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H.E.L.R  作者: アラック
8/9

第七話 沙羅椿

「おーっす、あの後どうなりましたかー……って、なんかー、みんなして真っ白っすね?」


 公園の入り口の方から緊張感のない間抜けな声が響いてきた。

 うちの莫迦妹、火花だ。

 ファミレスで鉄砲玉を組み伏せた後、警察に引き渡したついでに事情聴取だったのだが、こうして合流できたという事は、件の助っ人とやらが間に合ったのだろう。

 先程までは纏めてお団子にしていた髪を解き、サングラスはフレームの無いメガネに、ポンチョはスカジャンに着替えられ、足元はロングスカートに変わっていた。

 変装術の一種だ。髪型や服装を少し変えるだけで、人に与える印象というものは大きく変わるものだ。

 知人友人には服装や髪形を変えた程度の印象を与えるのだろうが、初見にとってはまったくの別人といった印象を与えるだろう。

 現に、ベンチに座ってぐったりとしていた桐生と葛巻さんが、一瞬ぽかんと呆けた顔を見せているし、梅宮からは警戒を帯びた鋭い視線を向けられて、火花はたいそうショックを受けたご様子だ。

 まあ、梅宮はすぐに気付いて慌てて全力でフォローしに行ったのだが。


「そいで兄貴、その迷彩おじさんは敵っすか?」

「インスタンターの檜山さんだ。ついさっき、説得に応じてもらったところだよ」


 説得、と俺が口にすると、巻き込まれた3人は苦い顔になった。

 それもそうだ、かなりの無茶を働いたし、実際に命を落としかけてもいる。

 檜山さんが睨んだ通りの人物でなければ、俺は今頃銃弾を浴びてこの世を去っていたかもしれない。砲弾が直撃して、木端微塵になっていたかも。

 その可能性の方が充分に高かったはずだ。

 それだというのに、何故彼の説得を優先したのか。

 こちらには戦う意思を持たない味方が数人いたのだ、桐生をはじめ、彼らを巻き込まずに立ち回る事もできたはずなのに。

 結果、彼らにも協力してもらい檜山さんを止める事は出来たが、そうして成果を得てから思う事は、自分はなんと恐ろしい判断をしたのかという焦燥だ。

 アクション映画の主人公でもない自分には、武器や兵器を持った人間に立ち向かう術も、その心構えもないはずなのだ。

 ……と、そこまで考え至って、以前誰かから掛けられた言葉が頭の中で再生される。



 ――ああ、キミは主人公に相応しいとも。そう、ボクの描くシナリオの、登場人物の中では誰よりも群を抜いているさ――



 頭痛がした。

 突発的な、発作的なものだ。

 思わず目を閉じて片手で側頭部を押さえると、桐生や梅宮の心配そうな声がくぐもって聞こえてくる。

 耳鳴りもセットのようだ。


 俺が大丈夫だと手を挙げてみんなを制すると、頭痛も耳鳴りもすぐに治まり、頭の中に霞がかかっていたかのような感触も消えて行った。

 しかし、やはり違和感は残った。

 特定の何かに対する違和感ではなく、見るべき方向を制御されているかのような、そんな違和感だ。

 判断力を鈍らされているというわけではなく、判断の方向性を歪められている、といった風だろうか。


「そんでさ、櫻井兄が大丈夫になったらでいいから、今後どう動くか決めようぜ? えっと、檜山さん、も仲間になってくれるみたいだし、な?」


