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H.E.L.R  作者: アラック
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第一話 櫻井火花

 わが妹、櫻井火花(さくらいひばな)は莫迦である。


 どれほどの莫迦かというと、コンビニアルバイトの面接に出す履歴書に証明写真ではなくプリクラを張って提出するレベルの莫迦だ。

 当然、履歴書を一目見た店長は面接するどころか冷凍庫からアイスを取ってきて手渡し「これあげれるから採用はあきらめてね」と苦笑いで告げたのだという。

 店長のそんな対応に対して「やったー、もうけー」などと諸手を挙げてのたまう妹は、やはりどうしようもなく莫迦なのだろう。

 返された履歴書を持って別のコンビニにアルバイトの申し込みに行こうとする妹を俺は呆れ半分に静止して正座させ、まずは履歴書のプリクラをはがして証明写真を撮影するべきなのだと説教することになっていた。

 説教の間、終始「おー」だの「ほへー」だのと、まるで頭のねじが緩んでいるかのような気の抜けた相槌を打つ妹を見ていると、こいつの親はこいつが生まれてから16年もの間、いったい何を教えてきたのだろうかと憤りを禁じ得ない。

 というのも、この妹、俺とは血のつながりがない。義理の妹なのだ。


 母を早くに亡くした俺のためにと、父が再婚を考えていたことは小学生のころから知っている。

 それがかなったのが中学二年生も半ばを過ぎた頃だったのだが、相手の女性には連れ子、しかも年下の女の子がいることがわかり、内心胸が高鳴ったのを覚えている。

 小さい頃からひとりっ子として過ごしてきた俺は兄弟姉妹というものに強い憧れを抱いており、特に思春期真っ盛りな時期も手伝って「義理の妹」という響きに何とも表現しがたい感情を抱いて日々悶々としていたことを覚えている。

 恥じて消え入りたい心境だ。

 だが実際、ふたを開けてみれば義妹は莫迦だった。

 初対面のときは、小さくて可愛らしく、母親に似てどこかふわふわした雰囲気の子だな、といった印象だったのだが、一緒に生活をするうちに認識は改まり、一週間で俺の義妹という存在に対する憧れは完膚なきまでに叩き壊された。


 ちなみに俺は義母という存在にに対してもひそかに憧れを抱いていたのだが、それも同時期に完膚なきまでに叩き壊されている。

 義母は娘同様ふわふわした雰囲気に儚さと妖艶さと子供っぽさとを併せ持った人だったのだが、なんというか、メンヘラだった。

 メンヘラでメルヘンだった。加えて、娘と一緒のときは「前パパ」の話をしてしんみりと昔を懐かしんだりするものだから、こちらとしてはたまったものではない。

 以前うちの父が帰宅時に、何とも間が悪いことにその「前パパ」という単語を耳にしてしまい、真顔のまま両の目じりから涙を流し始めた様には、その場にいた俺も義母も義妹もぎょっとして凍りついたものだ。

 あろうことか、俺が父の涙を目にしたのは、その時が初めてだった。


 そういうわけで、この義妹の莫迦さ加減は再婚する前の家庭環境によるもので、義母と以前の父親であるところの「前パパ」の教育を疑わざるを得ない。

 その「前パパ」こと別れた父親は存命で、義母はいまだに未練があるようなそぶりを見せるし、義妹に至ってはたまに会いに行く始末だ。

 うちの父はもっと泣いていいと思う。

 そもそも別れた理由というのが「僕は命を狙われているから近くにいない方がいい。別れよう」とか、頭の痛い発言だったのだという。

 それを義母は真に受け、寸劇やら茶番やら行ったのちに離婚と相成ったのだとは、義妹談。娘に「火花」などという名前を付けるような人間なのだから、頭の痛さは折り紙つきだ。


