chapter 10
10
ジュリエットは落下による猛烈な空気抵抗を受け、乱れる髪とスカートの裾を押さえながらゴスロリ人形を探していた。
そう、彼女は地上六百メートル強からのスカイダイビング中である。
ワルキューレの力を侮っていたわけではない。正しくは、織はワルキューレではないが、準じる力は持ち合わせている。スピルの出力・応答速力・意識領域ともに、ジュリエットは織に及ばない。
これは反則だろ、とジュリエットがレフェリーに訴えたくなるのは、持ち合わせたスピルの豊富さだ。ジュリエットは〈スーパシー〉の国軍正式採用の軍用スピルと、若干のオリジナルが手札である。対して、織は現行のあらゆる魔法が行使可能とでもいいたげなほど種類豊富だった。なにせ、敵対する〝もう一つの第一世界〟のスピルすら使えるのだから。
ジュリエットに優位性があるとしたら、天才的なバトルセンス。だが、これも純粋なるパワーによって押し切られていた。
ジュリエットの躰が飛び立つ宇宙船のように打ち上げられたのも、その劣勢による結果だった。
「どこに行った、オリ」ジュリエットは落下しながら躰を回転させ、姿勢を変える。「ええい」
湖に叩きつけられるまえに、ジュリエットは空気の壁を蹴った。
ピンヒールブーストを全開に点火させ、ベクトルを鉛直方向から水平方向へ分散。
着地した飛行機が滑走路で制動するように、ジュリエットは数メートルの水柱を造りながら滑る――、その背後……、
「こちらでしてよ」
「しま――ッ」
織は湖の中に潜んでいた。
彼女は罠の口を広く開けて、ジュリエットが空から落ちてくるのを待っていたのだ。
湖の中から織の死神の鎌が、空間を半月に切り裂きながらジュリエットを襲う。
「なんとーッ」
ジュリエットは躰と鎌の間にレーピアを滑り込ませ、両断を迫る白刃受け止める。
「の、呑み込まれる……ぅ」
恐ろしい力だった。
織は巨大な死に神の鎌で、地獄へと引き込むようにジュリエットを湖の底へとぐいぐい引っ張る。
抵抗の手段は一つしかない。
ジュリエットは精一杯の気合いで、ピンヒールブーストを全力全開で加熱。
バーナは赤い光から青い光へ遷移し、熱せられた空気と水分子が急激な膨張――、いや爆発現象を起こす。
「ジュリエット。貴女って人は」
織はとどめをあきらめ、ジュリエットから身を引き飛んだ。
だがジュリエットは速度を落とさず、百二十パーセントの推力のまま中島の浜辺へ突貫した。
乾燥した浜辺の砂が噴水のように吹き上がる。
一瞬で、周囲に静けさが戻った。
織はゆっくりと浜辺には不釣り合いなハイヒールで着地。
「なんて乱暴なんでしょう。ジュリエット、生きてらっしゃる」織が砂の山に声をかける。その山の頂上からガバッと手が生える。まるで埋葬された死者が墓穴から這い出るように、ジュリエットは覆い被さった砂の山から姿をみせた。
「ああ、もうっ。口の中も頭の中も砂まみれだよ。ぺっ、ぺっ」
「それはご愁傷様」
ジュリエットに余裕はなかった。
勝機というのがここまで見つからない戦いははじめてだ。
「どうしていまさら、銀河舞踏会への参加を止めようとする」
「時期ではないからでしてよ」
「時期……」
「それに、銀河舞踏会はいまだ情報崩壊状態。嵐の海に付き合わされるイノヴェーションズもおかわいそうじゃあありませんの」
「戦うつもりはない。ハムレットがなにか企んでいるらしい。コーディリアが危ないんだよっ」
「だから」
「だからっ、て……」まるで話の通じない織に憤り、ジュリエットは浜辺を蹴った。「彼女の希望が潰えるまえに。先を急ぐ、ぼくは」
熱くなるジュリエットとは対照的に、織はゆっくりと冷めていた。
「矛盾しているわ。貴女は彼女にとっての敵でしかないでしょうに」
「でも、ぼくは」
「本当、貴女を見ているとイライラしますわ。自分本意でありながら敵にだって情けかける、ですって。悪女なら首尾一貫して悪女でありなさい。貴女からは美学というものを感じませんわ」
「お人好しが諸悪の根源。いまにはじまったことじゃあないさ」ジュリエットは改めて焔のレーピアを顕現し、空気を焦がす。
ジュリエットは砂浜を強く蹴った。
砂を舞挙げながら、織にレービアで刺突。
絶妙な力加減で、織がこれを死神の鎌で受け止める。
「聞きたいことはいくらである」
すっかり暗くなった浜辺に、やたらと火花が目立つ。
「なぜ猫山曹長が〈ダンシィングウィル〉の国家基幹技術、スーパアリステクノロジを使える。七つの法具を集めてなにをする気なんだ。ワルキューレ様はどこまで未来を見通しているんだ」「ご質問はお一つずつになさって」