 不調な俺を気遣ってか、桐生が代わりに音頭を取ってくれる。ありがたい事だ。

 その檜山さんはというと、公園に来てからずっと地面に座り込んで項垂れていた。

 当然と言えば当然だ。

 ほんのつい先ほどまで、自分の本意ではない人殺しを行おうとして、自分を追いつめていたのだ。

 精神的に参ってしまったとしても仕方がない、責められない。

 そこまでの決意を抱き、罪に手を染めようとするほどのものを、彼は見たのだろう。

 おそらくは、日本を離れた遠い地で……。


「キミたちには、本当にすまない事をした……。許して貰えるなどとは、思っていないが……」

「あーもー、檜山さんよ? あんたは誰も殺してないんだ。俺たちは生きてる。あんたが説得に応じて手を止めてくれたからだ。なあ、そうだろ?」


 憔悴した檜山さんと肩を組み、桐生がそう同意を求めて来るのを、俺は「その通りだ」と返事する。


「これからどうするか、か……。檜山さんのように説得に応じてくれる人ばかりならいいのだが……」


 ブラックチケットを展開して、参加者の人数を確認する。

 このゲームの参加者は俺を含めて14名、うち5名がこの場に居る。

 残り9名と話を付けて、誰も死なせずにこのゲームを無効試合にするのが狙いだ。


「つっても櫻井よお。俺たちがこうしている間にも、他のプレイヤーがお互い殺し合って数減らしちまってたら、どうしようもないんじゃないか?」

「ご最もだよ、桐生。その場合はどうしようもない。俺たちの眼の届かないところ、手の届かないところで起こった事は、どうしようもない。綺麗事を言って置いて、そのうえで都合が良い言い草だとは重々承知しているが……」


 改めて、俺の考えをはっきりさせておこう。

 ここにいる皆を俺の動きに振り回わす必要はない、無理に着いて来てもらう必要などないのだ。

 ……とは考えるのだが、今さらどうしろと言うのだと、皮肉交じりにそう言われそうな雰囲気すらある。


「救える人を救う。出来るだけ多く。可能ならば全員。救えなかった人に対して見ないふりをする、と言うわけではないが、及ばない事まで気を揉むつもりはないよ」


 手が上がる。

 今まで黙して話を聞いていた葛巻さんだ。


「ああ、僕は別に、櫻井くんの意見に反対っていうわけじゃあないんだ。だけれど、ひとつ言っておきたい事があってね。……いい?」


 どうぞと発言を促すと、葛巻さんは一度咳払いして喉の調子を整え、表情を務めて真面目なものにせんと引き締める。


「今回、櫻井くんはじめ、これだけ良い子が集まった事がね、奇跡的っていうか、おじさんちょっとびっくりで、それで嬉しくてね……」


 真面目な顔を渋く歪めて、遠い目で思い出しているのは、かつて葛巻さんが巻き込まれたゲームの記憶なのだろう。


「だからね、これから鉢合わせするチケット持ちが、もし悪党であっても、びっくりしないで欲しいんだ」


 何故いまさらそんな事をと目で問えば、葛巻さんは表情を弱々しく崩す。


「正直なところね、僕は前回のゲーム知っていて、引きずっているわけだよ。その酷さって言うのを、嫌って程知ってるわけだから、最初はキミたちの言葉に半信半疑だったわけだよね? 途中で逃げ出そうと思っていたくらいだよ」


