アローン・メドゥーサ
自然の香りと共に部屋の中へと入ってくる涼しさを運ぶ風。窓の向こうの世界から聞こえる鳥の囀り。ツッツッと窓の縁を跳ねるようにして歩いているのがわかる。
「おはよう、小鳥さん」
そう話しかける私。
「おいで、お話しましょ」
手を差し伸べると物珍しそうに突き、それに悪意がないとわかると淵から飛び移った。
「今日も一緒に本を見ましょうよ」
手元にある表紙が擦れてしまった本。笑顔の子供たちが幸せそうに手をつないでいる本。別に特に変わった本ではない。ただの絵本だ。
子供たちが仲良く暮らす絵本。
だけど、それが私にとってはいつも夢見る世界。
「ねえ、小鳥さん。あなたの世界には何が見えるの?」
私は、外に出たいけど出れない。なぜなら私は忌み嫌われている存在なのだから。
そのことを知ったのは五歳の時の、確か夕暮れ時だった。ママの目を盗んで外の庭で遊んでいた私は近くの村の子供たちに見つかり、石を投げられ怪我をして泣いた。ママは私の手を引き、家の中へと入るとこう言った。
「あなたは外へ出ては駄目なの」
「どうしてなの、ママ」
「あなたはメドゥーサの血を引く者なの。あなたや私が人間を見ると石にしてしまうの」
「石になってしまう?」
「ええ、そうよ」
だから出ては駄目なの。そうママは呟いた。
ママは少し間を開けたそのあとに詳しく聞かせてくれた。私たちの先祖はメドゥーサという人で、その人は人を見ると石にしてしまう能力を持っていて、そのせいで首を切られ死んだのだと。そしてその能力は私たちにもあるのだと。
私も母の言うことを守った。私のせいでほかの人を傷つけたくなかった。
――私はメドゥーサ。
そう、私はメドゥーサ。世界から忌み嫌われ、そして最後は首を掻き切られる存在。
だから、小鳥たちのいる外の世界に恋焦がれても、私は出れないし出たくない。ここから見える木々や入ってくる風、そして人がいないのを確認してから少しの間野草を摘みに出る庭が唯一私に与えられた許される外の世界。
「ママ、私は」
これからどうしたらいいのだろう?
一一歳の時にママは消えた。私を残して。きっと村の人に捕まったのに決まってる。それから一年間、私はこの家に一人きり。どこにいったのだろう?
「ねえ、わかる?」
ピピと鳴く小鳥に尋ねても、欲しい答えは返ってこなかった。
「そうね、わからないよね。ごめんね」
小鳥の首筋を優しく撫でると嬉しそうにすり寄ってくる。
「ピ!」
突然小さな体に似合わない大きな羽を広げると小鳥は窓の向こうへと飛び去った。
「どうしたのかしら」
その時だった。
『コン、コン』
ノックの音がする……!
もしかしてママが!
そう思うと会いたい気持ちを抑えきれないように、玄関へと走っていく。
「もしもし、いますか?」
小走りだった私の足は止まり、興奮は不安へと変わる。聞こえてくる声は若さを感じさせる澄んだ男の声だった。
――村の人だ。
何をしに私のところに?
この家から追い出しに?
とうとう私を殺しに?
さまざまな疑惑が頭の中を戦慄のように走る。
「すいません、お話があってきました」
やっぱり殺しに……?
不安は今度は恐怖へと変わった。
――逃げないと。
玄関へと進めた足は今度は玄関とは反対に進めた。
「早く逃げないと。どこかに隠れる場所あっ!」
床に落ちていた本に躓き、大きな音とともに倒れる。本の表紙の子供たちはは相変わらず幸せそうな顔をして手をつないでいた。
「大丈夫ですか! あ……」
キイとドアの開く音がする。誰か来るなんて思っていなかったから鍵なんて閉めてはいなかった。
「どうしよう……」
このまま捕まるか、それとも――石に。
「……いや。それは駄目!」
自分に言い聞かせるように呟く。私は人を傷つけないためにこの家に籠っていたのだ。もしここで傷つけたら今まで私はなにをしていたことになるの。そう自身に問いかける。
確実に近づいてくる足音。
「すいません、いませんか?」
私は小さく蹲り、目を瞑って怯えた。
徐々に大きくなる声、足音。
来る! 来る! 来るっ!
