幕間話 ファミリーレストラン
ファミリーレストランの店内は客でいっぱいだった。
家族連れやカップルでにぎわう中、俺たちは店員の案内で奥のボックス席へと通された。
そこだけちょうど席が空いていたのだ。
どうやら俺たちが座った事で満席となったらしい。
別の店員が新たに来店した団体客に満員である事を説明し、名簿に名前を書くように促している。
商売繁盛、素晴らしい事じゃないか。
席順は梅宮が壁側の窓際の席、桐生がその対面、俺は桐生のと右隣で通路側だ。
男を毛嫌いする素振りを見せた梅宮への配慮だが、これでは俺と桐生で梅宮を尋問しようとしている風にも見えなくない。
当の梅宮も、停戦には同意したが警戒は解かないといった風で、相変わらず鋭い視線で俺たちを見つめてくる。
その視線に耐えられなくなったのは桐生だ。
場所を交換してくれと両手を合わせて頼み込んだばかりか、「お冷もってくるわ」と告げてそわそわと席を立ってしまった。
思いがけず梅宮と相対する事になってしまい、困ったものだとため息が出ると、梅宮もちょうどため息をついたところだった。
「本当に落ち着きがないですね。桐生……、さん。本当は、櫻井さんと歳が逆なんじゃないですか?」
「こんな事に巻き込まれたんだ、それは動揺もするさ。ところで、桐生の事はさて置き、俺はそんなに老けて見えるかい」
「老けているかどうかは別として、櫻井さん。貴方はあの状況において、落ち着きすぎだと感じました。まるで動揺していない。以前にも、こういった事に巻き込まれていたかのような」
「まさか、そんな馬鹿げた事。……とも言い切れない部分は、確かにあるな」
梅宮の眉根が寄る。彼女にとっては聞き捨てならない言葉だろう。
「誓って言うが、俺はキミを騙そうなんて考えてはいないぞ。さっきは命の危機だったから仕方なくそうしただけだ。今の休戦関係にひびを入れるような事はしないさ」
視線を外す事はしない。
視線を外せば、今の言葉を嘘と取られてしまうかもしれないからだ。
幸いにも梅宮は疑念を深める事はなく、諦めたようにため息をついて視線を外した。
倣って視線を外した先はブラインドが下ろされた窓で、外の様子を伺う事は出来ない。
午後の西日対策ではなく、午前の朝日を遮るものとは珍しい。
しかも、混雑のせいか午後になってもブラインドは上げられていないのだ。
「……梅宮の言うとおり、以前にもこうしていた事があったのかもしれない」
唐突に出た言葉は、俺自身のものだった。
梅宮が表情を消して俺の方を伺うので、深く息を吐いて、彼女に向き直った。
目線は合わせない。
「今までの一連の流れ、確かに俺は落ち着きすぎだ。それを、俺自身おかしいと思っているんだよ。普通だったら、桐生のようになるだろう」
うんうんと力強く頷く梅宮を一度見て、再び視線を外す。
言葉は勝手に口を突いて出てくる。
「ブラックチケットがポケットに入っていて、桐生と会って、梅宮と会って……。不可思議な出来事に直面した時にまず頭の中に浮かんだのが、逃げるでも人を呼ぶでもなく、対応する、だったんだ」
対応する。
つまり、俺の直感や無意識は、目の前の異能力に対応しろと言ったのだ。
逃げるでも助けを呼ぶでもなく、対応しろ、対抗して見せろと。
そして、対応した。
対応できてしまった。
梅宮が人を傷付ける事にためらいを持っているとわかって、そこに付け込んだ。
「今、頭の中にはもう次の対応が浮かんできている。これから3人で何を話して、どう動いてゆくのか。まるで当然のようにそう考えている事を何とも思っていないんだ。普通は、そんな事を考えていると気付いた時点で、恐ろしいと感じるはずなのに……」
自分の思考に微塵も恐怖を感じていない。
こうしておかしいと気付いてしまったにもかかわらず、愕然とも呆然ともしない。
ただ、機械のように次へ、次へと、まるで自分が盤上の駒になって、見えざる手で進めるような気持ち悪い感触だけが後に残る。