 しかし、それが蓋を開けてみれば、発した言葉通りの事を仕出かしたものだから、驚いてしまったのだろう。

 まさか、本当に自分たちの命を狙う者を救おうとするなど、と。


「だからね、これからどんな悪党と出会っても、そしてそれを救えなかったとしても、気に病まないでほしい。おじさんからは、それだけ」


 両手を上げて「もう話はおしまい」とばかりに笑って見せる葛巻さんに、桐生が両手をサムズアップにして「グッド!」と称える。


「んじゃあ、早く動かなきゃだよな。あと9人、なんとか生かしてゲーム終わらせてかあ……」

「あー、えーっと。それ、残り8人かなあって……」


 桐生がしみじみと言った風に呟いた言葉に、何故か火花が気まずそうに反応する。

 俺はと言えば、莫迦妹の気まずそうな顔に心臓を鷲掴みにされたかのような感触を味わった。

 莫迦妹がこんな表情をする様を幾度も見てきたからだろう。俺に怒られるような事をして、それを申告する直前のような様子なのだ。

 発したセリフも相まって、俺は頭を抱えて項垂れるしか出来なかった。

 そんな俺の頭に、そして皆に、火花の申し訳なさそうな言葉が降ってくる。


「なんか、ブラックチケット? って言うの、拾っちゃって……」


 火花の手には、俺たちが手にしたものと同様の、黒いチケットが鈍い輝きを放っていた。



 ◇



 火花は変装用の衣類をいつも持ち歩いているわけではなく、複数のコーディネート毎に貸金庫やコインロッカーに預けている。

 警察の事情聴取から戻る際に衣装を預けているコインロッカーに立ち寄ったところ、その中にブラックチケットが入っていて、気付かずに触れてしまっていたというのだ。

 確かに、ブラックチケットの薄さならば、わざわざコインロッカーを開けずとも、扉の隙間から差し入れる事は可能だろう。

 問題は、いったい誰が火花のロッカーにチケットを入れたのか、だ。

 “異能売り”という線はないだろう。彼ならば、ゲームの開始前に参加者候補に直接接触して、彼是と説明した後にチケットを手渡すのだから。

 ならば、他のチケット所持者と言う事になるのだが、自らが放棄したチケットを他者が手にすれば、元の所持者が死亡する以上、その線も考えにくい。

 いや、命の奪い合いに嫌気がさして、どこかに捨てようとして、偶然ロッカーの中を選んだのかもしれない。そうだとすれば、火花の運の、なんと数奇な事か。

 あるいは、複数のチケットを所持している者の意図か。

 葛巻さんの話では、彼が前回参加した異能戦において、複数枚のブラックチケットを所持する異能力は確かに存在した。

 当然だ。そもそもこのゲームの進め方は、他者のチケットを奪い取る事なのだ。勝ち進めば進むほど、勝利者の手にはチケットが揃ってゆく事になる。

 だからこそ、そうして複数所持するチケットの内ひとつを他者に手渡す意図が掴めない。

 それすらも策の内なのか。それとも、願いがこのゲームにこそある愉快犯の仕業なのか。


 まあ、いずれにせよチケットは火花の手に舞って来てしまったし、火花はそれを手に取ってしまった。

 これでこいつも立派な参加者と言うわけだ。


 俺はといえば、どうしたものかと途方に暮れている真っ最中だ。

 公園の砂場で正座して、いつもの怒られる時の体勢に勝手に移行しているからには、なんとか俺の怒りを和らげようと、あるいは「冷静にね、冷静に」と遠まわしに諌める意図があるのだろ。