コツ、コツ、コ……。
――助けて、ママ。
「大丈夫ですか? なんか大きな音がしたので勝手に入らしてもらったのですが」
それは私が想像していた言葉とは違っていた。
「すいません、少しお話がしたくてお伺いさせていただきました」
私を殺しに来たのじゃなかった……。
安堵と共にどっと吹き出る汗。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
「怖がらないでください。何もしませんから」
殺しにきたのではなかったとしても、私にはまだ問題があった。
「……うの。違うの」
「何がです?」
「私があなたを傷つけてしまう。だから帰って」
「どういうことです?」
「あなただって知っているでしょ。私はメドゥーサの子。あなたを石に変えてしまうわ。帰って」
男は少しどもると、静かに言った。
「……ええ、あなたがメドゥーサの血を引いていると言われていることは知っています」
「なら帰って」
「でも私はあなたの目を見たことがありますよ」
「え……」
「あなたは知らないでしょうけど、あなたが庭に草を摘みに出ているときに私はあなたを見かけていますよ」
「そんな……」
「でも私は石になんてなっていないし、ここに勇気を持ってあなたに会いに来た。だから――」
あなたも勇気を出して?
私の髪を愛でるように指でなぞる。もう、恐れないで。男はさらにそう一言言った。
「いいの? もしかしたらあなたは石に変わるかもしれないのよ」
「石になるかもはしれない。でも、踏み出さないことには進みだせない。さあ」
子供たちが互いに向き合って、楽しそうに話し合ったり遊んだりするのは私にとっては夢物語でしかないものと思っていた。でも、それはもう夢じゃなくてもいいの? そうなの、ママ?
「さあ、勇気を持って」
私はゆっくりと目を開けた。滲んだ世界がゆっくりとクリアな世界へと変わる。目の前には私のよく知る世界、そして青い髪をした少年。
「ほら、大丈夫」
ニッと笑う少年。
私もニッとした。
「実はあなたを初めて見かけたときからあなたに会いたくて、話したくて仕方がなかった。やっと夢が叶った」
「私も夢が叶った。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「でも、石になる恐怖はなかったの?」
「あなたになら石にされてもいい覚悟はしていました」
少し恥ずかしそうに少年はそう答えた。
「僕はウルラ。あなたの名前は?」
「私はププラ。ププラ=ゴルゴン」
「よろしくププラ」
「よろしくウルラ」
「立てる?」
「うん」
私より少し大きい手を握ると立ち上がった。ウルラは背が高く、逞しかった。
「ウルラ、話って何なの?」
「ププラ、話をする前にもう一度勇気を出してみないかい」
「何をするの」
「こっちへおいで」
手を引かれてきたのは外の世界とここの世界を分けている扉の前だった。
「外へ出てみよう」
「そんな……」
「僕の目を見れたのだから、大丈夫。君ならできる」
私なら……。
――君ならできる。
「私なら……できる」
ゆっくりとドアをあける。風が体を包み込む。
「こんにちわ」
そこには大勢の人たちがいた。
「そしてようこそ」
その人々の中に見覚えのある姿が――。
「ママ……」
「よく出てこれたわね」
「今までどこに行ってたのよ! 私は……寂しくて……」
「これは君たちメドューサの血を引く者の試練なんだ」
横でウルラがそう言った。
「どういうこと?」
「メドゥーサの一族は一一歳から一二歳になるまでの一年間で、メドューサとして生きるかそれともただの人間として生きるかを選ばないといけない。メドューサとして生きるか、それともただの人として生きるか。それを選ぶ日が今日だったんだ」
「じゃあもし私がメドューサになってたら?」
「大丈夫。僕は君はならないと信じていた」
「じゃあ、みんなして私を騙してたってこと?」
「ごめんなさい、ププラ」
「ふ……あはははは。バカみたい。一人で悩んで」
「ごめんね」
「でも……よかった。これからはあの絵本みたいにみんなで遊べるのね」
「勿論さ」
「ようこそ。ウゼルの村へ」
人が変わるためには自ら何かを変える勇気を持って、それを実行しなければならない。そうしなければきっといつまでも私たちは変われない。
殻に閉じこもることはできても、それではいつまで経っても羽を広げ旅発つことなんてできない。
なぜ私に人を石に変える力がないのかはわからない。でも、それでよかった。
もしかしたら、ママも自分を変えるためにどこかに旅へ出ているのかもしれない。
私も、ウルラみたいに勇気を持っていけるように生きたい。
そう、全ては自分自身で変えていけることなのだ。
風が木々の間を通るようにして過ぎていった。
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