まるで誰かに操られているかのような気分、そんな怖気だ。
そういったうすら寒さは感じるというのに……。
「どちらでも、いいです」
俺の思考を遮るように梅宮が口を挟んだ。
「私は櫻井さんに負けました。本来、あの時チケットを奪われてリタイヤ、……死んでいしまっている身です。こうして生かされている理由が本当に争う気がないからか、もしからしたら何かに利用されるからかは、私に判断する基準も材料もありません。私、結構考えるの苦手な方なんですよ」
梅宮の顔には諦めや思い切りがある。
本人の言う通り考えるのが苦手で、この際だから手持ちのカードをすべて明かしてしまおうとしているように見える。
実際、そういった考えなのだろう。
「停戦だというならばそれに賛成します。命を奪われるのならば、必死で逃げ延びます。まだ、絶対に死ぬわけにはいかないので。それで、もし利用されるのならば、何に利用されるのかを見極めます」
こうして自分の考えを並べる事で、梅宮は彼女自身のこれからの方針をまとめているのだろう。
彼女の言葉は俺に向けてのものであると同時に、彼女自身の意志を固めるためのものでもある。
「そういうわけで、私は櫻井さんがすでに考えているという次の対応とやらを見てみる事にしました。必要なら、私が知っている事をできる範囲でお話しします。元より、そのつもりだったのでしょうし……」
「ああ、助かるよ。まずは注文を取ろうか。先ほどお腹が」
「鳴ってませんから。鳴ってませんよ。変な虫でもいたんです」
メニューを取って梅宮に渡そうとするが、彼女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
こういった仕草が子供っぽいと思う原因なのだろう。
「あれ? 雰囲気和やかっぽい? もう大丈夫っぽい?」
ようやく、お冷を載せたお盆を持った桐生が帰ってくる。
ずっとこちらの様子をドリンクコーナーから観察していたのだろう。
桐生が来た方を見やれば、ドリンクコーナーに行列ができてしまっていた。
「心配ないよ。込み入った話をする前に注文を取ろうと思うんだが、構わないかな?」
「おっけー。俺も腹ペコだからさー。エビドリア食おうエビドリア」
一安心といった表情で桐生は席に着き、お盆に載せていたお冷を俺たちの目の前に置いてゆく。
空腹なのは桐生も同じなのだろう。
俺はと言えば、桐生たちに会う前は軽くコンビニで済ませてしまおうと考えていたものだが、その機会をすっかり逃してしまい、時計の針は午後二時を回ろうとしている。
朝から何も食べておらず、口にしたのは先ほどの公園で買った缶コーヒーだけだ。
そろそろちゃんとした食事が欲しい。
◇
「でもさ、梅宮ちゃんお嬢様っぽいからさ、こういうファミレスで食べた事ないんじゃないの? ……って思ってたんだけどそうでもないのね」
一息に言った桐生はメニューを広げたまま、梅宮の方を見る。
注文は済ませてしまったのに未だにメニューを広げているのは、そうした方が視線を逃がす先が出来ていいからなのだろうかと邪推する。
対する梅宮は、お冷のコップの中で輝く氷をぼんやりと見つめていて、桐生の話を聞いていたかどうかは怪しいところだ。
半べそでこちらを向く桐生の顔を、こちらもメニューを持って遮る。
鬱陶しい事この上ない。
桐生の言うとおり、梅宮の注文は手慣れたものだった。
どれを選んでよいのかわからない、そもそも注文の仕方がわからない、とはならず、すらすらとメニューの中から選んでいき、最後にしゃっかりデザートまで追加している。
少なくとも、これまでの人生でファミレスに入った事のないような生活は送ってこなかったようだ。
「……昔は、そうでもなかったんです」
ぽつりと生まれた言葉は梅宮のものだった。
彼女はコップの中に視線を落としたままぽつりぽつりと、話始める。
彼女の戦う理由に繋がるであろう話を。