 正直なところ、怒りというよりも呆れの方が遥かに強い。

 チケットを手にしてしまった以上、このゲームのルールに縛られる事は避けられず、俺たち共々、ゲーム終了まで生存する運びとなったのだから。


「なあ、櫻井兄よ。妹ちゃん的にはコレどうしようもなかった感じだろ? 許してやれって……」

「何も俺は、怒っているわけではないよ。ただ……」


 言葉を濁す俺に注目が集まるのだが、正直止めて頂きたい。

 非常に恥ずかしい限りの、一身上の都合なのだから。


「こう言う場に身内が居ると、やり辛いんだ……」


 一堂、納得してくれて感謝するが、その微笑ましそうな視線は止めてくれ。



 ◇



 妹の火花が加わり、交渉相手であるチケット所持者は残り8名となった。

 勢力としてはようやく半分近くをこちら側に取り込めたものかとは思うが、今までが上手くいきすぎていた事もあり、気を引き締めようにも上手く出来ている感触がない。

 隣りを歩く桐生は呑気なもので、最初会った時とは別人のように「なんとかなるって」と繰り返しているもので、こちらとしては呆れ返るばかりだ。

 まあ、俺の代わりに楽観していてくれていると思えばいいかと、日が暮れる前に帰路を急ぐ。


 俺たちはあの後、拠点をあの公園に定めて、それぞれの行動に移った。

 俺と桐生は情報収集担当。新聞やテレビ、ネットのニュースを漁って、領域の外が普段と変わりない世界である事を確認した後、チケット所持者に関する情報の収集も試みた。

 しかし、こちらは上手くはいかなかった。信憑性のある情報は得られず、桐生が元々調べていた連続殺人事件の概要をなぞるという結果となった。

 葛巻さんも言っていたが、チケット所持者は自らが得た力をを大っぴらにはせず、陰に潜むようにして機会を待っているものなのだという。

 そうしないと他のチケット所持者に素性が割れ、瞬く間に足元をすくわれてしまうのだから、とも。


 その忠告を聞いた時点で、俺は火花に梅宮を連れて一度街へ出るようにと指示を出した。

 今回のゲームを生き延びたとしても、それから先の人生で梅宮が狙われないとも限らない。それだけ、彼女の学び舎の制服は名高く目立つものだ。

 先の檜山さんとの戦いで全身真っ白になってしまった事もあり、着替えや日用品の調達を含めての買い物、というわけだ。


「でもよ、櫻井兄。火花ちゃんひとりだけで大丈夫か? 相手は、俺らと同じチケット所持者の異能力使いだぜ?」

「じゃあ桐生、キミはうちの妹に対して、その異能力で優位に立てると思うか?」

「いや、優位に立てる気しないけどよ? なんつーか、強くて危ないやつが狙ってるかも知れないしよ……」

「ご最もだが、異能力無しの領域外なら、火花はまず大丈夫だ。領域内に戻ったとしても、その時点でこちらから迎えに行けばいい」

「なに、迎えに来てって、連絡来るの?」


 尚もこちらを質問攻めにしようとする桐生に対して、俺は上空に顔向けて答えとする。

 そこには、俺たちを見守るように付いてくる小型の飛行物体がひとつ。


「あれって、ドローンってやつか」

「檜山さんの異能力で取り出したものだ。これで、領域内の監視を行うとさっき話したが、聞いていたか?」

「いやあ面目ない……」


 お調子者なのは大いに結構なのだが、こういった決め事はしっかりと記憶に留めて置いて欲しい。


 ――そうで無ければ、突如通りの向こうに姿を現した敵対者からの奇襲に対し、動きを指示したところで、即座の行動に移れないかもしれないのだから――


 ぽかんと表情を呆けさせて固まる桐生を真横に突き飛ばし、俺自身も懐に潜り込んでくる敵対者から大きく後退して距離を取る。

 しかし距離を取れなかった。こちらが下がった分、小柄な影はぴたりと距離を詰めてくる。

 一目で何らかの異能力だと察しがついたが、対応するには、考えるには時間が足りな過ぎた。

 それでも、下からすくい上げるようにして振るわれた刃物を躱す事が出来たのは、梅宮と交戦した経験があったからだろうか。