「それにキング・オーベロン」ジュリエットは体重を乗せるようにして押し返す。「おかしい。パックは何者だ。だって〈ダンシィングウィル〉の統治者は、キング・オーベロンなんて名前じゃあないぞ」
「よい着眼点です」織が表情を変えず、顎を小さく引いた。
「だれだよ」
織が死に神の鎌を振った。ジュリエットの躰が後方に吹き飛ばされる。
ジュリエットは着地すると同時に、長く息を吐いて呼吸を整えることに努める。
「うぃーを仲介して予言を流す意味もわからない。そのせいなんだろう。うぃーが軍部で監視対象にされているのは」
「それは正解半分、というくらいかしら」
「半分」ジュリエットは聞き返す。
「なんの意味もありませんもの。媒介を通すほど情報は減衰する。常識ですわ」
「意味が、ないだって」
「ありませんわ。どう考えても。だれが考えても」
ジュリエットは、脳裏を過ぎった自分の考えに恐ろしさを感じる。
「じゃあ、ぼくは根本から勘違いしてたってことか」
表情のない人形の顔が、黙ってジュリエットを見つめた。
「預言じゃあないんだ。予言なんだ」ジュリエットは身震いしながら声をあげた。「うぃーは、ワルキューレか」
「さあ、お話はこれまでにいたしましょう」織の躰がすっと浮かぶ。天から垂らした糸に釣られるようにして、彼女はみるみる空へ浮かんでいく。
「どこへ行く気だ。まだ話は終わってないぞ」
織は精細なギミックが施されたセラミックの躰で肩を竦めた。
「小うるさい娘だこと。わたくしは、いわばプロンプタ。戯曲をあるべき終演へ向かわせるため、役者に逐一指示をだすのが役割でしてよ。途中途中の必須イベントは知っていても、結末がなんであるかは存じませんの」
ジュリエットは必至に考えた。
たぶん、織はジュリエットには防ぎきれない特大の一撃を放って終わるつもりでいる。情報を引き出したい。絶対の危機であると同時に、絶好の好機でもある。うまくいけば、コーディリアも、自分も、徐々に舞台の端へ追い詰められる状況を打開できるかもしれない。
ジュリエットの脳内で暗雲がぐるぐるとループする。
そのなかで彼女はこれだ、と手に掴んだ問いは、織が人形でなければ表情をゆがめざるを得ないほど核心を突いた。
「四次元生物が介入しているのか――」
「ほう……」そう言って、織の上昇する躰がとまった。彼女は十数メートル高さで、そこに見えない足場あるように空中に立つ。
冷たい空気が一陣吹いた。
織のゴシックロリータ調のスカートが揺れ、膝の関節部のつなぎ目を露わにさせた。
「例え話です。この三次元宇宙が、ある劇場の舞台。あなたがた三次元生物は、その上で演じる役者としましょう。
「さて、あるときこの無数ある劇場から、超越観念的な疑問を抱いた役者が生まれはじめます。つまり、自分たちは舞台の住人で有り、外側には客席があるのではないか、という疑問ですわ。
「超通信を得た三次元生物はこれを行動に移し、観客へ話しかける始末。『おい、そこに誰かいるのか』『ここからどうやって抜け出せるのだ』。世界が戯曲の一編で、その配役にすぎないと悟った舞台など滑稽であり、破局していますわ。
「そうは思いません、灰炎のジュリエット」
「それで四次元生物が介入し、破局した戯曲をあるべき脚本のとおりに進めさせようってことか」
「いいえ、それこそ破局ですわよ。観客が舞台にあがるだなんて」
「そうだ。四次元生物とえ、自身が排斥する空間に占める粒子の位置情報は支配できない――。これが世に有名な、『世界戯曲説』。だから四次元生物が存在したとしても、彼らは自ら手を加えるほど収拾がつかなくなるため姿は現さない。そのためのプロンプタってわけか……」
「仮に『ロメオとジュリエット』も、四次元生物が観覧する戯曲の一編に過ぎず、彼らが向かわせたい結末が、あなたが望む結末と不一致だったとき、あなたはどうなさるおつもりかしら」
「引きずり出してやる」
「……なんですって」
「ワルキューレの存在が舵を取りきれない世界だって証左なんだから、ぼくはぼくでワルキューレの超通信能力をいいように利用させて貰う。そのうえで、ふんぞり返って高みの見物を決め込む四次元生物に言ってやるさ。ぼくらを操りたいのなら、直接顔見せにこいや、ってね」
「悲劇にならないことをお祈りいたします」織は急速上昇。すいすいと無音で宙を登る。
その間に、ジュリエットは決め技にとりかかる。
「集え、狂熱の焔」
右拳で胸を打つ。
呼ばれた光がジュリエットの拳に収束した。
すると生まれる、彼女の新たな焔の矢。
「銀河の衝突――」二本指で銃を作ると、蓄えた大量の焔を解き放つ。「スター・ラヴバケーション」
日が落ちた闇夜が、一瞬で燃えるように赤に染まる。