「私の父という人は、確かにお金持ちです。でも、私は最初からお嬢様だったわけではないんです。母がその、……父の愛人、というものだったので。中学に上がるまでは、自分に父親がいる事すら知りませんでしたし」
「え、そうだったんだ。雰囲気とか話し方とか、あと立ち振る舞いっていうの? そういうのすっごい丁寧だったから、てっきり箱入りのお嬢様だったのかなーって……」
これも桐生の言うとおりだ。梅宮の立ち振る舞いには庶民臭さのようなものは微塵も感じなかった。
立ち振る舞いが洗練されているのだ。
「私が中学に上がる頃に、母が病気で亡くなって、それで父に引き取られたんです。それから、地獄のお嬢様生活の始まりですよ。今までの価値観を片っ端から壊されて、新しい知識と教育とを詰め込まれて……。この人たちは私を洗脳して、別の人間をつくろうとしているのではないかって、そう考え続ける日々でした」
口を尖らせて言う梅宮。大げさにも聞こえるが、今まで母子家庭で生活してきたところに環境が激変したのだ。
まだ中学に上がったばかりの子供にとっては、確かに世界がひっくり返ったような錯覚を味わった事だろう。
俺も、父の再婚で母と妹とが出来た身ではあるので、多少なりとも共感はできるというものだ。
「今でこそご無沙汰ですが、ちゃんとファミレスでご飯を食べた事だってありますから。月に一度、あるかないか、でしたけれど……」
コップの中に視線を落としたままそう告げる梅宮の表情は憂いだ。
彼女は、コップの中で煌めく氷を通じて、まだ母と一緒に暮らしていた頃の風景を見ているのだろう。
憂いに浸る梅宮の表情を見ていると、どこかこちらから話しかけにくいと感じてしまう。
彼女自身が相当に美人だという事もあり、気後れのようなものを感じてしまうのだ。
同じことを桐生も感じているのか、俺の脇を肘で突いて顎をしゃくって見せる。
何か話しかけろと言いたいのだろう。と言っても、話の主導権は梅宮にある。
ここは彼女の言葉を待つのが筋ではないだろうか。
……そう感じるのも、気後れから来る感情かもしれない。
「……浸っていてもしょうがないですね。あ、誤解しないでください。私が戦いに参加したのは、今の生活に鬱屈していたから、なんて理由ではないですから。実際鬱屈はしていますけれど」
「では、なぜ?」
ようやく疑問を挟む事が出来た。
梅宮の戦う理由、その核心に。
「今の私には、父親や義母の他に、姉と妹がいます。理由は、その妹の方です」
梅宮の表情が険しくなる。俺や桐生と相対した時に見せた表情だ。
「妹は、今の家族の中では唯一、私が心を開ける相手でした。誰に対しても屈託なく笑いかけるような子で、……でも、あの家では誰もまともに取り合ってくれないものだから、ずっとさみしい思いをしていたんです。家の中でまともに話せるのが妹だけだった、というのもあって、結構仲は良かったと思います」
その妹さんが、突然病に倒れたというのだ。
梅宮は高校入学を期に寮に入り、妹さんと顔を合わせる機会はずっと減ってしまっていたと言う。
それでも、毎晩連絡を取り合うくらいだと言うのだから、本当に仲が良かったのだろう。
依存していた、と言い換えても何ら違和感がないのが気にかかるところではあるが。
「ただの病気、ではないみたいなんです。ただ眠り続けているだけで、病名も何もわからない。普通、そんな事ってあると思いますか? 原因不明の昏睡状態だなんて……」
原因不明の昏睡。
そういった症状の病があるという話は耳にするが、どうにも真実味を持った事はなかった。
梅宮の口から聞いても実感が湧いてこない。
だが、それが俺の身内に起こったら、という悪い想像を抱くのは難しくはなかった。
「病院のベッドで静かに眠り続ける妹を見たとき、頭の中が真っ白になりました。妹の事が心配だった、というのもありますが、それ以上に怖くなったんです。また、ひとりになるんじゃないかって……」
母を亡くした梅宮にとって、妹は生きてゆくための支えだったのだろう。
その支えが揺らいでしまい、どうしていいのかわからなくなった。