 バックステップは不完全で、途中で転倒したが、何とか受け身を取って後転した後に片膝立ちまで瞬時に復旧出来た。

 改めて見る小柄な敵対者の姿は、キャップを目深に被り、丈の長い半袖のパーカーで身を固めてた。

 全身黒か深い青で、まるで忍者のような印象を受けるが、女子高生サムライの前例があるので、さしずめ小学生ニンジャと言ったところか。

 と言うかだ、背丈からして小学生だろう。身長は140センチほど、小学4、5年生だろうか。


「名前を聞いても?」

「聞かずに死ねよ」


 まるで地面に溶けるかのような低い姿勢からの躍動。

 刃物を体の後ろに隠しての接近は、攻撃の動作を直前まで読みづらくさせる。

 この動作も異能力によって補助されたものか、それとも異能力などではなく、彼本来の体術によるものか。

 後者である事などあり得るのかと疑問するが、身内に火花という例があるため可能性を捨てきれない。


 しかし、この少年の雰囲気はなんだ。

 異能力に酔うでもなく、異能戦を楽しむでもない雰囲気は、どこか違和を感じさせた。

 思い当たるところは、梅宮や檜山さんのような“そうするべき事情”があるという可能性だが、それとも少し方向性が違う気がする。

 少年の目的は異能戦の勝者となって得られる願いではなく、この異能戦そのものにある気がするのだ。


 例えそうだとして、少年はそうするだけの事情をこちらに打ち明けるだろうか。

 結局はこれまでと同様に、力で圧倒して無理やりに話を聞いてもらうしかないのかもしれない。

 それでも、俺がこちら側の目的を告げる事を止めはしないのだが。


「俺たちは戦う気はない。異能戦の無効試合を望む者だ。誰も死ななくていいように」

「オレはこの殺し合いで、参加者全員を皆殺しにするつもりだ。叶えたい願いなんてない。それ以外には……」


 変声期前の高めの声を可能な限りに低く押し殺して、少年は再び地面に沈み込むような体勢からスタートを切る。

 少年本体が飛び込んで来ても対応できるようにと身構え、懐に入られないようにと腰を落とす。

 しかし、少年の狙いは、今度は俺ではなかった。

 鋭角な前傾姿勢から急制動掛けて、少年の手元から何かが飛ぶ。

 投げナイフだ。それは曇り空へと吸い込まれる直前、こちらを見守っていたドローンを貫いて撃ち落とした。

 次いでとばかりに放たれたもう一本は、桐生がこそこそと取り出したスマホをご近所の塀に縫い付ける。


 “俺たち”と表現したせいか、あるいはこちらの内情をなんらかの方法で察知していたものか、俺たちが助けを呼ぶ方法を最初に潰して来た。

 俺と桐生をこの場で、確実に亡き者にしようというのだ。

 随分と堅実な立ち回りだが、これが小学生の知恵かと冷や汗が落ちる。

 異能力による思考能力のブーストならばまだいいが、彼の背後に別の存在が居るとしたら、話はもう少し複雑になる。

 何者かに思想を吹き込まれている可能性。あるいは、脅迫されている可能性。


 俺は上着を脱いで左の袖に荒く巻き付ける動きと共に、深呼吸して頭の中を一度リセットする。

 可能性ばかり探っていても、答えに繋がる確実なものが得られなければ意味がない。

 考える事を放棄したわけでは、決してない。この少年との衝突を持って、情報収集とするのだ。


「桐生、逃げずに隠れていてくれ」

「わかった! ……んん!? 逃げたらダメなのか!?」


 仮に桐生がこの場から逃走して葛巻さんたちを呼びに行こうとすれば、あの少年はまず、確実に桐生を落としに掛かる。

 ならば、この場から離れつつ、確実に目に付く場所に居てもらえばいい。

 そうすれば、まずは俺の方に集中してもらえるのだから。


 しかし、そんな俺の意図を、桐生は察してはくれなかった。


「お、俺もやるぞ! この、チケットを使って……!」


 震える手でブラックチケットを摘まむ桐生はしかし、なんの異能力も発現させる事が出来なかった。

 だらだらと顔中汗まみれにして疑問の表情と声を上げる彼の姿を見て、少年はようやくふたり分に割いていた集中を、俺ひとりに向けてくれた。

