第三章:心一つあるがまま(7)
「このエネルギーパック……開発中のものでな。魔術が封じてある」
ウィルはソフィアの背中に、声をかける。
「使えるのは一回。封じてあるのは防御魔術。ただし、威力は平均の八割程度」
ずきんと鈍く走る痛みを悟らせないように、意識して声を出した。額に脂汗が浮かんでいるような気がするが、それはきっと気のせいだと自分に言いきかせる。
ソフィアを中心に魔力が渦巻く。それが、ウィルの言葉への返答だった。
魔力のないウィルでも感じるほどの強い魔力の奔流。それを魔力を持つ魔竜が気付かない訳がない。視力は潰れたままの魔竜がこちらに頭を向け、ドラゴンブレスを吐き出した。
同時に、ウィルがトリガーを引き絞る。銃口をソフィアの足元に向けて。
光が床に突き刺さり、そこを基点に魔力障壁が発動する。ぴしりと不可視の壁にひびが入る音がした。そして、ドラゴンブレスを何とか相殺しきって、壁も消滅する。
「無慈悲なる六花の舞、白銀の風よ! 白き腕にて、冷酷なる抱擁を与えよ! ブリザード!!」
極限まで練られた魔力が、ソフィアの呪文によって発動する。白銀が、魔竜を包み込んだ。
「……終わりです!」
ソフィアの声に合わせて、風が一瞬強まった。ウィルは反射的に瞳を閉じる。
風が収まったのを感じて目を開ければ、目の前で力なく崩れていく魔竜の姿があった。恐ろしい威力である。
魔竜の巨体が床に沈み、その衝撃で広間が揺れる。その振動が腹部の傷に響いて、ウィルはレーザー銃を落とし、小さく呻いた。
「……っ」
気が緩んだせいか、傷が痛くて痛くて堪らない。元々痛みに耐性がないのだからなおさらだ。レーザー銃が床に落ちた音で後方を振り返ったソフィアが慌てて床に膝を付く。
「ウィルさん!」
「だから、生きてるって……致命傷じゃないしな」
確かに致命傷ではない。だが、人はショックでも血が足りなくても死ねるのだ。早く手当てしないとまずいだろう。
「なお、治します……!」
再び泣きそうになりながら、ソフィアがウィルの右手を取った。そして両手で包み込み、彼女の額に押し当てる。まるで、祈るように。ウィルは軽く目を見開いた。ソフィアの行動と、彼女が治癒術を使えるということに驚いたのだ。
魔術師にもやはり得意分野不得意分野というものがあり、攻撃魔術専門と治癒術専門の魔術師に分かれることが多い。両方の魔術を使える魔術師にはなかなかお目にかかることが出来ないのだ。ソフィアの魔術師としての優秀さが窺える。もちろん、魔力のコントロールが出来ればの話だが。
「癒しの光よ、ここに来たれ。その聖なる祝福を彼の者に与えよ……ヒーリング」
ふわりと柔らく温かな白い光がウィルを包み込み、傷が瞬く間に完治する。だが、治癒術が癒せるのは身体の傷だけで、失われた血液組織の再生は出来ない。つまり、失血死は防ぎようがないということだ。
「……ごめんなさい」
ソフィアが頭を下げ、震える声で言った。ウィルの手を握る彼女の両手に、力がこもる。
「ごめんなさい。私……」
俯いていて、ソフィアの表情は見えない。だが、床に落ちる雫が彼女の表情を物語っている。
「私の、せいでっ……。私が、軽率だから……。ウィルさん、ごめ、なさ……」
声が詰まって、言葉になっていない。ウィルは困ったように眉をしかめ、明後日の方向を向いた。
正直、こういった状況に慣れていないし苦手なのだ。どういう風に対処すればいいのか分からない。人付き合いと外交は全く違うものなのだと実感する瞬間だ。これが外交の場であれば、数ある行動パターンの中から適切なものを選び出せるのに。
戸惑って、失血のせいか若干重い自由な左手を持ち上げ。僅かに見えるソフィアの額をぺちっと弾いた。
「ふぇ!?」
突然の衝撃に、反射的に顔を上げたソフィアの顔はやはり涙でぼろぼろだ。
「いつまでぐじぐじ泣いてんだよ。そんな泣かれると、俺が死んだみてーじゃん」
「う……え……」
こういう時、どんな顔をしてどんな言葉を投げかければ良いのかなんて、分からない。性格上、相応しい言葉を持ち合わせていない気もする。
「そんなに冷たいか?」
言って、ソフィアが握ったままの自身の右手に視線を落とすと、ソフィアもそれを追うように視線を落とし、顔を真っ赤にして慌てだした。どうやら、握っていたことを忘れていたらしい。離すタイミングを見失ったらしく、おろおろとしている。
「わわわ、すみません! ……私!」
「……使えたじゃねーか」
ぽつりと告げると、ソフィアが小さく首を傾げた。何のことを言われたのか分からないのだろう。ウィルにしては珍しく主語が抜けている言い回しだから当然かもしれないが。思っている以上に頭が回っていないのは、失血による貧血のせいか、疲労のせいか。
「魔術。さっきも、今も」
「……あ、そうですね。威力が強すぎたんですけど……。でも、きちんと発動して良かったです」
ようやく、ソフィアの顔に笑みが戻る。そのことに何故だか安堵して、ウィルは小さく息を吐いた。
「毎回そうならいいんだけどな」
「あ、はは……。そうですよね」
それから、ソフィアがまっすぐにウィルを見つめてきた。
「ウィルさん。もう一度だけ、謝らせて下さい。……本当にすみませんでした」
「……別に、俺は責めてないだろう」
確かにあの場面で周りが見ていないソフィアの行動は軽率かもしれない。だが、その気持ちはウィルにも理解できる。リアが弾き飛ばされたあの瞬間、ウィルの心臓も嫌な鼓動をたてたのだから。駆け寄ったソフィアの行動は確かに最善ではなかった。だが、間違っていたのかというと、そうではないとウィルは思う。
「……でも、ウィルさんを危険な目に合わせました」
「反省してるんなら、次から気をつければいいだけの話だろ。俺もリアも死んでないんだから」
「……はい」
真面目に頷くソフィアがぼやけて見えて、ウィルは額を押さえた。
本格的にまずいかもしれない。平衡感覚がおかしくなってきた。体力がない上にあの出血量。今、無理をして起きていることも原因のひとつかもしれない。
身体を起こしていることも辛くなってきて、ウィルの上半身がふらりと傾いだ。
「!? ウィルさん!」
ソフィアの両手がウィルの右手から離れ、柔らかい香りに包まれた気がするが、意識がすでに闇に落ちかけているウィルにはそれが何なのか判別がつかなかった。
その香りの記憶を最後に、ウィルは意識を手放した。