だとすれば、そこに付け込む存在がいたのだろう。
「そんな時でした。私が、“異能売り”に出会ったのは……」
◇
「ふたりとも、もう知っていると思いますが、私、男の人が苦手なんです。でも、その“異能売り”のおじいさんは、不思議と大丈夫だったんです。……いいえ。おじいさん、というよりも、老紳士と言った方がイメージに近いと思います」
失意のままに病院を後にする梅宮の元に、“異能売り”は現れた。
その姿は、背が高く礼装を纏った老紳士だったという。
落ち着きに満ちた低い声で梅宮の事情を言い当てた“異能売り”は、彼女に一枚のブラックチケットを手渡した。
数日後にチケットを取り合うゲームが行われ、それに勝利すれば何でもひとつ、願いが叶うのだと……。
ブラックチケットを賭けた異能力者たちの戦いがゲーム染みたものだとは思っていたが、その報酬が「何でもひとつ願いが叶う」というものだったとは。
梅宮は「妹を目覚めさせる」という願いを叶えるためにこの異能戦に参加していたというわけだ。
「でも、私は結局、他の参加者を殺す事なんて、とてもできそうにありません。そうしないと、妹を目覚めさせる事が出来ないというのに……」
だから、と。
梅宮は顔を上げて俺たちを見る。
眼差しに宿るのは、決意と言うよりは諦めや割り切りといった感情だ。
「そうできないのなら、チケットを奪われてリタイヤ、……もう死んでしまっても、とも考えていました。でも、ふたりは私からチケットを奪わずに停戦すると言いました。ふたりとも正規の参加者ではなく、巻き込まれたのだとも。正直に言うと、私はまだそれを信じ切れていません。でも、他にどうすればいいかも思いつかない」
だから、俺たちに付いて行こうというのか。
「あのまま、あの場所から逃げ出しても、他の異能力者に殺されてしまうかもしれませんから。そうなってしまうくらいなら、少しでも生き残る可能性がある方にかけてみようと思ったんです。上手く無効試合になってこのゲームから抜け出す事ができれば最上。最悪、生き残る事ができれば充分すぎるくらいです」
梅宮は俺に敗北し、自分が人を殺める事が出来ないと自覚した事で、目的を変更したのだ。
他の異能力者を倒してチケット奪い願いを叶えるというものから、生きてこの戦いから離脱してもう一度妹のところに戻るというものに。
妹を救うために、他の方法を模索するという方向に。
「それで、俺の次の出方を見る、か……。梅宮、キミは思っていたよりもずっと強かだね?」
「期待していますよ。次の対応を」
期せずして先ほどの会話と繋がってしまい、お互いにくすりと笑みが浮かぶ。
俺たちに様子に疎外感を覚えたのだろう、桐生がしきりに肘で突いてくるが、努めて無視した。
「“異能売り”の姿などが知れた事は大きな収穫だったが、さてどうしたものかな。こちらから会いに行く事は難しそうだが?」
そう問うと、梅宮は首を横に振る。
やはり、呼べば出てきてくれるような存在ではないらしい。
ならば、もうひとつ確認する事がある。
「ひとつ確認するよ、梅宮。もし、ブラックチケットを持つ参加者全員が戦闘行為をやめてしまった場合、いったいどんな事が起こるのか。“異能売り”はそういった部分について言及していたかい?」
「いいえ。私が聞いているのは、期限までに勝者が決まらなければゲームは無効となる、という事だけです。勝者とは、参加者全員からチケットを奪い取った者、ひとりに限られます。最後のひとりが決まらなければ、この戦いは無効になるという意味だと思いますが……」
「それを鵜呑みにするのは危険かもしれないが、なるほど。その方向で動き出しても良さそうだ」
「……なあ、ひとついいか?」
遠慮がちに挙手したのは桐生だ。
俺と梅宮とが頷いて発言を促すと、桐生はこほんと咳払いを前置きとして発言する。
「これさ、無効試合を狙うんだったら、交戦区画ってのに入らなけりゃいいんじゃないか? 駅前周辺で期限まで待ってるっていうのは?」
