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第一話 颯爽登場名探偵 ~或いは迷える学生探偵~ part1


 私の名前はエドワード・J・テイラー。


 自己紹介を始める前に、まずは私を取り巻く世情を説明しよう。

 私という人物とその役割を知ってもらう上で、それは非常に重要だからだ。


 時は20世紀初頭、場所はニューヨーク。自らの利益だけを追求する腐った政治家、東洋人の猿真似なのか妙な掟で結束を強める呆れたギャング、さらには事件の解決よりも定時に仕事を終えることを優先する不抜けた警察。そんな彼らが各々の努力を絶え間なく続けた結果、市民の生活は常に危険に晒され、殺人や強盗のような凶悪事件は今や朝刊の発行部数に迫る勢いである。


 そういう訳で、私はいる。


 私の名前はエドワード・J・テイラー。

 さあ、自己紹介を始めよう。




大きな踊り場のある階段の前には、この尊大な館の収容人数を遥かに超える人間が溢れかえっていた。そのほとんどは制服を来た警官で、皆容疑者の護送という楽な仕事にありつこうとしている。

 さらに彼らにとって朗報なのは、その容疑者が非力な若い女中だという事だ。日常的に火薬と鉛玉の相手をしているのだ、今日の仕事はとりわけ簡単な仕事だっただろう。

 しかしそれは、あくまで護送する相手が流行りの仕事着に身を包んだ女性である場合に限る。

そして私は当然のように、私の仕事を全うする。正義のためではない。まして、毎度送られる拍手のためでもない。

 ほんの少しの金銭と、大いなる自己満足のためだ。

「警部、彼女はこの事件に何一つ関わりのない……いや違うな。この場にいるのだから、ほんの少しだけ関わっている事になる」

 その女中、確かエミルという名前だったか。彼女の眼差しは私に救いを求めているが、あいにく私は牧師ではない。

「なるほど……それでお前さんは、結局何が言いたいんだ?」

 ニューヨーク市警で唯一話と紅茶の味がわかる男、赤毛のグレゴリーが私に聞き返す。彼には理解力も行動力もあるのだが、ただ聡明では無かった。

「彼女は今日、この街で最も運の悪かった女中だったという事さ」

 私は周囲全体を見回し、この屋敷に住まう人々の顔を見回した。誰もが私の次の言葉に期待をせず、ただ冷たい視線を送っている。彼女がこの殺人事件の犯人である事が、彼らにとって望ましいからだ。

「安心してください、あなたの不運は今終わります」

 肩を震わせるエミルに、私は少しだけ微笑んで見せる。あなたにも味方はいるのだと知らせるように。

 息を飲み、呼吸を整えそして私は口にする。

「そうですよね……ロバート伯爵?」

 真犯人の、その名前を。

「待ってくれ、ロバート伯爵はもう死んでいるんだぞ!?」

 グレゴリーは顔色を髪の毛に合わせるよう真っ赤に染め、私に怒鳴った。

「違います、我々は騙されています……彼は、死んでなどいないのです」




 ところで、もうご理解頂けただろう。私が何であるかという事に。




「か」


 そして彼は本を閉じ、目を潤ませて鼻を啜った。


 齢十六の男にしてはみっともない光景だと私は思うが、彼は私の意図を解してはくれない。詰まるところ、彼は馬鹿なのだ。行動力と理解力はそれなりにあるのだが、紅茶の味がわからないのでグレゴリーよりも一段劣る人間だと結論づけている。


「か」


 生まれたての赤子のように、同じ言葉を二度繰り返す。これは断じて大の男がやるべき仕草ではない。傍からみるとあまりに間抜けで幼稚だからだ。


「かっこいいなぁ……っ!」


 最後に出てきた感想は、きっと私に対する賞賛なのだろう。ただ先程も言ったように、私はそのような類の言葉を嬉しいとは感じない。そんな言葉を用意するなら代わりに金一封を貰ったほうが幸せなのだが、やはり彼は私の意図を解してはくれない。