 桐生ならばいつでも殺せると思ったのだろう。桐生には悪いが、好都合だ。


「しかしまあ、どうしてこうも、異能力者たちはアクションに明るい方面に異能力が振り切れているのだろうな……」


 ――その方が画面映えするじゃないか――


 軽い頭痛を振り払うように目を細めると、少年は音もなく仕掛けてきた。

 一度左にフェイントを入れたかと思えば、右手側にさらに加速。身軽に塀の上まで駆け上がった。

 上着を巻いた左腕とは逆の方、しかも上からだ。

 左側を防御して見せた事で、右側が一見無防備に見えた事だろう。少年はそこを狙ってくれた。それも、わざわざ塀を駆け上がってジャンプ。上空からだ。

 物理法則がまだ息をしているのならば、宙に居る間は急激な方向転換や加速は出来ないはず。

 だから、タイミングを合わせる。右足を引いて体勢を入れ替え、突き出されたナイフを腕ごと叩き落とす事は容易だった。


 少年は着地と同時に跳び退ったが、驚いた表情は消せなかったようだ。

 こちらがそうするようにと誘導した事に気付いただろうか。

 しばらくは“動きを読んでいる”と勘違いしてくれれば幸いだが、ならばこの少年は早期決着を望むようだ。

 姿勢を低く保ったまま、今度はこちらの左手側へ回る。

 防御のためにと掲げる左腕、その陰に隠れて俺の視界から外れ、隙を突いて懐に入り込む動きだ。

 次いでこちらに密着して動きを阻害し、体のどこかしらをナイフで刺そうというのだろう。

 そうされる前に、俺は左腕に巻いていた上着を腕を振って広げ、少年に覆い被せるように放る。

 視界を覆われないようにと、少年は高速で後退。

 俺は地面に落ちた上着を拾って砂埃を払い、気障たらしく肩にかけて見せる。


 ようやく訪れた小休止。

 あの少年の思考速度がどれ程かは定かではないが、考えを纏め、方針を固められる前に、畳み掛けて行く。

 俺はポケットからフィーチャーフォンを取り出した。


「……そろそろ俺も、異能力を使う必要があるようだな!」


 わざとらしく声をつくって見せると、物陰に隠れていた桐生が顔を出して「つ、ついに使うのか、櫻井!」と、それらしいノリで叫んでくれる。

 こちらの動きを見聞きする少年は身を固くした。

 すぐに動くべきか、様子を探るべきかを迷ったのだ。


「いくぞ。――変身!」


 二つ折りのフィーチャーフォンを開き、キーを親指でプッシュ。

 あらかじめ音が出るように設定を変更していたお陰で、この場にいる全員がその音を聞く。

 そして何かが起動する電子音が響き渡ると、俺はフィーチャーフォンを閉じて、それを天に掲げた。

 桐生と少年の視線が上へ、鳴り響く携帯端末へ向けられる。

 次に何が起こるかと身構えるその視線を最大限に裏切るようにして、俺は後方へダッシュ。

 少年が先ほど投じた投げナイフが刺さった塀を、ナイフの柄を足場にして踏み越え、民家の敷地内に侵入した。


 取り残された少年は呆然として俺が消えて行った塀を眺め、その視線を桐生へとスライドさせる。


「あ。はったりね。ああ、なるほど……」


 今さら得心が言ったという声色で額を叩く桐生は、そそくさと少年の視界から姿を消す。


「お、大人って狡い……!」


 少年が泣きギレ気味に叫ぶ声は、民家に侵入する直前の俺の背中に、深々と突き刺さった。



 ◇



 すでに人が住まなくなった民家とは言え、土足で上がり込むのは心が痛む。

 だからと言って、玄関で靴を揃えてスリッパに履き替えるなど、この状況では不利も不利。

 雑多にものが置かれたままの廊下や部屋だ。何か鋭いものを踏んづけてしまえば、それけ動きが鈍る。


『つか、櫻井。なんで家の中に逃げたんだよ』


 イヤホンマイクを通じて、桐生のひそひそ声が届く。

 高性能な小型無線機。情報収集に出る前にあらかじめ檜山さんから手渡されたものだ。

 こう言った小道具に事欠かない檜山さんは、隙あらば装備のスペックを解説し始め、あるいは全身フル装備に固めようとしてくるもので、出発が一時間程遅れるという事があった。