確かに、理に適ってはいると思う。ご最もな意見だ。だが、その意見を否定するように梅宮が首を横に振る。その作戦は出来ない理由があるという事か。
「それは無理だと思います。ブラックチケットの所有者は、一定時間交戦区画を離れるとペナルティが課されると聞いています」
「ペナルティか。それは?」
「それが、……実は詳しい事は聞いていないんです。どうせ、逃げるつもりなどないだろうって、“異能売り”も強いて教えようとはしてくれなかったので……」
そう告げる梅宮の表情は申し訳なさそうだ。
彼女が気に病む事ではないが、こうなれば別のチケット所持者に事情を聴くのも視野に入れなければならない。
快く話してくれる者が居ればの話ではあるが。
「梅宮ちゃん、それさ、どのくらいの時間離れたらダメとか聞いてる? もしかしたらさ、こうして、ごはん食ってる場合じゃないかも……」
「それは大丈夫ですよ。桐生、さん。交戦区画からの離脱は、1日当たり6時間程と言っていました。食事と睡眠とを含めているとしても、充分過ぎると思います」
「……なんか、ずいぶん健康的な時間配分じゃあない、それ。三度の飯はともかく、安全な場所で仮眠する時間確保されてるじゃん」
「確かにな。それより、もっと重要な事を聞くのを失念していたよ。梅宮、この異能戦ゲーム、開始したのはいつだい?」
インターバルの間隔も重要だが、このゲームの開催期間の方も重要だ。
あと何日、あと何時間生き延びればよいのか。
「このゲームは、今日の午前9時に開始したばかりです。期限は、明後日の午前九時まで」
「3日間かけて48時間か。……いや、1日あたり6時間の休息が得られるならば、実質30時間という事になるのか。桐生の言ではないが、本当に3連休の行楽気分のスケジューリングだな。それに、まだ始まったばかりときている……」
これから3連休最終日の朝まで、交戦区画にて異能力者と相対する必要があるという事か。
異能戦ゲームの開始から約5時間。あと43時間を生き延びなければならない。
1日目の今日に限って言えば、午前9時から明日の午前0時までの15時間。
そこから休息の六時間を引けば、実質の稼働時間は九時間となる。
一番過酷になるのは2日目だろう。
24時間に対して6時間の休息という事は、18時間を交戦区画で過ごす必要がある。
この3人で動くとなれば、その辺のスケジュールも詰める必要がある。
まあ、昼食を取りながら詰めていこう。ちょうど、店員さんが両腕に料理の皿を満載してやって来た。
「お、待ってましたー。ここのエビドリア好きなんだよなー」
桐生は自分の目の前に置かれた皿を嬉しそうに覗き込み、スプーンを一本取るとそれを手の中でくるりと回して持ち直し、旨そうに食べ始めた。
その様子を見て「おお」と声を上げたのは梅宮だ。
どうやら桐生のスプーン捌きに驚いたようだ。彼女の普段の生活を鑑みるに、こういった真似は絶対にさせてもらえなかっただろう。
梅宮の視線に、桐生は得意げに鼻を鳴らして見せた。
もっと技があるのだとばかりに、紙ナプキンの上にスプーンを置くと、テーブルの手前をとんと軽く叩き、跳ね上げたスプーンを手の中に収めた。
器用なものだなと、俺はドリンクバーのメロンソーダに口を付けながらその様子を見ていた。
すると、何故か対抗心を燃やし始めた梅宮が、同じようにスプーンを置いてテーブルを叩き始めた。
「ふっふーん。梅宮ちゃんは不器用でちゅねー?」
「……この!」
先ほどの怯えはどこへやら、梅宮を挑発する桐生の顔は鬱陶しい程に得意げだ。
そんな桐生の様子に苛立ちを募らせる梅宮は、何度も「ん! んん!」とテーブルを叩き続けるが、思うような結果が得られない。
ついには大きく跳ね上げてしまったスプーンが窓に転がって行き、ブラインドの奥に入り込んでしまった。
そこでハッとして赤くなる梅宮だが、時は戻らない。
苦笑した店員さんに「替えの食器をお持ちしますね」と言われ、肩を震わせて縮こまってしまった。