 毎度のことながら、私は神の情けよりも深い溜息をつきたい気分だった。


十嗣じゅうじ、ごはんよー」

「はーい」


 間延びした彼の母の声と、あくび混じりの彼の声が織り成す朝の日常会話を、私はもう聴き慣れてしまった。彼、というよりは彼を取り巻く周囲の人間たちの顔を私はもう見飽きてしまっているのだ。


 胸に仰々しいワッペンをあしらった半袖のワイシャツに、十嗣は慣れた手つきでネクタイを結ぶ。そしてスラックスの後ろのポケットに私を仕舞い部屋を後にした。




 ――念のため、答え合わせをしておこう。




 私の仕事は探偵である。


 数々の難事件を解決に導き、朝刊の一面を何度も写真付きで飾られた経験を持つ名探偵だ。




 しかし私は、厳密に言えば探偵ではない。




 彼がポケットに仕舞った一冊の本、『エドワード・J・テイラーの事件簿』。

 この古びた326ページの推理小説こそが、私である。




 彼、浅野十嗣は一応学生である。


 私の知っている学校は、読み書きを教えてくれた懐かしき故郷の教会の一室か、生きる為の全てとあやふやな正義を教えてくれた陸軍士官学校しかないものなので、彼が学生であるという事に対して私は違和感を禁じえない。


 もっと厳密に言えば、彼の職業は高校生というらしい。


 しかしその無駄に大きな校舎で行われる活動と私の経験を比べると、それはひどく年齢に見合わない場所に思える。


 例えば彼は、授業で本を読む。

 それぐらい暇な時間にやるべきだ。


 さらに彼は、授業で油絵を描く。

 それは教育ではなく趣味だ。


 極めつけに、授業で英語を学ぶ。

 これが、他の何よりもひどい。

 壇上に立つ教師はカリフォルニア出身の田舎者でさえ鼻で笑うような訛りで英語をしゃべり、教科書という本に書いてある文章量は昨日の朝刊にさえ満たない。きっとこの国の教育というものは沈没しかけの豪華客船みたいなものなのだろう。外見だけは整えて、本質はもう立ちゆかないところまで来ている。