上空の織に目がけて、ジュリエットの巨大な焔の玉が空気を焦がしながら彼女を呑み込もうとする。
これをただ黙って見守る織ではない。
彼女は片手を天に向けて真っ直ぐ伸ばす。
「叩き落として差し上げますわー」織の手のひらに、拳ほどの小さな漆黒の球体が生まれる。――かと思えば、その球体はみるみる肥大し、「わたくしのオリジナルスピル。名付けて――」
その漆黒の球体は、見上げても切りが無いほど巨大化した。
「戦略級質量対地砲、〈星屑落とし〉。ごうきげんよう」
織が天に掲げた手を指揮者のように振り下ろすと、それに反応して漆黒の球体が落下を開始した。
「馬鹿なっ。織、そんなことをしたら――」ジュリエットは天に叫ぶ。
ジュリエットが打ち上げたスター・ラヴバケーションが漆黒の球体に衝突する。
イノヴェーションズの実力者達すら凌いだジュリエットの大技も、織の〈星屑落とし〉に比べれば小さく見える。サイズ差は、スター・ラヴバケーションを地球にたとえれば、〈星屑落とし〉は太陽だ。
だから結果はみえていた。
〈星屑落とし〉に衝突したジュリエットのスター・ラヴバケーションは粉々に砕かれ、その破片は四散して多くは湖に墜落する。一瞬で膨張した湖の液体は爆発し、さながら隕石の衝突を彷彿とする高波をつくった。
ジュリエットのなすべき選択は一つだった。
地に向かう織の漆黒の球体を食い止めること。
そうでなければ、圧倒的な質量に基地が押しつぶされる。
「ピンヒールブースト。限界出力だ――ッ」
空気を焦がしながら、ジュリエットのヒールから太く長い焔が吹き出した。
強大な出力で足がもげて飛んでいきそうだ。もちろん、繊細なマニューバも行えない。ただ一直線に打ち上がるロケット状態。それで充分である。
ジュリエットは目の前に迫る隕石さながらの〈星屑落とし〉に突撃。
受け止めようというのだ。
眼前に美しいほど漆黒の球体が迫る。
ジュリエットは雄叫びを上げながら両手をいっぱいに広げる。
「こいやー」
球体が彼女に触れる手前で、まず相殺爆反装甲〈スピットファイア〉に光学装甲〈ケロネー〉を重ねが消した二重の装甲に衝突。戦車砲のエナジィすら防ぐ防御力も、水面に張った薄い氷のように容易く割れる。
次の瞬間、ジュリエットの全身を巨大なハンマーで殴られるような衝撃が襲った。
意識が飛びそうだった。
ブースタは限界以上の出力を維持しているが、落下速度に変化はないだろう。
もはや逃げ出すこともできない。
このままでは中島に躰ごと墜とされ、基地もろとも粉々になる。
気を失いそうなジュリエットの頭の中では、あまりに無謀だったと後悔する一方で、なにもせずに失うのはもっと後悔する、と自分の行動を正当化した。そのうえで、最終手段に踏み切った。
「集え、しゃ、灼熱の焔……」
隕石は受け止めきれない――。
なら落下速度を可能な限り落とすのみ。
手段はゼロ距離砲撃である。
ジュリエットの胸に光が集中する
いまの彼女には確認する余裕も猶予もないが、中島衝突まで、あと数十メートルだった。
「銀河の衝突――、ラブ……」
そのとき、視界の隅でゴスロリ人形を捕らえた。
「貴女って人は、本当に、お人好し」
ぱんっ、と風船が割れるようなあっけないほど小さな音を立てて、不釣り合いなんて言葉ではとうてい表しきれない巨大な〈星屑落とし〉が弾け、消えてしまう。
だがその衝撃はすさまじく、ジュリエットの細い躰は物言わぬ人形のように弾かれる。
なんの抵抗もできず湖に落水。
液体の変形速度を上回る侵入速度によって、コンクリートも同様の硬い湖に躰を叩きつけられた。
織はやはり、空中を動く床で移動するようにすうーっと水平移動。ジュリエットがちょうど落水した付近でとまると、右手をくいっと上向きに捻る。すると、魚のように赤毛の少女が海面から釣り上げられた。
むせかえるジュリエットは、呼吸こそしていたが、もはや指一本動かす力は残されていなかった。全身ずぶ濡れ。赤毛の長髪とスカートが躰にへばりつき、顔色も悪い。美しい湖の妖怪、とでもいうような様である。
「生きてらっしゃいますこと」織が反応を確かめる。
ジュリエットは大きく呼吸して、血色を失った唇をわずかに動かしている。
「なにかしら。聞こえませんことよ」
「基地は、守った……、ぞ」
「もとより破壊する気などありませんことよ。まあ多少はつぶす気でしたけど」織はジュリエットの額に人差し指を当てる。「お眠りなさい。〈スリーピングビューティ〉」
強制睡眠と意識のクロスサイトを重ねが消したワルキューレのオリジナルスピルによって、ジュリエットは深い眠りへと墜とされた。
「負けず嫌いな人ですこと」織の独り言は、しかしだれの〝頭脳〟にも届いていなかった。