 しかしミリタリー知識から取り出されるそれらの装備がなければ、スマートフォンを失った桐生とろくに連絡も取れない状態になっていたはずだ。


「あの少年の速度を見ただろう。驚異的な起動性能を。細く狭い道では、先の様に塀すらも足場にして縦横無尽に襲い掛かってくるよ」

『なーるほど。狭い室内で早くて自在な動きをさせないつもりだな?』

「加えて、置物など使って動きを封じられるようにな」


 だが、動きを封じたところであの少年の心が折れなければ意味がない。

 その方法をと考えると、彼がこの異能戦に参加するに至った背景を知る必要があるが、情報収集に軒並み失敗している俺たちに、その目はあるのだろうか。

 考えを脇に置き対応を考えていると、なんとその情報は桐生の方からもたらされた。


『おい、櫻井。まわりに注意しながら聞いてくれよ?』


 桐生が口にしたのは、この民家の表札。そこに書かれていた姓だ。


沙羅(さら)さんち。例の連続殺人犯、その容疑者になった人の家だよ』


 ごく普通の会社員であった沙羅氏は当時、事件現場での目撃証言が多数あった事から任意同行となったそうだ。

 結局は証拠不十分で釈放されたのだが、周囲の風当たりは強かったようだ。

 未だ家の敷地内をうろつく桐生は、民家の壁に書かれた落書きや破壊された犬小屋など、当時あったであろう事象を想像に載せて呟く。


『その沙羅さん。結局証拠不十分で釈放されたんだけどさ、真犯人が見つからなかったから、その後も酷い風評は続いたらしいんだ。それで……』


 沙羅氏は、周囲の非難に耐えかねて、自ら命を絶った。

 まだ若い妻と、幼い双子を道連れに、心中を図ったのだ。

 イヤホンから聞こえてくる桐生の言に注意しながら、俺はおそらくその場となったのであろう場所に辿り着いていた。

 八畳ほどの畳の間。おそらく寝室であった場所には、天井の梁から四本のロープが下がっていた。

 内ふたつは輪がなく、ロープが中ほどから千切れている。

 家族四人が川の字になって眠りについていたはずの場所で、一家はその生涯を終わらせたのだ。


 自分の表情が苦々しいものへと変わる自覚があった。

 自然と拳に力が入る感触も。

 だから、背後にあの少年が立っている事にも、しばらくの間、気が付かなかった。


「……犯罪者の子供は、犯罪者だと思う?」


 問いに、俺は言葉を発さず、ゆっくりと首を横に振る。

 背後を振り返らず、そして少年の言葉は続く。


「父さんは人殺しなんかじゃないって、ずっと信じてた。誰がなんて言っても、絶対違うって思ってた。犯罪者の子供なんだから、オレも同じだって言われても。だけど……」


 信じていたはずの父は、限界を迎えてしまったのだろう。


「兄ちゃんと家に帰ったら、靴はどっちもあったんだ。父さんのも、母さんのも。どっちも仕事で夜遅いから、おかしいなって、兄ちゃんと話してて、家中探して、それで……」


 その光景を、幼い兄弟は見てしまったのだろう。

 信じていた両親が自ら命を絶ってしまったその光景は、どれだけの失意をもたらしたろう。

 彼らの父は、双子の子を道ずれにはしなかったのだ。


「連れて行ってくれなかったんだ、父さん。母さんだけ一緒に連れていった。オレと兄ちゃんは置いて行かれたんだ……!」


 そこで俺は、この少年と相対したその時に意識が向けられた。

 先ほどこの少年は突然出現したように思えたが、よくよく思い出せば彼の背には玄関の表札があったはずだ。

 そして、塀やその下の路面は雨も降っていないのに濡れている風だった。

 桐生が敷地内で水の入ったバケツや雑巾が置かれていると告げたのを伝え聞いている。

 少年にとっては今も、ここは帰るべき家なのだろう。


「だから、なってやるんだ。皆が言うように、オレは人殺しの子供なんだ。だから、皆殺してやるんだ……!」


 背後で躍動の気配。

 対応はおそらく間に合わない。

 だから、負傷を覚悟でこちらも動く。


 少年は真っ直ぐに突っ込んで来てくれたので、負傷は左掌で留めることが出来た。

 突き出されたナイフの刃を、左手に突き刺せて止めた。

 一瞬の冷たさの後に、永遠とも思える灼熱感が左手を襲う。

 生命力が患部から、あるいは脂汗となって流れ出る感触に恐怖すら覚える。

 だからこそか、少年の震えが刃を伝わって来た。

 それは恐怖か迷いか。少なくとも彼が怒りや失望だけで動いているわけではないとわかった事は、大きな収穫だ。


「続けるかい?」


 刃を抜かれ、そして離脱されないようにと、無事な方の右腕を少年の背中に回して、ナイフを持つ右腕、その延長線上にある二の腕を押さえる。


「キミが成りたいのならば、そういう者になればいい。俺は反対だがね」

「……大人って、やっぱり狡いよ」

「大人らしく振る舞うなんて、そんな難しい事、俺にはまだまだ無理だよ。我儘な子供のままだ。だから、こんな事しか出来ない」


 頭がくらくらとしてきているのは、流血で血圧が下がったせいだろうか。

 出血は止まらないが、まだそれほど流れ出ていないのではと思ってしまうあたり、負傷経験が少ないが故の考えか。

 そもそも負傷経験などない方がいいものだ。

 さて置き、負傷の件は後回し。

 意識を失う前に、この少年に言って置かなければならない事がある。


「もう一度言うよ。キミがそうなりたいのならば、それを目指すといい。しかし、俺は反対だし、そうなろうとするキミを止めるよ。全力で。それが、この戦いに巻き込まれた、俺の願いだ……!」


 ナイフの柄から震える手を離せない少年は、涙を浮かべた悔しそうな表情でこちらを見上げてくる。

 落ち着くまでしばらくこのままかなと思うも、それだけの時間は残されていなかった。


『櫻井! 今すぐ家から出るんだ! 空に女の子、魔法少女が……!』


 何かおかしな単語がイヤホンから聞こえてきたかと思えば、目の前の少年が血相を変えたような形相になり、なんらかの緊急事態を確信する。

 直後、家屋を横殴りの衝撃が襲い、一瞬で倒壊が始まった。




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