梅宮を嗾けた桐生は勝ち誇ったように得意げだ。
今まで目の前の少女に怯えていたものが反転して、自分でも気づかないうちにSっ気を発揮してしまっているのだろう。
そんな事よりスプーンを拾えと後頭部に手刀を入れると、素に戻ってブラインドの下を探り始めた。
だが、どこに転がったのやら、桐生の手はスプーンを探り当てる事は出来なかった。
新しいスプーンを持ってきてくれた店員さんが、ブラインドの紐を引っ張って上げる。
果たしてスプーンはそこにあったが、また新たな発見があった。
窓ガラスを挟んだその向こうには、俺の良く知る人物の姿があった。
思わずメロンソーダを噴き出しそうになり、対面の梅宮と店員さんが「うわあ!」と叫んでのけ反る。
大丈夫。安心していい。吐かなかったから。
「……なんで、こんなところに」
果たして、外にいたのはうちの莫迦妹、火花だった。
莫迦なのはいつも通り、平常運転なので良いとして、本日の服装がいつもより輪をかけてお莫迦な様相を呈していた。
髪をお団子にまとめ大きめのサングラスをかけ、腰のあたりまでのポンチョを纏った姿。
下はデニム生地のホットパンツにオレンジ色のカラータイツ、靴はまるで西部劇のカウボーイが履いているような拍車付きのブーツだった。
火花はちょうど誰かと電話していたようで、耳にスマートフォンを当てていた。
店内のブラインドが上がった事で、何事かとこちらを見て、二度見して、スマートフォンを地面に落とした。
あいつにとっても、俺がこの場にいるのは予想外だったのだろう。
「……すまん、みんな。ちょっと出てくる」
俺はポケットから財布を抜き取り、テーブルに置く。思った以上に力がこもってしまい大きな音が立つ。
桐生と梅宮と、そして店員さんがびくりと肩を震わせる中、俺は窓の向こうの火花に「そこに居ろ」とジェスチャーして席から立ち上がった。
火花は「待て、落ち着け」とこちらもジェスチャーで応えるが、俺がこれから取る行動は変わらない。
「おい、櫻井、どこ行くんだよ……?」
「ちょっと、うちの莫迦妹を見つけたんだ。叱って連れてくる。5分で戻る。マルゲリータ、冷めるかもしれないから、俺が5分経っても戻らない時は先に食べてくれ」
突然の離席に動揺する桐生。
そんな「俺を置いて行かないでくれよー」と言わんばかりの情けない顔は止めてくれ。
窓の向こうの火花はこちらを手で制する動きを見せながら、じりじりと後退を始めている。
大丈夫だ、例え全力疾走で逃げようと、走るだけならば俺の方が勝っている。
火花が窓の向こうから姿を消す。
おそらく、こちらから姿が見えなくなったタイミングで全力疾走を始めた事だろう。
俺は努めて速足を心掛けてファミレスを出ると、ふっと身体を前傾にしてスタートした。
ボックス席の横を通り過ぎる際に、桐生と梅宮とが唖然と口を開けている姿を横目に捉えた。
写真に残して置きたい程の間抜け面だった事は、余談として置こう。
◇
約5分後。
俺は捕獲した妹を、猫にそうするように襟首を掴んで連れて来ていた。
ボックス席では桐生と梅宮とが、ちょうどマルゲリータを頬張ったところだった。
どうやら遅かったようだ。
「……紹介する。これはうちの妹。……うちの莫迦妹の火花だ」
「あにきー。いちいち莫迦付けて言い直すの、なしっすよー」
不満そうにぶーたれる火花は肩をすくめ、背中を丸めながら梅宮の隣に座った。
「あ、どもども。櫻井兄妹、火属性で妹の方、櫻井火花です。本日はお日柄もよく……」
照れ気味に頭をかきながら自己紹介する火花。その火花を見て、桐生が「結構可愛いじゃん?」と肘で小突いてくるが、「んー」気のない返事で曖昧に濁しておく。
「……はなちゃん? 立花、火花ちゃん?」
驚いたように、そして慎重に確かめるように呟いたのは、火花に押されて窓側の席に移動した梅宮だ。
火花の旧姓を知っている事に俺は内心驚いていたが、火花の方が三割増しで驚いたようだ。