 よって、結論に至る。

 この火花という莫迦な妹に、何とか人並みの常識やら教養といったものを教え込まねばならないなと。

 幸いにも火花は莫迦なだけで頭が悪いわけではない。

 むしろ要領がよく勘も鋭い。

 それに、人によって態度を変える様なことなどせず、誰とでも同じように接する。

 裏表がなく正直なのだ。コミュニケーション能力は俺をはるかにしのぐものがあり、よくわからない筋の人脈までつくっているほどだ。

 それに、ほら。今もこうして、リビングの床に正座して俺の説教を真面目に聞いているではないか。

 傍目からは聞いているのかいないのかは定かではないような様子ではあるのだが、本人として真面目に聞いているのだろう。

 だが、その正直さ素直さに、この義妹の場合危なっかしさを感じるのだ。

 勘の鋭い娘だ、危険なことに巻き込まれるようなことなどないだろうが、万が一に、という可能性も捨てきれない。

それに、物覚えは悪くない。

 ならば、16年間両親から授かることのなかった社会的常識や教養といったものを授けていくことは、今からでも遅くないはずだ。


「まあ、またお兄ちゃんに怒られているのー?」


 などと、キッチンのほうから義母が顔をのぞかせる。

 ……私事ですまないのだが、「義母義妹」の表記を今から「母妹」に変えさせてほしい。

 別にやましい表現にも取れるから、というではなくて、家族に対してよそよそしさを覚える表現は、あまりいいものではない。

 ふたりともどうしようもない部分はあるが、俺の大事な家族であることには変わりないなのだ。


 母はダイニングのテーブルにホーロー鍋を置くと、ミトンをはめた手をひらひらさせスリッパの音を小さく鳴らしながらキッチンへ戻っていく。

 その光景を鍋敷きの上で湯気を立てているホーロー鍋越しに見て、俺と妹は顔を見合わせた。


「ねーあにきー。うちのママンあんなに若くていいんすかねー?」

「俺に聞くな」


 上目使いで間延びした声の問いを一蹴して、俺は軽くため息をこぼした。

 確かに、母はまだ40代にもなっていないどころか外見上は20代だといっても充分通用するだろう。

 俺がため息をこぼした部分はそこではなく、この莫迦な妹の半分を担ったあなたが笑いながらこの説教を見ているのはどうかと思うのですが、という部分だ。

 言ってどうにかなるようなものでもないので、もうあきらめてはいるのだが。


「まあ、説教はここまでとして、お前突然アルバイトなんてどうしたんだ。小遣いが足りていないわけでもないだろうに」

「んーにゃー、足りないといえば足りないんだけど、来月分を前借するわけにはいかないというかー」


 妹の様子に違和を感じる。

 受け答えが間延びしているのはいつものことだが、今回はわずかに歯切れの悪さがある。

 抱えている悩みを相談することにためらうような妹ではない、なにか厄介なことに巻き込まれているだろうか。

 問いただそうとして、俺はやめた。いくら家族だとしても無遠慮に踏み込んではいけない部分はある。

 俺にも、父や母、そして妹にも。

 いつか話すだろうし、それに要領のいい妹のことだ、思わぬ方法で悩みの元を解決するかもしれない。


「となると、その方法が法律に触れていないかが焦点となるか……」

「あーにきー。もう正座解除していいっすかー」


 よしの合図を出すとともに真横に倒れて足の痺れにゆるくのたうつ妹を尻目に、俺は母の手伝いに加わる。

 どうしたものかと余計な物思いにふける俺の背中を妹の澄んだ目が見ていることには、当然その時は気付かなかった。



 ◇



 翌日、妹は姿を消した。

 リビングの机に「ぷち家出します。 ひばな」と書置きを残して。


 深いため息とともに、俺はその書置きを握りつぶして丸めてゴミ箱に叩き付けた。

 入らなかったので、拾って同じところに戻ってもう一度叩き付けた。

 莫迦が、こんな書置きをしたら両親に心配をかけるだけではないか。

 最初に見つけたのが俺だったからよかったものを……。


「……最初に俺が見つけると、確信していたとでも?」


 莫迦な。

 あの妹にそんな計算じみた真似ができるとでもいうのだろうか。

 だが、そう考えればつじつまは一応合う。

 今日は3連休初日の朝、父は泊まり込みの仕事でおらず、母も休日は朝が遅い。

 俺はといえば、休日の朝はランニングと決まっているので、たいていの場合は早起きだ。


「これは予定変更だな」


 すでにスポーツウェアに着替えていたが、自室に戻って私服に着替えなおす。

 階段を滑るように降り、寝間着のまま挨拶をしてくる母に出かけると声をかけ、俺は靴を履いて玄関の扉を開けた。

 万が一、念のため、莫迦な妹の所在を確かめに行く。

 行き先の目星はついているのだ。俺も何度か足を運んだことがあるが、あまり赴きたい場所ではない。


 「前パパ」こと、火花の前の父親のところへ、俺は深いため息とともに歩き出した。




 つづく

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