平和だと教えてくれた。




 墓地を後にした二人は、人気のない駅のホームで自宅へと戻る電車を待っていた。水色のプラスチックでできた安っぽい椅子に腰をかけ、二人はただ黙っている。


 十嗣もエリも、人並みには繊細だった。


 ただ黙って空を見上げる十嗣。そんな彼に、エリはかけるべき言葉を見つけられないでいた。

動かない二人の目の前に、六両編成の私鉄が止まる。開かれた扉をくぐる者はいない。


「ねぇ、電車来てるわよ?」

「うん……」


 発車を知らせる声が聞こえる。

 それでも二人は動かない。


「少し休む? まだ混乱してるみたいだし」


 彼女の気遣いに、彼は素直に甘えた。ただ頷いて、また黙って空を見る。

彼に習って、エリも空を眺めた。二人に何が見えているのかは解らない。私の目には、いつもと変わらない青空が映っていた。


「結局さ、手紙書いた人は何考えてたんだろうね」


 わざとらしいぐらい明るい声で、エリはそんな事を言い始めた。確かに手紙の主は何かを探していた。土に埋まった骨格標本だけでは目的が解らないし、自分で場所を把握しているのならそもそも手紙を出す必要など無いのだ。


 ――終わってはいない。私の直感が、そう答えた。


「本当、どうせなら楽しい所に行けばよかったな。遊園地とか、プールとかさ」


 そっちの方が、何倍も楽しかったに違いない。学生の本分をたまには疎かにして、一日ぐらいは心のゆくまで遊んでみる。年を取ってそんな日を思い出せれば、言う事は無いだろう。


 しかし残念な事に、ここにいるのは浅野十嗣なのだ。異性になど脇目もふらず、ひたすら探偵になろうと志す馬鹿な高校生なのだ。


 そんな彼が今、何も出来ずに呆けている。


「……泣きそうだよ? どうしたの?」


 言葉はすぐに返って来ない。

 しかし唇は確かに何度も動き、新たな言葉を紡ごうとしている。私は待った。次の言葉を、彼の声を聞き逃したくは無かった。


「あれは、埋まっていたのは偽物だったけれど」


 彼は俯く。声に震えはない。いつもの脳天気さも見つからない。


「頭の中が真っ白になって、それから怖くて、冷静でなんかいられなくて」


 骨ばった手で顔を覆う。エリは何も言わず、ただ彼の話を聞いていた。


「何かしよう、解決しなきゃって思っても、すぐに怖くなって、何も出来なくなって」


 誰だって最初は上手くいかない。

 そんな当たり前の事に気付けないほど、彼は若かった。


「おかしいよな、俺、探偵になりたいのに……それだけの事ができないなんて」


 積み重ねてきた理想と、付きつけられた酷い現実。相反するその二つに、彼は苦しんでいた。


「もう、やめよっか」


 彼女は笑う。見たことのないぐらい、優しい顔で。


「これ以上、誰かのイタズラに付き合う必要はないよ」


 正しかった。

 探偵になりたいという彼の夢は、こんな場所にいなくても達成できる。いつもの日常に戻って、その日が来るのを待てばいいのだ。


「でも……」

「がんばったよ、浅野くんは。だから、いいの」


 彼の言葉をエリは遮る。

 彼女だって、まだ高校生だ。人間一人の感情を全て肩代わりできるほど大人ではない。だからそれは、彼女なりの精一杯の優しさだったのだろう。自分の悪ふざけを反省しているのかもしれないが、私にはそこまでわからない。


「眠いなあ、そういえば私徹夜でゲームしてたんだっけ」


 あくび混じりのその声に、疑う余地は無い。


「肩、借りるね」


 か細い声でそう言うと、彼女はそのまま寝息を立てた。

 いつもの十嗣なら、ここで怒鳴るか顔を赤くするかどちらかだろうが、今日は違う。ただ黙って、眠る彼女を受け入れていた。


 ただ、目のやり場には困っていたらしい。彼女の顔を見つめるわけにも、白いブラウスから透ける下着の色を確かめる訳にもいかなかっただろう。仕方なしに彼は、彼女が足元に置いたドラムバッグに目をやった。


 そこに彼は見つけてしまった。バッグの脇に備わったそのポケットは、本来なら飛行機のチケットや街で配っている安っぽい鼻紙を入れるためにあるのだろう。つまりそこは、紙を仕舞う為には最適の場所なのだ。


 土のついた手紙が、そこにはあった。

 彼はそれをつまみ、差出人を確認する。走り書きの汚い文字で、そこにはこうある。


 エドワード・J・テイラーと。


 そして彼は、力強くそれを握りしめた。その顔は不敵に笑っている。




 ――名探偵浅野十嗣、復活の時であった。




 彼の心境の変化を、私は知らない。


 なにせ私は彼ではなく、彼が所有する一冊の本に過ぎないからだ。ただ醤油とケチャップが天敵である本と同時に、私は名探偵でもある。だから、察する事ができる。


 彼は名探偵に憧れている。

 しかし現実は厳しく険しい物で、彼は絶望してしまった。


 しかし、チャンスはあった。手紙についた沢山の土が、人体模型の近くにあった事を教えてくれた。ここで彼が腐ってしまえば、彼の夢は夢で終わる。


 手紙を抜き取ったことをエリに黙ったまま、彼は寄り道もせず帰宅した。彼はすぐに部屋に篭ると、鞄から英和辞書を取り出した。どうやら私が彼の心情を察する時間は終わったらしい。彼が早速二つ目の単語で躓いたところで、私はいつもの皮肉屋にでも戻るとしようか。


「浅野くん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 エリが部屋の扉を開ける。彼は振り返らず、ただ辞書のページを捲っていた。


「……もう少し後でいい?」


 書き写した英文の上に、単語の意味を書きこんで行く。その地道な作業が彼にとって一番の近道なのだろう。まあ、私なら一分もかからずに読み終わるのだが。


「うん」


 そんな彼を見て悟ったのか、エリは大人しく扉を閉めた。彼が口にしたもう少し後がいつ来るのか私には検討がつかない。何せ彼の学力を正確に把握していないのだ。


 だから私は、彼より一足早く手紙の翻訳を終わらせる事にした。ありがたい事に十嗣は私を本棚ではなく学習机に放置してくれたので、英文を直接読むことができた。


 今度は、可笑しな暗号は見当たらなかった。

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