「ええ? もしかして、ぐみちゃん? つぐみちゃん!? うっそぉ!?」
叫んで立ち上がった莫迦妹を頭を掴んで無理やり座らせる。
「ふたりとも、知り合いだったんだな……」
俺は、梅宮が「櫻井」という姓を聞いて訝しげな反応をしていた事を思い出す。
このふたりが幼い頃の友人だとすれば、火花が再婚で姓が変わった事も知っていたのだろう。
「ああ、えっとね、あにき。つぐみちゃんとは小学校一緒でよく遊んでてね、『はなぐみ』ってコンビで悪さしたものなんですよー」
「はなちゃんはなちゃん、お願いだから『はなぐみ』の事言うのやめて。その黒歴史、胃に来るから……」
自慢げに語る火花に対して、梅宮の表情は重い。というか、顔中に脂汗をかいて火花の袖を引いている。
余程人には聞かれたくない黒歴史らしい。
実は、彼女たち『はなぐみ』の活躍というか悪行というものを、俺は火花自身の口から幾つか聞いた事があるのだが、憔悴し始めている梅宮の名誉のためにも、あえて黙って置こう。
桐生の前で言えるわけがない。
ふたりが小学生の時、夜、学校のプールに侵入してはしゃぎまわっていたところを警備員に見つかって逃げ出して、夜の街を裸足にスクール水着という格好で全力疾走したのだという。
彼女たちにとってはこれだけでも黒歴史なのだろうが、火花などはさらに追加のお莫迦エピソードがあり、翌日スクール水着で登校したというのだから目も当てられない。
ちなみに、火花は当然その恰好のまま廊下に立たされたのだが、なんと共犯者として一緒に廊下に立った梅宮自身も、わざわざスクール水着に着替えていたというのだから、ふたりは相当強い絆で結ばれていたのだろう。
「そだ。ぐみちゃんぐみちゃん、アドレス教えてよ! お互い引っ越してからいろいろあって、連絡取れなかったしさ!」
いそいそと懐からスマートフォンを取り出す火花。
どちらも親の事情で元の住処を離れ、まったく新しい生活を始めたとはいえ、それでも連絡先の交換などはあったのではとも思う。
しかし、梅宮自身の境遇を聞いた後ではそれも難しかったのだろうとも思う。
火花自身、フットワークが軽くどこへでも首を突っ込んで行く性格だったにも関わらず、今の今まで梅宮のアドレスを聞き出すことが出来なかったのだ。
梅宮家のプロテクトは相当硬かったに違いない。
梅宮は火花のハイテンションに気圧されながらも、ポケットに手を入れて弄り始めた。
しかし、取り出しものは桜色の布に包まれた細長い何かだった。
俺と桐生と、そして火花が表情を消して見守る中、梅宮は気まずそうに布を剥いた。
布の正体は風呂敷で、包んでいたものはスマートフォンだった。
「何それ! 新しい!」
桐生と火花がハモって叫ぶ、音を立てて席から立ち上がる。
取りあえず火花の頭だけ押さえて席に座らせると、桐生も自主的に席に着いてくれた。
ノリが良くて助かる。
「……一般的な価値観からすればおかしいかもしれませんが、私は気に入っているんです。……妹が好きなんです、風呂敷」
若干顔を赤くして呟く梅宮に、俺も桐生も押し黙ってしまう。
梅宮の戦う理由。
彼女にとって妹がどれだけ大事かが垣間見えた瞬間だった。
◇
「さて。今後の方針を固める前に、桐生、梅宮。ふたりとも、ちょっとうちの莫迦妹を尋問する時間をくれ」
俺の神妙な嘆願に、桐生も梅宮も頷いてくれた。
桐生などは、肩肘ついて観戦モードに入っているのだから鬱陶しい。
本当、手早く済ませたいものだ。
「あにきー。拷問、優しくしてね」
「尋問だ。手短に行くぞ。その壱、何故書置きを残して家を出た。俺が一番に見つける事を見越していたな?」
「えー、あー、うん。あにきならママンに黙っていてくれると思って……」
「なーぜーだ?」
「あうう。あっと、明後日、ママパパ結婚記念日だから、プレゼント用の軍資金を……」
「オーケー。尋問その弐だ。軍資金の捻出のために、具体的には何をしている? 書置きを残したという事は、日雇いのアルバイトではないのだろう? 泊まり込みのアルバイトか?」