 その証拠に、十嗣は今日も友人とくだらない会話に興じている。


「だからさ十嗣、俺はいつも思うんだよ……付き合うのなら、他の学校の子にするべきだって」


 その友人は十嗣の前の席に座る、日下晶という男だ。肩まで伸びる髪を化学物質の力を最大限借りて地球の重力に挑んでいる酔狂な高校生。ちなみに彼の会話パターンは三つ。


 『彼女が欲しい』か『今の子可愛くない?』か『一緒に便所行こうぜ』のどれかである。

 見た目通り単純な男なのだが、予想のつかないその行動は実害を被らない私としてはなかなか面白い。


「別に俺、彼女が欲しい訳じゃ」


 もっとも主な被害者である十嗣は辟易してるみたいだが。


「あれか、また探偵か」


 刺のある言い方をする晶。しかし十嗣の日頃の台詞を鑑みれば彼の態度にも一理ある。

 なにせ十嗣の口癖といえば、『探偵になる』か『探偵になりたい』か『いや、さっき行ってきたから』のどれかである。


「……悪い?」


 大きなため息をついて、十嗣が冷たい視線を友人に送る。対する晶は、訳知り顔で舌を鳴らし、気取ったように指を左右に振った。


「勿体無い」


 なるほど、そういう意見もあるのか。


「何が」


 しかし十嗣は気づかない。何をして友人に勿体無いと言わせしめているかを。


「何がって……説明しないと駄目なのか」

「いや、別にいらない」


 素っ気なく次の授業の準備をする十嗣を尻目に、晶は強く机を叩き立ち上がった。今、世紀の演説が行われようとしていた。


「まずは時間! いいか俺達は高校生だ、青春だ愛と欲望の日々だ! 女っ気のない毎日なんてくたばってしまえ!」


 青年らしいその悩みに、私はひとり深く頷く。


「俺は毎日それなりに楽しいけど」

「次は思い出だ! あと十年、二十年してオッサンになって! 『ああ、あの頃の俺は輝いていたな』とカクテルを飲みたいじゃないか!」


 安心しろ、それは無い。

 少なくとも26歳の時、私にはいつも仕事が雪崩のように襲ってきたからだ。そんな余裕はないから杞憂だ。


「枯れること前提なのか?」


 十嗣の言葉を無視して、晶の鼻息は最新型の蒸気機関車よりも荒くなる。

 まあ今はそんなものより余程早い乗り物があるが……どうでもいいことだ。


「最後は……お前のその容姿だ!」


 晶は人差し指を十嗣の顔面に突きつけ、大声で言い放った。教室内の生徒が彼らに視線を向けるが、すぐに各々の作業へと戻った。

 私に、また彼らにとって、この光景はあまりにも見慣れた物だったからだ。


「はあ」


 一通り興奮しきった晶は椅子に座り、急に人懐っこい笑顔を浮かべた。これは尋問の初歩テクニックであるのだが、彼がそれを知っているとは思えない。

 だからきっと、彼は人心掌握に長けている部分があるのだろう。

 もっとも未だに恋人は見つからないようではあるが。


「お前さ、今身長どれぐらい?」

「183」


 ちなみに私は185だ。勝った。


「髪の色は?」

「白だよ、見ればわかるだろ。生まれつきなんだから仕方ないだろ」


 私はブロンドだ。いいだろう。


「顔は?」

「なんだっけ、なんとかって言うハリウッド俳優の若い頃によく似てるって言われるよ」


 私の場合はどんな淑女でも自分の寝室に招き入れたくなる顔、ということらしい。流石にこれには無理がある。


「……なあ十嗣」


 声のトーンを落とし、晶が深刻そうな表情を浮かべる。


「何だよ」

「よこせ」

「何を」


 そして彼は叫んだ。

 こんなに大きな声を人間は出せるのかと初めは感嘆したものだ。

 今はただ、騒音だとしか思えないが。


「……全部だ! ああそうだ俺はお前の見た目全てを手にいれて、世界が嫉妬するような超絶美少女と付き合うんだ! だから……十嗣っ!」


 目を見開き、肩を掴み、もう一度彼は叫ぶ。


「お前が……欲しいっ!」


 時間が止まる。


 きっと誰もがそう思ったはずだ。クラスメイトは皆動きを止め、カーテンを揺らす初夏の風さえもその時だけは動かなかった。ただ素直に動いていたのは、科学の力とニュートン力学。壁にかけられた時計は秒針を刻む。

 誰かが持っていたプリントの束が、重力に従い空気抵抗と戦いゆっくりと床に落下した。


 その持ち主は、このクラスの担任である緑山あおい女史。

 間の悪い人間というのは、いつの時代にだっているのだろう。


「あ、先生……」


 気まずそうな声を上げる十嗣。この時ばかりは私も同情せざるを得なかった。なにせ前後関係を知っている人間でさえ耳を疑うのだ、一場面だけ切り取られて見せられた彼女の心情など察するに足らない。


 詰まるところの、誤解というやつである。


「いいのよ、いいのよ二人とも! 愛の形は……今、自由になったのよ!」


 はしゃぐ女史。


「違います」


 否定する十嗣。


「欲しい! あ、あぁーっ、お前が欲しい! 頂戴、いますぐ頂戴!」


 晶は今も叫んでいる。


「……先生」


 そして彼は、十嗣は選んだ。


「何かしら浅野くん」

「気分が悪くなったので保健室に行ってきます」


 この場から逃げるという男らしくない選択肢を。


 ただ私は彼を非難したりはしない。

 戦略的撤退であると、私は評価する。


「……あと、その辺に鼻血を撒き散らさないでください」


 廊下に佇むあおい女史の足元は、涼しげな故郷を思わせるその名前とは裏腹に真っ赤に燃え盛っていた。


 彼女のそういう趣向を、私は未だに理解できないでいる。




 宣言通り保健室に向かった十嗣と私を待っていたのは、当然のように養護教諭であった。

 本格的に医学の知識があるのかそれとも単に珍しいのか、この学校の養護教諭は男である。


「やあ浅野くん、こんにちは」


 丸いメガネと後ろで縛った長い髪が特徴的なその養護教諭の名前は佐藤敬之と言う。

 