「ええと、そこは、企業秘密と言いますか……」
「火花」
「えーあーうー……。おじさん! おじさんを捕まえるだけの、簡単なお仕事です!」
火花の話を聞いた俺も、横でにやにやしながら見聞きしていた桐生と梅宮も、テーブルに突っ伏しそうになる。
なんだ、おじさんを捕まえるとは……。
「えーっと、みんな内緒っすよ? 企業秘密、守ってくださいよ?」
火花は口を尖らせながら、ポンチョの下に隠れていたトードバッグからA4サイズのクリアファイルを取り出す。
ファイリングされていたのは何者かのプロフィールだった。
火花がおじさんと言った通り、ファイルに添付されていた写真には、薄汚れた風貌の中年男性が写っていた。
「へえ、火花ちゃん、だっけ? このおじさん捕まえるの? もしかして、探偵のお仕事か何か?」
あまりに日常からかけ離れた展開に興味を抱いたのか、桐生が前のめりになってファイルと火花とを交互に見る。
「まあ、探偵さんの助手のようなものっす。若干危ない橋も渡るから、お給料も良くて……。あにきーあにきー怒らないで睨まないでメガネ格好いいっすね」
内情を暴露していく莫迦妹を深刻な視線で見つめていると、俺が怒っていると感じたのだろう、火花は梅宮にくっついて俺から距離を取った。
確かに、俺は怒っている。
まっとうなアルバイトは面接で落とされるとはいえ、こんな得体のしれない、しかも本人も危険と承知している仕事をしているなどと。
怪我でもして家族に心配をかける可能性もあるだろうに。
言語道断だ。
「……まあ、父さんたちの結婚記念日の祝いだ。気持ちだけは認めよう。手段は最悪だがな。……それで? この界隈をうろついていたという事は、このおじさんとやらは、この近辺に潜伏しているのか?」
「うん。そのはず。協力者さんからの情報だと、なんだか3連休使って怪しげな殺人ゲームやるって話で……」
3連休使って怪しげな殺人ゲーム。
その単語を聞いた時、俺と、そして桐生と梅宮はまったく同じ反応をしたと思う。
うっと息を詰め、気持ち前のめりになったのだ。
その殺人ゲームとやらに、非常に聞き覚えがあるのだ。
俺たちに様子に訝しげな視線を向けつつも、火花は説明を続ける。
「えっとね、おじさん自体はヤクザさんに追われてて、あたしの依頼はおじさんを無傷で確保する事。おじさんはその殺人ゲームの参加者みたいで……」
「莫迦者! そんな危ない仕事を何故引き受けた!?」
ひぃ、と火花が身体を小さくして両手で頭を覆う。
殺人ゲームと聞いてその依頼を引き受けたのか、この莫迦は……。
「ま、まあまあ、櫻井兄、落ち着けよ。その殺人ゲームってさ、たぶん異能戦の事だよな? だったら俺たちと一緒に居れば安全……」
「そんなわけがないだろう桐生。俺たちは狙われる側だぞ? ……ダメだ。これ以上、一緒に行動は出来ないな」
「……あにきたち、もしかして」
「黙れ、お前には関係のない事だ。おじさんの事は、俺たちに任せろ。こちらで確保して置くから、お前は家に帰るか、もし手続き等必要なら万里夫さんのところに泊まって居ろ。ああ、その場合母さん連絡を忘れないように。この3連休中は、くれぐれもこの区画に……」
そこで俺は言葉を止めた。
火花が俺の話を聞いていなかったのだ。
この莫迦妹は、俺の背後に驚いたような視線を投げかけて固まっていて、見れば隣の梅宮も同じように言葉を失って俺の背後に視線を固定していた。
いったい俺の後ろに何があるのだ。
そう、後ろを振り向こうとしたところで、血相変えた3人に全力で振り向くのを止められた。
桐生が口をパクパクさせながらも必死に言葉をつくってくれる。
「……いる。櫻井、おじさんがいる。うしろに……!」
何だと。
俺はポケットから取り出したフィーチャーフォンをミラーモードにして、自らの背後の様子を確認した。
すると、居た。
テーブルに広げられた資料、その添付写真そのままの薄汚れたおじさんが、店内に入って来たのだ。
つづく