 その人当たりのいい笑顔と理知的な顔つきは、女子生徒達から憧れの眼差しを向けられている。私見ではあるが、彼は頭の回転が常人よりも早い人間である。そのような人間は往々にして態度や言動に現れるものであるし、何よりどの生徒に対しても上手く一線を引くその態度は教育者として立派であると思える。

 狭い教室の壇上に立つべきなのは彼ではないかと常々考えているのだが、何とも世の中とは上手くいかないものである。


「……よく名前を覚えていますね」

「まあ仕事上ね。ほら、僕って全校生徒の相手しないといけないから……それに君は有名人だし」

「こいつのせいですか?」


 十嗣はその特徴的な髪の毛を一束つまみ上げ、自嘲的な笑みを浮かべた。すると佐藤はいつも通りの笑顔を浮かべ、首を左右に振った。


「探偵」


 そして明確に十嗣を表す二文字を口にした。


「なりたいんだって?」


 一瞬戸惑った顔を浮かべる十嗣。

 私は彼ではないのでその思考を覗き見る事はできないが、砂糖一匙分足りない頭でそれなりの事を考えたのだろう。

 

 例えば、どうして養護教諭がその事を知っているのか、自分はそんなにも有名になってしまったのか、などと。

 それぐらいは察しがつく。


「ええ、もちろん」


 しかし端的に答えたその顔には、迷いも恥もない決意に満ちた良い表情だった。

 いつもそんな表情をしていればまともなのに、と私は思う。


「そうだなあ、そうだろうなあ」


 満足気に佐藤は笑い、机の引き出しの中から何かを探し始めた。


「本当は僕にだって守秘義務があるんだけど……まあいいか」


 お目当ての紙切れを取り出し、簡単に目を通しながら彼は話を続ける。よれた白衣と相まって、その姿は医者そのものにしか見えなかった。


「実はね、最近ストーカーの被害に合っている生徒がいるんだけど」

「聞かせて下さい」


 十嗣は手近な丸椅子に腰を下ろし、佐藤に話を促した。


「お、食いついてきたね?」


 嬉しそうな佐藤を尻目に、十嗣は何やら思案を始めた。ストーカー、といえば私はある事件を思い出す。誰かに追われている、と怯えた目をした冴えない男の一言を皮切りとしたあの大事件は、後味の悪さと多額の報奨金だけを残して幕を閉じた。


 もっとも今の時代偶然マフィアと政府高官の取引現場を目にする銀行員などいないだろうし、学生がストーカーの被害者ならなおさらだ。


「警察に相談は? 最近は条例とかも出来て」

「42点」


 何の試験かは知らないが、佐藤は十嗣の質問を聞き終わる前に早々と採点した。

 百点満点で有ることを考慮すると、なかなかひどい点数である。


「え?」

「意見が普通すぎるよ、そんなことは道を歩いているおばさんにだって言える……だからこそ赤点じゃないけどね。君は探偵になりたいんだろう?」


 口元を少し緩め佐藤は笑う。

 彼は十嗣を試している。


 その目的はわからないが、それだけはわかる。


 もう一度自分の頭の中に結論を求める十嗣であったが、私に言わせるとそれは愚行である。

 理由は簡単だ、状況を判断するための情報が少なすぎるのだ。被害者の年齢、性別、個人情報に現住所、彼または彼女の性格や言動。それらがあって初めて、ストーカーの正体が見えてくるものだ。


「……その子、何か問題を抱えていませんか? 例えば夜遊び……違う、前の彼氏とか」


 だから私は思う。彼の新しい解答はせいぜい45点しかないと。直感や閃きは大事だが、あくまでそれは頭の中に情報を叩き込んだ後にこそ生まれるものだ。


「まあ、58点ってところかな。縁者を当たるっていうのは古典的だけど正攻法だし」


 佐藤はどうやら、生徒に甘い所があるらしい。

 なるほどこれは新しい発見だ。


「それでその子は?」

「放課後にまた来てくれないかな? その生徒に会わせてあげるよ」


 急かす十嗣に諌める佐藤。その光景には犬と飼い主という言葉がよく似合っていた。


「あ、ありがとうございます!」

「そういえば君は、なんで保健室に来たんだい?」


 養護教諭として非常に重要な質問に、十嗣は笑って誤魔化した。

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